To Hentaimask2 <Sango-SIrayuri(1)>  投稿者:AIAUS

作品を読まれる前に御注意:

☆この作品はTH2のネタバレを含んでおります
☆この作品はいわゆるシモネタ系の作品です
☆未だL学になっていませんが、最終話の後で帳尻合います。

以上、承諾いただけたら、下へとお進み下さいませ。



「対毒セービングスロー成功。よっしゃ、生き残ったっ!」
「さすがにドワーフ強いな。んじゃ、次のターンでキュアいくぜ」
 コアな連中が非電源系RPGに興じている横で、貴明はアクビをしていた。
「おーい、貴明。飯食いに行こうぜ」
「ああ。そうすっか」
 日々はいつも変わることなく。
 中庭に出て、学食で手に入れたパンをベンチに座って囓りながら、貴明と雄二は
ノンビリと空を見上げている。貴重な学生時代、自由に自分の時間を使えることが
許される時代であるけれども、貴明も雄二も、差し迫って目標というものを持たない、
普通の学生だった。
「ああ……空から女の子が降ってこないかな。俺のことが大好きな」
「アホ」
「それじゃあ、PCから飛び出てくる女の子でもいい。俺のことが大好きな」
「雄二にラブラブな貞子?」
「貞子じゃねえっ! ……ったく。女の子が苦手って顔して売約済みの奴は、
さすがに余裕が違うってか?」
「売約済みって? 俺、彼女いないし」
「おまえ、毎朝起こしに来てくれる幼馴染みの女の子がいる分際で、そんなことを
ほざきやがるか?」
「そんなら、雄二にだって、毎朝叩き起こしてくれる優しい御姉様がいるじゃないか」
「阿呆。姉貴は女じゃねえ。マムシとかサソリの類だ」
「それに毎朝襲撃されているわけか……雄二も可哀想にな」
 貴明がホントに哀れんだ目で肩をポンと叩いたので、雄二は涙目をこすった。
「この野郎……女のいない人生なんて価値ないぜ」
「女だらけの人生だって価値ないと思うけどなあ」
「なんでだよ。最高じゃんか、回りが女の子だらけ。ああ、それは男の夢。
ワンダー・ハーレムっ!」
 そんなことを往来で叫ばなければ、雄二もモテそうな顔なんだけどな。
 叫ぶ雄二を指差して、ヒソヒソと陰口を叩きながら去っていく女子生徒の後ろ姿を
見送りながら、貴明は溜め息をついた。
「ねえねえ、タカくん」
「いてっ。こら、このみ。髪の毛を引っ張るな」
 ベンチに腰掛けていた貴明は、後頭部から髪をクイクイと引っ張られて顔をしかめた。
「は〜い、まいハニー。僕のドリームランドへようこそぉ」
 雄二はまだ夢から帰っていないのか、クルクル回って踊っている。
「はにゃ?」
「このみ。それ、ハニー違いだ」
「はにゃ? フラッシュの方? このみ、露出狂じゃないから」
「こらっ、雄二っ!」
 雄二のワンダー・ハーレム・ドリーム・ダンス(クルクル回っているだけ)を
止めたのは、彼の実の姉である向坂環だった。
「どうして、人前で踊ったり叫んだりするのよ。恥を知りなさい」
「恥? 俺の華麗なダンスが恥? やっぱ、姉貴は芸術っていうものがわかって
ねえ……ぐええええっ!」
「わあ。ユウくんの顔色が赤から紫、青になって、まるで七面鳥みたい」
「タマ姉。ネック・ハンキングツリーは死ぬから」
 雄二は死にかかっているが、毎日のことなので、このみも貴明も冷静であった。

「女の子にもてたいの?」
「いや、そりゃ雄二が言ったこと。俺はあんまり興味ないし」
 ベンチに座ったままの貴明の隣りに腰掛けた環は笑っている。
「ウソおっしゃい。ホントは興味あるくせに」
「あることはあるけど。多分、人並みよりは興味ないんじゃないかと思う」
「ウソだ〜。タカくん、女の人のハダカの写真、たくさん持ってるよ」
 このみさんの発言で、場が静まりかえった。
「……」
 赤くなって沈んでいる貴明の肩をポンポンと叩き、
「このみ、情けというものを知りなさい」
 環はちょっと厳しい声で言った。悪いことを言ってしまったのだと気づいて、
このみは慌てて言いつくろう。
「わっ、悪いことじゃないよ。このみもタカくんの写真持ってるから」
「おっ、俺の写真って……」
 今度は別の意味で、貴明の顔が赤くなる。
「こらっ、タカ坊。このみを、そんな目で見るんじゃないの。あなたの写真集と、
このみの写真じゃ意味合いが全然違うんだから」
「でもでも。タマお姉ちゃんもタカくんの写真、たくさん持ってるよ。この前、
更新分だって新しいのも渡したし」
 このみさんの発言で、場が静まりかえった。
「……私のも、このみと同じだから。ほら、懐かしむとか、そういう意味よ」
 懐かしむなら、なんで更新する必要があるのだろうか。
「このみ。とりあえず、この話題は止め」
「む〜。なんで〜」
 情けというものを貴明は知っているので、環の肩をポンポンと叩いて慰めた。
「とりあえず、俺は二人も大事な女の子がいるからいいよ。もてなくっても」
 貴明さんの発言で、場が静まりかえった。
「……タカ坊」
「……タカくん」
 なんで、二人とも赤い顔でモジモジ指を突き合わせながら、俺の顔を
潤んだ瞳で見つめてるんだろう。
 そんなことを思っている鈍感タカくんを恨めしげに見ているのは、
リアル系MMO(最もモテない男)のユウくん。
「……くそぅ。恋愛ブルジョアジーめ。いつか革命を成功させて恐怖政権を
樹立させ……ぶえっ!」
 調教とか監禁に逝ってしまいそうな実の弟の頭を、頬を赤く染めた環が
踏んづけていた。


 そこは巨大な工場であり、研究所であり、なにかを創り出しているところだった。
「昂河くん。これはどこに置くの?」
 大抵、人をフルネームで、余所余所しい呼び方しかしない男が珍しく、
「くん、さん」付けを使っていた。
 男の格好は逆立った黒髪、目は平行四辺形の白目、全身の筋肉は隆々と盛り上がり、
顔をパンティ、股間をブリーフ、脚を網タイツで隠している以外はハダカだった。
 男の名前は、愛し合う人の子、変態仮面アイアウスと言う。
「その鋼材は肩のところの部品だから。持って上がれる?」
 アイアウスに問いかけているのは、すらっとした体格の温和そうな青年。
わずかにブルーが混じった黒い瞳が印象的で、着ている白衣によく似合っていた。
「フォオオオオオオオっ!」
 重さ約2トンの鋼鉄の柱。そんなものを頭上に抱え上げて、アイアウスは
ピョンピョンと壁を駆け上がり、遙か上へと運んでいく。
「相変わらず……無駄に元気だなぁ」
 馬鹿にした口調であったが、昂河と呼ばれた青年の顔は嬉しそうに微笑んでいた。

 蒼竜弐型と呼ばれていた。
 複雑に湾曲を繰り返したセラミックフレームの骨格の中に、ありったけの動力
ケーブルと兵装と狭苦しいコクピットを詰め込んだ不細工な兵器。人間と比較すれば、
あまりにも両手が長く、胴体も太く、背骨が大きく膨らんでいる。その不格好を
覆い隠すかのように装甲板を幾重にも貼り合わされた弐足歩行戦車は、あまりにも
重量バランスが悪いため、三本目の脚として、人間の脊髄に当たる部分から骨を
延長して尻尾が伸ばされてバランサー代わりとしており、二本脚で立ち上がった
竜のように見えたので。
 開発番号WPT-02などという無機質な名前ではなく。
 蒼竜弐型と、そのロボット兵器は呼ばれていた。

 竜尾が地下通路の金属床を叩く。
「バーストっ! 火力集中っ! 先鋒っ! 我に続けっ! 前方要塞に潜んだ敵を
一気呵成に叩き潰すっ!」

>>こちらゼロワン。Fポイントを確保<<

>>コマンドよりゼロツウ。Fポイントへ移動開始せよ<<

>>ゼロワンよりコマンド。前方に目標を捕捉。方位二時。距離百二十。目標を確認<<

>>コマンドよりゼロワン。攻撃開始。各部隊警戒せよ<<

>>ゼロワンアルファより各員。敵を討滅する。撃て<<

 地下空間を錯綜する電波が耳障りだ。全高7メートル余り、全幅4メートル足らず
ほどのロボット兵器、蒼竜弐型に搭乗しているパイロットスーツ姿の隊長は、前方の
バンカーで組まれた要塞に潜む敵をにらみつけた。
 火線が幾状も伸びてきて、装甲を叩き、卵型のコクピットを揺らした。
「陰隊長っ! 突出し過ぎですっ!」
 うるさい。
 フットペダルを践んで、蒼竜弐型の二本脚で立ち上がった竜のごとき体を前傾姿勢に
させて、陰と呼ばれた隊長は自機の両手を地面に着かせる。
 剣も銃もいらない。
 この機体に乗ることが決まったとき、陰はそう言い放った。
「アイラナステア。我に加護あれ」
 蒼き竜の爪が金属床をえぐり、スナップロックアーマーと多重装甲、モジュール
構造を兼ね備えたウロコの装甲板を音高く打ち鳴らして、四つ足の竜が駆ける。
 一番槍の栄華は我にあり。
 飛び交う銃火、ミサイル、爆風の嵐を駆け抜け、青き竜の牙が要塞に隠れ潜んでいた
角張った姿の赤いロボット兵器の頭部を噛み砕いた。


「ディルクセン様。Fポイントで交戦が開始されました。敵は戦力を集中させている
模様です。予備兵力を投入しますか?」
 鋼鉄の竜と鋼鉄の巨人が激しく戦火を交えている地下世界。その遙か上、地上で
装甲あつらえのVIP用リムジンキャンプカーの中で、二人の人物がソファーに
座って話をしている。
 一人は赤で固められたスーツとタイトスカートを身につけた東欧系の細身の女性。
年の頃は二十代になったばかりか。切れ長の目と尖った顎が印象的で、冷たい印象
を与えることを除けば、現代的な美人であると言える。
「ディルクセン様。防御陣地に構えているとはいえ、敵の第二陣が近づいています。
Fポイント、このまま捨て置くのですか?」
「ミュンデ=トゥルケルメ。無駄な時間を過ごすな」
「はっ?」
 机の上をトントンと指で叩かれて、ミュンデと呼ばれた女性は部屋中央に置かれた
司令モニターから視線を外した。
「茶の時間だ。指揮統括は私の仕事で、貴様の仕事は私に茶を煎れることだ。
履き違えるな」
 昂然と言い放った男は、ミュンデよりも大分若かった。
 富士額で眉毛が無く、目が細くて、黒目の部分が極端に小さくて点のようで。
 右側に置いた王杓と装飾のついた軍服姿が何とも似つかわしい、見ただけで
独裁者然とした十代の男は、ミュンデにディルクセンと呼ばれていた。
「もっ、申し訳ありませんっ!」
 ソファーから立ち上がって、車内キッチンへと走るミュンデを放っておいて、
ディルクセンは横に置いたマイクスピーカーに向かって短く告げた。
「Fポイント。十分間、堅守して後退。敵の追加部隊には構うな。Aポイント。
そのまま前進して良い」
 無駄弾を使う必要が無くなった。
 ソファーに背中を預けて、ディルクセンはキッチンからコポコポとポットが
湯を沸かす音を聞いている。甘酸っぱい芳香が鼻をくすぐった。
「ミュンデ。今日はなんだ?」
「はい、ディルクセン様。アップルパイを焼いてみました。今、暖め直しています」
 アップルパイ……どんな菓子か興味があるな。
 薄く笑って、三白眼を細めて、ディルクセンは茶が出てくるのを待ちわびている。


「このみめ。そのまま寝過ごして、廊下でバケツを持つがよい」
 いくら幼馴染みとはいえ、寝所まで闖入することは憚れる。今日は親娘そろって
寝坊している譲原家を後にして、貴明はカバンを肩に担ぎ、学校へ向かっている最中。
 緩やかな坂道。このままユルユルと登っていけば学校は目前。
「あ〜ん、お母さん。なんで起こしてくれなかったの〜っ」
「うるさいわねっ。たまには、あんたが私を起こしなさいっ!」
 背中で、目覚まし時計の時刻を見て悲鳴を上げている、母娘の声が聞こえる
思いがして少し罪悪感を感じたが、今さら家まで戻る気もしない。
「しかし、今日は人が少ない……というか、いないな。なんでだ?」
 いつもなら校門前を登校する学生たちが黒山の人だかりの勢いで埋め尽くすはずの
時間帯。それなのに歩いているというのは貴明一人。それはどこか荒涼とした感じを
受けて、あまり気持ちの良いものではなかった。
「この世界に残ったのは俺一人……なんちゃって」
 穏やかな春の日差し。どこからか響いてくる車の音。排気ガスの臭い。
 世界は息づいていて、今日もどこかでだれかが生きていて、自分もまた、
そんな一人に過ぎなくて。
 そんなことを思いながら、空を見上げていた貴明。
 ムニュ。
 足下に感じるのは、柔らかい肉の感触。
「え?」
 なんだ? と思って下を見ると、人が倒れていて、貴明の靴が、その尻を践んでいた。
「……え? ええっ!?」
 慌てている場合じゃないと、貴明はあわてて爪先を尻から外して、アスファルトの上
に、うつ伏せの状態で倒れている人物を詳細に観察した。
 お団子にまとめた髪が二つ、頭にのっかっている。桜色のセーラー服を着ている
ところから見ると、どうやら貴明の通う学校の生徒のようだ。随分と小柄で、
制服を着ていなければ小学生と間違えてしまうところだった。
「おーい。大丈夫か?」
 幸い、呼吸はしている。だが、顔色が青白い。貧血か何かを起こして気を失って
しまったのだろうか。声をかけているだけではどうにもならないので、貴明は
倒れている女の子に顔を近づけた。
「あうう……」
 苦しそうな吐息を吸い込んでしまい、貴明は驚いて身を離す。
 甘い桃のような女の子の匂い。それは貴明の苦手とするものだ。
「……」
 本音を言えば、通り過ぎて、どこかの誰かに任せてしまいたかったけれど。
「……はっ……はっ……」
 倒れながらも背中を上下させている女の子は、とても苦しそうで。
「いよ……っと」
 首と腹の下に手を差し込んで、なんとか女の子の体を抱え上げると、
貴明は学校へと向かうことにした。
 学校に行けば誰かいるだろうし、保健室もある。
 きっと、なんとかなる。
 自分の分と女の子の分、カバン二つを手に持って。
 なおかつ、女の子を一人抱え上げるのは大変だったけれども。
 河野貴明は男の子だったので。
 超能力とか腕力とか持っていなくても、立派に男の子だったので。
 フラフラとよたつきながらも、女の子を落とすことなく、なんとか学校まで
歩くことができた。


 地下。電波が錯綜している。

>>ゼロツウとゼロフォー、それどゼロファイブ。損傷深刻。戦闘離脱します<<

>コマンドよりゼロスリー。了解。残った機体はいけるか?<<

>>ゼロスリーよりコマンド。四時方向に地雷原多数有り。展開不可<<

>>コマンドよりゼロスリー。その場で待機。プローンスタイルで敵を待て<<

>>後方バンカーまで後退してはいけませんか?<<

>>コマンドよりゼロワン。発信元は明確にせよ。後退は難しい。前進防御<<

>>地雷原への警戒はどうしますか?<<

>>コマンドよりゼロワン。発信元は明確にせよっつってんだろっ!
 ……スマン。八つ当たりだった。地雷原への警戒は継続。抜けてくるルートが
 あるはず。記録頼む<<

>>ゼロワンよりコマンド。前方に目標発見。八機程度。要警戒<<

>>ゼロスリーよりコマンド。四時方向より熱源反応有り。ミサイル来ます<<

>>コマンドより各員。迎撃防御。ゼロワン。前方の敵どうか?<<

>>火力で叩いてから突進してくる様子……すいません。ゼロワンよりコマンド、でした<<

>>よろし。コマンドより各員。前方敵部隊に突撃。突破する<<


 そこは近代的なマンションの一室。
「あぁっ!? どうして倍以上の数の敵に突撃してくるんですかぁっ!」
 モニターの上。赤い▲マークが青の▽マークに向けて突撃をしている。
 パソコンの液晶ディスプレイに向かって悲鳴を上げているのは、侍女服を着た
オカッパ頭の少女。耳には白いアンテナのような飾りをつけていた。 
「下手や〜。イルファ、下手くそ〜」
 その様子を見て、手を叩いて喜んでいるのは、髪の毛をお団子で二つにまとめた
小柄な少女。泣き出しそうな顔で、イルファと呼ばれた娘は彼女を見ている。
「ううっ。瑠璃様のイジワル……どうして、味方が負けているのを喜ぶのですか。
珊瑚様の危機なんですよ?」
「そんなん、さんちゃんがすぐに取り返してくれるから平気やもん〜」
 ピピっ!
 パソコンから着信音が鳴った。

>>>>>[今の迂闊な動き。Coralの指揮ではあるまい。誰か?]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[ううっ。迂闊じゃありません。一生懸命考えたんです]<<<<<
--Irfa

>>>>>[カラクリ人形の方か。せめてLapis-lazuliと代われ]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[うち忙しいからイヤや]<<<<<
--Lapis lazuli

>>>>>[了解した。それではCoralが戻るまで戦闘中断。各員に伝達]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[申し訳ありませんでした]<<<<<
--Irfa

 チャット画面を閉じて、イルファが溜め息をついている横で。
「アホやなあ、イルファ。敵に謝ってもしゃあないやん」
 お団子頭の少女が毒舌を吐いている。
「私達の事情を汲んで戦闘を止めて下さったのですから。謝るぐらいはするべきだと
判断しました。遠く日本と露西亜の戦闘においても……」
「聞いとらんもん〜」
「ううっ。瑠璃様のイジワルっ」
 いつも三人一緒のはずなのに、あと一人が抜けていることにイルファも瑠璃も
気づいていない。今日は学校の教師が全国規模の一斉研修を受けるために
臨時休校になっているから、朝から、こうして遊んでいられる。
「イルファ。さんちゃん、どこ〜?」
「あっ、あれ? 珊瑚様?」
 二人はキョロキョロと、部屋の中を見回している。


「なんで、誰もいないんだ……」
 鍵のかかった校門の前で、貴明は呆然としている。お姫様だっこで抱えた女の子を
腕の中に残したままで、ドスンと尻餅をつく。制服が汗ばんでいて、とても気持ち
悪かった。
「んっ……んんっ」
 寝苦しそうに身悶えした後、貴明の腕の中のお団子頭の女の子がパチリと目を開けた。
「???」
「目が覚めたんだ。よかった」
 急に叫び出したりしないかと貴明は少し緊張気味だったが、女の子は貴明の腕の中に
納まったままで大人しくしていた。
「道路で倒れていたんだよ。保健室まで連れて行こうかと思ったんだけど」
 開かない校門を後ろ手に叩いて、貴明は悔しそうな表情を浮かべた。
「ごめん。どこか苦しくない?」
 フルフルと女の子は首を横に振る。青ざめていた頬に今は血の気が巡り、どこかしら
赤らんでいるようにさえ見える。
「あの……うち、重うなかった?」
「全然」
 ウソであることは、まだ汗の引かない貴明の顔が語っていた。
「ほな、もう少し、このままでええ?」
「えっ?」
 ポフっ。
 貴明の胸に顔を擦り寄せるようにして、女の子は貴明の体にしがみついている。
「わっ、わっ……ちょ、ちょっと」
「名前、なんて言うん?」
「たっ、貴明。河野貴明っ」
 貴明は怯んでいた。女の子が苦手というのは子供時代からのもので、今も
変わっていないから。見知らぬ女の子に甘えられて、平然としていられるわけもない。
「うち、珊瑚」
「さんご?」
 上の名前がどういうのか、貴明が聞こうとしていた時。

「さんちゃんになにするかーっ!!」

 いきなり、真横から頭にズドンと跳び蹴りを食らって、貴明は気が遠くなった。


「ディルクセン様。戦勝祝いとして祝いの電報が届いております」
「戦術規模の小競り合いで世辞はいらんと伝えろ。税金の無駄使いだ」
 未だに再開される見通しのないモニターをにらんで、ディルクセンは苛立たしそう
な表情を浮かべていた。
「コーラルはまだ席につかないのか?」
「さあ? 私に申し上げられましても」
 ミュンデは先ほどの戦闘の勝利に満足してしまったのか、どこか嬉しそうだった。
 リムジンのキャンピングカーの中は二人だけ。若い男女二人なのだから、なにか
起きそうなものだが。王杓を横に置いてソファーに座ったディルクセンは片肘を着いて、
トントンと机の上を指で叩いている。
「機動戦の最中に中座されては話にならん」
「それでは、あのイルファというメイドロボを呼び出しますか?」
「勝負が分かり切っているゲームに、何の意味がある? 機械風情に興を削がれて
たまるものか」
 モニターにはまだ、相手側の返事は表示されない。
 トントンと、机が音を鳴らしていた。


「あかんよ、瑠璃ちゃん。この人、ウチの恩人さんやねんから」
「ううぅ……さんちゃん、なんで、コイツかばうねん?」
「説明したやろ〜」
 目が霞む。
 ボンヤリとした頭の横で、誰かの声が響いている。
 貴明は眩しそうにマブタを何度か瞬かせた後、ゆっくりと目を開く。
「瑠璃様、珊瑚様。河野貴明様が目を覚まされた様子です」
 貴明の瞳孔をスキャンしていたイルファは正座したままの姿勢で、珊瑚と瑠璃の
方を向いた。
「起きた〜☆」
「こっ、このみか……くそっ、頭がズキズキする」
 首に抱きついきた重みで復活した頭の痛みを手で押さえ込みながら、貴明は
今度こそ、はっきりと目を開いた。
「珊瑚ちゃん?」
「そおや。よう覚えてな〜」
 ニコーっと、「あなたに好意を抱いています」と、誰が見ても一目瞭然な笑みを
浮かべて、珊瑚は笑っている。柔らかい重みと甘い香り、女の子の感触と匂いには
相変わらず慣れることができない。
「こぉらーっ! さんちゃんにエッチぃことすなーっ!」
「ぐはっ!!」
 痛む頭を、さらに拳骨でどやされて、貴明は目から火花を散らした。
「瑠璃様っ! 暴力はいけませんっ!」
「とめるな、イルファーっ! さんちゃんにエッチぃことするやつ、コロすーっ!」
 見ると、珊瑚と全く同じ背格好、同じ顔……服だけは私服姿の少女が怒った顔で
手をブンブンと振り回している。後ろでメイドさんの服を着た少女、耳にアンテナを
つけているから、おそらくはメイドロボが止めてくれなかったら、あの小さな拳骨は
全て、貴明の頭に命中していただろう。
「エッチぃこと……別にしとらんよ?」
 そう言いながら、珊瑚は貴明の首もとに頭をスリスリ。
「こぉらーっ! なにしとんねーんっ!」
「瑠璃様。この場合、河野貴明様に珊瑚さまが……その、エッチなことをしている
ということになるのでは?」
 なぜか頬を赤らめながら、イルファという名前の少女型メイドロボが言う。
「さんちゃん、エッチとちゃうーっ!」
「このニイちゃんもエッチとちゃうよ?」
「あっ、あのっ、あのあのっ……」
 さっぱり事態が把握できなくて、珊瑚を抱きとめたままで貴明はオロオロしている。
「がうぅ〜」
 今にも噛みつきそうな顔で貴明をにらみつけている瑠璃。
「瑠璃様。河野貴明様は珊瑚様を保護して下さった方です。怒らないであげて下さい」
「ごめんな〜、貴明。瑠璃ちゃん、好きな人にも噛みつくねん」
「好きちゃうっ! 全然ちゃう〜っ!」
「えっ? もう恋のライバル出現なのですか?」
 本気でわけがわからない。
 自分を取り囲んでワイワイ騒いでいる三人娘。

 俺って……こんなに女運悪かったっけ?

 そう思いながら、貴明は空を見上げた。ただ、ひたすら青かった。

 
「思わぬところで休戦が入りましたね。現地補修なんて初めてですよ」
 空調が効いた地下空間の天井を見上げながら、ヘルメットにパイロットスーツ姿の
若者が微笑みを浮かべている。足下に転がっているのは青いウロコの二足型歩行戦車
の残骸。敵パイロット達は全員、脱出を終えて、自軍のバンカーに撤退していた。
「赤蟹の長所、やっと生かせる時が来たようだな」
 敵の挟撃を乗り切った角張った姿の赤いロボット兵器を頼もしそうに見上げている
のは、肩に黄色い帯をつけた部隊長。
 赤蟹と呼ばれたロボット兵器の名前は、参式特殊歩行戦車。
 環境センサーを含む全高、 7.8メートル
 A装備状態での全体重量、21.5トン。
 現在、足下で鉄くずになって転がっている蒼竜弐型が人の骨格から模倣した戦車
という名前を偽りとする本当の人型兵器とするならば、参式は戦車を二本脚で歩かせる
ことを目指した、純然たる近代兵器である。手足、胴体、頭部は全て取り外しが可能の
オプショナルパーツであり、損傷や故障が生じた場合、その部分だけを交換すれば、
すぐに戦闘続行が可能である。格闘戦を得意とする蒼竜弐型は確かに、参式よりも
複雑な機動が可能で俊敏であるが、その分、装甲が脆く、携帯火器の砲門も小さい。
対して、赤蟹と呼ばれる参式は動きこそ劣るものの堅牢な一体型の装甲を持ち、
火器の砲門も大きく、その数も豊富である。
 今回の挟撃に置いても、直線では脚部車輪によって相当の速度が出せる参式が
火力制圧しながら一面を打倒し、続いて、斜め後方から自分たちを攻撃しようと
していた部隊を撃破することができた。
「データ取れたか? 今日の撃墜王は誰だ?」
「そりゃ文句なしで隊長でしょ。一人で六機撃墜しているんだから」
 隊員達の中から笑いの声が漏れる。照れ笑いを浮かべる隊長。
「まあ……なんだ。指揮官機が先頭で突撃というのはマズかった。スマン」
 笑い声が大きくなった。


「姫百合さん?」
「珊瑚でええよ。うちも貴明って呼ぶから」
「さんちゃん、呼び捨てにしたらアカン〜っ!」
 どう呼んだらいいのだろう。貴明が困っていると珊瑚はようやく尻餅をついている
貴明の腕の中から離れた。彼の脚が痺れるくらい長い間、お団子頭の少女は、そこに
いたのである。
「瑠璃ちゃん。今日、休みなんやろか?」
「休みや。昨日の夜、何度も言うたやろ〜」
「はい。過去の会話記録を辿ると瑠璃様は珊瑚様に五回、警告をされています」
 貴明に小さなオシリを向けていた珊瑚は、また「あなたに好意を抱いています」
ということが誰にでもわかるような、甘い笑みを浮かべて、
「お礼してもええ?」
と、貴明の顔に自分の顔を寄せて、つぶやいた。
「おっ、お礼? いや、別に大したことはしてないし」
 甘い桃のような女の子の吐息。それは貴明の苦手とするものだ。
 本音を言えば、立ち上がって、どこかに逃げ出してしまいたかった。
 でも、珊瑚が覆い被さるようにして貴明の上に立っているので、立ち上がることも
できない。
「へへ〜。貴明」
「え……?」
 なにが起こったのか、わからない。河野貴明は、そんな経験なんてなかったから。
 唇に感じるのは柔らかくて、ねっとりとした自分のものではない唇の感触。
 そして、遠ざけたいと思っていた女の子の匂いが、頭の中で炸裂する。
「あ〜っ! さんちゃんに何するん〜っ!」
「まあ……ロマンスですね」
 また貴明を殴りつけようとしていた瑠璃は、イルファに後ろから羽交い締めにされて、
ジタバタと手足を動かしている。珊瑚は貴明の頭を抱きかかえるようにして唇を
くっつけて、当の貴明と言えば、目を点のようにして、何が起こっているのか理解
できないでいる。
「あっ! ああああっ!」
 なんだろう。
 横目で叫び声が上がった方を貴明が見てみると。
 このみが私服姿で目を点のようにして、キスをしている二人を指差して、
ワナワナと震えていた。
「タカ坊が大人の階段を駆け上がってる……」
 その横の環は、割と平気だ。  
 いいから助けてくれ。
 貴明の体は、まだ動かない。

「たっ、タカくん。なんで、キスしてたの?」
「それは……この子に聞いてくれ」
「貴明、すきすき〜やから。ラブラブやの」
 普通は顔を赤らめたり、恥じらったりするものだけど。
 貴明は環と、このみに連行されるように両脇を固められて、珊瑚は、その近くで
ニコニコ笑って、一緒に歩いている。その横に付いているのは瑠璃とイルファ。
「すきすき〜でも、ラブラブ〜でも……いきなりキスなんてしないよぉ」
 よほど衝撃的だったのか、このみは文句を言い続けている。
「好きな人にチューするん、普通やん」
「タカ坊。あんた、この子に何をしたのよ?」
「……俺だって知りたいよ」
「ううう〜……さんちゃんに手ぇ出すなぁっ!」
 唯一、防御が薄かった真正面。珊瑚ではなく、瑠璃が来るのは予想外だった。
「この……スケベぇーっ!!」
 絶叫と共に全力を込めた前蹴りが、男では全力で蹴り得ない場所、股間を直撃する。
「!!??」
 前のめりになり、白目を剥いて崩れ落ちる貴明。
 タマタマを蹴られる痛みは、内臓感覚の痛みある。それは骨や筋肉、脂肪に
守られている他の内臓では達し得ない、男だけが持つ永遠の苦悩。
「さんちゃんにエッチぃことするやつ、コロすーっ!」
 ああん、いっそ僕を殺して……。
 股間を両手で押さえたまま、アスファルトの上に崩れ落ちた貴明は、むせかえる
ような激痛から逃れたくて、そんなことを思っていた。
「タカくんっ! タカくんっ! ……どうしよう、タマお姉ちゃん。タカくん、
口から泡を吹いているよ」
「……結構いいかも」
「え?」
 あまり心配はされていないようである。

 地下世界より電波が届く。

>>くっそ! あの蟹野郎っ! 俺の機体、ブッ壊しやがって!<<

>>伏兵か? どこだ?<<

>>あっちだ、あっちっ! 目ぇついてんのかっ!<<

>>何時方向か言えっ!<<

>>……三時方向から現れた。今は移動してるよ、きっと<<

 昼も夜もない人工の灯火だけが頼りの世界で、蒼い竜と赤い蟹が銃火を
交じ合わせている。耐弾性能が脆弱な蒼竜弐型は参式歩行戦車の火力に対抗するため、
接近する前に追加装甲として手持ちの大盾などを持っていることが多い。それは
自慢の機動性を殺すデッドウエイトではあるが、正面から向かい合う場合は
有効であった。

>>後ろからWinter-Moon来るっ! 死にたくなかったら道を開けろっ!<<

>>ゲッ!? 総員退避っ!<<

>>ばっ、馬鹿っ! 俺はどうすんだよっ! 機体ブっ壊れて動けな……<<

 後ろから巨大なポールウエポン(竿の先に刃物が付いた武器)を構えた蒼竜弐型が、
地下空間の金属製の通路を蹴り破らんとする勢いで、足音高く疾駆してきた。

>>どけっ、どけっ、どけぇえええいっ!<<
>>むぎゃああああああああああああっ!<<

 地下通路を塞ぐようにして倒れていた味方の蒼竜弐型が蹴り飛ばされて、
中にいたパイロットが切ない悲鳴を上げているのが聞こえたが、みんな耳を塞いでいた。
 暗号名Winter-Moon、本名トウゲツ・シュンカイは、この地下世界で最強の誉れ高き
将軍級のエースパイロットである。
 味方を薙ぎ倒して前に突撃していったWinter-Moon機がポールウエポンを振り回して、
前方バンカーに潜んでいた敵部隊をまとめて叩き壊している姿がモニターに映った。
20トンはあるはずの赤い鋼の塊が幾つも宙を飛び、高い天井に叩きつけられている。
「マジかよ……ありえねえ」

>>真空使いだからな。実体弾なんて当たりっこねえんだよ<<

 味方機からの通信にうなずいて、呆れていたパイロットは操縦レバーを二本とも
前に倒す。竜の頭を前のめりにして、右脇に大口径のスマートガンを構えていた
蒼竜弐型が突撃体勢に入った。

>>前方バンカーに突撃するっ! 冬月将軍に続けっ!<<


 誰か止めてくれ。
 現場で参式戦車を操っているパイロット達が、きっと、そう思っていた頃。
 ディルクセンは手に持った王杓でコンコンと床を叩きながら、思案を続けていた。
「ディルクセン様。どういたしましょう? 彼我戦力が違い過ぎます」
「敵の後方を突く。現バンカーは放棄。退却命令。機体は砲門を敵部隊に向けたまま、
後方ローラーダッシュで後退せよ。火力は敵隊長機以外に向けよ。少しでも敵に出血を
強いるのだ」
 ディルクセンが指令を飛ばすと、ディスプレイに表示された赤い▲マークは、
そのように動き始めた。
「とんでもありませんね、エースというものは」
「一人の豪傑が戦場の勝敗を決する時代は終わった。とは言え、その魅力が
色あせていないのは確かだな」
 青ざめた顔で溜め息をつくミュンデに、ディルクセンは顎を動かして、うながす。
「茶だ」
「よろしいのですか?」
「どのみち、光学兵器持ちの部隊が下まで辿り着くまでは、どうにもならん。
本城を落とすのは、それ待ちだな」
 タイトスカートを手で押さえて立ち上がるミュンデを横目に、ディルクセンは
せわしくキーボードを叩き続ける。
 Coralが、このまま突進を続けさせるとは思えない。
 ならば、どこに兵を伏すべきか。
 あの猪武者を包囲撃滅するのは容易いが、その後をどうするべきか。
 十手、二十手先を読みながら、ディルクセンは薄く笑っている。


「タカくん……なんかニヤニヤしてない?」
「してない、してない」
 休みが終わった翌日の朝。
 貴明くんが突拍子もないファーストキッスを終えてしまった翌日の朝。
 柚原このみさんは辺りを見回すようにして、なんだか落ち着かない。
「ねえ、タカくん……なんで下がるの?」
 中国拳法の蛟龍歩のような勢いで下がる貴明の動きに、このみは御機嫌斜め。
「いっ、いや……ちょっとなあ」
 女の子の匂いに過剰反応してしまう。それは今に始まったことではないが、
今日はなおさらひどかった。昨夜一晩、人生について、具体的に言うと、艶めかしい
唇の感触について、よく考えた。
 気持ち良かった。
 気持ち良かったが、激しく違う気がする。
「タカくん……エッチ」
「えっ、エッチはしてないっ! 俺は童貞だっ!」
 カー、カー。
 電線の上でカラスが鳴いていた。
「……きっとタカくんは四六時中エロなことばっかり考えているんだよ。そのうち、
このみもタマお姉ちゃんも、あの子達三人も、みんなタカくんの毒牙にかかって、
枕を涙で濡らす羽目になるのでありますよ」
「こっ、このみ。いつから、そんな悪い子にっ!」
 どっちが悪いかは、よくわからない。
 よくわからないなりに時間だけは過ぎる。
「よっ、スケコマシっ!」
 笑顔で手を振ってきた雄二の横で、環が怖い顔をして立っている。
「ハハハ。もう、なんとでも言ってくれ……情けは人のためならず」
 自分のためにもならないってアリかよ、と思いながら、貴明は乾いた笑いを
浮かべている。
「まあ……タカ坊も大人になったということで。メデタシメデタシじゃないの?」
「え`っ!? あっ、姉貴っ! 貴明に何をしやがっぐあああああ!!」
 ミゾオチ、ノド、眉間の三連手刀突き。死にます死にますな勢いで殴られた
雄二がアスファルトの上に倒れ伏したが、環は長い髪を掻き上げて涼しい顔を
している。
「色ボケるのはいいけど。少しは周囲の目も気にしなさい」
「いっ、色ボケてないよっ! 俺は童貞だっ!」
 カー、カー。
 電線の上でカラスが鳴いていた。
 童貞童貞と連呼されると、どうにも苦しい。この間を如何にすべきかと、このみも
環も首をひねっている。当の貴明と言えば、魔女裁判の被告よろしく、顔を
青ざめさせてワナワナと震えるばかりであった。
「るー☆」
「うわーっ!?」
 いきなり背後から抱きつかれた貴明は、仰け反りながら悲鳴を上げた。
「貴明〜。おはようさん〜」
 ホワホワの声。とろけそうな笑顔。貴明に抱きついているのは姫百合珊瑚だった。
「タマ姉……あの子か? 貴明にキスしたのって」
「んー。そうみたい」
 双子であるということは雄二に話していたが、当の環もどちらがどちらかは
区別がついていない。
「ゆっ、許せねえ……めっちゃ可愛いじゃないかよ、あの子」
 可憐という言葉が似合う珊瑚の立ち振る舞いに雄二はメラメラと嫉妬の炎を
燃やしていたが、貴明はそれどころではない。
「ちょ、ちょっと待ってっ! 今日はオンブしなくても大丈夫だろっ!?」
「オンブせえへんでええよ。ガッコ行こ、貴明〜」
 オンブは回避できたか。
 貴明が一息ついていると、左手に柔らかい感触がした。誰かがギュっと手を
握りしめている。
「一緒にガッコ行こうな〜」
「待とう。なんで俺の手をつなぐ必要があるの?」
「え〜?」
 焦っている貴明に対して、珊瑚は実にノンビリと、ニコっと笑いながら答えた。
「だって、ラブラブやん。ウチと貴明って」
 血の気が失せて、貴明は青白い顔をしている。
「むう〜」
 ホッペタを膨らませて怒っているのは、このみ。自分の領地を奪われて平然と
していられるほど、このみも聖人ではない。その視線も貴明には痛かった。
「こぉらーっ! さんちゃんの手ぇ握るなっ! このヘンターイっ!!」
「もぷぅっ!?」
 走り寄ってきた瑠璃の叫び声と、続いて飛んできたカバンの固さと、顔面を
痛撃されて飛んでいく意識が……今の貴明にはありがたかった。
 なぜか環が親指の爪を噛んで、悔しそうな顔をしている。

 昼休憩時間の教室。
「奥手や思うてたけど河野やるやん。スケベエや」
「こっ、河野くんはスケベじゃないよ……多分」
「あああっ! なぜだっ! 俺はヘアスタイルのセットに毎日三時間はかけて
いるっていうのにっ! なぜ河野の方がモテるっ!?」
「おまえ……その矢吹ジョーみたいな髪型、ギャグでやってたんじゃなかったのか?」
「女の子三人連れて……バッカみたい」
「ねえねえ。もしかして向坂君も餌食になってたりしないかなあ」
「……現実の男の子をエロ妄想に巻き込むのは止めれ。こみパ少女」
 教室にいると目眩がするようだ。これは瑠璃にぶつけられたカバンの痛みだけでは
ない。人間の好奇心って残酷だと思う。
 貴明は人生の無常を感じ取りながら、居たたまれない思いで教室を出た。
 二年生は噂で持ちきりになっているので、職員室の前まで避難する。
 ここなら安全だろう。
 そう思っていたが。
「ねえねえ、姫百合さんっ! あの男の人って上級生でしょっ!?」
「そや〜。ウチと貴明、ラブラブやねん〜」
「キャーっ! 呼び捨てーっ!」
「それでそれで。どこまでイったの?」
「毎日チューしとるよ」
「キャーっ! すごーいっ!」
 ……神は我を見捨てたもうたか。
 ニコニコして、心の底から幸せそうな顔をしている珊瑚は、同級生である一年生の
女子生徒に向かって、貴明のことを話している。若干の誇張が含まれているようだ。
 俺は……この学校にすら居場所がないのか。
 ヨロけながら、貴明が、その場を去ろうとすると。
「あ〜っ。貴明〜っ!」
 嬉しそうな、ホントに嬉しそうな声を上げて、珊瑚が駆け寄ってきて。
「ん〜っ」
 柔らかくて、ねっちょりとした感触が再び、貴明の唇を覆った。
「今日の分、まだしとらんかったから〜」
 どうやらノルマ制のようだ。
 貴明が呆然としている後ろで、職員室の扉がガラガラと音を立てて開いた。

「……だから、あれは露西亜人の挨拶みたいなもんなんですよっ!」
「ここは日本で、姫百合くんは日本人だな。河野。言い逃れは見苦しいぞ」
 指導室の狭苦しい中で、昨日のタマこのコンビに続いて風紀指導教師に厳しい尋問を
受けている貴明は、
「カンベンしてくれよぉ……」
とても疲れた顔をしていた。


「現在、残党の処理が終わりつつあります。主力構成員の何名かは地下に逃亡した
ようですね」
「わずらわしい。敗軍の将とて矜持は保てぬのか」
 リムジンのキャンピングカーの中でディルクセンが見ているのはモニターだが、
そこに映っているのは「Geo-Combat-Laboratory-System」ではない。黄色い装束を
つけた怪しい風体の男達が何人か、必死な顔で下水道の中を走っている姿が見えた。
「燃やすか?」
「はい。それもよろしいかと思います。禍根は断つべきかと」
 ディルクセンは二、三度、退屈そうに頬杖をついた頭の上で眉毛がない眉骨を
ピクピクと動かした後、指示を飛ばした。あと二時間もすれば郎党は全員、
捕縛の身となることだろう。
「何故ですか? 生かしておく価値もないでしょうに」
 ミュンデの、こういう酷薄なところをディルクセンは気に入っていた。
「真理で世界を救うなどと。戯けたことを現実に持ち込んだ輩だ。蒸し焼きなど
生ぬるい。自分が凡夫に過ぎぬことをよく理解させた後で絞首台に送ることにする」
 その日の夕方。大規模テロを目論んでいた宗教団体が秘密裏に突入した警察部隊に
よって逮捕されたとニュースが流れた。作戦指揮を遠方から行っていたディルクセンの
名前は出ていなかった。


 暮れなずむ夕方。
「る〜☆」
 左手を珊瑚に握られて。
「うが〜っ!」
 尻を瑠璃に蹴られて。
 貴明は途方に暮れていた。
「あのさ。なんで出会った次の日に、俺が珊瑚ちゃんの家に遊びに行かないと
いけないのかな? おかしいだろ、そんなの」
「おかしゅうないよ。だって、ウチと貴明、ラブラブやし〜」
「さんちゃんっ! こんなん家に連れてったらアカンっ! ごーかんされる〜っ!」
 強姦という言葉を聞いて、通りすがりの人々がギョっとした顔で振り向いたが、
仲むつまじく歩いている貴明と珊瑚、瑠璃を見て、胸を撫で下ろして去っていく。
 そんな幸せそうな家族を見守る暖かい目をしてないで、どうか助けて下さい。
 貴明は目で訴えたが、だれにもわかってもらえない。
「瑠璃ちゃん。ご〜かんってなに〜?」
「……うううっ。そんなん言えへん〜っ!」
 なら言うんじゃない。
 強姦という言葉を聞いて、通りすがりの警官がギョっとした顔で振り向いたが、
仲むつまじく歩いている貴明と珊瑚、瑠璃を見て、胸を撫で下ろして去っていく。
 そんな上手くやりやがったな兄ちゃん、みたいな生暖かい目をしてないで、
どうか助けて下さい。
 貴明は目で訴えたが、わかってもらえない。
「んーと……ここや〜」
 珊瑚が嬉しそうな顔で路地裏の隅を指差した。貴明の目には、ただの行き止まり
にしか見えない。
「まっ……まさか、珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんって路上生活者?」
「アホ〜っ。そんなわけあるかいっ」
 それはまあ、そうなんですが。
 貴明が困っていると、珊瑚は何でもない様子で行き止まりに立ちはだかる壁を
押した。ピピピと電子音が鳴って、プシューっと電車のドアが開くような音が響く。
「……隠し階段?」
 子供の頃、公園は自分たちの城で、広い街の中は、まるで迷宮だった。こんな
光景を子供の頃、確かに夢想したことはある。
「あるけど……」
 ただのアスファルトがスライドして、その下に未来的な金属質の階段があるとは
予想をしていなかった。
「こっ、ここが珊瑚ちゃん達の家っ?」
「そや〜。このまま降りていくねん〜」
 ピョンと、何でもない様子で珊瑚は階段を降りていく。瑠璃が、その後に続いたが
……あわてて、続いて階段を降りようとしていた貴明の脚にしがみついて、彼の進行
を妨げた。
「どないしたん、瑠璃ちゃん?」
「さんちゃん〜っ。コイツの認証したんかっ!?」
「ああ……そうや。しとらんかった」
 認証されないと、どうなるのでしょうか? レンタルビデオが借りられないとか?
「貴明、焼かれてしまうやんか〜。はよ認証しいっ」
「あ〜い」
 貴明を守るようにして脚にしがみついている瑠璃。貴明が恐る恐る天井を見ると、
なんだか未来的な銃口を向けているカメラが、貴明の爪先に向かって、赤いレーザー
光線を発射していた。それはガイドレーザーであって、貴明がさらに侵入しようと
した場合、警告の後に灼熱の光線を発射する仕掛けになっている。
「……マジ?」
「ウソやったら、アンタなんかに抱きついたりせえへんもんっ……はっ!?」
 自分がしていることに気づいたのか、瑠璃は貴明から離れて、噛みつきそうな顔で
彼をにらんでいる。
「認証終わた〜。ほな行こ〜」
「ううう……さんちゃんにヘンなことしたらアカンっ。ウチにもアカンっ」
「ありがと、瑠璃ちゃん」
「うっさい〜っ!」
 図らずも瑠璃は貴明の命の恩人になったが、機嫌は悪そうである。
 どこまでも地下へと続く階段。それは広いフロアーを経て、エスカレーターとなり、
さらに広いフロアーにはエレベーターがあった。
「さんちゃん。ホンマに、こいつ連れて行くん? 長瀬のオッサンに部外者を
巻き込んだらアカンいうて言われとったやないの?」
「巻き込んでヘンよ。ウチ、貴明とラブラブやし。それに瑠璃ちゃんともラブラブや〜」
「ラブラブちゃううっ!」
 どうやら、さっき瑠璃が貴明の脚に抱きついていた光景を珊瑚は見ていたようだ。
「楽しみや〜。今夜は寝られへんな〜」
「こっ、今夜っ!? ちょ、ちょっと待ってっ!」
「がううっ! ウチにしがみつくんやない〜っ!」
 瑠璃は目を吊り上がらせて怒っているが、貞操の危機を感じてしまった貴明は、
それどころではない。瑠璃の小さな体の後ろに隠れて、怖々と様子をうかがっている。
「ごっ、ご〜かんされる……瑠璃ちゃん。俺を守って……」
「あう……耳元に息吹きかけたらアカンっ!」
 瑠璃は貴明のことが嫌いのようだったが、貴明が頼るべき縁(よすが)は彼女しか
いないわけで。刺激的な家庭訪問になりそうだった。


>>CoralとLapis-lazuli、Geo-Frontへ復帰中……他一名同行者あり<<

>>Irfaか? それともSirfaの方か?<<

>>いいえ。人間の……少年のようです。パスコードはPrecious-Prince。
 どうもパイロットではないようですね。友人でしょうか?<<

>>Kurusuに連絡を取れ。部外者の侵入は好ましくない。いざとなったら記憶消去
 を考えなくてはいけない<<


 物騒なことを電波が告げている。
「昂河くん。調子はどうだ?」
「えっと……やっぱり物理的なエネルギーだけだと動かし切れないみたい。
今のところ、動くのはマブタくらいのものかな」
 そんなことには構わずに、地下に設置された巨大な研究室の中で、白衣の青年、
昂河と白ブリーフのヘンタイ、アイアウスは難しい顔をして、モニターを
にらんでいる。
「マブタか。なるほど。全然動かないわけだ」
「核融合炉を積んだとしても確保しきれないって計算で出たよ」
 それは幾多の年月を無駄に費やしたという絶望的な計算結果であったが、
なぜか二人の顔は沈んではいなかった。
「ようやく真書の出番が来たというわけだな」
「フフっ。無理を言って譲ってもらってよかったよ」
 二人は笑っている。


>>戦闘再開。Baseよりの指令あり。後方バンカーまで後退。Ranceの準備終了とのこと<<

>>了解。後方へ後退する。Winter-Moonはまだ現れていないが、大丈夫か?<<

>>Baseの指示を信じろ。なにしろIQ300だぜ?<<

 後方に向けて、参式戦車が角張った体を屈ませて逆進していく。前に盾と銃を
構えた蒼竜弐式が数台迫っていたが、火力においては参式の優位は揺るがない。
ガンガンと鋼が鋼を叩く音が響き渡り、蒼いウロコが通路へ転がっていく。

「IQ300……噂は本当だったのですか?」
 尊敬の面持ちでミュンデはソファーに座るディルクセンを見つめていたが、
王杓を構えた独裁者候補は、あまり嬉しそうな表情ではなかった。
「アメリカの軽薄な連中が好む知能診断テストだ。人間の知性や感情が紙切れで
図れてたまるものか」
「どうしてですか? 人類で最高得点ではありませんか?」
「現状、人類の最高得点はIQ305だ」
 ディルクセンの奥歯がギリリと噛みしめられる。
「それはまさか……」
 それ以上言うと、王杓で頭をペシペシされるので、ミュンデは告げることが
できない。その日のディルクセンの采配には鬼が宿っていた。


「……これは、なんか凄いね」
 テーブルの上に置かれたパソコンのディスプレイに映るロボット同士の戦いを
見て、貴明は目を輝かせている。男の子なので、こういうネットゲームの類は
嫌いではなかったから。そして、それよりも凄いのは、珊瑚のキータッチだった。
早打ちコンテストとかテレビでやっていることがあるけれど、そんなものは比較に
ならない。信じられないスピードで打ち続ける珊瑚の手から指先が消えているように
すら見える。
「どや。さんちゃん、すごいやろ〜?」
 満足そうな笑みを浮かべている瑠璃。その後ろではティーカップを三つ、トレイに
載せたイルファが静かに紅茶を持ってきている。
 地下の秘密基地のような場所に連れてこられたので、どんな場所かと思っていたが、
エレベーターが着いた先は殺風景な広いフロアーで、
「じおふろんと〜」
ニパっと笑って珊瑚が言う場所に快適な居住空間があった。
 地下空間のはずなのに、空が青くて、雲まで浮いている。
 船が何隻も浮かべられそうな巨大な湖があり、森があり、そこに二人が住む家が
建っていた。家の中はフローリングの床、吹き抜けの天井、壁に組み込み式の家具。
一流のマンションでも、なかなか得られない物件の中で、貴明はただ、珊瑚の
見事なキータッチに目を奪われている。
「冬月、強いねん。前に出すだけで勝てるんやから」
「トウゲツ? ああ。この先頭にある△マークのことか」
 ディスプレイには小さなアルファベット[Tougetu]と表示されていた。どうやって
いるのか、珊瑚がマウスにも触らずにキータッチだけで指定するとウインドウが
開き、そこでは三面六臂の立ち振る舞いで活躍する二本脚で立ち上がった蒼い竜の
ようなロボットが映し出されていた。
 あえてディスプレイ画面を表示するとなると、

 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
  ▼▼▼▼▼▼▼▼▼
   ▼▼▼▼▼▼▼
    ▼▼▼▼▼
     ▼▼▼
      ▼



      △[Tougetu]

 こんな配置なのだが、瞬く間に、

    × × × × × × × ×
  × ×             × × 
 × ×   ▼ ▼   ▼     × × 
 × ×               × ×
   × ×  △[Tougetu]      × × 
      × × × × × × × ×


という結果になってしまう。
 自分の身長の倍はあるかという長い槍のような武器を振り回して、群がる銃火を
一切寄せ付けず、冬月と名付けられたキャラクターは無敵の働きをしている。
 なによりも貴明が目を見張ったのは、その画像が異常にリアルであったという
ことだった。普通のネットゲームなどではキャラがやられても倒れて消えるだけで
あるが、珊瑚が今、遊んでいるゲームでは蒼いウロコや赤い装甲板が弾け飛んで
火花を散らし、倒れたロボットも消えないで表示されたままだ。
「まるで……本物みたいだ」
「本物やよ?」
 珊瑚が言っていることがわからなくて、貴明が目をシバたたかせた瞬間。
 ディスプレイがパっと、明るい光を放った。


>>ランス直撃っ! どっ、どうだ?<<

>>味方機を三機巻き込んでいます。次弾発射は控えて下さい<<

>>前方、Winter-Moon。まだ動いています。立ち上がろうとしている様子<<

 前線から送られてくる砲撃結果報告に、巨大光学兵器「エルメキア・ランス」の
操作をしていた参式戦車のパイロットは頭を抱えた。

>>規格通りの装甲なんだろうな、本当に?<<

>>外装のチューニングは許可されていませんから、おそらくは……いけません。
 Winter-Moon、立ち上がってきます<<

>>仕方がない。後方部隊全機っ、これより突撃するっ!<<

>>待って下さい。Baseより指令。そのままランス二弾目を発射。ただし、敵機の
上半身を 狙って、倒れた味方には当てるな、とのことです<<

>>危険だ。いくらシェルが頑丈に作られていると言っても……<<

>>今さら。Baseは、その程度のことは計算済みでしょう。こちらFront-Line。
 ランス発射までの時間を稼ぐ。総員、突撃っ!<<

「すまん……」
 エルメキア・ランスの操作を再開したパイロットは、赤蟹の三本指の手を器用に
動かして、焼け付いた砲身を外して、新しい砲身に付け替えた。この地下空間に
いる限り、動力源については心配しなくていいのは幸いだった。
 コクピットの操縦画面に別ウインドウが開き、満身創痍ながらも獅子奮迅の働きを
見せる冬月の姿を砲身の先に捕らえる。

>>ランス発射準備完了。全機プローン……早く伏せろっ!<<

 返事はなかった。どうやら全滅してしまったようだ。
 顔を真っ赤にして怒ったパイロットが引き金を引くと、長い砲身全体が青白く
輝き、白い光の矢が過つことなく焼け焦げてウロコを飴色に染めた蒼竜弐式の
体へと進んでいく。しかし、引き金を引いたパイロットは、冬月の前に別の蒼竜弐式が、
大きな盾を持って立っていることに気づいていなかった。


>>優喜っ!! やめろっ!!<<

>>あなたは……私が守るから<<

 蒼竜弐式と参式戦車の共通する構造と言えば、どちらもコフィン(棺桶)と呼ばれる
狭苦しいコクピットルームを持っていることである。それは巨大な球体であり、
パイロットの操縦から生命維持まで全てを賄うことのできるハイパーテクノロジーの
産物だった。
 レーザーの光条が耐熱セラミックで覆われた大盾を構えた蒼竜弐式の体を焼いている。
いくらコフィンの中にいるとはいえ、それは熱線の連続照射に耐えられるほど頑丈に
できているものなのか。
 後ろから抱きとめるようにして、冬月は自分のパートナーである少女が操る蒼竜弐式
を動かして、自らが盾になり代わろうとする。だが、レーザーはもう止まっていた。


>>>>>[どうした? ランスを壊すチャンスだぞ?]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[冬月が優喜を病院に連れて行く言うてんねん]<<<<<
--Coral

>>>>>[熱すぎるサウナに入ったぐらいの致傷のはずだがな]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[ラブラブやから。しゃあないやん]<<<<<
--Coral

>>>>>[では遠慮無く行くぞ]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[あーい]<<<<<
--Coral


 チャット画面の横のウインドウを見ると、驚いたことに飴色に焼け焦げたウロコの
塊の中から大男が這い出してきて、倒れた竜の腹の中から青髪のセーラー服を着た
少女を助け出していた。
「人間……えっ? 本物?」
 赤く火照った顔の少女を抱きとめて、鉄くずだらけになった戦場を走る大男の
姿は、あまりにも現実的で、貴明は目を何度も擦った。  
「だから、本物や言うてんねん」
 珊瑚は何でもないことのように、いつもの微笑みを浮かべている。


「私達も、あの蒼い子供達も、珊瑚様によって作られたプログラムに沿って
動いているのです」
「メイドロボのプログラム……それじゃもしかして、珊瑚ちゃんって
天才プログラマー?」 
「そや。さんちゃん、天才やねん。どや、おそれいったか〜」
 胸を張って嬉しそうに笑う瑠璃は、本当にいい笑顔で。どうして珊瑚がくっつく
度に瑠璃が噛みついてくるのか、なんとなく貴明にはわかってしまった。
「メイドロボだけではありません。珊瑚様が開発された人工知能プログラムは、
今や飛行機や船舶、自動車などへの応用も見当されています。落ちない、沈まない、
事故らない。そういう交通時代が幕を開けようとしているのですよ」
 それはあまりにも大規模で、貴明は呆然としている。
「それじゃ、この無闇に大きな地下施設も、何かの実験場なの?」
 この街の地下全てが覆われているのではないかと思えるほどに巨大な場所で。
 蒼い竜と赤い蟹が戦いを繰り広げている光景が現実のものとするならば。
 ツンツン。
 今、貴明の脇腹をつついている感触もまた、リアルなものであった。
「あれ? みっちゃんも仲間に入れて言うとるよ?」
「……クマ?」
 ツンツン。
 テーブルの前でディスプレイに目が釘付けになっていた貴明の脇腹を丸っこい
前足でつついていたのはヌイグルミのクマだった。
「この子も……ロボット?」
「うん。みっちゃん言うねん。よろしくな〜、貴明って言うとるよ」
 珊瑚の通訳が正しいことを証明したいのか、クマは前足をパンパンと叩いて、
しきりにうなずいている。
「トイロボットか。うん、これなら見たことがあるよ」
 昔は高価な玩具だったけれども、今では先に逝かないペットとして高齢者などの
家庭で愛されているロボットである。
「よくできているね。これも珊瑚ちゃんが作ったの?」
「そうです。瑠璃様は私達全員の母親なのです」
 イルファが神妙な顔でうなずくと、みっちゃんと呼ばれたクマもうなずく。
 それはまるっきり、そっくりな仕草で、貴明は何だか笑い出したくなった。
「ふーん。かわいいなあ」
 ヌイグルミの脇を持ち上げて、貴明は頭を撫でたり、背中を撫でたりしてやった。
くすぐったそうに身をよじっているのが本当に生きているようで飽きさせない。
「でも、これって自分で歩いたりできるんだ?」
「はい。ソフトは瑠璃様が、ハードは来栖川エレクトロニクスの開発で……
たっ、貴明様っ! なにをしてらっしゃるのですかっ!?」
「えっ? いや、関節とか、どうなっているかと思って」
 ヌイグルミで遊ぶように、貴明は自然な様子で“クマ吉(仮名)”を持ち上げて、
両脚を持ってひっくり返している。
「こぉらっ! 貴明っ! ミルファが可哀想やろーっ!?」
 突如、瑠璃が血相を変えて叫んだ。
「えっ? ええっ?」
 ジタバタと暴れていたクマ吉は、やにわ貴明の腕に前足で抱きついて、ガブリ。
 そこまで丁寧に作らなくてもいいだろうにと思われるぐらいに正確に作られた
クマの牙が、貴明の腕に食いこんだ。
「いっでえええええっ!!」
「ミルファ! 貴明様に危害を加えてはなりませんっ!」
 鋭い声でイルファが叫ぶと、クマ吉は牙を離して貴明の腕から飛び降りた。
 そして、前足を高く上げて、万歳するようなカタチでファイティングポーズを
取っている。
「こらっ、みっちゃん。乱暴したらアカンて、いつも言うとるやんか」
 貴明には何が起こったのか、わからない。
「今……トイ・ロボットが怒った?」
「それはその……両脚を持ち上げられて大事なところを観察されたら、誰だって
怒ると思います。怒り方に問題があったとは思いますが」
 クマ吉をかばうようにして、イルファが貴明とクマ吉の間に立った。
「大事なって……もしかして?」
「そや。みっちゃんは女の子やで。貴明もダメやで、そんなんしたら〜」
「おっ、女の子?」
 基本的にメイドロボットやトイロボットには擬似的な感情プログラムが組み込まれて
はいるが、それは人間の持つ感情とは大いに異なる。それはプリインストールされた
『こうされたら、こう反応しなさい』といった条件反射の繰り返しであり、また、
怒りや恨みといった人間に危害を加える可能性のある感情は書き込まれていないはずだ。
そして、何より。性別に従って行動するという人間臭い様式もロボットには書き込まれて
いない。仮に、貴明が路上を歩いているメイドロボットを押し倒してムニャムニャ
しようとしても、『やめてください』とメイドロボットは繰り返すだけで、
突き飛ばしたり、悲鳴を上げたりはしないはずだった。
「……そんなことは絶対にしないけど」
 驚いている貴明の顔の前に、ヒョイと持ち上げたクマ吉の顔を持ってくる。
「貴明、みっちゃんに謝って。ほら、みっちゃんもゴメンして」
「ごっ、ごめんなさい」
 ヌイグルミのクマに謝るのは、なんだか不思議な感じがしたが、貴明は生来の律儀さ
から頭を下げる。それを見て、クマ吉も納得したのか、ペコリと頭を下げた。
「ん〜。それじゃ仲直りや〜」
 チュ。
 そこまで丁寧に作らなくてもいいだろうにと思われるぐらいに正確に作られた
クマの唇が、貴明の唇に当たった。
「んんんっ!?」
 クマ吉も驚いたのか、珊瑚の手の中でウガーウガーと言いながらジタバタと暴れて、
そこから飛び降りて、トコトコと歩いて、部屋の隅まで隠れてしまう。
「……昨日がファーストキッスで、今日はクマとキッスか。ハハハ」
 乾いた笑いが貴明の顔に浮かぶ。

>>>>>[Coral。指揮はどうした?]<<<<<
--Dirksen

 遙か地上からディルクセンの催促が届いていた。
   

「これも本物の画像なんだ?」
「ええ。今、珊瑚様とディルクセン様という二人の天才によって、壮大な実験が、
この街の地下で行われています」
「その……これって戦争の道具、兵器だよね?」
「はい。ただし、人は死にませんし、プレイヤーのどちらか、珊瑚様かディルクセン様
が席から離れたら戦闘は中断されます。この場で行われているのは、最も過酷な条件で
運用される人型ロボットの実験。そして、珊瑚様とディルクセン様の運命を賭けた勝負
なのです」
 珊瑚が操作しているパソコンのモニターをにらみながら、貴明は溜め息をついた。
 この場所にイルファがいてくれて、本当に助かったと思っている。
 さもなければ、珊瑚はわけのわからない話をするばかりだし、瑠璃は基本的に
貴明を追い出したがっているので、何が起こっているのか、本当に理解できない
ところだった。
「ところでさ、イルファさん」
「なんでしょうか、貴明様」
「さっきからクマ吉が、ずっと俺の方をにらんでいるんだけど……なんで?」
「やだぁ、貴明様ったら。そんな野暮なこと聞かないで下さいっ」
 タンスの陰に隠れて、クマ吉は丸い黒目を貴明に向けている。
 もしも彼女が人の姿をしていたなら、貴明はまた、自分の女運の悪さを嘆いた
ことだったろう。
「やっぱりヘンタイや。さんちゃんもミルファも、どうかしとる」
 瑠璃だけが唯一、貴明の意見に賛同してくれそうだったのだけれども。
 あいにく、彼女は貴明のことを嫌っているようだった。


「ただの熱中症ですね。水を飲ませて安静にしていれば治ります」
「なにぃいいいっ! 熱中症だとぉおおお!」
 今頃の過保護な親でも、軽い熱中症で子供が目を回したぐらいでは、こんなに
騒がない。それなのに、医務室で凛々しい顔をした大男はベッドに横たわっている
青い髪の少女に覆い被さるようにして、右手に持っていた5Lペットボトルに
入った水を一気に飲み干した。
「待っていろ、優喜っ! 今、助けるっ!」
 頬をカエルのようにふくらませて、唇を近づける冬月将軍。 
 あんなに一気に口移しで飲ませたら、かえって体に悪いんじゃないかなあ。
 それでも医務室の担当医はブッ飛ばされたくなかったので、冬月将軍の暴挙を
見守っていた。
「……やめて」
「ぶげわぁっ!」
 仰向けに寝た状態からの電光アッパーが冬月将軍の顎を真上に飛ばし、その
口から水が間歇泉のように噴き出して、医務室の中に虹を作る。
「守って……あげたのに。この、恩知らず」
「ごっ、誤解だっ、ゆうきぃい!」
 起き上がった青髪に赤目の女の子に、冬月将軍はゲシゲシと尻を蹴られて、
悲しそうな声を上げている。
 おいおい、水浸しだよ。私が掃除をするのか。
 楽しそうな二人は放っておいて、担当医は溜め息をついていた。

 泊まってき〜、とゴネる珊瑚の家から、正確に言うとGeo-Frontから脱出した
貴明は疲れた顔で自分の家の玄関扉を押した。
「それで……なんで、おまえがついてくるの?」
 貴明の脚にしがみつくようにして一緒に家の中に入ったのはヌイグルミのクマ吉。
巨大地下施設は案内がいないと迷うからとクマ吉が先導してくれたのだが、
貴明の家にまでやって来るとは聞いていなかった。
「まあ……いいか。明日になったら帰るんだぞ」
 コクンとクマ吉はうなずく。
 その夜、二人は一緒のベッドで眠った。
 貴明にとっては野良猫と一緒に寝るようなもの。
 しかし、それはクマ吉ことミルファにとっては特別な夜。


 朝。
「タカくん。なんでヌイグルミを頭にのせてるの?」
 不思議そうな顔で、このみは聞いてきたが、それは貴明も聞きたかった。
「わかんね。こいつ、トイロボットなんだけど。俺のことが気に入ったみたいで」
「ふ〜ん。かわいいね。撫でてもいいですか?」
 貴明にではなく、貴明の頭の上のクマ吉に目を合わせて、このみは問う。
 クマ吉がうなずくと、しゃがんだ貴明の頭の上に乗っているクマ吉の頭を、
このみは幸せそうな顔で撫でた。
「うわ〜。ポワポワ〜。タカくん、どこで買ったの?」
「買ったというか……もれなく、ついてきたというか」
 貴明が立ち上がってカバンを肩に背負うと、クマ吉は身長が低い、このみにも
撫でることができるように貴明の空いている肩へ移動した。爪が食いこんで、
ちょっと痛ひ。
「えへへ〜。すごく頭のいい子だね」
「まあ……特別製みたいだよ」
 イルファといい、このクマ吉といい、動きが自然すぎる。
 それは既存のメイドロボットやトイロボットの概念を逸脱した奇妙な存在だった。
「おはよ、タカ坊」
「おはよ、タマ姉」
 肩にクマをのせた貴明の姿に、環は目を丸くしている。
「どうしたの、タカ坊。趣味が変わったの?」
「わかんね。こいつ、降ろそうとすると凄く嫌がるから」
 不思議そうに環はクマのヌイグルミを見ているが、クマ吉はガウガウと唸って、
どうも環を警戒しているようであった。
「あれ? なんで怒ってるの? タマお姉ちゃん、怖くないよ?」
「んっ、んんっ。まあ……ロボットでも好き嫌いってあるんじゃない?」
 初対面で嫌われて環は釈然としない様子であったが、それでも怒り出したりはしない。
 クマ吉ことミルファが警戒しているのは、貴明の視線の先であり、環の胸元で
あったのだが、自然に向いてしまう視線を気にした様子もない二人は、
ヌイグルミが何を嫌がっているのか、気づかなかった。
「あ〜、貴明や〜。るー☆」
「るう?」
 万歳して、心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべて通りの向こうから現れたのは珊瑚。
 そのまま珊瑚は両手を上げて走ってきて、貴明の首に抱きついた。
「今日の分や〜」
 むちゅ〜。
「んっ、んぐぐっ、むぐうっ!」
 抱きつかれて強引に唇を奪われている貴明は目を白黒させている。
「うわっ……朝から大胆」
「む〜……」
 環と言えば呆れているだけで、このみは怒ってはいるけれど、止めようとはしない。
 チュパっと唾液の音が響いて、ようやく珊瑚は貴明から唇を離した。
「あっ、あの、珊瑚ちゃん。こういうことは人前でされたら迷……」
 キュピーンと、貴明の脳裏に戦慄が走る。
 後ろにも目がついているのか、貴明は珊瑚を抱きかかえるようにして、前に飛び
すざった。
「さんちゃんに手ぇ出す……わたたたっ!」
 貴明の股間にサッカーボールキックを食らわせようとしていた瑠璃は、目標を
失って豪快に空振りしてしまい、右足を高々と掲げたまま、後ろに転びそうに
なってしまう。
「あ、パンツ丸見え」
「とっ、とっとと……危ないって」
「きゃう」
 よほど人がいいのか、振り向いた貴明はクリティカルヒットを繰り出そうと
していた瑠璃の背中を抱きとめるようにして、彼女を転倒から助けた。
「アホ〜っ! 気安う触るなーっ!」
「もぷっ!」
 ゴンと鈍い音がして、瑠璃の膝小僧が貴明の股間にめり込んだ。
「タカくん。優しいのも、ほどほどにしといた方がいいと思うよ」
 うずくまって股間を両手で押さえて悶絶している貴明。その腰を、このみが
拳骨でトントン叩いている。
「……あの子ばっかり。ズルい」
 環と言えば、貴明を助けるでもなく、ただ何かを悔しがっている。


「おい、貴明。おまえ、噂になってんぞ」
「うるさい、黙れ。今の俺は七十五日過ぎるまで耐え抜く覚悟だ」
 昼下がりの教室、貴明の方を指差して、クラスメイト達がヒソヒソと何かを
離している。
「一つ聞きたい。おまえ、あの子に何しやがった?」
「姉と同じようなことを聞くな」
 ふてくされて貴明は机に突っ伏している。
「いいから教えろよ。おまえだけで独り占めすんな。幸福は分かち合うのが
友達っていうもんじゃねえか」
「珊瑚ちゃんはモノじゃない。分けるとか言うな」
「なに言ってんだ? あの子ら双子じゃねえか」
「……瑠璃ちゃんの方か?」
 コクコクと雄二はうなずく。そして、電話番号なり住所なりヨコセと、笑顔で
両手を差し出していた。
「なあ、雄二。おまえってマゾなのか?」
「そっ、そんなわけあるかぁ!」
 雄二がマゾと聞いて、教室内のテンションがニワカに上がった。

「えっ、向坂ってマゾヒストだったの?」
「あ〜、やっぱり。いっつも、お姉さんにしばかれて気持ちよさそうな顔している
もんね〜」
「被虐趣味か。まあ、それも人生さ」
「違う、違うぞ、おめえらっ! 確かに、俺は男エムもののビデオも持っているが、
ありゃレパートリーの一つでメインじゃねえっ!」
「やだーっ! 向坂さいて〜っ!」
「なっ、なにが最低だっ! おい、男たちっ! おまえらだって一本ぐらい
持っているだろ? なっ? なっ?」
「……持ってねえよ、マゾ野郎」
「ぐわああああっ!!」

 教室の興味が貴明から雄二へと移る。やはり反応がある方が楽しいようだ。
「……くっくっく。偽報の策成功」
 悪者軍師役も飽きたのか、貴明はアクビを一つして、机の上で睡眠を取る。
 昨日はろくに眠れなかった。
 学校での睡眠時間は貴重だ。
 その横で、クマのヌイグルミも気持ちよさそうに寝息を立てている。
 

 放課後。
「貴明」
 廊下で後ろから名前を呼ばれて、貴明の背中がビクリと震えた。
「だっ、誰?」
 後ろを振り向くと、お団子が二つ。貴明の顔が恐怖で青ざめる。
「さんちゃんが、あんたを呼んどる。コンピュータ室まで来てゆうてんねん」
「あっ、なんだ……瑠璃ちゃんか。よかった」
 不満そうな顔を隠さないで伝言に来た瑠璃を、貴明はむしろ歓迎に近い顔で迎えた。
「アホっ。来たくないんなら来んでええんやで。むしろ来んなっ〜!」
「いえいえ。瑠璃ちゃんと一緒に行きますよ。はいはい」
「なっ、だからっ、肩つかんだらアカンっ! 押すな〜っ!」
 瑠璃の小さな体に身を隠すようにして、貴明は彼女を押しながらコンピュータ室へ
向かう。珊瑚と貴明の仲をよく思わない瑠璃と一緒にいれば、とりあえず難儀な目に
遭わないで済む。それは生死の狭間をさまよった貴明が学習したことだった。


 地下世界にある浴場。そこは珊瑚側のスタッフもディルクセン側のスタッフも
共同で利用できる巨大な銭湯である。タオル地のパンティを頭の上に載せて、
アイアウスは顔に被った黒パンティを湯で濡らして、気持ちよさそうに銭湯の湯に
浸かっている。
「アイアウスくん。お湯の中なんだから、顔からパンツ外したら?」
 その横で湯に入っているのは、今日の分の仕事を終えた昂河晶。
「んんっ? 何を言っている? 昂河くんこそ、体にタオルを巻いたままで
湯船に入っているじゃないか」
 湯に当たったのか、真っ赤な顔をして、女顔の青年昂河晶は自分の細すぎる体を
覆っているタオルをきつく掴んだ。
「こっ、これはいいんだよ。人に見せて喜ぶもんじゃないだろっ」
「んんっ? 人に見せて喜ばないで、何のための筋肉か?」
 湯船の下でアイアウスの大胸筋がビクビクと震えた。
「ぼっ、僕は筋肉なんか付けてないし」
「ん〜。そうだな〜。昂河くんは知性派だもんな〜」
 話題に飽きたのか、アイアウスは水滴が滴り落ちる天井を見上げて、百を数える
代わりに古文を謡い始めた。
「つらつら監がみるに、銭湯ほど教えの近道はなし。
 その故如何にとなれば、賢愚邪正貧福貴賤、湯を浴びんとて裸になるは、天地自然の道理、
釈迦も孔子も太郎も花子も、生まれたままの姿にて、惜しい欲しいも西の海、さらりと無欲の形なり。
 欲垢と煩悩と洗い清めて湯を浴びれば、社長もバイトも、誰が誰やら、みんな同じ裸である。
これすなわち生まれた時の産湯から死んだ時の湯灌にて、夕べに紅顔の酔客も、朝湯に素面と
なるがごとく、生死一重が嗚呼ままならぬかな。
 されば仏嫌いの年寄りも風呂へ入れば我知らず念仏を唱え、色好みの若者も裸になれば
前をおさえて自ずから恥を知り、猛き武士も頭から湯を浴びたとて、人混みじゃと堪忍を守り、
目に見えぬ鬼神を背中に彫りたるヤクザも、ごめんなさいよと洗面台に屈むは銭湯の徳ならずや。
 心ある人に私心あれども、心なき湯に私心なし。
 銭湯はさほどに良きものなり」
 満足そうに平行四辺形の白目を細めて、アイアウスは湯を楽しんでいる。
「それ、誰?」
「式亭三馬だ。江戸の人も現代の人も、心根は変わらぬということだな」
「ふ〜ん」
 満足そうに笑って、昂河も手で湯をすくって、リラックスを始めた。
「体が完成し、真書が手に入り、あと一歩か」
「パイロットを捜さないとね……アイアウスくん、どう?」
「私は車の運転が下手だ。しかも車酔いしやすい。二本脚で歩く車なんぞに
乗りとうない」
「そっか」
 気を落とした風でもなく、昂河はまた湯をすくって、湯船に落とした。
その仕草や細い首、湯に火照った頬は男でも何だか色っぽいのだが、
アイアウスは気にした様子もない。湯の中で隣りに座っている昂河の体に
巻きついたタオルに、こっそりと手を伸ばしている。
「ところで……やはり、湯船にタオルを漬けるのは反則だろう」
「えっ? きゃ、ひゃあああっ! 取っちゃダメっ!」
「ええいっ! 大人しくタオルを……もしかして、ミニマムなのか?」
 タオルで覆われた昂河の股間に顔を向けてから、アイアウスは気の毒そうな顔を
する。今度こそ、明らかに昂河の顔が赤く火照った。
「そっ、そんなんじゃないよっ!」
「なら隠すなど……もしかして、バスターキャノン?」
「しっ、知らないっ!」
 タオルを引っ張っている昂河とタオルを引っ張っているアイアウス。じゃれている
のか、腕力の差は明らかなのに、タオルは昂河の体から離れない。
「もう、止めてよっ!」
 ブクブクブク。
 銭湯の湯面に泡が浮かび上がった。
「……まあ、なんだ。出物腫れ物所嫌わずと言う」
「ぼっ、僕じゃないっ! 僕じゃないよっ!」
 顔を真っ赤にして、タオルをつかむことも忘れて必死に言う昂河の横で、
ザパーンっと音を立てて、カッパのような頭をした人物が浮上してきた。
「ぶはーっ。記録更新っ……湯当たりしそうでした」
 真っ黒な肌に細い目つき。手に水かきはないので、かろうじて人間とわかる。
「ん? 佐奈田黒助か。風呂で遊んでばかりいると、Coralに給料を減らされるぞ」
「抜かりはありませんよ。これはあくまでレクリぃいいいいいいいいっ!」
「いやああああああああああっ!」
 どこから取り出したのか、湯から飛び出した昂河は改造済みスタンガンを佐奈田黒助
の脇腹に当てて、出力全開にしている。
「ぶわあああああっ! 水中で電気系は死ぬぅうううううっ!」
「フォオオオオオっ! わっ、私もシビれるううううううっ!」
「いやっ、いやっ、いやあああああああっ!」
 結局、二人がイモリの黒こげのようになって湯面にプカプカと浮かぶまで、
スタンガンは止めてもらえなかった。


>>>>>[さて始めるか]<<<<<
--Dirksen  

>>>>>[こっちは準備完了やよ]<<<<<
--Coral

>>>>>[ふむ。Winter-Moonは配置せずか。予備兵力に回したのか?]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[えへへ。それ言うたらゲームにならへんやん]<<<<<
--Coral

>>>>>[どのみち、エリアのうち七割は、こちらの手の内だ。覚悟はできたか?]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[覚悟言うても。そっちこそ旅支度した方がええよ]<<<<<
--Coral

>>>>>[ふん。まあいい。始めるぞ]<<<<<
--Dirksen

 互いの指揮所にプレイヤーが戻ったことが確認されると、バンカーに並べられて
いた蒼竜弐式のカメラアイに、一斉に赤い光が灯った。それは猛々しい竜の瞳。
「搭乗せよっ! 今日は、けったくそ悪い懐中電灯をブチ壊してやるぞっ!」
 どよめきが起こり、青いウロコを足がかりにして、パイロットスーツ姿の男達が
二本脚で立つ竜の背中に駆け上がった。竜の背中は一部分、大きく開いており、
パイロットが飛び込むと、自動的に閉まる。ブシューと音を立てて空気が抜ける
音がして、パイロットは人から竜人となる。

>>ゼロワン。セットアップ開始……コンディション・グリーン<<

 続いて、二番機から十番機まで順番バラバラで良好な状態であることを告げ終わると、
隊長であるコマンドは蒼竜弐式の鈎爪のついた左手を振った。

>>目標、敵光学兵器施設エルメキア・ランス。潰した後、一気に五階まで取り戻す<<

>>マジかよっ。Baseもいい趣味してやがる<<

>>初手でしくじったら終わりますね。気をつけないと<<

 右手に構えたのは両刃刀や大口径ライフル。中には、左手に大盾や、もう一丁
ライフルを構えた機体までいる。

>>敵の狙いは本城か。そっちの守りはどうだ?<<

>>極上の男が守りについています。後顧の憂いはしなくてもいいですよ<<

 満足そうに竜の頭を縦に動かして、ゼロワンを先頭に部隊が進撃を開始する。
 地下世界での機械仕掛けの兵士達の戦争が始まった。

「学校のコンピュータ室が珊瑚ちゃんたちの家とつながっているなんて……」
 実際に連れられてきたというのに、貴明は腑に落ちない顔をしている。
 忙しそうに机の上に置いたパソコンのキーボードを叩いている珊瑚。
「さんちゃん。夕飯は、なにがええのん?」
 台所に引っ込んだまま、時折話しかけてくるだけで出てこようとしない瑠璃。
「貴明様。その……昨夜はいかがでしたでしょうか?」
 貴明の横に正座で座り、なぜか顔を赤らめてモジモジしているイルファ。
 どうにも手持ちぶさただった。
「なあ、クマ吉。どうなってんだろうな?」
 ヌイグルミなので胸の中で抱いてみる。フカフカで気持ち良かった。このみが
集めたがるのもわからないでもないと、貴明は思った。
「まあ、情熱的……」
 なにが嬉しいのか、イルファは目をキラキラさせている。
「ニューロ・ネットワーク……なんか難しそうな本があるね」
「はい。珊瑚様の研究結果を文章にしたものです。今、研究者の間で話題になって
いますよ」
「こっ、これ、珊瑚ちゃんが書いたの?」
 本棚にある分厚い学術書を見て、貴明は目を丸くしている。イルファに取って
もらって頁をめくってみると、専門的な用語がたくさん並んでいて、全く別世界の
ように思えた。
「ウチ、文章書くのは苦手やから。研究結果だけ別の人に書いてもらってんねん。
長瀬のおっちゃん、それじゃアカン言うてるけど」
「ふーん……すごいなあ」
 珊瑚がどれほどロボット業界の人々に期待されているのか、貴明なりに実感する
ことができた。
「イルファさんも来栖川の新しい機体なんだ?」
「そうですが……貴明様。珊瑚様は珊瑚ちゃん、瑠璃様は瑠璃ちゃん。どうして
私だけ、イルファさん、という呼び方なのですか?」
 そんな疑問を持つことすら人間のように思えて、貴明は改めて感心してしまう。
「ん〜。イルファさんは年上っぽい感じだからかなあ。ほら、二人と比べると
落ち着いていて大人っぽいし」
「……イルファちゃん」
「えっ?」
「なっ、なんでもないです」
 少し残念そうな顔でつぶやくイルファ。そして、貴明の腕の中で、クマ吉が
顔を上げてガウガウと、なにか唸っている。
「どうしたんだ、クマ吉? ……いてっ!」
 なぜか腕を甘噛みされた。


 総計で二十万枚に及ぶ装甲板をアイアウスが貼りつけている。
「変態秘奥義っ! セクシーランジェリーハリケーンっ!」
 重い装甲板にパンティがくっつけられており、アイアウスが叫んで踊るように
回転すると、およそ千枚の金属の塊が宙を舞い、巨大な機械の塊の上に落ちていく。
それはどうなっているのか、あらかじめ、そこに組み込まれることが予定されている
かのようにカシャンカシャンと小気味の良い音を立てて剥き出しの機械の上に
はめ込まれていく。
「アイアウスくん。今日中に胴体はいけそうーっ?」
 安全のため、別室から無線で指示を送っていた昂河の声が響いてきた。
「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「がんばれーっ!」
 舞い狂う角張った金属の塊。その中心で狂い踊るパンティ被った裸(ら)の変態。
 それは地獄のような光景であったが、3メートル厚の硬化クリスタルガラス越しに
その様子を眺めている昂河は元気な声援を送っていた。


「布陣としては悪くない。私なら打開できる状況だが、Coralはどう出る?」
 全体マップを提示したモニターを見ながら、頬杖をついたディルクセンは
薄く笑っている。赤い▼印が地下世界にあるバンカーの七割を埋めていた。
それは要所要所を的確に押さえて、どこを攻められても隣接するバンカーが
救援に向かうことが出来る上に、攻撃する場合には局所集中攻撃も分散全体攻撃も
可能な、教科書通りの理想的な布陣であった。
「Coralの布陣は……なんというか、バラバラですね」
 対して、珊瑚が占拠しているバンカーは位置が離れていたり、意味のないところに
兵力が集中していたりして、あまり考えているとは言い難い。でミュンデは呆れ顔で
モニターを見て、アーモンド型の瞳を瞬かせていた。
「厄介は厄介だ。詰め方を誤らなければ勝てるという相手ではない。その意味では、
黄色い連中より楽しめる」
 赤い▼印が指示通りに順調に進軍している。


 赤蟹達が手に大砲のごとき銃を構えて、足の裏に装備したローラーを回し、
地下世界に続く通路を走っていた。

>>うまくいけば、明日ぐらいには決着がつくな<<

>>さあ。Winter-Moonがいますからね<<

>>一機だけで戦争には勝てんよ。正直、出会いたくはないけどなあ<<

>>違いあり……コマンド。敵影発見。こちらに向けて進軍中です<<

>>早速か。よっし! いっちょ教育してやろうぜっ!<<

 参式戦車が銃火を輝かせながら突撃を開始する。戦闘が始まった。


「珊瑚ちゃん。これ、ちょっとマズいんじゃないの?」
「ええの〜。貴明もやってみたいん?」
「いや、俺には難しそうだし」
 そうは言っても気になるのか、貴明はモニターに羅列されている文字列に
目を通しながら、戦況の流れを見守っている。
「さんちゃん。ゴハンできたで〜。貴明、エサや〜」
「えっ、エサ?」
「ワンコ飼うてたらエサ皿で出してやってん。残念や」
 そうは言いながらも、瑠璃が作ってくれた鶏の唐揚げをメインとした夕食は
美味しかった。
「料理が上手なんだね、瑠璃ちゃん」
「当たり前や。さんちゃん、ゴハン作れんのやから。ウチが作らんかったら、
誰が作るねん」
「瑠璃様。私も料理を作ることはできるのですが……」
「ダメ。イルファ、前も鍋焦がしたやろ。もうちょっと勉強しい」
「ううっ……瑠璃様のイジワル」
 そうは言いながらも、楽しい夕食。珊瑚も手を止めて夕食を楽しんでいる。
「珊瑚ちゃん。ゲームの方はいいの?」
「ウチが席から離れたら、戦闘はできるねんけど追加移動はどっちもできんねん。
だから大丈夫や〜」
 間延びしたトロけそうな口調で話しながら、珊瑚は唐揚げをほおばっている。
「イルファさんは食べ……あっ、そうか」
「はい。私はロボットですから。心配されなくても大丈夫ですよ」
 クスクスと笑いながら、イルファは瑠璃のコップに茶を注いでいる。エプロン
ドレス姿を屈ませる姿は本当に自然で、貴明が彼女を人間と間違えるのも無理も
ないことではあった。
「イルファさんって……本当に人間そっくりだね。珊瑚ちゃん、どうやったの?」
 どうやって作ったの? とは言わない。それはなんだか、とても失礼なことの
ように貴明には思えたから。
「貴明と同じやよ?」
「同じって……えっ?」
 貴明の質問がよほど、お気に召したのか、珊瑚は満面の笑みを浮かべた。
「赤ん坊の頃から育てたねん。大根、インゲン、あきてんじゃー言うんやけど」
「珊瑚様。DIA。ダイナミック・インテリジェンス・アーキテクチャです」
 イルファの方を向いて貴明がうなずいたのが面白くなかったのか、珊瑚は
ちょっと怒った顔をしている。
「つまり……白紙の状態から生活環境に慣れさせていって、徐々に人間らしく
していったってことかな?」
「はい。そのとおりです。私もミルファと同じで、最初はヌイグルミに入って
いたんです」
「へえー。それじゃクマ吉も、将来はイルファさんみたいな美人になるんだ」
「ヤダ、貴明様ったら」
 クスクスと笑うイルファ。珊瑚と一緒に、クマ吉も面白くなさそうな顔をしていた。
「貴明。ロボットの話なんか面白くないやん」
「そうかなあ。瑠璃ちゃんは、こういうの嫌い?」
「ウチ、ようわからんもん。イルファは家事の足ばっかり引っ張るし」
「瑠璃様〜。見捨てないでください〜」
 哀れっぽい声を上げるイルファと、シッシッと手を払う瑠璃。
 そんな様子がおかしくて、貴明は笑っている。
「やあ、やっぱりスゴいなあ、珊瑚ちゃんは」
「さんちゃんのエラさ、ようやっとわかったか」
「いや、そっちじゃなくてさ」
 キョトンとしている珊瑚。
 その横には瑠璃とイルファ。
 この三人、双子の姉妹とロボットが一緒に仲良く暮らしていけるのは珊瑚が
頑張っているおかげだと思うと、貴明は感心する他はなかった。


 このまま順調に行けば、ディルクセンの勝ちは動かなかった。
 反則的な強さを誇るWinter-Moon、冬月将軍の駆る蒼竜弐式が懸念事項だったが、
それでも随所から攻め寄せる赤蟹の猛攻を食い止められるはずもない。将棋で言えば、
王将であるCoralこと珊瑚がいる場所、ジオフロントに続く橋。ここを落とすことが
できれば、後は一直線。
 橋の入り口。
 間違いなくWinter-Moonはここで出てくるだろうと、前線のパイロット達に
緊張が走る。しかし、各バンカーから集結してきた参式戦車の前に立ちはだかった
のは三日月のペイントマークをつけた蒼竜弐式ではなく、ただ無骨に「8」と
銀色を塗りつけた蒼竜弐式一機だけであった。

>>コマンド。今までに確認されたことがない機体です。IDはmirageとありますが<<

>>間違いなくエースだな。敬意を表す。ゼロワンからゼロシックス。全弾撃ち尽くす
覚悟で突撃せよっ!<<

 わずか四機だけ通れるような、欄干もない細い橋。橋から落ちれば奈落の底。
下にはショックを和らげる緩衝材が敷き詰められているが、ルール上では復帰
不可能ということになる。
 赤い装甲の角張った二足歩行戦車が六機、鋼の雄叫びを上げながら突撃した。
 そして、そのかがめられた脚部の膝関節に、続けざまに八本。槍、斧、鎌、剣など
の大小様々な武器が突き刺さる。

>>こっ、コントロール不能っ! 落ちるっ! 落ちるぅううううっ!<<

 悲鳴を上げて、膝関節を破壊された赤蟹が橋の下、遙か奈落の底へと落ちていく。
一機、また一機と落ちていく光景に、隊長機は目を覆った。
「投擲武器? 馬鹿な。腕は動かなかったぞ?」
 たった一機だけの蒼竜弐式。その背後に浮かぶは人類が今まで手に取ってきた
刃の全て。石や木、青銅から鉄、鋼にチタン、特殊合金から宝石まで。
 人類が最強と信じて、今でも開発が続けられている銃火器。それらはない。
 あるのは自ら手に取り、振るってきた刃のみ。

>>Mirage……幻影の刃か<<

 銀と輝く嵐を背負う蒼竜弐式を眩しそうに見上げながら、隊長機は後ろに続く
部隊に今の画像データを送信してから、自分と残機で突撃を開始した。銃は撃たない。
棍棒のようにスマートガンの長い銃身を振り上げて、雄叫びを上げて殴りかかる。

>>見事だぜ、その心粋<<

 脚部を両断され、なすすべなく下へと落ちていく隊長機は最後に、ヘルメットの中で
バンダナを巻いた敵パイロットの通信を受け取った。


 わけのわからないところ、戦略的に無価値なところに大量に配備されていた兵力。
 その中にWinter-Moon、冬月将軍は潜んでいた。
 戦略的に無価値だから、攻撃進路から捨て置かれていた場所。
 まったく無警戒だった場所から最強の刃を突きつけられて、ディルクセン側は
一挙にピンチに陥る。今まで九割方MAPを覆い尽くしていた赤い▼マークが次々と
消えていき、変わって青の△マークが上に向かって激進を続けている。
 先頭に立っているのは冬月。
 最強の将軍の後に従う兵は必然的に最強の兵となる。
 ディルクセンは窮地に立たされていた。

>>>[調子に乗って陣地広げすぎとったやろ? それがアンタの敗因や〜]<<<<<
--Coral

>>>[たかが、この程度……とは言え、まずいな。六割まで取り返されたか]<<<<<
--Dirksen

>>>[なんがエエかなあ……Dirksen、イスラム世界とか興味あらへん?]<<<<<
--Coral

>>>[黙れ。まだ勝負が決したわけではない]<<<<<
--Dirksen

 とは言え、ディルクセンの言葉は負け惜しみにしか聞こえなかった。
 圧倒的な攻撃力、突破力を誇る冬月の蒼いドラゴンに対して、バンカーに
こもって銃火を散らすだけの赤蟹に勝ち目はない。青い△マークが次々と赤の
▼マークを塗りつぶしていく。この調子でいけば、あと一時間もあれば、
勝負は決するだろう。
「あの……珊瑚ちゃん。このゲームって、負けたら相手はどうなるの?」
「なんでも一つ、相手に言うこと聞かすことができるねん。ディルクセンは、
ウチを日本政府の道具の一つにする言うとったけど」
「道具って……それ、どういうこと?」
「珊瑚様の頭脳を来栖川という一財閥ではなく、日本国家の大計のために使わせよう
としているのです」
 公務員になるようなもんだからいいのかなあ、と貴明は思ってみた。
「あかんっ! そんなん絶対させへんっ!」
 我を忘れているのか、画面を見つめながら、瑠璃は貴明の袖をギュっと
握りしめている。
「あ……そうか。ごめん」
 珊瑚が来栖川ではない、どこかに雇われるということは必然的に瑠璃と
離ればなれになることを意味する。貴明は、瑠璃の珊瑚への想いには気づいていた
ので、その頭に手をやって謝った。パンチは返ってこなかった。


>>後退っ! 後退っ! あの化け物から距離を取れっ!
 ゼロセブン、貴様も早く下がるんだっ!<<

>>コマンドよりゼロセブン。俺……妹がいるんですよ<<

>>ゼロセブンっ! なにを言っているっ! 吹き飛ばされるぞっ!<<

 赤い装甲板に包まれた参式戦車が一台、他の僚機が全て後退していく中、
蒼い暴威が迫ってくる前で、静かに前進を始めた。

>>正気か、ゼロセブンっ!? もどれっ! 赤蟹で、アイツに勝ち目はないっ!<<

>>数ばっかり多くて、まあ……ろくでもない奴らばっかりなんですけど。
 それでも、あの教団に三人ほど洗脳された時、助けてくれたんですよね。
 ディルクセンさんが。礼も言わせないくらい傲慢な人だったけど<<

>>神海(こうみ)っ!<<

 ヘルメットのバイザーの奥で、本当は気の弱そうな青年が顔の半分を
口にして、力の限りに叫んだ。

>>神海っ! これより突撃しますっ!!<<

 赤蟹の三本指の手に握られているのは、敵機から奪ったメタルブレード。
 それは持ち帰って資料とするためのもので、射撃戦闘を前提としている
参式戦車が有効に扱える武器ではない。そのはずだった。

>>どけいっ、雑魚がっ!<<

 勢いをつけて斜め下から振り上げられた蒼竜弐式のポールウエポンが、
横薙ぎに参式戦車の赤い機体を天井まで吹き飛ばす。そのはずだった。

>>……現実の光景か?<<

 コマンドはバイザーの前を両手で擦って、もう一度、コクピットの中で
光るモニターを凝視した。もしも自分が正気のままでいるとするならば、
間違いなく。

>>うぉおおおおおおおおおおっ!!<<

 赤蟹が握った特殊鋼の剣が、蒼竜弐式の方天画戟という古代の武器を模した
槍の一撃を、幾多の赤蟹を屠り続けてきた必殺の一撃を、受け止め、かつ、
押し返している。ローラーが設計規格を遙かに超えた力強さで回り、銀色の火花の
渦が金属床から散っていた。

>>すげえっ!!<<

>>よっ、よし。俺も行くぞっ!<<

>>続けっ! 神海に続けっ!<<

 へし曲がった銃身や折れたパイプ、柱などを手に持って。
 小隊の十機全員が群がるようにして、神海機と鍔ぜり合いをしている冬月機
に突撃していく。
 その様子を苦々しい表情で見ているのは珊瑚ではなく、ディルクセンの方だった。

「I部隊……なぜ、私の指示通りに動かない?」
 再度、指令を送ろうとするディルクセンの手に、ミュンデの白い指が重なった。
「いけません、ディルクセン様。彼らに任せましょう」
「なぜだ? これは知略と知略を競う勝負だ。駒の予定外の動きなど許されん」
 なおもキーボードを叩こうとするディルクセンの手を、ミュンデの手が
握りしめて邪魔をした。
「Coralは最初から、そんなことを思ってはいません。見てください。あの化け物を
勇者達が押し返しています」
 モニターを見れば、神海を先頭にして群がる赤蟹達が冬月機を後退させ続けていた。
 どの赤い機体も無傷のものはなく、中には片腕、片足になってもなお、這うように
して冬月の操る蒼竜弐式に一撃を加えようと前進を続けている者もあった。
「英雄など重火器が出てから幻想になった」
「手だろうと心だろうと。剣を持つ者がある限り、勇者は消えたりしません」
「むっ……分かった。まず手を離せ。指揮の邪魔だ」
「もっ、申し訳ありません」
 名残惜しそうに、ゆっくりとミュンデはディルクセンの手から自分の手を離した。
 結局、その日は五分五分の領地を分かち合う痛み分けとなった。
 神海機も冬月機も酷いダメージを受けて、すぐには戦線に復帰できそうにもない。

>>>>>[どしたん。でぃるやん、方針変えたん?]<<<<<
--Coral

>>>>>[でぃるやん言うな。偶然の産物だ]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[予定外やな〜。ほんまやったら、あのままウチの押し出しやったのに]<<<<<
--Coral

>>>>>[ふん。命拾いしたのはどちらかな?]<<<<<
--Dirksen

 ディルクセンがキーボードを叩いていると、モニターに新しいウインドウが開いて、
珊瑚との会話の邪魔をした。内容を見てみると「格闘用新機体開発の必要性について」
とあった。0.1秒で目を通して、ディルクセンはウインドウを消す。

>>>>>[あんな、でぃるやん。そっちに変な要望来てへん?]<<<<<
--Coral

>>>>>[でぃるやん言うな。さて、ハッキングは不可能のはずだが。憶測か?]<<<<<
--Dirksen 

 ディルクセンがキーボードを叩いていると、モニターに新しいウインドウが開いて、
珊瑚との会話の邪魔をした。内容を見てみると「相手をぶん殴れる機体欲しいYO」
とあった。0.1秒で目を通して、ディルクセンはウインドウを消す。

>>>>>[なにやらI07ユニットに感化された連中が出てきたようだな]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[ええやん。ウチもそろそろ同じ戦闘画面飽きてきたし。新しいの足そうや]<<<<<
--Coral

>>>>>[軽く言ってくれる。準備はできているのか?]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[んー。今からリスト送るさかい。ほな、今日はこのへんでな〜]<<<<<
--Coral

 モニターの上に次々と格闘戦ロボットを要望するパイロットからの陳情書が
届き、それを避けるようにして、小さなウインドウが画面の隅に開いた。
「……アコギな真似をしおって」
「どうなされたのですか、ディルクセン様。顔色が悪いようですが」
 小さなウインドウは予想通り、珊瑚から送られてきた新ロボットの候補リストだった。
リストの中には蒼竜弐式もあるが、ディルクセンは難しい顔を続けている。
「ミュンデ。この勝負、駒であるロボットは、どこが造っていると思っている?」
「えっと……日本政府と来栖川ではありませんか?」
 日本政府はディルクセンのスポンサーであり、来栖川財閥は珊瑚のスポンサーである。
「違う。どちらも来栖川だ。造っている国は違うが、同じ企業グループ製品だ」
「え? それじゃ、ディルクセン様。どうやって、あのロボットを調達したのですか?」
「レンタル料として一機当たり一晩200円も取られる。しかも、なんだ、これは?
新作だから一晩500円? ふざけるな……」
 もしかして、ディルクセン様って、お小遣い少ないのかなあ。
 レンタルビデオのような価格のロボットの代金に怒っているディルクセンの
眉毛のない顔を、ミュンデは目を点のようにして見ている。
「くっ……仕方があるまい。たまには兵たちの顔も立ててやらなくてはな」
「はっ、はい。その通りです、ディルクセン様っ」
 ディルクセンは自分の小遣いが赤字になりそうなのを懸念しているが、
ミュンデは何故か、嬉しそうに両手を合わせていた。

 
 新規の機体としてディルクセンが選んだのは二種類。
 格闘戦のみに特化し、六本もの長細い腕を持ち、FCS(=Fire Control System
火気管制装置)さえ積んでいない近接専門機ASRー01。格闘戦を望んでいた
パイロット達は喜々とした顔で飛び乗ったが、仲間達には早速、高脚蟹という
格好の良くない名前で呼ばれていた。
 もう一つは、背中に大小6門の大口径砲を備えた支援戦闘特化型の機体。火力重視の
現代的戦法を好むディルクセンはリストの中でも最大火力を持つ機体、RRー22を
迷うことなく選択した。支援砲撃を行っている時は転倒を避けるためプローン(伏せ)に
ならなければならないが、それでも赤蟹よりも分厚い装甲は魅力的なため、多くの
パイロットは、そちらに乗り換えている。しかし、これも角海老という名前をつけられる
ことになった。
 どうも、ディルクセン傘下のパイロット達は甲殻類が好きなようだ。

>>>>>[日本製のばっかり選ぶ思うとった〜]<<<<<
--Coral

>>>>>[電子機器や砲門は日本製だ]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[けっこういいかげんやな〜]<<<<<
--Coral

>>>>>[私は日本という国家を愛しているだけで、日本製品マニアではない]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[ラブラブ?]<<<<<
--Coral

>>>>>[ラブラブだ]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[すきすき〜?]<<<<<
--Coral

>>>>>[すきすきすきすき〜だ]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[ちゅーしたいん?]<<<<<
--Coral

>>>>>[いいから、そちらの選んだ機体を見せろ]<<<<<
--Dirksen

 珊瑚から送られてきたリストを見て、ディルクセンは頬杖をついて機体の
スペックを確認していた。
 黄竜伍式。二足歩行のドラゴンとしては一番バランスの取れた機体で、格闘、
射撃の両方を自由にこなすことができる。中途半端という悪評もあるが、
乗っているパイロット次第で、いかなる戦術にも対応可能の基本能力の高さは、
ディルクセンも購入候補に考えていたことからわかる。
 玄武陸式(ろくしき)。装甲一枚一枚をウロコ状に留めているドラゴン・
シリーズの中では例外的に、単一の装甲板で全体を覆った防衛戦闘専用の機体。
重量は他のロボット達と比べると倍以上重く、火力も馬鹿にしたものではない。
 天鱗零式。規格は不明。一台のみが登録されて、名前と機体数以外の記録はない。
 
>>>>>[この天鱗零式というのはなんだ?]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[ひみつへいき〜]<<<<<
--Coral

>>>>>[気になるな……まあいい。こちらにとて切り札はある]<<<<<
--Dirksen

 自信ありげにディルクセンは薄く笑う。当然、モニターの向こうには伝わらない。
 今回の選択では、ディルクセンは格闘に特化した機体、火力に特化した機体を
選び、珊瑚はバランスの取れた機体と防御に特化した機体を選んだことになる。
迂回挟撃や奇襲、包囲などの巧みな陣形変化を好むディルクセンと、一兵一兵の
強さを信頼して、その場の状況を奇抜に利用する珊瑚とでは、選択が逆さまでは
ないかと思えるような結果だった。
 
>>>>>[互いに自分の欠点は自覚しているようだな]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[ウチら、長所の方が少ないからな〜]<<<<<
--Coral

>>>>>[黙れ。言わなければ、凡夫どもは気づかぬ]<<<<<
--Dirksen

 そう言いながら、ディルクセンはミュンデが出してくれたクッキーを食べている。
カケラがボロボロと下にこぼれているので、あわててミュンデがティッシュを彼の膝の
上に敷いていた。
 言わなければ隠し通せると思っているのは本人だけである。


 朝の通学路。 
「それでな。交換やら新規配備が終わるまでに三日ぐらいかかるねん」
「へえ〜。そりゃ、すごいねえ」
 自分の街の地下で起こっていることだというのに、まるで実感がわかない。
「ねえねえ、タカくん。それってネットゲームの話?」
「まあ……似たようなものかな」
 左手をつないでいるのは珊瑚。なぜか右手にしがみついているのは、このみ。
「このみ。歩きにくいんだけど」
「む〜。タカくん、珊瑚ちゃんにだけ優しいんだ?」
「そういうわけじゃなくて」
 両手に小さな女の子二人を連れて歩くのは、朝の通学路でなくても恥ずかしい。
物珍しげに登校中の学生達が振り返っている。だが、彼らが見ているのは、
主に貴明の頭に乗っているクマ吉の方だった。
「この野郎。朝からラブラブしやがって。俺にも愛をヨコセ」
 いつもの場所で待っていて、地獄の悪鬼のような声を出したのは雄二だった。
「バカの友達や。おはよ〜さん」
「えっと……瑠璃ちゃんの方だっけ?」
「バカの友達は、やっぱりバカやなあ。貴明は見間違えたりせえへんのに」
 瑠璃は相変わらず口が悪い。
「あっはっは。バカで結構。俺、今日から瑠璃ちゃんバカになるから、一緒に
甘い夢を見ないかい?」
「こらっ、雄二。朝からバカな真似するんじゃないの」
「いでっ!」
 後ろに立っていた環が雄二の頭を小突いた。
「タカ坊。今度は、このみまで毒牙にかけちゃったの?」
「毒って言うな。まあ、タマ姉が想像しているようなことは一切起こっていない」
「毎日ちゅーしてるくせに、何言ってんだか」
「このみ……まだタカくんには、ちゅーしてもらってないよぉ」
 辺りが静かになった。
 貴明の右手にしがみついて頬を膨らませている、このみ。
 貴明の左手にしがみついて、キョトンと不思議そうな顔をしている珊瑚。
 ええい、珊瑚ちゃんもチビも売約済みなら瑠璃たんだけは俺の愛で、とズボンを
脱ごうとした雄二が、実の姉に尻を蹴飛ばされて、キラリと星になった。
「貴明。このみが好きなん?」
「えっ? えっ? ええっ!? ……いっ、いや、そういうわけじゃ」
 右手が痛いほどに強くつかまれる。見ると、このみが泣きそうな顔で貴明の顔を
見上げていた。
「修羅場や」
「修羅場ね」
 どういう結論が出るのか、瑠璃と環の二人は静かに見守っている。興味本位とも言う。
「このみは貴明のことが好きなん?」
 珊瑚に聞かれて、しばらくためらった後、恥ずかしそうに頬を染めて、このみは
うなずいた。
「好きだよ……ウン。タカくん、好きだもん」
 どないせいと。
 朝の通学路、爽やかに始まる一日のはずが出だしからドロドロしている。
「ウチも貴明のこと好きやよ」
「さんちゃん〜っ!」
 瑠璃が悲鳴を上げているが、珊瑚は意に介した様子もない。貴明の左手をつかんだ
まま、この世全てのハッピーをつかんだような顔でニパっと笑う。
「一緒やな〜」
「えっ、あれ? えっ、えっと……うん」
 なにか違うと思いながらも、このみはうなずいた。   
「貴明。このみにも、ちゅーしたらへんとアカンよ。このみ、貴明のこと、
すきすきすきーなんやから」
「へっ……?」
 このみ、瑠璃、環の目が驚きで丸くなる。
「一緒や、一緒〜。ウチも、このみも、貴明とラブラブ〜」
 なにが嬉しいのか、ニコニコ笑いながら、つかんだ貴明の右手をブンブンと振る珊瑚。
「……」
 貴明一人、疲れた顔で青い空を見上げていた。


 休憩時間、噂だけでは我慢できなくなった女子生徒達に質問攻めにされて、
貴明はげんなりしていた。もともと女性が苦手の上に、人の噂になることを
喜ぶような性格でもない。女性にモテるということは男性全員の夢であると
いう風に言われることもあるが、貴明のような内向的な性格の人間にとって
は迷惑このうえないことだった。
「まったくもう……」
 口さがない級友達の好奇心に貴明は仏頂面。次の授業のために教科書を
取り出そうと机に手を入れて探っていたら、一通の封筒が手に当たった。
『はたしじょう』
 茶封筒に黒マジックで書かれていたのは、そんな下手くそな字だった。
「はて。誰からだろう?」
 心当たりはあったが、考えたくはなかった。
 女嫌いの貴明が唯一心の支えとしていて、その料理も楽しみにしている女の子。
 乱暴で口が悪くて、貴明のことを嫌っているけれども、それでも可愛いと思えて
しまう女の子の瑠璃から、貴明に果たし状が送りつけられていた。


 放課後の校舎裏。

 モデルガンなのだろうが、長物の突撃銃を構えた瑠璃が、お団子頭を
迷彩ヘルメットで隠して、貴明を待ちかまえていた。
「う`う`う`う`っ!」
 歯をむき出しにして唸っているので、それなりに怖い顔の瑠璃。
 ただ困っているだけの貴明。怖がってはいないようだ。
「あのね、瑠璃ちゃん。決闘なんか、やめようよ。何が気にくわないか、
よくわかっているけど、俺は瑠璃ちゃんが思っているようなことは絶対
にできないし」
「ウソやっ! あんた、このみとさんちゃんの二股かけてるやんかっ!」
「ふっ、ふたまたっ!? 馬鹿なっ! そんなこと絶対できないってっ!」
 問答無用で瑠璃は突撃銃の引き金を引こうとしたが、トリガーが引けない。
「あれ? あれ? どないなっとるん?」
「瑠璃ちゃん。安全装置、安全装置っ」
「あっ……あんがと、貴明」
「どういたしまして……どわあああああっ!」
 パララララララっ! と景気よく一掃射。横っ飛びで避ける貴明もなかなか凄い。
「さんちゃん、好きやないなら手ぇ出すなぁ! このドアホーっ!」
「手を出してないって……ドワっ、うわっ、ぐわぁっ!」
 悲鳴は情けないが、貴明の回避行動はなかなかのものである。伏せ、ローリング、
匍匐前進、屈んでのダッシュ。戦場で生き残るのは、こういう本能に長けたタイプ
であろう。
 再び、瑠璃の怒声が響く。
「さんちゃん、あんたと結婚する言うとるっ!」
「けっ、けっ、結婚!?」
「さんちゃんの純潔を返せっ! このごーかんまっ!」
「やってないっ!」
 さすがに頭に来て、貴明は瑠璃の方へと近寄ろうとしたが、銃口はしっかりと
貴明の顔を狙っている。
「だから瑠璃ちゃん。話を聞いてってば。俺、珊瑚ちゃんも瑠璃ちゃんも嫌いじゃない
し、同じくらいに可愛いとは思ってる。だけど、別に、そういうことは……」
「……可愛い?」
 普通なら頬を染めて喜ぶような言葉なのに、瑠璃は頬を青ざめさせていた。
「うっ、ウチもごーかんする気なんか……」
「へっ?」
 パラタタタタタタタ!
 顔面に向かってのBB弾の掃射を、貴明は背筋を反らして、マトリックスな
避け方をする。真面目に練習したらテレビ出演とかも出来そうな運動能力。
「覚悟しぃやぁ!! この女性の敵っ!」
 瑠璃が貴明を追いかけ始めた。
 アメリカ兵に追い回されるテロリストよろしく、貴明は必死の形相で校舎裏から
脱兎のごとく逃げ出す。
「死ねーっ!」
「いてっ! いてえっ!」
 たまに命中弾があって、貴明は悲鳴を上げるが、瑠璃の攻撃に一切の躊躇はない。
本気でモデルガンで貴明を殺すつもりらしい。貴明は死にたくないし、瑠璃を
殴りたくもなかったので、そのまま逃げ続けた。

「ふぅ……おい、どうするよ?」
 自分の教室に逃げ込んだ貴明は、机の上で自分を待っていたクマ吉を抱えて、
掃除道具が入っているロッカーの中に潜んでいた。
「クマ吉。どうだ?」
 まがりなりにもクマ吉の創造主は珊瑚であり、瑠璃は、その実の妹だ。
 貴明の提案は瑠璃を裏切るものであったが、クマ吉は丸い頭を縦に振って、
貴明の話をよく聞いていた。愛が友人や家族に勝ってしまうのは、人でも
人工知能でも、あまり変わりないらしい。

 貴明が教室に逃げ込むまでを瑠璃は見ていた。だから、瑠璃はモデルガンを
抱えて、教室へと走ってきた。荒い息をつき、目を血走らせて、肩を怒らせて。
「貴明っ!」
 瑠璃は憎い貴明に一撃を食らわせてやろうと弾倉交換済みの突撃銃の銃口を
半円状に動かしたが、貴明の姿はない。
「隠れても無駄やでっ!」
 脅してみたが、貴明は姿を現さなかった。狭い教室、机の陰や教卓に隠れるのは
難しい。唯一、隠されたスペースと言えばロッカーだけ。銃口を構えた瑠璃は、
慎重に、足音さえも潜めて、そこに近寄っていく。
「……」
 ロッカーの扉に、瑠璃の指がかかった刹那。
 ポフと柔らかい音がして、瑠璃の視界が真っ暗になった。
「なっ、なんやのっ?」
 悲鳴と銃声。
 顔の上にクマ吉を乗せた瑠璃が手足をバタバタと振り回し、突撃銃を乱射
しているが、彼女の真後ろに立っている貴明が被害を被ることはない。
「よっと」
 脇に手を入れて、羽交い締めにするように抱え上げる。
「あう〜っ! 離せぇ〜っ!」
 ジタバタ。ジタバタ。
 すでにBB弾も尽き果てているのか、空になったモデルガンをブンブンと
振り回しながら瑠璃は暴れている。暴れているが、足が宙に浮いているので逃げる
ことはできない。
「クマ吉、サンキュ」
 ビっと片腕を上げて、大殊勲を挙げたクマ吉は瑠璃の顔の上から飛び降りた。
「あのさぁ、瑠璃ちゃん」
「ううぅ〜っ! 離せぇ〜!」
「話を聞いてよ。俺、瑠璃ちゃんが心配するようなことは何もしてないって。
いっつも珊瑚ちゃんと一緒にいるんだから、それはわかるだろ?」
「……」
「瑠璃ちゃんが珊瑚ちゃんのことを好きで、大事に思っているのはわかるよ。
だから、俺は瑠璃ちゃんが悲しむようなことはしないって。マジだよ」
「……嘘や。時々エロい顔してるやん」
 冷たい空気が、その場を流れた。
 助けを求めるように、貴明はクマ吉の方を向いたが、クマのヌイグルミは
気まずそうに丸い顔をそらしている。
「エロくないよ?」
「エロいもん、貴明」
 だって、男の子だもん。
「……わかった。百歩譲って、俺がエロいとしよう。でも、俺から珊瑚ちゃんに
キスしたことはないよ?」
 その問いかけは禁句であろう。
「うぅーっ! あんた敵ぃーっ!」
 ジタバタと暴れる。そんな瑠璃を扱いかねて、貴明は彼女の羽交い締めを解いた。
突撃銃を拾い上げることもせずに、貴明に背中を向けたままで瑠璃は怒っていた。
「さんちゃん、おかしいねん。なんで、あんたのことなんか……」
「瑠璃ちゃん?」
 呼びかけられて瑠璃は振り返った。その瞳に浮いているのは大粒の涙。
「さんちゃんが好きになっていいのは、うちだけやもんっ! うちが好きなのは、
さんちゃんだけなんやからぁ!」
「……」
 おそらく、瑠璃が珊瑚に抱いている想いは、珊瑚が瑠璃に抱いている想いとは異質。
 どちらも相手を愛しているけれども、その愛は噛み合わない。
「好きなんやもん。生まれたときから、ずっと、さんちゃんが好きやもん……」
 どれだけ想いを積み上げたところで。その愛は届かない。
 星の美しさに想いをはせる命短き吟遊詩人の想いのごとく。
「瑠璃ちゃん……」
 吐き出した想いにこらえきれずに、瑠璃は泣き出してしまう。貴明が、本当は
女の子が苦手な気弱な少年が、泣いている少女を抱き締める。
「きらいやぁ……あんたなんかきらいや……」
「うん。だから、泣かないで」
 この抱擁に愛はない。
 抱いている貴明も、抱かれている瑠璃も、どちらも相手を愛してはいない。
 けれども、泣いている少女を抱きとめることは少年にとって自然であり。
 泣いている少女にとって、優しき少年の胸に自分の不安を預けることは自然で
あったから。
「瑠璃ちゃん……」
「たかあきぃ……」
 夕暮れが誰もいない教室の二人を包む。
 この抱擁に愛はない。
 愛はないけれども。
 多分、画家が絵画の題名をつけるとすれば、『恋人たちの抱擁』と名付けるだろう。
 だから。
「るーっ☆」
 両手を上げて、教室に飛び込んできた珊瑚が、
「あ……」
「ふぇ?」
「……瑠璃ちゃん、貴明と、ちゅーしとるん?」
誤解してしまうのも無理からぬことであった。 
「さ、さんちゃん!? ちゃうっ! これはちゃうっ! ちゃうんやーっ!」 
 おそらく、想い人に他の男性との密会を見られてしまったら、普通の女性は、
このようにあわてるのだろう。瑠璃は普通の女の子であるようだ。
 しかして。
 瑠璃の姉である珊瑚は、普通の女の子ではなかった。
「ええやろ〜。貴明、ぷにぷにしとんのに中は固うて。抱き心地最高やねん」
「さっ、さんちゃんっ!」
「そやな〜。瑠璃ちゃんも貴明にラブラブするの当たり前やもんなあ」
 腕組みをして、目をつぶり、納得したようにウンウンとうなずく珊瑚。
「ちゃうぅ〜。うち、さんちゃん一筋やねんっ!!」
「ややなぁ。瑠璃ちゃんがウチ好きなんと、貴明好きなん別腹やないの」
 俺は食べられてしまうのだろうか。
 貴明の顔が絶望に染まる。
「うちら姉妹やし。仲良く半分子しよ」
 俺は半分に割られてしまうのだろうか。
 貴明の顔が絶望に染まる。
「いらへんーっ! こんなもんーっ!」
 ああ、いらないって言われちゃった。
 貴明の顔が絶望に染まる。かなり、当初の絶望からズレている。
「ええやん。これからもずっと三人一緒なんやから☆」
「一緒?」
 瑠璃と貴明は抱き合ったままで互いの顔を見合わせて、あわてて飛び離れた。
「どっ、どないするねん、貴明っ!」
「どないもこないもないで、瑠璃ちゃんっ!」
 言葉遣いが感染している。
「るーっ☆」
 それは宇宙の挨拶なのか、宇宙の祝福なのか。
 夕暮れの教室を、傷つきやすい年頃の少年と少女の悲鳴、それらを超越している
天才少女の嬉しそうな声が覆っていた。


>>>>>[ラブラブって、ええなあ]<<<<<
--Coral

>>>>>[くだらん。愛など性欲の誤魔化しに過ぎん]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[ヒトが性欲あるの当たり前やん]<<<<<
--Coral

>>>>>[嫁入り前の娘が、そんなこと言うな]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[初心やなあ]<<<<<
--Coral

>>>>>[やかましい]<<<<<
--Dirksen

 深夜、リムジンのキャンピングカーの中で、ディルクセンは忙しそうにキーボードを
叩いてる。その姿を後ろから見つめているのはミュンデ。眠いのか、アーモンド型の瞳
を細めて、頭をグラグラさせながら、自分の主君の後ろ姿を見守っていた。

 なんで、そうなるのかなあ。
 部屋の窓から明星様を見上げながら、貴明は絶望していた。
 あの抱擁は瑠璃ちゃんを世界へ抱きとめるための抱擁であって、エロとか
ラブとかじゃない。
「それなのになんで……瑠璃ちゃんともラブラブや〜、になっちゃうんだ……」
 明星様は白く瞬くばかりで、何も答えてくれない。
「あれですよ、あれ。普通、自分が好きな男の子が他の女の子を抱き締めていたら、
怒り出したり泣いたりするじゃないですか。それなのになんで、珊瑚ちゃんは
幸せそうな顔で、俺をアラブのハーレム王みたいだって見つめるんだ」
 ハーレム王なのは事実だと明星様は瞬く。どこにも救いはない。
「……あれなら修羅場の方がまだ良かった。答えてくれ、明星様」
 うるさい、おまえも仲間となれ、と明星様は瞬く。
『瑠璃ちゃんも貴明ラブラブやったんやぁ〜☆』
 世界は狂っている。
 珊瑚は異常で、異常なくらい寛容で、愛に満ちていて、ハッピーだった。
 彼女に出会ってから、この方。このみも環もおかしくなっている。
 今日は瑠璃までおかしくなった。
 顔を赤らめるとか、「ちゃうねんっ! これはちゃうねんっ!」って言いつくろう
んじゃなくて、天昇脚とかで俺を蹴ってくれたらよかったんだ。
 女に蹴られるのが好きなのか? と、明星様が瞬いた。
「……そうじゃなくて」
 珊瑚の言うとおり、瑠璃までおかしくなったら、どうしよう。
 考えれば、瑠璃だけが貴明のオアシスだった。
 貴明を正気の世界へ留める命綱。
 それが今、プチプチと音を立てて千切れようとしている。

「なあなあ。瑠璃ちゃん、貴明と、ちゅーしたん?」
「しとらへんーっ!」
 朝は騒がしい。騒がしいが、限度というものがある。
「このみ、まだキスしてもらってないよぉ」
「……それは、あれか? 俺の義務か、なにかなのか?」
 右手を珊瑚、左手をこのみにホールドされて、貴明はしんどそうな顔をしている。
その後ろを歩いているのは呆れ半分羨ましさ半分の雄二と、完全に面白がっている環。
「タカ坊モテモテね」
「ははは。よかったら代わってくれ、タマ姉」
「なんで? 珊瑚ちゃんと、このみがラブラブなのはタカ坊でしょう?」
「ラブラブ〜☆」
「……ら、らぶらぶ〜」
 頼むから乗るな、このみ。
 幼馴染みの妹のような少女まで、珊瑚ワールドに取り込まれていく姿に絶望感を
深めながら、貴明は溜め息をつく。
「う`う`う`う`う`〜〜」
 背中に響くのは物騒な唸り声。
「さんちゃんとラブラブすなぁっ!」
「ぎゃううっ!」
 貴明の尻に瑠璃の爪先が突き刺さる。
「あ、う」
 なぜか手を伸ばしかけて、羨ましそうな顔をする環。
「これさえなけりゃ代わったっていいぐらいなんだがなあ」
 友人の災難を、哀れんだ顔で雄二が見つめていた。


 ソード、ハンマー、ドリルにマトック。
「兵装をどうするか、何だよね。これだけ巨体だったら武器なんかいらないかもしれないけど」
 白衣の研究者、昂河は画面上に表示されている武器一覧を眺めながら首をひねっている。
その横にいるのは白パンティを顔にかぶった変態男、アイアウス。
「内蔵するか、手に持たせるかでも意味合いは違う。とりあえず、ヘソのところに
ビッグ・ブラストは外せないな」
「それ、オナカに一撃食らったら終わっちゃうよ」
「自爆装置の代わりだと思えばいい」
「つけないってば、そんなもの」
 目の前に横たわる機械仕掛けの神を見ながら、二人は頭をひねっている。


「たかあきぃ」
 世界が溶けそうな甘い笑顔で、珊瑚は貴明の膝の上に乗っている。当の貴明と
言えば、コンピュータ室の椅子に座ったままで体を硬直させていた。
 瑠璃ちゃん。瑠璃ちゃんはどこだ?
 いつもなら、瑠璃が駆けてきて、貴明に延髄斬りか何かを食らわせて、
この状況を止めてくれるはず。そのはずなのに、今日は赤点を取ったとかで
瑠璃が職員室に呼び出されているので、とても危険なことになっていた。
 貴明の太股の上に、珊瑚のオシリが乗っている。とてもプニプニしていた。
 貴明の胸に、珊瑚の胸が押しつけられている。とてもプニプニしていた。
 貴明の顔を、珊瑚の手がくすぐっている。とてもプニプニしていた。
 座位?
 珊瑚は大好きな人に甘えているだけだが、貴明は顔を炎のように真っ赤にして、
なんとか逃げ出そうと手足をジタバタさせていた。
「……だれか、助けて」
「るーっ☆」
 知能において劣り、積極性において劣り、るーにおいて劣るのであれば。
 ここは一つ、唯一勝っている年齢で押し通すしかない。
 そう思った貴明は、精一杯の難しい顔で珊瑚を見つめた。
「珊瑚ちゃん」
「なに〜?」
「その……年頃の若い女の子が、お、男の人にくっつくのは、どうかと思うんだけど」
「なんで〜? 気持ちええやん」
「きっ、気持ちいいからって、エッチなのはいけないと思いますっ!」
 スリスリ。
「ううう……」
 お団子頭を首もとにすりつけられて、貴明はうめいている。
「貴明、気持ちええないん?」
 ぷにぷに。
「ううう……」
「うちは気持ちええよ。貴明、ええ匂いするし、ええ具合に柔らかいもん」
 くにくに。
「なあなあ、たかあきぃ」
 生殺し。
 クマ吉がメモを取りながら、貴明攻略法を母親から学んでいる。
 この状態は、コンピュータ室に珊瑚がダッシュで帰ってきて、貴明の後頭部に
ドロップキックを食らわせるまで続いた。


 次の日の朝。
「タカくーん」
 玄関の前で、このみが貴明を呼んでいた。
「……」
 正直、学校に行きたくないと貴明は思っていた。
「タカくんってば〜」
 それでも行かなければ、このみは心配するだろう。
「……」
 学校では、すでに珊瑚と貴明は公式のカップルまで昇格していた。日々が過ぎていく度に噂の深度は
大きくなっていって、もう取り返しの着かないところまで行ってしまっている。卒業後、すぐに
珊瑚と結婚しなければ外道扱いされてしまいかねない勢いだ。
「もう、タカくんの寝坊助」
 ガチャガチャと音を立てて、このみが家の鍵を開けた。彼女は貴明の両親から、
彼のお目付役を任じられて、家の合い鍵を持っている。
「……うわっ。タカくん、目の下が真っ黒。どうしたの?」
 玄関扉を開けた、このみの最初の言葉は、それだった。
「ああ……なんか、疲れてさ」
 学生服に着替えた貴明の足取りは、なんだかフラフラしている。珊瑚による
気疲れと瑠璃による打撲傷の蓄積が、一気に襲いかかってきたらしい。
「タカくん。ちょっと待っててね」
 トトトと駆けて、このみが玄関から出て行く。隣りから聞こえてくるのは、
このみと母親である春夏の話し声。
「……若いから……」
「ふええ……」
「……仕方がない……」
「ふええ……」
「……のみも、気をつけ……」
「ふええ……」
「……後で、オクラとスッポンを……」
「ふええ……」
「……ームは、お母さんとお父さんのが……」
「ふええ……」
「……のみも、十枚持って……」
「ふええ……」
 なにか、不穏当な話し声が隣りから聞こえる。
 トトトと駆け足で、このみが帰ってきた。
「タっ、タカくんっ! お疲れっ! お母さんがね、今日は休んでいいってっ!」
 シュタっと手を額に当てて敬礼。
 そのまま、ダッシュで、このみは学校の方へと逃げていく。
「……んあ?」
 休んでいい。
 それは、今の貴明にとって救いの言葉であった。
 まどろみの中へと沈む。
 夢も見ない眠りの中で、学生服のままでベッドに沈んだ貴明は、疲れた体を休めていた。 


「編成は、こんなものか。旧式の二式戦車に乗り続ける者も多いな」
「操作系統が違いますから。高性能でクセのある新型よりも、使い慣れた旧式がいいということでしょう」
 新機体導入により、新たに作られた編成表を眺めながら、ディルクセンは頬杖をついて
いる。その横では茶菓子を用意したミュンデが、優しい笑顔で彼を見つめていた。
「どうした? なにか嬉しいことでもあったのか?」
「いっ、いえ。なんでもありません」
 茶菓子をポリポリと食べながら、サブウインドウから報告を受けた。彼が伝達した
指示の先では高速船が海上を駆け走って、不穏な工作船を拿捕しているはずだ。
「馬賊国家の動きが騒がしくなってきたな。進歩しない連中だ」
「攻的に出ているのに、攻的に返されると手段を持たない。愚者の算段ですね」
「天才と、ただの英雄では勝負にならん。ましてや、英雄の父を崇めるだけの不詳の息子ではな」
 一国家の命運ですら、彼の頭脳の前では退屈な駒遊び。
 その横顔を、ミュンデは誇らしそうに見つめていた。

 脈拍正常、呼吸乱れなし。
 枕に沈んだ貴明の頭にくっついているクマ吉ことミルファは、彼の健康状態を計測していた。
 ウガ。
 ヌイグルミの手で、貴明の柔らかい髪の毛を叩いてみる。背筋がくすぐったく
なるような香りが漂った。それは甘いミルクのような、少年の髪の香り。
 ウガ。
 ミルファは思う。この少年が自分を従属者として認めてくれるには、どうしたらいいのかと。
数度にわたる観察の結果から、母親の珊瑚は貴明に苦手とされているとミルファは判断した。
 ウガ。
 ミルファは思う。この少年が自分を従属者として認めてくれるには、どうしたらいいのかと。
答えは見つからないから、とりあえず、貴明の頭にくっついていることにした。
 
 
 眠りは身体を癒し、心を癒す。身はともかく、精神的なストレスを受け続けていた貴明は
久方ぶりに訪れた穏やかな眠りの中に沈んでいた。
「……?」
 その眠りを覚ましたのは、呼び鈴の音。
「宅配便?」
 時計を見ると、まだ午前中だった。ピンポンピンポンと騒がしい呼び鈴の音。
「なんだよ、もう。人が気持ちよく寝ていたのに」
 布団を目深にかぶって、貴明は眠りの中に沈み込もうとした。だが、呼び鈴の音は
鳴りやまない。それは宅配便とかセールスにしては随分としつこくて、疲れ切っていた貴明も、
さすがに布団から出ざるを得なかった。
「貴明〜。おらへんの〜?」
 布団から顔を出した途端に聞こえたのは、幼く舌足らずな女の子の声。
「なあ、さんちゃん。貴明、寝とるんちゃうの?」
「起きるやろ。これだけ鳴らしとるんやさかい」
 聞き慣れた声。聞きたくないと思って学校まで休んだ貴明であったが、双子様の方が
上手であったようだ。
「……そんなに酷い病気なんかなあ」
「病気て。このみは風邪言うたやん」
「知らんの、瑠璃ちゃん? 風邪は万病の素言うてな。風邪に見えた症状で、
死ぬるような病気にかかっとったりするんやで」
 いやいやいや。死ぬような病気じゃないし。というか、風邪でもなくて、ただの過労だし。
 貴明は手のひらを左右に振って否定したが、二階からでは二人も気づきようがない。
「貴明が病気になっても知らん。死んどっても、あとは腐るだけやん。ばっちい」
「腐るだけなら、ええんやけどなあ……」
 死んでないし、腐ってない。
 貴明は文句を言ったが、二階からでは二人も気づきようがない。
「へ?」
「瑠璃ちゃん、この間見たやろ? リビングデッド、生きている死者」
「えっ、映画の話やん。それに見とったの、さんちゃんだけやんっ!」
「貴明、今ごろ、全身にカサブタできてんねん。で、ボリボリ掻いているんや」
「もう、やめてえなあ〜っ!」
 うま、かゆ。
 二人が玄関から立ち去る様子はない。あきらめて、貴明は自分の部屋から出て
階段を降り、珊瑚と瑠璃の白百合姉妹を出迎えることにした。
「それでな、それでな。だんだん人間の意識とかのうなってん。白目になって、
そこの扉から、ウガーっ! っと……」
 ガチャリ。
「二人とも学校はどうしたの?」
「いやあああああああああっ!」
 パララララララララララっ!
 玄関扉を開けてフレンドリィな笑顔で二人を出迎えた貴明。その貴明の顔面めがけて、
瑠璃の持つサブマシンガン(玩具)の全弾射撃が、見事なヘッドショットを行った。

「……顔が痛ひ」
「死人に鞭打つとは、このことやなあ。ひどいで、瑠璃ちゃん」
 客室のソファーに座った貴明は、BB弾の直撃を受けて真っ赤に腫れ上がった
顔をさすっている。その手に合わせて、一緒に顔をすりすりしているのは珊瑚。
「ひどぉない! さんちゃんとアホ貴明が、うちを脅かすから悪いんやっ!」
 そういう瑠璃はエプロンを借りて、慣れた動きで台所で何かを作っていた。
 久しぶりに稼働する台所は良い調子で、コトコトと鍋の中で何かが煮える音が聞こえてくる。
「たかあき。風邪ひいとるんなら粥でいいやろ?」
「うん。ありがとう、瑠璃ちゃん」
 お団子の後ろ頭。こうして見ると、いつも全力で蹴飛ばしてくる瑠璃が、とても女の子らしく
見えるから不思議だと、貴明はボンヤリと思った。
「一人暮らしでも自炊はせんといかんで。台所にホコリ積もっとるやん」
「うん。でも、俺って料理とかは全然ダメだから」
「後で簡単な料理だけ教えたるわ。ほんまダラしない」
 ソファーに座って、おかゆが出来るのを待ちわびている貴明。どこか照れくさそうな瑠璃。
簡単な会話ではあったが、心温まる光景。だが、珊瑚は少し退屈そうな顔をしていた。
「なあ、貴明。瑠璃ちゃんとばっかり話せえへんで、ウチともラブラブしよ?」
「「ラブラブ違うっ!」」
 おかゆを食べ終わった貴明は、そのまま二人が学校に行ってくれることを願っていたが、
結局、珊瑚も瑠璃も貴明の部屋で、その後の時間を過ごすことになった。

「貴明。このパソコン、全然改造しとらんやん。これやったら遅いやろ」
「遅くても困らないから」
 珊瑚は勝手に貴明のパソコンを起動させて、何かいじっている。電脳娘は、
やはりパソコンと相性が良いらしく、そのまま放っておいても大丈夫そうだった。
「……ベッドの下とか、なんかあらへんかな?」
「瑠璃ちゃんっ!」
 問題は瑠璃で、貴明がいるというのにプライベートを無視して、ドラクエの勇者よろしく、
勝手に人の部屋を家捜ししている。
 多分、小さなメダルは出てこない。
「貴明〜。この「ぼくの宝物」っていうフォルダ、なんなん? パスワードでロックしてあるけど」
「そっ、それはいじっちゃダメっ!」
 16桁の暗証番号でロックしてあるフォルダを苦も無く解いて開こうとしている珊瑚を、
貴明があわてて止めている間に、瑠璃はベッドの下にある貴明の「ぼくの宝物」に向かって手を伸ばしていた。
「……うっわ。巨乳画像ばっかり。あかんで、貴明。高校生なのに趣味偏り過ぎや」
「……」
「珊瑚ちゃんっ! 後生だから……って、瑠璃ちゃん! なにしてんのっ!」
 瑠璃が開いているのは、貴明の秘蔵のエッチ本。
「貴明。これはスケベ過ぎや」
 そう言いながらも、瑠璃もパラパラと本をめくっている。
「ダメっ! それ、無修正だからっ! って、珊瑚ちゃんっ! どこに画像を送っているのっ!」
 大忙しである。
「貴明も健康的な男の子やから、止めへんけども。あんまりオッパイオッパイ言っていると、瑠璃ちゃんが可哀想や」
「なっ、なんで瑠璃ちゃんが可哀想……瑠璃ちゃんっ! 女の子が、そんな読者投稿欄まで読んだらダメっ!」
「ふえぇ」
 貴明、顔真っ青。瑠璃、顔真っ赤。珊瑚だけが楽しそうにケラケラと笑っている。
「それで結局、君たちは何をしに来たの?」
「貴明がゾンビになっとるかと思うて」
「ならないよ。この部屋にはTウイルスはないもの」
「このみが貴明は風邪ひいた言うたから。お見舞いに来てん」
「それなら学校が終わってからでも……瑠璃ちゃん。いい加減、それ読むのやめようよ」
 ベッドの下に、貴明の宝物をしまう瑠璃は、どこか名残惜しそうだった。

「ズル休みはよくないなあ」
「貴明がおらんかったら学校つまらんもん。瑠璃ちゃんもそうやろ?」
「ウチは、そんなことないもん。さんちゃんと一緒におれたらいいもん」
「ほな、貴明も一緒やん。よかったなあ、瑠璃ちゃん」
「全然良うない〜」
 お説教に移って、早々に退散してもらう腹づもりだったのに、どうも二人は貴明と一緒に時間つぶしを
することを選んだようだ。これでは学校を休んだ意味もない。というか、学校よりも距離が近い分、
倍は疲れてしまう。
「それで昼ご飯はどないするん?」
「どないするって……お昼までいるつもりなの?」
「さんちゃんが学校行かんのやったら、うちも行けへんやん。冷蔵庫にあったもん使うてええの?」
「そ、そりゃ助かるけど。瑠璃ちゃんはいいの?」
「さんちゃんの昼ご飯作るついでや。勘違いすんな」
 そう言いながらも、瑠璃は自分の本陣である台所に向かって階段を降りていく。
何の気なしに貴明も彼女の後ろについていったのだが、それが後悔すべき事態を招いたことは否定できなかった。

「大体、家事サボり過ぎやねん。ゴミも、こんなに溜め込んでから」
「いっ、いいって。ゴミぐらい自分で片づけるから」
 手早い動きで貴明が集めていたゴミを分別して、瑠璃はゴミ袋の中に詰めていく。
「ほら、どいて、どいて。邪魔や、あんた」
「って言われてもなあ。なにもしないわけにもいかないし」
「風邪ひいてんのやろ? それなら、ソファーで寝ておけばええやん。腹の調子が治ったんなら、
精のつくもん作ったるさかい……なんやの? 冷蔵庫、なんもあらへんやん」
「ははは。普段、スーパーとかコンビニの弁当ですませておりますので」
 瑠璃は溜め息をついて、軽蔑したような視線を貴明へと向ける。
「財布貸しぃ。さんちゃんに、こないなもん食べさせられへんもん」
「クサヤ嫌い?」
「そないな問題ちゃう! ほら、あんたはソファーに寝ときっ!」
 瑠璃は貴明から千円だけ貰うと、さっさと外に買い物に行ってしまった。正直、
手持ちぶさたである。ソファーで寝ておこうかと思ったが、二階の自分の部屋から
カチャカチャと何かをいじる音が聞こえるのが気になった。
「まっ、まさか、珊瑚ちゃんっ!?」
 貴明はダッシュで二階に上がったが、時すでに遅く、そこには貴明のパソコンを
勝手に組み立て直してしまった珊瑚の姿があった。
「あああ……なにしたの、珊瑚ちゃん?」
「改造〜っ」
 両手を上げて、嬉しそうに笑う珊瑚。
「これで貴明のパソコン、めちゃ速うなったで。ほらほら、起動時間1秒や」
 にこにこ笑いながら電源スイッチを入れる珊瑚。宣言通り、今までたっぷり時間が
かかっていた貴明のパソコンはまたたく間に起動を行い、その画面を表示させた。
「……珊瑚ちゃんっ!」
「どしたん?」
「なに、この壁紙はっ!」
 解像度抜群のパソコン画面。左上にゴミ箱だけを置かれたデスクトップ上には、
ヌイグルミを抱いて安らかに眠る瑠璃の寝姿が大写しになっていた。
「可愛いやろ〜」
「そういう問題ではなくっ! これ見つかったら、瑠璃ちゃんに殺されるでしょ!」
「そうかな〜。ラブラブになる思うんやけどな〜」
 自分の寝姿をデスクトップに飾られて喜ぶ女の子は奇特だと思ふ。
「それで、ほらほら。貴明の宝物もグレードアップしといたでー」
 パスワードロックがかかっているというのに、珊瑚は持ち主のプライベートを
無視して、簡単にフォルダを開けていく。そこにあったのは……。
「瑠璃ちゃんだらけや〜」
 どんなソフトを使ったのか、貴明が長年かかって集めてきた巨乳画像の顔が全て、
瑠璃の顔にすげ替えられていた。巨乳にロリ顔というのは確かにポイントは高いが、
「あのね、珊瑚ちゃん。これ見つかったら、俺、絶対に殺されるし、その後で死体を
バラバラにされて埋められると思うの」
デメリットが、あまりにも大きすぎる。
「なんで? 瑠璃ちゃん、貴明相手やったら多分、怒らへんよ?」
「どこのマリア様ですかっ!」
「好きな相手には女の子は誰でもマリア様になるもんやけどなあ」
「俺は瑠璃ちゃんのこと嫌いじゃないけど、瑠璃ちゃんは俺をゴキブリと同じくらい嫌っていると思うけど」
「そないなことあらへんって。瑠璃ちゃんが他の男の子と、あんなに話すことあらへんもん」
「そうなの?」
 意外な珊瑚の言葉に、貴明は驚いてしまう。
「そや。瑠璃ちゃん、うちに構い過ぎやねん。あない可愛いのに。勿体ない」
「それは瑠璃ちゃんが、珊瑚ちゃんのことを大事にしてるからだと思うけど」
「ちゃうねん」
「違うって?」
「うち、瑠璃ちゃんがいないと何もできへんから。料理も裁縫も洗濯も、なんも
できへんから。おかげで瑠璃ちゃん、自分の楽しいこと、何もできへんねん」
 ベッドの上に座って足をブラブラさせている珊瑚の表情は、どこか寂しそうで、
いつもの小学生と見分けのつかないようなものとは違い、どこか憂いをふくんでいる。
「そんなことないと思うよ。瑠璃ちゃんは、珊瑚ちゃんみたいなステキな姉さんと一緒にいれて、幸せじゃないのかなあ」
「それじゃあかんのよ」
 なにがあかんのか。貴明にはよくわからない。
 わからないけれども、姉である珊瑚が妹である瑠璃のことを心配していることは、よくわかった。
 珊瑚が瑠璃の良い姉であることは、よくわかった。
「貴明。瑠璃ちゃんには優しゅうしてえな」
「それはもちろん」
 朗らかな時間を過ごしている二人。そんな二人に割って入ったのは、話題の中心となっていた瑠璃本人であった。
「こら。さんちゃんにヘンなことせえへんかったやろな?」
「しとらへんよ」
「してません、はい」
 電光のごときマウスさばきで、瑠璃のコラージュ・セクシーショットが表示させた画像ビュアーを消した貴明は苦笑いしている。
 その日の昼食は、なんだか楽しかった。


 眠りの中で。
 貴明は一つの結論を導く。
 白百合珊瑚と白百合瑠璃。
 この双子の姉妹は、自分の苦手とする女の子である。
 苦手ではあるが、珊瑚と瑠璃は女の子であり、自分が男の子である以上、自分には
彼女たち二人を護る義務が生じる。
 それは格好つけとか好意とかじゃなくて。ただの当たり前。
 珊瑚の価値観は常人離れしていて、ついていけないところもあるけれども、それでも
悪意からではない。彼女は妹を心配し、自身にコンプレックスを持ち、それでも日々を
笑って過ごそうとする、普通の女の子に過ぎない。
 瑠璃は乱暴で体が持たないところもあるけれども、本当は優しい女の子だ。お姉さんのことを
大事に思っていて、本当は嫌いなはずの自分のことも心配してくれる、ただの照れ屋の女の子に過ぎない。
 自分は女の子が苦手で、話すだけでも息が詰まりそうになるけれども。
 それでも見込まれた以上は、この双子の姉妹に頼りにされてしまった以上は、できることをしなければならない。
 それは誓約でも決心でもなく、ただの当たり前。
 だから貴明は、信仰よりも決意よりも強く、そのことを果たし続けようと思った。

「タカくーん」
 聞き慣れた声。
「おーい、貴明! 生きてっかあ?」
 子供の頃から、ずっと聞き慣れた声。
「タカ坊ーっ。大丈夫ーっ?」
 誰に呼ばれているか、貴明は眠りの中でも気づいていたが、それでも起きる気にはなれなかった。
 心地良い眠り。
 暖かく、柔らかく、いい匂い。
 それは心が疲れた貴明が、ずっと求めていた安らぎ。
「……いい匂い?」
 桃の香りのような匂いに違和感を感じて、薄目を開けると、お団子頭が目の前にあった。
「Why?」
 背中にギュっとしがみついているのは小さな腕。動けない。
「まっ、まずまずまずっ!」
 貴明の見守り役を両親から任じられている、このみが、ガチャガチャと音を立てて玄関の鍵を外す音が聞こえる。
「やっ、やばやばやばっ!」
 貴明は逃げだそうとベッドの上でもがいていたが、両側から眠れる白百合姉妹に挟まれた彼は、
まったく身動きすることもできなかった。

「ターカくん、具合どう……!?」
 ベッドの上で。
「おーい、貴明。返事ぐらいしろって……!?」
 貴明と珊瑚ちゃん、瑠璃ちゃんが。
「タカ坊。そんなに具合が悪い……!?」
 仲むつまじく床を一緒にしていた。
 目が点になったまま、貴明の部屋の扉の前で立ちつくす三人。
「待ちたまえ。これには海よりも深く、山よりも高い事情があるのだよ、ククク」
 貴明は悪元帥気取ってみたが、聞く耳もってもらえなかった。
「タカくん。やっぱり、珊瑚ちゃんだけじゃ足りなかったんだね。英雄色を好むでありますか……」
「このみっ! 遠い目をして、なに、とんでもないことを言ってんだよっ!」
「……貴明に先を越されたか」
「何の先だよっ!」
「タカ坊っ! いくらなんでも真昼から、さっ、さっ、さんぴっ……」
「賛否両論?」
 カバンを振り上げて、環が近寄ってくる。貴明議会は満場一致で暴力行為を否決したが、そんなこと
聞いてもらえそうにはなかった。
「違う! 誤解だって! ねえ? 珊瑚ちゃん! 瑠璃ちゃん!」
「うに〜……」
「なんやぁ〜……」
 あわてて珊瑚と瑠璃をゆすり起こした貴明は、寝ぼけナマコの二人に助けを求めた。
「おっ、俺、なにもしてないよね? ただ昼寝していただけだよね?」
「…ふああ〜」
 アクビをしながら、珊瑚はふにゃふにゃと溶けそうな微笑みを浮かべる。
「うん。気持ち良かったよ〜。貴明と寝るの」
「ね、ね、ねねねねねねねねねねねね寝る!?」
「そのままの意味っ! タマ姉っ! Sleepの意味だってばっ!」
「ラブラブやった〜。まだ気持ちええもん」
 赤く染めた頬に両手を当てる珊瑚。振り下ろされるカバン。
「この外道ーーーっ!!!!」
「ぼんげーーーーっ!!!!」
 貴明の切ない悲鳴が部屋の中に響き渡った。

 待機中のリムジンのキャンピングカーの中で。
「ミュンデ。天才とは、なんだと思う?」
「……とても頭のいい人のことではないでしょうか?」
「それでは、頭がいいとは、どういうことだ?」
「記憶力がいいとか、アイデアをたくさん出せるとか。計算が速いとか」
「どれも異なる。脳髄の機能が優れていることと天才性には関連性はない。
たとえ記憶力が悪くても、アイデアなど出せなくても、計算どころか文字さえ読めなくとも、天才と
呼ばれる人間は存在する」
「えっと……すいません。よくわかりません」
「天才とは、新しい世界を人類全体に供することができる存在のことを言う」
「飛行機にしろ、自動車にしろ。大昔から人が空想に描いたとしても、現実には作れなかった。しかし、
その空想は現実となり、今では当たり前のものとして大空を飛び、大地を駆けている」
「すなわち、天才とは。それまで無かった、もしくは夢として思い描くことしかできなかったことを
現実に持ち込むことを可能とする力を持った人間のことを言う」
「つまり、あなたのような?」
 ディルクセンは薄く笑って、うなずいた。
「Coralが人間を造ることで神を気取るというのであれば、私は人間の外側、世界そのものを変えてみせよう。
私が生きた後、私を天才と呼ぶか外道と呼ぶか、そんなことは知ったことではない。この私、ディルクセンこそが
人類を閉ざされた運命から解き放ち、新たなる未来を築き上げるのだ」
 それが覇者の雄叫びなのか、狂者の絶叫なのか、誰にもわからない。
 わからなくても、盤上のコマは動き続ける。 

 地下世界に居並ぶ鋼鉄の戦士たち。
「これが……新型?」
「そや。こっちのキンキラキンのが黄竜伍式。それで、あっちの丸っこいのが 玄武陸式って言うねん」
 初めて肉眼で見るロボット兵器たちは、まさしく巨人という名前にふさわしく、その足下に立つ貴明は、
ただただ呆然とするばかりだった。
「これだけのロボットを動かす……一体、どれだけの技術力なんだ?」
「うちはソフトを作っただけや。中にあるシェル、コクピットルームとかは来栖川のチームが作ってん。
外側のデザインは制作者の趣味やな。でも、鱗状にした方がメンテナンスとかもし易いし、吸着爆弾を
食らった時に生存性が高いんやって」
「兵器……なんだよな、これ?」
 建物を破壊し、敵機を撃破し、人を殺す暴力の象徴。そのはずなのに、地下世界に立つ戦士たちは美しくて、
貴明は目を奪われてしまう。黄竜伍式と呼ばれたロボットは、くすんだ金色のウロコを持つ竜の戦士で、
その手に構えた大型ライフルは、あらゆるものを打ち砕くことができそうだった。玄武陸式と呼ばれたロボットは、
灰色の亀の甲羅のような分厚い装甲に包まれていて、脇に抱えた大型のロケットランチャーが圧倒的な存在感を誇っていた。
「斬新すぎて商品にはならんって言うとったけど。ディルやんは本気で使うつもりらしいなあ」
「使うって……世界征服でもするつもりなのかい?」
 朝の登校を間近に控えた時間。日常はすぐそこにあるというのに、貴明と珊瑚のいる場所は非日常。
巨大な鋼鉄の戦士たちが争い合う戦いの場、
「世界征服というか。ディルやんは世界そのものを変えてしまうつもりなんや」
「世界大戦を起こす?」
「そやないけど。うちらの世代と、その次と次ぐらいの世代は、えらい迷惑を被る思うんや」
「戦争……か」
 ここにある二足歩行のロボット兵器だけで世界が変わるとは思わない。しかし、貴明が珊瑚を理解できないのと
同じく、おそらくディルクセンと彼女が呼ぶ天才も、貴明には理解できない世界を見ている人物なのだろう。そして、
珊瑚が言うのであれば、それは真実である。
「勝たなくちゃいけないんだね」
「うちが勝つことがええことになるか、それは知らんけど。やっぱり、ドンパチよりラブラブがええやん?」
 いつものとろけそうな天使の微笑みの横で、貴明は重苦しい顔でうなずくのであった。 


「あら? 今日は同伴出勤なのね?」
「いや、危ない店に勤めているわけじゃないんだから」
 左手に珊瑚をぶら下げた貴明が疲れている顔をしている右となりで、このみが難しい顔をしていた。
「ひどいよ、タカくん。このみ、遅刻しちゃうところだったよ」
「そや。さんちゃん、勝手につれていったら、あかんよ」
 同じく難しい顔をしているのは瑠璃。早朝、貴明と珊瑚が一緒に、どこかに行っていたのが気にくわないらしい。
「あら? 今日は蹴っ飛ばさないの?」
「うち、そない凶暴ちゃうもん」
 環と瑠璃の会話。
「あのね、珊瑚ちゃん。タカくんと何をしていたのかな?」
「ラブラブしとったよ?」
「……朝駆け一発……」
「このみさんっ! 乙女がそういうことを口にするのはいけないと思いますっ!」
 このみと珊瑚と貴明の会話。
「……」
 その後ろで、雄二は噛みつきそうな顔で、幼馴染みの親友の背中をにらんでいた。


「貴明。おまえ、いい加減にしろよ」
 二時限目の休憩時間。いきなり雄二に、そんなことを言われたので、貴明は面食らっている。
「はあ?」
「あのな。おまえは楽しみまくっているからいいだろうが、おまえのダチである俺は、
スッゲー迷惑してんだよっ! おまえのせいで、俺までスケコマシ野郎って言われてんだからなっ!」
「楽しみまくってない。雄二がスケコマシっていうのは同意するけど」
「同意すんなっ! 俺はナンパはするが、最後まで成功したことは一度もねえっ!」
 まあ、あれだけ下心丸出しのナンパにつき合う女の子もいないからなあ。
 貴明は、そう思いながら、雄二の言いがかりにつき合っている。
「第一、なんのことだよ。雄二が陰口叩かれるのはわかるけど。俺が叩かれるのはおかしい」
「……おまえっ! 珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんに、あんなことしてっ! まだ、そんなことを言いやがるのかっ!」
「あんなこと?」
「美少女二人を左右にはべらせて、公然と二股かけやがってっ! おまえの血は何色だっ!」
「赤だよ」
「そうじゃねえっ! 悪いとか、本気で思わねえのかっ!」
「俺は珊瑚ちゃんにも瑠璃ちゃんにも、何にもしてない」
 言ってみて、ちょっと男らしいと貴明はうぬぼれてみた。
「……でも、この前、廊下でチューしてたけど……」
「小牧さん。俺に、何の恨みが?」
「うん。わかる、わかるよ。河野くんも男だもの。そりゃ……でも、いやぁああああっ!」
 廊下に賭けだしていく委員長。
「サイテイだ。河野」
「いいんちょにまで手を出すなんて。おまえのロリちからは無限大か?」
「私、巨乳でよかったぁ」
「だから、俺がなにをしたんだぁっ!」
 うるさい外野に向かって貴明が怒鳴っている横で、雄二は、「そら見たことか」という顔をしている。
「貴明。いい加減、二股なんて外道な真似はやめて。どっちか一人、俺に下げ渡せ。それでオールオッケーだ」
「あのな、雄二。あの子たちは二人一緒が自然な姿なんだよ」
 貴明の本気の言葉。その眼差しに雄二は溜め息をつく。
「バーカ。小学生じゃないんだから、いつまでも姉妹仲良くってわけにはいくかい。男ができたら、
そっちになびくのが普通じゃねえか」
「あの子たちは普通じゃないの。特別なんだ」
 それが良いことかどうか、貴明にはわからないのだが。
 少なくとも嘘を言わなかった自分に、貴明は満足していた。


 リムジンのキャンピングカーの中で。ディルクセンは忙しそうにキーボードを叩いている。
「固いな、玄武陸式というのは。防御専門の機体など不要と思っていたが、なかなかやる」
「第二次の突撃砲のような運用をしていますね。普段はトーチカ代わりにして、好機が来るや否や、
最短距離を走ってくる。これなら足が遅いのも関係がありません」
 幸いにも、ASR−01の格闘能力はCoral側が新規導入した黄竜伍式の能力を遙かに凌駕していた。
狭い通路ばかりが続くラビリンス、地下世界において、近接戦闘に強いということは圧倒的な優位性を
確立したということになる。ただ、問題なのは、支援機として運用しているRR−22の砲弾が敵の
玄武陸式の正面装甲を全く貫けないことにあった。
「まずいな。近接戦闘に入ってしまえば火力支援は意味がなくなる」
「パイロットの技量次第ということになりますね。神海機の動きはどうですか?」
「玄武潰しに走ってくれているが、数が足りない。戦力が拮抗しているな」
「Winter-Moonが出てきますか?」
「さあな。幻八を動かしてくれれば勝負は決まるが。城門を留守にするほどCoralも迂闊ではあるまい」
 新機体参入初日。めまぐるしく動くようになった戦場で、DirksenとCoralの機体が戦闘を繰り広げている。

「暑い。やはり、エンジン回りは蒸すな」
 地下世界、非戦闘通路の一角にある自販機置き場のソファーに座って、変態仮面アイアウスは
タオル地のパンティで、マッチョな全身に浮き出た汗をぬぐいながら、ぼやいていた。
「……」
 その前で固まっているのは、コーラを買いに来た貴明。珊瑚が飲みたいと言い始めたので、
忙しそうな瑠璃の代わりにオツカイに出かけたのが運の尽きだった。
「やあ、少年」
 気さくに片手を上げる変態なオッサン。
「なっ、なにも見ませんでしたっ!」
 ブリーフだけ履いた筋肉ムキムキな尖り髪のオッサンが、顔にパンティを被って、ソファーで
ペットボトルの御茶を飲んでいる。貴明が背中を向けて逃げ出したのも無理からぬことだろう。
「変態奥義っ! パンティ・ウエッブ!」
 その貴明を無理矢理引き留めたのは、変態なオッサンの手のひらから放たれた、蜘蛛の巣状に
編まれたパンティの網だった。
「ぎゃああああああっ!」
 ローマ人につかまったゲルマン人のような奇声を上げながら、貴明はパンティの網の中でもがいている。
「くっ、くさっ! 生暖かっ! 気持ちワルっ!」
「ふむ。熟女ぞろいのパンティ・ウエッブは少年にはきつかったか」
 平均年齢45才のパンティで編まれた網の臭いに貴明は悶絶している。このまま観察して、少年が
目覚めるかどうか待っていようかとアイアウスは思ったが、貴明の顔が紫色になり始めたので、網を解くことにした。
「いきなり逃げ出すことはない。私は男のパンツには興味はないからな。安全だ」
「わあ。この上なく頼りない言葉だ」
 変態技を解かれて、貴明はヨロヨロと立ち上がる。最近、珊瑚や瑠璃のスイートフルでピーチな香りしか
嗅いでいなかったので、かなりグロッキー気味である。
「話は聞いている。Corral、白百合珊瑚の招いたゲストだろう。気味の名前は確か、河野貴明」
 自分の座ったソファーの隣りをパンパンとアイアウスが叩くので、仕方なく、貴明は、その横に座った。
もう一度、あのパンティ地獄の中に埋められたら、死んでしまいそうな気がする。
「珊瑚ちゃんのことを知っているんですか?」
「もちろん。この馬鹿げた遊びの主催者の一人だからな」
「遊びって……これ、珊瑚ちゃんたちの将来がかかっているんでしょう?」
「遊びは遊びだ。二本足で走る戦車をぶつけ合わせて、その優劣を競う。こんなに急がなくても、一世紀も立てば、
そこらの裏山で楽しむことになるだろう馬鹿げた遊びだな」
 変態なオッサンは、格好こそ変態だったが、なかなかの皮肉屋だった。
「馬鹿げてない。珊瑚ちゃんは毎晩、一生懸命にやってるよ」
「そうか。それでは少年。この馬鹿げた遊びに、Coralという少女の将来がかかっているとするなら、貴様には何が出来る?」
「……」
 思ってもみない質問に、貴明はただ口をつぐむしかない。
「もう一度問う。白百合珊瑚はゲストとして、部外者として唯一、河野貴明を、この地下世界へと招いた。
では、当の本人、河野貴明は招かれた者として、何ができる?」
「……戦うよ」
「素手でか?」
「武器がなかったら、それでもいい」
 貴明のまだ幼さの抜けきっていない瞳を、変態男の平行四辺形な白目が見つめている。
「……」
「……」
 しばらく時間が過ぎた。
「面白い。さすがはCoralだ。天下布武を真剣に謳うDirksenと拮抗するだけはある」
「え?」
「少年。心配しなくとも武器はある」
 ドンと、変態だが男の大きな拳が貴明の胸を叩いた。いきなり胸板を叩かれて咳き込んでいる貴明を見て、
変態仮面は笑う。
「はっ、ハートって意味ですか?」
「そうだ。後は、他の連中が何とかする。貴様は真っ直ぐに突き進むだけでいい」
 笑いながら、変態仮面アイアウスはゴールデンカーフが浮き出た背中を見せて去っていく。
「乱暴な人だな……」
 その貴明の足下で、クマのヌイグルミ、ミルファが、丸い目に決意をこめて、貴明の顔を見上げていた。


 戦況は膠着状態にあり。
>>こちらゼロワン。高脚蟹の侵攻を止められないっ! 援軍頼むっ!<<

>>こちらゼロフォーっ! 玄武は手一杯だっ! なんとかしろっ!<<

>>黄トカゲ、侵入っ! 角海老を潰されるなっ!<<

>>前線の連中、調子に乗りすぎだっ! こっちが手薄に……グワアアアアっ!<<

>>亀っ! 亀をなんとかしろっ!<<

 戦場の中を砲弾と爆炎、電波と悲鳴と怒号が雪崩飛ぶ。

>>>>>[あかん、メチャクチャや。新型の機体にパイロットが振り回されとる]<<<<<
--Coral

>>>>>[同感だ。指揮云々の問題ではないな]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[どないする? 今日はもう、お開きにしよか?]<<<<<
--Coral

>>>>>[いや、三夜ほど戦えば慣れるだろう。]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[そやなあ。機体訓練認められとらへんからなあ。実戦で慣れるしかないわなあ]<<<<<
--Coral

>>>>>[面倒な話だ。私の財布も大打撃だな]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[そやの? ディルやん、金持ちか思うとった]<<<<<
--Coral

>>>>>[株でもやるかな]<<<<<
--Dirksen

 指揮官たちも戦場の混乱に呆れ気味で、まともな命令は飛んでこない。
「貴明様。紅茶が入りましたよ」
「ありがと、イルファさん」
「……砂糖が入っとらんやん」
「ああうっ! 申し訳ありません、瑠璃様ぁ!」
「だから、なんで嬉しそうやねんっ!」
 今夜はダラダラと進みそうな夜だった。

「るーっ☆」
 今日も珊瑚は元気だ。天下の公道である学校の廊下で右腕にしがみつかれて、
貴明はとても迷惑そうな顔をしている。
「さんちゃんから離れろ、ヘンタイ〜っ!」
 珊瑚から貴明を引きはがそうと、瑠璃が貴明の左腕にしがみついているが、遠目には
「モテモテのプレイボーイが双子の姉妹を両手に花でウッハウッハ」という情景にしか見えない。
「二股。二股だよ、兄弟」
「ラブラブラブラブだぁ……いいなぁ」
「乾く暇も無しか」
 回りの視線が痛い。とんでもないことを言われているのに、貴明は言い返せない。
「タカくん。あおかんはよくないよ」
「このみ。おまえ、意味わかって言ってないだろ」
 双子の姉妹のおかげで学校での評判はガタ墜ち。それでもなお、夜毎繰り広げられる地下世界での戦争の
行く末も気になって、貴明は珊瑚と瑠璃から離れられないでいた。
 それは河野貴明という少年が辿る、運命の道筋。


 いつもの隠し通路から、行くは地下世界の戦場。イビツに歪んだ天井や壁面が砲弾の威力のすさまじさを伝えている。
パソコンの画面越しからでは馬鹿げた遊びにしか見えない戦い。けれども、戦争は実際、この街の下で毎日起こっていて、
この死人の出ない争いの先には人間の将来がかかっている。
「……なあ、瑠璃ちゃん。俺に何か、できることってないの?」
「なんのことやの?」
「ほら、瑠璃ちゃんが毎日いじっているパソコンの中のことで。荷物運びくらいならできると思うんだ」
「ええよ。貴明はゲスト。御客様やもの。客に、そんなことさせられへんし」
 瑠璃は、この件に関しては貴明を関わらせようとはしない。ただ画面越しに、何が起こっているかを
見せるだけ。この前、居並ぶ新型たちを見せてくれたのは、ただの例外のようだ。
「こぉら、さんちゃんにくっつくなっ!」
「が、う! るっ、瑠璃ちゃん。爪先はやめて。刺さるから……」
 貴明の焦る思いとは裏腹に進歩はない。


「瑠璃様には一歩も近寄らせませんっ!」
 拳銃型のコントローラーを片手に、真剣な顔でゲームに挑んでいるイルファ。
「よっ、ほっ、とっ」
 対して、その横で2P側のコントローラーでパンパン撃っている貴明は気楽そうだ。
「ボスキャラ!? いっ、いやっ、いやいやいやっ! 瑠璃様が食べられちゃうっ!」
「あー。こいつ眉間が弱点。飛びかかってきた時がチャンスだよ」
「だから、なんで、うちが食べられる役やねんっ!」
 怒った瑠璃がエプロン姿の腰に両手を当てて振り向くと。

 ガアアアアアアアアアアアっ!

 針のように尖った歯を大きく開いて、ボスゾンビが画面いっぱいに食いつこうとしている場面に出くわした。
「やああああんっ!」
「ああっ! 瑠璃様っ! なんで貴明様に抱きつくんですかっ!」
「イルファさん、イルファさん。そっち行くよー」
「いっ、いやいやいやっ! 瑠璃様っ! こっちもはぐはぐしてくださ〜いっ!」
 怖がる瑠璃に飛びつかれても貴明は平気な様子で、グチョグチョネバネバのゾンビを拳銃で追い払っている。
このガンシューティングゲームは貴明も家に持っていて遊び倒しているので、かなり慣れたものだ。
飽きていると言ってもいい。
「……ううう。もう怖いところ終わった?」
 音が静かになったので、怖々と瑠璃が顔を上げると。
「あー、ごめん。今、ヒロインが化け物に変わっているところ」
 
 リック……グェ、ギョグェゲエエブエブブブブブブ!!

 白いドレスを着た女性が背中から触手を生やして、醜い化け物に変わっているところを見ることになった。
「いやああああああああっ!」
「ああうっ! 瑠璃様ぁ! そんなに強く抱き締めるなんて、私がされたいっ!」
「イルファさんっ! 撃って、撃って!」
 パキュンパキュンと銃声が鳴る。結局、ほとんど貴明一人でラスボスゾンビを倒すことになってしまった。
「うええぇーっ!! ウチ、帰るぅ、おうちに帰るぅ〜」
「ここが、おうちなんだけども」
 屍の上に一人立ち、館の外へと通じる扉を開ける主人公。その後に続いていくアンデット化した女性キャラ。
エンディングテロップ。
「悲しい終わり方ですね」
「救いはないけどね。いや、化け物になったヒロインを殺すことができたから、それが救いなのかな」
「私はヒロインが助かるエンドが見たかったです」
「あ、それ見れるよ。クリア時間と命中率が良かったら、トゥルーの代わりにグッドエンドが出るんだ」
「ほっ、本当ですか? それじゃ、もう一回……」
「ダメーっ!!」
 瑠璃の泣き声で、イルファの願いは中断されてしまった。
「あうう。瑠璃様のイジワル」
 この場合、イルファの方が意地悪だと思うのだが、どうか?

>>>>>[Winter-Moonは出さないのか?]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[そっちこそ、神海出してないやん]<<<<<
--Coral

 珊瑚は珊瑚で、ディルクセンと腹のさぐり合いをしている。互いが持つ最強のカード。
それは出してしまえば対応されてしまうだけの最強。だから、どちらも睨み合いをするだけで
戦況を変化させようとはしない。その間にも、パイロットたちは激戦を続けていた。

>>くっくっく、見るがいい、私の作ったこの新発明を〜!!!<<

>>ナオ! 突出するなっ! 食われるぞっ!<<

>>あいつ、ツルハシみたいなもの持ってますけど。外部武装の独自開発ってオーケーでしたっけ?<<

>>アウト。あいつが撃破した数が、こちらの減点になる<<

>>撃て、撃て。あいつが敵さん倒す前にやっちまえ<<

>>背中から被弾っ!? 馬鹿なっ! ブルータス、おまえもかぁーっ!<<

>>いらん弾使わすなっ!<<

 まあ……激戦していた。


 星辰の煌めき旋る圏外遠く。
 太陽の彼方、虚空の彼方にて。
 矢弾の嵐が化外を裂く。
「マグネタイトくせえ。ったく、貯金好きの化け物どもが」
 踏みしめるは人の屍。噛み裂かれた手や足、幼な子に抱かれていた人形。
 邪気うずまく穢土を遙かに飛び翔けり、その手に持つは銀の拳銃。
 弾くは鼓翼の猛き一射ち、灼羅の弾丸。
「悲鳴? 馬鹿ぬかせ! てめえにかける情けはねえっ!」
 獣のごとき四本の犬歯。手にした聖銃二丁と同じ色の銀の髪。
 身につけたるは、その心を満たすものと同じ色の紅蓮。怒りの色。
 海綿のごとくに穴だらけにされた化け物。
 その瞳に光るは、後悔、狂気、殺意、虚無。言いようしれない精神の腐敗。
 化け物の前に立つ怒りの化身たる男。
 その瞳に光るは、憤怒、狂気、殺意、闘気。言いようしれない精神の燃焼。
 化け物はかつて人間だった。
 人間だった時、心に満ちていたのは、生命の価値を否定すること。
 自分が生きていたくなかったから、他者が生きることを許せなかった。
 人間でありたくなかったから、人間を殺した。
 殺人。それは儀式。人間から化け物へ、上位の存在へと昇華するための儀式だった。
 銀髪の男はかつて人間だった。
 人間だった時、心に満ちていたのは、悪に対する尽きることなき怒り。
 許せない。いかなる理由、いかなる事情すら顧みることを男は拒んだ。
 化け物に人間は勝てない。人間のままでは勝てない。
 化け物を殺し尽くすことを望んだから、男は人間を捨てた。
 殺生。それは誓い。人を愛していたから、男は人から化け物になった。
 自分が許せないと思う存在になることを、あえて選び取った。
「悪滅正義っ! てめえが消えることに意味なんざ与えねえっ!」
 銃火二閃。頭と喉笛を砕かれて、化け物は消える。最初から、そんなものはどこにもなかったかのように。
存在を否定し尽くされて、人間が嫌いだった化け物は消える。
「ジン。こちらは終わったぞえ」
「ああ、こっちも終わりだ。胸くそ悪ぃ」
 悪態をつきながら、銀髪の男は二本の片手で二丁拳銃の弾丸を同時に込め直す。
「よくも飽きぬものだな。化け物を殺す度に怒気を発していては身が持たぬだろう」
 風涼一身。浅葱色のダンダラ模様の羽織を着た、黒髪を長く伸ばした優男が、まだ怒りに
肩を震わせている男の後ろで涼しげに微笑んでいる。
「俺は笑って殺せるほど人間やめてないんだよ、拝堂蘭人」
「ホホホ。笑うのは人間の基本ぞ」
 優男の右手に握られているのは月光を刃と化した一夜刀。べっとりとまとわりついているはずの
赤い液体も、白い月の光で浄化され、有り得ざる速度で元の循環へ還っている。
「さて。ディルクセンの奴、怒っているだろうな」
「組織から何も言って来ない故、問題はなかろう」
「あいつのプラン、漏れがないから好きなんだよ」
「火筒を放っていれば済むような策ばかりではないか。おぬしのことを侮っておるのよ」
「違えよ。無駄なことはさせないってことだ。俺は好きだぜ、あいつ」
「衆道の趣があったのかえ?」
「ふざけんな、ボケ」
 断罪の銃、ジン=ジャザム。その手に握られた二丁拳銃は聖銀によって建造された人類最強の
対魔構造物の一つであり、その使い手である彼はヒトという種が手にした銃。
 断罪の剣、拝堂蘭人。その手にする月光刀は、あらゆる魔を断ち続けてきた言い伝えの刃であり、
その使い手である彼はヒトという種が手にした剣。
「ミュンデとかいう可愛い女が側にいたぜ。あいつも、よくそんな暇あるよな」
「ふむ。女遊びとは俗悪な」
「なんだよ。男遊びの趣味があったのか?」
「斬り捨てようかえ?」
 物騒な言葉を吐きながらも、男二人は穢土から立ち去っていく。
 残るものは何もない。
 命の価値を否定したかった者は、最初からそうであったように、在ることをやめているから。


「ディルクセン様、コールです」
「待て。今、いいところだ」
 おっとり刀で冬月が出てきたので、ディルクセンは対応に追われていた。
「断罪の銃からですよ」
 忠告するようにミュンデが言ってきたので、ディルクセンはキーボードを叩く。

>>>>>[そろそろ切り上げないか?]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[仕事入ったん?]<<<<<
--Coral

>>>>>[いや、旧知から連絡が入った]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[モトカノ?]<<<<<
--Coral

>>>>>[貴様の頭の中には色欲しかないのか]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[当たり前やん。ラブラブ盛りなんやし]<<<<<
--Coral

>>>>>[私のように清廉潔白に生きてみたらどうだ? 悪いようにはせんぞ?]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[禿げてなかったら乗るところなんやけどなあ〜]<<<<<
--Coral

>>>>>[禿げてない。生まれつき、こういう毛並みだ]<<<<<
--Dirksen

>>>>>[ディルやん、頭使いすぎやねん]<<<<<
--Coral

 Coralと話していると終わりがないので、適当なところで切り上げると、ディルクセンは秘所である
ミュンデが待つ大型ディスプレイの前へ移動した。
「久方ぶりだな、ジン=ジャザム」
 珍しくディルクセンの顔に自然な微笑みが浮かんだので、ミュンデは目を丸くすることになった。


「るーっ☆」
 貴明の受難は続く。右手に珊瑚、なぜか左手には、このみを構えて。
「貴明の手、やわっこくて、暖かくて気持ちええなあ」
「タカくんの手、普通だよ。うん」
「このみ、他の男の手も握ったことあるん?」
「そ、そんなにはないけど」
「魔性の女や〜」
「ましょう? マシュマロ?」
 全てが食べ物に結びつくのですか。
「ううぅ〜! さんちゃんにくっつくなあっ!」
「この場合、くっついているのは珊瑚ちゃんの方であって、タカ坊はくっついてないと思うんだけど」
「そないなことあらへん〜っ!」
 その後ろを歩いているのは瑠璃と環。瑠璃が蹴っ飛ばそうとするタイミングで環がツッコミを入れるので、今
日は蹴るタイミングがつかめないようだ。
「朝からハーレム野郎め」
「どこをどう見たら、そうなるんだよ」
 貴明の右手にしがみついている珊瑚は幸せそうで。
「どこをどう見ても、そうとしか見えねえだろうが」
「それなら変わってくれよ」
「え? マジ? いいの?」
 そこまで言ったところで、雄二の後頭部を環の握撃が襲った。
「こぉら、雄二っ! 朝からヘンなことばっかり言わないのっ!」
「ぐぎゃぐげげげげげげ! やめ、後ろ、骨薄い! マジわれわれわれわれわれ……」
「やっぱり、たかあきの友達もヘンなんばっかりや」
 朝から、今日も騒がしくなりそうだった。


「アイアウス君。病棟夜勤は終わった?」
「ああ。シャワーを浴びてから、そっちに復帰する」
 ブリーフの中に携帯電話をしまうと、アイアウスは地下世界へと続く通路の扉を開いた。トレーニングのため、
エレベータは使わずに通路を走っていく。通路に転がるのは、巨大な鋼鉄の戦士の屍。まだ回収されていない機体は壁に埋もれ、
残骸となって、無惨な姿をさらしている。
「弱装弾とはいえ、中身のシェルを砕かないようにされているだけだからな。よく戦っている」
 専門ではないので、この機械がどうやって動き、どうやって戦い、どうやって死を迎えたのか、
アイアウスにはわからない。わからないが、わからないなりに彼は戦士への敬意を示して、その両の手のひらを
合わせた。この機体はいずれ回収されて、補修され、また新たな戦士として戦場に立つ。ヒトと異なり、戦うがために作られ、
生まれた兵器に安らぎなどない。
「馬鹿げたことだ」
 争いのない平和の世界など幻想で、そんなユートピアなぞ、どこにもない。ヒトが生物として
生まれた以上、その宿命と原罪を背負って生き続けなければいけないことをアイアウスは
知っている。知っているけれども。
「馬鹿げたことだ」
 アイアウスは、その言葉を虚しげに繰り返した。


「河野くん、河野くん」
 くいくいと後ろから袖を引っ張る者がいたので、貴明は振り向いた。
「小牧さん? どうしたの?」
 学生服の袖を引っ張っていたのは、クラス委員長の小牧愛佳だった。
「うん。あのね、今度の……」
 小牧は何をするにしても、まず地盤固めから始める。それは些細な相談事であったが、
些細であるからこそ、気軽に承諾できる頼み事であり、彼女の話を真面目に聞いていた。
「うん。それでね」
「なるほど、なるほど」
「やっぱり女たらしや」
「うん。確かに、最近の河野くんって、ちょっとヒドいよね」
「そやそや。近寄るだけで腹丸くなってしまうねん」
「おい待て」
 上級生二人の会話にズカズカと乗り込んできたのは、怒って頬をふくらませた瑠璃。
「瑠璃ちゃん。人聞きの悪いことを言わないの」
「うち、嘘言うてないもん〜」
 お団子頭の下級生にからまれて、貴明は困った顔をしている。別に怒り出すわけでもなく、
邪険に扱うわけでもなく、ただ困ったように微笑むだけ。
「河野くんって優しいよね」
「ちゃう。女にだけ優しい振りしとるんや。それで騙されて近づいたら、パクっといかれてしまうんや」
「うん。パクっと食べられちゃったか……」
 じっと瑠璃の方を見ている小牧。
「たっ、食べられてへんもんっ!」
 フルフルと首を横に振り、優しい微笑みを浮かべる小牧。誤解とは時に残酷である。
「それじゃ河野くん。よろしくね」
「よろしくね……って、ありゃ完全に誤解したまま逃げちゃったなあ」
 パタパタと足音を立てて立ち去っていく小牧。その後ろ姿を呆然とした顔で見ている瑠璃。
「それで瑠璃ちゃん……いてっ、いてぇ! 蹴らないでよっ!」
「あんたのせいやーっ!!」
 ゲシゲシと瑠璃は貴明を蹴るけれども、後のカーニバル。


「う〜、う〜」
 貴明と瑠璃。一つの机に向かい合わせで座って、瑠璃はお団子頭を抱えて唸っている。
「ほら、瑠璃ちゃん。唸っているだけじゃ問題解けないよ。頑張らないと」
「わからんもんはわからへんも〜んっ!」
 新学期早々、学業不振で職員室に度々呼び出されること数度の瑠璃。その瑠璃に対して、貴明は
親切心から家庭教師役を買って出たのだが、彼女は難儀な生徒であった。
「頭ええからって、いばらんでもええやんっ! さんちゃんと大違いやっ!」
「頭が良いとか悪いとか、そういうのは関係ないよ。ほら、留年したくなかったら、この問題を解いて」
 珊瑚は天才的なコンピューター開発者であるが、天才であるが故に、人に物を教えることには
向いていない。くわえて、瑠璃は「自分は頭が悪い」ということを開き直って肯定してしまっているため、
「さんちゃんの言うことは難しくて、わからへん」と認めてしまい、学ぶ努力というものをしない。
「うう〜。こんなん解いて、なんになるんや〜」
「わかった。解けたら、御褒美あげるから」
「御褒美ゆうて、うち、エサで釣られる犬ちゃう〜」
 文句は言いながらも問題集に向かっているので、瑠璃は貴明相手だと勉強する気になるようだ。
「やっぱり、貴明相手やと食いつきがちゃうなあ」
「さんちゃん〜! うち、犬とちゃうってば〜」
 その様子を横から楽しそうに観察しているのは珊瑚。クマ吉ことミルファも、今は貴明の邪魔を
しないで、彼女の腕にしがみついている。
「そう、そこそこ。そこで分解すれば終わるよ」
「あっ、ほんまや」
 ようやく一問。それでも独力で解いてみせた瑠璃を、珊瑚とミルファが拍手で祝ってくれる。
「ふぁ〜。なあ、これで、もうええやろ? うち、さんちゃんにゴハン作らんとあかんねん」
「いや、同じやり方で、この問題も解けるから。ついでに、これも解いて帰ろう」
「ふにゃあ〜」
 貴明は教師役としてはなかなか厳しい。厳しいけれども、瑠璃も文句は言いながらも鉛筆を投げ出さない。
 ガウ。
 がんばれ、と、ミルファが心ばかりのエールを、苦手な勉強に立ち向かっている瑠璃の背中に送った。

 地下世界。
 新型機の性能に振り回されていたパイロットたちも、ようやく自機の挙動と相手の挙動に慣れて、
互いの指揮官たちの動きに忠実に従うことができるようになった頃。

>>Winter-Moon接近っ!<<

>>くっそ! エルメキア・ランスの設置外から来やがったか! バンカー! 何分持ちこたえられる!?<<

>>03! こっちだって新型に乗ってんだ、やれる……ガアアアア!!<<

>>まずいな。神海! 出ろっ!<<

>>隊長っ! そのまま出ると神海が亀の集中砲火食らいますっ!<<

>>俺が盾になるっ! そこのブッ壊れた角海老の甲羅を寄こせっ!<<

>>はいっ!<<

>>アホっ! せっかく手が六本あるんだっ! ケチケチしないで六枚寄こせっ!<<

>>すいません、コマンド。必ず食い止めて見せます<<

>>神海。そういう時はな。必ず撃破マークを増やしますって言うんだ<<

 激戦。火花が散り、爆炎が噴き上げ、煙が通路を満たす。
 双方の主格たる冬月と神海が、金色の爪と六本の手で互いの装甲を削りあっている。

>>>[六枚盾か。いい方法を思いつく]<<<<<
--Dirksen

>>>[前線ならではやな。でも、ボーっとしていると不意打ち食らうで]<<<<<
--Coral

>>>[気づいていないとでも思ったのか?]<<<<<
--Dirksen

 二足歩行戦車というコンセプトで開発された鋼鉄の戦士たちは、その実、戦車を上回る機動性と
人間同様の両手による武器保持という汎用性により、戦場での動きは異常にスピーディだ。だが、
ディルクセンも敵方のCoralも、それらの動きに見事に適応して、奇策を繰り広げ続けている。
「凄まじいものですね」
 夜食代わりの紅茶と茶菓子を用意しているミュンデが、茶色の髪をいじりながらモニターを、
ディルクセンの背中越しに見ている。
「できれば、ジンのみやげにCoralの身柄を確保したいところだが」
「ロリータ趣味の方なのですか?」
「異なる。間違っても本人の前で、そういうことを言うな。眉間に穴が開く」
 ディルクセンが包囲戦術を行っているのに対して、Coralは延長する戦線に穴を開ける形で包囲突破を計ろうとしている。
「ディルクセン様が押しているように見えますが」
「違うな。ゲートの前に幻八を配置している以上、一定の戦力をゲートに集中できなければ私の勝ちはない」
 ミュンデは紅茶が冷めるのを気にしているが、ディルクセンのキーボードを叩く指が止まる気配はない。
あきらめて、彼女は紅茶を煎れ直すことにした。


「はい、あ〜ん。ふーふーして食べさせてあげる〜」
「……あの、珊瑚ちゃん。それ、なんの真似?」
 朝からタコヤキ。登校中だというのに、目の前にツマヨウジに刺さったタコヤキを差し出されて、
貴明は困った顔をしている。
「こぉら! さんちゃんの出すもんが食われへん言うんかっ!」
 食われへんも何も、登校中の通学路。回りの生徒たちの生暖かい視線に見守れながら、お口を
アーンと開ける度胸は貴明にはなかった。
「貴明、タコヤキ嫌いなん?」
「さんちゃん。そんな奴に食わすことあらへん。うちが食べたる」
 あ〜んと口を開ける瑠璃。だが無情にも、珊瑚は手をヒョイと動かして、タコヤキを彼女の口から遠ざけてしまう。
「さんちゃん〜っ!」
「あかんよ、瑠璃ちゃん。貴明と間接ちゅうしたいんなら、ポッキーか何か持ってくるさかい」
「か、かんせつちゅうぅ!?」
「関雪忠とか書くと中国武将みたいだねえ」
 俺は関わり在りませんよ、と貴明は回りにアピールしたが、周囲の目は冷たい。
「……さすがは学校一のケダモノだぜ。人の目関係なしか」
「貴明と、ちゅーしたいんやろ? 瑠璃ちゃん?」
「したあないっ!」
 瑠璃は本気で怒っているが、珊瑚は「素直じゃない妹を優しく見守る姉さん」の微笑みで、彼女を見守っている。
ある意味、極悪である。
「貴明。ほら、瑠璃ちゃん待ってるで〜」
「近寄んなっ、ケダモノーっ!」
 瑠璃は左手でリードジャブを打ちながら貴明を牽制している。
「いいなあ。俺もエロいことしたいなあ」
「アホ。ありゃ人間やめてるぜ」
「そうそう。体力持たないって。二人相手だもん」
 どこから、そこまで話が突き進みましたか?
 貴明は空を見上げて救いを求めたが、空飛ぶカラスさえ貴明から顔を背けているようだった。

 安らぎの時間が授業中と家に帰って寝る時だなんて、学生生活として間違っている。
 珊瑚と瑠璃を守ろうと決めた貴明ではあったが、周囲の好奇の目は耐え難い。
「貴明。昼ご飯食べよ〜」
 今日も下の階から珊瑚がお迎えに来てくれた。
「ほら、貴明。彼女のお出迎えだぜ。行ってこいよ」
「雄二。そう言いながら肘で腎臓を狙うのはやめろ」
「うう〜……」
「あれ? 今日は瑠璃ちゃんも?」
 珊瑚の後ろに隠れるようにして、瑠璃が怖い顔で貴明をにらんでいる。
「ほら、瑠璃ちゃん。お礼せな」
「うう〜……いやぁ〜……」
 珊瑚は貴明に対して友好的であるが、瑠璃は貴明に対して敵対的である。
「ほら、二股だ、二股」
「股が二つか。よくできた言葉だよな」
「絶倫超人タカアッキーか……」
 勝手なことばかり言うなと貴明はクラスメイトたちをにらんだが、あまり意味はなかった。
「瑠璃ちゃん。これで放課後、居残り勉強せんでええようになったろ。ありがとって言わんと、あかんよ」
「うう〜……ありがと〜……」
「あっ。昨日教えたところ、ちゃんと小テストに出たんだ。あの先生、やっぱり出すところ変わってなかったね」
 風評は悪くなるけれども。
 それでもまあ。
「ほら、瑠璃ちゃん。昼ご飯、貴明と一緒に食べよ。ちゃんとサービスするんやで」
「あううう〜」
 悲しげな瑠璃。でも、教室を出る貴明と珊瑚の後ろについてくるから。そんなに悪く思われては
いないのかもしれないと、貴明は自分を慰めた。

 コンビニで買って来た冷めたピザパン。それを貪り食いながら、パンティを顔に被った変態、
アイアウスは空を見上げている。
「いい天気だねえ、アイアウスちゃぁああああああんんんっ」
 ビブラート効き過ぎの声。 上は白、下は赤のフリルだらけのミニスカート・ドレスに、
淡い黄色のニーソックス。紫に染まったロングカールの髪に、兎の耳のような髪飾り二本。
「あおかんびよりぃいいいいいいい」
 無言でアイアウスはベンチを立った。変態とは言えども、さすがに恥ずかしかったらしい。
「あああああんんんっ。待ってよぉおおおおおおんんっ」
「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
 土煙を上げて、爆走して逃げ出すアイアウス。その後ろを、兎耳の少女のような生物は
トトトと軽い足音で追いかけていく。
「ね、ね、ねねねね。これ捕まえたら、アイアウスちゃんに突っ込んでいい?」
「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
 アイアウスは必死に逃げていた。

「さて、今日は、このへんで終わろうか」
「ふにゃあああ〜」
 居残り勉強をさせられた瑠璃は頭から煙を吹いて、机の上に突っ伏している。
「どうせ勉強させられるなら変わらへん〜」
「成績がちゃうやろ。瑠璃ちゃん、うちと夏休み過ごしたないん?」
「ううう〜。さんちゃんもたかあきもイジワルやぁあ〜」
 くたびれている瑠璃のカバンも一緒に持ってやって、貴明と双子姉妹は学校を出る。
「貴明、優しいやろ? 普通は、こんなんしてくれへんで」
「まあ、大したことじゃないから。俺も復習になるし」
「うぅうう〜」
 瑠璃がふらついているので、貴明はカバンを二つ持った手の反対側の左手で彼女の肩を支えた。
別に、なんでもないこと。
「触ったらあかん〜。ばっちぃなる〜」
「ダメやで、瑠璃ちゃん。今から慣れとかんと貴明のお嫁さんになれへんよ」
「「あえ?」」
 珊瑚の発言に、貴明と瑠璃の顔が引きつる。
「なっ、なんで、うちが貴明の嫁さんにならんとあかんねんっ!」
「そうだよ! 俺たち、まだ高校生だしっ!」
「そういう問題ちゃうっ!」
 必死になって言いつのる瑠璃と貴明を、珊瑚はウンウンと優しいお姉さん笑いで眺めている。
「さんちゃん、勘違いしたらあかんっ! うち、こいつのこと大嫌いなんやからっ!」
「大丈夫や〜。だんだんようなる、ほっけのたいこ言うてな〜」
 珊瑚はなかなか容赦がなかった。

 
「A1からG7まで、まとめてクリア。おかわりよこせ」
「それだけブっ放しておいて、よく弾が無くならないものよ」
 ホホホと笑いながら、拝堂蘭人は陽光刀を濡らす赤い血を振り払っている。
「さあな。一個大隊まとめて墓場送りに出来るだけの数はあるぜ」
 赤い革ジャケットのポケットから弾倉を取り出して、空になった弾倉と取り替えるジン=ジャザム。
その間にも食屍鬼や幽鬼が迫ってくるが、それは片手に持った拳銃のグリップ底で叩き伏せた。
「待て、ディルクセンからじゃ。ホホホ。馳走はまだあるとのことぞ」
 浅葱色のだんだら模様の着流しの袖に仕込んだ通信機で、統率の鬼からの連絡を受け取った拝堂蘭人は
涼しげに笑う。
「やー。やっぱ、あいつ好きだわ。最高だぜ」
「仲を取り持とうぞ? 最近は神も同性婚を許すと聞いたゆえに」
「おまえを殺してから考えるわ」
 凶暴なオオカミの牙を剥き出しにして、ジンは新たな戦場へと向かう。その後ろを足音も立てずに
拝堂が従い走っていく。


 疲れ果てて、瑠璃は眠ってしまった。眠っているのは貴明の背中の上。
「なあ。瑠璃ちゃん、重うない?」
「平気だよ、これくらい」
 文句の一つも言わずに、貴明は瑠璃を背中に背負っている。
「珊瑚ちゃんこそ、カバン重くない?」
 教科書が詰まったカバンが三個。小さな体の瑠璃は苦労してカバンを持っている。
「大丈夫や〜。うち、力持ちやもん〜」
 ふうふうとつらそうな息を吐いているから、それは嘘だとわかる。わかるけれども、貴明は彼女の
ガンバリを台無しにしたくはなかったので、あえて黙っていた。
「貴明。いつも優しいなあ」
「そんなことないよ」
 流されるままに流されて、今、ここにいるだけ。
「なあなあ。ずうーっと、うちや瑠璃ちゃんと一緒におってな?」
「えっ?」
 夕暮れの中、瑠璃は貴明の瞳を見上げている。それは軽いことで言ったのか、それとも重要な約束であったのか。
「……うん。約束するよ」
「やったーっ☆」
 カバンを三個持っているので万歳はできない。代わりに、貴明の頭に乗っていたクマ吉が万歳をしていた。

「ねえ。最近、タカ坊の様子がおかしくない?」
「う〜ん。パンティ被ったりしないからヘンじゃないと思うけど」
「……なによ、それ」
「知らない? 最近、この近所でパンティ被ったオジさんが歩いてるって評判になってるよ」
 環は少し空を見上げて想像した後、気持ち悪くなって頭を横に振った。
「そうじゃなくて。最近、夕方とかに家に電話してもいないことない?」
「うん。多分、珊瑚ちゃんの家に遊びに行っていると思うけど……」
 少し言いづらそうにして、このみは自分の推測を告げる。
「困ったわね。これじゃ噂通りになっちゃう」
 親指の爪を噛みながら、環はつまらなそうな顔をしている。
「うん、困ったね」
 朝の通学路で、大きな女学生と小さな女学生が肩を落としているが、そんなことにも気づかずに、
貴明は明るい笑顔で挨拶をした。
「おはよう」
 呑気そうな顔。その右手にくっついているのは珊瑚。
「るーっ☆」
「るーっ……あれ?」
 つられて環はバンザイしてしまい、首を横に傾げた。

「恐ろしいまでの戦闘力ですね。断罪の銃、ジン=ジャザムと断罪の剣、拝堂蘭人という二人は」
 モニターの上に映し出された戦闘結果を見て、ミュンデは驚愕している。
「当代きっての闘士だからな。対人、対物、対魔を問わないところが強みだ」
 すでにチェック済みのデータには興味がないのか、ディルクセンは本来の仕事に戻っている。
「掃討済みのところに陰陽士を派遣しているのですか?」
「当然だ。事後平定がなければ、断罪の二人を派遣する意味がない」
「これで魅魔は、この土地に出ることが出来なくなる?」
「然り。私は人外と外人が嫌いでな」
 キーボードを叩きながら、ディルクセンが横目を向けると、ミュンデが悲しそうな顔でうつむいていた。
「くだらんことを気にするな。私の好き嫌いと貴様の能力の高低は関係ない。胸を張れ」
 胸が大きいのが、いてもいい理由なのかしら?
 ミュンデは、せっかくのディルクセンの慰めを、とぼけた意味で受け止めていた。


 地下世界。そこに続く通路は、街のいたる所に設置された隠し扉から入ることができる。貴明が知っている
場所は一カ所だけだが、それは、この街に住む他の誰も知らない特権のようなものだった。それを貴明が
意識しているかどうかは知らない。問題なのは、地下世界が戦場であり、そこに飛び交う鉛弾が人に直撃すれば、
その者は瞬時に赤いトマトソースになるということを、河野貴明本人がわかっていないということにあった。
 だから。
「……」
 暮れなずむ夕方。
 貴明が行き止まりに立ちはだかる壁を押して、ただのアスファルトをスライドさせて、その下にある
金属質の階段を降りていくのを、派手な赤いセーラー服を着た二人がつけていく。
「タマお姉ちゃん。これ、SFみたいだね」
「黙っていなさい。こういう場合は監視装置とかあるのが定石なんだから」
 女スパイのような足取りで、足音を立てずに駆け下りていく環。その後を、おっかなビックリ、このみがついていく。

>>Precious-Prince、Geo-Frontへ復帰中……他二名追尾者あり<<

>>部外者か?<<

>>はい。Precious-Princeの関係者のようですので、レーザーは控えましたが、困ったことになりましたね<<

>>Coralに連絡を取れ。まもなく戦闘開始時刻になる。巻き込まれるとまずい<<

>>女子供の足ですから、対して深くは潜れないでしょう<<

 監視役二人の気遣い。だが、その気遣いこそが深刻な事態を招くとは、誰にも予想することができなかった。


>>>>[どうした? 陣形を自ら崩すつもりか?]<<<<
--Dirksen

>>>>[その手には乗らへん。ASRで切り込むつもりやったろ?]<<<<
--Coral

>>>>[我が方が勝っているのは突破力だからな。ふむ。では、これならどうだ?]<<<<
--Dirksen

>>>>[逆包囲や]<<<<
--Coral

>>>>[甘い。Mirageの守る門、突かせてもらうぞ]<<<<
--Dirksen

>>>>[陰険やなあ]<<<<
--Coral

 珊瑚が指揮する地下世界最大の空間、ジオフロントに続く門を守っているのは、
玄武陸式に乗った飛剣使いの幻八である。もちろん、そこを突破されるほどの兵力の侵入を
許すほど珊瑚は迂闊ではなかったが、ディルクセンが狙っているのはデータ収集にある。

>>今日こそ敵本陣を突破するっ! 貫き通すっ!<<

>>弾丸をケチるなっ! ラストバトルだっ!<<

 前線部隊は意気高く、細く長いゲートの橋を走っていくが、それは幻八にとって格好の的に過ぎない。

>>届かない? くっそ、重力場フィールドでも張ってんのかっ!?<<

>>弾丸を偏向されているわけじゃない。玄武の装甲が固すぎるんですっ!<<

 鋼鉄の刃の嵐に切り刻まれて、奈落の底へとディルクセンの部隊機は墜ちていく。

>>>>[ふむ。二部隊では、こんなものか]<<<<
--Dirksen

>>>>[外道]<<<<
--Coral
 
>>>>[そんなことを言っては政治はできんよ]<<<<
--Dirksen

>>>>[うち、そんなん興味ないもーん]<<<<
--Coral

>>>>[初歩から教えてやろう。脳髄から神経の末節まで、私に従うようにしてやる]<<<<
--Dirksen

>>>>[エロや〜]<<<<
--Coral

>>>>[エロ違う]<<<<
--Dirksen

>>>>[むっつりスケベ〜]<<<<
--Coral

 脳内桜色扱いされて、ディルクセンは眩しく輝く富士額に大きな青筋を立てて、本気で怒っている。
そんな彼の姿を見て、お盆を持って横に立っているミュンデは、どういう思考回路をしているのか、
彼のことを可愛らしいと思っていた。


「な、ななななんなのかな、あれ?」
 ガチガチと、このみの歯の根が鳴っている。目の前で巨大な鋼鉄の戦士が、曲がった銃身を手に殴り合い、
火花を散らして、互いの装甲をヘコませている。
「やばいわね。少なくとも、生身の人間が入ってきていいところじゃなかったみたい」
 よりにもよって、このみと環が隠れているバンカー間際で戦っているのは両陣営最強のパイロットで
ある神海と冬月の二人だった。鉄くずと化した鋼鉄の戦士たちの屍。それらを踏みつけて、暴虐無尽の暴力を
振るい続ける二体の巨人。
「タマお姉ちゃん、頭出さない方がいいよ」
「ええ。これ、破片食らっただけで死ねるわよね」
 戦っているのは金色のドラゴン、黄竜伍式と、赤い阿修羅、ASR−01。

>>これで倒れてくれっ!<<

>>優喜のためにも、ここは退かぬっ!<<

 早い段階で方天画戟を飛ばされた冬月は、金色のウロコを煌めかせながら、素早い立ち回りで
六本の腕を持つ闘鬼、ASR−01を手玉に取っている。

>>このっ、このぉ!<<

>>チっ! やるな、若造っ!<<

 ガンガンと飛び散る火花。シェルの中で操縦桿を握っている二人の視界はカメラで補佐されている
だけなので、足下にいる少女二人などに気づきはしない。

「ねえ、タマお姉ちゃん。あの大きいの、こっちに近づいてきてない?」
「逃げるわよ、このみ」
 伏せたままで環は、このみの肩を抱えて移動しようとしてが、その逃走経路を塞ぐような形で、
神海機体が構えていた曲がった銃身が墜ちてきた。
「きゃああっ!」
 女傑、向坂環らしからぬ悲鳴。金属音が響き続ける戦場で、二人の戦士は気づかなかったが、モニターを
監視していた珊瑚には、その助けを求める声が聞こえた。

「なんやの、今の声? パイロットに女性はおらへんはずなんやけど」
 不審に思った珊瑚は、主戦場となっている場所の監視カメラを一斉に作動させる。そこで見つけたのは、
同じ学校に通う生徒二人だった。
「タマ姉? なんで、このみまで……」
「侵入報告は出とらんなあ。あかん、戦闘中止や」
 珊瑚があわてて冬月機に戦闘停止命令を送り、ディルクセン側に報告を送ると、ディルクセンの方でも
戦闘停止を神海機体に送った。

>>>>[止まらへん。なんでや〜]<<<<
--Coral

>>>>[こちらの通信が耳に入っていないようだな。強制停止は可能か?]<<<<
--Dirksen

>>>>[そんなんプログラムに入れてない〜]<<<<
--Coral

>>>>[こちらの部隊を向かわせよう。潰さないように気をつけろと言っておく]<<<<
--Dirksen

>>>>[間に合わへんって!]<<<<
--Coral

 後ろでモニターを見ていた貴明は、モニターに並ぶチャットの文字列を見て、全速で扉の外に
向かって駆け出した。
「貴明様っ! どちらへ!?」
「助けに行く!」
「無茶ですっ!」
 イルファが叫んで貴明の手をつかもうとしたが、人間よりも遙かに反応速度が速いはずの彼女の手を、
何者かが振りほどいた。
 ガウ。
 貴明の手につかまっているのはクマ吉。
「たかあき……」
 呆然とした様子で、瑠璃は貴明の背中を見送っていた。