To Hentaimask2 <Konomi-Yuzuhara>  投稿者:AIAUS

本作品を読まれる前に

:本作品は、  To Heart2のネタばれを含んでおります。
:本シナリオは、To Heart2の柚原このみシナリオをクリアした方のみ
 お読みください。クリア前に読むと、ネタバレのため、作品を
 楽しむことができなくなる恐れがあります。
:それでは、上記の項目を満たした方で、シモネタが平気な方のみ、
 下へお進みください。

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 ピピピピ! ピピピピ!

 うるさい……。
 ……もう、朝なのか?

 布団の中から手を伸ばして、パジャマ姿の河野貴明は目覚まし時計のスイッチを押した。

 フニョン。

 まだ眠いけれども……フニョン?
 なんだろう。この暖かくて、妙に柔らかく、懐かしいような感触は。
 
 フニョン、フニョン。
 アヒルの卵を、ゴムの袋に包んだような感触。 
「なに……これ?」
 まだ眠気が覚めない目を、薄く開く。
 目に映ったのは。

 ブリーフ?

「それは、私のオイナリさんだ」

 おいなり?
 え? じゃあ……これって。

「俗語では、タマキーンとも言う」
「ウゲポギャララゲゲゲゲゲゲゲゲゲ!!!」

 
 気持ちの悪い朝だった。
 夢見は最悪。
 歯を磨きながら、貴明は思う。
 なにが悲しくて、男のオイナリさんを触る夢を見なくてはいけないのだ。
 吐き気と共に、口の中の歯磨き粉を吐き出した。

 ピンポーン。

 呼び鈴が鳴る。
 ちょうどトースターでパンが焼き上がるのを待っていた貴明は、玄関まで
出て行った。最近、物取りや通り魔が多くて物騒だから、扉に鍵はかけてある。
 しかし、貴明が扉を開ける前に、カチャンと音が鳴って、ドアノブが回った。
「なんで?」
 貴明の両親は海外出張中。
 国内で河野家の鍵を持っているのは、長男である貴明ただ一人で、鍵は電話台の下に
置いてあるはずだ。
「このみ?」
 わずかに開いた扉の隙間。
 その間から、覗き込むようにして顔を出したのは、貴明の幼なじみの女の子だった。
「おはよ〜。タカくん」
 扉を開けて、跳ねるように中へ入ってきたのは、柚原(ゆずはら)このみ。
「えへへ。早起きさんだね」
 このみは貴明の家の隣に住んでいて、物心つく前から、二人は幼なじみだった。
 学年が一つ違うため、通う学校は中学と高校と別々ではあるが、通学に使う道は
一緒なので、二人で学校に行く習慣は小学校の頃から変わっていなかった。
「何で、おまえが、うちの鍵を持ってんの?」
「え? おばさんから預かったんだよ。聞いてない?」
「聞いてない、聞いてない」
 可愛らしい子猫のキーホルダーがついた鍵。
「おばさんがね。このみにね。留守にしている間、どうか貴明のことをお願いします
って頼みに来たの。だから、タカくんのことは、このみにお任せなんだよ。えへ〜」
 とても誇らしそうに胸をそらした幼なじみの姿を見て、貴明は溜め息をついた。
 二人がいつも待ち合わせをするのは、二人の家の前の真ん中。
 そして、いつも多めに待たされるのは、寝坊した、このみを待つ貴明の方だ。
「出るには、ちょっと早すぎるだろ」
 このみが珍しく早起きして、自分を迎えに来たと思った貴明は、そう言ったが。
「タカくん。朝ご飯、もう食べた?」
「いや。まだだけど」
 パァと花がほころぶように、このみが微笑んだ。
「このみが作ってあげようか?」
「作るって……誰が?」
「む〜。このみに決まっているじゃない」
 このみの頬がぷっくり膨れている。
「ごめんこうむる」
「タカく〜ん。ひどいよ〜」
 嫌な予感がしながらも、貴明は幼なじみのよしみで、このみを台所へと通した。

 一ヶ月ほど前。
 仕事の関係で、貴明の父が海外支店に長期出張をすることになった。
 数年がかりの大プロジェクト。
 昨日、貴明の父と母は勇んで、海の向こうへと飛んでいった。
 貴明は置き去りにして。

「無責任ちゅうか……まあ、このみに頼んでいたってことは、心配はしてくれた
っていうことなんだろうけども」
 でも、なんで、このみなんだ?
 朝に見てしまった悪夢が強烈過ぎて忘れていたが、今日から気ままな
一人暮らしが始まる。
 嬉しいけれども、どこかつまらないような気もする複雑な気分。
 素直に喜べないのは、朝見た悪夢のせいなのか。
「タカくん。冷蔵庫の中に、なんにもないよ〜」
 制服に着替え終わって、二階の部屋から降りてきた貴明を迎えたのは、
このみの困った声だった。
「なんにもないってことはないだろ。ほら、お茶漬けの素があった」
「御飯がないよ〜」
 ……考えてみたら、昨日、炊飯器を仕掛けていなかった。
「お魚の干物はあるけど。これ、使っていいの?」
「やめとけ。それは、お袋が大好きで、俺と親父は大嫌いな“くさや”だ」
「え〜。くさいの?」
「強烈だ」
 まだ頑張ろうとする、このみの襟元を引っ張って、貴明は玄関の方へと
歩いていった。

「タカくん。朝御飯食べなくても大丈夫なの?」
「途中のコンビニで、何か買うさ」
「でも、コンビニに寄っていったら、ギリギリになっちゃうよね」
「ん〜。微妙かなあ」
 腕時計を見て、貴明は顔をしかめた。
 たかが一食。
 だが、高校生男子が腹を空かすには十分な栄養源の不足だった。
「走るか」
「は〜い」

 走るか。
 急ぎ足で、コンビニまでの時間を短縮するだけのつもりで言ったのに。
 ほぼ全力疾走に近い速度で走って、貴明は息を切らしている。
「タカくん、はやくはやく〜!」
 常々、疑問に思う。
 貴明は平均的な男子高校生の体力の持ち主で、体育も苦手な方ではない。
 それなのに、このみは息を切らしている貴明とは対照的に、楽しそうに
道路を走っている。
 コンビニに着いた時、貴明はがっくりと膝を落としそうになりながら、
このみの顔を見た。
「なんで……平気そうなんだ?」
「ちょっと走っただけだよ〜。タカくん、大げさだって」
 馬鹿な。
 このツルペタンボディのどこに、そんなミラクルパワーが隠されているんだ?
「ほら、早くパンを買って。学校に着く前に食べちゃわないと」
 そう言って貴明の背中を押す、このみの笑顔は。
 春を告げる桜の花のように眩しくて。
 ようやく、貴明は朝見た悪夢を忘れてしまえそうになれた。

 限りなく澄んだクリアブルーの空。
 そこに一人、白い布地で股間と顔だけを隠した男が一人、電柱の上に立っている。
「河野貴明。審判は始まった」
 青に青を重ねて出来上がった、どこまでも透明で澄み渡った青空。
 それなのに、男が履いた網タイツからはみ出たスネ毛が、そんな清々しい朝の空を
台無しにしていた。

「タカくん。走ろ」
 タッ――
「まっ、待て。引っ張るな、食ったばかりだから――!」
 
 六つに分かれた腹筋の上に生えるギャランドゥ。
 白い布に隠された顔から見えるのは、平行四辺形の角張った白目と逆立った髪のみ。
「おまえは果たして、どんな結論を迎える?」
 楽しげに走る幼なじみの二人。
 不敵な男は、天下無敵な変態スタイルで、その姿を見下ろしていた。

「はふ、はふ、はふぅ……ここまで走れば大丈夫だよね」
 パンを食べたばかりで全力疾走をさせられた貴明は、道路の端にモンジャ焼きを作っている。
「タカくん。具合悪いフリっていっても、やり過ぎだよ〜」
「げふぅ……演技じゃない。マジゲロだって」
「ウソ。タカくん、そんなに体力ないわけないもん」
 このみにとっては、貴明はいつまで経っても、お兄さんのままなのか。
 口の端をポケットティッシュで拭った貴明の背中を、うんしょうんしょと、このみが
押している。
「よぉ、おはよ〜さん」
 微笑ましい幼なじみ二人に挨拶の言葉を投げかけたのは、やはり別の幼なじみだった。
「あ、ユウくん。おはよ〜」
「おはよう、雄二」
「へへ。朝っぱらから仲がいいじゃねえか、お二人さん」
「ああ。仲が良すぎて、道路にモンジャ焼きを作っちまったところだよ」
「む〜。このみのせいじゃないもん」
「100%、このみのせいだと思うけど」
「あん? モンジャ焼き?」
 少し赤みがかかった髪をしている、貴明と同じ学校制服を着た男子の名前は、
向坂雄二(こうさか ゆうじ)。
 この地域一帯に今でも影響力を持つ、古き家柄の長子だった。
「なんでもない」
「あん? まあ、いいや。貴明、おじさんとおばさんは、もう海の向こうか?」
「ああ。あっちも気楽にやっていくさ」
「いいよなぁ。気楽な一人暮らし。俺もしてみてえ」
「雄二の家って、親父さんもお袋さんも、仕事でほとんど家にいないじゃないか。
雄二だって、一人暮らしみたいなもんだろ」
「いんや。毎日、家政婦さんとか来るから、全然一人暮らしって雰囲気じゃねえよ」
「似たようなもんだけどなあ」
「ちっがーうっ! ウチに来る家政婦のババアは、俺に断りなく俺の部屋を掃除するし、
俺の様子を親父に告げ口していやがるんだぜ。まさに、牢獄に捕らわれた囚人って
感じなんだよ」
「そうかなあ。うらやましいけどなあ」
 庶民の貴明と、このみは顔を見合わせて、悶える雄二の姿を見ている。
「ああ。どうせ監視されるなら、メイドさんとかなら諦めもつくってのに!」
「若いオネーサンだったらいいのか?」
「あったりめえだ!」
 清々しいくらいの若々しい男子高校生の言葉だった。
「んー。それだったら、このみがメイドさんになってあげようか?」
「チビ助にメイドさんが努まるもんか。メイドをなめるなーっ!」
「むー。ユウくん、ひどいことばっかり言う」
「せめてなあ。家政婦を雇う金でメイドロボを買ってくれればいいのになあ」
 若かったら、機械仕掛けとかでもいいのだろうか。
 それとも、そんなにメイドさんが好きなんだろうか。
 問えば、大好きだ、という答えが返ってくるのがわかりきっていたので、
問いかけかねていた頃。
『このみ〜!』
 曲がり角から、このみを呼ぶ大きな女の子の声が響いた。
 このみと同じ制服を着た女の子が二人、幼馴染み達の所へ走ってくる。
「おはよ〜」
「あ、ちゃる〜! よっち〜! おはよ〜!」
 元気に手を振る女子中学生三人。
「先輩、おはようっス」
「……おはようございます」
「おう、おはようさん」
「……」
 雄二は気軽に挨拶を返したが、貴明は黙ったままだった。
 ボブカットの、元気な声を出す女の子は、そんな貴明の顔を不思議そうに
見ている。
「先輩? おはようっス!」
「あ……ああ、おはよ。それじゃ、このみ。ここでな」
「え〜? タカくん。もう行っちゃうの?」
「遅刻するって、俺を引きずり回したのはおまえだろ」
「朝から、お盛んっスね〜」
「え? お魚がどうしたの?」
「……このみに、その手の話題を振っても無駄」
「それじゃな」
「それじゃあ先輩、失礼するッス」
「……どうも」
「いってきまーす」
 このみはタッと足取り軽く、三人一緒に、中学校の方へ向かっていった。


「おまえ。なんで、そんなに女が苦手なんだ?」
「それがわかったら苦労してないって」
 河野貴明は、女の子が苦手だった。
 何を考えてるかよく分からない。
 うかつに触れると、壊れてしまうのではないかと思う。
 何より、近くに寄られただけで体が異常に緊張する。
「あの子達だって、中身は、このみと同じようなもんだろ」
「このみは妹代わり。他の子とは違うよ」
「妹ねえ。このみも苦労しそうだよなあ」
「なんで、このみが苦労するんだ?」
「そういうところだよ。ほら、行くぞ」
 もうすぐ学校が始まる。
 雄二の言葉の意味もわからず、貴明は校門へと向かっていった。


 今日から三月、弥生となる。
 春の日を迎えて、テストも終えた学生達は、やって来る春休みを心待ちにしている。
「おーい。貴明、おまえ、テストはどうだった?」
「別に。普段通り。可もなく、不可もなく」
「つまんねえ。おまえも、たまには親に点数で怒られてみやがれ」
 雄二と貴明の学力は同じくらいだが、性格の違いからか、雄二にはケアレスミスが
極めて多い。加えて、旧家のしきたりなのか、高校生になってもテストの答案は全て親父殿の
閲覧物となり、点数が悪ければ、当然、怒られる。
「また、姉貴と比べて貴様は〜、って、くどくど言われるんだぜ。たまったもんじゃ
ねえよぉ」
「気にするな。人生、テストの点数で決まるわけじゃないさ」
「そうだよな。やっぱり、かわゆくて、オッパイバイーンなギャルをゲットするのが
人生の醍醐味ってもんだって、醍醐天皇もおっしゃっていたよな」
「おっしゃらなかったと思う。うん」
「「……」」
「え? あれ? なんだ?」
 雄二以外の誰かが自分を見ているような気がして、貴明は教室を見回したが、
学生達はそれぞれの世間話に興じていて、誰も自分たちには興味を払っていなかった。
 
 教室、二階の窓ガラス。
 股間と顔だけを白い布地で隠した男が、指だけで全体重を支えて、窓枠に捕まっている。

 違う、違うぞ、河野貴明。
 オッパイバイーンなギャルのゲット。
 それは漢の人生で2番目に大切なことじゃないか。

 白い平行四辺形の目が血走っているのが、とても怖かった。


 昼休み。
 学食でチャーシュー麺を食べていた貴明は、同じように隣りでキツネウドンを食べている
雄二に向かって、語りかけた。
「なあ。さっきから、変な視線を感じないか」
「あん? ようやく色気づいたか? 気にすんな。おまえをストーキングする女なんか
いないって」
「そうだよなあ。なんだろう。朝、ヘンな夢を見たんだよ」
 そう言って、貴明は今朝見た悪夢のことを話し始めた。

「そう。ちょうど、おまえが箸でつまんでいる油揚げみたいな感じの、フニャンとしたやつ」
「……待て。今ちょっと、おまえに殺意を抱いた」
「なんでだよ」
「楽しみに取っていたんだよ、この油揚げっ!」
「オイナリさんに包むものだから、一緒だろっ!」
「マジ殺すぞーっ!」
 学食は、今日もにぎやかだった。


 いつものように、何事も起きず、一日は終わった。
 学生鞄を肩にかつぎ、校門を出た貴明を待っていたのは、
「タカくん」
ニッコリと微笑む、このみの姿だった。
 行きを待つのが貴明であれば、帰りを待つのは、このみ。
 学校が変わり、帰り道が遠回りになっても、このみは時々、高校の門の前で
貴明を待っていることがあった。
「いっしょに帰ろ?」
「ああ。そうだな……っと、悪い。帰り、ちょっとスーパーに寄っていいか」
「うん。どうせ買い物に行くだろうと思ったから、ついていこうと思ってたの」
「なんで?」
「え? なにかヘン?」
 首をかしげる貴明と、首をかしげる、このみ。
「まあ、別にいいけど。それじゃ行こうか」
「うん。行こ、行こ」
 
 スーパーからの帰り道。
 インスタント食品を買い溜めようとしていた貴明は、世話焼きを覚え始めた、このみ
に邪魔されて、とても使えないような食材をビニール袋に下げて、夕暮れの道を歩いていた。
「俺、料理なんかしたことないんだけど」
「ダメだよ、タカくん。インスタントばかりだと、栄養が偏るよ〜」
 貴明の母に、お目付役に任命されたのを、よほど誇りに思っているらしい。
 無い胸をそらして、
「わからなかったら、このみに聞いて。それ全部、このみが調理できる食材だから」
「本当か〜?」
 幸せそうに、微笑ましそうに歩く幼馴染み二人。
 その二人を切り裂いたのは、シュっと音を鳴らす、銀の光だった。

「えっ?」

 脇腹に熱いものを感じて、貴明は手を当てた。
 ベトリという、生ぬるい感触。
 見ると、自分の手が赤で濡れている。
 血?
 誰の血?
「斬れたなあ。本当に、よく斬れた」
 笑っている。
 横を通り過ぎた、ジャージ姿で頭に黒いバンダナを巻いた男。
 手に持っているのは、奇妙な流線型を描いたナイフ。
 ナイフに着いている赤いものは、血だった。
 血?
 誰の血?
 それは……自分の脇腹から吹き出た血。
 腹を切り裂かれた貴明は、道路の上にペタンと尻餅をついた。
「タカくんっ!?」
 青ざめた顔で、このみが貴明の上に覆い被さった。

『最近、物取りや通り魔が多くて物騒だから』

 まさか、自分が襲われるなんて。
 テレビで毎日見ていた。
 誰かが誰かに殺されたって、ニュースで毎日流れていた。
 そんな死に方があるんだって、他人ごとのように思っていた。
「このみ……逃げろ」
「タカくんっ! しっかりして、タカくんっ!」
「お嬢ちゃんは斬れるかなあ。試してもいいか?」
 脇腹は焼けるように熱く、痛かったけど。
 噴き出す血で、気が遠くなりそうだったけれど。
「タカくんっ!!」
 逃げ出せない。
 このみの背中に突き刺さろうとするナイフ。
 咄嗟に、このみを抱きかかえて、自分の腸が腹圧で外に飛び出そうになるにも
構わずに、貴明は横に転がった。
「へへへへへへへへへへへへへ」
 これでいい。
 俺が殺されている間、このみは無事だ。
 頼むから、誰か来てくれ。
 誰か、このみを助けてくれ。
 俺には、もう何も出来ない。
 頼むから、誰か、このみを助けてくれ。
 誰か。
 誰か。
 誰か。

「それだけか、河野貴明」
 誰かの、声が響いた。
「……なんだい、あんた」
 バンダナにジャージ姿の通り魔が、呆然として呟く。
 白い布で股間と顔だけを隠した、平行四辺形の白目と逆髪を持つ男。
 海水浴場なら、ギリギリセーフの格好かも……いや、かなりアウト気味の格好
だが、天下の往来では見事に猥褻物陳列罪である。
 なにしろ、男が履いているのは、女物の白のパンティだったから。
「人の名前を聞くなら、自分から名乗るのが礼儀だろう。人斬り幻八」
「俺の名前を知っているっていうなら、あんたも、こっち側かい?」
「そうかもな」
 刹那。
 血を失い、霞がかかった貴明の視界に、通り魔と朝の夢の男がナイフと拳を
交錯させる姿が見えた。
 頼む。俺はいいから、このみを守ってやってくれ。
「タカくん……死んじゃイヤぁ……」
 馬鹿野郎。少しでいいから、自分の命の心配をしやがれ。
 自分にそっくり返ってきそうな言葉も、漢だから許される。
 そう思って、貴明は意識を閉じた。

 人斬り幻八。
 彼は名前のように、人を斬るのが好きな男ではない。
 刃物が人を切り裂く感触が好きなのだ。
 人を殺せるように作った刃物が、ただ飾られるだけで終わる。
 それは刀剣をこの上なく愛する彼にとっては、悲しい出来事だった。
「なんだい。偉そうなことを言って、一撃も当たってないぜ」
「それはお互い様だ」
 拳と左右のステップだけで注意深く斬撃を避けながら、変態のような格好をした
男は、チャンスを狙っている。
 だが、チャンスは訪れない。
 それはそのはず。
 幻八は生身の女は愛せず、刀剣に情欲を催す変態だったから。
 変態に勝つには、変態しかない。
 だが、純粋絶無な殺意の前に、普通の変態だけでは文字通り太刀打ちできない。
「待て。私はナイフで刺されるのは嫌いだ」
「なんだい。それなら、刀がいいかい? 槍がいいかい?」
「違うな」
 ズボっと男が股間のパンティに手を突っ込んだ。
 どうなっているのか、鞭とロウソクが男の両手に現れる。
「……なに、それ?」
「鞭で叩かれ、ロウソクを垂らされるのは大好きだ」
「へ?」
 丈夫な一本鞭。
 赤い低温ロウソク。
 そんなものを真剣勝負の最中に手渡されて、幻八は呆然としている。
「ヘイ、カモーン!!」
 血を流して倒れている貴明の隣りに横たわって、男は妖しく腰をくねらせている。
「ぴぃ」
 血まみれの貴明に抱かれていた、このみが、横目で男の怪しい蠢きを見て、
小鳥のような悲鳴を上げた。
「つっ、つきあいきれるかっ、この変態野郎っ!!」
 今だっ!
 平行四辺形の白目をギラリと輝かして、男は鞭とロウソクをアスファルトの上に
叩きつけた幻八の前へ立ち上がった。

 ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン。

 男の両腕が、目にも止まらない速度で胴体の周りを周回している。
「ヌンチャク? いや、流星錘? いいねえ。ようやく本気になったかい」
 違う。
 男が握っているのは武器ではない。
 自らが履いている、白のブリーフの裾。
 ピタ。
「へ? ぶっ、ぶはははははははははははははっ!」
 それまで、ニタニタと殺人鬼の笑いを浮かべていた幻八が破顔爆笑した。

 オイナリ。

 限界まで伸ばされ、体に巻きつけられ、肩にかけられたブリーフの裾。
 そこに包まれた男の股間は、まさしくオイナリ。
「ここまでだ。人斬り幻八」
「よっ、寄るな、やめて! ポンポン痛〜いっ!?」
 変態技の一つ、レスリングスタイル。
 本来、股間を覆うだけのブリーフを限界以上に伸長させ、幾重にもクロス
させて肩にかけ、締めつけを極限まで高める。
 これは相手の戦意を喪失させ、自らの戦意をヒートアップさせる基本技だった。
「食らえっ! 変態秘奥義っ! 地獄の悶絶竜巻っ!」
 パフ。
 逆立ちして伸身前転した男は、そのまま跳躍し、股間を幻八の顔へ押しつける。
 そして、そのまま腹筋だけで体を持ち上げて、幻八の後方へ降りると、
今度は背筋だけで、幻八の体ごと逆立ちをして。
 あろうことか、ブレイクダンスで言うところのヘッドスピンを始めた。
「ギャアアアアア!! 気持ち悪いいいいいいいいい!!!!」
 許さない。
 武器を愛する心をゆがめてしまった、おまえの悪を。
 悪を決して、許さない。
「ブギヤアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
 なんぼなんでも。
 酷すぎるんじゃなかろうか。
 だが、男の顔を股間で締め上げながら首だけで回転する変態男と、大切なタカくんを
殺されてしまう寸前の、このみは、そんなことは微塵も思わなかった。
 回転は続く。
 幻八が口から透明な、やけに綺麗なキラキラとした液体を吐き出し、頭髪が
真っ白になるまで、地獄の悶絶竜巻の回転は止まらなかった。

「お願いします。救急車を呼んで下さい。このままだと、タカ……この人が
死んじゃいます」
「無理だ。この少年の出血は酷すぎる。間に合わない」
 ナイフの傷は深かった。
 女であれば、体の半分の出血でも助かる例はある。
 だが、男であれば、まず助からない。
「お願いします。救急車を呼んで下さい」
 救急車を呼べば、タカくんは助かる。
 あまりにも唐突に起こってしまった悲劇を信じ切ることができなくて、
このみは念仏のように、同じ言葉を繰り返している。
「どうしても、少年を助けたいのかね?」
「はい」
「それが、死んだ方がマシな人生になったとしても?」
「はい」
「いいだろう。では……」
 それは、このみにも、変態男にも、もちろん貴明でさえも。
 思ってもみなかった、運命の狂いだった。


 目覚めたのは、見知らぬベッドの上。見知らぬ白い天井の下。
「タカくん!」
 抱きついてきたのは、このみ。
「このみ……無事だったのか。良かった」
 無意識に髪を撫でる。
 サラサラとした髪の感触は、いつもと変わらない。
 無事だった。
 守ることができた。
「タカくん……」
「河野君。様子はどうかね。通り魔に襲われた傷は、皮一枚だって聞いたが」
 見ると、このみの隣りにいたのは、学校の担任教師だった。
 なぜか、雄二や、このみの両親までいる。
「ウチの子に、こんな酷い目を遭わせるなんて! あの犯人! 警察に捕まる前
だったら、ケツの穴から手ェ突っこんで、そこから硫酸流し込んでやるのにっ!」
 怒鳴ったのは、このみの母親、柚原春夏(ゆずはら はるか)だった。
「ケツの穴……お母さん、お怒りはごもっともですが。一応、他の子供達の前ですから」
「あらやだ。オホホホホ」
 優しそうな顔してパワフルな、このみの母親。
「このみに怪我はなかったですか?」
「大丈夫だって。チビ助は、この通りピンピンしてらあ。それよりもすげえな、
貴明。襲いかかってきた通り魔のナイフを皮一枚で避けて、膝蹴り一発で伸しちまった
んだろ? おまえ、どこで空手なんか習ったんだ?」
 皮一枚?
 膝蹴り?
 なんのことだ?
 確か、俺は腹をナイフで裂かれて……。

 ビキィンと頭痛がした。
「痛ててて……」
「精密検査の結果。極度の興奮で気を失っただけだとのことですが。
一応、大事を取りましょう。ほら、皆さん。今日のところは帰りましょう」
「おう。それじゃ貴明。武勇伝は、明日、学校でなあ」
 担任教師と、このみの父親に促されて。
 このみ以外の人間は、病室から出て行く。
 彼女だけ居残ることを許されたのは、優しい人間ばかりだったからだろうか。

「なあ、このみ」
「なに、タカくん」
「俺、腹を刺されたんだよな。その後、変な格好のオッサンが現れて……」

 オッサンではないっ!! まだ三十代っ!!

「え? あれ?」
 また奇妙な視線を感じて、貴明は病室の周りを見回した。
 誰も、いなかった。
「ねえ、タカくん。きっと、興奮し過ぎて、変な夢を見たんだよ」
「そうなのか」
「タカくんが、このみを守ってくれた。これだけ、夢じゃないよ」
「……うん。それは覚えている」
「えへへ。嬉しかった。このみね。すごく嬉しかった。タカくんが無事で、
すごく嬉しいの」
 涙をこぼす。
 その涙だけは、嘘ではない。
 消灯時間が近づくまで、ずっと、貴明は泣いている、このみの頭を撫でていた。

「このみ。そろそろ帰るわよ」
「は〜い」
 ずっと病室の外で待っていたのか、春夏の声が響くと、このみは元気よく返事を
して、涙で腫れた赤い目をこすった。
「ねえ、タカくん。あれは、タカくんにあげるね」
「あげる? なにを?」
「学生服の右ポケット。困ったら、手を突っ込んでみて」
 謎の言葉を残して、このみは病室から去ってしまった。
 蛍光灯が消える。
 なんで?
 不思議なのは、灯火が消えたことではない。
 自分の記憶の説明がつかないこと。
 それでも。
 明日から、また始まるはずの平凡な毎日が嬉しくて。
 貴明は目を閉じた。
 眠りはすぐに訪れる。

「計算外だが……少年にとっては、これでよかったのか?」
 六つに割れた腹筋の上で、夜風にたなびくギャランドゥ。
「いずれにしろ。損の目は出ないか」
 シュタっと音を立てて、男は病院の外へ飛び降りた。
「……なんだ、貴様は?」
「人呼んで、愛し合う人の子、アイアウス」
 男を迎えたのは、懐中電灯を構えた、夜間巡回中のお巡りさんだった。
「貴様のオマワリと、私のオイナリとどちらが強いか、勝負だ」
 通り魔と、変態と。
 どっちが街に残った方が良かったのか、よくわからない。
「みぎやぁあああああああああ!!」
「成敗っ!」
 殉職しかかった警官の、哀れな悲鳴だけが響いていた。 


「あら。もう退院していいの?」
「退院って言っても、怪我したわけじゃないですから」
 事件の翌日、貴明は病院から解放された。
 早朝、家に戻った貴明は、そのまま学生服に着替えて、このみを迎えに来た。
 腕時計を見れば、立派にお寝坊さんの時間である。
「ちょっと待っててね。すぐに起こすから」
 このみの母親、春夏はパタパタと騒々しい音を立てて二階へ上がると、娘の
部屋へと入っていった。
『このみ! いい加減に起きなさい! タカくんが迎えに来てくれたわよ!!』
 朝っぱらから、このボリュームだと心臓止まるかもなあ。
 耳鳴りがしそうな怒声に耳を押さえて、貴明は玄関で、このみを待っている。
『ふぁぁ!?』
 米軍海兵隊のような起こされ方をされた、このみが、飛び起きて、ベッドから
転げ落ちる音が、玄関の貴明にも聞こえた。
『ああっ、もうこんな時間!? ひどいよ〜、お母さん。どうして起こして
くれなかったの!?』
『起こしたわよ。何度起こしても起きなかったのは、このみでしょ?』
『お母さんの意地悪〜!』
 パタパタと足音をさせて、パジャマ姿の、このみが、玄関に現れた。
「お、おはよ〜、タカくん。学校に行こ」
「いいけど。このみの学校って、今日からパジャマが制服になったのか」
「ああん! タカくんまで意地悪する〜!?」
 慌てて、このみは朝の支度をしに、洗面台へと駆けていく。
「ごめんね〜。あの子、寝起きが悪いのよ」
「いえ、まぁ、いつものことだし……」
「うんうん、良きかな良きかな」
 頭をかいてる俺を見て、なぜかおばさんは満足そうに微笑んでいる。
『お母さ〜ん、着替えがないよぉ!』
「ふぅ……はいはい、着替えなら、そこにあるでしょ」
 朝からニギヤカな一家だよなあ。
 微笑みながら。
 子供の頃から繰り返されてきた毎日を、いつも以上に幸せに思いながら。
 貴明は、このみを待っていた。

 その日。
 教室の貴明は、ちょっとしたヒーローだった。
「すげえなあ、河野。おまえ、通り魔を膝蹴りでぶっ飛ばしたんだって?」
「河野君、すごいっ! ねえ、今からでも遅くないから、ウチの空手部に
入らない?」
 生来、大人しめの性格で通してきた貴明にとっては迷惑な話だったが。
 それでも、幼馴染みを守り通したことを誉めてもらえるのは嬉しかった。
「チャンスだな、貴明」
「なんだよ。俺、格闘技とかは興味がないよ」
「そうじゃねえって。今なら、声かけたら、かなり高めの女の子だって
落ちるんじゃねえかってこと」
「おまえ、そればっかりだよなあ」
「おまえこそ、相変わらずだなあ」
 これもいつも通り。

 学校の帰り道。
 通りにあるドラッグストアの前で、このみが商品を手に取って難しい顔をしていた。
「よっ、このみ。どうかしたのか?」
「あれ、タカくん?」
 このみが手にしていたのは、お風呂にいれる入浴剤だった。
「何だ? 入浴剤?」
「うん。今度は何のお風呂にしようかなって悩んじゃって」
「ふ〜ん。俺は入れるんなら入浴剤とかより、しょうぶ湯とか、ああいった方が好きかな」
「へえ。他に、ユズとかハッサクとか?」
「そうそう。あと、キムチとかさ」
「キムチ!?」
 このみがビックリした顔で後ずさったので、貴明は心外そうな顔をした。
「タカくん。キムチはお風呂に入れないよ。絶対、韓国の人もしないよ」
「そうかなあ。体がポカポカして気持ちいいんだけど」
「臭いってば、絶対」
「それじゃ、牛乳風呂とか」
「う〜ん……それなら、なんとか」
「あと、酒風呂。少しにしておかないと、出た後でグデングデンになるけど」
「うん。そういうのなら、やってみたい」
「危険なのは、ワサビ風呂だな。アレは肛門がヤバイことになる」
「〜〜だ〜から、香辛料とか刺激物は禁止っ!」
「む〜」
「このみの真似をするのも禁止っ!」
 そんな下らない話をしながら、二人は帰り道を歩いた。


 穏やかに、日々は過ぎていく。  
 今日も今日とて帰り道。
 今日は、このみは校門で待っていなかったので、適当に商店街を
ぶらついてみることにした。
 薄皮一枚。
 すでに傷はふさがっていて、通り魔に襲われたことなど嘘のようだった。
 アイス屋の前を通りかかると、ごきげんそうに、このみがアイスを舐めている。
 制服を着たままということは、まだ帰りの途中なのだろうか。
「よぉ、このみ。買い食いか」
 桜の花が舞うような満面の笑顔。
「タカくん!」
 トトトトトッ……。
 大きく手を振って、このみは貴明の横まで走り寄ってきた。
「ほらほら。新作のアイス。今日からね。新作フェアなんだって」
 ああ。そうだよなあ。もう春だもんなあ。
 このみが嬉しそうに見せびらかしているアイスは、桜を象ったのか、
淡い桃と白で模様を描いている。どうやっているのか、桃色は、キチンと
桜の花びらの形をしていた。
「えへへ。タカくんも食べる?」
 嬉しそうに笑って、マイクを差し出すように、貴明の口元にアイスを近づける、
このみ。
「それじゃ、一口だけね」
 酸味と甘みが混ざって美味い。この甘みは……。
「サクランボ味。桜の花をイメージしたんだって」
「へぇー。よく考えたもんだ」
 それだけ言って手を振って立ち去ろうとする貴明の袖を、このみが持っている。
「なんだ?」
「タカくん。一人で帰っちゃうの?」
「ん〜。それじゃ、一緒に帰るか?」
「うん!」
 満面の笑みを浮かべる、このみが可愛らしくて。
 彼女のために、もう一つ、アイスでも買ってやろうかと思った頃。
 貴明の苦手とする存在の声が響いた。

『このみ〜!』

「あ? よっち〜、ちゃる〜。来てたんだ〜」
 このみと同じようにアイスを持った女の子二人が、このみの所へと駆けてくる。
 女の子が苦手な貴明は顔をひきつらせて後ずさり、そのまま逃げようとしたが。
 いつの間にか、このみが自分の胸の中に貴明の腕を抱きかかえて、逃げられない
ようにしてしまっていた。
「えへへ。タカくん」
「やっ、やめ。マジでやめ……」
 貴明は腕を抜いて逃げようとするが、母親の春夏に似て剛力の、このみの腕から
自分の腕を引き抜くことは難しい。
「こんにちはッス、センパイ! 昨日はお疲れ様でしたっ!」
「……おひさしぶりです」
「ひ、ひさしぶり……」
 顔をひきつらせる貴明には構わずに、街角の英雄を、このみの友達二人は、
素直に尊敬の目で見ている。
「昨日は、このみを守って、大活躍だったとか。友達を守ってくれて、
改めて、お礼を言うッス! ありがとっしたっ!」
「……ありがとう」
「いや……大したことしてないし」
「大したことッスよ〜。おかげで、今朝から、このみ、タカくん、タカくんって、
大変なんスから〜。も〜う、デレデレ〜」
「……溶けてた」
「そっ、そんなことないってば! よっち〜、ちゃる〜!」
 ホッペタに両手をつけて、このみの頬が垂れ下がった様子を自分の顔で表現
している友達二人。
 本当に、仲がいいんだなあ。
「このみは男の趣味がいい。やはり、タヌキとは違う」
「……ちょっと。タヌキって言った? 今?」
「前に、貴明のことを悪く言っていた。だから、タヌキと言う」
「いっ、言ってない、言ってないってば! この冷酷キツネっ!」
「ほら、タヌキだから言葉を返す。悪い女だ。そのデカ乳で男を惑わすのだな」
「……うっ、うるさい! このヒンニュー!」

 デカチチとは聞き捨てならんなっ!

 アイス屋の屋外テーブルに座り、女子中学生に混じってアイスを楽しんでいた
白い布で股間と顔だけを隠した男、アイアウスは立ち上がろうとしたが。
「ひっ、ヒンニューとは聞き捨てなりませんねえ。ひひひひひ」
 背筋が凍るような気持ち悪い声を上げて、青白い顔の男が先に立ち上がった。
 身長は貴明より拳一つ分くらい高いの痩せ形。
 髪型は中央で分けたオールバックで、爛々と黒く光る眼孔が、その内面を
露骨に表現していた。 
「なっ、なに、あれ?」
「……変質者」
 いや、それなら、なんで、あっちの下着男に騒がないんだ。
 誰かが、そう思ったが、他の誰も声に出さなかったので騒げなかった。
「はっ、計らせてくださ〜い。ひひひひひ」
 男が手にしているのは鋼鉄製のメジャー。
 そこには、赤いマジックで線が引いてあり、規定サイズ以上の乳は
余分な贅肉として切り裂いてしまう刃が付けてある。
「霜月祐依……河野貴明の瀬踏みには、都合がいい相手か」
 しかし、彼が万が一、貧乳好きだったら?
 その時は一緒に股間で絞め殺そうと思いながら、アイアウスは
アイスを楽しむことにした。

「ちゃ、ちゃる! なんか、あんたの方に近づいてるっ!」
「……こっちの方が美味い」
「ぎゃあああああ!! 人でなし〜!!」
 よっちは背中を押されて黄色い悲鳴を上げているが。
 そんな、ふざけていられるような相手ではないことを、痛み出した脇腹が、
貴明に教えてくれていた。
「くっ……このみ! 二人を連れて、遠くへ逃げろ! その後、警察っ!」
 前へ出る。
 このみのために、前へ出ることが出来たのなら。
 きっと、このみの友達のためにだって。

 死ぬかもしれないよ。

 そんなこと知らんっ!
「タカくん……右のポケット」

『学生服の右ポケット。困ったら、手を突っ込んでみて』

 何がある?
 藁にもすがる思いで、貴明は自分の学生服の右ポケットへ、手を突っ込んだ。
 指に吸いつくような、柔らかい布地の感触。
 引き出すと、それは……小さな、可愛らしいイチゴ柄のパンティだった。

「パ、パン?」
 それは、女の子が苦手な貴明にとって、気を失いそうなほど危ない代物で。
 だが、なぜか懐かしい感じがした。

「タカくん! 早くっ!」
 早く?
 何を?

 何を?

 そんなこと、決まっている。
 女はパンティを履く。
 だから、男はパンティを被るのさ。

「被るっ? そんな変態みたいなこと、できるかぁ!!」
 叫んでいても。
 甘い蜜に吸い寄せられるかのように、貴明の顔はイチゴ柄のパンティに
引き寄せられていく。
「よっ、寄せ……止めてくれ」
 遠くで、ちゃると呼ばれていた女の子の悲鳴が聞こえた。
「ひひひひひひひ。大きすぎないといいですねえ」
「タカくんっ!」
 なにをためらう。
「だっ、だって……パンツなんか被れないっ!」
 少年。漢にとって、一番大事なことは何だ?
「それは……」
 正義を。
「貫くことだっ!」
   
 みんながみんな、青白い肌の霜月祐依の方を見ていたから。
 小さなイチゴ柄のパンツを顔に被った貴明の姿など、誰も気づかなかった。
 全身の血が逆流する。
 脳と背骨に電撃が走る。
 血管が膨張し、今まで在るだけだった神経が活動を始めたことがわかる。
「この……ピッタリとしたフィット感」
 前かがみになり、学生服の脇に手をかけて。
「鼻から頭全体に響くような、甘酸っぱい刺激臭」
「くっ、くさくないよ〜」
 このみが何か、涙目で叫んでいた。
 だが、貴明にはわからない。
 脳そのものがピッチリと締めつけられるような感触。
 脳そのものを浸す、このみの匂い。
 それは……。

「そうっ! まさに! 気分はエクスタスィイイイイ!!」
 封印されていた虎が目覚めた。
「クロース・アウッツ!!!」
 学生服と、シャツと、青のトランクスまでが、宙を舞う。

「やれやれ。お嬢さんは安全圏。さて、そっちのデカチチのお嬢さんは
どうなんでしょうかね」
「え? あたしも?」
 よっちが青い顔をして、霜月祐依を見ている。
 ちゃるは知らない男に勝手に胸のサイズを測られたので、かなり怒っているが、
見た目ではわからなかった。
「待て。そこまでだ、変態野郎」
「え? 誰?」
 振り向いたのは、よっちばかりではない。
 アイス屋にいた女子中学生全員と、霜月祐依までもが振り向いていた。

「いやぁああああああ!! ヘンターーーイっ!!」

 顔面を、イチゴ柄のパンティで覆ったマスクマン。
 その格好は素裸で……キリタンポが、とても不謹慎な形に変形していた。
「これが……若さか」
 まぶしいものを見るように、アイアウスは手で平行四辺形の白目を覆う。
 本音を言えば、男のものなど見とうない。
 よく見れば、ストリートキングと化した貴明の目も、鋭利な逆三角形の白目に
なっていた。

 このみさん。
「ふえ?」
 六つに分かれた腹筋の上に生えるギャランドウ。その下に履いている白の
ブリーフを指差して、次いで、このみの履いているスカートの上辺りを指差した。
「こっ、これ脱いだら、このみ、ノーパンになっちゃうよっ!」
 このままだと、タカくんがノーパンのままでしょ!
「ううう……」
 しばしの躊躇いの後。
「はい、ア……変態仮面さん」
 ヌギヌギ。
 後ろ手に新しいパンティを受け取ると。  
「ありがとう、小さなレディ」
 一瞬の躊躇もなく、変態仮面と呼ばれた男は、このみのパンティを宙に
投げ放った。

「フォオオオオオオオオ!」

 逆立ちして腕力だけで宙を飛び、伸身の三回転。
「合体っ!」
「がっ、合体って言わないでよ、タカく〜ん!」
 知り合いが、こういう格好をしている時に本名を呼ぶのは、とても残酷だと思ふ。 
 新たなる変態仮面に返信した貴明は、このみのパンティを履いて着地した。
 キュウキュウと股間が締め上げられる。

「ブッグオオオオオオオオオオオオ!!」

「あの、すいません。もう直帰ということでよろしいでしょうか?」
 霜月祐依は、どこかに電話をしていたが、ダメだったようだ。
 獣のような雄叫びを上げて飛びかかってくる、変態男。
「くうううう! まともな戦いなら、僕だって!!」
 鋼線を両手で三本ずつ、アッグガイのように振り回しながら、
霜月祐依は必死の形相で、変態男となった貴明を追い払おうとした。
 だが、貴明はクネクネと蛇のように気持ち悪く体を動かして、
鋼線の六連撃を避けてしまう。
 実に、気色が悪い。
 そのうち、鋼線の一本が、よっちの顔を襲う。
「くっ!」
 弾け散る寸前まで筋肉が膨れあがった腕で、貴明は鋼線を弾いてみせた。
 だが、それは鋼で出来ているわけではない。
 切られてこそいないが、赤いミミズ腫れの跡が出来る。
「……ふっ、くくくっ! 正体見たりっ! あなたも、脆弱な
正義被れ! 限界を超えようとしなかった哀れな存在っ!」
「……こっち」
 ちゃるが引っ張って、よっちを戦いの邪魔にならないところに
逃がそうとしたが、それよりも鋼線の動きは早かった。
 ちゃるの足下を撃とうとする鋼線。
 それを庇って、貴明の足首に、醜いミミズ腫れが走る。
「ふっ、くはははははははははははは! 死ねっ! 死ぬのですっ!」
 バチバチと音を立てて。
 触れれば指さえも落ちる鋼線を六連。狂ったように叩きこみ続けたが。

 それがミミズ腫れだけを作っている理由を、霜月祐依は
理解できていなかった。

「……いい」
「へ?」
「ヘイっ! ウィップ、ミー! マスター!」
 意訳すると、『ああん! もっと鞭打って下さぁい、ご主人様ぁ!』と
いうことになるのだろうか。
「まっ、マジモンの変態がぁ!」
 大きく振りかぶり過ぎた霜月祐依の隙を逃さず、貴明は彼の視界から消えた。

「どっ、どこだ?」

 ここだ。
「へ?」
 振り向くと、鼻先に柔らかい感触がした。
「いっ、いやぁあああああ! 生あったか〜〜いっ!?」
 羽のような軽やかな動きで霜月祐依の肩に飛び乗った貴明。
 貴明のオイナリさんを鼻にくっつけられて、悲鳴を上げる霜月祐依。
 このみが自分のパンティを渡していなかったら直撃だったから、
霜月祐依にとって、このみは命の恩人ということになろう。
「変態奥義っ! 転蓮華っ!」
「グペペペペッペペ……ペッ、ペッ! 顔に密着して、マジきもいぃいい!!」
 股間を密着させたまま。
 座禅を組むようにして、脚でしっかりと霜月祐依の首を固定すると、
貴明はグルリと体を半回転させた。
「ぎぃ……ぎぃあああああああああああああ!!」
 ミシミシと首の骨が鳴り。
 グキリと頸椎骨が折れる音が響き。
 事切れたように、口から透明な液体を吐き出して、霜月祐依は
タイルの上に転がった。
「成敗っ!」
 逆立ちで着地したまま、貴明は勝利を叫ぶ。
 霜月祐依の遺体(?)を、もう一人の変態仮面が運び去っていったが、
そのことを咎める者は誰もいなかった。

 立ち上がり、顔と股間の、このみパンティの裾を正して。
「あの……あなたは一体、誰なんですか?」
 全身に浮くミミズ腫れの跡。
 少し怖かったけれども、よっちは自分を守ってくれたナイト様を
憧れの瞳で見ている。
 変態性の分類では、非日常性愛好症候群とかになるのだろうか。
「私の名は変態仮面タッカー。そう呼んでくれたまえ」
 タッ!
「あっ……お待ちになってくださいっ、タッカー様っ!」
「……お待ちになって? タッカー様?」
 駆け出した貴明の後を追いかけようとして、タイルにつまづく友人の
姿を見ながら、ちゃるは呆れたようにつぶやいた。
「こっ、このみのパンツ〜」
 どうやら、返してもらえなかったみたい。

 霜月祐依を病院に連れて行った帰り。
 アイアウスは腹を手で押さえて、神に祈っていた。
「くっ。調子に乗って、アイスを食べていたら、急に差し込みが……」
 そりゃ、そんな格好でアイス食べていたら、腹下すわい。


 違和感というか。
 記憶と現実の辻褄が合わないというか。
 昨日、また通り魔が現れて。
 正義の味方に撃退された。
 お巡りさんとか、なんとかライダーじゃなくて。
 パンティを顔に被った自分だったような。
 ……なんで?
 そんなことするわけないし、できるわけもない。
 なぜか体中がミシミシと痛むが、貴明は忘れてしまうことにした。
 退屈な授業が続く。 

 授業が終わり、教科書をカバンの中に詰め込んで、肩にかける。
 階段を降り、校門を出て、家へ帰るだけのつまらない旅路が始まる。 
「タカく〜ん!」
 そんな帰り道に華を添えてくれたのは、元気な掛け声だった。
 校門を抜けたところで、ズザザザーッ! と、派手なブレーキ音が響く。
 サラサラの髪が舞い、貴明の前に、このみがニッコリと笑って立っていた。
「よかった〜。ちゃるとよっち〜とオシャベリしていて、遅れちゃったから。
あわてて走ってきたんだけど。まさにナイスタイミングってヤツでありますなァ、ダンナ」
「ダンナ?」
「うん。タカくん、縮緬問屋の若ダンナ」
 相変わらず、このみは元気でヘンな女の子だと思いながら、貴明は
帰り道の坂道を下った。
「あ〜ん、タカくん。待ってよぉ〜」
 別に逃げたわけではないのだが。
 あわてた様子で、このみが、その後を追いかけていく。

「早いもんだな。このみも、もう卒業か」
「ん。早いもんです」
「ウチの学園に合格したんだろ。それじゃ、春からまた一緒に帰れるな」
「うん。そうだね。この一年……とても長かったよ〜」
 一年という言葉に精一杯の重々しさをこめて、このみはつぶやく。
「一年、ずっと勉強ばっかりで。疲れたし、頭痛かったし、どこにも遊びに
行けなかったし」
「受験だから仕方がない。このみだけじゃなかっただろ」
「違うよ。このみだけ勉強させられて、タカくんは遊びまくっていたのさ」
「いや、俺もそんなに遊んでなかったけど」
「7・26事件……」
「なに、それ?」
 2・26事件なら知っているけど。
「タカくんとユウくんが、このみを見捨てて、ウォーターワールドに
遊びに行っちゃった残酷な事件だよ」
「……確か、その日、このみは期末テストで赤点取ったから、居残り勉強
させられていたんじゃなかったかな」
 うん、俺の責任じゃないと思いながら、貴明は答える。
「11・2事件……」
「去年の十一月……あ〜、あれね。ウチの家族とこのみの家族で栗拾いに
行ったことか。あの時はたくさん取れて面白かった。その後の梨と
ジンギスカンの食べ放題も美味かったな」
「……このみ、食べてないよぉ」
「栗、たくさん持って帰っただろ」
「く、栗しか食べてないよっ! このみ、シマリスじゃないよっ!」
「なんで、このみだけ留守番していたんだっけ?」
「実力テストの前日だったから……お家で勉強してなさいって」
「終わったことだろ。あきらめろよ」
「でも、まだまだあるんだよ」
 しつこいなあと思いながら、貴明は、このみに話をうながした。
「1・1事件……」
「元旦?」
「元旦。このみは普段の勉強疲れで、すごい熱を出して伏せっていたのに。
みんなで初詣行って、おせち料理食べて。タカくん、看病してくれなかった」
「知恵熱って重病だったっけ?」
「インフルエンザっ! このみ、五歳児とかじゃないのっ!」
 シマリスか、五歳児か……ただの食いしん坊か。
 うん、三番目に違いないと思いながら、貴明は、このみの頭に手をやった。
 ポフ。
「う? こんなんで、ごまかされないんだから」
「お疲れさん。今年は、去年の恨みを晴らすべく、めいっぱい遊ぼうな」
「ホント?」
 見事にごまかされている。
「明日の卒業式、午前中で終わるんだっけ? その後、すぐに帰るのか?」
「ううん。友達と、しばらく話していると思うよ」
「良かったら、迎えに行ってやるよ。それでいいだろ?」
「タカくんが、このみをお迎えしてくれるの?」
 貴明がうなずくと、
「ホント!? やた〜!!」
このみはバンザイしながら、クルクルと回って喜んだ。
「め、目が回る〜」
 明日は、このみの卒業式。
 あんまり泣かないといいけどなあ、と思いながら。
 貴明は、このみと二人、夕暮れの帰り道を歩いていた。


 授業が終わり、足早に学生たちが去る校門の前で。
「約束したからなあ」
 いつもの帰り道を右にそれて。
 カバンを肩にかついだ貴明は、去年までは自分も通っていた、このみの学校
へ向かっていった。

 暮れなずむ夕日に照らされて。
 卒業生を送り終えた白い校舎が赤く染まっている。
 校門の前には、馴染んだ母校を去りがたいのか、まだ何人か、卒業生たちが
残っていた。
 あるものは泣き。
 あるものは笑い。
 その誰もが、どことなく寂しそうで。
 去年、自分が通り過ぎた校門で、しばらく待っていると。
 このみと、彼女の友達二人が、言葉もなく歩いてくる姿が見えた。
 うつむいて、肩をふるわせて、泣いている。
 こぼれ落ちる涙を隠すこともなく、このみと、もう一人の友達に付き添われて
歩いているのは、”よっち”と、このみに呼ばれていた女の子だった。
 それは三人で過ごした大切な時間の、大切な締めくくり。
 第三者が割って入れるような雰囲気ではない。
 どうしたものか、と、貴明が首をひねっていると。
 泣いてない方の友達、”ちゃる”と呼ばれた女の子が、このみの肩を叩き、
次いで、貴明を指差した。
「あ……」
 困ったように、貴明と泣いている”よっち”を見比べている、このみ。
 貴明は、軽く手を上げて。
 自分の姿は見えないように、校門の影に身を隠す。

『このみ〜! それじゃあね〜!』
 涙で顔を真っ赤に腫らした女の子は、泣いたまま笑顔をつくって、
こっちに大きく手を振っている。その隣りで、このみと一緒に、
その子に付き添っていたキツネ目の女の子も手を振っていた。
「う〜ん! バイバーイ、またね〜!」
 ニッコリと微笑み、一人で二人分、両手をブンブンと振る、このみ。
 赤い夕日の中で、立ち去る二人の姿が見えなくなるまで、
このみはずっと手を振り続けた。
「いい、友達だな」
「うん。すごく、いい友達」
 校門に脊をもたれかけさせて待っていた貴明は、ようやく手を
降ろした、このみの横に立った。
「ごめんね、タカくん。ずっと待っていてくれたんだよね」
 そっと、このみから手を差し出してきた。
 自然に手を握り返して、貴明は妹のような、妹のように大事な女の子と
一緒に、帰り道を歩いていく。

「楽しかったんだよ、ずっと」
「ああ」
 三年間。
 瞬く間に過ぎた三年間。
 過ぎ去ってしまった日々を懐かしむ、このみの言葉を邪魔しないように、
貴明は最低限の相づちだけを帰す。
 もう見えなくなってしまった校舎。
 その方を振り向いて。
 もう一度だけ、このみはつぶやいた。
「ほんと、楽しかった……」
「そうだな」
 ギュっと強く、このみの小さな手が、貴明の手を握りしめた。
「もう、“ちゃる”と“よっち”と一緒じゃないんだ」
「そうか」
「うん。別の学校に行っちゃうの。寺女に、二人とも行くんだ。
だから、今日が最後だったの」
「お別れは、いっぱいしたか?」
「うん。このみね、頑張ったんだ。二人とは三年間、ずっと一緒に
笑って、大騒ぎして、楽しかったから。最後までずっと、笑って
いようって……そう決めてたんだ」
 ギュっと、強く、このみの小さな手が、貴明の手を握りしめた。
「このみ?」
 こぼれる涙をぬぐうこともせずに。
「あのな。俺とは、お別れじゃないんだ。だから、我慢しなくても
いいんだ」
 つないだ手とは反対側の手で、このみを抱き寄せて。
 後ろ頭を、ぐっと自分の胸に押しつける。
「なっ?」
 こぼれる涙が、あふれる涙となり、別れの悲しみで、このみの
顔がゆがむ。
「うぅぅぅぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――!」
 小さい頃と変わらずに。
 兄のような、兄のように大切な男の子の胸の中で、このみは
おもいきり泣きじゃくった。
 このみの髪を、そっと撫でながら。
 この日が、いつか悲しみから想い出となり。
 笑って話せる日が来るようにと。
 このみにとって、いい想い出になるようにと。
 貴明は、このみの髪を優しく撫で続けた。


 弥生の陽気は、ポカポカと暖かくて快い。
 せっかくの春休み。
 このみは自分の部屋で惰眠をむさぼっていて、姿を現さない。
 玄関から出て鍵を閉めて、学校に向かおうとする貴明。
「あっ、タカくん、タカくん」
「ほい?」
 そんな彼に後ろから声をかけてきたのは、このみの母親の春夏だった。
「ごめんね。急で悪いんだけど、タカくんにお願いがあるの」
「なんですか?」
「今夜ね、主人と出かけなくちゃいけなくなったの。だから、このみのことを
お願いできるかしら?」
 何の用事か、このみの両親は月に一度、必ず家を空ける。
 その時、娘一人を家に残すのは物騒だから、河野家で預かるのが習慣になっている。
「いいですよ。いつもと同じですよね?」
「ありがとう。それじゃあ、よろしくね」

 学校から帰ると。
 玄関に見覚えのある小さなクツが置いてあった。
「このみ〜?」
「タカくん。おかえりなさ〜い」
「おばさんたちは、もう行っちゃったのか?」
「うん、昼前には出てったよ。タカくん、これから買い物行こ」
「え? 飯なら買ってきたけど。ほら、これなら作れるんだったよな」
 そう言って、貴明が取り出したのは。
 お買い得価格の卵2パックだった。
「卵……だけ?」
「このみと得意料理って、目玉焼きだろ?」
「ほっ、他にも作れるよ〜」
「ゆで卵?」
「難易度が下がっているのでありますっ!」
「文句言ってないで、台所に行け。ほらほら、日が暮れちまうぞ」
「む〜」
 怒っている、このみの目は、時々怖い。
 柚原春夏の血を引いている、と貴明が思うのは、こんな時だ。
「上手に出来たら、次はまた別の料理を作ってもらうからさ」
「ほんと?」
 パっと表情が変わり、このみは台所へと駆けていく。
 やれやれ。
 貴明はパック詰めのスパゲティをビニール袋の底から取り出すと、後は、
このみの好きなようにさせることにした。

 フランス料理の基本はオムレツである。
 知っているのか、いないのか。
「で、デカっ!?」
 このみはプレーンのオムレツを卵2パック分、これでもかと言うばかりに
作って、貴明を待ち受けていた。
「えへ〜。タカくん。食べて、食べて」
「食べてって言われてもなあ」
 大皿に盛られた卵の塊にスプーンを入れる。
 感触は悪くはない。焼きすぎてはいないようだ。
「ん……美味い」
「えへ〜。本当、本当?」
 ふにゃりと幸せそうに顔をゆるませる、このみ。
 しかし、正直、この量はきつい。
「このみも食べろよ」
「うん。それじゃ、いただきま〜す」
 その日の夕食は卵だけだったが。
 何故か、とても楽しかった。

「ねえ〜、タカく〜ん。お風呂沸いたよ〜」
「先に入ってろ〜」
「え〜? 一緒に入るんじゃないの〜?」
「おう。もっと、このみが大きくなったらな〜」
「む〜。これから、どんどん育つんだから〜」
 いつものやり取り。
 このみと一緒に風呂に入らなくなったのは、もう随分と昔だ。
 痛むような気がする脇腹を撫でながら、貴明は、このみが風呂から出てくるのを
待った。
 シャンプーの香りをさせながら、パジャマを着た、このみがリビングに現れる。
「さて、と」
 テレビの前のソファーから立ち上がって、貴明は自分も風呂へと向かう。
 不思議と、何かが足りないような気分だった。

「このみ〜?」
 風呂から出て、髪をタオルでふきふきしながら出たが。
「お〜い、どこだ〜?」
 このみは、リビングにはいなかった。
「お〜い?」
 そんなに広くもない、二階建ての一軒家だから。
 貴明のベッドに潜伏していた、このみ二等兵は、すぐに発見されてしまった。
「このみ……それ、俺のベッドなんだけど」
 呆れたように貴明はつぶやいたが、このみは幸せそうに寝息を立てているだけ
だった。
「起きろって。おまえの布団は隣りの部屋」
「ん〜」
 寝惚けまなこをくしくしとこするが、このみは起きそうにない。
「それじゃ、俺が隣りに行くからな。寝るぞ」
「ねえねえ、タカくん」
 部屋から出ようとする貴明を、このみが呼び止めた。
 片手で布団の入り口を開けて、小さな手で貴明を招いている。
「一緒に寝よ」
「ダメ。もう、そんな歳じゃないだろ」
「タカくん相手だったら、お母さんも怒らないよ」
「おじさんが、きっと怒る」
「そんなことないってば。ホラホラ〜」
 掛け布団をパタパタさせて、このみは駄々をこねる。
「ねえねえ、タカく〜ん」
 まあ、一緒に寝るぐらいならいいか。
 このみ(お子様)だし。
 諦めた貴明は、電気を消してから、自分のベッドに寝転んだ。

「ん〜、タカくん。あったかい……」
「相変わらず子供だなあ」
「子供だと、ダメ?」
「このみに多くは期待しない」
「うん……ありがと」
 眠いのか、このみの返事に脈絡はない。
「タカくんと一緒に寝るのって、ひさしぶりだよね……」
「うん。匂いは変わらないな」
「へ?」
 何故か、布団の中の、このみの顔がみるみる赤くなる。
「牛乳の匂いというか……ガキんちょの匂いだ」
「う、うん、うん。そうそう。このみ、子供だから。だから、タカくん。
フォォオオオオ! とか、クロス・アウッツ! とか、無しね」
 なにを言っているんだ?
 わけの分からないことを言う、このみの顔を、貴明は見つめたが、
このみは恥ずかしそうに枕に顔を埋めている。
「ふぁ〜……」
 眠い。
 眠いけれど。
 クロス・アウト。
 どこかで聞いたような、叫んだような単語を耳朶に触れさせて。
「なあ、このみ。俺、ヘンな夢を見たんだけど」
 貴明は、夢のように辻褄の合わない、昨日の記憶を、このみに話していた。

「タカくん。それ、絶対に夢だよ……」
「そうかな……」
「んっ……絶対に、そう」
 眠い。
 アイス屋に通り魔が現れて、そいつをパンツを被った俺が撃退した。
 なんだ、そりゃ?
「でもね、タカくん……」
「ん?」
「右ポケット……今日のが入っているから。危なかったら……」
「……」
 ……。
 白河夜舟に誘われて。
 眠ってしまった貴明は、このみに返事をすることはできなかった。 


 終業式の前日。 
「ねぇ、タカくん。タカくんのトコ、明日が終業式だよね? そしたら、
タカくんも春休みだよね?」
「ああ。やっとなあ」
「ねえ、タカくん。春休みになったら、みんなでどっかに行かない?
せっかく、タマお姉ちゃんも帰ってきたし」
「そうだなあ。春だし。花見とかもいいかもなあ」
「お花見? お花見かぁ〜。いいよね〜、お花見も」
 このみは、ぽうと幸せそうな顔で空を見上げる。
「そうだ。お花見っていったら、あのこと憶えてる?」
「あのこと? なんのことだ?」
「ほら、まだ子供の頃……タカくん、お父さんお母さん、おじさん。おばさん、
みんなで行った時のこと」
「ええと、確か覚えてるといったら……
・このみ、お漏らしをする(小学校一年生)
・このみ、マンホールに墜ちる(小学校二年生)
・このみ、酒乱。裸で踊り出す(小学三年生)
・このみ、酔っぱらって寝ていた親父のタマを践んで、大騒ぎになる(小学校四年生)
・このみ、桜の木に登って墜ちて、また親父のタマを践む(小学校五年生)
・このみが足を滑らせ川に落ちる。
 それがビデオに撮られてて、おもしろビデオに投稿された(小学六年生)
 ぐらいか?」
 海馬をフル稼働させて、暖かい想い出を引き出した貴明。
 なのに、このみは、ふくれっ面だ。
「もー! ヒドいよタカくん! どうしてまだそんなこと覚えてるの!?」
「何でって……言われてもな。俺の灰色の頭脳は高機能?」
「紫色でいいから、忘れてってば!」
 紫の脳……気持ち悪いかな。
 そう思いながら、貴明は帰り道を歩いていった。


 終業式の日を迎えて。
 心なしか、いつもより襟を正して玄関を出ると。
「おはよ〜、タカくん」
「おはよう」
「タ、タマ姉……なんで?」
「なんでって……私がいちゃ迷惑?」
 向坂環としては、一生懸命いじらしい顔をしたつもりなのだが。
 それを威嚇と認識した小動物、いや貴明はブンブンと首を横に振った。

「♪〜」
 このみと環が一緒の登校。
「♪〜」
 柚原このみは、今日は御機嫌らしく、鼻歌を歌いながら歩いている。
「ごきげんだなぁ」
「もちろんだよ。明日になったら、タカくんとずっと遊べるんでしょ?」
「まあ、そりゃ春休みだからな」
「そっか……タカ坊、明日から春休みなのよね」
「ん〜。そうなるよ。短い休みだけどね」
「そっかそっか……休みなんだ♪〜」
 なぜかタマ姉まで鼻歌を歌い始めたので。
「……」
 やって来る明日からの日々が。
 たまらなく不安な日々のように思えて。
 貴明は天を仰いだ。

 終業式は卒なく終わり。
「う〜。かったりぃ〜」
「なんだよ。一年最後っていうのに、えらく疲れてんだな」
「姉貴だよ、姉貴。朝の五時にたたき起こしやがって。俺は寺の小坊主とかじゃ
ねえんだよ」
 ダラダラと世間話をしながら、貴明は雄二と校舎を出て行った。
「タカくん」
 校門の陰から、ピョコンと姿を現すのは、このみ。
「終わった?」
「ああ、終わり。河野貴明、見事、一学年を満了いたしました」
「お疲れであります」
 見よう見まねの敬礼を交わす二人の横で。
「お疲れ。それじゃ、お祝いしないとね」
「げ!?」
 幼い頃から変わらず、戦慄を感じさせる涼しい声が響いた。
「姉貴……なんで、ここにいんの?」
「タカ坊の迎えに決まっているじゃない」
「迷惑だろ……あががががががががががががががが」
 グワシと手のひらが、雄二の顔をワシつかみにして、縦に持ち上げる。
 ちなみに、向坂環の握力はチンパンジー並(握力200kg前後)である。
「せっかく春だし。みんなで川を眺めてボーっとしたいなあって」
 向坂環としては、一生懸命、愛くるしい顔をしたつもりなのだが。
 森の仲間(雄二)を目の前で握撃されている小動物、いや貴明は、
ブンブンと首を横に振った。
「ダメよ。拒否は許可しない。逃げたら、叔母様にベッドの下に隠していた本のこと、
告げ口しちゃうから」
「勝手に漁るなぁ!」
「漁ってないわ。全部捨てたもの」
「……な、なんてことを」
 捨てた?
 やっちゃいけなかった。
 やっちゃいけなかったんだよ、タマ姉。
 手にビームライフルがあったら、ためらわずに引き金を引いてしまかったが、
あいにく、貴明はニュータイプではなかった。
「だって、私がいるんだから、そんなもの必要ないでしょ」
「な、なんで……?」
「ヒ・ミ・ツ」
 唇に指を当てて、微笑む環。
 その反対側の手では。
「カペペペペペペペ……」
 鼓動と脳波が美しい十字線を描きそうな雄二が、断末魔を迎えようとしていた。


 入学式、始業式当日。
 朝の支度を終えて。
 家の外で、このみを待とうと貴明が玄関扉のドアノブに手を回した時。
 玄関の呼び鈴が鳴った。
「おはよう。このみか?」
「う、うん。タカくん、おはよう」
 鍵を開けると、いつものように、このみが両足をそろえて、ピョコンと
中に……入って来なかった。
「なにしてんだよ、このみ」
 自分から出て行こうとすると、このみは扉に手を当てて、貴明を外に
出させようとはしない。
「なにしてんだよ、このみ」
 もう一度、貴明が聞くと。
「あ、あのね……笑わない?」
 なにかを怖がるように、このみは小さく開けられた扉の脇から顔を出して、
貴明に問うた。
「何を?」
「んと……とにかく笑わない?」
「だから何を?」
「どうしてでもいいから」
「変なこと言うなあ。別に笑ったりしないって」
「う、うん……それじゃあ、ホントに笑わないでね」
 おろし立てのカバンを両手で下げて。
 貴明の家の玄関に、おずおずと入って来たのは。
「……」
 貴明の学園の制服、桜色のセーラー服を着た、どこか違う、このみだった。
「可愛いな。よく似合うよ」
 お世辞抜きで、そんな言葉が口をついて出る。
「ホ、ホント?」
「嘘じゃないよ」
「えへ〜。タカくんに誉めてもらっちゃった。うれし〜」
 クルクルと回り、喜びを表現する姿は、間違いなく、幼馴染みのこのみ。
 いつもとは、ちょっと違った朝だったけれど。
「それじゃ行くか」
「うんっ!」
 いつも以上に、穏やかと思える朝だった。


 入学式の朝。
「♪〜」
 機嫌良さそうに鼻歌を歌う、このみの横で。
 貴明は呆然と、空を見上げていた。
 いや、正確には、見上げているのは、登校途中にある階段の上。
 桜の華が舞い散る中で。
 桜色のセーラー服を着た彼女が、凛とした姿勢で、貴明を待ち受けていた。

「遅いわよ、タカ坊」
 八面玲瓏。
 どこから見ても隙のない姿で立っていたのは、貴明の苦手とするタマ姉だった。

「な、なんで……タマ姉が……ウチの制服を着ている?」
「そりゃ、今日から、タカ坊の学校に通うことになったからに決まっているじゃない」
「な、なんで? 寺女に行くんじゃなかったの?」
 ギギギと油の足りないブリキの玩具のように首を動かして、貴明は環の後ろに立つ
雄二の顔を見上げる。
「ワリィ」
「悪いよ、そりゃ! 人間には、やっていいことと悪いことがあるだろっ!」
 片手だけで謝る雄二に、貴明は階段を駆け上がって怒鳴ったが。
「あら? 私と一緒はイヤ?」
 タマ姉がスッと目を細めたので、貴明はそれ以上、なにも言えなくなってしまった。
「そんなこと……ないわよね?」
 アルトコタエタラ、コロスンデスヨネ?
 ギギギと油の足りないブリキの玩具のように首をうごかして、貴明はうなずく。
「よろしい。タカ坊はタマお姉ちゃんラブラブ〜じゃないとね」
 ラブラブって、戦々恐々の同義語だったかなあ。
 貴明が、そう思っていた頃。
 タタタッ――
 このみも階段を駆け上がって、環の胸に飛び込んだ。
「うれしい。タマお姉ちゃんも一緒なんだ〜」
「そうよ。ほら、タカ坊。これが正しい反応なんだから」
 そう言って、環は、このみの髪をナデナデしてやりながら、貴明に向かって、
「貴様も来い」と手招きしたが、貴明は動かなかった。
 だれが好んで、死国に行くものか。
「タカくんもユウくんも、タマお姉ちゃんも一緒なんだ。うわ〜。すっごく
うれしいよ〜」
 環の胸に顔を埋めて、スリスリと頬を擦り寄せる、このみ。
「ありがと、このみ。私も嬉しいわ」
 このみの小さな体を、環が強く抱きしめる。
「タマお姉ちゃん、すごくいい香りがする……」
 そう言う、このみの表情は夢見心地。
「我が姉のことだけど……エロくねえ? ポンげっ!」
 思わずつぶやいてしまった雄二の顔面に、環の肘打ちが飛んだ。

 学年が変わり。
 このみが入学することは楽しみに思っていたけど。
 なんで、タマ姉まで……。
 森の小動物タカアキは、絶望を胸に抱きながらも。
「まあ、仕方がないか」
 やって来た春を、心のどこかで歓迎していた。

「また、同じクラスか」
「腐れ縁も、ここまで来ると。発酵して糸を引いていそうだよな」
 小学校の時から、ずっと同じクラス。
 奇妙な縁で結ばれた貴明と雄二は、帰り道も一緒に歩いていた。
「ん、ん〜。春だよなあ」
「そうだなあ。桜がきれいだよなあ……うげ!?」
「あん……チっ! 先回りのつもりかよ」
 悲鳴と舌打ちをして、貴明と雄二は校門から離れようとしたが。
「あら? あなた達も帰りなの? 奇遇ね」
 このみと一緒に待っていた環が、二人を呼び止めた。
「ウッス! 向坂さんっ! お先に失礼するっス!」
 空手部の主将に軽く手を振りながら、環は奴隷二人が走り寄ってくるのを
待ちかまえている。
「相変わらず、か……」
「相変わらずなんだよ、困ったことにっ!」
 溜め息が二つ。
 諦め顔で、貴明と雄二は、お姉様に従うことにした。
 新学期の最初の授業は、授業というよりは挨拶と概要説明だけで終わってしまい。
「やれやれ」
 ヘンに疲れてしまった貴明が靴を履き替えていると、背中から、このみが
声をかけてきた。
「タカくん。いっしょに帰ろ」
「よし。それじゃ帰るか」
 待ち合わせる場所が校門から下駄箱に変わっただけで、あまり日常に変化は
ない。
「あら、タカ坊。奇遇ね」
 変化、ないんだってばぁ。
 泣きそうな顔で貴明は、このみを見たが、このみは嬉しそうにニパっと微笑む
だけだった。
「タマお姉ちゃん。お疲れ〜」
「そうね。今日は疲れたわ。どう? 帰りに、喫茶店でお茶でも飲まない?」
「ええ〜。でも、このみ。今月、お小遣いピンチなんだよ」
 原因は、アイスの買い過ぎである。
「あら? 大丈夫よ。払うのはタカ坊だし」
「ちょ、ちょっと待て! 俺も生活費っていうものが……」
「あら。このみと私と一緒にお茶を飲めるのだから、二日ぐらい食べなくても
大丈夫じゃない?」
「そんなに飲むのかよ!?」
 マリー・アントワネットのように、環はオホホと笑う。
『このみ〜!』
 そんな貴明の窮地を救ったのは。
「あ、ちゃる、よっち〜、ひさしぶり〜」
 このみの幼馴染み、二人だった。

 寺女の制服であるブレザーを着た二人は、半月前よりも、なんだか大人びて
見えて。
「すご〜い。ちゃる、よっち〜。ホントに寺女の制服着てる」
「当たり前っしょ。通っているんだからさ」
「……誰?」
 このみとよっちが手をつないで、旧交を温め合っていた頃。
 ちゃるは怪訝そうな顔で、このみの後ろに立つ環を見上げていた。
「私は向坂環。2つ年上の、このみの幼なじみ。二人とも、よろしくね」
 環が挨拶すると、ピカピカの西園寺一年生女子二人は、なぜか畏れるような
面持ちで、環の顔を見上げた。
「……すごい。欠点がない」
「……胸大きい。よっち、負けている。頑張れ」
「なにを頑張れと言うのよ」
「……牛乳飲むとか。揉んでもらうとか」
「もっ、揉むのは自分で出来るから、いいっス!」

 残念だっ!!

「「「「「???」」」」」」
 どこかで大きな声が響いたような気がしたので、五人はキョロキョロと辺りを
見回したが、叫んでいる者は誰もいなかった。
「ふふっ、楽しい子たちね」
「えへへっ。うん。前の学校の時、一緒のクラスだったんだ」
 このみと環が微笑みあっている頃。
「……セ、センパイ、ちょっといいッスか!?」
 タヌキのような顔をした子に腕を引っ張られて、貴明は前のめりになっていた。
「だ、誰ッスか、あの……チチデカ、シリデカ、腰キュボーンな人は!
 制服なんてパッツンパッツンで、あんなの反則っスよ!」
「誰? いや、本人の紹介通り、幼馴染みのタマ姉だけど」
 貴明がなんでもないようなことのように答えるので。
 よっちは頭を悩ませている。
「勝てない……どうやっても、このみに勝ち目ないっスよ」
「……このみの危機」
「なんで?」
 二人の言いたいことを把握していない貴明は、とても不思議そうな顔をしている。
「センパイっ!」
「はい?」
「胸が大きい娘って、好きですか?」

 大好きだっ!!

「「「???」」」」
 どこかで大きな声が響いたような気がしたので、三人はキョロキョロと辺りを
見回したが、叫んでいる者は誰もいなかった。
「どれくらい? D? E? F?」

 ズェエエエエエエエエエット!!

 どこかで大きな声が響いたような気がしたので、三人はキョロキョロと辺りを
見回したが、叫んでいる者は誰もいなかった。
「まあ……あんまり気にしたことはないけど」
 貴明が正直に答えると、よっちは自分の胸を押さえて、安心したように
溜め息をついた。
「そうっすよね。女の子を胸で判断するヤロウは腹切り切腹っスよね」
「……なにを安心してる?」
「いらんことツッコむな!」
「ねえ、ちょっと」
 貴明が年下の女子学生二人を扱いかねて、困っている頃。
「お話、そろそろ終わったかしら?」
 不機嫌そうな顔で、環が自販機の側面をコンコンと叩いていた。
「これから、お茶するつもりなんだけど。よかったら、あなたたちもつきあわない?」
「……ありがとうございます」
「はい。もちろん大丈夫っスけど」
 初対面の二人を完全に意に従わせて、環は歩き始めた。
 その後ろに続くのは、貴明、このみ、よっち、ちゃるの四人。
「なあ、タマ姉。全部、俺が払うのか?」
「こんな時ぐらい、甲斐性っていうものを見せなさい」
「トホホ」
 肩を落とす貴明の後ろで、よっちとちゃるはヒソヒソと何かを話している。
「あかん。完全に制圧されているっス」
「……このみ。苦しい時は歌を歌うんだ。それは兵士たちに許された権利だ」
「歌?」
 両側から、ポンポンと肩を叩かれて。
 このみも、こまった顔をしていた。

「89……ダメだな」
 変態三十六相の一つ、変態アイ。
 女性がどんな服装をしていても、その胸の大きさをミクロン単位で言い当てること
ができる。
 顔と股間だけを白い布で覆い隠した筋骨むくつけき男アイアウスは、
電柱の上で溜め息をついた。
「200ぐらいの可愛い女の子、どこかにいないかなあ」
 いや、それ人類の規格外ですから。
 残念っ!



「んっ、しょ。んっ、しょ」
「なにやってんだ?」
 朝の登校時間。
 なぜか、このみは背伸びを繰り返している。
「今日ね、身体測定があるから」
「そうやると、身長が伸びるのか?」
「ん〜。ちょっとでも伸びたらいいなあって」
 気休めか。
「別に、このみは小さいままでも可愛いと思うけどなあ」
「イヤだよ。このみ、タマお姉ちゃんみたいになりたいんだモン」
「このみがタマ姉みたいに? そりゃ難しいだろう」
 タマ姉は、子供の頃から身長が高かった。
 対して、このみはクラスの前の方をずっと独占している優良企業だ。
「難しくても。なりたいんだモン」
「努力するのは個人の自由……わかった。悪かった」
「む〜」
 このみのホッペタが丸く大きく膨らんでいたので。
 貴明は、自分から謝ることにした。


「タカくんっ!」
 帰り道。
 嬉しそうな顔で、このみが貴明の背中に飛び乗ってきた。
「どした? 嬉しそうだな」
「えへ〜。身体測定で身長伸びていたんだ」
「まあ、そりゃ、このみも成長ぐらいするだろうからな」
 このみは身長が低いから、その分、体重が軽い。
 突然、背中に飛び乗られても。
 貴明は何でもない様子で、家に向かって歩き続ける。
「あれ? タカくん、嬉しくないの?」
「なんで俺が、このみの身長を伸びたことを喜ばないといけないんだ?」
「だって、このみがタマお姉ちゃんに近づいたんだよ。たった1センチだけど」
「そうなのか?」
「そうだよ」
「嘘だろ?」 
「むぅぅ〜」
 貴明の首にしがみついた、このみの腕が、ギュッと締め上げてくる。
「ちょ、ちょっと待て。落ちるってば」
「もう。タカくん、素直じゃないんだから」

 俺が巨チチ好きなのはデフォですか?

 貴明は、このみをなだめすかすように別の話題を振りながら、帰り道を歩き続ける。
「なあ、このみ」
「なあに、タカくん?」
「もしかして、太ったか?」
「……」
 キュッ――
 その瞬間、貴明の頸動脈が心地よく締め上げられた。
「くェェェ!?」
「もう、なんで意地悪言うの?」
「いや、なんか背中にプニョンプニョンって感覚がしてさ」
「あっ……」
 あわてて、このみは貴明の背中から飛び降りる。
「……タカくんのエッチ」
「三段腹ってエッチ?」
「えへ〜」
 このみの目がスっと細くなり。
「ケェェェエエエエエエエエ!?」
 再び背中に飛び乗られて、首を締め上げられた貴明の、哀れな悲鳴が響いた。


 学校の中庭。
 ベンチに座って、貴明が和んでいると、隣りに座った雄二が、
カチャカチャと音を立てて、何か針金のようなものを動かしていた。
「知恵の輪? 珍しいな」
「おう。懐かしくなって、買ってみたんだけど。外れねえんだわ、これ」
 複雑に絡み合った針金は、かなりの難易度を誇るのか。
 真剣な顔をして雄二は動かしているのに、一向に外れる様子を見せない。
「外れないなあ」
「くそ〜ッ!! このっ! 知恵の輪の分際でっ!」
 カチャカチャという知恵の輪の音。
 耳障りなはずの針金の音が、なんだか心地良く思えて。
 貴明が目をつむりそうになった頃。
「タカ坊」
 その両肩に、ムニっとした柔らかい感触が覆い被さった。
「たっ、タマ姉? 後ろから抱きつかないでくれよ」
「なんで〜? 私とタカ坊の仲じゃない」
 そのまま、環としては色気で貴明を悩ませて遊ぼうと思ったのだが。
 隣りで弟の雄二が、難しい顔をして、カチャカチャと耳障りな音を
立て続けていた。
「知恵の輪?」
「うん。外れないみたいなんだけど」
「止めるなっ! これは俺のプライドを賭けた戦いなんだ」
 安価なプライドもあったものである。
「ねえ。私にも貸してみてくれる?」
 姉にせがまれた雄二は、外れない知恵の輪を彼女の手に投げて渡す。
「ふふん。こんなの簡単なんだから」
 余裕の笑みを浮かべて、環は知恵の輪を動かし始めた。
 カチャカチャ。
「あれ? ここがこうなって、ここで引っかかっているから……」
 カチャカチャ――
「姉貴。外れないんなら、返してくれよ。それ、俺が買ってきたんだから」
「うるさいわね。すぐに外してみせるわよ」
 カチャカチャ――
「まあ、姉貴じゃ無理だろうなあ。成績良くても、頭ガチガチの石頭
だもんなあ。お勉強できても、社会に出たら……」
「雄二」
 環の目がスッと細まる。
「うっ!? な、なんだよ?」
「ふんッ!!」
 パキンと音を立てて、知恵の輪の針金が左右に砕け散った。
「……外れたな」
「ちっ、違うだろ、雄二。今のは、外れたって言わないだろっ!?」
 雄二は貴明に助けを求めたが。
「姉に向かって、好き勝手言ってくれたじゃない」
 ユラリと陽炎をたずさえて、環が立ち上がったので。
「観自在菩薩……」
「拝むなあああああああ!!」
 両手を会わせて般若心経を唱える貴明の前で、雄二が血祭りに上げられた。


「はい、タカくん」
 朝、いつもより遅く出た、このみに手渡されたのは、ハンカチに包まれた
お弁当だった。
「なんだ、これ?」
「えへ〜。このみが作ったのであります」
「俺、学食で食べる方なんだけど」
「タカくん。いっつも外食だと、体にも財布にも良くないよ」
「そりゃまあ、その通りだが」
 唐突に、このみに渡された弁当は、なんだかズッシリと重くて、鉛を詰め込んで
いるかのようだった。
「これ、何弁当?」
「トンカツ弁当だけど」
「何枚入れた?」
「十枚くらいかなあ。タカくん、男の子だから、たくさん食べると思って」
 そんなに食えるのは、このみの家族ぐらいだと思いながら。
 貴明は、このみと学校へ向かった。

「ひげだうん☆」
 いつもの階段を登る途中。
 カイゼル髭を生やした軍服の太った男が、ニコニコと笑顔で立っていた。
「ねえ、タカくん……」
「見ない振りをしているんだ、このみ」
 努めて冷静に、不自然なくらいに自然な様子で、貴明と、このみは男を
無視して、その横を通り過ぎようとしたが。
「はっはっは! 我、ひげ至上主義者なり〜!」
 わけのわからないことを叫びながら、精神注入棒を持った男が、
階段を上り終えた二人を追いかけてきた。
「タっ、タカく〜んっ!」
「振り向くなっ! 走れ、このまま突っ走れっ!」
 酒樽のように丸い腹をしているというのに、男が走る速度はかなり速い。
「ハハハ。逃げられると思ったら、君。大間違いですよ〜」
 ブゥンと、当たれば洒落にならない固い木製の棒が背中を撫でる。
「ひゃあんっ! 怖いよぉ、タカく〜んっ!」
「どないせいっちゅうんじゃっ!」
 このみと一緒に逃げる貴明がヤケになって叫ぶと、このみも叫んだ。
「右のポケットっ!」
「なに!?」
 学生服の右ポケットに手を突っ込む。フワリとした、心温まる柔らかな
感触が手を被った時。

「この顔に貼りつくようなフィット感……」
 貴明は一秒でパンティを被り。
「わずかに混ざるバルトリンとアンモニアの匂い」
「こっ、このみ、そんなことしてないよっ!」
 二秒目で匂いを満喫し。
「クロース・アウっーツ!」
 三秒目で学生服とシャツを脱ぎ捨てると。

「変態仮面タッカー! 見参っ!」
 
 左手を後頭部から右耳に回して、ビシリとポーズを決めた。
「はっはっは! 我、ひげ至上主義者なり〜! 変態なんかに負けませんよ〜!」
 まったくひるまずに、ひげ男は棒で変態になった貴明に殴りかかったが。
「変態奥義っ! レッグラリアートっ!」
 真上に飛び上がり、竜巻のように回転した貴明の足刀を顔面に埋められて、
一撃で地面に倒れてしまった。
「ゲフっ……僕の人類皆ひげだうん☆計画が……」
 秒殺された、ひげ男は、口から透明な液体を吐き出しながら、倒れている。

「行くぞ、小さなレディ。このままでは遅刻してしまう」
「タカくん。とりあえず、顔からパンティを脱いで、服を着よ?」

 立ち去る二人の背中を見ながら、股間と顔だけを白い布で覆い隠した男、
アイアウスはつぶやく。
「変態パワーがない分を体術で押し切ったか。若さだな」
 足下でピクピクしているのは、相手にヒゲが生えていないと性的に興奮できない
変態、ひげよん。
「とりあえず、オイナリ・プレス」
「ひっ……みぎやああああああ!!」
 顔面騎乗されて、オイナリを顔に押しつけられて。
 あまつさえ、グリングリンと騎乗位で腰を動かされて。
「いっ、いっそ殺してええええ!!」
 哀れな悲鳴が、朝の通学路に響いていた。


「朝、なにかしたような……」
 カイゼル髭を生やしたオッサンを、パンティ被った俺が蹴り倒したような。
 痛む頭を抑えながら、貴明は有り得ざる記憶を辿っている。
「ねえ、タカ坊」
「おかしい……なんで思い出せない?」
「ねえ、タカ坊ってば」
「なんで? なんでだ?」
 ギュィイイイイイイイイイ!
「タ〜カ〜ぼ〜うっ!」
「いだい、いだいって! タマ姉っ、千切れるっ!」
 脇腹をギリリとつねり上げられて、貴明は悲鳴を上げている。
 帰り道、環と二人で帰ることになった貴明は、じくじくと痛む脇腹を手で
さすりながら、脇を流れる川を見た。
 じくじくと痛む脇腹。
 思い出せない記憶。
 流れる川。
 今朝の記憶はつながらないけれど。
 忘れ去っていた昔へと、記憶はつながっていく。

「ど、どうすんだよ〜?」
「ど、どうしよう?」
 川を流れているのは段ボール箱。
 その上に乗っているのは、小さな子猫。
 助けてやりたかったが、小さな子供である貴明と雄二には、どうすることも
できない。橋の上から、オロオロと下を見下ろすばかり。
「たかあき。ゆうじ」
「ど、どうしたの、おね〜ちゃん?」
「持ってて」
 赤いランドセルを弟に投げて渡すと。
 小さな子供、一歳年上なだけで、女の子であるはずの環は、何も恐れる様子を
見せずに、川のただ中へと飛び込んでいった。
 あんなにふかいかわなのに。
 すごくはやくながれるのに。
 タマおねえちゃん……すごいなあ。
 子猫が乗った段ボール箱を抱え上げて岸に上がった環は、誇らしそうに。
 びしょ濡れで、自慢の髪も濡れねずみだったけど。
 誇らしそうに。
 とても、誇らしそうに。
 自分が成した正義を、段ボールの中でミーミーと鳴く子猫を見て、微笑んでいた。

「昔の話よ」
 少し照れくさそうに、環は鼻の頭を掻く。
「いや、正直、あの時はタマ姉のこと尊敬したよ。子供心に、タマ姉みたいに
なりたいって思ったもの」
「そ、そう?」
 いきなり昔の話をされて、環はまんざら悪い気分でもなさそうに笑った。

「そうか。河野貴明。それが貴様の起源か」
 
 貴明と環の目の前に立っているのは。
 股間と顔だけを白い布で覆った筋肉むくつけき男、アイアウス。
「……タカ坊。知り合いなの?」
 ブンブンと貴明が首を横に振ると、環は学生鞄を頭上に振り上げて、
「近寄るなっ! この変態っ!」
もっともな言葉を叫んだ。
「残念だが。私が興味があるのは君ではない。河野貴明。貴様の方だ」
「ダメよっ! タカ坊の調教計画は二十年先まで予約済みなんだからっ!」
「ちょ、調教ってなんだよ!」
「吠えるな、ドミナ。河野貴明。おまえの中にある変態の血は、彼女に
よって養われ、おまえの中にある正義の血は、彼女によって目覚めた。
そのことを、よく覚えておくがいい」
 キュっと、尻を締め上げて。
「フォォオオオオオオオオオ!!」
 寄声を上げて、男は走り去っていく。
「……なっ、なによ、アレ?」
 カバンを持ち上げたまま、環はへなへなと尻餅をついた。
「わからない。多分、正義の味方だけど」
 記憶がつながりかけている。
「ところでさ、タカ坊」
「なに?」
「オンブして」
「げ!?」
 このみと環の体重差は、言うまでもない。


 昼休み。
 雄二と一緒に屋上へ上がった貴明を待っていたのは、このみと環だった。
「えへ〜。タカくん、ユウくん。お疲れ〜」
「よう。欠食児童」
「まあ、俺も腹が減ったかな」
 可愛らしい子犬のイラストが描かれたビニールシートを屋上に広げて。
「すわって、すわって〜」
 靴を脱いで、このみは小さな手で、みんなを招いた。
「ふふっ。まるでピクニックみたいね」
 ただの学校の屋上で、短いはずの昼休み。
 それでも、みんなでこうやって座り込んで弁当を並べていると、
なんだかワクワクしてくる。
 このみが取り出してきたのは、大きめの弁当箱。
「えへ〜、見て見て。今日のお昼はトンカツ弁当でありますよ」
 どんな豚肉なのか。
 分厚いトンカツの上にソースが染みこんだキャベツが敷かれて、
その脇を白い米が被っていた。
「へえ。相変わらず、このみの母ちゃんって豪快な弁当を作るなぁ
……おい、貴明。なんだ、その弁当は?」
 ドデデンと。
 貴明が取り出したのは、このみのものよりもさらに大きな弁当箱。
 きっと、関取とか横綱専用の銀色のドカベンだった。
 中に入っているのは。
「えへ〜。そっちは、このみの特製トンカツ弁当なの。タカくんの
ために奮発したんだから〜」
 分厚いトンカツが十枚ほど。
 正直、いくら健康な男子高校生とはいえど、毎日、この量はきっつい。
「なあ、このみ」
「なに、タカくん。遠慮しないで食べて、食べて〜」
「いつも思うんだが、おまえ、トンカツしか作れないのか?」
「ううん。トンカツが一番、自信があるんだよ」
 乙女のプライドというものか。
「このみ。キャベツ以外にも付け合わせをつけて、同じ揚げ物でも
中身を色々変えて上げないと。毎日、同じ内容だと飽きられてしまうわよ」
「タカくん。このみに飽きちゃったの?」
 そのセリフだけを聞いた学生たちが冷ややかな目で貴明を見ていたが、
あえて無視することにした。
「いただきます」
「ちょっと待って、タカ坊。私も多めに作ってみたから。食べてみて」
 そう言って、環が開けたバスケットの中に入っていたのは、オムスビと
卵焼き、煮付けなどが入った、純和風の弁当だった。
「タマお姉ちゃんのお弁当、美味しそう」
「美味しいわよ。当たり前じゃない?」
 フフフと自信ありそうに環は笑うが。
 俺の胃袋は90Lポリ袋じゃないよぉ、と、貴明は迷惑そうな顔をしていた。
「いただきます……と」
「いただきま〜す。ん〜、美味しい〜」
 まあ、油でベチャベチャしているわけでもないし。
 千切りも太さがバラバラでへたくそだけど、つながっているわけでもないし。
 貴明は、明日からは自分で調味料を持って来ようと思いながら、トンカツを
食べ続けた。
「ほらほら、タカ坊。こっちも食べて」
 環の料理は、正直、美味いと思う。
「でも、このみ。料理をするようになったのね。偉いわ」
「えへ〜。そんなことないよぉ。だって、このみ。タマお姉ちゃんみたいに
なりたいんだもん」
「私みたいに? このみには、このみの良さがあるわよ」
「ん〜。でも、タマお姉ちゃんって、背が高くて美人でスタイル抜群で、
頭も良くて、お料理も上手で……」
 性格さえ良かったら、確かに完璧だよなあ。
 玉に瑕とはよく言ったものだと、貴明はトンカツを頬張りながら思った。
「それは私が、このみより二歳年上だからよ。それにね、このみ。
あなたはきっと、料理が上手になるわ」
「ホント?」
「そう。だって、料理で一番大事な、相手に美味しく食べてもらいたいって
真心がこもっているもの」
「えへ〜。ありがとう、タマお姉ちゃん」
「不思議だ……それなら、マゴコロ(真心)っちゅうかマゴコロ(魔心)が
こもっている姉貴の料理は、なんで美味いんだろ?」
 ガッ!
「あだだだだだだ!! 発音だけだったら、わからねえはずなのにっ!?」
 環のアイアンクローが容赦なく、雄二の顔を締め上げる。
「まあ、美味いに超したことはないけどな」
「ねえ、タカくん」
「なんだ?」
「ホントに美味し?」
 コクリとうなずく貴明の様子に、このみは本当に嬉しそうに、白い歯を
見せて微笑んでみせた。


 オッパイ、オッパイ、オッパイっ!
 どこか遠くで、ケダモノが遠吠えをしていた。

「タカく〜ん」
 走りながら手を振ってくる姿は、このみだった。
 その後ろを、シャナリシャナリと環が歩いてくる。
 長年の寄宿舎生活は、たしなみだけは身につけさせたのか。
「ねえねえ。いっしょに帰ろ」
「ああ。一緒に帰るか」
 カバンを肩に担いで、右には環、左には、このみを連れて。
 トコトコと貴明は帰り道を歩いている。
「ここの制服って派手ね。嫌いじゃないけど」
 環は、自分の履いたスカートのすそをピラリとつまんで、そんな
話題を振ってきた。
「うん。でも可愛いよ。このみは好きだな〜」
 歩きながら、このみはクルクルと回る。
「そうね。ずっと紺と黒の尼僧みたいな制服だったから。
これはこれでいいかも。このみも、よく似合っているわよ」
「えへ〜。お世辞はいいよぉ」
「お世辞じゃないわ。最近はふくよかになって、女の子らしく
なってきたし」
「そうなのか?」
 素直に貴明は疑問をぶつけてみたが。
「そうよ。ほら、よ〜く御覧なさい」
 環はそう言って、このみの両肩をつかんで、貴明の前に立たせた。
 胸。
「ペタン」
 腰。
「ペタン」
 尻。
「ペタン」
 結論。
「枯れ木のような体型だ」
「む〜! タカくん、それってひどい〜」
「そうよ。本当、節穴のような目をしているのね」
 その時。
 フワリと、悪戯な春風が吹いてきた。

 ピンク色のセーラー服のスカートがヒラヒラと舞う。

「あわっ!?」
 貴明の目に、青い縞々の小さな布地が映った。
 あわてて、このみはスカートのすそを押さえる。
「み、見た? タカくん、見えちゃった?」
「……悪い。今のは目のそらしようがなかった」
 このみの小さな顔に朱が登る。
「ねえ、タカ坊。女の子らしかった?」
「まあ、かなり」
「も〜。タマお姉ちゃんも、タカくんも〜」
 そう言って、このみが真っ赤な顔でうつむいてしまったので。
 その日の帰り道は、なんだかぎくしゃくしてしまった。


 古文の授業は眠たくなる。
 ましてや、春であれば。
 貴明も人の子だから、それは例外ではなかった。
「ふぁぁ」
 必死に眠気と戦いながら、貴明は窓の外を見た。
 見えるのは校庭。
 グラウンドを、体操服姿の一年女子が走っている。
「マラソンとは気の毒に」
 チチシリフトモモに目を奪われた貴明は、黒板と交互に、窓の外を眺め続けた。
 他の女の子が疲れたように。
 ぐったりとした様子で走っているのに。
 タタタと軽快に先頭を走っている女の子がいる。
「このみか。相変わらず元気だな」
 彼女を前にした時と同じように貴明が微笑むと、なぜかグラウンドで走っている
このみが、手をパタパタと振っていた。
「へ?」
 貴明の教室は二階。まさか、こんな遠くから見えるはずもないだろうと
思いながら、手を振ってみる。
 このみの手の動きが、とても大きくなった。
「あいつ……どういう視力をしているんだよ」
 呆れながらも、貴明がパタパタと手を振っていると。
 見慣れない制服を着た大柄な男が、このみの走っている前に立っていた。

 
 身長は2メートルを優に超えて。
 ぼさぼさの黒髪と三白眼が、やけに威圧的だった。
 着ているのは、どこで手に入れたのか、ボロボロな長ランとツバの先が割れた
学生帽。口には葉っぱをくわえて、腹巻をして。首には手ぬぐいをかけて。
 とどめに、鉄下駄まで履いていた。
「ぬふふふ。かわええのぉ」
「ふえ?」
 不気味な大男に行く手を塞がれて。
 このみと、彼女の後続の女子生徒は固まっている。
「あの。ここは部外者は入ってはいけないんですよ」
 2番手を走っていた委員長がそう言ったが、大男は聞いていなかった。
「ふくらんどらん胸。太え太もも。たまらんのぉ」
「ヘンなことを言わないで下さい……先生〜っ!」
 呼ばれた体育教師は、すぐに大男を注意し始めたが。

 ドシーンっ!

 横薙ぎの平手一発で、ヘナヘナと地面に崩れ落ちて、失神してしまった。
「ふえ?」
「特に、あんたがたまらん。ちゅ、ちゅるぺた……萌えぇえええええ!!」
「ふえええええええええ!!」
 先生を一発でのしてしまった大男に追いかけられて、このみは悲鳴を上げて
逃げ出した。
 このみの足は速いから。
 鉄下駄を履いた大男は、なかなか追いつけない。
「このみっ!」
 窓の外を見ていた貴明が立ち上がり、授業中にも構わずに、外へと飛び出していく
前に。

「フォォオオオオオオオオオオオ!!」

 別の変態仮面の叫びが、グラウンドに響いた。


「なっ、なんじゃ、わりゃあ?」
「変態番長、平坂蛮次。D以上に興味を持たず、チュルペタのみを愛する
異常性欲者。貴様を成敗するっ!」
 ちゅるぺた番長、平坂蛮次の前に立ちはだかったのは。
 全身が絞り込んだ筋肉で被われた、顔と股間だけを魅惑の白い布地で
隠した男、アイアウス。網タイツと、六つに分かれた腹筋の上のギャランドゥが、
とても見苦しかった。 
「われに変態言われとうないわっ、ぼけぇ!」
 殺人的な威力が籠もった平手が横薙ぎに飛ぶが。
「トゥ!」
 アイアウスが横向きになって、真上に飛んだので、平坂蛮次はあわてて手を止めた。
「わっ、わりゃあ……」
「フフフ。どうした? 私のオイナリを触るのが怖いか?」
 見せつけるように。
 パンティに包まれた自分の股間を振ってみせる。
「あう」
 その場にペタンと座り込んで、事の成り行きを見守っていた委員長が、
お下げ髪を下敷きにして気絶した。
「こっ、この変態野郎が……」
「野郎ではない。私は変態仮面アイアウス。貴様と同じ”L”だ」
 その言葉を聞いて、今まで目の前の変態を扱いあぐねていた平坂蛮次の三白眼が、
スッと細まった。
「ほう。同じ言うんなら、手加減の必要はないのぅ」
「元より無用」
 平坂蛮次は鉄下駄を脱いで、鼻緒を両手の人差し指と中指の間に入れて、
重さ十キロを超える鉄の塊を持ち上げた。
「ほいなら、行かせてもらうぞ」
「おうさ」
 
 ガキン、ガキンと。
 鉄下駄とスネが打ち合わされる音が響く。
 相撲を主体とした動きの平坂蛮次に対し、アイアウスの戦い方は
蹴りを得意とする長方撃遠の中国拳法、通背拳。
「ホァタっ!」
 ほとんど垂直に開いた股間から伸びた前蹴りを鉄下駄で防ぎ、平坂蛮次は
前に進み続ける。
「どうした、どうした? 口ほどにもないのぉ!」
「チェイ!」
 膝蹴り一閃。
「……なんと。やはり”L”相手に力押しだけでは無理かい」
 左手の鉄下駄を蹴り割られた平坂蛮次は、不敵に笑って、首にかけた
手ぬぐいを手に持った。
「ようやく本気か」
「来いや」
 手足を限界まで伸ばす長方撃遠の中国拳法。
 それに対抗するには、こちらも飛距離を伸ばすしかない。
 ただの布に気をこめて、危険な凶器とした平坂蛮次は、ゴールポストを
断ち割り、鉄棒を践み砕いて、アイアウスを追いつめていく。
「どうした? また逃げるだけかい?」
「フォオオオオオオオオオオオオオ!」
 怪鳥音。
「ぶっ、ぶふぉお!!」
 突如、グラウンドに撒かれた砂を顔面にかけられた平坂蛮次は、
思わず目をつぶった。

「なっ、なんじゃい?」
 目の前が、白一色。
「見えん。どないなっとんじゃ、これは?」
 動くと、鼻先にプニョンと、柔らかくて、なまあったか〜い感触がした。
「……??」
「それは、私のオイナリさんだ」
「ぐばああああああああ! 離れんかい、わりゃああ!」
 平坂蛮次は暴れたが、コアラのように蛮次の頭にしがみついたアイアウスは、
彼の顔面にしっかりと自分の股間を当てて、決して離れようとしない。
「変態秘奥義、コアラさんのマーチっ!」
「キモっ! クサっ! ぎぃやあああああああああ!」
「あう」
「ふう」
「ああああ」
 このみ以外の女生徒が、蛮次の顔にしがみついたアイアウスのケツを見て、
次々と失神していく。
「ぶげらああああああああああああ!!」
 間歇泉のように、垂直に透明なキラキラした液体を吐き出して。
「成敗っ!」
 平坂蛮次は失神してしまった。
 なにも言わずに、アイアウスは去っていく。

「このみっ!」
「あれ? ……タカくんじゃなかったんだ」
 二階から駆けつけてきた貴明を。
 一人だけグラウンドに立っている、このみが、不思議そうな顔で見ていた。


「タカくん、こっち、こっち〜」
 環を伴って貴明が校門から出ると、このみが手をパタパタと振りながら
走り寄ってきた。
「また三人一緒ね」
「そうだね」
 微笑みあう環と貴明。それを見て、このみは何だか不安そうな顔をしているのだが、
二人はそれに気づかない。
 
 軽い雑談を交えて。
「ねえねえ、タカくん。最近、クラスでコックリさんが流行っているんだけど」
「ふ〜ん? 小学生の頃、何回かやったかなあ。あれって、筋力は同じ力を
出し続けることができないことから起こる動きで、意味がある答えが出るのは、
意識的か無意識的か。とにかく霊的なものじゃないって聞いたよ」
「そ、そうだよね。オバケとかじゃないよね」
「このみもやったのか?」
「う……ホントなのかな〜、って、遠くで見てただけ」
「まあ……暗示とかがあるから、しない方がいいかなあ」
 貴明は環の方を向いて、話をうながした。
「タカ坊はコックリさんが本当のオバケじゃないって言っているだけで、
オバケがいないとは言っていないわよ」
 貴明がわざとらしく、もったいつけてうなずくと、このみの顔が
強張った。
「自己暗示かもしれないし。そうじゃないかもしれないけど。
コックリさん関連での事故って毎年数件、起こっているみたいだから」
「え、えへへ……ちょ、ちょっと怖いかも……」
「昨日までは健康そうだった人が、同じ言葉しかしゃべらなくなって
病院行きになったりとか。車道に飛び出してトラックに轢かれたとか。
やらないのが一番よね」
 このみの顔は完全に硬直している。
「……元は1世紀前、アメリカの街のある姉妹が始めた遊びが起源
だったかな。でも、似たような文字盤での降霊術は世界中にあるよ」
「そうそう。そう言えば……」
「ねえ、タカくん。タマお姉ちゃん。怖い話、もう止めようよ」
 あら、つまらない。
 それでも一番小さな子が本気で怖がっているので。
 環と貴明は別の話題を話すことにした。


「ねえねえ、タカくん」
 環と別れた帰り道。
「どした?」
「今日、一緒にいてもらっていい? お母さんもお父さんも、
今日は帰るのが遅いんだ」
「ちゃんと書き置きをして心配させないならいいよ」
「は〜い」
 嬉しそうに、このみは自分の家の中に駆けていく。
 その日の夕方は、このみが初挑戦したビーフシチューがかなり
美味しくて、楽しく盛り上がった。
 風呂に入り、雑談を楽しんでからベッドで眠る。
 今日は、このみも布団に潜りこんでこないから、貴明は安心して
眠ることが出来た。

「……くん……タカくんってば!」
「なんだ? オシッコなら自分一人で行けるだろ?」
「ち、違うよ。変な物音がするんだよ〜」
 ガサゴソと、一階で誰かの足音がしている。
「ドロボウか?」
「そ、そうかも……」
 男の子である貴明は、しがみつこうとする、このみを背中に
追いやって、しばらく使っていない金属バットを手にした。
「ご家庭最強ウエポンの一つ……相手が素手ならやれるか?」
 意を決して、一階へと降りていく。
「タカくん。怖いよぉ」
「このみ。今から電気をつけるから、すぐに自分の家……
いや、玄関に電話があるから警察に電話しろ。勘違いだったら、
平謝りすればいいだけのことだから」
 パチンとためらいなく、貴明は電気をつけた。

 リビングにいたのは。
 身長は2メートル近く。胸筋が異様に発達した、どこかアンバランスな
肉体の男で、髪は棘のように逆立っており、全身を忍者のような黒装束で
被い、黒頭巾で顔を隠していた。
 ケダモノのような鋭い眼光と不敵に笑う口元。
「おっと見つかっちまったか」
 忍者はそう言って、油断無く金属バットを構える貴明の前で両手を
広げた。
「あんた、なかなか鋭いな。へへへ、好きだぜ、そういうの」
「寄るなっ!」
 バットを振り上げて威嚇し、男の注意を自分へと向けさせようとする貴明。
「おっと。後ろのお嬢ちゃんも逃がしたりしないぜ。なにせ、
俺の目的は、お嬢ちゃんの方だからな」
 狙われているのは、このみの方か。
「タカくん……」
 怖がった、このみが背中をギュっとつかむ前に。
「うぉおおおお!!」
 貴明は走り寄って、男に殴りかかった。

 バキっ!
「あふぅ!」
 ゴキっ!
「おっほう!」
 ブキっ!
「……ぬるい! こんなぬるい攻撃で俺のリビドーが静まるかぁぁぁ!!」
 ゴンっ!

 貴明に殴り続けられていた男は、三撃ほど金属バットの攻撃をまともに
肉体に受けてから、貴明の顔面に拳を叩き込んだ。
 鼻が折れて、目から涙がほとばしり、貴明は仰向けに無様に倒れる。
「むむ? 聞いたほどではないな。さて、幼女。俺はツルペタには興味が
ないが、おまえさんにハァハァしている東西って変態がいる。そいつの
ところに行ってもらうぞ」
 男は倒れた貴明に駆け寄って、なにか叫んでいる、このみの
背中に手をかけようとして。
 盛大に、倒れた貴明の前蹴りを腹に食らって、天井まで吹き飛んだ。

「グ、ゲ?」
「このピッタリとしたフィット感……」
「くく。これが、あんたの本気っていうのか。楽しいねえ」
「オヤスミ前。わずかにこもる小さな牝の匂い」
「タカくん……だんだん遠慮がなくなってくるね」
 まさに。
「気分はエクスタスィイイイイイイイイ!!」
「なにぃ!?」
「クロス・アウッツ!!」
 パジャマをバサリと脱ぎ捨てて。
 このみの青い縞々パンツを顔に被った貴明、いやさ変態仮面タッカーは、
忍者装束の男に躍りかかった。
 男の身につけた技は風魔忍びの暗殺術。
 パシパシパシパシパシパシパシパシパシパシパシパシ!
 刹那の暗殺術に勝るとも劣らない速度で貴明は手を足を、肘を、膝を
繰り出し、負けじと男も本気で貴明と殴り合った。
「ふわ〜。タカくん、強〜い」
「甘いわっ! 忍法毒霧っ!」
 口に含んだ袋を破り、数種の毒キノコと唐辛子などの刺激物を含んだ
粉を相手の顔に吹き付ける秘術。
「変態忍法っ! 毒霧返しっ!」
 どういう肺活量をしているのか。
 男が吹き付けた毒の霧を、貴明は一吹きで吹き返してしまった。
「ブッ、グッ、グペペペペ……目が、目がぁ……」
 相手を襲うはずだった毒霧に顔面をやられて、男はのたうちまわって
床を転げ回っている。
「ほら、これで顔を拭くといい……」
「すまぬ。これが武士の情けか……なんだ、この生あったか〜い感触は?」
 生あたたかいというか。なんかシリコンの袋っぽい感触。
「あまり伸ばすな。それは、私のオイナリさんだ」
「ヒィイイイイイイイ!?」
 何を手渡されたのか、何で顔を拭いてしまったのか、気づいてしまって、
男は悲鳴を上げる。
「変態奥義っ! サッカーボール・キィイイイイイイック!」
「翼く〜〜〜〜〜〜んんっ!!!」
 叫びながら、男は用意よく、このみが開けた玄関扉から、外へと蹴り出されて
しまった。
「ふぅ……怪我はなかったか、小さなレディ?」
「助けてくれたからいいけど……タカくん。あんまりヒドいことを言うと、
もうパンティ貸してあげないから」
「フフフ。それは困るな」
 逆三角形の白目を細めて。
 変態仮面タッカーは、
「成敗っ!」
と勝ち鬨を上げた。

「こっ、これぐらいでくたばるか。苦痛こそ我が快楽……」
 毒霧で顔を焼かれながらも。
 忍者装束の男、秋山登はめりこんだ壁から立ち上がろうとしていた。
 秋山登は世界屈指のハードマゾである。
 鬼畜系HPの都合の良いエロヒロインのように、秋山登は斬られても
焼かれても貫かれても、体を再生することが可能である。
 何度も、何度も。
 貴明が恐怖におののくまで、襲撃を繰り返してやろうと、心地良く
痛み続ける体を起こそうと、必死に体に力をこめる。
「お困りか。拙者が手を貸そう」
「すまぬ。これが武士の情けか……」
 学習能力ないのだろうか。
「フォォオオオオオオオオオオ!!」
 秋山登の顔を股間に挟んで、夜の街を飛翔する変態仮面アイアウス。
「ビギャアアアアアアアアアア!!」
 さすがのハードマゾも、男の股間に顔を埋めるのはイヤなようだった。 


 休み時間。
「へぇ、このみの奴、入学して間もないのに、友達がたくさんできたみたいだな」
 終業式で、仲の良い友達と別れるのが寂しくて泣いていた、このみ。
 そんな彼女を中心にして、輪になって女の子たちがしゃべっている様子を
遠目に見て、貴明は微笑んでいた。
「チビ助は明るくて人懐っこいからな。友達を作るのは得意なんだろ」
「そうだな。いいことだよ」
 血が繋がっていない妹を慈愛の目で見る貴明の横で、雄二は溜め息をつく。
「おまえ、変わらねえなあ」
「なにが?」
「チビ助の奴はどんどん変わっているぜ。ほら、成長したっていうか、最近、
富みに女の子っぽくなってきただろうが。おまえの目は節穴か?」
 姉弟そろって、似たようなことを言う。
「そりゃ、このみも女の子だからな。成長ぐらいするだろ」
「はぁ……おまえ、このみから見捨てられたら、後は姉貴にパックンチョっていう
自分の運命、理解してねえのか?」
「パックンチョ?」
 貴明は御菓子を、雄二は巨大鮫を思い浮かべている。
「このみのこと、好きか嫌いかってこと。どうなんだよ、貴明?」
「そりゃ好きに決まってる」
 雄二の目が丸く開き、それから、諦めたように溜め息をもらした。
「それ、妹として、っていう意味だろ?」
「勿論だ」
「このみが可哀想だろうが」
「なんでさ」
 貴明の言葉に、雄二はまた溜め息をついた。
「おまえ。どこのどいつが好意なしで、毎朝起こしに行ったり、弁当を作ったり、
帰りを待ったりするんだよ。このみがウチの学校を受けたのだって、
おまえがいるからだろ」
「そうか?」
「わかりきってんだろうが」
 苦笑しつつ、雄二は頭を横に振る。

 このみが俺のことを好き?

 そんなこと意識したこともない。
「あ、タカく〜ん!」
 貴明の姿に気づいて、手をパタパタと振って走り寄ってくる、このみの姿に。
 貴明は思わず後ずさりそうになったけれども。
 自分を信頼しきっている笑顔を、小さな頃から守り続けていた笑顔を
裏切ることなどできなくて。
 嬉しそうな、このみの笑い声が教室廊下に響く。
「ま、どうするかは、おまえの勝手だけどさ。後悔と、このみを泣かす
真似だけはすんなよ」
 ポンと肩を叩いて。
 雄二は去っていった。



 このみが俺のことを好き?

 雄二に言われただけのはずなのに。
 何故か意識してしまって、貴明は裏門から学校を出た。
 もしかしたら、いやきっと、このみは校門で待っている。
 それでも。
 今、こんな感情を抱いたままで、このみの前に立つことはできない。
 兄と妹のように。
 ずっと、そうして暮らしてきたのだから。
 これからも、そんな風に暮らしていかなければならないのだから。
 ヘンな義務感を持ってしまった貴明は、カバンを肩にかけて家路を急ぐ。

『タカくん、まだかなぁ』

 耳元で、このみの声が聞こえるようだったけれど。
 こんな確信を持てない状況で、このみに会いたくはなかったから。

 このみが俺のことを好きだったら?

 どうしたらいいのか、貴明にはわからなかった。
 だから、会わない。
 後ろ向きで、どうしようもないけれども。
 他に選択肢がないから。
 このみから逃げるようにして、貴明は足を前に動かした。

『え? あの……ちょ、タカくんっ!』

「えっ!?」
 喚ばれた。

『タカく〜んっ! 助けてぇ〜!』

 聞こえるはずもないのに、確かに聞こえている。
 幻聴?
 いや、それは確かに、このみの声。
 急ぎ足というには、あまりにも急に。
 はっきりと言えば全力疾走で、貴明は、声が聞こえてくると
思った方向へ、ひた走った。


 その日。
 新たなる変態と貴明が遭遇しなかったのは幸運だったかも知れない。
 このみに背中を向けて立つのは、白い布で股間と顔だけを覆った
筋骨むくつけき男、変態仮面アイアウス。
 その前に立つのは、雁丸と呼ばれる片目の空手家だった。
 身長は貴明と、あまり変わらないくらい。
 極端な痩せ形、余分な筋肉すらも無駄と断じて、筋と見まがうばかりに
絞り込まれた、ワイヤーで編まれた人形のような体格から繰り出される
攻撃は、熾烈凄惨を極めた。
「フォ! ウォ! ホワタッ!」
 ただの正拳突き、ただの前蹴り、ただの膝蹴りも。
 基本だからこそ一撃必殺の威力を秘めている。
「変態秘技! 必殺っ! ランジェリーハリケーンっ!」
 どこかから取り出したパンティ千枚を竜巻のように投げつけて。
 後方回転しながら、アイアウスは距離を取った。
「チっ! オレに汚いもん投げつけんじゃねえよっ!」
「なにぃ!? すべて私が試着済みだということ、よく見破ったっ!」
「ぎゃわわわわっ!」
 雁丸も仰け反って、下着竜巻を回避した。
 技も力も、雁丸の方が強い。
 ならば。
「変態秘奥義っ! マッハスピン・バンテージっ!」
 雁丸の首に、アイアウスの腰に結ばれていた包帯が巻きついた。
「ぐっ!? 締め上げるつもりか! その前に叩き潰してやるっ!」
 雁丸は自分から前に出たが。
 それは返って、自分の死期を早めることになった。

 両手を伸ばして、棒のようになって、激しく横回転。
「マッハスピンっ!」
 腰に結ばれているということは、このまま包帯が巻きつくと、
雁丸の顔とアイアウスの股間が密着してしまうということで。
「ぎゃわわわわわっ! やめ……グエエ」
 逃げると首が絞まる。逃げないと、股間が迫ってくる。
 オイナリが、迫ってくる。
「ぎにゃああああああああああああ!! ……プっ、オエエ」
「強い……タカくんより、もっとキモいけど」
 このみが貴明を好きじゃない方に、一万ガバス賭けます。
「成敗っ!」
 

 口からキラキラと光る透明な液体を垂れ流して。
 白目を向いて、雁丸が倒れている横で。
 変態仮面アイアウスは、貴明が走ってくるのを待っていた。
「このみっ! 無事かっ!」
「タカくん……」
 タタタと駆け寄ろうとする、このみを左手で制して。
 このみに向かって駆け寄ってきた貴明の顔を、アイアウスは右手で
殴りつけた。
 奥歯が折れたのではないかというほど激しい音を立てて。
 貴明は膝を折って、倒れそうになる。
「タっ、タカくんに、なにをするんですかっ!」
「小さなレディ。これは男同士の大切な話だ。だから、後ろにいて欲しい」
 左手で制したまま。
 激しい怒りを目にだけこめて、自分をにらみ上げている貴明の顔に
むかって、アイアウスは告げた。
「何故、自分でパンティを被らなかった?」
「え?」
「すでに気づいているはずだ。自分がどうやって、小さなレディを
救ってきたのかを。そして、気づいていたはずだ。彼女が危機に
立たされていたことを」
 己を恥じて、貴明はうつむく。
「私ではなく、貴様が守るんだ。ドミナ向坂環が養ってきた力を、
目覚めさせてくれた正義を、決して無駄にするな」
「俺は……」
 顔を上げた貴明の瞳に。
 卑屈でもなく、恐れでもなく。
 純粋に、炎が宿っていたから。
 アイアウスは、それ以上のことは何も告げずに走り去っていった。
「タカくん……痛くなかった?」
「このみこそ、大丈夫だったか?」
 いたわり合い、気遣い合う二人。
「……」
 ピクンピクンと痙攣している雁丸を気づかう通行人はいない。
 いと哀れ。


 雁丸の襲撃は、よかったことだったのか、悪かったことだったのか。
 このみを無事に送り届けて家に帰った貴明は、電気もつけない部屋で
しゃがみこみ、何かを待っていた。

 ピンポーン。

 呼び鈴が鳴る。
「……タカくん」
「うん。まあ、上がれ」
 玄関の前で貴明を待っていたのは、私服に着替えた、このみ。
 リビングのソファーに座った貴明は。
 アイアウスに殴られた左頬の痛みに耐えながら。
 向かい側のソファーに座った、このみが話し出すのを待った。
「一番最初に通り魔に襲われた時のこと、覚えている?」
「いや……よく覚えていないよ」
 そう。記憶に辻褄が合わない。
 時たま、目の前を現れては消える、パンティで顔を隠した男。
「タカくん。通り魔に、お腹をナイフで裂かれて死んじゃうところだったんだよ」
「くっ……」
 ズキンと、脇腹の古傷が痛んだ。
「通り魔をやっつけて、タカくんを助けてくれたのは、あのパンティを顔に被った
変態さん。変態仮面アイアウスって、本人は名乗っていたけど」
「どうやって助けたんだ?」
「えっと……タカくん。これから、このみがすることを見て、笑ったり、
怒ったり、逃げたりしないでね?」
 とにかく、黙って見ておけということか。
 貴明が言われたとおり、黙って、このみがすることを見ていると。
 顔を真っ赤に染めた、このみは、立ち上がり、やにわにスカートの両すそを
持ち上げると、自分のオシリの脇に手をかけて、ゆっくりと履いている下着を
降ろしていった。
「なっ、なにして……」
「黙って! このみだって恥ずかしいんだから……」
 だから、なにをしているんですか?
 そう聞きたかったのだが、このみの剣幕が、あまりにも真剣だったので、
貴明は何も言えなくなってしまった。
「はい、タカくん……」
「はいって……手渡されてもなあ」
 ホカホカと暖かい小さな布を手渡されて、貴明は困っている。
「それを被ったら、タカくんは正義の味方になるの。このみのことや、
他のみんなを虐める悪い人をやっつけてくれる、正義の味方になるの」
「……変態、仮面」
 記憶はつながった。
 ホカホカと暖かい布。
 被ってしまえと本能は告げていたけれども。
「タカくん。被らないの?」
「俺は、正義の味方なんかじゃない」
「タカくん……」
「だから、このみを守る時だけしか、これは被らない」
「う、うん」
 それ以上、二人は何も話さなかった。
 隣りに座った、このみの体から、甘酸っぱい芳香が
漂うのが気になって仕方がなかったけれども。
 貴明は、血の繋がらない兄としての役目を果たすことを心に誓った。 


 いつもより早い土曜日の放課後。
 守るようにして脇についた貴明の手を、このみが握った。
「おい、このみ?」
「こうしてたら、恋人みたいに見えるかな?」
「さあ。良くて兄妹だろ」
「む〜。タカくん、ムードないよぉ」
 ふざけて笑う二人の後ろについているのは、環と雄二。
「なんか、あの二人……仲が良すぎない?」
「やっちまったかな?」
 グワシと、アイアンクローが雄二の顔をつかんだ。
「アデデデデデデデデデデデ!!!」
「このみは清純で可愛い娘なの! そんなこと言わないっ!」
 いつか顔がヒョウタンみたいになるんじゃないだろうか。
「もう、タカ坊! このみにばっかりズルい〜!」
「うっ、後ろからしがみつくなあ」
「どうしてよ〜! このみは抱きつこうと、チュッチュしようと
文句言わないのに〜」
「チュッチュはしてないよ、タマお姉ちゃん!」
 背中を襲う柔らかな感触に顔を赤らめる貴明。
「あ……」
 このみの顔が曇ったが、二人は、そのことに気づかない。
「チビ助」
「ユウくん?」
「姉貴はあんなんだけど。軍配は、おまえに上がるだろうから。
頑張れ」
「そうかなあ……」
「タカ坊〜。オンブ〜」
「ふざけんなあ」
 じゃれる二人を不安そうな面持ちで見ている、このみの頭を、
雄二の手がポンポンと軽く撫でた。


 日曜日。
 貴明と、このみが、部屋で格闘ゲームに興じている頃。
 アイアウスは、格闘ゲームよろしく、壁に叩きつけられて、
口から血を吐いていた。被っている純白のパンティが鮮血に染まる。
「フフフ。他愛ないね、アイアウスさん」
「東西……闇黒の暁。闇の子……ついに墜ちたか」
 アイアウスの前に立っているのは、小柄な眼鏡をかけていない少年だった。
 刈り上げた髪の毛の横で、青宝石の剣の刃を煌めかして。
「墜ちたんじゃない。光と闇は陰陽。一体のもの。どちらが善くて、どちらが
悪いかなんて間違いだよ」
「異なる。貴様の願いは、全ての命の死だろう」
「そうだよ? それが世界の完成の姿じゃないか」
 死人のような顔をした少年、東西は、死人のような笑顔で、アイアウスに
向かって剣を振り上げる。
「僕は、あなたのことが嫌いだったよ。サヨナラ」
「変態秘技っ! 太陽キリタンポっ!」
 アイアウスは履いているブリーフの股当てをつかみ、横にずらす。
「なにっ!?」
 閃光手榴弾のように眩しく発光した発音不可能な物質の輝きに、
東西は思わず目をそらした。
 本音を言えば、男のものなど見とうない。
 惨めに逃げ去る変態仮面アイアウス。
「チっ! みのり、追跡開始っ! 奴のアジトを突き詰めろ!」
 肩に乗った精霊に呼びかけて、東西は目をこすった。
 その目は、完全に狂気に浸っている。


 月曜日。
 校門で、このみを待つ。
 待つ。
 ひたすら待つ。
「来ない……なにやってんだ、このみの奴」
「おい! なにやってんだ、貴明っ! このみが授業中トイレに行って、
帰って来ずに行方不明になったって大騒ぎになってんだぞっ!」
 息せき切って雄二が走ってきた時。
 貴明は躊躇なく、学生服の右ポケットに入っていた、このみの
パンティを顔に被った。
「な、なにしてんだ、貴明?」
 顔が締めつけられる。
「顔に貼り付くようなフィット感……」
「おい! なに変態の真似して遊んで……ぐえっ!」
 膝蹴り一閃。
 集中を邪魔する雄二を失神させると、貴明は学生服の襟に手をかけた。
「この、むせかえるような恋する乙女のミルク臭」
 それ、このみが聞いたら、きっと泣く。
「かつて、誰にでもなく、己自身に誓ったから」
 今こそ。
「気分はエクスタスィイイイイイイイ!!」
 学生服は着たままで。
 貴明が走ったのは、最寄りの米軍基地。
 このみのいる方向はわかる。
 そこにいたるための最短方法を、変態的な閃きが告げていた。
「フォオオオオオオオオオ!!」
 期せずして、別の方向からも、新たなケダモノの声が聞こえる。 
 
 
 身長は、貴明と変わらないくらい。
 痩せて見えるから、体重は貴明よりも軽いかもしれない。
 細いフレームの銀縁眼鏡をかけていない少年は、ひどく短い髪をしていた。
「みのり。この娘でいいんだな?」
 神殿のような。
 禍々しい邪神のような神殿のような、怪しげな悪魔像や人皮で綴られた書物に
囲まれた部屋で、男は笑っていた。
「くくく……くくくくく」
 低い、聞く者のハラワタを冷やし尽くすような静かな笑い声。
 幸いというのか。
 男によってさらわれた、このみは、両腕を革製の拘束具で留められて、気絶していた。
「ようやく……ようやくにして、僕も至る。そのためには、この子の命が
必要なんだ」
 このみの白い首筋に、男の指がかかった。
 このまま締め上げてしまえば、この子は死ぬ。
 死ぬ。
 それはたまらない愉悦であったが、少年は待つことにした。
 トントントントントントントントン!
 遙か遠方から聞こえるのは足音。
 けたたましき、何かを急ぐ足音。
「ほんと……アイアウスさんって楽しいねぇ」
 玄関扉には、鍵をかけないでいた。
 そんなことで興を削ぎたくはない。
「みのり。今度こそ、あいつを無明の闇へと叩き落とす。準備はいいか?」
 少年が話しかけているのは、自分の肩に乗った小さな妖精。
 今から、きっかり十五分後。

 やって来る。
 あの忌まわしい奴が、僕の前にやって来る。

 少年は、この時のために鍛え上げた精霊剣を手に持ち。
 怨敵の額に刃を叩き込む時を、心待ちにしていた。


「我々は、ある組織のメンバーだった」
「我々?」
「平凡。普通。一般。そういった常識から望んで、もしくは、望まないで
逸脱していった者が群れ集まった組織。仮に、”L”とでも呼ぼうか」
「アイアウスさん。あなたも、その組織のメンバーなんですか?」
「そうだ。私が一番新しい一員だった。そもそも、私を”L”へと
引き込んだのは東西、柚原このみをさらった人物だ」
「東西……」
「ああ。今は、この世すべての滅びを願う存在へと墜ちた。その存在の強さは、
邪神に匹敵する」
「なぜ、このみをさらう必要があるんです」
「贄とするためだ」
「生け贄? ……なんだってっ!?」
「怒鳴るな。墜ちるぞ」
 アイアウスと、彼に抱きかかえられた貴明。パンティを脱いで、
省力モードになった貴明が乗っているのは、米軍戦闘機の上。
 F22のセンサーに触覚はないから、戦闘機を操っているパイロットは気づかない。
「我々は、平常なる世界の平常なる平穏を愛しながらも、その心の内に
狂気を併せ持つ存在。特に、東西は共感同調能力が強く、”L”のメンバーの
背後をのぞき見ては、その狂気を忌まわしく思うような男だった」
 F22の最大飛翔速度は、マッハ2を超える。
 もうすぐだ。
「だから、奴も狂気へと捕らわれた。金属生命体使い幻八、鋼線使い霜月祐依、
ひげ至上主義者ひげよん、ツルペタ番長平坂蛮次、ハードマゾ秋山登、
空手マスター雁丸。みんな、東西に操られて凶行へと走ったのだ。
全員、倒された時に透明な液体を吐き出していただろう。
あれは東西が操る霊水だ。あの水を飲んでしまったが最後、だれもが
東西の操り人形になってしまう」
 目標直下、間近にあり。
「ここでいいか。河野貴明。覚悟は出来たか?」
「なんの覚悟ですか?」
「正義に殉ずる覚悟。君の立場で言い換えれば、柚原このみのために、
命を捨てられるかということだ」
「無論」
「いい返事だ」
 何の合図もなく。
 貴明を抱きかかえたまま、パラシュートもつけずに、顔と股間だけを
白い布で覆い隠して。
 アイアウスは、夜の空を飛んだ。

 目標直上。
 貴明は叩きつけるように吹いてくる風に悪戦苦闘しながら、学生服のポケットに
手を突っ込んだ。
「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 成層圏まで届くような怒声が響く。
 顔にかぶったパンティは、このみが渡してくれたパンティだった。
 東西が何者かだなんて、どうでもいい。
 絶対に、叩き潰してやる。
 理性を学生服と共に夜空へ脱ぎ捨てて。
 二人の変態仮面が、夜の街に墜ちていく。

「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 天空を雄叫びが裂くのを、東西は聞いた。
「チっ! 上かっ!」
 家の天井をブチ抜いて。
 空手の踏み抜きの姿勢で高々度からパラシュート無しのダイブを敢行した
貴明とアイアウスは、屋根瓦と天井板、二階の床を蹴り砕いて、東西の前へと
現れた。

 アイアウスは右手を後ろ頭から左耳に当てて。
 貴明は左手を後ろ頭から右耳に当てて。
「変態仮面っ、見参っ!」
「東西っ! 貴様の悪を、俺は決して許さないっ!」
 唇に薄い笑いを浮かべる東西の前に立った。
「二人? 聞いていないな。だが、問題はないよっ!」
 煌めきと共に、精霊剣がアイアウスの首を薙ぐ。
「フンっ!」
 真横に回転して避けたアイアウスは、そのまま体を回転させ続けて、逆立ちの
体勢から東西の足を手で払う。
「チっ!」
 剣を持っていない左側から殴りかかってきた貴明のパンチを、土の精霊に
作らせた手甲で防ぐと、東西は姿勢を直した。
「烈風。舞い散れっ!」
 掲げられた東西の手から突風が吹き、アイアウスを吹き飛ばして、
壁へと叩きつける。
 だが、その直後、果敢に貴明が迫ってきたので、東西はタタラを践んだ。


 炎も、水も、風も、地も。
 全てが自分の味方だというのに。
 なぜ、こいつら二人は、僕に抗う?
 ただの人の子に過ぎないのに。
 どうして、闇の子である僕に勝てると信じ続けられる?

 素裸の脇に見える白いもの。
 折れた肋骨が脇腹から飛び出していた。
 だが、痛覚など捨て去ってしまったのか、アイアウスは再び飛んだ。
「変態秘奥義っ! マッハスピン・バンテージっ!!」
「効くかぁっ!」
 自分の首とアイアウスの腰に巻きついた包帯を精霊剣で叩き斬ると、
東西は貴明の方を向いた。
 左腕が折れて、有り得ない方向へ曲がっている。
 それなのに。
 瞳は、闘志の炎を燃え盛らせていた。 

 ただの人の子が、どうして、闇の子である僕に勝てると信じ続けられる?

 闇を息吹きとし、人の魂を喰らい、人間以上の存在となる。
 輪廻から外れて。
 闇の子から、闇そのものへとなろうとしている自分を、ここまで
頑なに止める存在がいるとは、二人も存在しているとは、不愉快を
通り越して、驚異だった。

「……東西。なにを焦る?」
「焦る? ハハ。この僕が焦る? なにを焦るんだよ。この僕に、一撃だって
当てられないくせにさっ!」
 神速を超えた、禍々しい速度で踏み込み、精霊剣をアイアウスの額に叩き込んだ。
 ガンっ、と、何かが割れる音が響き。

「……バカ、な?」

 幻想の硬度を誇るはずの精霊剣が、アイアウスの被ったパンティ一枚を斬ること
が出来ず、根本から砕け散った。
「待っていた。東西。貴様が私の顔面に、その剣を叩き降ろす時を待っていた」
「みのりっ! 新しい精霊剣を現出させろっ! アクセス! 最大速度っ!」
 光輝く東西の腕を、貴明の回し蹴りが蹴り折る。

「変態秘奥義っ! マッハスピン・バンテージっ!」

 東西の首と、アイアウスの腰を、一本の白い包帯がつなぐ。
「これまでだっ!」
「ハハハ? これまで? 僕がこれまで? ハハハハ」
 横回転をしながら迫り来るアイアウス。
 だが、東西の体から、いや、体全体を漆黒の棘の塊と化した東西は、
無惨にも、アイアウスの全身を串刺しにしてしまった。
「ぐはっ!」
 アイアウスが被ったパンティの、口に当たった部分が、赤く染まる。

「……んっ」
 このみは目覚めが悪い。
 それでも、自分のすぐ近くで行われている死闘には目を覚まさないわけには
いかなかった。
「う……なに、この匂い?」
 鉄錆の匂い。
 嗅ぎ慣れない匂いに、このみが顔を歪めながら目を開けると。
 目の前にあったのは、地獄だった。


 棘だらけの黒い沼と化した東西。
 それに串刺しにされて、アイアウスは虫ピンにさされた昆虫のように、
ビクンビクンと、血を流しながら、手足を動かすだけ。
 距離を取り、かろうじて串刺しを免れた貴明も、東西の放つ精霊魔法に
体を焼かれている。
「たっ、タカくんっ!」
「あははははは。目が覚めたかい?」
 正しい位置から斜め下にずれて、顔がついていた。
 棘だらけの黒い沼。
 自らの狂気に身を任せてしまった東西は、すでに人の姿を失っている。
「あははははは。さあ、次は君の番だ。柚原このみ。精霊の原質を胎に
持つ少女。今から、生きたまま子宮を引きずり出してあげる。そして、僕が
闇の子から闇そのものへと変わるのを、死出の旅の土産にするがいいよっ!」
「……」
 このみは、誰もがしてきたように、東西の本当の姿を見ても、
悲鳴を上げようとはしなかった。
 この世すべての悪を前にしたって。
 消えちゃうのを前にしたって。
「タカくんっ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
 東西が後ろ手に放った炎の槍を握り潰し。
 貴明が、東西の棘を一本、叩き折った。
「死に損ないがっ!」
 同じように串刺しにしてやる。
 そう思って、東西が向き直った時。
 頭上で、棘が砕け折れる音が幾重にも響き、バキバキと不愉快な旋律を奏でていた。 
 
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 自らを貫いていた棘を全て叩き折り。
 天井板を蹴って、アイアウスは東西の頭上から飛び降りる。
「何故だ……命の力は尽きていたはず」
 右手を後ろ頭から左耳に伸ばし。
「気づかないか、東西」
 幻想を遙かに超えて筋肉を膨張させたアイアウスは叫ぶ。
「私が身につけた、このパンティ。これは柚原このみの母親、柚原春夏のものだっ!」
「それがどうしたっ!」
「精霊の原質を持つ母娘! このパンティを身につけた正義の戦士二人に
出会ったが今、貴様が敗れるのは、もはや必定っ!」
 貴明が、このみを安全な場所まで連れて行っている間、アイアウスは
東西を挑発し続けた。
 とどめが必要だ。
 黒い闇さえも溶かす、究極の変態秘奥義。
 人の背中をのぞき見ては、その者の狂気を蔑んでいた東西。
 その者が唯一見ることを拒んだ狂気。
 変態こそ唯一、闇の子を打ち破ることが出来る。

「河野貴明っ!」
「応っ!」

「「変態秘奥義っ! エア亀甲縛りっ! ウィズAIAUSっ!」」

 前後から、数十本の荒縄が飛びかかってきた。
「くっ! こっ、これがどうしたっ!」
 叩き折りながら。
 東西そのものと化した闇の棘を叩き折りながら、アイアウスが飛翔してくる。
「ぬううううう!!」
 黒い沼に沈みかけた顔の位置を上に移動させて、かろうじてオイナリの接触を
避ける。闇の子でも、なまあったか〜い、のは嫌らしい。
「はまったな、東西」
「なっ、なに?」
 目の前にあるのは、アイアウスの乳首。
 鮮やかなピンク色だった。
「ぎゃああああああああ!! 気持ち悪……ブゲっ!」
 幻想より生まれた荒縄が東西の体を締め上げ、アイアウスの体さえも縛り上げて、
東西の唇にアイアウスの乳首に密着させた。

「吸え」

「毛、チチ毛が口に入るっ! みっ、みのりっ!」
 東西の忠実なる精霊は、とっくの昔に、どこかに逃げ去っていた。
「ぷぎゃああああああああああああ!! 本気で気持ち悪い〜〜!!!」
「とどめっ!」
「応っ!」
 哀切なる悲鳴を上げる東西の黒き沼の体を。
 真横から天井へと、物理法則を無視して飛ぶ貴明の跳び蹴りが。
 見事、真横に切断した。
「があああああああああ!! 消える! この僕が、キエ、ル……?」
 東西を包む闇が消え去るまで。
 闇の子として生まれた彼を蝕んでいた狂気が溶け去るまで。
「「成敗っ!」」
 勝ち鬨が響くまで、二人の変態仮面は、夜の闇を切り裂き続けていた。



「タカくん……手、痛くないの?」
 アイアウスによって骨を接がれた時は悲鳴を上げたが。
 東西の部屋から持ち出した服を着た貴明は、なんでもないように、
折れた手の指を握ったり、開いたりしてみせた。
「平気。それで、大丈夫だったか、このみ?」
「うん。このみは寝ていただけだから、なんともないけど」
 貴明からは見えないように、革製の手錠でついてしまった赤い跡を隠す。
「これでさ。最後だって。もう会うこともないってさ」
「変態仮面さん?」
「ああ。あの東西って奴を倒せたから、もう通り魔とか出ないんだってさ。
だから、これは返す」
 今まで、自分で被っていた、このみのパンティ。
 今は右手に握られた小さな布を手渡されそうになって。
 このみは困った顔で、こんなになるまで自分を守ってくれた貴明の顔を
見上げた。 
「どうしたらいいんだろ……」
 すでに被ったパンティの跡も消えて、優しく微笑む貴明。
「タカくんにとって、このみは妹だよね。このみは、どうしたらいいんだろ……」
 つぶやきでもなく。
 独り言でもなく。
「悪いのは、このみだよね。タカくんは、ずっと一緒にいてくれるって
言っているのに。欲張りな、このみが悪いんだよね」
 微笑みは消えていた。
 けれど、このみは臆せずに続ける。
「タカくん。胸やオシリが大きい人が好きなんだよね。タマお姉ちゃんみたいな
……ううん。タカくんが好きなのは、タマお姉ちゃんだよ」
 告げなければならない。
 それを告げるのは男の役目だ。
 漢としての役目は果たしたのに。
 男としての役目を果たせない自分を、貴明は恥じている。
「このみはね。タカくんと一緒にいられたら、それでいいの。そうじゃないと
いけないの。タカくんが好きなのは、タマお姉ちゃん。それでね。このみが
好きなのは……」
 胸が締めつけられる。
「いいんだ。タカくん、精一杯、このみを守ってくれたから。このみの
下着を履かれた時は恥ずかしかったけど。タカくん、痛いのに、つらいのに、
恥ずかしいのに、絶対、そう言わなかったから。だから、このみも言わないんだ」
 痛い場所はここだと、握りしめられていた小さな手が胸に当てられた。
「このみ、俺は……」
 貴明が手を差し伸べようとすると、このみは何かを恐れるように後ろへ跳んだ。
「ごめん……忘れて、タカくんっ!」
 このみは背を向けて走り出した。
「まっ、待てよ、このみっ!」
 傷つけさせたりするもんか。
 そう思って守り抜いてきた。
 そんな自分が、誰よりも一番、このみを傷つけていたと気づいて。
 貴明は、彼女の後ろ姿を追った。
 
「待てって、このみ!」
 このみは足が速い。
 昔は後をついてくるのが精一杯だった。
 今は、貴明が追いつくのが精一杯。
 あと、もう少し。
 だが、貴明の足音が聞こえたのか、このみはさらに加速する。
 動き過ぎた心臓が痛み、酸素を要求する肺が焼けるようだった。
 あと、もうちょっと。
 あと、もうちょっとなのに。
「こうなったら……」
 右手に固く握られているのは、このみのパンティ。
 吸い寄せられるように、走りながらパンティの両脇を持って、顔へと被る。
 東西とは、随分、長い間、戦っていたから。
 自分の汗と血の臭いしかしない。
 それでも。
「このみっ!」
 ドンっ!

 地面が爆発し、大量の土煙が舞った。

「タカくん……?」
 御姫様抱っこの格好で抱え上げられて、このみはキョトンとしている。
 ただの一蹴りで、このみに追いついた貴明は、顔に被ったパンティを
脱ぎ捨てると、荒い息をついた。
「やぁ! 離して、タカくんっ!」
 そんな顔が怖かったのか、このみは手足をジタバタと動かして暴れた。

 幼い頃。
 女の子は、男の子の背中を追ってばかりいた。
 みんな、足が速いから。
 ベソをかきながら必死に走る一歳年下の女の子を待って、遊び時間を
潰すような男の子は一人だけしかいなかったから。
『まってぇ……まってよぉ……』
『このみ、遅いよ。みんな行っちゃったぞ』
『だって……タカくんたち、はやすぎるんだもん』
『困ったなぁ、急がないと間に合わないのに……』
『やだ、おいてっちゃ、やだぁ!』
『な、泣くなよ。何もおいてくなんて言ってないだろ。
ほら、いっしょに行ってあげるからさ』
『うん……』
 男の子が仕方なく手を差し伸べると、女の子は小さい手で、
大好きな手をキュッと握りしめた。
 半べそだった顔が、パアッと満面の笑顔に変わる。
『えへへ』
 どんなに泣いていても、手を握ると、すぐに泣き止んで嬉しそうに笑う。
 自分にだけ見せる笑顔。
 たとえ幼くても。
 男の子には、守る者がいてくれることが、誇らしくて、そして、嬉しかった。

「ふふ……」
「えっ?」
「あははは……」
「……タ、タカくん? ねえ、だいじょうぶなの?」
 唐突に舞い降りてきた想い出に、貴明は笑っている。
 なんだ。
 迷うまでもなかった。
 俺が、このみのことが好きになったのは、ずっと昔、二人が会った頃からじゃないか。
「ねえ、タカくん。どうして笑うの? どこか、頭打ったの?」
 心配そうな、このみに、なにか言って、安心させてやりたかったけど。
 悲しいかな。
 言葉は、うまく口からついて出てくれそうにはなかった。
 だから。
 このみを抱きかかえたままで、貴明は顔を近づけた。
「ふえ?」
 唇と唇が重なり合う。
「んぅ――!?」
 その瞬間、このみの身体がビクリと震えて固まった。
 何分か、何時間か。
 そのまま彫像にしたいくらいの姿で。
 完膚無きまでに恋人の姿で。
 心臓を破れる寸前までドキドキさせて。
 貴明と、このみは、唇が触れるだけのキスを続けていた。


「ん……このみの初めて、タカくんに奪われちゃった」
「初めてってことはない。俺の初めてこそ、このみに奪われたんだぞ」
「え?」
「覚えてないのか? ほら、ひな祭りの日。甘酒に酔っぱらって、
俺の上に乗っかってさ」
「む〜。そういうのはノーカウント。今日が絶対、このみの初キッス
記念日なの」
 貴明の腕から降りた、このみは、手をつないで、彼の横を歩いている。
 不思議なことに、先ほどまでは、あんなにドキドキしていた心臓が、
今はいつも以上に穏やかに動いていた。
 きっと、これが自然な形。
「しかし、ここはどこだ? あのオッサン、帰り道まで面倒見るつもりは
ないっていうのか?」
 伊勢の山奥に閉じこめられた貴明は途方に暮れていたが。
「ねえねえ、タカくん」
「ん?」
「私ね。小さい頃からね、ずっとタカくんのことが――」
 変わらず、このみだけは元気に微笑んでいた。





 赤味噌の甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「このみ。本当に大丈夫なの?」
「えへ〜♪」
 心配そうな母親、春夏の声が聞こえるが、このみは呑気に鼻歌を歌っている。
 エプロン姿で包丁を持つ、このみは、今や河野貴明のお目付役から専属料理人
へと昇格した。
 朝ご飯から、お弁当、お夕食まで。
 ちょっとヤリ過ぎではないかという尽くしっぷりに、このみの両親も呆れ顔だ。
 それでも、その呆れ顔は、どことなく微笑んでいて、二人の仲が公認だと
いうことがわかる。
「それで、貴明君。学校の方はどうだね? 勉強は理解できているかい?」
「ええ。まあ、それなりに。来年は大変そうですけど」
「そうだよなあ。貴明君も、もう大学受験だ。本当に、早いもんだよ」
 ソファーに座って、遠い目をしている、このみの父親。
 夕食代を両親が払っているとはいえ、さすがに一人娘の父親と
一緒というのは気まずい思いがする。
 隣りに座った貴明は、居心地の悪い思いをしながら、早く夕食が出来上がらないか、
針のむしろに座っている思いだった。

 柚原家で夕食を取るようになってから。
 とても体重が増えたような気がする。
「いただきま〜す」
 絶対、カロリーオーバーと思える量。
 それでも家族三人、やせの大食いなのか、平然とした顔で大量の肉や
野菜が並ぶ食卓を空にしていく。
「ねえねえ、タカくん」
「ん?」
「ほっぺにお弁当がついているよ」
 貴明の頬についた米粒を、このみは指先でつまんで、
「ん。美味しい」
平然と、自分の口の中に入れた。
 ピクリと、このみの父親の太い眉毛が動く。
「こっ、このみ。そういうのは止めろよっ。恥ずかしいだろ」
「え〜? 別に恥ずかしくないよ?」
「うちの、このみが何か……恥ずかしいことを?」
「違うんです。お父さん、違うんです。そういう意味で言ったんじゃ……」
「いいのよ、お父さん。このみは、タカくんのことが大好きなんだから」
「ハイ、あ〜んして」
 ゴホン、ゴホン、ゴホン!
 貴明と、このみの父親、男二人。
 なぜか、わざとらしい咳がシンクロしていた。
「ちょっとベタベタし過ぎだ。このみ。おまえも高校生なんだから、
節度在る付き合いというものをだな」
「え? でも、タカくんに、このみの初めて、あげちゃったから」
 このみさ〜んっ! それ、NGワードっ!
 貴明が血の涙を流しながら、心の声で叫ぶのと。
 バキンと音を立てて、父親と春夏の持った茶碗が割れるのは、同時だった。

「このみ……」
「ごめん、タカくん」
 危うく婚姻届まで書かされそうになった貴明は、なんとか誤解を解き、
『節度ある付き合い』をすることを条件に、このみとの交際を許された。
「でも、お父さんとお母さんもヘンだよね。そういう心配するなら、
タカくんの部屋にお泊まりするのも禁止にすればいいのに」
 貴明のベッドの中で丸くなりながら、このみは微笑んでいる。
「まさか、一緒のベッドに寝ているって思ってないんだろ」
「えへへ。秘密作戦遂行中でありますよ〜」
「本当に遂行したら、まずいだろうなあ」
「ふえ?」

 窓の外。
 ようやくにも結ばれた二人を見守るのは、股間と顔だけを白い布で覆った男。
「河野貴明。おまえが守るのだ。貴様にだけ、その資格がある」
 壁をよじ登り、ワキワキと指を動かしながら、洗濯物が吊られた網に手をかける。

「この、下着ドロボウっ!」

 春夏が振るった木製バットが唸りを上げる。
「ふぉぉおおおおお!!」
 今日も闇夜に、変態の雄叫びが響いていた。  
      

 To Hentaimask 2  Konomi-Yuzuhara     end