To Hentaimask2 <Tamaki-kousaka(2)> 投稿者:AIAUS

 ピピピピ! ピピピピ!

 うるさい……。
 ……もう、朝なのか?

 布団の中から手を伸ばして、パジャマ姿の河野貴明は目覚まし時計の
スイッチを押した。

 フニョン。

 まだ眠いけれども……フニョン?
 なんだろう。この暖かくて、妙に柔らかく、懐かしいような感触は。
 フニョン、フニョン。

「なに……これ?」
 嫌なデジャブを感じて、貴明は目を開くことができない。
 フニョン、フニョン。

 その柔らかいものは、前に触った汚物よりも何だか大きくて、優しい感触だった。
 フニョン、フニョン。
 いつまでも触っていたいような……。

「コラっ! タカ坊っ! いつまで触っているのっ!」
「……えっ!?」
 ガバっと、貴明は体を起こす。
「たたたたタマ姉っ! なんで、俺の部屋にいるんだっ!」
「おはよ」
「質問に応えてくれっ!」
 もしも手にベレッタがあったら、安全装置を外して、環にフリーズを
命令できるのに。治安国家である日本の安全思想が、今の貴明には呪わしかった。
「鍵を開けて玄関から。鍵は、このみからね。お目付役の仕事、今日は
オヤスミするみたいよ」
 な、なんて役立たずでプリティお目付役なんだ。
 アスホールと隣りの自宅で爆睡しているであろう、このみに毒づきながら、
貴明は、目の前の環を警戒した顔で見ている。
「ところでタカ坊」
「な、なんだよ」
 男の子は男の子なりに精一杯に強がっていたが、やはり、タマ姉は
苦手なままで体だけ大きくなってしまったので。
「これ、な〜んだ?」
「俺のベスト・セレクション」
 悪戯っぽく微笑んで環が目の前に出した看護婦さんのエッチ本に対して、
貴明は真顔で応えた。
「……ねえ、タカ坊」
「な、なんだよ」
 突然。
 ビリビリと音を立てて、貴明が大事にしていた無修正本が紙くずに
変わっていった。
 無惨。
「なんてことを……タマ姉。なんてことをするんだ」
 涙すらも流れなくて。
 中学生の頃から苦楽を共にした『白衣のパラダイス』の死を、貴明は嘆き悲しんだ。
「いらないでしょ、こんなの」
「なんでだよ……」
 クイクイ、と、環は自分の顔を指差した。
 暗に、「私が帰って来たんだから必要ない」と主張している。
「じゃあ〜〜ん。ほら、私の写真集。タカ坊のために製本したんだから」
 渡された本をパラパラとめくると。

・貴明にビニール紐をくわえさせてソリ代わりにし、草原を駆け下りる笑顔の環様
(幼稚園の頃)
・ズボンを剥いだ貴明のお尻をシゲシゲと眺めて、予防接種の跡を確認している環様
(小学生の頃)
・定規を持って、泣いている貴明のウインナーがどこまで伸びるか測定している環様
(小学生の頃)
・背後にハート型になった瞳の女子学生を後ろに連ねて、学校を闊歩している環様
(中学生の頃)

 などの、まったくエロ要素のない環の健全な写真が、貴明だけは健全でない写真が、
製本されたアルバムの中に、たくさんたくさん飾ってあった。
「ここここ、これで、どうやってオカズにしろと言うのだっ!」
「オカズ?」
「やあ、なんでもないです、ハニー」
 タマ姉に言っても仕方がないと、貴明はうなだれた。
 元々、相手のことを理解して、どうこうするような人ではないのだ。
 ここは黙って従うしかない。
「ほら、これから買い物に行くわよ。このみも一緒に連れて。ほら、はやく着替えて」
「あ〜い」
 言われるままにシャツを脱ごうとして、貴明は手を止める。
「出て行ってよ、タマ姉」
「どうして?」
 ベッドの上に座って、環は平然と貴明の着替えを観察していた。
「どうして、じゃなく。着替えるから。見られると恥ずかしいだろ」
「どうして?」
「……本気で言っているの?」
 貴明の背中に、冷たい汗が流れる。
 部屋から出て着替えようと貴明は扉に近づいたが、それよりも
早く、野生動物のような動きで、環は貴明の前に回り込んだ。
「ふふ〜、照れなくてもいいのに。タマお姉ちゃんは、タカ坊のことは
何でも知っているんだから」
 朝のキリタンポが、どこまで大きくなるかは知るまい。
「……は? いや、あのねタマ姉」
 タマ姉の笑顔が、優しいものから獣が獲物を捕まえる時の笑みに
変わったことに気づいて、貴明の背中に鳥肌が立った。
「ぐああああああああああっ! パンツはノォオオオオオオオオオ!」
「タカく〜んっ! タマお姉ちゃ〜んっ!」
 無邪気な顔で、このみが部屋に闖入してくれなかったら。
 最後の牙城まで、向坂環によって崩されるところだった。



 映画とか漫画とかで、女の後ろを買い物荷物を山のように抱えて
歩く男の姿が描かれることがあるけれど。
 まさか、自分がやることになるとは思わなかったと、貴明は
嘆息していた。
 ドサッ!
「これもお願い」
 容赦なく、デパートの商品棚に並ぶ商品を貴明が抱えている
荷物の上に載せる環。搭載量は完全にオーバーしていた。
「これ、タマ姉には小さすぎないか?」
「いいのよ。それは、このみのなんだから」
「タマお姉ちゃん。私のはいいよぉ」
 環が貴明の腕の上に載せたのは、夏用のサマーセーターだった。
 結構な値段がするけれども、お小遣いの額が庶民である貴明や、このみとは
違うのか、環はポンポンと貴明の荷物を増やしていく。
「ねえ、タマお姉ちゃん。本当にいいってば」
「どうして? このみが着ている姿を私が見たいだけなのに」
 このみの好みとかは気にしない。
 向坂環は昔と変わらず傍若無人だった。
「タマお姉ちゃん……昔の服とか捨てずに持ってる?」
 おずおずと遠慮がちに、このみは環に告げる。
「部屋を探せば出てくると思うけど。どうして?」
「……このみ、タマお姉ちゃんみたいになりたいから。だから、タマお姉ちゃんの
昔の服が着たいよ」
 このみの好みは、タマお姉ちゃんだった。
「ん〜。かわいいなあ、このみは」
「んくっ……いいの、タマお姉ちゃん?」
 あんまり可愛いので、環はギュっと、このみを抱き締めている。
「うんうん。家の中を総ざらいして、ある分、全部このみにあげちゃう。
雄二やタカ坊は着てくれなかったし」
「着るか。あの時、邪魔なものがあるって、ハサミを持っていたじゃないか」
「邪魔って?」
 不思議そうな顔で、このみはタマ姉と貴明の顔を交互に見上げる。
「ウインナー」
「キリタンポ」
 環は見たままを、貴明は男の矜持を、その口に語った。
「ところでさ。タカ坊って何色が好き?」
「赤だな。赤は三倍増し。男の最強の色だ」
 設定によっては、三割増しに抑えられたりする。
「んじゃ、やたらにエロエロな、この下着が好きなんだ」
 環が手に持ってヒラヒラさせているのは、赤い女物パンティ。
「なに!?」
 貴明はあわてて、辺りを見回す。
 色とりどりの小さな布きれで埋め尽くされたエリア。
「タ、タカくん……こういうのが好きなんだ……」
「それじゃ、これは、このみ用ということで」
「このみは履かないよぉ〜」
「私が、タカ坊にパンツを見せるわけにはいかないから」
「このみも見せてないよっ!」
「いっつも見せているじゃない。タカ坊、こっそり見てたんだから」
「いつの話をしてんだよ〜」
 今も、がっつり見ていることは、貴明は告げなかった。


「ふむ。春の新作か……これもいいなあ」
 グンゼの白ブリーフを数枚手に取って、顔はパンティ、股間はブリーフで
隠した変態男アイアウスは、自分の数少ない着衣の一つである下着を
真剣な顔で選んでいる。
 他の男性たちが、遠巻きに引き締まった尻を見て、嫌そうな顔をしていた。
「あの……他の人達が迷惑していますから。何か着てもらえませんか?」
「ふむ。ご要望に従おう」
「着てって言っているのに、なんで脱ぐんですかっ!」
 自分に注意してきたツブラな瞳の学生のリクエストにお答えして、
アイアウスは履いていた網タイツを床に寝そべって、ちょっとだけよんの
ポーズで脱ごうとしたが、学生が怒った顔で止めた。
「私は暑がりなんだ、佐藤昌斗」
「裸族でも、もうちょっとマシな格好してま……なんで、ボクの名前を
知っているんですか?」
「変態パワーを持つ者同士のスピリットを介してだ」
「なっ! アイアウスさんっ! ……ボクは変態じゃないっ!」
 初対面の男の名前がなぜかわかった昌斗は、そのことにも気づかないままで
叫ぶ。
「まずは邪道なトランクスを脱ぎ去り、ブリーフを履いてから語れ、佐藤昌斗」
「やっ、やめろ……近寄るな……」
「貴様は今から虎に、変態仮面マッサーになるのだ」
 近くの小学生な女の子から強奪したパンティを手に、アイアウスは
近寄ってくる。
「貴様の趣味に合わせてみた」
「うわああああああああああああああああああああっ! こっ、このピッタリと
したフィット感は……」
「あ、すいません、警備員さん。ここに痴漢がいますよ?」
 後日。
 警察の留置場で目を覚ました佐藤昌斗は、こう語っている。

 ボクは……ロリコンじゃない。

 カツ丼の前での自白は、信用してもらえなかった。


 

 それは地獄の二週間であったと、河野貴明は虚ろな目で語った。

 他の同級生は、うららかに過ぎていく春の日を穏やかに過ごしていたというのに。
 貴明は環によって休む暇もなく、何かを手伝わされ、どこかに遊びに行かされ、
夜討ち朝駆けの様子で、自分の意見など一切聞き入れられることなく、二週間、
引っかき回されっ放しであった。

「起きなさい、タカ坊。いつまで寝ているの?」
「タマ姉……鍵を掛けていたのに、どうやって中に入った?」
「おはよ〜、タカくん」
「このみっ! おまえ、あれだけタマ姉に鍵を貸すなって言っておいたのにっ!」
「私の命令と貴明の命令。このみは、どっちを優先させるの?」
「それはタマお姉ちゃんの方でありますよ」
 ビシリと敬礼しながら、このみは笑顔で貴明を裏切る。 
「なるほど。俺が上等兵で、このみが二等兵なら、タマ姉は提督ぐらいかよ」
「そうよ。当たり前じゃない」
「うんっ」
「……」
 現実はかくも、残酷であった。

「なあ、兄弟……俺たち、高校生だよな?」
「そのはずだけどな」
「それじゃなんで。爺さん、ばあさんに混じって、春のうららに囲碁なんかやらなきゃ
なんねえんだ?」
「知るか。タマ姉が、たまには、お年寄りに付き合いなさい、なんて言うからだろ」
「兄弟。わしゃあ、若い娘っ子の方が好きなんじゃよぉ〜」
「雄二。爺さん達に口調うつされている。あとな」
「どうしたんじゃ、兄弟? 腰が痛いんか?」
「俺を兄弟って呼ぶな」
「なにを言っとるんじゃ。わしら、死ぬまで、あのババアにこき使われる運命共同体
じゃ、うペっ!」
「キジも鳴かずば撃たれまいに……」
 一歳だけ年上の姉をババア扱いした雄二の後頭部に、碁盤がぶち当たっていた。

「なあ、兄弟……俺、確かに若い娘っ子が好きだって言ったけどさ」
「ああ、言っていたな」
「俺、ロリ属性はないし、当分、目覚める予定もないんだよ」
「いいから目を離すな……こらこら、そっち行ったらダメだよ。ブーブー来て、
危ないよー」
「貴明……そうか。ロリに目覚めれば、姉貴に喰われる運命から逃れ、げえええっ!」
 顔面を片手でクローしての『高い高い』を見て、男の子が不思議そうな顔をしている。
「ねえねえ、お兄ちゃん。あれ、なんていう遊び?」
「んー? ああいうのはね。大人になってから遊ぼうね」
「大人になっても、ボクやりたくない」
「そうだね〜。関わらなければ、それに越したことはないよ〜」
 まったくである。

「骨董市……姉貴のババア趣味は今に始まったことじゃないが」
「こういうのは別にいいんじゃないか? あ、あそこの壺、なかなかいいな
……うげえ、高すぎる。やっぱり、いいもんって高いなあ」
「わかるの? それじゃ買ってあげよっか、タカ坊?」
「いっ、いいよ。これ、俺の小遣いの一年分くらいするじゃないか」
「いいわよ。それなら、雄二の小遣いを一年分削るから」
「……あっ、ありがとう、タマ姉っ!」
「ありがとうじゃねえええええ! こっ、こら、姉貴。買おうとするんじゃないっ!
緒方理奈の写真集が来月発売なんだぁあああっ!」

「姉貴っ! なんて真似しやがるんだっ!」
「どうしてよ。ちょっと服を借りただけじゃない」
「……雄二。俺、今、おまえに殺意を感じているよ」
「おまえ、秘蔵のメイド服を奪われた俺を、さらに傷つけようっていうのかっ」
「実際に着せられて、『今日のタカ坊は、ずっと私のメイドさん』って、
お茶とか出させられている俺の気持ち、汲んでみたことあるか?」
「なんでよ。こんなに可愛いのに」
「私はタカくん、可愛いと思うけどなあ……ところで、ユウくん」
「なんだよ。俺は今、猛烈に機嫌が悪いんだ、チビ助」
「なんで、可愛いメイドさんの服なのに、タカくんに入る大きさなの?」
「……着せる相手がいなかったから。せめて自分で……」
「ユウくん。それって変態さんだよ?」
「言うな。似合わないって、着てみて、よくわかったさ」
 ちなみに、メイド服の値段は三万四千円であった。

「なあ、貴明。俺たちって、いつ自由になれるのかな?」
「おい、雄二。俺はこっち。それは信楽焼のタヌキ」
「こんなに顔がふくれあがっちまって……可哀想になあ」
「それはタヌキのオイナリさん。ほら……タマ姉が呼んでるぞ」
「……いっ、いやだああああああっ! 俺は自由だああああああっ!」
「自由か……かつて、そういう時代もあったな。あれは平和の幻想が
垣間見せた、わずかな奇跡の瞬きか」
 空を見上げて、貴明はそっと涙をぬぐう。
 今年の春休みは、とても長かった。


「やあああ! タカくん、このみは食べ物じゃないよぉっ!」
「ニク、ウマ、ウマ」
「もうっ。このみばっかりずるいわよ。ほら、タカ坊。私にもガブガブしなさい」
「……すごい。ゾンビみたいだったのに、タカくん、すっごく速く逃げて……
でも、タマお姉ちゃんの方が速いみたい」
「なあ、このみさんや。飯はまだですかいのう?」
「ユウくん。ぼけたフリしても、タマお姉ちゃんは見逃してくれないと思うよ?」
「なあ、このみさんや。飯はまだですかいのう?」
「……えへへ。このみ、お舅さんの世話はまだ早いと思うんだけどなあ」
「なあ、このみさんや。飯はまだですかいのう?」


 向坂邸の中庭で舞い落ちる桜の花びら。
「ふわあああ。綺麗だねえ、タマお姉ちゃん」
「そうでしょう。ここの桜は、九条院に行っても毎年、眺めに帰ってきていた
ぐらいなんだから」
 へたばってゴザの上に倒れている男二人を差し置いて、このみと環は
楽しそうに花見をしている。
「なあ、雄二……生きてるか?」
「多分な……くそう。あいつら、絶対に人間と違う生物だ」
「このみが元気なのは知っていたけど……タマ姉って、あんなにタフだったか?」
「タフとか、そういう次元じゃねえ。俺、姉貴が汗とか流しているところを
見たことねえんだからな」
「人外か」
「人外だ」
 青空に舞い散る桜吹雪。泣けてくるくらい、景色は美しかった。
「なぁ、貴明……俺たち、ずっと姉貴にこき使われて、人生終わるのかな?」
「一緒にするな。俺は逃げる。逃げて、自由になってみせる」
「そうだなあ。なれたらいいって、俺も願っているよ」
 半分あきらめながらも。
 明日から学校が始まって、タマ姉から解放される日が来ることが決まっていたので。
 貴明はまだ、雄二よりは元気でいられることができた。
「ほら、二人とも。せっかくの花見なんだから。疲れた顔をしていないで、
羽目を外しなさい」
 誰のために疲れているんだと思いながらも。
 青空に舞い散る桜吹雪は、とても美しくて。
 これからやってくる春に、貴明はどこか嬉しさを感じていた。


 入学式、始業式当日。
 朝の支度を終えて。
 家の外で、このみを待とうと貴明が玄関扉のドアノブに手を回した時。
 玄関の呼び鈴が鳴った。
「おはよう。このみか?」
「う、うん。タカくん、おはよう」
 鍵を開けると、いつものように、このみが両足をそろえて、ピョコンと
中に……入って来なかった。
「なにしてんだよ、このみ」
 自分から出て行こうとすると、このみは扉に手を当てて、貴明を外に
出させようとはしない。
「なにしてんだよ、このみ」
 もう一度、貴明が聞くと。
「あ、あのね……笑わない?」
 なにかを怖がるように、このみは小さく開けられた扉の脇から顔を出して、
貴明に問うた。
「何を?」
「んと……とにかく笑わない?」
「だから何を?」
「どうしてでもいいから」
「変なこと言うなあ。別に笑ったりしないって」
「う、うん……それじゃあ、ホントに笑わないでね」
 おろし立てのカバンを両手で下げて。
 貴明の家の玄関に、おずおずと入って来たのは。
「……」
 貴明の学園の制服、桜色のセーラー服を着た、どこか違う、このみだった。
「可愛いな。よく似合うよ」
 お世辞抜きで、そんな言葉が口をついて出る。
「ホ、ホント?」
「嘘じゃないよ」
「えへ〜。タカくんに誉めてもらっちゃった。うれし〜」
 クルクルと回り、喜びを表現する姿は、間違いなく、幼馴染みのこのみ。
 いつもとは、ちょっと違った朝だったけれど。
「それじゃ行くか」
「うんっ!」
 いつも以上に、穏やかと思える朝だった。


 入学式の朝。
 そう、このみが入学するせいなんだろうけど……服だけでこんなに
イメージが変わるなんて思わなかった。
「♪〜」
 機嫌良さそうに鼻歌を歌う、このみの横で。
 貴明は呆然と、空を見上げていた。
 いや、正確には、見上げているのは、登校途中にある階段の上。
 桜の華が舞い散る中で。
 桜色のセーラー服を着た彼女が、凛とした姿勢で、貴明を待ち受けていた。

「遅いわよ、タカ坊」
 八面玲瓏。
 どこから見ても隙のない姿で立っていたのは、貴明の苦手とするタマ姉だった。

「な、なんで……タマ姉が……ウチの制服を着ている?」
「そりゃ、今日から、タカ坊の学校に通うことになったからに決まっているじゃない」
「な、なんで? 寺女に行くんじゃなかったの?」
 ギギギと油の足りないブリキの玩具のように首を動かして、貴明は環の後ろに立つ
雄二の顔を見上げる。
「ワリィ」
「悪いよ、そりゃ! 人間にはやっていいことと悪いことがあるだろっ!」
 片手だけで謝る雄二に、貴明は階段を駆け上がって怒鳴ったが。
「あら? 私と一緒はイヤ?」
 タマ姉がスッと目を細めたので、貴明はそれ以上、なにも言えなくなってしまった。
「そんなこと……ないわよね?」
 アルトコタエタラ、シンジャウノカナア。
 ギギギと油の足りないブリキの玩具のように首をうごかして、貴明はうなずく。
「よろしい。タカ坊はタマお姉ちゃんラブラブ〜じゃないとね」
 ラブラブって、戦々恐々の同義語だったかなあ。
 貴明が、そう思っていた頃。
 タタタッ――
 このみも階段を駆け上がって、環の胸に飛び込んだ。
「うれしい。タマお姉ちゃんも一緒なんだ〜」
「そうよ。ほら、タカ坊。これが正しい反応なんだから」
 そう言って、環は、このみの髪をナデナデしてやりながら、貴明に向かって、
「貴様も来い」と手招きしたが、貴明は動かなかった。
 だれが好んで、死国に行くものか。
「タカくんもユウくんも、タマお姉ちゃんも一緒なんだ。うわ〜。すっごく
うれしいよ〜」
 環の胸に顔を埋めて、スリスリと頬を擦り寄せる、このみ。
「ありがと、このみ。私も嬉しいわ」
 このみの小さな体を、環が強く抱きしめる。
「タマお姉ちゃん、すごくいい香りがする……」
 そう言う、このみの表情は夢見心地。
「我が姉のことだけど……エロくねえ? ポンげっ!」
 思わずつぶやいてしまった雄二の顔面に、環の肘打ちが飛んだ。

 学年が変わり。
 このみが入学することは楽しみに思っていたけど。
 なんで、タマ姉まで……。
 森の小動物タカアキは、絶望を胸に抱きながらも。
「まあ、仕方がないか」
 やって来た春を、心のどこかで歓迎していた。


「また、同じクラスか」
「腐れ縁も、ここまで来ると。発酵して糸を引いていそうだよな」
 小学校の時から、ずっと同じクラス。
 奇妙な縁で結ばれた貴明と雄二は、帰り道も一緒に歩いていた。
「ん、ん〜。春だよなあ」
「そうだなあ。桜がきれいだよなあ……うげ!?」
「あん……チっ! 先回りのつもりかよ」
 悲鳴と舌打ちをして、貴明と雄二は校門から離れようとしたが。
「あら? あなた達も帰りなの? 奇遇ね」
 このみと一緒に待っていた環が、二人を呼び止めた。
「ウッス! 向坂さんっ! お先に失礼するっス!」
 空手部の主将に軽く手を振りながら、環は奴隷二人が走り寄ってくるのを
待ちかまえている。
「相変わらず、か……」
「相変わらずなんだよ、困ったことにっ!」
 溜め息が二つ。諦め顔で、貴明と雄二は、お姉様に従うことにした。


「今日はコミぱの女王様のパンティにしてみた。修羅場開けで寝ているところを
剥いだレア品だ」
「……どうせ貧乳なんでしょ?」
「惜しむらくは」
 自分は長い黒髪の少女のパンティを髪に被って、アイアウスはうなずく。
「ふむ。女所帯だからと数日徹夜した少女の匂いはたまらん。ベリグゥ」
 食欲(?)をうながしたつもりであったが、貴明はベッドに腰掛けたまま、
夜の戸張の中で落ち込んだ顔をしていた。
「どうした、貴明。貧乳が嫌なら、ほら、コスプレな少女のパンティもあるぞ?」
 家に戻ってから楽しもうと思っていた青い縞パンを貴明の前でヒラヒラと振って
魅せたが、タッカーは釣れなかった。
「はぁ……」
 溜め息が一つ。
「実は悩みがあってさ。こんなことしていていいのかなぁって」
「正義を貫くことが不満か?」
「そうじゃなくて……」
 ツラツラと、貴明は苦手な年上の幼馴染みのことについて、話し始めた。
 太い腕を組み、黙って、アイアウスは聞いている。
「悩むことはない。そのまま彼女を受け入れてやればいいだけのことだ」
「無理っス」
「自分の性癖を肯定し、前に倒れながら進む。それが変態の道」
 変態の話してんじゃないんだけどなあ、と思いながらも、貴明は会話を中断
させるため、同人少女のパンティを自分の鼻に当てた。
「こっ、これは……きついね、かなり」
「ふふん。タンポンも怖くて使えない乙女の香りだ」
 ……二人とも最低である。
 今日もまた二人の変態仮面が、夜の空に舞い上がる。


 迫り来るは銃弾とビーム・トンファー。
「フォォオオオオオオオオオオ!」
「Beakerマスターっ! 横、頼みますっ!」
 沙留斗の左耳1センチ横をかすめるようにして、銃弾が飛んでくる。
 黒いマントをたなびかせながら、沙留斗は両手に持った光輝くトンファーを
自由自在に振り回して、股間をブリーフ、顔を青のストライプ・パンティで
隠した変態男アイアウスに襲いかかっていた。
「チっ! 抗魔弾が効いていないのですか?」
 銃撃の度にツンツンと上に尖った髪を揺らすBeaker。上位階級の悪魔をも
打ち倒す洗礼儀式済みの爆裂弾は、ことごとくオイナリに弾かれている。
「私は魔物ではないっ! 変態だっ!」
「Beakerマスターっ! 抗変態弾をっ!」
「あいにく、持ち合わせがありませんっ」
 というか、そういう弾丸自体がない。
「フォォオオオオオオオオオオ!」
 Beaker自体もタッカーに襲われているので、沙留斗を援護し尽くす
ことができない。網タイツを履いていない脚を狙って弾丸をスリーバーストで
叩き込んだが、そのことごとくが装甲オイナリによって弾かれてしまった。 
「こうなったら……塵と砕けよっ! ディス・インテグレートっ!」
 焦った沙留斗は、変態男アイアウスの顔面をつかみ、原子単位に分解して
しまおうとしたが……。
 ムニョン☆
「……いやぁあああああ! 生あったか〜いっ!」
「手だけでは、私のオイナリの魅力は味わいつくせまい。ささ、遠慮せずに
顔を近づけるがいい」
「ひゃああああああああっ! Beakerマスターああっ!」
「ひふっ……ふぐぅううううう」
 自分の横で、Beakerが股間に挟まれて悶絶している光景を見て、
沙留斗の顔が絶望に染まる。
「変態秘奥義っ! 地獄のジェット・トレイン二両編成っ!」
「むぐぅおおおおおおおおおっ!」
「ぴぐぅうううううううううっ!」
「「シュッポ、シュッポ、ワオオオオオオオオオオンっ!」
 股間に沙留斗とBeakerを挟み、胴体を紐の輪っかでつないだアイアウスと
タッカーは、明後日の方向に向かって走り出す。
 ひきずられている二人の爪先がビクンビクン痙攣しているのが、いっそ哀れだった。


「よっ! たまには一緒に帰ろうぜ」
「昼休み、俺と雄二がゲイじゃないかって、やけにキラキラした目で
女子たちが話していたからヤダ」
 貴明の机の横に立った雄二が、前につんのめって転びそうになった。
「……て、てめえ。なんで、俺がおまえとネンゴロになってんだよ」
「俺が知るか」
 そう言いながらも。肩にカバンを背負って、雄二と一緒に、
貴明は学校の帰り道を歩いた。

「なあ、貴明。おまえの理想の女って、どんなだ?」
「雄二は年上でバンっ、キュっ、ボンっ、なメイドさんが好みだよな」
「俺のはどうでもいいんだよ。おまえの理想ってのは?」
 帰り道、そんなことを聞いてきた雄二に。
「ん〜。まあ、やっぱ年上がいいな、俺も」
「ちょっと待て。それは止めておけ」
「なんで?」
「おまえ、自分が鮫の口の中に頭を突っ込もうとしているのが、わかってんのか?
ワニとかシャチとかと違うんだ。突っ込んだが最後、いきなりガバっだ、ぞうっ!?」
「危ないなあ。こんなところに空き缶捨てんなよ」
 道ばたに転がった空き缶を貴明が拾い上げてゴミ箱に捨てると。
 なぜか、雄二がちょっと先の道ばたに転がっていた。
「なにやってんだ、雄二?」
「なっ、なんでもねえ……気弾って、硬気功じゃ防げねえのかよ……」
 脇腹を押さえて、ヨロヨロと立ち上がりながら。
「はぁ?」
 雄二はなおも、わけのわからない質問を続ける。
「だーかーら、なんでもねえって。それじゃ、貴明は年上の女が好きなんだよな。
んで、胸は大きい方がいいのか? 小さい方がいいのか?」
「どうでもいいだろ、そんなこと」
「重要事項だっ!」
 最重要事項だあっ!!

 なぜか、雄二よりも大きな遠吠えがどこかで聞こえたような気がしたので、
貴明は辺りを見回したが、誰もいなかった。
「まあ、そりゃ。ないよりはあった方がいいかな。大きすぎるのは気持ち悪いけど」
「……貴明。やめておけ。大は小を兼ねるっていうのは、ありゃ嘘だ。
小さい方が洗練されていて感度も違う。技術が進む度に小型化していくのは、
時代の流れ、だ、ぐぇええええ!」
「まったく……こんなところにペットボトルを捨てんなよ」
 道ばたに転がったペットボトルをゴミ箱に投げ捨てると、貴明は
雄二の方を振り向いた。 
「……雄二!? しっかりしろ、何があった?」
「ぐげえ……遠気功で関節取りの投げ技って……有りかよ……」
 倒れ臥し事切れる雄二の体を貴明が抱き上げていると。
「んふふ〜。どうしたの、タカ坊?」
 何故か御機嫌の環が、貴明たちの隣りに立っていた。
「一緒に帰りましょ?」
「いや、帰りましょ、じゃなくて……ゆっ、ゆうじぃいいいいい!」
「……貴明。この世界で、俺はおまえを救うことができなかった。すまない……」
 環に腕をガッシリつかまれて拉致される貴明。
 薄れ逝く意識の中で、雄二は姉に食べられることに決まった幼馴染みの
哀れな運命を、そっと嘆いていた。


「どうした、貴明。疲れた顔をして」
 今日はパンティではなく、腰巻きを持ってきたアイアウスは不思議そうな顔を
して、ベッドで寝ている貴明の顔を見た。その顔には、バリバリと虎に引っかかれた
ような爪痕が生々しく残っている。
「アイアウスさんこそ、どうしたんですか、その顔」
「今日は山形県まで遠出して、羽耳娘から腰巻きをゲットしてきた。これは名誉の
負傷だな」
 夜とぎの最中に、こっそり忍び込んだのだが、いきなりバッサリやられてしまった
アイアウスは、斬撃こそ回避したものの、帰り道で白虎に乗った幼女に襲われて、
あやうく食べられてしまうところだった。
「命がけで盗んできた。さあ、味わうがいい」
「……腰巻きっていうのは初めてだな」
 それはTバックのパンツのように細い布で出来ていて、フンドシのように
結んで締める構造になっているらしい。
「どことなく獣臭が……いや、これは日向ぼっこをしていた犬の毛の香り?」
 礼法通りに嗅ぎ分けながら、貴明はエクスタシーゲージを高めていく。
「多量の汗。激しい運動量……やたらに香るバルトリンの臭い……これはっ?」
 器用に顔に腰巻きを結びつけて、貴明は吠える。
「エクスタスィイイイイイイイイイイ!」
「ふむ。そんなに凄いのか」
 荒々しくパジャマを脱ぎ捨てる貴明の横で、アイアウスは青縞パンから
腰巻きに被り直す。それは未だ獣人同士の戦火が止まない山形でしか得られない、
失われた大地の香りがした。
「フォオオオオオオオオオオっ!」
 今日もまた二人の変態仮面が、夜の空に舞い上がる。


「オメら、その腰巻きを返さんねっ!」
 山形県からの□、もとい刺客のヒロノリが叫ぶと、アイアウスは不敵に笑った。
「断る。顔に被ってしまったパンティは、すでに着用者の者。そんな常識も
知らんのか?」
「なに、もぞかだってんの!」
「常識だよな、タッカー?」
 いきなり話を振られて、貴明はしばらく悩んだ後にうなずいた。
「んだずっ!?」
 頭にはホッカムリ、体には野良着、手にはクワを持ったヒロノリの顔が
驚愕に包まれる。
「そういうわけだ。あきらめろ」
「いがね。そういうわげないがねっ」
 山形県知事より討伐命令を受けたヒロノリは、クワを振り上げて襲いかかったが。
「あうっ」
 タッカーに回転脚払いを喰らって、あっけなく地面に転がってしまった。
「オメら……」
 そのヒロノリの胴体に跨り、アイアウスはどこからか取り出した腰巻きを
彼の顔に近づける。
「やんだ〜っ! ほいずばちょすなず〜っ!」
「オメさに腰巻きかせるだよ」
 かせるとは、山形県の言葉で「食べさせる」という意味である。
 今日も傍若無人な変態の正義に踏みにじられて、哀れな悲鳴が夜空へと響く。
「こんなこと、していていいのかなあ」
 腰巻きを口に突っ込まれて悶絶しているヒロノリを尻目に、貴明は腰巻きを
顔に被ったまま、溜め息をついていた。


 珍しく一人きりの帰り道。
 両親が海外に出て、自称お目付役も側にいない気安さか。
 貴明は公園のベンチに腰掛けて、最近お気に入りの、コンビニ売りの
桜モチをほおばっている。
「あ? いいもの食べてる♪」
「むぐうっ!?」
 いきなり、背中に抱きつかれて、貴明は桜モチを喉につまらせそうになった。
 ギュっと背中に押しつけられる、巨大なマシュマロのような感触。
「ねえねえ、タカ坊。私にもちょうだい」
「グゲホっ! ブホっ! ゴホっ!」
「あ〜……落としちゃった。勿体ない」
 貴明がむせて地面に吐き出した桜モチを、彼の背中にしがみついた環は
残念そうな顔で見ている。
「ゲホっ……タマ姉。後ろから抱きつくのはやめてくれよ」
「どうして? 昔は、そんなに嫌がらなかったじゃない」
「何年前の話をしてんだよっ! ……俺たち、もう子供じゃないんだからさ」
「あら、そう? それじゃ大人らしくしてみる?」
「へ?」
 ベンチに座っている貴明の肩に片手を当てた環は、そこを支点にして、
貴明の前へと跳んだ。支点とされた貴明は、ほとんど重さを感じなかったので、
なにが起こったのか、よくわからない。
「ん〜っ。タカ坊の頭の匂い」
 ギュッと思い切り強く。
 抱き締められている貴明の感覚からすると、ギュギュウとベアハッグ
で絞殺されているような強さで。
「うぐぐぐぐううううっ! 死ぬううううっ!」
「なんでよ。こんなに可愛がってあげているのに」
 メキメキと骨がきしみ、息ができない。貴明の顔が赤くなり、紫色になり、
白くなり始めたので、環は仕方なく、お気に入りのタカ坊を抱擁から解放してやった。
「……タマ姉のは可愛がるというより、絞め殺すっていう感じなんだよ」
「そんなことないってば〜。タカ坊、大げさなんだから」
「大げさじゃないよ。それに、言っただろ。俺たち、もう子供じゃないんだからさ。
昔みたいに抱きつかれたら困るって」
 自分の体を締めつけていたタマ姉の体が、昔のように細身ではなくなったことを
意識して、貴明は顔を赤らめながらも抗議を続けていた。
「……だって、タカ坊って夜這いとか、全然してくれないし」
「よっ、夜這い!?」
「気に入った女には夜這うのが礼儀なのに。タカ坊、私が帰ってきたのに、
全然、そういうことをしてくれないじゃない」
「いつの時代の話をしてんだよっ! 今、そんなことをしたら警察に捕まるってっ!」
「あら? 双方合意の上でなら事件性は発生しないわよ?」
「さらっと事件性とか言うなっ!」
「それじゃ、私がタカ坊を夜這いしようかしら。幸い、おじ様もおば様も
海外に出てらっしゃることだし……フフ」
 今日から家の鍵は厳重にして、押入れかどこかに隠れて寝ようと、貴明は
心に誓った。
「夜這いは冗談にしたって。タカ坊、自分からはどこにも遊びに誘ってくれないし。
「昔みたいにギュってしたら、やたらに文句を言うようになったし」
「昔も文句は言っていたわい」
「あら? そうだったかしら?」
「文句を言ったところで聞いてくれなかったじゃ……」
 そこまで言って、貴明の言葉は止まる。

 文句を言っていることに気づいてくれた分、一応、タマ姉も昔のままじゃ
ないっていうことなのか? 

「まあ……いいか。愚痴ばかり言ったって、面白くなくなるだけだし」
「うんうん。タカ坊も大人になった」
 嬉しそうに笑って、環は貴明の頭をポフポフと撫でる。
 ここらへん、まだ大人扱いされていない。
「もっと大人になって、私に夜這うぐらいになりなさい。その時は、
とっても大人扱いしてあげるから」
 本当に冗談で言っているのか。
 貴明は少し頬を赤らめながら、ベンチに座ったまま、環の顔を見上げていた。


 背後からギュっと抱き締められて。
「ぐわあああっ! 抱きつきながら、大胸筋ピクピクさせるんじゃないっ!
気持ち悪いっ!」
 投げっぱなしジャーマンを神業的な受け身で回避し、冬牙刃は全身に
浮き立ったサブイボをボリボリと掻いていた。
「ふむ? フックが甘かったか?」
「俺はマッチョが嫌いなんだっ! 近寄るなっ!」
「ハハハ。私はマッチョではない。変態だ」
 履いた網タイツを内股ですり合わせながら、変態仮面アイアウスは迫ってくる。
冬牙刃はオリンピックを目指すことができるぐらいの健脚の持ち主であるが、
悲しいかな、戦闘能力は皆無であった。
「変態秘奥義。悶絶ディラックの海」
 まず、地面から沸き上がった底無し沼のごときパンティの海に
逃げ足を封じられてから。
「冬牙刃。今からパンティ浴を楽しもうぞ」
「むわああああああああっ! 女臭いっていうか、マジ臭いっ!」
 悶絶しそうになってパンティの海から逃げようとする冬牙刃を、
棒を持ったアイアウスが外からツンツンつついて、その邪魔をする。
「にぎゃあああああああああっ! や〜め〜れ〜っ!!」
 ピス、ピス。
 飼い主の惨状には我関せず。小さな黒い子犬が、その側で鼻を鳴らしながら、
春の惰眠を楽しんでいた。
 その子犬の頭を撫でてやりながら。
「アイアウスさん、悩みとかないんだろうなあ」
 貴明は環のことを思い出す。
 その匂いを、感触を思い出す。
 不思議と、それらの想い出は、昔の頃とあまり変わっていないように思えた。