To Hentaimask2 <Manaka-Komaki(2)> 投稿者:AIAUS

 翌朝。
 学校に着いた貴明が教科書を出して、一時間目の授業に備えていると。
「あの……」
「あひっ!?」
 背後から脇腹をツンツンとつつく指があった。
「な、なに、小牧さん?」
「今、ちょっといいですか?」
 ツンツン。
「うん……ぁ! それやめて、それ」
 貴明の脇腹は弱い。幼少の頃から環に重点的に開発されているので、
脇腹だけで三回イケるぐらいに弱い。
「あ、あの、あの……今日の放課後、空いてますか?」
「え? ああ、書庫? うん、それなら大丈夫だけど」
「いえ、あの……そうじゃなくて。買い出しに付き合って欲しいんですけど。
や、や、ダメならいいんです、はい」
「買い出し?」
「公務なんです。生徒会活動で色々と必要な物品の買い出しで。
お金もちゃんと預かっています」
「そういうことなら。喜んで」
 女の子は苦手なはずなんだけれども。
 小牧にだけは、なんだか親しく話すことが出来て。
 喜んで、貴明は小牧の買い出しに付き合うことにした。


 行き先は駅前のデパート。
 バスの停留所で他の学生達に混じってバスを待っている二人は、
「びみょ〜に混んでますね」
「そうだなあ。座るのは無理そうだ」
呑気に、いつものような
 直後、風を巻き上げてバスが停車する。
「だっはは……」
「むぎゅう」
 折り悪く、電車が止まったとかでバスはいつも以上に混雑していた。
 ただでさえ乗り慣れないバスに大混雑が合わさって。
「むぎゅぎゅぅ」
 小柄な小牧は、バスの中の人混みに押しつぶされそうになっていた。
「小牧さん、こっち」
 貴明は小牧の手をつかむと、開かない反対側のドアに小牧を引き寄せて、
自分の腕と腕の間に挟み込むようにして、安全な空間を確保した。
「あ、ありがとうございます……」
 押しつぶされる重圧から解放されて、小牧は安心した顔をして、
貴明に感謝の言葉を述べる。
「なんでもないことだから」
 そう言いつつも、女の子が苦手な貴明にとって、いつも以上に
身近にある小牧の顔は、心臓に悪かった。
「河野くん、やっぱり優しいですよね」
「タンマ。今、その手の話題は禁止」
「え〜? どうしてですかぁ〜?」
 嬉しそうに笑う小牧の息が胸元にかかる。
 デパートの前に着くまで、貴明にとって、拷問のような時間であった。
 心なしか、小牧の顔も赤いけれど。
 それに気づく余裕を、貴明は持ち合わせていなかった。

 手にしたメモ帳を片手に。
 手際よく、小牧は買い物を済ませていく。
 買われた物を持つのは貴明の役目。
 半分持とうと小牧は頑張っていたが、貴明は懸命に自分の仕事を固守した。
「これぐらいなら軽いから、大したことないのに」
「小牧は頭脳労働が担当。俺は肉体労働が担当」
 そういう風に自分で決めてしまったので、荷物が重いとは、貴明は少しも
想わなかった。

 買い物を終えて。
 場所はデパート地下に移る。
「こういう場所って、楽しいと想いません?」
「俺、試食とかはあまりしないからなあ」
「そうじゃなくて。ほら、色んなものがあるじゃないですか。これって、
みんな、誰かが一生懸命に作ったもので。それぞれ、想いが込められているんです」
「まあ、食事って文化だからなあ」
「食事だけじゃない。他の全ても、みんな一緒なんです。つらいこともあるけど、
悲しいこともあるけど。それでも頑張ろうって。みんな、同じことを想いながら
生きているんだって思うと、あたしも頑張ろうって気になれるんです」
 そんな小牧の横顔が、泣き出す寸前のように思えてしまって。
 思わず、手を伸ばして、その小柄な体を引き寄せそうになってしまって、
貴明は懸命に耐えた。
「どしたの、河野くん?」
 気づけば、目の前には試食のマロングラッセを頬いっぱいに放り込んで、
モグモグと口を動かしている小牧の姿。
「俺のドキドキを返せ」
「え? え?」
 ほお袋が、不思議そうに動いていた。

「ブッハッハッハッ〜!」
「お客さん、困りますっ!」
「上手いなあ、このレモンケーキっ!」
 不快な笑い声を上げて、長い髪をオールバックにして、後ろでしばった
男が試食のレモンケーキを全て食べ尽くそうとしていた。
「ああ、至上の幸福。これが無料だなんて。日本はいい国だ」
「お客さん、ここまで食べて、一個も買わないつもりですか?」
「もっちろんっ!」
 食べ尽くされているレモンケーキを未練がましそうに見ている小牧を
後ろに庇いながら、貴明は一刻も早くデパート地下から脱出しようとして
いたが、先に男が動いた。
「さて、君たち。このシッポ様から逃げられるなんて思わないでくれよ」
 まるでジェット戦闘機のような轟音を立てて。
 エスカレーターの前まで逃げていた貴明たちの前に、シッポと名乗った
男が飛ぶ。
「こっ、河野くん……」
「後ろに下がって。なんとかするから」
「……レモンケーキ」
「それはなんとかならない」
 と言ったところで、どうすればいいのか。
 学生服の右ポケットに、小牧の下着が入っているけれども。
 それを本人の前で被ったら、小牧はなんと思うのだろうか。
 迷っている間に、シッポが先に動いた。
 ダダダダダダダダダっ!
 まるで戦闘機の機関銃のような音を立てて。
 男が手に構えた円盤のような形をしたモノから、弾丸が飛ぶ。
「げふっ!」
 顔面と胸板、太ももを強打されて、貴明は苦痛に呻いた。
「安心してください。コルク製ですから死んだりしません。
時代は無力化非殺傷。まあ、しばらく痛みは残りますけどね」
 大男でさえ、失神してしまうぐらいの威力がこもった銃撃。
「こっ、河野くんっ! ……いっ、いやっ。近寄らないで」
「ダメです。もう前金を受け取ってしまいましたから。
シャロンに乳首を実装させるため、犠牲になってください」
 あてな2号みたいだなあ。
 指をワキワキと動かして、好色な笑いを浮かべながら、シッポは
小牧へ近づいていく。
 その背後で。
「この顔に絡みつくようなフィット感」
 ユラリと立ち上がった少年は。
「鼻から脳天に突き刺さる、人のために流された汗の匂い」
 貴明ではなく。
「クロス・アウット!」
 変態仮面タッカーとして学生服を床に脱ぎ捨てて、小牧を拉致しようと
していたシッポの前に立ちはだかった。
「むむうっ! あなたが噂の……」
「変態仮面っ! ここに見参っ!」
「ひゃううううううっ! 変態が二人!?」
「違う、違う。ほら、よく見て。僕、Tシャツにジーンズで普通の
格好でしょ? これでヘンだっていうの、ときメモ3ぐらいよ?」
 シッポは後ろを向いて、両手を顎に当ててプルプル震えている小牧に
抗議した。そして、戦闘中だということを思い出して、あわてて正面を
向く。貴明の姿は、そこにはなかった。
「上っ!?」
 飛んでもいなかった。
「下っ!?」
 いや、モグラじゃないし。
「後ろだ、馬鹿者」
「なにぃいいいいい……って、振り向いたら、オイナリがあるって
罠でしょ。いやだなあ、そんな古典的な罠には引っかかりませんよ」
 先読みし過ぎて、そのままでいたシッポの尻を、
「変態奥義っ! サッカーボールキィイイイイイイック!」
「翼く〜〜〜〜〜〜んんっ!!!」
思い切り貴明が蹴飛ばす。
 ジェット戦闘機のような轟音を立てて、壁に向かって頭から飛んでいく
シッポ。このままでは即死は免れないが。
 飛ぶシッポの下を有り得ない速度で走り抜けた貴明が、股間をM字に
開脚して、ブリーフのエアバックを用意して待っていたものだから。
「ぎっ、ぎぃやああああああああ!!」
「WELCOME!」
 ボフンと切ない音を立てて、シッポの顔面は貴明の股間に食いこんだ。
「変態秘奥義、地獄のジェット・トレインっ!」
「ぷけ、ぴけ、ぶけ〜」
 もう相手は気絶しているのだが。
 目を点にして固まっている小牧を置いて、貴明は走り去っていく。

「ねえ、河野くん」
 デパートからの帰り道。
 シッポを投げ捨てた貴明は全力疾走で小牧の元に帰り、変態を解いた。
 そして、必死に作り話をして、辻褄を合わせようとしている。
「ごめん、ごめん。あいつに突き飛ばされて、気を失っていたんだよ」
「そうじゃなくて……その……ううん、なんでもない」
 小牧は何か問いかけようとしていたけれども。
 どちらもまだ、相手の領域に践み寄るだけの余裕はない。

 
「魔女の指示で、あの愛されたる乙女が狙われている? 何故だ?」
「さあ? 生け贄も辞さないくらいだから。俺にはわからんよ」
 電柱に張られた電線の上に立っているのは、筋骨むくつけき男二人。
 一人は白パンティを被った変態男、アイアウス。
 一人は黒い忍者装束の変態男、秋山登。
「いや、忍者って変態じゃないし」
「コソコソ隠れて自分の趣味を満たすのなら、意味は同じだろう」
「俺は、人の顔に股間を押しつけて悦んだりしないっ!」
「違うのかっ!?」
「違うわいっ!」
 そのまま掴み合いになりそうになったが、ここが電線の上であったことを
思い出して、二人は冷静になった。
「あの娘のガードを重点的にやって、相手の動きを探るっていうのはどうだ?」
「それは新たなる変態仮面に任せよう。結局、恋心に勝る動機はない」
「恋心? 情欲と何が違う」
「違う。私は巨乳であれば誰でも構わない。しかし、あの少年が変態できる
下着は世界にただ一人しかいない。それは素晴らしいことだ」
「あんた……言っていて恥ずかしく……うわ、うわっと! やめれっ!」
 電線を揺らして、アイアウスは秋山を落とそうと頑張っている。


 ポケットの中に財布があることを確認して、貴明は席を立った。
「飯にしようぜ、貴明ー」
「ああ」
 雄二と一緒に学生食堂で適当にパンを買って、中庭で昼食と決め込む。
「それで貴明。類似品との仲は進んだのか?」
「小牧のこと? 全然」
「まあ、未だに名字呼びだもんなあ。クラスの連中も噂の広げようがないって
嘆いていたぜ」
「うっ、噂になっているのか!?」
「当たり前だろ。毎日、毎日、放課後、密室で二人っきりになりやがって。
おまえと小牧じゃなかったら、とっくの昔にブリブリ喰らってらあ」
 昔の記憶が蘇ったのか、身震いしながら雄二は言う。
「大体、女が苦手っていうのも程があるだろ。何のためにおまえ、毎日、
貴重なアフターの時間を潰してんだ?」
「そりゃ小牧が困っているからだ。だから、手伝っているだけだ」
「おまえ、そりゃお人好しにも程があるぜ」
 お人好しと呼ばれるほど。
 かつて、小牧がそうだと思ったほどには自分は働けていないから。
「そんなことはない」
「ぜってえ、そうだって。おまえ、小牧に利用されてんぞ」
「それでも構わないよ」
「だーかーらー。それが、お人好しだってんだろ」
「そうだろうな」
 貴明は頑固に、自分のお人好しを貫いてみせた。 


 春の日差しの中を風が吹き渡る。
 そんな風光る陽気の中で。
 小牧を見つけることができなかった貴明は、一人寂しく帰り道を歩いていた。
 トコトコと。
 学校で探していても見つけられなかった後ろ姿を見つけて。
「小牧〜っ!」
 名前を呼びながら、貴明は走った。
「あ、河野くん。どうしたんですか?」
「いや、たまたま後ろ姿が目に入ったから」
「あはは。私も河野くんを探していたんですけど、見つからなかったものですから」
 手にしているのは、買い物が並んだメモ帳。
「また買い出し?」
「ええ。今日は商店街まで。新学期って、クラスが回り始める時期ですから、
色々と足りないものが出てくる時期でもあるんです。セールをしている店も
多いから、予算を上手に使わないと」
 小牧みたいな人が政治家になってくれたら、世の中、もうちょっと良くなるのかな
と、貴明は少し思った。

「桜茶ってありますよね?」
「あ、飲んだことあるよ」
「え? どんな味なんですか?」
「塩味」
「もう。そうじゃなくて。もっと他にあるじゃないですか」
「いや、あれは雰囲気を楽しむもので、桜そのものに味はないからなあ」
 くだらないことを話しながらの買い物は小牧の指示と貴明の腕力で
テキパキと進んで。
 余った時間で、二人は商店街の中でオシャベリを続けていた。
「ヤックにでも入ろうか」
 女の子を立ちっぱなしにさせてはいけないと思って、貴明は声をかけたが。
「や! あの、いいです! そんな、奢ってもらうなんて!」
 誰も奢るとは言ってない。
 それでも貴明は健気に、生活費のどこを削ろうか頭の中で計算を始める。
「それじゃ入ろう。俺は席を取っておくから。小牧さん、チーズバーガーセットを
頼んでおいて」
「は〜い。ヤクドって久しぶりで、なんだか嬉しいです」
「ヤック?」
「ヤクドですよぉ。やだなあ、河野くんってば」
「ヤックはヤックだろう」
「それだと、ヤッキントッシュと区別つかないじゃないですか〜」
 くだらない言い合い。
 でもまあ、それさえも楽しくて。
 小牧が自分の分も注文する後ろ姿を眺めながら、貴明は春の日差しを楽しんでいた。

 パクっとポテトフライを幸せそうな顔をして食べる小牧の顔は、
確かにハムスターとかリスのようだった。
「小牧って、食べるのが好きだろ」
「食事を楽しむのは人生の基本ですよ?」
 小牧が食べる速度は結構早い。
「基本的に、授業だけやっていれば他の仕事をしなくていいっていう先生が
多いんです。ベテランの先生は授業以外にも気を遣ってくれますけど。
それでもイレギュラーなことでは頼りにならないし」
「ふうん。やっぱり、いろいろと決まりがあるからかな?」
「はい。規則を盾に何度、苦渋を飲まされたか。人に苦労をかけるような
決まりなら改正しちゃえばいいのに、そういう発想は全然ないんです」
 ん〜。小牧愛佳は野党から出発して政権を乗っ取り、日本首相になるっていう
シナリオがふさわしいなと夢想しながら、選挙カーに一緒に乗っている姿を
想像して、貴明は噴き出しそうになっていた。
「あれ? 河野くん、食べないんですか?」
「いや、食べているけど……小牧さん、もう全部食べたの?」
「はい。これぐらいの量なら」
「これが……ほお袋を持つ齧歯類と人類の差か」
「あっ、あたしはハムスターじゃないぃ〜〜」
 そう言って、バタバタと手を振ろうとしていた小牧の動きが止まった。
 視線が、斜め向かいのテーブルの方を向いている。

 長髪の黒いドレスを着た美女と、革ジャンパーを着てサングラスをかけた男。
 およそファーストフード店には似合わない男女二人が、顔を寄せ合っている。
「ま、まさか……」
 ゴクリと息を飲んで、小牧は真剣な表情で状況を見守っている。
「「あっ」」
 明らかに、若いカップルの唇は重なり合っていた。
「……」
「わかったよ、先輩。とりあえず、旧神絡みの方はなんとかしておく。
女の子の方はいいのか?」
「……」
「変態さんがいる? だから、大丈夫? なに、それ?」
「……」
 カップルは何かを話していたが、貴明と小牧は恥ずかしくなって、
店から逃げ出してしまっていた。

「いいなぁ……ああいうのって、憧れますよね」
 紅潮してしまった頬を手のひらで押さえて。
「映画か何かの撮影かな。女の人の方はすごく美人だったけど」
「……河野くん。ああいう方が好きなんですか?」
「嫌いじゃないけど。ああいう真似は無理だなあ。人目が気になるし」
「そうですよねえ」
 お互い相手を意識しながら、ギクシャクと帰り道を、貴明と小牧は
歩き続けた。


「烈風。舞い散れっ!」
 音声魔術を使いこなす浄眼の持ち主が魔術を駆使して、カラスでもなく、
モグラでもなく、禿げ鷹でもなく、蟻でもなく、腐乱死体でもない、
翼の生えた生き物の群れを薙ぎ払っていた。
「変態秘奥義っ! 悶絶地獄車っ!」
 ビヤーキーと呼ばれる名状し難き者に仕える眷属の頭を
股間に挟み込んで、アイアウスは空中で激しく真横にスピンしていた。
「八塚っ! 頼むっ!」
 ピィギャアアアアアアアア!
 カギ爪とコウモリの翼が生えた腐乱死体のような、昆虫のような
禿げ頭の生物をアイアウスが地面に向かって撃ち放つと、
「真空。斬り裂けっ!」
 風の精霊と契約を交わした八塚崇乃は、左目から涙をこぼしながら、
蒼い浄眼から涙をこぼしながら、ビヤーキーを切り裂き、消滅させた。
「変態秘奥義っ! 渦巻き蟻地獄っ!」
「烈風。舞い散れっ!」
 筋骨むくつけき変態男と。
 小柄で聡明そうな顔をした男が。
 力を合わせて、異なる世界からやってきた異物を排除していく。
 それは人間にしては奇妙なほど力に満ちていて。
 愚かしいほど、無駄な抵抗ではあった。

「闇の眷属……現出するほどにネクロノミコンの力は強まっているのか?」
「すでに人間の手の中にあるって思った方がいいな」
 肩で息をつきながら、八塚は魔術師としての直感を告げた。
「何故だ? 人の手にあるのであれば、その者はすでに狂っているはず。
なぜ、私の変態感覚に反応しない?」
「相手が変態じゃないからだろ」
「何故だ? 八塚の反応は痛いほど、私の変態感覚に反応しているのに」
「俺を、あんたと一緒にするな」
「……竹刀で叩かれるのが好きなくせに」
「鞭よりはマシ……あっ!?」
 しまったと、八塚の顔が紅潮する。
 アイアウスは意地悪な笑みを顔に被ったパンティ越しに浮かべていた。


 書庫での作業が一段落して。
 応接室で紅茶を煎れてもらった貴明は、ソファーに向かい合って座っている
小牧が自分の方をにらんでいる気がして、居心地が悪い思いをしていた。
『なにか悪いことしたかなあ』
 容疑、小牧をブリーフごと履いて、タカくん時計の針にした。
『そんなに俺が憎いのか?』
 そりゃまあ覚えていたら、背中からサクっといかれても仕方ないと思ふ。
 琥珀色のダージリンを一口。
 そして、
「うおっ!?」
 ペチペチと、両手で左右から自分の頬を数回叩く小牧。
「ど、どしたの、小牧さん……?」
「あ、あのっ!」
「う、うんっ!」
 半分立ち上がりかけて言葉を発する小牧。
 思わず、貴明も立ち上がりそうになってしまう」
「あの……」
「……」
 固唾を飲んで、貴明は小牧の言葉を待つ。
「……もしかして河野くん、女の子苦手だよね?」
「え?」
「ちがった?」
 しばらくの逡巡の後。
 自分で欠点として認識している性格を、貴明は素直に認めた。
「じっ、実はね、あたしも男の人が苦手みたいなの」
 みたいではなく、実際にそうだろう。
 最近、書庫の中では違ってきたが、やはり小牧は貴明が近づきすぎると
緊張してしまい、体が固くなる。
「こっ、これって……人生ものすごく損してるよね!?」
「うん……そう思う」
 雄二のように女の子と、いや、小牧と素直に話せるようになりたいと、
何度思ったことか。
「俺は女の子が苦手で、小牧は男の子が苦手。雄二が、おまえらは
似たもの同士だって言っていたけど、その通りだと思う」
「そそそそ……それで提案なんですが」
 短い舌を震わせて。
 小牧は応接室の扉や窓の鍵が閉められていることをせわしなく瞳を
動かして確認してから。
「苦手……一緒に克服しませんか?」
「克服って?」
「あたしたち、せっかくの大切な時間を、すごく勿体ない過ごし方してると
思うんです」
 あれだけスケジュールを詰め込んでいるのに、小牧は向上心旺盛に提案した。
「このまま生きていけば……末は老衰の上での孤独死。小牧愛佳98歳は、
独居アパートで独り寂しく咳をしながら、介護してくれているボランティアの
方に、歯が抜けた口で語るのです。『独りでもなんとかなるもんだよ。
ヒャッヒャッヒャ』って……」
「孤独死……」
 それはイヤな現実だった。
「河野くんもそう。河野貴明78歳。特別養護老人ホームで、他のおじいちゃんたちが
可愛い子供や孫に囲まれて笑顔でいる中。独り離れて、『わしの人生はなんじゃった
……生まれてきた意味は?』って、哲学するようになっちゃうんです」
「い、いやだよ、そんなのっ!」
「そうでしょうっ! ……はぅ!?」
「うっ!?」
 顔面を突き合わせて、女の子が苦手な男の子と男の子が苦手な女の子は
硬直している。
 ヨロヨロと顔を話して。
「「コホン」」
 真っ赤な顔で咳払いを二つ。
「要するに慣れだと思うんです。河野くんも最初は怖かったけど、
今ではこうして語り合える仲になれましたし」
 恥ずかしいけれども。
 小牧の願いは切実で。
 貴明も自分の欠点の深刻さを実感して、小牧と同じように耳まで真っ赤に
しながらも、彼女の言葉を待っていた。
「お互いに得な話だと思うんです。要するに、異性に慣れるための練習台に
なり合うということで」
 それは突拍子がなくて。
 どこか、とんでもなかったけれども。

 初めて聞く小牧愛佳のワガママだったから。

「小牧がイヤじゃなかったら……俺はいいよ」
「ほ、ほんとですかっ?」
 また、小牧の顔が息が触れんばかりに近づいてきたので、貴明は
後ろにひっくり返りそうになったが、懸命に耐えた。
「も、もちろん。俺の方からお願いしたいぐらいだ」
「そそそそそうですよね。やっぱり独りはイヤですもんね」
「よろしく、小牧さん」
「あっ……はっ……ありがとう…ございます」
 力尽きた笑みを浮かべて、小牧はソファーにもたれかかる。
 それはワガママなんて言ったことがない神様の御使いの、
生まれて初めてのワガママのように思えて、貴明は今更ながら、
自分の返答が正しかったと確信した。
「それでは不束者ですが。今後とも、よろしくお願いします」
「うん……それでさ、小牧」
「はい?」
 ちょっと後ろが上がってしまった小牧の返事にめげず。
「それで、練習台って言っても。具体的に何をすればいいの?」
「……さあ?」
 さあじゃなく。
 そこがキモだろう。
 お互い、相手の発言を待っていたが。
 顔を見合わせて、女の子が苦手な男の子と男の子が苦手な女の子は
硬直している。
 当分、時間がかかりそうだった。


 スプリングフィールド、コルトガバメントV10・フルサイズ・ゴールドモデル。
 金色の拳銃の弾倉を0.5秒でリロードしながら、黒コートの男は
ノンビリと話していた。
「要するに、本のままだと思うから見つからないんですよ」
「変態秘奥義っ! 水上ミラクル・ジェットスキーっ!」
 紫色の蜘蛛の顔面を股間に挟み込み、変態仮面アイアウスは陸上を
水上スキーのように滑っている。
 イボだらけの紫色の体と、剛毛の生えた長い足を痙攣させて。
「グモモモモモモモモモっ!」
「おや、いらっしゃいませ」
 PANG! PANG! PANG!
 教会で洗礼済みの聖弾を三連発、アイアウスの太ももを1センチずれて
頭蓋骨に撃ち込まれたレンの蜘蛛は、ビクビクと震えながら、まだら色の
腹を見せて山の細道にひっくり返った。
「アイアウスさん。聞いていますか? 発想を変えてみましょう。
魔導書ネクロノミコンは人皮で綴られたもの。それは書であるかも
知れないし、巻物であるかもしれないし、ワンコであるかもしれないし、
貧乳のリボンをつけた小娘であるかもしれない」
「フォォオオオオオオオオオ! 貧乳、許すまじっ!」
 PANG! PANG! PANG!
 異常な興奮状態にある変態と意志疎通するのは難しいと思いながらも。
 日本経済の裏情報を知るBeakerは、迫り来る巨大蜘蛛の群れに
有りったけの聖弾を撃ち込み続けていた。
 ツンツンと尖ったBeakerの髪が、銃撃の度に揺れる。


 書庫に入って作業をする。
『苦手意識克服委員会発動』
 たった二人の委員会は、委員ちょである小牧も、副委員ちょである
貴明も、まだ何ら具体的な活動をしていなかった。

 指先でティーカップをいじりながら。
 どうしたらいいのか、わからなくて、女の子が苦手な男の子と
男の子が苦手な女の子は互いにモジモジしている。
「こっ、ここここ小牧っ!」
「ひゃひゃひゃいっ!」
 思わず立ち上がりそうになって、小牧は照れながら頭を掻く。
「えっと……河野くん」
「……うん」
「……たかあきくんって呼ぶのは、どうかな?」
 目の前が真っ赤になった。
 フラつきそうになりながらも。
 かろうじて、貴明はうなずく。
「それじゃ……まなか」
 うつむいて呼んでから、恥ずかしさにKOされかかりながらも
貴明は呼びたくても呼べなかった名前を呼ぶ。
「小牧さ……愛佳?」
「きゅう」
 顔を上げると、ソファーに座ったままで、愛佳が目を回していた。


「魔導書ネクロノミコンは書にして、書にあらず。それは人皮で
綴られたものであり、人の皮を介して、必ず、どこかにある」
 ブリーフの中にある御宝のポジションを修正しながら、アイアウスは
呟いた。
「これ以上は見逃せない。人々を苦しめる悪を僕は許さない」
 傍らに緑髪のメイドロボを立たせた若者が、凛とした顔でうなずく。
「ああ。それは貧乳に勝る悪だ」
 悲しそうな顔で、量産マルチHM−13型は自分の貧相な胸に手を当てた。
「マルチは悪じゃないっ!」
「すまない、セリス。ところで、ここの商品番号No.B00990010200なんか、
君のパートナーにピッタリだと思うのだが」
 オプション名、量産マルチ用巨乳バスト。
 アメリカのアングラ工場で作られた、セリスの美的感覚からは
許されない2メートルサイズのシリコンの塊を、アイアウスは
カタログ片手に、熱心に奨めている。
「ダメっ! マルチは、このまんまで十分に美しいのっ!」
「セリスさま……」
 感動の面持ちで、両目を髪で覆い隠した若者を見つめるマルチ。
「それでは、こっちはどうだっ! 商品番号No.V00770053490は」
「ふっ、ふおお。三段カズノコ蛸壺オプション……かなり、いいかも」
「ええい」
 ゴツンと、本気で怒ったマルチの拳骨が、セリスの後頭部に食いこんだ。


「フォォオオオオオ! 変態秘奥義っ! ドリル・オイナリっ!」
「烈風。舞散れっ!」
 PANG! PANG! PANG!
「忍法、笹目雪っ!」
 変態と特異能力者が眷属たちと死力を尽くして勢力争いを繰り返している頃。
 貴明と愛佳は相変わらず、幸せそうだった。

「まあ、舐めたくなる気持ちはわかる。気持ちだけね」
「いいいいいつも、こんなことしてるわじぇないあ」
 フルーツ牛乳のフタの裏をペロリと舐めてしまった愛佳。
 そんな恥ずかしいところを書庫に入ってきた貴明に見られてしまい、
かなり泡を食っていた。
「ごめん。愛佳の隠れた至福の時を邪魔しちゃったよ」
「ここここうなったら」
「それで殴ったら死ぬから。記憶が消える前に」
 重そうな辞書を持ち上げようとする愛佳を微笑んで止めて。
 気怠い午後を書庫の中で作業しながら、貴明は過ごしていた。


「結果として、眷属たちが現出し始めている以上、魔導書ネクロノミコンが
人の手に渡っているという事態は疑いがない」
 腹から血を流して戦っている変態仮面アイアウスには構わずに、東西は
言葉を続けた。
「原典じゃなかったのが幸いしたね。原典に触れたら、僕でさえ闇に取り込まれ、
闇の子になってしまうよ」
「フォオオオオオオオ!! 変態魔球っ! 分身オイナリっ!」
 七つに分かれたオイナリに潰されて、夜のゴーントが七体、一時に散華した。
「それでも。写本の分際で随分と凶悪だよ。魔女の溜め込んだ魔力を
吸っちゃったかな。それとも、オカルト研の部長の差し金?」
 這い寄る暗黒の眷属と死力を尽くして戦う変態と特異能力者。
 その殺し合いを、どこか楽しそうに、伊勢の神域にこもる東西は遙か遠くから
眺めていた。
 

「ねえねえ、タカく〜ん。たまには一緒に帰ろうよ〜」
 ぐいぐいと小柄な体には似合わない力で貴明の袖を引っ張る、このみ。
「……うふふ。微笑ましいですね」
 全然微笑ましくない、冷ややかな瞳で貴明を見つめているのは、辞書を
腕に抱えた小牧愛佳。
「俺、生徒会の仕事があるから。だから、先に帰って待ってろって」
「む〜。それじゃ、今日は一緒だからね。寝る時も一緒だよ!」
「わかった、わかった」
 このみの両親は月に一度、用事で家を空けることがある。女の子一人では
物騒なので、貴明の家で預かることが通例になっていた。
「ごめん、愛佳……どわあっ!」
 ブウンと、自分の前髪を振り下ろされた辞書が撫でたので、貴明は
後ろに飛び退いた。
「あら? どうしたの、たかあきくん」
「どどどどどうしたの、って……愛佳さん?」
「いくら幼馴染みでも……あたしたちの年齢で一緒に寝るのっておかしいよね?」
 反論を許さない微笑みを浮かべる愛佳に、貴明の顔は引きつっている。
「おかしいです、はい」
「恋人同士なら……それはヘンじゃないけど」
「このみは幼馴染みで、それ以上でも、それ以下でもありませぬ」
「ホント?」
「ホントにホント」
 下手投げで顔面に投げられそうになっていた辞書を避けようとしながら、
貴明は必死に弁明に努める。
 書庫の作業の間でも、愛佳の機嫌はなかなか直らなかった。


「恋人同士って……なにをするんだろ?」
 ナニだろ、と親父ギャグを飛ばしたくなったが、また辞書を振り回される
と厄介なので、書庫の応接室のソファーに座った貴明は、相づちを打つだけだった。
「たかあきくん。柚原このみさんに、そういうことしたことないよね?」
 すでに前歴調査済みですか。
 人間関係を手繰るのが得意だということは、下級生のプロフィールを探るなんて
簡単なことらしくて。
「その……たとえば、キスとか?」
「うん。それは初歩的だよね」
 言ってしまってから、ボっと燃えるように、愛佳は顔を赤くした。
「で、でも……それをやると後戻りできなくなるから」
「う、うん……そうだよね」
 それも実は後戻り。
 しかし、女の子が苦手な男の子と男の子が苦手な女の子は言い出しかねて。
 互いに顔を赤くして、モジモジしている。
「とりあえず手をつなぐことから……」
「はい」
 これぐらいなら何でもない。
「ひゃん! ……あれ?」
 あまり怖くないことに驚いた愛佳は、驚きの瞳で貴明の顔を見ている。
「どうしたの、愛佳?」
「こ、この状態で名前を呼ばれると、ちょっとダメかも」
 いつもより貴明の顔が三倍増しで美形に見えてしまう愛佳は、
頭をくらくらさせている。
「つつつつ次は……抱擁?」
「インポッシブル。無理です」
「そそそそうだよね。うん、今日はここまで」
 貴明は手を離そうとしたが、愛佳は貴明の手をつかんだままで離さない。  
「き、今日のあたしは昨日より一歩前に」
 愛佳は貴明の手をつかんで、怖々と自分の頭の上に、彼の手を置いた。
「こ、こうかな?」
「う、うん。もうちょっと強くてもいい」
 頭を撫でられるなんて、いつ以来だろう。
 目を細めて、気持ちよさそうにしている愛佳。
 このみ以外の女の子の頭を撫でるなんて、久しぶりの貴明。
 気怠い書庫の午後は、穏やかに過ぎていった。


「うおおおぉぉぉっ! 俺が最速だぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
 足の裏のジェットローラーを高速回転させながら駆ける銀色の人型ロボット。
「ようこそ。私のオイナリへ」
「☆■¥%!!! 何故だ! 何故、俺に先周り出来るっ!」
 通算十五回のオイナリ・エアバックの攻撃を喰らい、来栖川モータースで
製造された人型ロボットFENNEKは奇声を上げた。
「速さではなく、全てを包み込む包容力。私のオイナリは、君の顔を
包みこむために今、ここにある」
「いやだぁぁぁぁっ!」
 そらまあ、そうだろう。
 魔女の手先である人型ロボットは、銀色の拳を振り上げて抵抗したが。
「変態秘奥義っ! 連爆オイナリ・エアバックっ!」
「☆■¥%!! 戦闘プログラム停止。退避退避退避退避退避退避退避
退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避
退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避
退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避
退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避
退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避退避……………」
 エラー音が、FENEKの胴体から、際限なく流れ零れていた。
 盛りがついた雄犬のように、FENEKの顔面に激しく、そして切なく
股間を押しつけるアイアウスの奇態を見て、通りがかりのちゃるが
立ったままで気絶していた。


「はい、タカくん」
 なんですか、その山田太郎が食べそうなドカベンは。
「トンカツ弁当。たまには栄養をつけろって、お母さんから」
 朝から脂っこい弁当を手渡されて、貴明は少し迷惑そうだった。

 

「たかあきくん、ちょっといいですか?」
 昼休み。授業が終わるなり、愛佳は席を立って、貴明に話しかけてきた。
「うわ、委員ちょ。随分積極的やん。もしかして、河野がこれ?」
 親指を立てて微笑む女子学生に、愛佳は微笑んでうなずく。
「あちゃ〜。あかん。うち、委員ちょ狙ってたのに」
「それで愛……いや、小牧さん。なに?」
 恥ずかしくなって、一刻も早く教室から逃げ出したい貴明は、
急かすように立ち上がって、愛佳の肩を押して、教室から出て行く。
「おいおい、なんだよ、小牧。おまえ、男が苦手じゃなかったのか?」
 貴明の手に押されている愛佳の肩を、雄二がふざけて叩くと。
「やあん! 向坂くん、やめてくださぁいっ!」
「え? お、俺はダメなの……って、ちょっと待て。なんでみんな、
刺又とか捕縛縄を構えているの?」
「捕らえろ。我らが委員ちょにセクハラをした不埒者を裁判にかける」
「そして、吊るそう」
「鉄棒に吊るそう」
「ちょ、ちょっと待て。おまえら洒落にならな……いやだぁ、ブリブリは
いやだぁぁああああああああ!!」
 ちょっとS属性が入った女子剣道部の部長のところへ、刺又で首を
押さえられ、捕縛縄で手足を絡め取られた雄二が連れられていく。
「あいつ……エムなのかもしれないな」
「たかあきくん。エムってなんですか?」
「愛佳は知らなくていいよ」
 ポフと、貴明の優しい手が愛佳の頭を撫でた。


「お、お、お弁当作ってきたんだけど……一応、手作り」
 このみのトンカツ弁当を取り出そうとしていた貴明は、
可愛らしいピンク色のハンカチで包まれた弁当を見て、嬉しそうに
微笑んだ。
「嬉しい。ありがとう、愛佳」
「……」
 ポウと、垂れた目で愛佳は貴明を見つめている。
「……本当に、たかあきくんが……だったら、心臓止まっちゃうかも」
「え?」
「なななななんでもないですっ! はいっ!」
 小動物的な素早さで弁当箱を開けた愛佳は、卵焼きを箸でつまんで、
貴明の口に向かって差し出す。
「はいっ! ……って?」
「はいっ! はいっ! はいいいいいっ!」
 周囲の学生たちの好奇心の視線が痛い。
 掛け声は下手な中国拳法のようだが、これは立派な『あ〜んして』である。
 それでも。
 一生懸命に作ってくれた愛佳の心に応えるために、貴明は
口を広げた。


「手作りか。そんなもの、ここ十年ほど口にしていない」
 スーパーで特売されていた賞味期限ギリギリの冷凍バーガーを囓りながら、
変態仮面アイアウスは小牧愛佳を見下ろせる位置に座っていた。
 原因はわかっている。
 あの愛されたる乙女が就寝した時間、眷属たちは姿を現す。
 眷属たちは、その姿を見ただけで、心弱き者を狂気の世界へと引きずり込む
存在だけれども。それは針の穴を広げていく砂粒に過ぎない。
 このまま続いていけば、取り返しのつかないものが目を覚ます。

 永久から永久へ。

 深き眠りより邪神が覚めれば、この世界は終焉を迎える。
「魔女。貴女はなにを望んでいるのだ?」
 遙か遠くを見つめながら。
 網タイツを履いた男は、ささやかなる自分の力を呪う。


 書庫の作業に終わりはない。
 愛佳が卒業すれば、次の誰かが作業を続ける。
 そんな気が長い作業の連続。
「魔術書? こんなものまであるの?」
「ダメ、河野くん。古くて紙がボロボロだから、ちゃんと布で包み込んでから
扱って」
 すでに廃部となったが、昔、オカルト研究会というクラブがあって、
そこで集められた蔵書が書庫に納まったらしい。
「なんでも、すごく金持ちの御嬢様がいて、自分のポケットマネーで
買い集めた本らしいけど。中には、本物の魔術書が混ざっているかもしれない
んだって」
 怪奇系が好きらしい愛佳は、楽しそうに古本の束を見下ろして語る。
「本物って?」
「実際に魔物を呼び出したり、人を魅了する呪文が書いてあったり。
でも、お呪いの雑誌にも、そういうのって書いてありますけどね」
 このみ、占い雑誌を定期購入しているけど大丈夫なんだろうかと
思いながら、貴明は作業を続ける。
 大きくふくらんだ愛佳のサブバック。
 今日の御茶請けは、少し豪勢そうだった。


「じゃぁああん……どうしたんですか、たかあきくん。固まっちゃって」
「これって……」
 ソファーに座った貴明の前に置かれているのは、フルーツポンチ用の
大きなグラス。その中にはオレンジジュースと雑多なフルーツが
入れられていた。
 ストローは二本。
 一本は特定の相手だけ苦手でなくなってきた、女の子が苦手な男の子の方を
向いている。 
 一本は特定の相手だけ苦手でなくなってきた、男の子が苦手な女の子の方を
向いている。
「あの……愛佳。これは無理……」
 こんなの、このみ相手にでもしたことがない。
「たかあきくん」
 こんなことまで真面目に頑張ってしまう愛佳のひたむきな眼差しが。
「一緒にがんばろうって言ったよね?」
 潤んだ視線を伴って、貴明を貫いた。

 ちょっとだけ愛佳の方が大胆かも。
 そう思いながら貴明は恐る恐るストローに口をつけて、ジュースを吸う。
「……ぷううう」
 向かい側で同じようにストローをくわえた愛佳。
 なぜか、炭酸でもないのにジュースの水面からは気泡がポコポコと
出ていた。
「ねえ、愛佳」
「……なななななに、たかあきくん」
「これ、吸うもんであって、吹くもんじゃないと思う」
「え? でも、喫茶店で見たら、ポコポコって泡が出ていたよ?」
「それは炭酸だ」
 途端、愛佳の顔が赤くなり、蒼くなり、紫になり、最後には紅に
なった。
「たたたたたたかあきくん、吸っちゃったの?」
「うん、まあ、かなり」
「にゃあああ……」
 貴明は吸っていた。
 愛佳は吹いていた。
 それが何を意味するか悟って、貴明も頭をポコポコ叩きながら
転げ回りたくなった。
「ううう。どんどん深みにはまっていくよぉ」
「それ、俺のセリフ」
 幸せな恋人未満二人の、メープルシロップのように甘い午後が過ぎていく。


 喫茶店の中。
 不幸せなオッサン二人の、脂ぎった午後。
「ふふふふフタナリは、やっぱりいいですねええええ」
 バケツのように大きなグラスにささったストローで、中に入った
ゴーヤ青汁をバキュームのような勢いで明るい緑色の髪をした女顔の
男が吸っている。
「フタナリは好かん」
 パンティ越しに仏頂面をしながら、アイアウスは自分の前に突き刺さっている
ストローから顔を背けていた。
「のののの飲まないんですか、アイアウスさああああん」
 まだドラッグが抜けていないのか、黙って立っていれば美少女と
見まがうかのような美形なのに、隼魔樹は飛んでいた。
「なにか感染しそうだからヤだ」
「あああああたしは感染してもいいいいのにいい。ラブ、それってラブ?」
 隼魔樹はバイセクシャルにして両性具有。
 なおかつ、SでもMでもどっちでもいけちゃう節操なしだった。
 どちらかというと正統派純愛路線な恋愛指向のアイアウスは、
とても迷惑そうな顔をしている。
 敵に回ったら、なるべく飛び道具でやっつけよう。
「ははははい、ああああんして」
「フォオオオオオオオオ!」
 アイアウスが両手クロスガードを上げるよりも早く、青汁まみれの
フルーツを口にくわえた魔樹(まぎ、と読む)の唇が迫ってきた。
 普段は繁盛しているはずの喫茶店。
 なのに、店主を初めとした全員が、店外に逃げ出して、マジゲロを吐いている。


 書庫での作業は、その日の気分任せで進み、予定表のようなものはない。
 分類した書籍を本棚の前に運んでいる今日は、正直、体力に劣る愛佳に出番はない。
 平然とした顔で重い紙の束をカートに積んでいく貴明の姿を、愛佳は口を尖らせて
見ている。
「少しぐらい手伝わせてくれても」
「あたしだって……ちょっとは体力ついたんだから」
 袖をまくり、小さな力こぶを作る愛佳。
 筋肉の塊というよりは白いマシュマロみたいで、とても柔らかそうだった。
「ようやく、持ち上げて体位交換だって出来るようになったし」
「体位? 交換?」
「ええええエッチな意味じゃなくて」
 そんなこと思っていないと貴明は唇を尖らせたが、愛佳はバタバタと手を
振って慌てるだけだ。
「体力って……大事だよね」
「うん。体が資本っていうからね」
「知ってる? ある人が生まれたばかりで病気になって、二十年寝たきりで。
ようやく外を歩けるようになったら、二百メートルばかり歩いてから心臓が
止まっちゃったっていう話」
「……極端だろ、それ」
「でも現実なんだよ。結局、助かったけど。体を支える力がなくなったら、
歩くこともできない。そして、誰も助けて上げられない。暗い病室で
ベッドの上、至らない自分を嘆くだけになっちゃう」
 それは想像なのか。
 それとも、愛佳が知っている現実なのか。
 どうしても後者のように思えてしまって、貴明は口をつぐむ。
「今、メイドロボが発達して、人間用の義手や義足も物凄い速度で
発展している。そのうち、触覚や痛覚まで備えた義手が出てくるように
なるんだって……本当の、自分の手足じゃないけど」
「それでも歩けなくなるよりはいいかな」
「うん。歩くことができれば……きっと世界は広がっていくから」
 今、愛佳は自分の足で立って、俺の横にいるじゃないか。
 そう貴明は言いたかったが、多分、愛佳が言っている者は、
ここにはいない誰かのこと。
 誰だろうと思いながら。
 貴明は愛佳の横顔を見つめていた。


 帰り道。
 手をつなぐことが修行の一部となってしまったようだ。
 周りの女子学生がヒソヒソと話し合い、男子学生はピューと口笛を
吹いているが。
 しかめ面で悲壮感さえ漂わせて歩く貴明と愛佳の二人に、そんな
冷やかしに気づく余裕はない。
「……大分、平気になってきたかな」
「うううん。他の人は怖いけど、それでも問題なしだし」
 墓穴掘ってますし。
 甘い甘い帰り道。

 それを突き崩したのは、
「小牧さん。失礼ですが、館まで御足労を願います」
慇懃無礼に言い放つ、角張ったフレームのロボットだった。

「愛佳……後ろにっ」
「う、うううんっ!」
 プリンセスを守るのがナイトの役目なら。
 愛佳を守るのは貴明の役目である。
「邪魔をしないでください。排除しますよ」
 ロボットが金バサミのようなマニピュレーターを振り上げると、
貴明は学生服の右ポケットに手を突っ込んだ。
 後ろに愛佳がいるけれど。
 嫌われるかもしれないけど。
 でも、守りたいから。
 あの時のように見捨てたくはないから。
「クロス・アウッッツ!」
 学生服とシャツを脱ぎ捨てて。
 愛佳のパンティを顔に被った貴明は宙を飛ぶ。
「ターゲット・ロック。対空射撃を開始します」
 TATATATATATATA!!
 ソーシュと名付けられたサイボーグ兵士の胴体に仕込まれた
機関銃が、ミシンのような軽い音を立てた。

「きゅう」
 目を回して、尻餅を着いている愛佳。
 彼女に跳弾が当たらないように筋肉の城壁になっているのは、
変態仮面アイアウス。同士であるタッカーは、どうにも苦戦して
いるようで、ソーシュとの戦いはなかなか終わる様子を見せなかった。
「香りが薄れたのか……仕方あるまい。許せ、愛されたる乙女よ」
 倒れた愛佳のスカートの中に手を突っ込んで。
 ズリズリと穢れ無き乙女のパンティを爪先から剥いだ
アイアウスは、パンティを宙に向かって投げ上げる。
「タッカーっ! 被り直せっ!」
 ピンク色の、ちょっと大胆な小さめの下着。
 まだホコホコと愛佳の体温を残す小さな魅惑の布を空中に飛び上がって
手につかんだ貴明は、匂いが消えたパンティを脱ぎ捨て、瞬時に被り直す。

 匂いは濃密だった。
「神経が伸びていくのがわかる。自分の知らない自分が目覚めていくのがわかる」
 小牧の匂い。愛佳の臭い。
「臭い? まさか。これは俺が愛する女の馥郁たる香り」
 それを正気の時に言えたら、修行の必要もあるまいに。
 脱ぎたてのパンティの威力は凄まじい。
 それまでの河野貴明は死んだ。
「フォォオオオオオオオ! バーストアアアアアアップっ!」
「ターゲット。熱源の増幅を確認。回避します」
 全身の筋肉を引きちぎり、新たに再生させて。
 隅々まで変態の体として新生したタッカーの前では。
 ジクザク走行で回避運動を続けるソーシュなど、止まって見える標的に
過ぎない。
「変態秘奥義っ! オイナリ・ダァアアアアアアイブっ!!」
「エラー発生。エラー発生。ハッキングを受けている模様。回避不可。
回避不可……ぷぎゃああああああああ!!」
 ヨガの水魚のポーズで墜ちてきた貴明に押しつぶされて、ソーシュが
地下深くまで沈んでいく。
 アイアウスは呆れた顔で、遙か西の方を見つめていた。
「手助けの必要はないぞ、東西。タッカーは一人前の変態仮面だ」
「違うよ。あいつの頭の中身をのぞいていた。魔女の狙いはわかったよ。
どうも、写本をした人物が問題みたいだ」
「ふむ。見当はついた」
「魔女に回収される前に焼いておかないとね」
「そうだな。あの愛されたる乙女の周囲にあるのは間違いがない」
 タッカーが地面から這いだして、自分の学生服を拾い上げるのを
確認してから。
 アイアウスは潜伏先である小牧宅に向かって、走り始めた。
「巨乳分が足りない……気が滅入る」
 愛佳も、愛佳の母親も、その妹も、巨乳分を含有してはいない。


 愛佳を守るのは正しいことだけれど。
 自分の変態性を全肯定してしまうのは、果たして正しいことなのか。
 貴明の煩悶は続く。
 電気もつけないで、独りしゃがみ込んだ夜の自室。
 愛佳の匂いが、まだ鼻孔にこびりついているかのようだった。