To Hentaimask2 <Karin-Sasamori(4)> 投稿者:AIAUS

「た〜かちゃん。はい、あ〜んっ」
「……あ〜んじゃなくて」
 ハムサンドを眼前に差し出されて、貴明はとても迷惑そうな顔をしている。
「どうして、たかちゃん。いっつも素直に食べてくれないかなぁ。私の愛が
こもっているのに」
「それは花梨が俺のタマゴサンドを、いっつも奪っているからじゃないかな」
「たかちゃん、だんだんオクチが悪くなってきたね」
「ははは。花梨の口調がうつったんじゃないかな」
 貴明と花梨は、互いに目を細めて剣呑な笑いを顔に浮かべている。
 場所は教室。昼休憩ではあるが、「あ〜んっ」が許されるほど自由な空間では
ないのだが。 
 毎日毎日を一緒に走り回る日々は、そんなこともわからなくしてしまったのか。
 わからなくなるほど二人の距離が近づいたのか。
「ふももふっ、ふもふもっ!」
「もふふもっ、もふもふっ!」
 ハムサンドとタマゴサンドを互いの口につっこみ合って組み合っている二人の
様子から、どちらかをうかがい知ることはできない。


 得奴定提亭御坊は、長い髭を撫でながら空を見上げていた。
「ねえ、たかちゃん。最近、全然レーダーの反応がないね」
「どこか別の場所で活動してるか。それとも倒されたか」
 横に立っていた少年少女の会話に、大きく禿げ頭を横に振って、得奴定提亭は
難しい顔をしている。その様子を感じたのか、空さえも曇って困り顔だった。
「馬鹿弟子め。空の器ばかりを集めて喜んでおる」
「アイアウスがどこにいるのか、わかるんですか?」
 得奴定提亭は再び首を横に振った。
「そんなものがわかったら、とっくに解脱しておるわ」
 解脱の意味がわからない貴明と花梨は不思議そうな顔をしている。
「いずれ姿を現す。その時、どうなるかは、ワシにもわからん」
 魔法使いユーナ・キアもアパート自室の床に伏せったまま、まだ復活を
果たしてはいない。
「どうなっちゃうんだろ」
 それは貴明にもわからなかった。
   

 歪んだ蛇がのたうっていた場所は、誰知らぬ戦の場であった。
「来いやっ、化け物っ!」
 長さ千丈にも及ばんとする怪蛇の前に立ちはだかるは、馬上で巨大な方天戟を
構えた無双の武士。赤地錦の百花戦袍を着た上に連環の鎧を着かさね、
髪は三叉に束ね紫金冠をいただき、獅子皮の帯に弓箭をかけていた。
「冬月(トウゲツ)将軍、無茶ですっ!」
 幕下の兵達が叫んだが、将軍冬月、字は俊範(シュンカイ)は愛馬ツムジの
鞍に足を叩きつけて、方天戟を振り上げ、歪んだ蛇へと向けて突進を始めた。
「髀肉を嘆じ、草野に埋もれるかと恐れおののいた幾年月。それらを超えて、
ようやくにも巡り会えた戦の場、化け物ごときに邪魔させんっ!」
 その獅子吼は敵であった兵達にも届いたのか、さっきまで互いに槍と弓を
突き合わせて殺し合っていたはずの兵達が、敵も味方も歪んだ蛇を押し包むように
して、一斉に集まった。
 身をよじって群がる兵士を吹き飛ばし、全身から雷を飛ばしす。
 右に当たり左に薙ぎ、迫り来る閃々の雷光を弾きながら、ツムジの背から
大きく冬月は飛んだ。
「ドゥリャアアっ!!」
 それは飛ぶと言うよりは、追い風に吹き飛ばされるがごとき天に向かった疾走。
 巨大な方天戟を下に構えて、無双の武士は歪んだ蛇の眉間へ十貫の刃を
叩きつける。
 打てや、打て。放てや、放て。
 将軍の勢いに押されて、群がり猛る兵達の勢いも増す。
 黒いウロコを剣と戟の白刃が覆い、歪んだ蛇の命もこれまでかと思われた。
 されども。
 突き刺しえぐり、脳髄を掻き回すがごとき一撃を与えたとて。
 小さき人の身にて、長さ千丈に及ぶ怪しき蛇に致命を与えることは適わず。
「風よっ! 天翔ける大気よっ! 我に続けいっ!」
 冬月の連呼に答えて、兵達が、戦の場を包む血なまぐさい風達が連呼を繰り返す。
 ――バルバルバルバルバルっ――
 風刃が蛇の頭を長い胴体から斬り飛ばす前に、雨のごとく降り注いだ雷の大柱が
無情にも戦の場と将軍の構えた方天戟に落ち、青い火柱を立てた。
 

「……たかちゃん。これ、あまり美味しくないね」
 花梨が手に持って顔をしかめているジュース缶には「ギャラクシー・ドリンク」
と書いてある。ラベルの色は……なんというかギャラクシーな色で、ジュースの色
は……下水道の白い水にショッキングピンクを加えたら、こんな感じの色に
なるんじゃないかなあ、というような感じだった。
「どこで見つけてきたんだよ、そんな珍妙飲料」
「わざわざ通信販売で買ったのにぃ……舐めただけで意識飛んじゃうかと思ったよ」
 涅槃のら口を離して、ニコニコと笑いながら、花梨は貴明にジュース缶を
差し出した。
「はいっ、たかちゃん」
「いやっ、かもりん」
 絶妙の掛け合いに花梨は唇を尖らせて、貴明はフザケンジャネエノメルカコノスベタ
という顔をしている。
「たかちゃん。こんな不思議ドリンク、滅多に飲める機会ないよ」
「ごめん。今生でギャラクシーに出会う予定はないんだよ」
「う〜。たかちゃんの意地悪ぅ」
 口とは裏腹に、花梨は貴明に抱きついて、相手がオロオロしている間に、
ジュース缶を口にくっつけさせて、傍若無人にも缶を垂直に立てた。

「ぐぼぼぼぼぼぼぼーーーーーう!!」

 ドライアイスを湯に漬け込んだ時のような声を出して、貴明は立ったままで
白目を剥いた。
「たかちゃん……花梨との間接キッスで、仁王立ちで逝くほど感動してくれたん
だね……感激っ☆」
 あんな痛い女は、いくら可愛くてもパスじゃな。
 ギャラクシーに飛んでしまった貴明に抱きついている花梨のドクロの髪飾りを
横目に見ながら、得奴定提亭は竹筒の水筒を口に当てて傾けた。
 ……?
 なんかナマモノな味。
 口の中で化学実験、しかも劇物生成系の実験をしているような激しい刺激臭と
汚濁感を感じた得奴定提亭は、顔をしかめた。
 続いて、口と言わず鼻と言わず、全身をヤバい甘酢系統の味と悪臭が覆う。

「にはー!!!!」

 長い髭を針金のように放射状に伸ばして、禿げ頭の坊主が後ろに倒れた。
「……ギャラクシー・ドリンク。その味は宇宙空間に生身で飛び出す感じ。
絶対に飲んじゃダメ。死ぬるぜ」
 あらかじめ用意しておいた真水でガラガラとウガイをした後、花梨は
「今日の不思議」と銘打たれたメモ帳に、実験結果を書き込んでいた。 


 屍連なる戦の場にて。
「……返して」
 赤い目と白い肌をした少女が悲しそうに手を天に向かって差し上げていたが。
 歪んだ蛇は口にパンツをくわえたまま、ズルズルと這うばかりだった。
「冬月……頑張って」
 ちょっとウェルダンな感じに感電してしまった冬月は、自分の頭を指でツンツンと
つつくアルビノ娘、優喜に向かって断言する。
「無理っス。正直……すまんかった」
 ゲシゲシと、赤い目と白い肌をした少女が冬月将軍の尻を蹴っていた。


 日曜の昼下がり。
 表面上は平和な、いつもの休日。
「……いいなあ」
「羨ましいのであれば、お主も娘っ子を誘えば良かったではないか」
「そっちじゃなくて」
 右手の指をくわえて、連れだって歩いている貴明と花梨を羨ましそうに見ているのは、
ようやく病気(サイコ系)から回復した魔法使いユーナ・キア。長い金髪と青の三角
帽子、ドレスが小憎らしいぐらいに可愛い子であったが、キリタンポを股間に
装備していることだけが玉に瑕であった。
 ちなみに玉とは玉石のことで、貴兄が想像しているような男性器官ではない。

「ね、ね、たかちゃん。どこ行こっか」
 にこにこと笑う花梨は黄色を基調としたミニスカートを履いていた。
 花梨って、こんなに可愛かったっけ?
 目に飛び込んでくる健康的な太股から目をそらして、Tシャツにジーンズという
ラフな格好をした貴明は返事をした。
「ゲームセンターとかはどう?」
「うんうん、いいね。行こ、行こっ」
 腕を組もうとする花梨からサイドステップをする貴明。それでも花梨はめげずに
踏み込んで、貴明の腕を捕まえる。
「わっ、わっ。よせって。みんな見てるだろ。恥ずかしいっ!」
「そんなことないよ。ほらほら、たかちゃん。早く行こっ」
 うろたえる貴明に対して、花梨は上機嫌。振り返る人々は確かに、貴明が気にする
ように二人を振り返っていたが、その目は二人の姿ではなく、女の子が履いている
見慣れない布の方へ向いていた。

「たかちゃん、たかちゃん。あれ取れるかな?」
「あの猫のヌイグルミ?」
「そじゃなくて、あっちの白いヤツ」
「……なに、あの細長くて目が大きいの?」
「グレイだよ、グレイ。たかちゃん、知らないの?」
 ゲームセンターの入り口で、二人は盛り上がっている。

 ドラムの重低音とピーキーなエレキギターの金切り声。
「よっ、はっ、たっ、とわっ!」
 ヘンな掛け声をかけながら、リズムゲーの筐体の上で花梨は跳ね回っている。
「たかちゃん、上手、上手ぅ〜っ! もう一曲いこっ、もう一曲っ!」
「だあ〜っ! ちょっとは休ませてくれぇっ!」
 ゲームセンターの中で、二人は盛り上がっている。

「たかちゃん、はい、あ〜んっ」
「花梨……もしかして人参嫌いなの?」
「むぅ。私の愛が受け取れないというの? いいから、さっさと食え〜っ!」
「だから、さっきから人参ばっかり食わすなってんの」
 ファミレスの中で、二人は盛り上がっている。

「うげ……ヒロインが惨死なんて有りかよ」
「これから、これから。もっと面白くなるよー」
 スクリーンの上で、緑色のチクワに触手を生やしたような生き物が好き勝手に
暴れ回っている。対するは、頭のハゲたオッサンだった。
「花がないよなあ……なんでハゲが生き残るんだ」
 ハゲは悪くない。
 自分の頭を撫でながら、映画館で盛り上がっている二人を長い髭の僧侶が
のぞき見ている。

「脈絡無く、ヒロイン復活っていうのは白けるよなあ」
「でも、ラストは結構よかったよ」
「そうか? 俺としては……」
 映画が終わった後、夕日が窓から差し込む喫茶店で二人は楽しそうに
話をしている。それはどこにでもある学生二人の楽しげな青春の一時。

「奇妙なニュースが世界を覆っています」
「どれどれ?」
 差し出された英文雑誌を手にとって、得奴定提亭は目を動かす。
『下着工場から女性物のパンティばかりが消える』
『アフリカ、救援物資で送られた衣料品から女性の腰布だけが消える』
『イヌイット、下着を盗まれて腰を冷やす女性続出』
 パタンと雑誌を閉じて、得奴定提亭は髭を撫でる。
「見境無しか。乳の大小だけは容赦のない男であったが。お主の下着は盗まれて
いないのか?」
「はい。残念なことに」
 なにが残念なのか、よくわからない得奴定提亭は首をひねった。

 貴明と花梨の初デートから四日後。
 世界中、老若を問わず、場所を問わず。

 世界から、全てのパンティが消え去った。
 
 

  
  
「タカく〜ん。このみのパンティが全部なくなっちゃったよ〜。お母さんのまで」
 そんなこと教室で大声で喋るなと貴明は、このみの口を塞いだ。
 世界的な異変により、特例として女子だけ、腰から下はズボンを履いてきてよい
という学則が至急打ち出された。
「うう……タマお姉ちゃんにもらったスカート、履きたかったのに」
「履けばいいじゃん」
「このみ、露出狂じゃないよっ!?」
 ダブダブのズボンに、上は学校指定の制服というコーディネートを無視した、
このみと遊んでいる貴明。
「うちも盗まれた。とっておきの勝負パンツまであったつうのに。絶対に許さんで」
「……あたしもです〜」
 小牧と彼女の友達が情けなさそうな顔をして貴明に言う。
「困ったものね。私の下着まで盗まれるんだから」
「……タマ姉。なんでスカート履いてるの?」
「タマお姉ちゃん、露出狂でありますか?」
「ちげえよ。姉貴、俺のトランクスを奪って履いてんだぜ。いくら、非常事態って
言ってもなぁ……」
 姉貴のスカートをめくり上げて、みんなに指示棒でわかりやすく説明していた雄二が、
「あぼっ、ごげっ、ふべしっ!?」
実の姉に撲殺されそうになっている頃。
「もしかして、笹森さんもトランクスなの?」
「あっ、あははは……そんなところかなぁ」
 小牧に尋ねられて、貴明を迎えに来ていた花梨は困った顔をしていた。


「ねえ、たかちゃん。もしもの話だけど。もしもね、私が誰かに襲われたら……」
「守るけど?」
 学校の帰り道、いきなり出鼻をくじかれた花梨は、前につんのめりそうになりながら、
エヘヘ笑いを浮かべて、横を歩いている貴明の顔を見上げた。
「恩義がある人が相手でも?」
「俺、武士とか騎士じゃないし」
 唇に指を当てて、花梨は考え込んでいる。
「んっと、もしも、たかちゃんの大事な人と私のどっちか片方しか守れないっていう
状況になったら、どっちを守るの?」
「どっちも守る」
 コンニャロウと思いながら、花梨はまたドクロの髪飾りをつけた頭を傾けて、
尋ね続けた。
「どっちも守るっていう答えはダメだよ、たかちゃん。どっちか一つしか守れないの」
「だから、どっちも守るし、どっちも助ける。俺は武士でも騎士でもないけど、
正義の味方のつもりだから」
 パンティ被って全裸に近い格好をする変態仮面だというのに。
 たかちゃんはやっぱり格好良くて。
 もう一歩踏み出そうか踏み出すまいか。
 貴明の腕を自分の胸に抱えながら、花梨は考え込んでいる。


 世界のあらゆる場所から、女性が下に巻いている物が消えた。
 それは下着ドロボウとか、そういう次元を超えて、神か悪魔しか成し得ぬ戯け。
 それでも人類は災難に対する適応能力に優れた種ではあったので、男性達の落胆を
置いて、それぞれズボンのようなものを履いて、平然と過ごしていた。
 ただ花梨一人、校庭の端にたたずんで、野球部の練習をボーっと眺めたりしている。
「どうしたの、花梨。今日は探しに行かないの?」
「んっ。最近レーダーに反応とかないなあって」
 なぜか元気のない花梨の横に立って、貴明は色々と話をする。
「この間の映画は楽しかったね」
「うっ……うんうん。あれは楽しかったよ。あの監督の終わり方って、いっつも
あんな感じだから新鮮味はなかったけど」
「他にもあるの?」
 映画の話から始まって、あの監督が語りたい未知の怪物の恐怖というものを
得意そうに花梨は説明し始めた。
「ラブクラフトと同じで、あの監督も幼い頃に近親者が果ての扉を開けてしまった
んだって。それで、その近親者が語る未知の世界の恐怖をひたすら映画で現して
いるだけなんだけど。まだ描き切れてないって、どんどん新作を出しているよ。
コアなファンもいて、監督の名前で検索すると……」
 蕩々と花梨が語る、以前はどうでもいいと思っていたに違いない話を、貴明は熱心に
聞いている。その澄んだ瞳に吸い込まれそうになって、花梨はようやく、
なぜ自分が最初から、この普通の姿を装っている男の子が気になり始めたのか気づいた。
「UFOとかUMAとか。それって未知だからこそ楽しいものであって。
実際に知ってしまうと、それはただの事実、当たり前でしかなくなるよね」
「当たり前は楽しくないの?」
「んんー。だって、普通ってドキドキしないよ」
「俺はその……当たり前のことでもドキドキするって、そう思う」
 貴明の目を見ていた花梨は、自分の手を包む暖かい感触に身を震わせた。
「……たかちゃん。それ、ずるい」
「ずっ、ずるいの?」
「絶対ことわれないタイミングだよ、それ」
 自分から身を寄せて、顎を突き上げようとする花梨の額に、貴明の手が乗る。
「花梨。それもずるいよ」
「へへっ。隠し事してるのバレちゃった?」
「うん……昨日、現れたんだね」
 何が現れたのか。深刻な顔をしていた花梨は覚悟を決めたのか、貴明が知っている、
いつもの何かを探る好奇心に満ちた表情で話し始めた。

 花梨の部屋はUMAの本や宇宙人のヌイグルミなどで埋まっている。
 ベッドで眠っていた花梨を目覚めさせたのは、赤い視線だった。
「ひっ……」
 それは歪んだ蛇であった。
 それは赤く四角い目を光らせて、パジャマ姿の花梨の隠し所を見つめている。
「うっ、宇宙人さん?」
 バル。
 チロリと長く伸びて、先が二股に分かれた舌をうごめかせて、歪んだ蛇は
花梨の首を舐めようとする。
「たっ……たすけて……たかちゃん」
 歪んだ蛇の動きが止まった。花梨の顔ではなく、その背中の後ろを見透かす
ようにして、本能に埋もれてしまった記憶を探った。
 どこか広い場所が必要だと、歪んだ蛇は思った。

「今日の夜。タッカーと初めて会った場所で。そう言ってたよ」
「そうか……」
 貴明のことをタッカーと呼ぶのは一人しかいない。
 それは愛し合う人の子、今はただの怪物となったアイアウスのみ。
「特訓とか、間に合いそうにはないね」
「あはは。たかちゃん、運動嫌いだから、ちょうどよかったね」
 それが負け惜しみとなるか余裕となるか。
 まだ、誰も知らない。   


 右手にホウキを持って。
「グェンディーナ王国軍特務部隊隊員、ユーナ・キア。これより最後の戦の
準備をいたします」
 左手に構えたのは、まさかの時に持ってきた特別の赤いステッキ。
「やれんのう。たかが腰巻きを取り戻すために命を賭けるのか?」
「もう……回収は不可能だって、わかってます」
「知っとったか」
 キアの部屋の畳の上に胡座をかいて座った得奴定提亭御坊はボリボリと禿げ頭を
掻きながら、大きなアクビをした。
「世界全ての女性の下着が無くなったというのに、それがどこに溜め込まれているのか、
誰にも分からない」
「ああ……それは俺もうすうす気づいてた」
 普通でない者、河野貴明とユーナ・キア、得奴定提亭の三人に囲まれて、
「ねえ、ねえ。たかちゃん、どういうこと?」
花梨一人だけが不思議そうな顔をしている。
「アイアウスさんは地球上にある下着全てをさ」
 花梨の顔が不思議そうに傾け、

「食っていたんだよ」

コテンとそのまま、横に倒れた。
「たっ、たっ、食べるってーっ!?」
「あの人、パンティ入りウドンとかズルズル食べてたから……俺は食べてないよ。
しつこく奨められたけど」
 ジト目で自分の顔を見ている花梨の視線を振り払って、貴明はステッキの
確認をしているキアの方を向いた。
「地球上というのは正確ではありません。おそらく、アイアウスは魔法使いの
ように世界と世界の壁を渡ることができる。それがどうやってかは、わかりません。
しかし、ここまで大規模な変異を起こすことができる以上、あれは尋常の生物……
いや、魔物と思わない方がいい」
 キアが持っているステッキは対神話級の破壊光弾を放つマジックワンドで、
超広域破壊兵器として使用が固く制限されている。
「そんなもん。使ったが最後、お主まで巻き込まれて死んでしまうぞ」
「だからこそ、我々は特務部隊としての栄誉を王国から預かっているのです」
 これを放てば、神話級の魔物であっても滅殺することができる。 
 ただし、あれに魔法が効けば、の話になるが。
「おぬしの方はどうなんじゃ?」
「世界に一人、最後に残されていたってことは。俺と戦えっていうことなんだと
思う。だから逃げないし、逃げられない」
「やれんのう」
 長い髭を撫でて、得奴定提亭は天井を見上げる。
「策がある。よく聞いてから出かけるんじゃ、小僧っ子ども」
 特訓する時間はなかったけれども。
 まだ月は昇っていなかったので。
 得奴定提亭の言葉を少年二人が理解する時間は十分にあった。


 楽園から追われた人間が新たに創り出した楽園、都市。
 それは時代を経るごとに巨大化し、進化し、今では闇夜さえも覆す不夜の楽園として
世界のどこかしこにもあった。貴明と花梨が住んでいる街とて、その堕落した楽園の
一つに過ぎない。しかし、今夜だけは、夜を知らないはずの都市を筒闇が支配していた。
 巨大なビルに絡みつくようにして、歪んだ蛇が鎌首をもたげている。
 この世界全ての色を混ぜ合わせすぎたウロコは黒で、電気の陽光を失って
無力となった人間の頭上で、闇よりも深い色は、その無力を嘲笑っていた。
 火線が六十条、赤い光を上げて飛んだ。
 自衛隊と在日米軍の戦闘機が放った中距離ミサイルが筒闇の蛇の体へと
吸い込まれていく。だが、ファイアボタンを親指で押したパイロットが期待したような
激しい爆発は起きなかった。
 赤い角張った目が妖しい光を放つ。
 三角の牙が幾重にも並ぶ口からはチロチロと二股に分かれた舌が飛び出て。
 旋回し、歪んだ蛇に向かって、もう一撃、ミサイルの一斉発射を行おうとしていた
戦闘機の編隊飛行が崩れ、時間を置いて、次々とエンジンから火を噴き始めた。
 枯れ落ち葉のように落ちていく戦闘機の一群を見上げて、戦闘服姿の兵士たちは
呆然としている。
 次の戦闘機の一群がやって来たが、それもまた同じ運命を辿った。
 舞い落ちる炎の枯れ葉を避けるようにして、星屑を夜空に巻きながら、空飛ぶホウキ
に乗って、青い魔法使いが赤いステッキを左手で振るう。
 巨大な光の爆発で押し広げられた空気が津波となって地上にいる兵士達の顔を
叩く。
「こっ、小型核か?」
「違う。そんなもんが、あんなに連発できるわけがない」
 丸い光の爆発が数珠のように繋がって、巨大なビルに絡みついている黒い歪んだ蛇に
叩き込まれ続けていた。爆発の範囲は完全にキアの体を捕らえているが、ホウキ乗りの
意地に賭けて、キアは爆風よりも速く身を避け続ける。
――バルバルバルバルバルっ――
 その爆風の隙間を縫うようにして稲光が辺りを包み、こしゃくな魔法使いを
焼き焦がそうと荒れ狂う。

 爆光と稲光が辺りを包み、兵士達も退却を始めたアスファルトの上。
「たかちゃん……私に何か、言いたいことある?」
「後で洗って返すよ」
「そっ、そうじゃなくって……その……別れの口づけとか?」
「……パンティ被った後でいいなら」
「やだーっ」
 貴明が受け取ったのは花梨の履いていたパンティ。顎に裾を賭けて、足を入れる
穴に指を引っかけて、一気に頭の上まで持ち上げる。頭上からコメカミ、頬から
顎の先まで締めつけられて、貴明の脳裏にエクスタシーメーターが灯る。
「この締めつけ……まさか勝負パンツ?」
「たっ、たかちゃん! いちいち説明しなくていいってばっ!」
 前のめりになり、当て布から沸き上がってくる芳香に意識を集中する。
「この日のために……俺たちは出会ったのか。このキッツイ匂いのためにっ!」
 わっかれようかなー、という思いが、チラっと笹森さんの頭に浮かんだ。
「フォオオオオオオオオオオオオオ! クロース・アウットっ!」
 学生服を脱ぎ捨ててブリーフ一丁になった貴明の目が逆三角形の白目になり、
背中の筋肉が隆々と盛り上がった。
「気分はエクスタスィイイイイイイイイイイイイイ!」
 エクスタシーメーターはフルゲージ。
「かもり〜んっ!」
「むぎゃあっ!!」
 強引に抱き寄せた花梨からファーストキッスまで奪い、ゲージはエクストラ枠を
超える。変態仮面タッカーは爆発で落ちてきた壁の破片やアスファルトの上で
跳ね狂う稲光を避けながら歪んだ蛇の尻尾へと走り寄る。
 固い拳が蛇のウロコを一枚、叩き飛ばした。


 そは巨大な蛇のような者にして、巨大なる大自然の怪異なりて。
 数多世界の千億枚のパンティを食らって巨大な化け物となったアイアウスは、
上下から迫ってくる敵の些末な攻撃に飽いていた。
 いくらウロコを焼こうと、吹き飛ばそうと。
 千億の女体の芳香に包まれている自分の実存を崩し通せるはずもない。
 それは自信ではなく事実であり、命がけで戦っている二人を侮蔑せずには
いられないほどの退屈な時間であった。
 赤い四角の目を光らせて、白い三角歯を開いて、アイアウスはトドメを刺そうと、
大きな大きな、この都市全体をも覆い尽くす巨大な雷の神殿を召還しようとする。
 それはスキと呼ぶにはあまりにも短い、わずかな時間。
 けれども、巨大な金バサミを持っていた得奴定提亭が叫ぶ。
「タッカーっ! 今じゃああああああっ!」
 投げ渡された三メートルの特大金バサミを片手につかみ、変態仮面タッカーは
アスファルトの上を駆け出した。
 金バサミの先につかまれているのは、茶褐色のパンティ。
 それは今という時、貴明の顔の上とアイアウスの体の表面を除いては、
どこの世界にも存在しないはずのカタチの布。

「変態奥義っ! 悶絶イザベラ・スローイングっ!」

 高く天空へと投げ上げられた茶褐色のパンティが、アイアウスの顔の前を
ヒラヒラと舞った。
――バルっ!――
 ためらうことなく歪んだ蛇は大きく口を開いて、パンティを胃の中へと流し込む。
 そして。

――ブゥオゲエエエエエエエエエエエエっ!!――

 ビルから落ちて、周囲の建物をなぎ倒しながら、のたうって暴れ始めた。
 イザベラとは。
 スペイン王フェリペ2世の娘イザベラ (Isabella Clara Eugenia) が願をかけ、
イスラム勢力を追い出すまでの三年間、その下着を変えなかった。故に、今でも
ヨーロッパでは茶褐色をイザベラ色と言うことがある(実話)。
「わしはわかっておった。この時がわかっておった。だから、締めつけにも
耐え続けたのじゃ……この馬鹿弟子めが」
 この時が来ることを誘っていた得奴定提亭御坊は三年間、パンティを履いて、
一日も変えることがなかった。

――ブゥオゲエエエエエエエエエエエエっ!!――


 あらゆる世界より掻き集めた千億のパンティに勝る、中年男千日分の臭気。
 そんなものを体に取り込んでしまったアイアウスは悶え苦しみ、神話の怪獣と
化した体をのたうたせて、無人のビルを崩しながら、悶え苦しんでいる。
 今こそ。
 タッカーは全身の筋肉を引き絞り、地面を、いや、地球そのものを蹴る。
 地面が大きく揺れて、ペタンと花梨が尻餅をついたほど。
「変態究極奥義っ! 昇竜飛天脚っ!」
 天へと駆け上がる昇竜。その足先が狙うは歪んだ蛇の顎。
 白い光の束と化した貴明の、天に駆け上がるらんとするばかりの跳び蹴りが、
黒い巨獣の顎を貫き、その頭全てを吹き飛ばした。
「とどめですっ!」
 続けて、キアが放つ神話の光弾が放たれて、ウロコと化したパンティ全てを
焼き焦がしていく。
「怒られないかな。みんなの下着を焼いちゃったりして」
「お主。変態男に盗まれた下着をまた履きたいと思うのか?」
 ブルンブルンと尻餅をついたままで花梨は首を横に振る。
 焼け焦げてなお、のたうち回っている蛇の巨体。
 その隅で、口から透明な液体を流した男が倒れている。
「この馬鹿弟子が……しばらく反省するがいいぞ」
 得奴定提亭は人間に戻ったアイアウスの体を肩に担いで、どこかへと去っていく。
 ホウキからこぼれ落ちた星屑が「THANK YOU」と文字を書いて、
そのまま空へと、元の世界へと消えていった。 


 罪を償うのは法に従って。
 得奴定提亭の信念により、アイアウスは超級下着窃盗犯として日本警察に
捕らえられた。自首のカタチではあったが、その判決は重く、死国に流される
こととなった。
 死国送り。
 それは絞首による死刑よりも厳しいとされる、日本国での最高刑である。
 両手に八本、十六輪、鋼鉄製の頑丈な手錠をはめられて、十人ばかりの屈強な
警備兵に囲まれて、アイアウスは四国へと向かう戦艦に乗せられていた。
「これで逃げ出せはしまい。凶悪犯め」
 銃をちらつかせながら警備兵は笑ったが、冷たい鉄の椅子に座ったアイアウスは、
ある方向を見つめながら平然としていた。
「逃げ出せない? これのことか?」
 バキ! バキ! バキ! バキ! バキ! バキ! バキ!
 都合七回、左右に広げられた膨れ上がった二の腕が鋼鉄の鎖を引き千切る音が響く。
「きっ、貴様、抵抗する気かっ!」
 怯えながらも警棒を振り上げようとする警備員に向かって、アイアウスは
両手をそろえて上げてから、最後に残った一本の手錠を見せた。
 椅子から立ち上がる様子もなく、そのまま、魑魅魍魎が跋扈する死の国がある
方向を白い平行四辺形の目で見つめている。
「……逃げるつもりはないということか?」
「日本のマーモ、死国のパンティはまだ見ていないと思ってな」
 各地で神話の時代に討伐されたはずの悪鬼が未だ這う未知の島。
 そこは死国と呼ばれて恐れられていたけれども。
 重犯罪者として流されるはずの男の胸は、期待に高鳴っていた。
 戦艦の舳先が白い波を立てて、暗い海を掻き分けていく。
 
 
「……あの人なら、きっと……」
 もう二度と会うこともないだろう兄のような男の背中を思い出して、貴明はつぶやく。
「たかちゃん。寂しいの?」
「そうかもしれない。そうじゃないのかもしれない」
 キュっと自分の手を握りしめてくれた花梨の手が、暖かくて、柔らかくて、
なんだか心がくすぐったかった。
「追いかけて、追いかけて、追いかけて。終わったら、あっという間だったね」
 ユーナ・キアも、得奴定提亭も姿を消した。
 別れの言葉はなかったけれども、その姿はよく覚えている。
 きっと、最後の時まで忘れない。
「えへへ。そ、その……ね、ねえ、たかちゃん?」
 あんまり慌ただしかったので、忘れていたことを、
 貴明の目をのぞき込むようにして見ていた花梨がつぶやいた。
「あの時の続き……まだ、だったよね?」
「うん。花梨のだけど、パンティをかぶったままっていうのはあんまりだった」
「……あれはノーカウント。笹森花梨の人生の歴史には記録されてないもんっ」
 あんまり慌ただしかったので、心惹かれていたことも忘れていた二人は、
互いに見つめ合った。
「たかちゃん……もう変身はしないの?」
「多分もう、戦いに胸を躍らせることもないよ」
「そっ、そうかなあ。世界にはまだ、きっと、とんでもない出来事がどこかに
残っていて、私達を待っていると思わない?」
「うん。とりあえず今は、胸がドキドキしてる」
「たかちゃん……」
 きらきらと輝き出した花梨の瞳は、とても綺麗で。
 抱き締めた髪の上に飾られているのは、ドクロの首飾り。
「ねえ、花梨。これって?」
「んっ……もう。全部すんだら、ちゃんと教えてあげるから」
 混沌に覆われた世界は、なんでもなかったように平凡な日常を取り戻した。
 そして、貴明と花梨の二人も、なんでもない恋人同士のように甘い時間を作り始める。
 それは神話の時代より始まり、今も続く、なんでもないこと。
 けれども、一番大切だと伝え続けていること。

 新しい場所で、新しい時間で、あの人も俺みたいに見つけることができたら。

 最後にそう思った後、貴明の心の中は花梨でいっぱいになった。


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