To Hentaimask2 <Tamaki-kousaka(4)> 投稿者:AIAUS

 学校帰り。下駄箱の前で環が学生鞄を片手に提げたままで固まっていた。
 カバンを持っていない手に握られているのは、ピンク色な封筒。
「なにしてんの、タマ姉」
「ひゃ、ひゃあややああ……なんでもないわよ」
 あわてて環は自分の後ろに手紙を隠したが、貴明には何だかわかってしまった。
「ふ〜ん。女子にラブレターを渡す女子がいるって聞いたことあるけど。
そういうのって、本当にあるんだなあ」
「なんで、わかるのよっ!」
「だって、男がそんな恥ずかしい色の封筒を使うわけないじゃんか」
 怒る環に、貴明は冷静に説明した。
「ラブレターって……決まったわけじゃないし」
「開けてみたら?」
 ゴソゴソと封筒を開けて、取り出したイラスト付きの便せんの上に視線を移し、
環は目を左右に動かす。

『前略 向坂環様
 はじめてお会いした時から、もうラブラブです。
 お付き合いして欲しいなんて、贅沢なことは望みません。
 どうか、御姉様のペットの一匹にくわえてください。
 いつも、そのことを夢見て、自分を慰めています。
                     江須賀 麗子』

 封筒の中には、本当に環の顔写真を片手に、白い指先で自分を慰めている
小柄な女の子の写真が同封してあった。
「きあああああああっ!」
 奇声をあげて、ビリビリと環は写真を破り捨てる。
「ちょ、ちょっとタマ姉。一生懸命書いたかもしれないのに……ひどくない?」
 環の手から落ちた手紙。それを拾い上げて、貴明も目を左右に動かした。
「……まあ、こりゃちょっとなあ。直接的過ぎるというか、ガッツキすぎというか」
 女の子が苦手なくせにわかったようなことを貴明が言うと、環はあわてて、
彼の腕にしがみついた。
「な、なに、タマ姉っ? 恥ずかしいって。みんな見てるから」
「あのコ、こっち見てるぅ」
 落胆した顔で環を見ているのは、写真に映っていた女子生徒だった。そっと涙を
拭い、胸を張ってから背中を向けて、女の子は環がいる方とは逆方向へと歩き出す。
「可哀想に。タマ姉。一人ぐらい枠余ってなかったの?」
「わっ、枠ってなによっ!」
 未知との遭遇に怯えた環は、まだガッシリと貴明の腕にしがみついていた。

 いつもの帰り道。
「だ〜か〜ら〜っ! 私はそういうのは全然経験ないんだってばっ!」
「嘘だ。タマ姉って、独特のオーラがあるじゃん」
「どんっなオーラよっ!」
 環はまだカタカタ震えながら貴明の腕にしがみついているので、珍しく、
貴明が優勢な感じで会話が進んでいた。
「そうかなあ。タマ姉って女子校だったし、女の子にモテそうだったし。
てっきり、そういう扱いには慣れているんじゃないかと」
 動物園みたいに首輪をはめた年下の女の子を並べているかと思ったが、
そこまで言ったら、環が顔を引っ掻きそうだったのでやめた。
「なれてないっ。こわいよぉ〜〜」
「怖くない、怖くない。あの子もあきらめたみたいだし」
 凛とした泣き顔。あれはちょっと絵にしたいぐらいだったと貴明は思い返した。
 

 その翌日。
 下駄箱の前で貴明が学生鞄を片手に提げたままで固まっていた。
 カバンを持っていない手に握られているのは、ピンク色な封筒。

『前略 河野貴明様
 オッス! オラ、武流 笈州太。
 入学式の頃から、オメエにラブラブなんだ。
 オラのキリタンポ、おまえにつっこませてくれないか?
                           武流笈州太』
 
 恐ろしいことに、写真が同封されていた。映っていたのは、キリタンポと呼ぶ
にはあまりにもデカすぎる一物を握った毛深い男。
「きああああああっ!」
 叫びながら、貴明が手紙と写真を破り捨てると、頬を紅潮させ、瞳をうるませた
武流笈州太が、その後ろに立っていた。くねくねと腰がうごめいている。
「ぐわああああああっ! クロス・アウトおおおおおおっ!」
 変態変身し、武流笈州太を含む、その場にいた者全員を殴り倒して、
貴明はどこかへと逃げ出す。その全身には、びっしりとサブイボが立っていた。
 人を呪わば、穴二つ。
 されども、貴明は環より年下の分、未知への恐怖に対する耐性は薄かった。


「なあ、タマ姉。デートしない?」
「はあ?」
 いきなりの申し出に、環は電話の受話器を持ったままで固まっている。
「だからデート。明日、日曜日だから。場所は……そうだなあ。
この前、このみと行ったデパートなんかどうだろう?」
「あっ、やっ、その……いきなり言われても」
 何を着ていこうかと迷いながら、環はモジモジと電話のコードを指で
いじっている。その顔には、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「いいからデートするの。頼む」
「頼まれても……でも、そこまで言うなら」
 カチャンと電話を切ってから。
 自室の鏡台の前で、環は自分だけのファッションショーを始めた。
「むう〜……これは胸が開きすぎていて、遊んでいるって思われちゃうかも」
 スタイルのいい環は、どんな服を着ても大抵は似合うのだが、本人は
似合わないと思ってしまうらしく、ファッションショーは夜遅くまで続いた。
 ドキドキして、なかなか眠れない。
 ニヤける顔をペシペシと自分で叩いて、その夜、環は幸福な夢を見た。

「ぶわあああああっ!」
 その夜、貴明は不幸な夢を見て、悲鳴を上げて、ベッドから飛び起きた。
 ドキドキして、ベッドに入るのが怖い。 
 もうちょっとで、極太キリタンポが突き刺さるところだった。
「なにをしている、河野貴明」
「げえええっ……って、なんだ。アイアウスさんか」
 慣れというものは恐ろしいもので、股間と顔面だけを布で隠した素裸の変態男が
横にいきなり立っていても、貴明はあまり驚かなかった。
「今日の行動は、あまり感心できない。人前でクロスアウトしたこと。
向坂環に自分から電話をしたこと。どちらもだ」
 厳しい顔でアイアウスは告げたが、貴明は不思議そうな顔をしている。
「なんでさ?」
「倫理にそぐわぬ」
「あなたが倫理を語るの?」
「一応、大学では倫理学を専攻していた」
 意外にインテリなアイアウスに貴明は感心していたが、変態仮面は
蕩々と、変態仮面タッカーに向かって、心得というものを説いた。
「でも、アイアウスさんは……あれ?」
「私はクロスアウトをしない。というよりも常時変身したままなのだ。
問題なのは河野貴明。おまえが自分の正体がばれる危険をかまわずに変身
したことにある」
「ははは……すいません。でも、タマ姉に電話したのは、なんで悪いの?」
 はあ、と、アイアウスはパンティ越しに溜め息をついた。
「貴様、なんのつもりでドミナを逢い引きに誘ったのだ?」
「掘られるのが怖いからです」
 率直な答えだったが、アイアウスは両手を広げて、処置なしという風に
首を横に振った。
「逆だ。貴様、自分が自ら虎口に飛び込んだのをわかっていないのだな」
「へ?」
 アイアウスは呆れて、貴明の部屋の窓を開けると、そこから夜空へと
飛び出していった。後に残された貴明は一人、ベッドの上で呆然としている。
 春の夜風はまだ、とても冷たかった。


 東雲忍は24時間経営のレストランでコックさんとして働いている。
「なあ、あの客。ヘンな格好してんだけど……警察呼んだ方がよくねえ?」
 敬語の使い方も知らないバイト学生の頭をオタマでコンと叩き、東雲忍は
お得意の御客様に挨拶するべく、その席の横に立った。
「いつもおいでくださって、ありがとうございます」
「礼を言われることもない。ここのカレーは絶品だ」
 満足そうに、口元をパンティで拭うアイアウス。カレーを下着で拭うのは
絵的に最悪だと思うが、東雲忍は気にした様子もない。
「あの……今日はいつまで?」
「さて。コーヒーセットも貰おう。悪いが、朝までいると思う」
 逞しき大胸筋、上腕二頭筋、側腹筋、大腿筋。
 ホウと溜め息をつき、アイアウスの体に見とれていた東雲忍は、
火照った頬に手を当てて、調理場に戻った。
 ちなみに、東雲忍は女顔であるが、胸毛の生えた男である。


「ねえ、タカ坊ってば」
 ユサユサと、昨日は寝付かれなかった貴明の体を、誰かが揺すっている。
「ねえってば、タカ坊」
「うっ……?」
 貴明が薄目を開けると、顔に髪がのっていた。鼻の穴に入りそうで、
実にくすぐったい。
「タマ姉? あれ? デパートの前で待ち合わせじゃ……その前に。
なんで、俺の上にのっかってんの」
「だって、タカ坊。なかなか起きないんだもん」
 時計を見ると、まだ朝の五時だった。起きている方がどうかしている。
「うう〜。まだ眠いって。カンベンしてよ」
「いや〜。タカ坊といっしょにデパートにいくのっ」
 首をつかまれてゲシゲシと振り回されたので、命が危険だと思った
貴明は、あきらめて起きることにした。腹の上にのっかったままで、
環は黒い背広のような服を差し出す。
「なに、これ?」
「だって、私だけ、こんな派手な格好じゃおかしいでしょ?」
 環が着ているのは、赤い布地の高そうな服で、ちょっと高校生が
着るような値段の服ではなかった。
「あの……今日ってデートだよね?」
「そうよ。誘ったのは、タカ坊の方からじゃない」
 親父さんやお母さんに挨拶にいくわけじゃないんだから。背広なんて
着なくてもいいだろうにと思いながらも、貴明は渋々と着替えを始めようと
して、手を止めた。環はまだ、腹の上にのっかったままである。
「あのさ、タマ姉」
「うん。手伝ってあげるね、着替え」
「ぬぉおおお! させるかーっ!」

 させられました、着替え。
 朝飯を環に作ってもらった貴明は、どこか疲れた顔で箸を動かしている。
 朝から、こんなに豪勢にしなくても。
 というか、どこでスッポンとか仕入れてきたのか、激しく気になる。
「ねえ、タマ姉。今日ってデートだよね?」
「そうよ。誘ったのは、タカ坊の方からじゃない」
 なんというか……夜がおろそかになったダンナに対して出すような強精料理?
「んんん。御母様から教えていただいた料理だけど……美味しくないっ」
 自分で作った料理であるが、漢方な料理というものは味は無視しているので、
あまり美味しいものではない。それでも高価な食材と聞かされていたので、
残すのは勿体ないらしく、環は仕方なく箸を動かしている。
「やばいんじゃないかなあ、これ」
「なにが?」
 箸をくわえた環は無邪気で、貴明には、それがますます悩ましかった。


「タマ姉、歩きづらいんだけど」
「もう、我慢なさい。せっかくのデートなんだから」
 ホモいやん。それだけの理由で環をデートに誘った貴明であったが、
今は環にがっしりと腕を組まれて閉口していた。
 回っているのはデパートの中に設置された音楽店のCDコーナー。
「ねえ、タマ姉って、どんな音楽を聴くの?」
「大岡越前?」
 ……貴明はちょっと、くじけそうになった。
「必殺シリーズもいいけど。やっぱり、渋さだけなら大岡越前がいいわ」
 このみを誘った方がよかったかなあ。
 そう思いながらも、腕を組んでショッピングをしている環は嬉しそうで、
これまで避けたり、犬責めに遭わせたりと、ひどいことを続けていたので、
環は罪滅ぼしのつもりで、彼女につきあった。

「……ねえ、なに? これ?」
 コップが一つ、ストローは二つ。環に連れられて入った喫茶店で出された
飲み物に、貴明は顔をしかめている。
「だって、デートでしょ?」
「いやいや、そりゃもう。おかげで胸いっぱいに感動が広がって、
とても飲めません。どうぞタマ姉ひとりで……」
 ちょっと寂しそうに口を尖らせている環。
「飲んでもらおうとおもったけど。俺、ノド乾いたなあっ!」
 優柔不断であるが漢な貴明は、ストローをくわえると、環がくわえる前に、
一気にコップの中身を飲み干す。
 こうすれば、恥ずかしすぎる拷問を逃れられる。
「たっ、タカ坊っ! これ、炭酸っ!」
「ぶほおおおおっ!」
 貴明が真上に吐き出した炭酸水で天井まで水しぶきがあがり、店員がとても
迷惑そうな顔をしていた。

 結局、小さなアクセサリーを一つ買って、その日の買い物は終わった。
「今日はとっても楽しかったわ。色々なところへ行って、色々な話をして。
ずっとタカ坊が側にいてくれて。こんな楽しかったのは、ホントに久しぶり」
 貴明が環に買ったのは、小さなイヤリング。高いものではないが、環はさっそく
耳に付けて、嬉しそうに帰り道を歩いている。
「ねえ、タカ坊。なんで急に誘ってくれたの?」
「いっ、いや……タマ姉には普段、迷惑をかけているからさ」
 ホモが怖かったとは言えない。
「ねえ、タカ坊」
 ムギュっと、正面から抱き締められた。
 両手で後頭部の髪をつかみ、貴明の顔を引き寄せる。
 カリっと、互いの歯と歯が打ち合わされた。
「……痛い。ちょっと失敗」
「……」
 貴明は呆然としている。
 押しつけられた環の唇は熱くて、柔らかくて。
「あの、タマ姉。俺、キスって初めてだったんだけど」
「そう。私も初めて……えへ〜♪」
 嬉しそうに笑う環の唇は、確かに、自分の唇の上にあった。
 幼い頃から眺めているはずなのに、その柔らかさを貴明は知らなかった。
 ギュっと強く。
 今度は貴明から環を抱き締めて。
 歯が当たらないようにゆっくりと、その唇を重ねた。
 熱く、柔らかく。どことなく濡れた唇。
 二度目のキスのはずなのに、環の目が驚きで丸く見開かれて。
「やんっ!」
「えっ……?」
 ドンと突き飛ばされた貴明は、アスファルトの上に尻餅をついて、
走り去る環の背中を呆然と見つめている。
「なん、で?」
 アスファルトを駆け去る環の足音は、それに答えてはくれなかった。


「はあ……」
「どうした、タッカー。今日の逢い引きは楽しかったのだろう?」
 電線の上、盗んだ下着をアイアウスから分けてもらった貴明は、
被り直すこともせずに溜め息をついている。
「アイアウスさん……女心って難しいですね」
「ドミナは率直な女性だ。難しいのは、貴様の頭の中身だ」
「そうかなあ」
「どうでもいいんですが。私、このままパンツ一丁で電線にぶら下げられた
ままなんでしょうか?」
 情けない顔で両手を電線に固定されているのは軍畑鋼。
「貧乳許すまじ」
「ロリコン許すまじ」
「それ、個人の勝手じゃないですかあっ!」
 そう怒鳴る軍畑鋼は幼児を草むらに連れ込もうとしたところを、
変態仮面二人によって撃破された。
「どうする、タッカー。このまま感電死させるか?」
「ぎにゃあああああああっ!」
 たまたま二人はお揃いの白いパンティを顔に被っていたが、
それは魔女狩りの仮面のように見えて、たまらず軍畑鋼は悲鳴を上げた。 
 

 フェンスを背もたれにして腰をおろし、紙パックのオレンジジュースに
ストローを突き刺す。
「なあ、貴明。おまえ、また姉貴に何かしやがったのか?」
「ハハハ……今度はなに?」
「イヤリングつけた自分の耳たぶ触って、ハフ〜ンって溜め息ついてやがった。
あのイヤリング、やったのは、おまえだろ」
「……そうだけど」
「阿呆。自分から虎口に飛び込みやがって」
 チューとオレンジ果汁を自分の胃の中に入れながら、雄二は幼馴染みに
同情し、哀れんでいた。だが、貴明はなんとなく自分の運命を受け入れ始めていたので、
あまり気にしてはいないようである。
「ガキの頃から唯我独尊、傍若無人。自分がいいと思ったことは、人にもいいこと
だって思いこんでやがる」
「そうか? タマ姉。あれで優しいところもあるだろ」
「どこがだよ」
「んっと……」
 考え込まないといけないくらい、環の優しいところは難しい。
 それでもまあ、環が優しくないなんて認めたくはなかったので。
 タカ坊は必死に、昔の自分を思い起こした。


『ケホッ、ケホッ……ズズ〜ッ! う〜〜』
 このまま、しんじゃうのかなあ。
 ひどいカゼをひいたタカぼうは、ベッドのうえでねこんでいた。
 おかあさんもしごとででかけて、いえのなかは、じぶんひとり。
 ひとりぼっちは、とてもさびしくて、つらいことなんだ。
 いつもユウジやタマおねえちゃん、このみがそばにいるから、わかんなかった。
 このまま、しんじゃうのかなあ。
 はなみずをすすりながら、タカぼうはねむりについた。

『タカぼう。だいじょうぶ?』

 しばらくして、こえがきこえて。
 じぶんのてが、だれかにつかんでもらえているのがうれしくて。
 ギュっと、タカぼうはてをにぎりかえした。
「タマおねえちゃん?」
「うん。ひどいカゼだね。だいじょうぶ?」
「うんっ……ケホッ、ケホっ」
 せきでツバがとんで、ばっちかったはずなのに、タマおねえちゃんは
しんぱいそうにタカぼうをみつめるだけで、いやなかおはしなかった。
「だいじょうぶ? ねつは?」
 ひたいにのったタマおねえちゃんのてがつめたくて、うれしくて、
タカぼうは、めをほそめる。
「どうしたの? きもちいいの?」
「うんっ……ケホッ、ケホッ」
 タマおねえちゃんはしんぱいそうなかおでタカぼうのかおをみている。
「んっと……ひやくって、しっている?」
「ひやく?」
「どんなびょうきにもきくオクスリがあるんだって」
「ふ〜ん……すごいんだあ、ケホッ、ケホッ」
 せきはとまらなかった。
 そんなタカぼうをみて、タマおねえちゃんは、けっしんした。
 はいていたスカートをおろして、クマさんパンツまで脱ぐ。
「なに、してるの、タマおねえちゃん……?」
 めがかすむ。
 なんで、タマおねえちゃん、ぼくのかおのうえにまたがっているんだろう。
「タカぼう。くちをあけて」
「えっ……あ〜んっ……」
「んっ……くっ」
「あ〜んっ……」
「くぅ……でないよぉ」
「あ〜んっ……ケホッ、ケホッ。タマおねえちゃん、いつまで、あ〜んするの?」
「あうっ……しゃべったら、いやぁ……あっ」
「あ〜んっ」
 そして。
 チョロチョロチョロチョロ〜。

「ぶっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「おい、貴明」
 貴明が口元をぬぐって正面を見ると、なぜか雄二の顔がオレンジ色に
染まっていた。
「……こりゃあ一体、なんの真似だ?」
 ハンカチを出さずに握り拳を固めて、雄二は怒っている。
「待て、雄二。おまえが顔に被ったのはオレンジ色。対して、俺が顔に被ったのは
黄色だった。これは大きな違いだろう」
 爽やかな青空の下。
 男子学生二人が笑顔で殴り合っていた。


「あれ?」
 校門で待ち伏せているタマ姉が、今日は教室の前で待っていた。
「ねえ、河野くん。お姉さんが来てるよ」
「あきらめえや、委員ちょ。往生際悪いなあ。アレ、貴明のお姉さんちゃうで」
「うう〜。そんなんじゃないの〜」
 今日もまた、手をバタバタ。
「どうしたの、タマ姉。今日の授業は終わり?」
 コクリとうなずき、環は教室から出た貴明の横へと並ぶ。
 あれ?
 横というか、ちょっと後ろ。三歩くらい下がって、環は貴明と歩いている。
「ねえ、タマ姉。それって話しにくくない?」
 貴明が歩調を遅らせて環の横に並ぼうとすると、環も足を遅らせて、
貴明の後ろに居続けようとする。そんなことを続けていたので、
貴明と環は校門の前で立ち止まってしまった。仕方なく、貴明は環を
後ろに連れて、帰り道を歩き出した。
「タマ姉、さっきからどうしたの」
「……えっ?」
「ずっと黙ったままじゃない? 話す気分じゃなかったら、俺はそれでも
いいんだけど」
 ブンブンと抜けそうなくらいの勢いで、環は首を横に振った。
「だって、その……この前、タカ坊があんなことするから」
 そう言ってから、環はスカートのポケットから巾着袋を取り出して、
中から大事そうにイヤリングを取り出し、自分の耳へと付けた。
「あっ……やっ。あれはタマ姉の方からしたんだろ?」
「私がするのと、タカ坊がするのは違うのっ」
 なにが違うのだろう。
 おとこのこには、おんなのこがしてほしいことがわからない。
 と言うよりも、首を後ろに向けて話すのは非常に難しい。
「タマ姉。手を出して」
「えっ……ひゃん」
 指先を握っただけだというのに、環は感電したかのようにビクリと
震えて、あわてて手を離そうとした。その指を、貴明はしっかりと
握っている。こうすれば、並んで歩くことができる。
「あの……タカ坊。本気にしていいのかな?」
「なにが?」
 そんなこと自分の方から言えないので、環は黙っている。
 胸のドキドキをどうやって伝えたらいいのか、よくわからない。
「別に、タマ姉と手をつないでもヘンじゃないしさ」
 これは本音だった。キスはさすがに驚いたが、これぐらいなら子供の頃から、
しょっちゅうしているので、全然緊張しない。
「なん、で?」 
 クワッ――!
「うわっ……タマ姉。なんで、にらむの?」
「う`う`う`う`う`う`」
「だからさ。なんで、にらむの?」
「怒ってるから」
「それはわかるよ。なんで怒るのさ?」
 言えないわよ、そんなことっ!
 環は心の声で叫んでいるが、貴明は気づかない。
 気づいたのは、電柱の上から彼女の姿を見下ろしている、赤いバンダナを
頭に巻いた小柄な少年だけだった。
「ずいぶんとまあ、ふやけたことだな」
 童顔には似合わない口調で、少年は静かに環の姿を笑っている。

 人の道に外れた者を外道と呼ぶ。
 対して、人のカテゴリーから外れて生まれた者は人外と呼ばれる。
 向坂環は自覚こそないが、そういう存在で、転校した九条院でも、
その人ならざる力で周囲を圧倒していた。
 少年、風見ひなたは、その噂を聞きつけて自分の力を試そうとした。
 結果として、全身の怪我が治癒するのに半年を必要とすることになった。
 自分の力が未熟だったわけではない。
 向坂環が圧倒的に強かったから。
 目と髪を真紅に染めて襲いかかった環は、一撃で風見の左腕を奪い去った。
 その腕が再び着いたのは、風見もまた人外だったからである。
「同じ赤同士。このままってわけにもいかないよな」
 トンと軽やかに電柱を蹴り、貴明と環が歩いている公園の側まで、
風見ひなたは軽やかに雲を蹴って飛んでいった。 


「よお。久しぶり」
 軽く片手をあげて。
 挨拶をした風見ひなたに向かって、環はいきなりカバンを投げつけた。
「タカ坊っ! そのまま、振り返らないで逃げてっ!」
 どうしたらいいのか判断しかねて、貴明が固まっている間に、風見は
動いた。狙うのは環ではない。その横に立っている貴明の方。
「ふざケルナっ!」
 吐き出した叫びの後半は人外。長く伸ばした髪の毛が根本から真紅に
染まり、環の瞳が血の色に変わっていく。
「タマ姉っ……?」
「ハヤクっ! 逃ゲテっ!」
 疾風のように走り寄ってきた風見の暗器を手で弾くと、環は背中を
膨れ上がらせて、人ならざる勢いで風見につかみかかる。それは
貴明がもし、自身も人ならざる変態でなければ、信じることも
できなかったほどの速さ。
「甘い。なんで、最初から腕を狙うのさ」
 紙一重で避けた風見ひなたは、環の甘さを笑う。初めて九条院で
環から受けた一撃は、喉笛を狙っていた。
「コノっ!」
「だから、甘いって」
 袖に隠した暗器で環の腕を絡み取り、地面へと引き倒す。
 そして、そのまま腹の上に乗って、
「おいおい。これでお終いか?」
ギュウウウウっと、両手の指で環の首を絞め上げた。
「グエエエエエエエエエエっ!」
「タマ姉を離せっ!」
 そう言って殴りかかる貴明の体を片手だけで薙ぎ払い、風見は
環の首を絞め続ける。それは殺すための動き。環は手で風見の腕を
ひっかき、膝で背中を蹴って暴れたが、人外を倒すのに、
それだけでは足りない。
 倒れた貴明の瞳に、絶望が浮かぶ。
 いつもなら変態仮面アイアウスが出てきて助けてくれるはずなのに。
 タマ姉がピンチだっていうのに、マッチョな変態ヒーローは姿を現さなかった。
「タマ姉を離せっ!」
 環の首筋をギリギリと締め上げている風見ひなたに向かって、貴明は
もう一度、今度は真っ向から戦いを挑んだ。手に握られているのは、
とっておきの時に使えと、アイアウスによって渡された赤いパンティ。
真空パックの袋には『赤い彗星』と銘打たれていた。
「……ぐぐっ、ぐげっ」
 白目を剥き、舌を出して首を締められている環を助けるため。
 目の前の悪を倒すため。
「俺は……悪を……タマ姉をいじめる奴を、決して許さないっ!」 
 袋を引きちぎり、中に入ったパンティを顔に被る。
 今こそ。
「クロス・アウッットォオオオオオオオオオオオオ!!」
 蘇ったのは原始の筋肉。ただ在っただけのはずの神経。
 チョロチョロチョロ〜と口の中に注ぎ込まれた盛衰の味。
「これは……タマ姉のパンティ?」
 粋なことをすると、変態仮面タッカーは感動に震えた。
「なんだよ、おまえ……邪魔をするなよ」
 不機嫌そうな顔で、赤いバンダナをなおしながら、風見ひなたは
環の上から立ち上がった。
「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオっ!!」
「がああああああああああああああああああああああっ!!」
 疾風となったケダモノが二人、ぶつかり合い、からみ合い、
殴り合って、公園の遊具やベンチを消し飛ばしていく。
 アイアウスはまだ現れない。
 だからと言って、この戦いに貴明が負ける道理はない。

 タマおねえちゃんみたいになる。

 それは貴明が子供の頃から憧れた姿。
 せいぎのみかたのすがた。

「一つ。突進に逆らうことなく、敵の頭を左腕で捕獲」

 突進してきた風見ひなたの頭を左脇の中に挟み込み。

「二つ。同時に頭を敵の左肩下にもぐり込ませる」
 捕らえた敵の左脇に自身の頭を突っ込む。

「三つ。両腕の絡みを強固にして、大地の巨木を引き抜く心構えで、
敵の体を高くさしあげる」

 風見ひなたの顔に初めて焦りが浮かんだが、すでに遅い。

「四つ。両内腿を押さえ、体の自由を奪う」

 大股を開かされた格好で固定された風見ひなたは、
「離しやがれっ!」
と暴れていたが、すでに運命は決した。
「風見ひなたっ! てめえの負けだっ! 五つ! 鷹のごとく舞い上がりっ!」
 変態仮面タッカーは肩で風見ひなたの体を逆さまに持ち上げたまま、
全身の脚力を総動員して、信じられないほどの高さを、夜空の上を垂直に
飛び上がった。
「ウソ、だろっ……?」
 小さくなる街の景色に、風見ひなたは呆然としている。
 それは凶悪な少年が初めて知るもの。
「六つ! 稲妻のごとき勢いで着地するっ!」
 地面がどんどん近寄ってくる。墜落していく感覚で意識を失い始めた
風見ひなたの顔に、驚異の柔軟性で貴明の股間が迫ってきた。
「ぎああああああっ! それはやめれっ! ……うぶぅ!」
「これぞ変態究極奥義っ! ヘンタイ、バスタァアアアアアアっ!」
 貴明は人体で一番頑丈な背中から、風見ひなたは全身を固められたまま、
地面へと落ちていく。

 ドォガアアアァァンッ!! と、すさまじい地響き。
「ゲフっ……痛いよ、臭いよ、暗いよ、ママン……」
 首、背骨、腰、左右の股関節、鼻腔に強烈な衝撃を負った風見ひなたは、
そのまま気絶して、地面に倒れ伏した。
「タマ姉っ!」
 顔に被ったパンティを脱ぎ捨てて走り寄り、急ぎ環の状態を確認する貴明。 
 幸い、まだ息はあった。
「ごめん……ごめんよ、タマ姉っ」
「タカぼう……?」
 首筋に残るのは、風見ひなたの爪痕。いっそ殺してやろうと、貴明は
手に石を握ったが、その手を誰かの手が止めた。
「やめておけ、河野貴明。あいつはどうせ日本のマーモ、死国送りだ」
「アイアウスさん……なんで今頃?」
 貴明の傍らに立っているのは、変態仮面アイアウスだった。
「おまえが一人でドミナを守れるかどうか見届けていた。私はもうすぐ
旅立たねばならない身だからな」
「そう、なんですか……」
 環がゲホゲホと咳き込んだので、貴明はそちらに集中し始めた。
「見事であった。この街は人を傷つけることも厭わぬ変態だらけ。
だからこそ、正義の変態、変態仮面が必要だ」
 タっ、と、変態仮面アイアウスは走り去る。
 河野貴明が彼の姿を見ることは、二度と無かった。




「あっ、そうそう」




 ガクリと、環の胸の上に貴明は倒れ込む。外の文もコケた。
「あんた、外の文が『河野貴明が彼の姿を見ることは、二度と無かった』って
締めているのに、なんでまた顔出してんですかっ!」
「そんなこと、私が知るか。どうでもいいから、ドミナをきちんと家まで
送ってやれ。後、犬の散歩がまたあるから、手伝ってくれたら助かる」
「自分勝手な……」
 今度こそ、トゥと走り去る変態仮面アイアウス。
 そんな貴明の顔を見て、クスクスと環は笑っている。


「あの……タカ坊。これはやっぱり、やめない?」
「ダメ。タマ姉、怪我しているんだから」
 完全無欠に御姫様だっこされて、タマ姫は恥ずかしくて顔を真っ赤にしている。
 抱き合うよりも、それは恥ずかしかった。
「……あの。さっきの赤目の私がなんだったか、聞かないの?」
「聞かない。知る必要もないから」
 貴明は騎士として、環のプライバシーに深入りはしなかった。
「それじゃ、私が聞いていい?」
「なに?」
「なんで、タカ坊が私のパンツを顔に被っていたの?」
「えっ……いっ、いや、その」
「……もしかして、私の下着を盗んだのタカ坊?」
「それは違うっ! 激しく違うっ!」
 騎士道を守ったのに。
 結局、貴明は変態仮面について、一から説明しなくてはならなくなった。
特に環が感心したのは、貴明が風見を倒したという事実だった。
「やっぱりすごいね……タカ坊って」
「なんでさ。タマ姉の方がすごいって」
「そうじゃないよ……ほら、覚えてない? 私、昔、一度だけ喧嘩に
負けたことがあって。相手が中学生だったから。それで、その時。
タカ坊がすごく大きな声で怒鳴って、その中学生を張り倒して、
馬乗りになってボコボコに殴っちゃったの」
「そ、そんなバイオレンスなことしたっけ?」
「うん。私は殴られて泣いていたし、雄二は驚いて固まっていたし。このみが
止めなかったら、あのまま殺してしまうんじゃないかってぐらいの勢いだった」
「そっか……」
 覚えてはいないが、タマ姉がそう言うのであれば、そういう出来事があったの
だろうと、貴明は納得する。
「あの後……こんな風に腕に抱き上げて家まで帰ってくれて。自分も怪我を
しているのに、そのままベッドまで運んでくれたんだよ。それから……」
 トクン――!
 高鳴る胸の動きを伝えられなくて、環はもどかしそうに貴明の腕の中で
身をよじっていたが、彼女を抱きかかえている男の子の目が、不思議そうに
女の子の目を見つめていた。
「ねえ、タマ姉。なんで心臓が早鐘みたいにバクバク鳴ってんの?」
「いっ、いやっ!」
 バキンと、右ストレートが貴明の顔面に入った。

「ううっ……ごめん」
「痛くなかったから、別にいいけどさ」
 ウソである。前歯が逝ってしまったかもしれないので、明日、歯医者に
逝こうと貴明は思っていた。
「殴るつもりなんかなかったの。だって、タカ坊が……」
「俺が?」
 言いよどみ、環は顔をそらす。あの瞳は、子供の頃から変わらない、あの澄んだ
瞳は反則だと思って、必死に話題を変えようとしていた。
 言葉が出ない。
 仕方がないので、貴明の首にしがみついて、ムスっと黙り込んでいる。
 貴明もまた、それ以上のことを話そうとはしなかった。

「タマ姉、着いたよ」
「うん……」
 貴明が扉を開けようとすると、環はスカートのポケットから鍵を取り出した。
「ベッドまで運んで」
 そうすると、あの時と同じになってしまう。
 けれども、環は一歩、自分から踏み出す決心をした。

 ベッドの上に環を降ろして。
「首はもう大丈夫?」
「うん。別に気管がつぶれたとかじゃないから。九条院で風見と戦った時
よりもマシだと思う」
 御姫様抱っこから、ようやく解放された環は、ベッドの上に寝転んで、
自分の首筋を触っている。
「そうか……それじゃ、俺は帰るよ」
「えっ? ……なんで?」
「なんでって言われても。タマ姉も寝た方がいいだろうし。さっきの
風見って奴も放り出したままだし」
「また、私のパンティを顔に被るつもり?」
 目を細めた環に言われて、貴明は口をつぐんだ。
「しっ、仕方ないだろ、そんなのっ……そうしないと、タマ姉を
守れないんだから」
「ふ〜ん。ナイト気取りなんだ〜っ?」
 おかしい。
 なんで、タマ姉はヘンになったり、昔のままみたいになったりするんだ?
 貴明は煩悶している。

 こどものころはかげんというものがわからない。
 どんなことをしたら、あいてがけがをするのか。
 どんなことをしたら、あいてがじぶんをきらいになるのか。
 どんなことをしたら、あいてがじぶんをすきになってくれるのか。

 ここまではできるのに。
 それ以上が進めなくて、環は煩悶している。
「タカ坊ぉ……」
 試しに、甘えた声を出してみた。貴明の顔が近づいてくる。瞳が優しすぎる。
 ……これはマズい。
「なにか飲みたい……」
「えっ?」
「飲み物〜。水でいいから〜」
「はいはい……まったくもう」
 仕方なく貴明が台所にコップを取りに行っている間、環は子供の時の自分と、
ベッドの上で語り合っていた。

 あのときはすきだっていえたのに。

 結局、返事はもらえなかったわね。

 いまもこわいの?

 怖いよ、決まっているじゃない。

 タカぼう、このみのほうがすきかも。

 嫌。そんなの嫌。

 きかないとわからないよ。

 あなたが聞きなさいよ。

 きけないよ、そんなの。へんじをもらえなかったらイヤだもん。

 そうだよね。聞かないと返事はもらえない。

 きいても、へんじしてくれないかもしれない。

 でも、聞きたいね。

 うん……そうだね。

 その想いはずっと変わらないから、女の子と乙女は手を取り合って、
タカ坊に聞いてみることにした。


「ねえ、タカ坊。覚えている?」
 コップを持って戻った貴明に、ベッドの上の環が語り出したのは子供の頃の話。
 環がまだ『タマおねえちゃん』であり、タカ坊がまだ『タカぼう』であった頃の話。

 ベッドのうえで、あたまにタンコブをつくって、ないているタマおねえちゃん。
 そのあたまを、タカぼうのてがなでている。
 タマおねえちゃんは、こわかったのか、ずっとないているので、タカぼうは。
ずっとタマおねえちゃんのあたまをなでつづけている。

 どうやったら、なきやんでくれるの?

 うう`〜。

 なんでもするから。ほら、なきやんでよ。

 はなみずをすすりながら、タマおねえちゃんはいった。

 およめさんにして。

 へ?

 あたし、タカぼうのおよめさんになる。

 こまるよ。このみと、そういうヤクソクしちゃったもん。

 しらない。あたし、タカぼうのおよめさんになる。

 あんまり、ガンコにタマおねえちゃんがいうので、タカぼうはすっかり、
こまってしまった。そんなかおをみて、タマおねえちゃんはいった。

 それじゃ、タカぼう。あたしのこと、すき?

 へ?

 これならいいでしょ。あたしのこと、すき?

 ユウキをだして、きいたのだけれども。けっきょく、『くじょういん』に
てんこうさせられるまで、へんじはもらえなかった。
 

「……昔の話だね」
「うん。昔の話。だけど、今も続いてる」
 どうしよう。
 貴明は気づいてしまったから。
 言い出す勇気は男の子の胸にあり、待ち続ける信念は女の子の胸にあったのに。
 自分だけ、責任を果たさないわけにはいかない。
 義務感?
 それは違う。
 それはきっと、幼い頃に決まった運命。

「好き、だよ――」

 しがみついた環の腕が、いつもは苦しいと思うはずの腕が、今はとても愛しくて。
 貴明も環の体を抱き締める。
 今度は、環も逃げ出すことはなかった。

 こどものころはかげんというものがわからない。
 どんなことをしたら、あいてがけがをするのか。
 どんなことをしたら、あいてがじぶんをきらいになるのか。
 どんなことをしたら、あいてがじぶんをすきになってくれるのか。

 今もまだ、子供と言えない今もまだ、そんなことはわからないけれども。
「良かった……勇気出して、ホントに良かった……」
 ポロポロと涙をこぼす環が、タマおねえちゃんが愛しくて。
 貴明は、その唇を奪い、自分の腕の中にある暖かさを確認し続けた。



 ド――――ン、ドド――――ン!!
「お見事っ! 群光時雨っ!」
 光の華が、空の一角に花開く。
「ねえ、タカ坊……なんだか怖くない?」
「なんで?」
「シ・ア・ワ・セ過ぎて」
「……」
 ギュウと、浴衣を着た環が、しがみついた貴明の腕の皮をつまみあげる。
「イデデデッデデエエっ!」
「なんで、タカ坊はそこで、『大丈夫だよ、環』とか言って、ギュっと抱き締めて
くれないかなあ」
「できるかっ、そんなことっ!」
 後ろを並んで歩いていた雄二と浴衣を着た、このみが、
「バカップルめ……」
「ふああ、バカップルだ……」
呆れた顔をしていた。
「幸せそうだな、河野貴明」
 綿菓子にリンゴアメ、風船ヨーヨー、後頭部にはキツネのお面で夏祭り完全武装な
変態仮面アイアウスが、四人の横に立っていた。
 青地の浴衣を羽織っているが、腹の所まで裾をはしょりあげていたので、
白いブリーフは丸出しだった。お祭りだからという理由で下着を履いていなかったら、
パニックが起きるところだった。
「ねえ、ユウくん。なんで、あの人、警察に捕まらないのかな?」
「捕まえようとした警官の顔、全部、股間に挟んじまうらしいぜ」
「うあ`あ`……そんなのイヤだよぉ」
 このみは自分の顔が挟み込まれるのを想像して、プルプルと小さく震えている。
「あら。今日は粋な格好ね」
「お祭りだからな。少し頑張ってみた」
「ねえ、ユウくん。タマお姉ちゃん、なんで平気な顔をしているのかな?」
「貴明で見慣れぺぐぅ!」
 貴明の後ろ蹴りが一閃、後ろを歩いていた雄二の腹を蹴る。 
「それで河野貴明。引っ越し祝いはいつ、持っていけばいい?」
「引っ越し? 祝い? アイアウスさん。なんのこと?」
「明日でいいわ。あと、引っ越しを手伝ってくれたら、御飯くらいは食べさせてあげる」
「ふむ。手作り料理など十年ぶりだな」
「おおい、タマ姉。なんで話を合わせてんだ?」
 変態仮面アイアウスと向坂環は顔を見合わせた後。
「なにを言っている? 明日、貴様はドミナの館に引っ越すのだろう?」
「そうよ、タカ坊。明日、あなたは私の家に引っ越しするから」
 ごく当たり前のように告げた。
「なっ、なんで!?」
「私と一緒に九条院に入学するために決まっているでしょう」
 ド――ン、ドド―ン!! と。
 貴明の困惑を覆い隠すかのように、空に花火が咲き誇る。
「これから二年間。タカ坊には、みっちり勉強してもらう。これは命令。
それで、二年後には、私と一緒に九条院の入学式を迎えるのよ」
「タマ姉はどうすんだよ。自分の受験だってあるだろうが」
「話はよく聞きなさい。一年くらいなら、タカ坊のために空白期間を
空けるぐらい、何でもないことなんだから。すでに内定も出ているから、
自分の勉強は抜きにして、みっちりとタカ坊に勉強を教えて上げられる」
 たかが一年くらい。
 可愛いタカ坊のために費やすぐらいは何でもないと言うタマ姉の顔は、
誇りと傲慢と愛に満ちていて。そんなものを押しつけられたタカ坊は、
ただただ唖然とするしかなかった。ちなみに、九条院の偏差値は東大並である。
「い、いや、いきなり言われても……ほら、親の許可とかいるし」
「おじ様おば様の許可なら、もう、もらっているわ」
「俺は何も聞いてないっ!」
「当たり前よ。今の今まで黙っていたもの」
 平然と。
 自分の所有物に対して、タマ姉は事実だけを告げる。
「ねえ、ユウくん。タカくんが大変なのに、なんで、嬉しそうなの?」
「自分の被る被害が少なくなるんだから、嬉しいのは当たり前だろ」
 隣りの家のお兄ちゃん取られてしまう、このみは、少し頬をふくらませて。
 奴隷仲間が増えてしまう雄二は、小躍りして喜びながら。
「引っ越しは任せろ。私の梱包技術はエース級だ」
「あら? それなら、よく見ておかないと。タカ坊を緊縛する時の参考になるから」
「……アイアウスさん、梱包って言ってんじゃんかよぉぉおおおおおお。
朝から晩までタマ姉と一緒? ぐあ`あ`あ`あ`あ`」
「早いか遅いかの違いだ、河野貴明。ドミナの所有物になることは貴様の運命。
スッパリとあきらめろ」
「いいこと言うじゃない。いよっ、変態仮面っ!」
 浴衣姿の姐さんの粋な掛け声を受けて。

「フォォオオオオオオオオ!!!」

 雄叫びと共に、夜空に変態仮面アイアウスが花火をバックに空へ飛び上がった。
「へ、変態が空を飛んでいる……」
「いやあああ! 写真に撮っちゃった! あたし、このカメラ捨てる〜っ!」
「お、オイナリ……オイナリはいやだああああああっ!」
「ホントだ……ユウくん。お巡りさんが逃げちゃったよ」
「きっと挟まれたことがあるんだろうな。可哀想に」
 浴衣の少女がカメラを投げ捨て、警備の警官がどこかへ逃げ出し。
 みんながみんな、空を見上げていた頃。

 環は悪戯な笑顔で貴明の顎を指で持ち上げて、顔を近づけた。
「わがまま言わないの、タカ坊。ほら、ご褒美」
 おんなのこはおとこのがじぶんをすきになってくれるように。
「んくっ?」
 だいすきになってくれるように。
「……」
「……タカ坊……大好きっ」
 おひめさまとおうじさまがするように、あついキスをしましたとさ。


 おしまい。





<オマケ>

 祭り囃しも終わり、浴衣姿の人々の姿も見えなくなった頃。
 アイアウスは全身に汗をかきながら、タオル地のパンティで顔を拭いていた。
「いい汗をかいた。来年もまた、こんな祭りを過ごせればいいが」
「あんたに来年なんか来ないわよっ!」
「むっ?」
 見ると、深夜の神社の境内の周りを、二百人ばかりの若い女の子ばかりが集まって、
アイアウスを取り囲んでいた。叫んだ少女は、赤味がかかった髪をポニーテールに
結んで、怒った顔で釘が何本も打ち込まれたバットを振り上げようとしている。
「その釘バット……天才漫画家の卵に激を飛ばすために取っておいたらどうだ?」
「ふみゅみゅみゅみゅ〜んっ! あたしのパンツ返せっ! この変態っ!」
「黙れ、貧乳っ! 貴様の出る幕はないわっ!」
 野太い声で叫んだが、アイアウスを囲んでいる若い女の子達の大半が自分の
胸を押さえて、切なそうにうつむいた後、顔を上げて、殺意のこもった視線を
彼へと向けた。
「あ〜ん、パンダ〜っ! あの変態男がいじめるぅ!」
「いいんや。これから簀巻きにして道頓堀に投げ込むんやから。好きに言わしとき」
「すっ、簀巻き? 待ちたまえ。私が何をしたというのだ?」

「黙れ、この下着ドロボウっ!」

 ごもっともです。
「やっ、やめろっ! マスクに手をかけるなっ! それは反則だっ!」
 釘バットが、足が、剣が、爪が、魔法が、電波が、常習下着ドロボウアイアウスを
ボコボコにしていく。
「フ、フフフ……簀巻きは止めて下さい。お願いしまふ」
 翌日、近くの川で簀巻きになったアイアウスが流れていたが、誰も拾うものは
なかった。
 人を呪わば穴二つ。
 古人はよくぞ言ったものである。


 To Hentaimask 2  Tamaki-kousaka     end