『Lメモ稗史 「裏切りの報酬」』 投稿者:秋山登

 ジン・ジャザムは、追いつめられていた。

 彼は強い男だった。
 常に強くありたいと望み、また強くあるために努力してきた。
 彼の人生は、強さを追い求めることと同義であった。
 ……だがそれも、今日で終わる。
 三人の男たちに囲まれて、ジン・ジャザムの伝説は終焉を迎えようとしていた。

 右手の男を見る。
 YOSSYFLAME。学園有数の軟派師。
 そしてこちらが裏の顔、というわけか。
「……ジンさん。はっきり言って、失望ですよ。
 あなたなら、もう少し楽しませてくれると思っていたのですけど……ね」
 くふふふふ、と、こもったような笑い声をあげるYOSSYFLAME。
 何がおかしい?
「ふん。この程度でもう勝った気でいるとは、おめでたい奴だよ、お前は。
 ……それとも、酔っ払ってでもいるのか?」
 喋る気力も尽きかけているのか、言葉と裏腹に、ジンの口調は弱かった。
「くくく……。そうですね。勝利の美酒、というやつに酔っているのかもしれません」
 ギリッ。
 焦るな、敵はこいつだけではない……。
 YOSSYFLAMEに注意を払いつつ、すっと視線を走らせる。
「……まさか、お前らが敵に回るとはな……」
 左手には……「リネット・エース」ゆき。
 そして正面に「ジャック・イン・アズエル」秋山登。
 ジン・ジャザムとともに、柏木四姉妹を護るべきエルクゥ同盟の仲間たち。
 だが彼らは今、恐るべき敵として、ジンを打ち倒そうとしている。
「ジン先輩……。僕は、あなたが好きでしたよ……。誰よりも強く、高潔なあなたは、
 僕の一番の憧れだった。いえ、今だってそうです。ですから……」
 寂しげにつぶやく、ゆき。
「……苦しまないように、一撃で終わらせてあげます」
 にっこりと笑う。
 どこまでも無垢に。そして、残酷に。
「……人を舐めるのも大概にしろよ、一年坊主。
 お前が俺を倒すだと? けっ、百年かけたって無理だね」
 だが、そんな言葉も、強がりにしか聞こえないだろう。
 それは、満身創痍のジン自身が一番よく分かっていた。
「……俺の膝は、地面につくためにあるんじゃない」
 自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「ふふふ……そうだ、その通りだ、ジン。お前はまだ闘える。
 見せてくれ、お前の魂の一撃を! お前の命が燃えるさまを!
 この俺に、秋山登に見せてくれ!」
 相手の都合など全くお構いなしで、常に全力の攻撃を要求する。
 まったく、この男ときたら。
 ジンは苦笑した。
 そして、そんな自分の余裕に少し驚く。
 ……なんだ、奴の言うとおりじゃないか。
 大丈夫、俺はまだ闘える。

 静寂が場をつつみ、六つの瞳がジンを凝視する。
 彼が繰り出す次の一手に全てがかかっている。
 失敗すれば、彼らは、たちまちのうちにジンを引き裂くだろう。
 しかし、成功したとしても、それが彼らを確実に粉砕できるという保証は無い。
 だが、ジンは諦めない。
 視線の高さに右腕を突き出し、指先に力を込める。
 鼓動が早くなる。
 そう、彼の鋼の身体には、熱い血潮が流れているのだ。
 決して敵に膝を屈せぬ、誇り高きエルクゥの血が。
「いくぞ。これで……」
 右腕をずいっと頭上に構え……
「これで終わりだっっ!!」 
 叩きつけるように振りおろす。
 生と死の交錯する接点へ向けて。
 希望を。
 未来を。

 一個の、雀牌にのせて。



「ロン! リーチ一発タンピン三色!」
「ロン! トイトイ小三元ドラ3!」

「つがーん!!」

 ジン・ジャザムは死んだ。



 マージャン牌を撒き散らして、しばらくコタツに突っ伏していたジンが顔をあげると、
 己の三方を囲む勝利者たちと目が合った。
 が、それには構わず、寿命の近い蛍光燈に照らしだされた八畳あまりの室内を見回す。
 古い週刊誌、脱ぎっ放しの靴下、カップメンの空容器、転がる酒瓶、潰れた紙コップ、
 丸まったちり紙、コンビニの袋、ときおり隅を走り抜けるゴキブリ、etc、etc。

「えへへ……。ごめんなさい、ジン先輩」
 リーチ一発で跳満をあがったゆきが、上目遣いで言う。
 紙コップで甘酒をちびちびやっていたせいか、ちょっと頬が赤い。
 小柄な身体に大きめのはんてんを羽織る姿が、そこはかとなく東北な感じであった。
「はっはっは、まだまだ青いな、ジンちゃんよ。あん?」
 今の倍満でトップに立った秋山も御満悦だ。
 でかい図体浴衣に包み、一升瓶片手に片膝立ちのその姿、ヤクザ以外の何者でもない。
 白地に「忍」の文字を散らした浴衣は「忍者たるもの常に自己主張を忘れてはいかん」
 という彼の口癖を実践している。もちろん手縫いの自作だ。
「ジンさ〜ん。あの状況であれは無いでしょう。あそこはやっぱあれですよ〜。
 大体ですね、あのときあれをああしていたらもう少しマシな……」
 二人に抜かれて三位になったYOSSYFLAMEは、口の端でサキイカを噛みつつ、
 ジンの打ち筋をこき下ろしはじめた。吐く息が酒臭い。
 ちなみに、昼間は絶対に着ないような紺のジャージ姿である。



 ここは……学園寮の……そうだ、秋山の部屋だ……。
 あいかわらず……目茶苦茶だな……。
 このぶんじゃ、前に俺がこの部屋を掃除した後、一度もしてないな……。
 あれは……いつのことだったか……。
 そうだ……beakerの奴が、俺をメイドロボに仕立てて……この部屋に……。
 ああ……全ては懐かしい……。



「さてと、そろそろ払うもの払ってもらいましょうか」
 YOSSYFLAMEの一言で、逃避を決め込んでいたジンの意識は一気に現実に引き戻された。
「ええと、今日のジン先輩の負け分は……」
 ゆきが、妙に手早く電卓をたたく。
「ぴったり、3万円ですね(にこっ)」
「ぐぁ……」
 うめき声をあげるジン。
 一瞬、頭から井戸に突き落とされたような錯覚にとらわれ、目の前が真っ暗になる。
 一介の高校生ジン・ジャザムにとって、3万円という金額は、
 まさしく田園調布に家が建つほどの大金であった。
「……どうしました? ジンさん。 ……まさか、払えないとか?」
 YOSSYFLAMEが、口元だけでにやりと笑う。
 こういう表情が似合う人種を、時代劇では悪代官とか悪徳商人とかいう。
「ぐっ……」
「はっはっは、そんなわけないだろう、よっしー。こいつは、端金が惜しくて
 信義に背くような、そんなちっぽけな男じゃない。だろ? ジン」
 和やかに笑いつつ、ジンの精神的抜け道を埋めていく秋山。
「ぐぐぐぐぐっっっ……」
「ジン先輩……」
 ゆきが、諦めたような、憐れむような目でジンを見やる。
「…………だあああああああああ!!」
 琥珀色の液体が半分ほど入ったグラスを一気に煽り、熱い息を吐きつつ一声叫ぶと、
「ええいっ! 持ってけ泥棒っ!」
 と、鋼鉄製の財布を、正面に坐る秋山の眉間にガツンと叩き付けた。
「くがっ!」
「帰るっ!」
 足音も高く部屋を出て行く。
「まてっ! ジン!」
「なんだっ!?」
「…………なんなら、身体で払っても」
「死ねボケェェェ!!!」
「おぶぎゅっ!!」
 魂のロケットパンチが唸りをあげて秋山の顔面に突き刺さる。
「覚えてろよ、次は絶対に俺が勝つっ! ……くそう、悔しくなんかないさあっっ!」
 半泣きで駆けていくジン・ジャザム。
 大丈夫、男は涙の数だけ強くなれる、とかいう噂も無いではない。
「ふっふっふ……照れ屋さんめ」
 顔の中央からパンチをにょっきり生やしたままつぶやく秋山。
「秋山さ〜ん。まったく、見境ないんだから……」
 YOSSYFLAMEが、ビール瓶をくわえつつ呆れたように言う。
「奴は近頃なかなか女にならんのでな。暫定処置ということで、ガッと行っとこうかと」
「ガッて……。やれやれ、そんなだからアニキとか薔薇っぽいとか言われるんですよ」
「ほっとけ。百合よりゃナンボかマシだ。百合は梓を困らせる。……よっと」
 きゅぽん、と顔からパンチを引き抜く。
「俺は百合のほうがいいけどなあ……」
「ふうむ……。見ろ、よっしー。このロケットパンチの奥深い色、艶めかしいツヤ。
 ジンの心の叫び、魂の憤りが伝わって来るようだ……。そうは思わんか?」
「いや、思わんかって言われても」

(薔薇……)

 ふと、友人の宇治くんの笑顔を思い浮かべ、ちょっと「いいかも」とか思ってしまい、
 ぷるぷると頭を振るゆきちゃん15の春であった。

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