テーブルテニスLメモ「静止した時間の中の僕ら」 投稿者:beaker



Leaf学園で静かな場所を探すのはハッキリ言って困難な作業に違いない。
だが、それでも探そうと思えば結構見つかるものだ。


時に忘れ去られた場所……


時に埋もれた場所……


そんな場所はどこにだってある。


beakerは錆び付いたドアを力を込めて開いた。
蝶番がやたらと軋む音がする。
陽光に照らされ、埃が舞っているのが良く見える部屋。
扉の外には半ば外れかかったプレートが懸命にその部屋の意味を伝えようとしていた。
そこには薄汚れた文字でこう書かれていた。


「卓球部」


beakerは壁にもたれかかった。
ズルズルと腰を下ろす。
静かだった……とは言え完全な静けさという訳ではない。
遠くから生徒の歓声が聞こえる。
しばらく眼を瞑って、浸る。


騒がしい事が嫌いな訳じゃない。


静けさが好きな訳じゃない。


ただ、穏やかな沈黙が欲しいという我侭な要求だった。


ステーキを食い飽きたらお茶漬けが欲しくなるものだ。


ポケットに手を突っ込んで、がさごそと探る。
ライターと煙草を取り出した。
以前好恵さんの前で何気なく取り出したら……殴られた。
本気で怒られた。
おまけに二度と吸わないという誓約書まで書かされたものだ。
今吸ったら誓約を破る事になるが……


「ゴメン」


とりあえず、天井に謝っておいた。
カチリ。
炎が勢い良く噴き上がった。
以前見た映画にこんなライターがあったはずなんだ。
それにちょっと憧れて改良してみた。
ただ……ちょっと……いや……スゴく熱い。
気を抜くと火傷してしまいそうだ。
そろそろと慎重に、顔を遠ざけながら煙草に火を点す。


煙を吸い込んで気持ち良く吐き出す。
と、突然くすくすくす、と笑い声が聞こえた。
思わず咳き込む。
「げほげほげほ!」
反射的に涙腺が緩み、涙が出てくる。
「大丈夫?」
笑いながら聞いてきた。
「だ……だれ……?」
喉を押さえながら開かれた扉を見る。
「あ……えーっと……確か月島……」
「瑠璃子、月島瑠璃子だよ」
初夏の陽光に照らし出された彼女はまるで……


天使のように思えた。


「高校生が煙草吸っちゃいけないと思うよ」
至極当然のことを言われても困る。
「はぁ、まぁ、そうですねぇ」
……とここで気付いた。
灰皿がない。
辺りを見回しても代わりになりそうなものはなかった。
まさか彼女の目の前で煙草を投げ捨てる訳にもいくまい。
どうしたものか……
月島瑠璃子は何をするでもなく、こちらをじっと見つめている。
仕方有るまい、背中を向けて煙草を隠し、手に押し当てる。
「熱っ……」
顔を顰める。
「?」
不思議そうな顔をする瑠璃子。
強引に手の中で揉み消した煙草をポケットに入れた。
パンパンとズボンについた埃を払う。
「……あれ? 煙草は?」
手に持っていた煙草が見当たらないのを見て瑠璃子が言った。
「消しました」
「どこに?」
くるりと振り返る。
「手品です」
ぱちぱちぱちと手を叩かれた。
「すごいね」
「……どーも」
ちょっと罪悪感が心に沸いた。
一瞬、沈黙が辺りを支配する。
何か言おうと口を開いたその時、


「…………〜〜ッッ!!!」
何か叫ぶ声と、
チュドーーーーーーーーーーーン!!!
という爆破音が聞こえた。


窓に近寄ってみる。
眼下にテニスコートが広がっていた。
そこであちこちから散発的な爆破が起きている。
中央では風見ひなたと赤十字美加香がテニス……あれをテニスと言うかは疑問だが……の特訓をしていた。
ああ、そう言えばもうすぐテニス大会だったな。
頭の中でカレンダーに大きく赤いマルが書いてあったのを思い出した。
弁当とジュースが売れるだろう。
後はやはりギャンブルか……
そんな事を素早く考えている自分に気付いて苦笑する。
あ、と思い出した。
確か瑠璃子さんもエントリーされていたはずだ、と。
「テニス大会……出るんですか?」
何気なく聞いてみた。
「うん」
瑠璃子は続けて、
「響ちゃんと出るつもり」
と言った。
「響ちゃん? ああ、あのクソガ……もとい一年生の」
脳裏に幼稚園児のような格好をした水野響が浮かび上がった。
どれだけ女の子みたいだろうが、beakerにとっては男とゆーだけでじゅーぶん。
今度見掛けたらチャランボだな、と物騒な事を考えていた。
「beakerちゃんは?」
今度は瑠璃子が聞いてきた。
「テニスですか? どうもテニスは苦手……とゆーか一度もやったことがありませんで」
ぽりぽりと頭を掻いて答える。
それから、
「卓球ならやれるんですけどね」
と卓球のテーブルを見ながら言った。
「やろっか?」
瑠璃子が突然思い付いたように言った。
「やろっかって……何をです?」
一瞬何を言われたか分からず、困惑する。
「卓球」
「はぁ……」
辺りを見回す、幸い卓球のテーブルはセットされてある。
ネットもロッカーを探せば多分あるだろう。
だが、一番必要なものがない。
「ラケットはどうするんです?」
「はい」
瑠璃子は後ろ手に隠していた両手を目の前に差し出した。
ラケットが二つ、ボールが一つ。
「……どこから持ってきたんですか?」
「手品」
瑠璃子はニッコリと笑った。



「ルールは……まあ通常通りでいいですよね? 二十一点で勝ちの三本セット」
「うん」
瑠璃子はぽんぽんとボールをラケットで打ち上げながら頷いた。
「それでは」
構えた。
「本気でいきますよ……よっと!」
カコン!
beakerがまずサーブを放った。
「えい」
カコン。
落ち着いてそれを返す瑠璃子。
「それっ!」
ちょっと力を強くして返してみた。
「えい」
……あっさりと返された。
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18−16、猛然と攻めるのはbeakerなのだが、何故か勝っているのは瑠璃子だったりした。
おかしいと首を傾げるbeaker。
何故かふらふらと負けてしまっている。
段々熱くなってきた。
「えいっ」
「うっらあっ!!」
バチコン! という音が響いた。
サーブをいきなりスマッシュで返すという荒技だ。
コン! と勢い良くテーブルを跳ねたボールは妙な角度をつけて飛び……
「あいてっ!」
扉を開けた人間の顔面にブチ当たった。
「あ」
「ありゃ」
同時に声を漏らす。
ボールが顔面にブチ当たったその人間は、床に転がったボールを拾いながら、
「何してるんだい?」
と聞いた。
苦笑しながらボールを拾い上げたその人物は……
「藤井……先生」
藤井冬弥であった。
「冬弥くん、どうしたの?」
そして扉からひょっこりと顔を出したのは、森川由綺である。
・
・
・
「卓球ねぇ。皆はテニスやってるみたいだけど?」
「テニスはやったことないものでして」
「卓球もおもしろいよ」
「あはは、ねえねえ。わたしにもやらせてやらせて♪」
由綺が興味津々といった表情で瑠璃子のラケットを覗き込んだ。
瑠璃子はニッコリと笑って、
「はい」
と手渡した。
「じゃあbeakerくん、相手してみて」
「はいはい」
「悪いね、月島くん」
冬弥が苦笑して言った。
瑠璃子はちょこんと体育座りで冬弥の隣に座る。
「よーし、えいっ」
気の抜けた掛け声で由綺がサーブを打った。
どう見ても素人だ。
beakerは彼女の反対方向へなるべく柔らかくボールを返す。
「わっ、わっ、わっ……えいっ」
何とか返す。
だが無情にもbeakerはまたもや逆の方向へボールを返した。
「あうっ」
由綺は駆け寄ってボールを返したものの無理な体勢からボールを返したために、
あらぬ方向へ飛んでいく。
「よっと」
冬弥がそのボールをキャッチした。
「うう、beakerくんって意地悪だよね……」
「勝負の世界に情けは無用ですから」
しゃあしゃあとそんな事を呟く。
「そうだぞ、由綺……じゃない森川先生。運動神経が鈍いからテニスにも参加できなかったんだし」
「あう、酷い〜〜」
「ああ、藤井先生たちもテニスに出るつもりだったんですか?」
「うーん、いや、ちょっと心が動いたんだけど……パートナーがパートナーだし、即却下」
両肩を竦める。
「うーむ、確かに」
納得した様子でうんうんと頷くbeaker。
「二人とも酷い〜〜」
手をばたつかせて抗議する由綺。
「そだ」
beakerは何かを思い付いた様子でぽんと手を叩いた。
「せっかくだから四人で試合でもやりません? 今から」
「おう、いいねぇ」
「で、負けた人には罰ゲームか何かを……」
「何の罰ゲームするの?」
心配そうな様子で由綺が聞いた。
試合をするというならまず真っ先に負けるのはおそらく自分であろうからだ。
「例えば、服を脱ぐとか……」
ちょっと好色そうにニヤケてbeakerが言った。
「おいおい」
笑って冬弥がたしなめようとしたその時だった。
ドタドタドタドタドタドタドタドタ!!!!!!!!
凄まじい足音がして、突然扉が開いた。
「あ、お兄ちゃん」
「おや、君は月島くんの……」
「瑠璃子瑠璃子瑠璃子瑠璃子瑠璃子瑠璃子おおおおお!!!!!!!!!!!!
キサマ瑠璃子の服を脱がせるなどと何てハレンチな真似をおおおおおおお!!!!」
beakerに詰め寄って服を掴み掛かる。
「い、いや今のはただの冗談ってやつでして……」
beakerは慌てて両手をぱたぱたと動かして言い訳を始める。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れキサマの事だ、きっと瑠璃子を脅してなだめすかして、ヌードを
写真に収めて挙句に購買部で一枚五万円で販売するつもりだっただろう!?
ええ、そうですよそうに決まってます! おのれ金の亡者め!」
何で五万円もの高値がつくんじゃい、とbeakerは思ったが口には出さなかった。
「とりあえず落ち着いて下さい、てい」
「ぎゃああああああああああああああああ!!!!!!!!!?」
beakerは月島拓也の髪の毛を持っていたラケットで擦り付けた。
経験者以外には分からないだろうが、ハッキリ言って痛いです、コレ。
というのも卓球のラケットはその性質上、非常に粘着質のあるラバーを使用されているものが
大変多く、したがってそれで髪の毛を擦ろうものなら、千切れかねないほどの痛さである。
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「落ち着きました?」
「ああ、何か物凄い髪の毛が痛くて今すぐキミを毒電波で完全破壊したいくらいだが
気分だけは落ち着いたぞ、はっはっは」
「あ、ねえねえ月島くん?」
由綺が声をかけた。
「はい?」
「はい?」
月島瑠璃子と拓也が同時に振り向いた。
「あ、ゴメンゴメン。えーっと、お兄さんの方なんだけど」
「何でしょうか?」
「今から卓球の試合をやるんだけど……私の代わりに出てくれない?」
「卓球ですか?」
「うん、ダメ?」
ふむ、と月島拓也は考える仕草をした。
「せっかくですが、これからまだ仕事が……」
「卓球できないんですか?」
beakerが嘲るように言った。
ピクリと、反応する。
「ふっ、卓球ができない訳はないだろう?」
「ああ、じゃあ下手なんだ……ゴメンね、拓也くん」
由綺が無意識に追い打ちをかける。

「ふ、ふふふふふ。ラケット貸してもらいます!」
由綺の手から強引にラケットとボールを奪い、卓球のテーブルの前に立つ。
「見ていたまえ、行くぞっ!」


神技……一人卓球!!!!


ちなみに解説を加えると、一人卓球とは打つ際に猛烈な回転をかけ、ボールを自分のところまで
バックさせるという恐ろしい(アホな)技の事である。
極めるとテーブルがなくとも空中で打ちつづけることができるらしい。
何の役にもたたないのが欠点。
作者はこれを「コミックVOW」に載ってた島本和彦の漫画で知りました。


「ふ、どうだっ!」
「おおー」
「すごいすごい」
「お兄ちゃんすごいね」
「……(誰かツッコミいれんのか)」
由綺と瑠璃子、beakerがぱちぱちぱちと拍手する中、冬弥が一人心の中で呟いた。
「さあ! キミたちかかってくるがいい!」
「それじゃあ、よいしょ、と……」
由綺が黒板に名前を書き始めた。


月島拓也
vs
月島瑠璃子


beaker
vs
藤井冬弥


「……って瑠璃子とおおおおおおお!?」
「よろしくね、お兄ちゃん」
既に用意万端な瑠璃子。
「う、ううう。じゃ、じゃあいくぞ……」
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月島拓也の負け。
「はっはっは、瑠璃子は強いなぁ」
「全然本気出してなかったでしょーが」
「黙れ」
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「くっ、これでどうだっ!」
「まだまだっ、本場中国で鍛えたこの技を見よ!」
「ぐあっ、負けた〜〜〜」
「あはははは、冬弥君惜しかったね」
「はるか以外には負けた事なかったのになぁ……」
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・
「じゃあ、今度こそ決着をつけますよ」
beakerが指を鳴らしながら瑠璃子に言った。
「うん、頑張ってね」
まるで他人事のように言う瑠璃子。
審判は藤井冬弥。
「それじゃあ、お願いしまーす」
そして、決勝が始まった。
「うらっ!」
「えい」
「ていっ!」
「やあ」
「それっ!」
「よいしょ」
・
・
・
「ま、負けた〜〜〜」
ばったりと仰向けに転がったのは、
「ごめんね、beakerちゃん」
beakerだった。


「はっはっは、やはり瑠璃子は強いなぁ」
「beakerちゃんも強かったよ」
「はっはっは、負け犬に同情をかけるのは止めような瑠璃子」
「……おのれ」
「まあまあ、ともかく優勝は月島くんの妹さんな訳だし。
……あれ?」
「どうしたの?」
「いや、優勝すると何かあるんじゃなかったか?」
「あ、そう言えば忘れてた」
「瑠璃子さん……何か望みはあります?」
仰向けに転がりながらbeakerが言った。
瑠璃子は指を顎にやって考える仕草をした。
やがて何か思い付いたようにポケットを探る。
中から出てきたのはいわゆる使い捨てカメラだった。
「一緒に、写真撮ろう?」
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「あ、もっと寄って寄って」
「コラ、瑠璃子に寄るんじゃない」
「無茶言わないでください、無茶」
「ほら、全員カメラを見ろ」
「……」
いくよー、と由綺が四人に声を掛けた。
黒板のトーナメント表が見えるようにしながら四人がカメラに収まるように調整する。
「はい、チーズ」
パシャリ、とフラッシュが光った。
「ええい、撮り終わったならさっさと瑠璃子から離れろこの守銭奴」
「子離れしない父親かアンタは」
と、beakerはここで思い付いた。
「じゃあ、今からもう一枚撮ってあげましょうか? 瑠璃子さんと二人で」
そう、月島拓也に声を掛ける。
「ほう、いい心掛けじゃないか。是非撮ってくれたまえ」
「ありがと、beakerちゃん」
いえいえ、と言いながら由綺からカメラを受け取る。
拓也は瑠璃子の肩に手を乗せた。
微かに微笑みながら瑠璃子は手をピースマークに形作る。
beakerは慎重にカメラを動かして……上手く拓也がフレームから切れるようにした。
「はい、チーズ」
フラッシュが焚かれる。
「いやあ、すまんねぇ。beakerくん」
「いえいえ、これくらいは当然……」
の報いです、と小声で付け足した。


「それでは先生方、失礼します」
「また明日」
ぺこりと瑠璃子は頭を下げた。
「それでは僕も……おやすみなさい」
「おやすみ?」
由綺が不思議に思い、聞き返した。
「ああ、言いませんでしたっけ。僕は購買部で寝泊りしてるんです」
「あ、ああ。そうなの……」
それではまた、とbeakerは手を挙げてぶらぶらさせながら、卓球部の部室から出ていった。


ふう、と冬弥はため息をついた。
気付けばもう夕方、夕陽が部室一面を照らし出していた。
窓を開ける。
爽やかな風が入り込んできた。
由綺の長い髪がそれに吹かれて、乱れる。
先程まで騒がしかったこの部屋も今は静けさを取り戻していた。
再び時の流れに置いていかれるのだろう。
何故だか分からないが由綺は涙が流れた。
「由綺、どうしたの?」
「うん、何だか分からないけど……寂しくなったなぁ、って思ったら急に……」
そんな事を言いながら目元を拭う。
冬弥もそれは感じていた。
祭りが終わった後の寂寥感と言ってもいいだろうか。
あるいは取り残された者の不安感かもしれない。
この地球上に自分達しかいないような不思議な感覚。
「私たちも、帰ろう?」
由綺は言った。
「ああ、行こうか」


冬弥は黒板に目をやった。
いつのまにかトーナメント表の他に「瑠璃子イチバン!」と大きい文字が色付きで描かれている。
拓也だろう。
冬弥は黒板消しを手に取ってその文字を消そうとしたが……やめた。
この場所に証拠を残しておきたかった、自分達がいた証しを。
扉を閉める。



今日という日は二度と訪れない


何故なら今日という日はいくつもの偶然の積み重ねだから


多分、二度とこんな事はできないだろう


全員がそれを望んだとしても


振り返ることなく、真っ直ぐ進んでいかなくてはならないから


だけど


だけどそれでも


また逢えたのならば


またやれるのならば


その時は


その時のために


「さようなら」は言わないでおこう


「またね」と言い残そう


時の流れに置き忘れられた場所は


いつでもあなたを


いつものように待っているから





<おわり>