To Hentaimask2 <Sango-Sirayuri(2)>  投稿者:AIAUS


 金属の破片1cmが腹に食いこむだけで人間は死ねる。
 当たり前のことなのに、この平和な国では、そのことに気づくことは難しい。
「このみ。大丈夫。大丈夫だから」
 バンカーは防壁であるが、ただのコンクリートの塊であり、二足歩行戦車が倒れてくれば
一溜まりもない。
「タマお姉ちゃん……タカくん、こんなところで何をしているのかなあ」
「さあ? 案外、あのロボットの中に乗っていたりするかもね」
 地響きが響く。環は自分の背中に冷たいものが流れるのを感じたが、抱きかかえている、
このみには伝わらないように歯を食いしばった。
 
 奇想と妙想。湧くがごとき造形の神が創り上げた奇怪なる落とし子。
 天連ねる星々を鱗として天駆ける竜。
 天鱗零式。
「クマ吉……これに乗れっていうのか?」
 どこか女性を思わせる細身のフォルムの機体の足下で、貴明は一瞬だけ躊躇い、
その後、普段の大人しく優しい少年の表情をかなぐり捨てて、闘志を内に秘めた
巨大なトカゲのウロコに手を掛けた。その後ろで、まるで電池が切れた人形のように、
クマ吉はコトンと横に倒れる。
 本来であれば、もっと準備をかけて現れるはずであったもの。
 だが、それは今こそ必要とされる。
 図らずも馬鹿げた戦いに巻き込まれた少女二人を助けるために。
 戦場に素手で飛び込もうとした少年を助けるために。
 兵器が兵器を超えて、何者かになるために。
 天鱗。
 それが竜と名付けられなかったことは、天恵のようであった。 

「ミルファ、天鱗と接続開始しました。珊瑚様、いけるかもしれません」
「あかん。ベテラン・パイロットが狂戦士状態になっているところに入っていっても
都合良く助けられたりせえへん。ああ、もうっ! なんで言うこと聞かへんのっ!」
「さんちゃん……うち、ようわからへんけど。たかあきやから大丈夫やと思う」
 イルファは妹を信頼している。珊瑚は珍しくも焦っている。そして、瑠璃は貴明を。

 シェルと呼ばれるコクピット・ルーム。貴明は、その中に並ぶ電装部品に目もくれずに
操縦桿を握る。どうやって動かすかなどわからない。ただ、足下のペダルを無闇に踏みしめる。

>>マスター。戦闘システムを起動します<<

 耳の横のスピーカーから聞こえるのは女性の声。それは美しく思われようと努力
していたが、当の貴明に余裕はない。

>>作戦内容:救出 目標:柚原このみ 向坂環 被害問わず<<

 なぜ、生まれたばかりの、初めてパイロットを乗せる機体が、貴明の大事な人の名前を
知っているのか。そんなこともわからないほど、貴明は焦っていた。
 だから。
 焦りを想いに変えて、爆突たる推進力として、天鱗はハンガーから駆け出す。
 四本足で駆け出す、その姿は。
 まさしく天駆ける竜の王であった。

>>死ねやっ!<<

>>まだだっ! ここで倒れられないっ!<<

 熟練の戦士の体当たりを六本の手でさばく神海。その足下に、恐怖の面持ちで
頭上を見上げている少女二人がいることなど気づかない。もし気づくなら、二人とも、
すぐに戦闘をやめる理性を持ち合わせてはいただろうが。
 実力伯仲。竜虎相克。
 どちらも互いの顔、互いの手、互いの闘気しか見えていない。
「くぅう……せめて一瞬でも止まってくれれば、逃げ出せるのに」
 このみを抱きかかえて、環は絶望を感じ始めた。
 なぜかマブタに浮かぶのは、好奇心と疑念から後を追った少年の顔。
 こんな馬鹿な死に方をしたら、タカ坊は怒るだろうな。
 まるで人ごとのように環は苦笑する。
 そして、実際、タカ坊と環が呼ぶ少年は、怒りを胸に、その場所へと現れた。

>>そこまでだっ! やめろって言われているのが聞こえないのか、馬鹿どもっ!<<

「タカくん?」
 手に構えたのは奇妙な形をした四又の斧二振り。飴色に輝く天のウロコを持った巨竜。

>>味方? おい! これは一騎討ちだっ! 手を出すなっ!<<

>>僕は構わない。まとめてかかって……ぐああああああっ!<<

 天鱗零式が左手に持った斧が、神海機の胴体に突き刺さった。相手に反応する暇も
与えない、情け無用の動きに、赤いASR−01は行動停止に陥る。

>>神海機、停止確認。続けて、冬月機の撃破を提案<<

>>わかってるっ!<<

 目の前にいる竜は敵である。そう認識した冬月機は後ろに下がる。それは後退ではない。
神海機によって弾かれたポールウエポン、方天画戟を取り戻すための動きであった。

>>このみっ! タマ姉っ! そのまま伏せていてくれっ!<<

「タカ坊?」
「タカくん?」
 飴色に輝くドラゴンの背中から響くのは、聞き慣れた声。聞きたかった声。幼馴染みの
二人を置いて、どこかに遊びに行ってしまったはずの男の子の声。

>>来るがいい。屠ってやろう<<

>>ぬぁああああああああっ!<<

 裂帛の気合いが金属片と焼け焦げが転がった通路を包む。
「きゃあっ!」
 似合わない悲鳴を上げて、環はあわてて両手で自分の耳を押さえた。
 両手で四刃斧を振り上げて、天鱗は走る。黄竜伍式が持っている武器は長柄の武器。
距離を開けられれば勝負は見えている。

>>せあっ!<<

 上段からの一撃を真横に構えた戟で受け止める冬月。わずか半歩、後ろの足が退く。

>>>>[ウソや。トウゲツが押されとる]<<<<
--Coral

>>>>[そちらの隠し玉か。悪いがデータは取らせてもらっているぞ]<<<<
--Dirksen

>>>>[それはええねんやけど。貴明って、あない強かったかなあ]<<<<
--Coral

>>>>[ほう。パイロットの名前は貴明というのか。面白いな。どこで拾った?]<<<<
--Dirksen

>>>>[拾ったというか、拾われたんやけど。貴明は正規パイロットとちゃうよ?]<<<<
--Coral

>>>>[構わん。そもそも免許など、まだ作られていない乗り物だ。この男、なかなか面白い
動きをする。興味が湧いてきた]<<<<
--Dirksen

>>>>[やらへんよ]<<<<
--Coral

>>>>[貴様が私の手中に収まった時、同じセリフが言えたら誉めてやろう]<<<<
--Dirksen

>>>>[うちにエッチぃことしていいの貴明だけなんやから]<<<<
--Coral

>>>>[案ずるな。私は子供には興味がない]<<<<
--Dirksen

>>>>[うちもハゲには興味あらへん〜]<<<<
--Coral

>>>>[ハゲじゃないっ!]<<<<
--Dirksen

 ディルクセンは敵機同士が争っても自分の腹が痛むことはないので、すぐに要救助者を
助け出せる距離で部隊を待機させてデータ取りに集中している。珊瑚は珊瑚で、初めて
動く天鱗の動きに見惚れていた。
「なんでやろ? トウゲツに素人が勝てるわけあらへんのに。なんでやろ?」
「ええ。ミルファがサポートしているとはいえ、機体の動作はパイロットの操作が
主軸となります。貴明様、どこで、あのような高度な機動を覚えたのでしょうか?」
「そういうの理屈や、あらへんよ」
 モニターに顔を寄せている珊瑚とイルファの後ろで、瑠璃はつぶやく。それは二人には
聞こえないくらいの小さな声。
「たかあき、必死やもん。遊びやないもん。だから」
 だから。
 幾星霜も歴史の中で積み重ね続けられた弱き者、抵抗者の想いは、強者の奢りを
跳ね返す。今という、この時もまた。

 天鱗の足下が滑るように動き、黄竜と体を左右に入れ替える。飛び散る火花。
 右に左に上から下から。縦横無尽に飛び散る方天画戟の衝撃。鳴り響く鉄火。

>>防御せず。死なばもろとも。そうだ。俺相手は、そうでなくては勤まらぬ<<

 冬月は楽しんでいた。粘り強く、自分に食いつくだけの神海機と違い、この竜は
自分を殺そうと刃を振るってくる。それは相手を無力化するという偽善に包まれた
今時の戦いには見られない、純粋な戦いの意志。そんなものをぶつけられれば、
誰しも怯むか、すくむしかないところを、この百戦錬磨の将軍は楽しんでいた。
 貴明は怒っていた。背中にいるのは、生身の少女二人。自分が一歩下がるだけで、
大事なタマ姉や、このみを踏みつぶしてしまいそうな気がする。だから、貴明は
下がらない。シェルのコクピットルームに頭を打ちつけ、振動で吐きそうになり、
回りを覆う計器が赤い文字で危険との警告を出しても、決して退かなかった。その身を
包む怒りが本当のことであるから。

>>提案:下半身コントロールを本機に一任 予想結果:敵機の撃破<<

 突然、マシンから呼びかけられて、貴明はためらう。わけのわからない機械に
飛び乗って、わけのわからない戦いをしている。ゲームセンターで、こんな遊びに
興じたこともあったが、これはリアルのことだ。
「後ろにいる二人は大丈夫なのか?」
 それは絶対条件。

>>マスター。私を信用して下さい<<

 その機械の願いを受け入れるだけの優しさ、決断力が貴明にあったから。
 天鱗は竜の尾を振りかざして、旋風のごとく舞う。

>>ぬおおっ!!<<

 テイルパーツによる足払い。これは避けることができた。
 続く体当たり。これは自らも前に出ることで受け止めた。
 首を狙う四刃斧。これさえも獣の反射神経は戟を前に出させた。
 しかして、続く腕に噛みつく竜の牙は予想することはできなかった。

 ガアアアアアアアっ!!

 金色の竜の腕に噛みついたまま、竜の王が吠える。吠え猛り、通路の壁、天井、床に
向かって、冬月機を滅茶苦茶に打ちつけた。それは獲物を屠る獣の動き。

>>貴明っ!<<

 呼んだのは、誰の声か。

>>貴明っ! もうええっ! 中の人間が死んでまうっ!<<

 気づけば、足下に転がるのは金のウロコの破片。
 怯えたように自分を見上げる、このみと環。

>>シェルを解放します。マスター。目標を確保してください<<

 一気に頭が冷めた貴明は、狭苦しいコクピットルームが解放された時、大きく息をついた。


「貴明……血ぃ出とるやん」
「すぐに止血します。瑠璃様、貴明様を座らせてあげてください」
 このみと環を連れて、ハンガーに戻った貴明は、コクピットの壁に激しく打ちつけた
側頭部から血を流していた。痛みはない。まだ、戦闘の際に放出された大量のアドレナリンが
効いているからだ。
「タカくん。大丈夫?」
 コンクリートの塵芥と火薬の煙で、このみは煤まみれだった。
「タカ坊。動いちゃダメ。今、止血帯を巻いてもらっているから」
 このみを庇っていた環は、もっと煤まみれだった。
 だが、二人とも怪我はない。
「よかった……」
 安心した途端、猛烈な痛みが襲ってきた。
「いだだだだだっ。イルファさん、きつく締め過ぎ…ムグっ!」
「動かないで下さい。止血帯がずれてしまいます」
 膝を着き、パイロットが飛び乗れる姿勢になっている天鱗零式。そのコクピットルームの
中で、貴明はイルファに胸を押しつけられて、窮屈な思いをしている。

 Colal、Lapis-Lazuri、Irfa、Precious-Prince。
 地下世界での限定的戦争実験に参加している当事者は、この四名だけのはずだった。
「あきれたー。勝手に人の街の地下に穴を掘っておいて、こんなことしていたなんて」
「掘ったんとちゃう。最初から空洞やったんや」
 ジオフロント。地下世界での最前線と名付けられた場所の説明を、珊瑚は蕩々と環に
述べている。
 タマ姉、昔からSFとかロボットには興味ないからなあ。
 しきりに首を傾げている彼女を見て、貴明はそんなことを思った。
「タカくん。痛くない? 大丈夫?」
「痛くはないよ……クマ吉?」
 天鱗零式の大きな爪先の前に、一匹のクマのヌイグルミが横向きに転がっている。
「おい、クマ吉?」
 痛くはないというのはウソだった。
「おい? なんで、動かないんだ?」
 それは、自分が守った者を心配させないためのウソ。
「おい、クマ吉ってばっ!」
 青い顔で、貴明はクマ吉を抱え上げる。昨日まで、彼にしつこいほど、しがみついてきた
腕も足も、どこも動く様子はない。
「おいっ! どうしたんだっ! 壊れたのかっ!」
 河野貴明は誠実な人物である。
 それは少年ゆえの愚直さと言い換えてもいい。
「貴明。心配せんでええねん。移っただけやねんから」
 真っ青な顔でクマ吉に顔を寄せている貴明を見かねて、瑠璃は口を開いた。
「移った?」
「そや。イルファもミルファも義体を動かしているだけで、本体は別のところにあるねん」
 貴明には、よくわからない。
「無事、なのか?」
「そやねん。だから、そんな泣きそうな顔せんでええよ」
 ホっと息をついて、貴明は、その場所にへたり込む。今更、恐ろしさが襲ってきた。
「タカくんっ!」
 震える肩に、このみがしがみつく。その手を優しく握り返してやりながら。
「よかった……」
 貴明はただ、その一言だけをつぶやいた。
 瑠璃は複雑な表情で、自分を見下ろしている竜の顔を見上げている。
「なあ、ミルファ。これでよかったんか?」
 竜はうなずかない。そもそもパイロットの承認なしでは、竜はいかなる行動も許されない。
 それは戦う者として生まれた者に課せられた枷。
 ガウと鳴くことも、牙で噛みつくことも、頭にしがみつくこともできない。
 それでよかった。
 床に座り込んでいる貴明が、満足そうな顔でいるのだから。


>>>>[今日のところは、これで止めておくか?]<<<<
--Dirksen

>>>>[そやな。貴明の治療もせなあかんし]<<<<
--Coral

>>>>[データは取らせてもらった]<<<<
--Dirksen

>>>>[そっちもジョーカー持っとるいうことやな]<<<<
--Coral

>>>>[もちろんだ。覚悟しておけ]<<<<
--Dirksen

>>>>[ええよ。うちも一枚だけいうわけやあらへんから]<<<<
--Coral

 ブラフか?
 ディルクセンは手を止めて、しばし熟考した。エース機による力押しはCoralの得意と
するところであるが、それだけで終わらないのが彼女の妙味だ。
「ミュンデ。茶だ」
「はい。かしこまりました」
 ティーポットからコポコポと音を立てて茶がそそがれる様子をながめながら、
ディルクセンは考えていた。
 もしも珊瑚を確保できた暁には、あの貴明というパイロットにも自分の志を
告げてみようと。

 共通の秘密というものは、人間の仲を促進させる。
「誰にも言ったらあかんで」
 Pass-Codeを発行されて、このみは嬉しそうに、環は複雑な顔をしていた。
「えへへ。秘密基地みたいだね」
「みたいじゃなくて、そのものでしょう。完全にまきこまれちゃったみたいね」
「人の家に勝手に入るからや」
「人の家の下に、勝手に住むからじゃない」
 瑠璃と環は波長が合うのか、先ほどから、よくしゃべり合っている。
「タカくん、あのロボットに乗って、ここでゲームしていたの?」
 ゲームというには、あまりにも大げさな騒ぎであったが、このみの発言は的確である。
「いや、二人が危ないって思ったら、あとは無我夢中でさ。自分が、あんなものに
乗る羽目になるとは思わなかったよ」
 珊瑚と瑠璃の居室であり、この地下世界の闘争のゴールの一つでもある建物の部屋に
移ると、貴明は痛む側頭部を手で押さえながら、腰を下ろした。当然のように、その横に、
このみが座る。
「痛い? タカくん?」
「大したことないよ。このみこそ怪我はないか?」
「うん。タマお姉ちゃんとタカくんが守ってくれたから」
 包帯に血がにじんでいる。その赤い跡を、このみは眩しそうに見上げている。
「ねえ。なにか、いい雰囲気じゃない?」
 それを見ているのは、ネコ目のタマ姉。
「知らん。うち、たかあきに興味ないもん」
 なぜか瑠璃は、少し怒っているようだった。
「皆様。遅くなりましたが、夕食ができましたよー」
 イルファの声が響き、全員が安心したように溜め息をつく。
 生身で鋼鉄の嵐を受けるという悲劇は、こうして回避されたのである。


「なにか、上で騒ぎがあったようだな」
 地下世界にいるのは、パイロットと鋼鉄の戦士ばかりではない。
「うん。そうだね。Coralと連絡取れないや」
 青い縞々パンティを被った変態仮面アイアウスは難しい顔で腕を組んでおり、その後ろで
白衣を着た昂河博士が目を丸くしていた。
「今さら新規の参加者を増やすのか。しかし、パイロットではないようだな」
「えっと、どうも事故みたいだけど。監視は何をやってたんだろ」
 ディスプレイ画面に、柚原このみと向坂環の個人情報が並ぶ。
「ただの民間人だな」
「うん。戦局に影響はなさそうだけど……うわ。天鱗を動かしたんだ」
「なんだと? プログラムが入っていないはずだが……Coralの直系か。なるほど」
「アイアウスくん。環の胸のところクリックしても拡大はしないよ」
「いい。気分を楽しんでいるだけだ」
「阿呆だね」
 なにかの足下で、むくつけき蛮人と天才技術者がくだらないことを会話している。
 巨大な瞳が、それを見下ろしていた。  


 自宅に帰り、ベッドに座る。まだ、頭は痛みの悲鳴を上げていた。
「いででで……結構ひどく打ったな」
 画面を眺めていただけではわからない、現実の感覚。痛み。
「あんなものが闊歩する未来が来るんだな」
 胃がムカつく。振動はすさまじく、今でも世界が揺れているようだ。貴明はベッドに
寝そべると、静かに目を閉じた。いつもしがみついてくるはずのクマ吉の感触はない。
寂しいとは思わないが、どこか物足りなかった。
「もう充分だよ」
 また乗ることが来ることをどこかで予想しながら、貴明は眠りの中に落ちた。  
 
 
 朝。
「よっ、貴明……おい、どうしたんだよ、その頭の包帯」
「えっ? あっ、いや、階段で転んだだけだよ。大したことじゃない」
 雄二に心配されて、貴明は照れくさそうに笑う。
「そやそや。大したことあらへんて」
「……原因?」
 隣りを歩く瑠璃に聞こえないように口を手で覆いながら、雄二は小声でつぶやく。
「違う、違う。瑠璃ちゃん、そこまで乱暴じゃないよ」
 まさか巨大ロボットに乗って戦っていましたとは言えない。それは雄二の信頼とか、
そういう問題ではなく、単純に荒唐無稽過ぎたからだ。
「たかあき、ちゃんと包帯変えたんか? ほら、ズレとるやん」
 瑠璃に手招きされて貴明が頭を下げると、手早い様子で瑠璃は貴明の頭の包帯を直した。
「あ〜。さんちゃん、朝から、らぶらぶや〜☆」
 世界が溶ろけそうな甘い声。
「らぶらぶやあらへんてっ!」
 ガリっ!
「ぐ、ぎぃ!」
「おっ、おい、貴明。大丈夫か?」
 疵痕を思いっきり引っ掻かれて、貴明は悶絶している。
「いいなあ。タカくん、独り占めしちゃダメだよ」
「独り占めしとらんし、こんなんいらへんもんっ!」
「してたよね〜」
「しとったよな〜」
 妙な連帯感があるのか、このみと珊瑚は二人でエヘヘと笑っている。
「また……」
 なぜか親指の爪を囓りながら、環は口惜しそうに珊瑚を見ている。
「心配しているのが俺一人か……貴明、オマエって、もしかして苦労してる?」
「……今ごろ気づくな」
 クリアブルーな空の上で烏が一羽舞っていた。


 ぽてぽてという足音。
「たかあき。なにしとるん?」
「なにしとるんって、ただボーっとしていただけなんだけど」
 学校の廊下の窓際。疲れた顔で外を眺めていた貴明に話しかけたのは瑠璃。
「珊瑚ちゃんはいいの?」
「今、昨日の騒ぎの後始末とかしとるんやって。怖いから逃げてきた」
「はは。そりゃわかるよ」
 昨日、危うく世界が消滅するところだった。核ミサイルが空を舞っていたら、
こうして校庭を眺めることもできなかっただろう。
 平和って、大事なんだよな。
 死ぬ目にあって、しみじみ、そんな当たり前のことがわかる。
「さんちゃん、たまに怖いねん。人を数だけみたいに言うことがあるし」
「頭がいいっていうのは、ある意味、不幸なのかもね」
「でもな、でもな。さんちゃん、優しいやろ?」
「それはもちろん」
 疑うはずもない。なにしろ、瑠璃のお姉ちゃんなのだから。
「……」
 瑠璃は不思議そうに、校庭を見つめる貴明の横顔を見上げている。胸に押し当てられた
手が、ぎゅっと握りしめられていた。

「さんちゃん、まだ時間かかるんやって」
 つまらなそうに珊瑚はつぶやく。
「それじゃ先に帰る?」
「さんちゃん置いて帰れへんもん」
 コンピュータ室に引きこもっている珊瑚。瑠璃は、その扉の前で貴明と話している。
「う〜ん。でも、他に用事とかないの?」
「夕飯の買い物がまだだけど」
「それだ」
 待ちぼうけを食らわされている瑠璃の顔を貴明は指差した。
「ほら。扉のところに『買い物に行っています』ってメモを挟んでさ。それで買い物に
行けば、珊瑚ちゃんも大丈夫だよ」
「そやな」
 ようやく瑠璃は笑顔を見せた。
「それじゃ行こうか」
 そう言って先に進む貴明の顔も、確かに笑っていた。

「さんちゃん、好き嫌い多いねん」
「なんかわかるね」
「それに一回好きになったら同じものばかり食べるし」
「栄養とか、あまり考えないんだろうな」
「そやから、うちがついてないとあかんねん」
 瑠璃は真剣な顔でスーパーの野菜売り場を眺めている。
「それで今夜はどうするの?」 
「カレーやな。さんちゃん好きやし」
 ああ。やっぱり珊瑚ちゃんの好みには合わせるんだなあと思いながら、買い物カゴを
持った貴明は、その後ろをついていく。
「なあ、貴明」
「なに、瑠璃ちゃん?」
「頭、痛うないの?」
「もう大丈夫だってば」
 正直に言うと、まだ痛い。
「そんなら甘口にしといた方がええなあ」
「……え?」
 貴明が瑠璃の顔を覗き込んだので、瑠璃の頬が赤く染まる。
「べっ、べつに、あんたのこと心配したんやないもんっ!」
 スーパーの中での絶叫。
「あのさ、瑠璃ちゃん」
「勘違いすんなっ! うち、あんたのこと嫌いやねんからっ!」
 回りを見回して、貴明はつぶやく。
「ここって、スーパーの中だよ」
「へ?」
 目を丸くしてキョトンとしている瑠璃。スーパーの店員や客がニヤニヤ笑いながら、
貴明と瑠璃を優しく見つめている。
「いいわねえ、若いって」
「ええ。あのニラの束。あれが二人の愛をつなぐのね」
 豊満な姿の若奥様二人が大人なことをつぶやいている。
「貴明のアホーっ!」
「な、なんで俺っ!?」
 今日もまた、瑠璃の爪先が貴明のオシリに刺さる。

「たかあきがエロやから、こういうことになるんや」
「瑠璃ちゃんが叫ぶせいからじゃないかなあ」
 ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、牛肉、甘口カレールー。必要な材料はそろった。
「貴明、さんちゃんにエッチなことしたらあかん。もちろん、うちにもや」
「そりゃまあ、わかってますが」
「もちろん、このみや乳のデカい姉ちゃんにも禁止や。女の子にエチいことしたらあかん」
「それは俺に一生独身でいろと?」
「孤独死すりゃええやん。あんたには似合いや」
 二人並んで歩く姿はまるで、そんな風には見えない。
 校門まで歩くと、カバンを持った珊瑚が二人を待っていた。
「あ〜、瑠璃ちゃん〜。貴明〜」
「さんちゃん、もう終わったん?」
「うん。大統領がうるさかったんで、黙らせとった〜」
 どこの大統領か聞かなかったことにしよう。貴明と瑠璃は顔を見合わせて、お互いに
承諾し合っていた。


 地下世界、最深部へと続くエレベーター。
「珊瑚ちゃん。こんな暗いところに住んでいて怖くない?」
「怖くあらへんよ。電気ついとるし」
 今夜、瑠璃がカレーにしたのは、大所帯になることを見越してのことだろうか。
「いくら、最初から在った場所に通路を取り付けただけだといっても。どれくらいの、
お金が動いたのかしらね」
「さあ? さんちゃんが出したわけやあらへんから、わからへん」
「あら? 財務管理までやっているの?」
「だって、さんちゃんに金渡したらエラいことになるやん」
 どうも、このみは珊瑚と、環は瑠璃と話すようにポジションが決まってしまった
らしい。
「着いた〜」
 なぜ地下空間に陽の光が差すのか、緑の木々が生えているのか、理屈はよくわからない。
それはまだ人類が開発していない技術によって作られたものだから。そして、その技術を
もたらすであろうと目されている天才児たちの遊び場として、この地下世界は提供されている。
「それで今夜はカレーだっけ?」
 環は瑠璃と貴明が抱えていた食材を持って、早足で白百合姉妹の居住地へと向かう。
「そや。アンタ料理できるん?」
「誰に言っているつもり?」
 カレーを食べに行くのか、それともまた珊瑚が起こすであろう物騒な振る舞いを止めに
行くのか、貴明にはよくわからなくなってしまった。


「ディルクセン様。お夕食ですよ」
 エプロンをつけたミュンデが、ビーフシチューの入った鍋を持って立っている。
「ああ。そこに置いておけ」
 ディルクセンは難しい顔をして、キーボードを叩いている。
「Coralの不手際、まだ修正が終わらないのですか?」
「いや。それは終わった。今は兵力の増強に忙しい」
「本気を出されるのですね」
 ビーフシチューの鍋をキーボードの片隅に置き、ディルクセンにエプロンをかけると、
ミュンデはスプーンにすくったシチューにフーフーと息を吹きかけていた。
「……何の真似だ?」
「こうやったら、食べながら仕事ができるのではないかと思いまして」
 名案だと思い、ディルクセンは口を開けた。
「はい、ディルクセン様。ア〜ン」
 二秒後、アツアツのビーフシチューを口に突っ込まれたディルクセンが、
「熱っ!!」
ディスプレイに向かって、赤いシチューの斑点を描くことになった。


>>>>[昨日の続きからやけど。どっちもエース切ってしもうたな]<<<<
--Coral

>>>>[貴明とやらは出さないつもりか?]<<<<
--Dirksen

>>>>[本人が嫌言うねん]<<<<
--Coral

>>>>[ふん。では行くぞ]<<<<
--Dirksen

>>>>[あい]<<<<
--Coral

 珊瑚が布陣を整えるのに合わせて、ディルクセンも進軍を開始する。昨日と違うのは、
後方から新規パイロットが何名か参戦しているということ。

 T-star-reverse。
 Yossyflame。
 JJ。
 makkei。

 見慣れないパーソナル名を見て、珊瑚はデータ検索を行い、眉を曇らせた。
「なんやの、これ。兵力温存しとったんや」
「まずいの、珊瑚ちゃん?」
「う〜ん……なあ、なあ。貴明。ほんまに出られへんの?」
 キーボードを叩きながら瑠璃が自分の方を見たので、貴明はカレーを食べながら、
口ごもってしまう。
「よしなさい。また怪我するわよ」
「ヘルメットとパイロットスーツ着たら、怪我なんかせえへん。シェルは破られへん
構造になっとるんやから」
「うちも止めといた方がええ思う。貴明、巻き込み過ぎやもん」
 神妙なことを瑠璃が言ったが、貴明は考え込んでいるだけだった。
「タカくん。どうするの?」
「もうちょっと考えさせて。とりあえずカレー食べ終わるまで」
 このみはパクパクとカレーを食べている。あまり心配はしてくれていないようだ。
「ねえ、瑠璃ちゃん。お代わり」
「その体のどこに入るんやろなあ」
 不思議そうに瑠璃は目を丸くしている。珊瑚は窮地に立たされていたが、だれも、
そのことには気づいていない。

>>ジン先輩の露払いができるなんて光栄の至りですよ<<

>>そうですね、makkei。すべて世は事も無し。ディルクセンが勝って、この戦いは
終わります<<

>>くふふふふ♪ 戦利品のお持ち帰りはありだよね?<<

>>阿呆ですか。Yossyflame。ここは砂漠じゃないんですよ<<

>>テ、テンションが下がる……<<

>>本気で機体のコンディションが下がってる。リアル馬鹿野郎ですね、コイツ<<

>>makkei。Yossyflameで遊ぶのは、そこまでにしておきなさい。今夜中に片づけますよ<<

>>あの二人が出るなら、俺たちなんて前座だよ。適当にやろうよ<<

>>代金をいただいたら、全力を尽くす。それが私たちの誇りのはずです<<

>>ブヒヒヒヒヒっ!<<

>>JJ。なにか見つけたのですか?<<

 馬の鳴き声のような部下の警告の声に、T-star-reverseはコンソールへ目を落とした。

>>伏兵。なるほど。こんな場所にまで浸透して潜ませているとは。我々も評価されたもの
ですね<<

 先んじて、Yossyflameの駆るASRー01が飛び出す。

>>そんじゃ、闘りましょうかぁ!<<

 声が響くよりも早く、敵機が煙を吹いて倒れた。超機動と謳われた戦車乗り、
Yossyflameだからこそ出来る動きだ。

>>続きますか<<

 T-star-reverseの駆る角海老が歩き始めると、他の二機のASRー01も追随を始める。
 一方的な侵攻劇が始まってしまった。

「あかん。陰の部隊が持たせとるけど、あの位置やったらゲートを突かれてまう」
 他の部隊を動かしたいところだが、ディルクセンの動きは巧妙だった。まるで蜘蛛の巣に
絡め取られるように、珊瑚は自分のしたい動きを封じられて、顔をしかめている。
「やばいの、さんちゃん?」
 心配そうに妹に尋ねられて、珊瑚は笑顔を向けた。
「なんてことあらへんて」
 幻八は強いが、ディルクセンは計算しているだろう。困ってしまった珊瑚は、
自分たちのいる施設の地下に連絡を入れた。

「アイアウスくん。電話鳴ってるよ」
「いや、隣りのだろう」
 昂河博士は図面と向き合い、アイアウスは盗んできた下着の山と向き合っている。
「……それ臭いってば」
 真剣な顔をしていた昂河は、隣りから漂ってきた女臭(めしゅう)に顔をしかめた。
「臭くない。アロマとかフェロモンとか言いなさい」
「言い方を変えても汚いのには変わりないってば」
 まだ隣りで電話が鳴っているが、二人は言い争うのに忙しそうだった。