To Hentaimask2 <Tamaki-kousaka(1)> 投稿者:AIAUS

 ZZZZZZz……。
 パジャマを着た少年がベッドの上で寝ている。
 少年の名前は河野貴明。この近くの学園に通う、とりたてて特技というものを
持たない帰宅部専属の学生である。
 体は中肉中背。特に運動をしていない体は脂肪でたるんではいないけれども、
筋肉で引き締まっているとも言えない。顔は大人しくて優しそうではあったが、
クラスの女子生徒の注目を浴びるほどでもない。頭脳も愚鈍ではないけれども、
学校で一番の成績を取る教科があるほど特徴があるわけではなかった。
 ZZZZZZz……。
 どこにでもいそうな少年。
 そんな河野貴明は、大学受験を二年後に控えている学生の身分ではあったが、
一人暮らしを強いられていた。
 不幸があったわけではない。
 彼の両親は仕事の都合で海外に赴任しているので、長男であり、一人っ子であり、
受験を控えている河野貴明は必然的に、一人暮らしをすることになった。
 それでも、完全に独りというわけではない。
 柚原家という旧知のお隣さんがあり、その家の家族は長女である柚原このみを
最初として全員、河野貴明に優しくしてくれている。
 学校でも友達はいたし、特に、幼馴染みの向坂雄二とは阿吽の呼吸の仲である。
 ZZZZZZz……。
 そして、今もまた。
 ベッドで眠る少年の部屋の窓が、スッと音もなく開いた。
 二階の外から窓を開けて入ってきたのはドロボウではない。
 顔に布を被っているが、ドロボウではない。
 股間に純白のブリーフ、脚には網タイツ。ゴムチューブを圧縮して詰め込んだ
ような鋼鉄の大胸筋。山脈のごとく盛り上がった黄金の広背筋。アテナ神殿の
柱のごとき極太の大腿筋。
 なによりも特徴的だったのは。
「起きろ、河野貴明」
 男が顔に被っているのは、女物の下着、いわゆるパンティと呼ばれる布だった
ということである。
 筋肉の鎧に覆われた闖入者は、いわゆるヘンタイであった。

 ZZZz……。

 完全に熟睡していたはずの河野貴明の目がパチリと開かれる。
「おはようございます、アイアウスさん」
 上半身だけをベッドから起こして、瞬時に覚醒を迎えた貴明は、唇の端だけを
上げて、薄く笑った。ニヤリ笑い。
「昨夜は遠出してみた。有名温泉旅館の美人四姉妹の逸物だ」
 アイアウスと呼ばれた筋肉ヘンタイ男は、貴明が体の上にかけている掛け布団
の上に、真空パックされたパンティを並べ始めた。
 それは異常な光景。
 しかし、貴明は真剣な顔で、それらのパンティをながめている。
「アイアウスさん。四姉妹……でしたよね?」
 パンティを収納した真空パックの上に貼られているのは着用した女性の写真。
 一本だけ立ったアホ毛が特徴的な、優しい微笑みの女の子。
 オカッパ頭のセーラー服を着た、吊り目の女の子。
 スーツを着た、長い黒髪が美しい、おそらく姉妹の長女であろう女性。
 三枚の写真を指差して、貴明はベッドの上から、アイアウスの顔を見上げている。
「いつもの通り、デカチチちゃんの下着は抜かせてもらった」
「あんたね……」
 少し不満そうな顔をしながらも、貴明は一番自分の好みと合うであろうスーツ姿の
女性の写真が貼られた真空パックを手に取った。それを見て、アイアウスの顔が
固くなる。
「河野貴明。それは鬼パンティ。虎柄でないのが不思議なくらいの危険物だ。
いきなり、それから被るのか?」
「いつまで、俺を初心者扱いするんですか?」
 笑いながら、貴明は真空パックの口を開けて、中に入っていた白パンティを
取り出した。そしてためらうことなく、その布地を鼻に当てる。
 パンティを裏返し、当て布に人差し指と中指を、茂みが当たるところに親指を
当てる礼法にかなった嗅ぎ方は、知らない人が見たら、いや、知っている人が
見ても、完全に変態その物である。
「んっ……人々の上に立つ立場の人物。相当ストレスが溜まっている。現在、
好きな男性がいる……あと……偽善者?」

 偽善者。

 貴明のつぶやきに、アイアウスは満足そうに、平行四辺形の白目を緩ませた。
「パーフェクト。満点だ、タッカー」
 貴明という本名ではなく、戦士の名前を呼んで、賛辞の言葉を贈るアイアウス。
「あえて、つけ加えるのであれば、私が与えたヒント。鬼のパンティであるという
ことに着目して欲しかったが。それは偽善者という言葉の中に含まれているから
目をつぶろう。見事だ」
 二人で親指を立てて笑い合う。
「それで。わざわざ、これほどのパンティを持ってきたということは、また出たの?」
 不敵に笑う貴明に、アイアウスは無言でうなずいた。
「この街から、奴らが消えることはない。それは時の女神の決めた宿命だ」
「では、宿命に従おうよ」
 そして、貴明はためらうことなく、鬼のパンティを、その面に被った。
「ぐあっ!」
 稲妻が脳天を突き抜ける。
「……疲れたあまり、履き替えないで、そのまま翌日オフィスへ出勤した、
妙齢の女性の匂いが……」
 鼻腔から吸収された女性だけが放つことのできる神秘の物質が、貴明の
中に流れる血液の中に、変態的成分を流し込んでいく。
「……なんだ? この残酷な本能は? これが偽善者?」
 余分な情報は削除していく。必要なのはパンティを履いていた人物の
悲しい運命ではない。ただ、その狂おしき匂いのみ。
「……ォオオオオオオオオオオオオオ!!」
 ケダモノの雄叫びが部屋を覆う。
 少年の優しげな澄んだ瞳が逆三角形の、人にあらざる白目に代わり。
 全身の脂肪が筋肉に喰われて、筋が柱のように膨れあがっていく。
 アイアウスよりは若干細身であるが。
「クロス・アウッツっ!」
 パジャマを脱ぎ捨てて、膝を曲げ、珍妙なマッスル・ポーズを取り、
「変態仮面タッカーっ! ここに見参っ!」
叫ぶ姿は、まるっきり変態、変態仮面そのものであった。
 ガラっと喚音一発、窓を開けて。
「フォオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 夜の闇夜の中を、二人の変態仮面が飛び出していく。
 一人は、逆三角形の白目をした変態仮面、タッカー。
 その正体は、どこにでもいそうな平凡で、ホントは女の子が苦手な少年、河野貴明。
 もう一人は、平行四辺形の白目をした変態仮面、アイアウス。
 その正体はまだ不明。
 二人がどこで出会ったか、どのように出会ったか。
 今回の物語で語られることはない。
 何が語られるのかは、この物語を読むものだけが知る。
 


 予鈴が鳴る十五分前。
 学生服姿の連中が集まる校門前で。
「うぃ〜ス!」
 珍しく早起きした雄二が手を上げて、貴明と、このみに挨拶した。
「ユウくん。おはよ〜」
「おはようさん……なんだ、貴明。まだ起きているか寝ているか、わかんねえ
ような顔しやがって」
「えっと……タカくん、朝からずっと、この調子なの」
 このみに袖を引っ張られて歩いている貴明は、物凄く眠たそうな顔をしている。
「んだぁ? おまえ、徹夜でビデオ鑑賞でもしてたんじゃないだろな?」
 エロ笑いをしながら雄二が膝で貴明の腕をつついたが、
「うあ゛〜〜……眠い」
ボヤけた貴明の返事が返ってくるだけで。
「ねえねえ、タカくん。なんのビデオ見たの? このみも見たいよ〜」
 このみにいたっては、雄二の洒落の意味もわかっていなかった。
「でも、ユウくんが早起きなんて珍しいね。なんで?」
 貴明が眠気で惚けているので、このみの興味は雄二へと移る。
「珍しいって言っても、俺、昔はネボスケじゃなかっただろ?」
「え? そだったっけ?」
「そう、だったんだよっ」
「うあ゛〜〜〜」
「貴明。理由を聞いたら、おまえの眠気だって一発で覚めるぜ」
「あえ?」
 このみの頭をシェイカーのように揺さぶりながら、雄二は深呼吸をした
後、はっきりとした声で歩きながら寝ている貴明に告げた。
「今度な。姉貴が、こっちに戻ってくるんだよ」
 貴明の目がパチリと開かれる。怯えた小動物のように、周りをキョロキョロ。
「姉貴? ……まさか、タマ姉じゃないよな」
 希望的観測を告げたが。
「まさかって、俺の姉貴はあいつしかいないだろうが」
「いや、生き別れの姉さんがいるとか。美人で優しくて、御嬢様な姉さん
がいるとか。そういう裏設定はないのか?」
「あるか、バカ」
「ぐああああ……」
 雄二の言葉の意味を現実に認めなければならなくなると、眠気を吹き飛ばされた
貴明は、絶望的な気分になって天を仰いだ。 
 雄二には一歳年上の姉がいる。
、名前は向坂 環(こうさか・たまき)。通称、タマ姉。
 とても女の子とは思えないほど腕っ節が強く、度胸があって、面倒見も
いい姉御肌の彼女は、貴明を初めとする子供達からガキ大将として慕われていた。
 しかし、そうした性格と同時に、ワガママで傍若無人で類を見ないほどの
イタズラ好きである環は、主に、弟の雄二と弟代わりの貴明を、お気に入りの
玩具扱いしていた。
「うあ゛〜〜〜」
 ……それは思い出すだけで、貴明の背中には、じっとりと嫌な汗が流れるほど、
酷い遊ばれ方だった。
 小学校の中ごろ。九条院という大学まで付属の全寮制女子学校へ環が転向した時。
 子供ながら、貴明と雄二はコーラのリングプルを開けて、奴隷解放の日を喜び、
祝杯を挙げたのだが。
 その悪夢の日々が帰ってくる。
「……ところで、いい加減、このみを離してやったらどうだ? 脳みそがゼリーに
なっちまうぞ」
「おっと……いけねえ。おい、チビ助。大丈夫か?」
「だ、大丈夫じゃないよ……ううう」
 目を回してしまったのか、足取りをフラフラさせながらも。
「タマお姉ちゃん、帰ってくるの!?」
 とても、嬉しそうな声を上げて、手を叩いた。
「何故、嬉しがるんだ?」
「え? だって、タマお姉ちゃんだよ? タマお姉ちゃんに会えるんだよ?」

 そうか。
 タマ姉、このみには「実験」とか「冒険浪漫」とかしなかったもんな。

 遠い目で、貴明はいずれ来る恐怖の日々を見つめている。
「この前、会えたのが去年の夏休みだったから、すごく久しぶりだよ」
「物好きな……」
「も〜。タカくん、タマお姉ちゃんと、あんなに仲良しだったのに」
 仲良しというか……。
 主従関係というか。
 ご主人様とペットというか。
 できることなら、タマ姉が墓に入った後で会いたいなあと思いながら、
貴明は雄二の顔を見た。
「「ハァ〜」」
 溜め息が二つ。
「タマお姉ちゃんが帰ってくる。帰ってくるんだ。やた〜!」
「まぁ、転校先は寺女らしいから。昔みたいなことにはならねえと思う」
「そうか……」
 寺女とは、西音寺女子校の略称である。
 貴明の学校の隣の女子校で、お嬢様学校として名前を知られている。
 プロボクシング世界チャンピオン、ベルスティンを3ラウンドでKOに
追い込んだ人類史上最強の女、来須川綾香を輩出した学校でもある。
「まあ、ある意味。タマ姉にはふさわしいかもな」
 できれば、生涯のライバルとか見つけて、俺達から興味を失って
くれたらと、貴明は儚い願いを抱く。
「寺女? もしかしたら一緒の学校かもって思ったのに。ちょっと残念」
「悪いな、貴明」
「……なにを謝る?」
 春だというのに。
 雷の音がピシャリと、空に鳴り響いていた。


 昨夜、変態仮面タッカーこと河野貴明と変態仮面アイアウスは、
変態スタイルのまま外に出て、路上で敵と渡り合っていた。
 アイアウスが戦っていたのは、深夜のコンビニ前。
 山高帽にタキシード、片眼鏡をかけた男は、自分の尻を相手に突き出すような
格好で、顔も相手に向けて、ステッキを構えている。プリプリした黒い尻が、
非常に妖しかった。
 顔にパンティ、股間にブリーフを履いたアイアウスは両手を広げて、
低く構えを取っている。平行四辺形の白目が、非常に妖しかった。
「いやいやいや……まことに楽しゅうございますねえ、アイアウスさま」
「ギャラ。私は手四つで構えている。紳士は礼儀を守るものだと思っていたが?」
「ハハハ。申し訳ありませんが、腕力と変態で貴方に勝てるとは思い上がって
おりませんのでねっ!」
 いかなる手品か幻術か。ギャラと呼ばれた男はバラの花びらを背中一面から
噴き出しながら、軽やかに宙を舞う。それはピエロのようで、軽業師のようで。
 見かけだけは、とても美しかったが。
「ムっ! ホっ! トアっ!」
 バラの嵐に隠れながら突き出されてくるステッキの先を、アイアウスは
手に構えたパンティで受け止め続ける。千変万化に軌道を変化させてくる
ステッキの攻撃に対して、パンティを自由自在に伸び縮みさせることに
よって、ことごとく、その攻撃を防御していた。
「変態だ……」
「変態が二人いる」
 場所はコンビニの前。明るい光に誘われた人肌恋しいヤンキー娘二人が、
呆れた顔で二人の戦いを見守っていた。
「注意っ! 私は変態ではありませんっ! ええい、貴方のせいで
私までがヘンな目にっ!」
「ハハハ。花束は自宅に送らないでくれよ。もう飾るところがない」
「やだー、キモーい」
「あ、でも、あっちのオジさまはちょっと渋いかも」
「え? 本当ですか? ちょっと待って下さいね。今、名刺を出しますから」
 戦いの中で戦いを忘れたギャラが、タキシードの内ポケットをゴソゴソと
探っている間に。
「フォォオオオオオオオオオオオオオ!!」
 バラの花びらを背負って、アイアウスが宙を舞った。
「変態秘奥義っ! 特上オイナリ薔薇風味っ!」
「ふっ、風味って何ですかっ! 私は、そんなものを食したりいたしませんっ!」
 あわてて、紳士ギャラはステッキを構えようとしたのだけれども。
「オジさまっ! 頑張ってっ! 負けるなーっ!」
「はーい。がんばりますよ〜」
 憧憬に描く理想の少女によく似た赤髪の娘に応援されて、ギャラは、
にこやかに手を振る誘惑に勝てなかったものだから。
「おっ、オイナリィイイイイイイイイーっ!」
「その言葉っ! 地獄に堕ちても忘れるなっ!」
 哀れ、変態男のブリーフに顔面を挟まれて、悶絶することになった。
「きゃああああああっ!」
「ちょ、ちょっと! 叫んでないで逃げるわよっ!」
「待ちたまえ」
「ひいっ!」
 股間に挟まれたまま、気絶しているギャラの手から名刺を奪ったアイアウスは、
ピっとカードを指で投げ打って、ヤンキー娘の服の胸元に名刺を投げ入れてみせる。
「紳士から、淑女の貴女に」
 右手を下げて、礼法どおりの会釈をしてから。
「では、さらばだっ! フォォオオオオオオオオ!!」
 アイアウスはギャラを股間に挟んだまま、どこかへ走り去ってしまった。
 ヤンキー娘二人は、ポカンと口を開けたまま、変態二人の姿を見送っている。
「な、なんなのアレ……」
「あっちの仮面のオジさまも、ちょっと格好いいかも……」
「ちょっとアンタっ! 正気に戻りなさいっ!」
「あんっ、ああんっ」
 ビビビと、いかれた相棒の顔を平手で叩くヤンキー娘の意見は、もっともであった。

 一方、変態仮面としては新人である貴明が戦っていたのは、深夜の病院の屋上。
 向かい合う相手は、茶色がかった髪を短く刈り込んだ童顔の美青年。真っ白な
看護婦の服を着ていなかったら、その漆黒の魅惑的な瞳は、通りで女性が
振り返りそうな甘いマスクであった。
 タッタッタッ。
「おまえ、病院から盗んだものを返せっ」
 裸足のまま、筋肉で膨れ上がった脚で円を描くようにして貴明は屋上を走る。
「嫌です。だって、これひとつで数十人の人を殺せるんですよ?」
 厳重に施錠された劇物置き場に置かれているはずの小さな薬瓶を手にして
笑う美青年もまた、貴明から距離を取るようにして、屋上というリングの上を
回っている。深夜、廊下を歩いても音がしないナースサンダルを履いているので、
足音は響かなかった。
「そんなものっ、どうでもいいっ!」
 どうでもいいの?
「神聖な看護服を、男の体臭で汚すなっ!」
 貴明の持っている宝物(エロ本)は、看護婦さんものが多かった。
「フフフ。格好に関しては、あなたに言われたくありません」
 ピタリと足音が止まり、屋上の上で二人の変態が向かい合う。
「……この格好のどこがヘンだ?」
「あなた、正気で言っているんですか?」
 貴明の格好は変態仮面タッカー。すなわち、股間をブリーフ、顔を白パンティで
隠した姿。網タイツこそ履いていないが、その姿も、白い逆三角形の瞳も、
変態じみていて怖かった。
「よし、ちょっと待て。格好を直す」
 ブリーフの裾に両手を入れて、貴明は前屈みになる。
「ちょ、ちょっと待って下さいっ! 着替えなんか持ってないでしょう、あなた」
「そんなもの不要っ!」 
 ブリーフの裾を引っ張り上げて、頭上まで両手を伸ばす。そして、何度も頭上で
両手を交差させて裾をクロスさせて、全身を締め上げていく。
「はいっ!」
 パチンと音が鳴って、股間をチマキのように締め上げて、変態基本技の一つ、
レスリングフォームが完成した。
「……」
 受けなかったかな? と思いながら、貴明が低く構えてジリジリと青年に
向かって、にじり寄っていくと。
「バ、ラ?」
 青年はわけのわからない言葉をつぶやいて、顔を青ざめさせた。
「バラァアアアアアアアアっ! ゆるさぁあああああああんんんっ!」
 どこに隠していたのか、ナース服の胸元からメスを三本、拳の間にはさんで
取り出し、鋭利な刃を貴明に向かって投げつける。
「タァっ!」
 側転三回、時間差を置いて飛んでくる刃を華麗に回避するタッカー。
「うぁあああああああああっ!」
 青年が左手に大事に持っていた小瓶の中の液体が激しく振動を始める。
 青年の名前はイマジネーター。 
 物質転送使いとして恐れられている特異能力者の一人である。
「ぐうっ……ぐぐぐぐぐぐっ」
 数十人を殺せる小瓶の中身が、全て消え失せていた。顔を青ざめさせて
胸を押さえ、苦しそうに貴明はうめく。
「小瓶の中身は全て、あなたの体の中に移した。そのまま悶え苦しんで死ねっ、
赤き薔薇っ!」
 美をこよなく愛する美青年イマジネーターは、筋肉男の裸体を初めとする
薔薇系統のものが大嫌いだった。幼少時、なにかトラウマがあるらしい。
「ぐぐぐぐぐぐ……」
 胸を押さえながらも、タッカーは逆三角形の白目でイマジネーターを
にらみつける。
 ヒュウと。
 冷たい風が吹き、春だというのに周囲の温度が零下に下がったような気がした。
「あなたを……殺します」
「死ぬのは、あなただぁああああっ!」
 メスを振り上げて襲いかかるイマジネーター。だが、それが致命的だった。
 逆立ちからジャンプ一発。開いた足先から太ももを経由して、チマキな股間に
イマジネーターを挟み込み、
「ぐああああああああっ! 薔薇、いやぁああああああっ!」
「変態秘奥義っ! 地獄の急降下オイナリっ!」
そのまま、貴明は病院の屋上から四階下の地面へと飛び降りていく。
「生あったか〜いいいいいいいいいいいいっ!」
 イマジネーターの切ない悲鳴が、夜の病棟の白い壁を叩いていた。


 そんなこんなで。苦手な幼馴染みが帰ってくるとはいえ、眠いものは眠い。
 貴明は夢うつつのままで授業を聞き、昼休みは寝て過ごし、午後の授業中でも
ボーっとしていた。
「河野くん」
 ネムイ。
「河野くぅん」
 ネムイんだってば。
「河野くんってばっ!」
 耳元で誰かが叫んでいる。
「だれ? 小牧?」
「もうホームルーム終わったよぉ」
 面倒見のいいクラス委員ちょに起こされて、貴明は机という名前のベッドから
ノロノロと立ち上がった。あまりに寝ぼけているので、グラリと体が横倒しになる。
「ひゃああ〜〜〜ぁ」
「見ろっ! 委員長が貴明を押し倒しているぞっ!」
「ぎゃ、逆ですっ! あうう〜〜っ! 河野くぅん、お〜も〜い〜っ……キュウ」
 実は体の中に残っていた毒物が貴明の体を苛んでいたいのだが、そんなことを
知らない小牧は気楽に、貴明の下でつぶれている。
 結局、帰った貴明は残ったパンティ二枚を解毒のために費やさなくてはならなかった。



 数日後。
 貴明の家で、電話の音が鳴っている。
 ようやく毒が抜けた目で時計を見ると、朝の十時半。
 日曜日でなければ、あわてて飛び起きて、学校に向かってダッシュしている
はずだが。今日は御機嫌の日曜日。
「く〜……くか〜……」
 お日様の匂いを頭から漂わせて、ベッドの上で、このみは気持ちよさそうに
寝息を立てている。
 電話の音で起こされたら可哀想だよな。
 そう思って、パジャマ姿の貴明はトントンと階段を降りていった。

 受話器を取ると。
「タカ坊〜っ!」
 懐かしいような、あと三十年後くらいに聞きたかったような女性の声が響いた。
「たっ、たっ、タマ姉?」
「うんうん。嬉しがっているのが電話からでもわかるよ。その東西を失った声っ」
 東西を失うとは、困り果てている様子を形容する言葉である。
「ななななんでしょうか、タマ姉」
「あのね。これから、ウチに遊びに来ない? このみも呼んでさ」
「あ〜……今、このみは俺のベッドで寝ているから」
「え? それじゃ、タカ坊だけでもいいからさっ!」
 このみが起きるまで待つという発想はないのだろうか。
「んにゃ。俺も眠いし。また明日っていうのはどう?」
「え〜〜?」
「だから、眠いんだって」
「……タカ坊?」
 少し低くなった声に、貴明の全身がゾワリと総毛立った。
「遊びに来ない?」
「はい。行きますです」
 逆らったらヤヴァいと、本能が告げていた。
 
「このみ〜。タマ姉が呼んでいるぞ」
「んぅ〜……まだ眠いよぉ〜……」
「いかなかったら非道いぞ」
「ヒドくてもいいよぉ〜……」
 貴明は道連れを増やしたかったのだが。
 このみは布団の中へ潜行モードになって、出てこないという意思表示をした。
「それじゃ、いってくるから。鍵は頼むな」
「う〜〜……いってらっしゃ〜〜い……」
 ネボスケ姫を城に置いて。
 戦地に向かう騎士のような悲壮な覚悟で、貴明は向坂邸へと向かった。


 向坂の家は大きい。
 おそらく、この近隣では、これより大きな個人住宅はない。
 旧家と呼ばれるにふさわしい武家屋敷は、勝手に改築できないように
指導が入っているくらいに歴史が古いと噂されていた。
「今時、堀がある家なんてないよなあ」
 下手に壁をよじ登ろうとすれば、瓦に刃物くらいは仕込んでありそうな
厳めしい武家屋敷を前にして、『帰ろっかな〜』という誘惑が貴明の後ろ髪を
引っ張っている。
 雄二のところへ遊びに行くと思えば、ただのダダっ広い屋敷にしか思えないのに。
 タマ姉が待っていると考えると、足取りは重くなった。
 ピンポン。
 呼び鈴を押してみて。
『タカ坊?』
「う、うん、そうだけど」
 広い屋敷から環が飛び出してくるであろう間。
 遠い記憶を、貴明は遡る。

 こどものころはかげんというものがわからない。
 どんなことをしたら、あいてがけがをするのか。
 どんなことをしたら、あいてがじぶんをきらいになるのか。
 どんなことをしたら、あいてがじぶんをすきになってくれるのか。
「や、やめてよぉ。タマねえちゃん!」
 タカぼーは、タマおねえちゃんのおきにいりだった。
「えー? どうしてー? たのしいよ、タカぼー?」
「ぼくはたのしくないよぉ!」
 
 あれは拷問だったのか。
 あれはレイプだったのか。
 あれは虐待だったのか。
 間違っても親愛とか友愛の類ではなかろうと、貴明は不遇であった子供時代を
思い返して、大粒の涙をこぼした。
  
「お待たせーっ! タカ坊ーっ!」
「あ……れ?」 
 両手を広げて、屋敷から嬉しそうに駆けだしてきたのは、貴明には全く
見覚えのない、美しい女の人だった。
「どうかしたの、タカ坊。びっくりした顔して」
「いいいえ、別に……タマ姉?」
「そうよっ! 決まってるじゃないっ! 久しぶりっ、タカ坊っ!」
 丹念に手入れされたであろう長い髪を丁寧に編んで。胸は豊かに膨らみ、
腰は引き締まり、お尻は大きくなった自称タマ姉の胸の中へ、
ギュっと抱き寄せられて。
「むぐぐぐぐ!?」
 顔全体を柔らかくて暖かいマシュマロに包まれてしまい、貴明は
窒息しそうになっていた。

 なんと羨ましい。

 どこか遠くで、誰かがつぶやく。
「ぎゅうううううう! タマ姉、落ち着けぇええええ!!」
「ああん、もう、タカ坊っ! 昔と同じ澄んだ瞳で、昔と同じ笑顔で
……そして何? この究極を思わせる肌触りと感触っ! 放牧が大成功しちゃったの?」
 俺は牛とか馬じゃねえ。
 手足をビクンビクン痙攣させながら、チアノーゼを起こしかけた貴明は
薄れゆく意識の中で、そう思った。

 ズリズリと、脇のところを持って貴明を家の中へ引きずりこむ環。
 虎とか熊とか大型の肉食獣は他の補食者に邪魔されることを嫌って、
険しいところに捕らえた獲物を運んで、イタダキマスをすることが多い。
 今の環の姿は、それによく似ている。
「うふふっ。タカ坊を独り占めなんて。なにからしようかな?」
 なにをするつもりですか?
「お着替えでもいいし、身体検査もいいなあ」
 激しくセクハラです。
「あら? 日本という国家では、女性の男性に対するセクシャルハラスメント、
強姦罪に準強姦罪は成立しないのよ?」
 うああ、確信犯か、この女!?
「知能犯と言いなさい。犯人じゃないから、犯とも呼べないけど」
 外の文との会話は止めて、畳の上に転がされて気絶している貴明の
着ているシャツのボタンを、環は一つ一つ外し始める。
「わっ……筋肉と脂肪の絶妙な配合。肌なんかスベスベ……完璧っ!」
 シャツを脱がせ終わり、ズボンにまで手をかけようとした環。

「オアチャーッ!!」

 その後ろで、漢の怪鳥声が響いた。
「あら、雄二。なんのつもり?」
「貴明から手を離せっ!」
 貴明と同じように上半身ハダカになり、ヌンチャクを構えて、黒ズボン
を履いた雄二は、実の姉に向かって、殺気を放っていた。
「そう。それが何を意味するか、わかって言っているのね」
「鍛えてきたっ! 姉貴に勝つため、俺は鍛えてきたっ!」
 ヒュンヒュンと危険な音を立てて、自由自在にヌンチャク、双節棍を
振り回す雄二の言葉に嘘はない。
「オワタッ!!」
 前構えから振り下ろす頭蓋への一撃。
 金属製のヌンチャクは達人が使わなくても、遠心力で易々と人の頭ぐらい
砕くことができる。
 けれども。
「それで雄二。この玩具が何の意味があるの?」
 貴明の上にのしかかった体を起こしながら、環がわずらわしそうに
片手を動かすと、バキンと固い音を立てて、ヌンチャクはL字型に
折れ曲がってしまった。
「我が姉ながら……人間と戦っているとは思えねえ」
「そうね。あなたがこれから感じる苦痛も、人間が感じるとは思えないほどよ」
 冷たい人外の麗しさを讃えて、環は微笑む。
「電光飛竜拳っ! 俺は今、人を超えて飛竜となるっ! ホアッ!!」
 横構えからフロントステップ、サイドキックを撃つと見せながら、
その実、屈み込んでのショートアッパー。
 間合いの詰め方は完璧。
 けれども。
 軽く片手でアッパーをいなされて、がら空きになった雄二の脇腹に、
「憤っ!」
遠慮なしの双突手が激突する。
「ゲホォ!!」
 障子を突き破り、中庭まで飛んでいく雄二。
「あら? あれで骨も折れていないなんて。鍛えてきたっていうのは
嘘じゃなかったのね。見直したわ、雄二」
「……両の拳は雷雲を切り裂く竜の牙っ!」
 実の姉には使えない。
「両の脚は雷雲を駆け抜ける竜の翼っ!」
 そう思って、死ぬ思いで身につけたけれども封印していた奥義。
「オアタアアアアアアアっ!」
 電光飛竜拳奥義、電光雷神斧。
 雷のごとき瞬時の、居合い抜きの速度に匹敵する飛び蹴りは、
刀のように人間の体を切断しかねない。
 けれども。
 雷の動きを完全に見きって、外側に回り込むようにして体を回転
させた環は、そのままの勢いで膝を雄二の背中に叩き込んだ。
「うげ、ごッ」
「感謝しなさい。そのまま、顔面を砕くこともできたんだから」
「げふ、ぐぅえふっ! ふざけんなぁぁあががががががが!!」
 あろうことか。
「顔面を砕くこともできる。そう言ったわよね」
 片手で雄二の頭蓋骨をつかんだ環は、そのまま空中高くへ
雄二の体を持ち上げて、そのまま締め上げている。
 骨がきしんで、ギリギリとイヤな音を立てた。
「あだだだだだだだだだだだッ!! 割れる割れる割れる割れる割れるっ!!」
「たっ……タマ姉だ。あんた、タマ姉だっ」
「あら、起きたの、タカ坊っ!」
 ポイっと、得意技のアイアンクローでつかんでいた雄二を中庭の池に
投げ捨てて。また、お姉さんハグをタカ坊に掛けに、タマ姉は駆け出していく。
「うばばばばばばっ!」
 目の前を包むピンク色の香りと感触に、貴明は失神しそうになっていた。
「タカ坊っ! うわ〜、タカ坊だっ! 本当にタカ坊だよっ! んふふふ〜」
 鼻を貴明の髪にこすりつけて、犬のように環はフンフンと鼻を鳴らす。
「タカ坊の匂い……胸に吸いつくようなフィット感……ああ、エクスタスィイイイ!!」
「タ……タマ姉ェ……イキ、デキナ、イ」
 環の胸をポヨンポヨンと叩き、必死に貴明は窮状を宣言しているが。
「ああん。もっとしてもいいよ? タカ坊、かわい〜っ!」
 死ニマス、死ニマス。

 こどものころはかげんというものがわからない。
 どんなことをしたら、あいてがけがをするのか。
 どんなことをしたら、あいてがじぶんをきらいになるのか。
 どんなことをしたら、あいてがじぶんをすきになってくれるのか。

 多分、環は変わっていない。
 体型と体力だけパワーアップして、本質は何も変わっていない。
 雄二と貴明が恐れていた、タマ姉のままだった。

 じゃれつく池の鯉と一緒に泳ぎながら。
「あ〜ぁ、貴明の奴。姉貴にキャプチャーされてやんの」
 できれば助けてやりたかったが。
「へっくしゅんっ!」
 それよりも風呂に入って着替えるのが先だと、雄二は池から這い出ていた。


 公園の溜め池から這い出た変態男アイアウスは、怒りに体を震わせていた。
「貴様っ! なんという真似をするんだっ!」
「はあ? 俺、あなたが怒るようなこと、なにかしましたっけ?」
「匂いが消えてしまうではないかっ!」
 アイアウスが怒っている相手は、アイアウスよりも随分若かった。
 髪は真ん中から分けられていて、少しだけ茶色に染められていた。人なつっこそうな
顔は女性受けする甘さを備えていて、体型は少し筋肉質。四角い、教師がかける
ような眼鏡をかけているが、襟の第一ボタンを外した詰め襟の学生服を着ているので、
全体的には遊んでいるようにも見える。
「取り返すのが目的ですから。臭いが消えたら、返してくれるんでしょ?」
 手にしたバレーボールをポンポンと地面につきながら、少年は笑う。
「待て、城下和樹。私が貴様の幼馴染みの下着を盗んだのは不幸な偶然で、
狙って盗んだわけではない」
「わかってます。あなたがパンティを盗まないと生きていけないことぐらい。
だけど、それとこれとは話が別だ。殺されたくなかったら、さっさと返せ」
 アイアウスの手に握られているのは、城下和樹の幼馴染みである少女のパンティ。
ちょっと大胆に、薄物のピンクだった。
「城下和樹。間違った使い方をしないと言うなら、私は大人しく返そうと思う」
「男が、女の下着をどうやって正しく使うって言うんだよ」
 チリチリチリチリチリチリチリ……。
 怒っている和樹は、再びアイアウスに向かって、相手の体の自由を奪って操り人形に
してしまう特殊な脳波を飛ばそうとしたが。
「そうだな。まずは顔に被る。これは外せない」
「……誰がするかっ!」
「嗅いで、相手の体臭を満喫する。なるほど。確かに、その意味では、私よりも
城下和樹。貴様こそ、このパンティの持ち主にふさわしい」
「はあっ? ……ちょっと待てっ! 確かに返せとは言ったけど、生で渡そうと
するなっ! それ、他人が履いた下着だろうがっ!」
「違うな、城下和樹。これは今から、ベロベロしたりゴシゴシしたりガジガジしたり
する、おまえだけの宝物だ」
「うぎゃああああああああっ!」
 股間のブリーフを水に濡らしたままで近寄ってくる変態仮面の変態ぶりに
耐えきれず、城下和樹は背中を向けて逃げようとしたが。
「べっ、ベロベロ……ゴシゴシ……ガジガジって……」
「みっ、水原っ!?」
 後ろで、幼馴染みの少女が顔を石像のように硬直させて自分を呆然とした顔で
見つめていたので、和樹は立ち止まってしまった。
「ひどいよぉ、城下君。あたし、君のこと信じていたのに……」
「ひどくないっ! 俺は何もやっていないっ! 信じてくれ、水原っ!」
 必死に弁明する和樹の頭へ、まるで上質の帽子であるかのように、
「変態秘技。パンティ戴冠式」
水原のパンティを被せてしまったので。
「やああああああっ! かずきちゃんの馬鹿ぁああああああああっ!」
「待ってくれええっ! ゆかりちゃああああああああああああんっ!」
 青春まっただ中の少女とパンティを頭に被った少年の姿を背に。
「……貧乳だったか。お宝ゲットの前に、事前調査をするべきだったな」
 次に脱衣場に忍び込む時はもっと気を付けようと、アイアウスは心に誓った。