Lメモ過去編「第参話・罪」  投稿者:beaker


もし生きること自体が罪だと言えるのなら

どんなに楽だろう

俺は罪人だった

罪を贖える方法は残されてはいない

どうすればいいのだろう

罪を負わずに生きる道はいくらでもあった

殺さずに生きていける道はあったはずなんだ

だけど俺は選んでしまった

……罪の道を

止められない、止まらない罪の道を











===Lメモ過去編「第参話・罪」===



――腐肉食路地

俺は再びこの路地の前に立っていた。
あの日、誘拐同然に連れ去られてから数日が経っている。
誰も心配はしていないだろう、生きている事に驚くかもしれないが。
あるいは情報が伝わっているのかもしれない。
いずれにせよ、俺は彼と逢う必要があった。
「よう」
一言声を掛けて隣に座る。
彼はこちらを見て眉をくいっと上げたきり何も喋らず、それを俺は肯定と受け取った。
無言で右手を差し出す、その俺の手に一番上等のシケモクが渡された。
マッチで火を付けて吹かす。
「……九頭龍の居心地はどうだね?」
やはり知っていたか、俺は悪くない、と答えた。
そして、
「……暗殺稼業に手を染める事になった」
と言った。
「そうか……悪くはない、ここで朽ちて死んで行くよりはマシかもしれん」
「最初の暗殺は成功した、すると次の指令が来たんだ」
「ほほう、で、ここに来るのと何の関係があるんだね?」
「……この腐肉食の路地の人間を全員殺せと言われた」
一瞬、彼の動きが止まった。
「そうか」
それだけ言って沈黙する。
俺も、彼も、煙草をひたすら吹かして空を見上げる。
この腐肉食の路地からは上にある洗濯物やら何やらで空が見える事は滅多にない。
太陽の光もわずかにここを浴びせたかと思うと、すぐに壁の向こうに移動してしまう。
光を浴びる事すら許されないのだろうか?
「……で、お前は何と答えた?」
俺は煙草を吹かして空を見上げながら、ゆっくりと先ほどの出来事を語り始めた。
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「断わる」
俺はキッパリと言い切った。
金は目を引ん剥き(ただでさえ醜い顔がそうなったので近くにいた猫がひきつけを起こさないか心配した)
劉は面白そうに笑い出した。
「ほほう、俺に逆らうって言うのか?」
だが彼の目は笑っていない。
俺はもう一度念を押すように言った。
「断わる、俺はメリットのない事なんぞ真っ平御免だ」
「面白いヤツだな、続きを聞かせてみろ」
予想通りこちらの話に食い付いてきた。
ここからが正念場だ。
「……俺はこの組織とアンタのためならば命を張るつもりでいる。勿論生き残る自信はあるがね。
だが、今回のアンタの命令は単に俺を困らせる、もしくは忠誠心を試そうとするただの遊びにすぎない、
違うかい?」
「まあな、だが俺の命令だぜ?」
「ああ、だが俺はその上メリットのない事は一切やりたくないんでね。腐肉食路地の連中を
殺したところでストレスを貯める金持ちが増えるだけだ、アンタだってそれは望むことじゃないだろう?」
「てめぇ、兄貴に向かって……」
「お前は黙ってろ」
俺は金を睨み付けた、すごすごと彼は引き下がる。
「いいだろう、その代わりどこでもいい。別の組織のボスなりなんなりを暗殺する指令を下せ。
……どうだ? この条件で手を打たないか?」
俺は全て言い切ると劉の発言を待った。
彼はゆっくりと口を開き……
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「……という訳だ、感謝してくれよ」
恩着せがましく俺は言った。
彼……徐爺さんはため息をついて、
「バカバカしい、どちらにせよわしらに迷惑がかかるはずないだろうが」
確かに、どちらにせよ劉には腐肉食の連中を殺そうなんて考えはなかっただろう。
ただ、俺がどういう反応を示すのか試したかっただけだ。
人の心を弄ぶタイプだな、と俺は思った。
そしてこういうタイプは嫌われる、とも。
「……まあとりあえずどっかの組織のボスの暗殺で手を打ってくれた、で、お別れに来た訳だ」
「そうか、別れか……どちらにせよお前はここに留まるべき人間ではないからな」
「身体に気をつけろよ」
「わしの心配は無用だ、お前さんこそな」
俺はああ、と短く呟いて立ち上がった。
「戻ってくるなよ」
「ここにいろよ」
俺達は互いにそう言葉を交わすとニヤリと笑い、別れた。
握手も、抱擁も、涙も必要なかった。
腐肉食路地でそんな事をしていたら切りがない。
朝を迎えると誰かと別れ、夜になれば誰かが訪れる。
ここはそういう場所だ。






月日が流れ、俺は十三になっていた。
朧げな記憶で自分の誕生日だけは覚えている。
そして、今日。
俺は決行するつもりだった。
今や九頭龍は中国の三分の一を統括する犯罪組織に成長していた。
逆らう人間は残らず暗殺――しかも防ぎようがない――この創り出された神話が
九頭龍の組織を巨大化させる要因だったのは間違いない。
勿論その神話を作ったのは俺だ。
九頭龍は俺以外に暗殺者は育てなかった、その必要もなかっただろう。
俺は自分の特異性を最大限に発揮してありとあらゆる所での暗殺を成功させていた。
やがて、誰かが俺の事をこう呼び始めた。
それは劉が始めだったかもしれないし、あるいは他の人間だったかもしれない。
ともあれ畏怖を込めて、あるいは憎しみを込めて。
そう、俺は'無音'と呼ばれるようになっていた。

そして気づき始めた、劉が俺に不満を持ち始めている事に。
理由は簡単、嫉妬だ。
九頭龍が成長した原因は敵対組織の暗殺を俺が全て成功させてきたからだ。
それは今現存する敵対組織にまで伝わっていた。
自分より有名になってしまった暗殺者無音――しかもたかが元男娼が――に不満を持ち始めるのは
ヤツの心理からして当然だろう。
九頭龍はその名の通り自分と劉を含めた九人の幹部で組織の運営をその他を司っている。
そして今日は月に一度の定例会議だった。
俺の読みが正しければおそらく今日、ヤツは何か動くはずだ。
甘くて追放、悪くて……粛清抹殺、だな。
俺は部屋の扉を開いた。


「よう、遅かったな」
ニヤリと劉は笑う、一年付き合うと良く分かる。
これは何か企んでいる時の顔だ。
俺は適当に言い訳をすると、いつも通り劉の隣の席に座った。
彼は会議が始まっても、こちらをニヤニヤと見つめたり、煙草を吹かしてまるで
今からデートにでも出掛けるようにそわそわしていた。
やはり今日か、と俺は予感した。
そして全ての幹部の報告が終わった、通常ならばこれで解散だ。
だが、
「おい、全員待ちな」
そう劉は言った。
「なあ、無音よぉ。ちょっと聞いてもらいたい事があるんだよ、いいか?」
「……何だ?」
俺は立ち上がってそう答えた。
「俺とお前でこの組織は育て上げたよな、たった一年程度のものだけどよぉ」
「今更何を言っているんだ?」
「だけどよ、世間の奴等はどうもこの組織をお前一人でもっている組織だって勘違いしているらしい。
そんな評判はこの九頭龍にとって有害だろう? 違うかい?」
「確かにその評判はマズいな、俺が死んだ途端にこの組織に襲い掛かる連中が目に浮かぶようだ」
俺はわざと話がそちらに向くように仕向けた。
「だろう? ならここらで俺達九頭龍はお前がいなくてもやっていけるって所を見せなきゃならねぇ」
「……つまり?」
俺は苛々して話を促した、相変わらずいちいちもったいぶる奴だ。
「お前はもう用済みだ、って事さ」
劉が座ったまま片手を挙げた。
途端に幹部が立ち上がり、一斉に銃を構える。
「まあここまで良く頑張ってくれたな、後は俺達に任せな」
劉はニヤリと笑った。
俺もそれに応じてニヤリと笑う。
「……いや、そうもいかないんだ。まだやるべき事は残っているんでね」
そう言って俺も片手を挙げた。
すると幹部が向けていた銃口は一斉に劉の方向へ移動した。
「な……」
唖然とする劉、こんな表情を観たのはこの一年で初めてだった。
「驚いたかい?」
俺は余りにも事が上手く動いたのを見て少々得意気だった。
「あ、あ、あ……」
劉は口をパクパクさせた、まるで酸欠の金魚みたいだな。
「劉、アンタが俺に嫉妬しているって事はここの幹部もほとんどが知っていた。勿論俺もな。
だから説得したんだ、これからの九頭龍の組織に必要なのは『真に強いボス』かそれとも
『私怨で貴重な人材を無くそうとする無能なボス』かってね」
「て、てめぇ……」
劉の顔が怒りに歪んだ。
「この一年、アンタに付き従って良く分かったよ……アンタは小さい組織のボスならともかく
ここまで巨大になった組織の舵取りをするには向いてない……小心すぎるんだ」
「貴様等裏切る気か!? この、俺を……」
「『水滸伝』だって小心者のボスは物語の中盤で殺されただろう? まあ、そう言う事だ」

そして劉は幹部たちを振り返り

俺は挙げていた手を勢い良く下げて

劉は吠えて

幹部が放った銃弾は一斉に劉の身体に撃ち込まれた。

椅子から背中を仰け反らせてそのまま倒れ込む。
俺は死んだかどうか確かめるために彼を覗き込んだ。
かすかに口をパクパクさせている。
「この、たかが……男娼が……俺を……俺を……」
俺は止めとばかりに彼の眉間に弾丸を撃ち込んだ。
沈黙、もうこれ以上喋る事はできないだろう。
俺は椅子と死体を脇にどけると、先ほどまで劉がいた場所に椅子を移動させた。
幹部もそれに合わせて座る。
「さて、今日から俺がボスだ。そして俺は今日からお前たち以外の人間には顔を出さない。
暗殺稼業は勿論今まで通り俺がやる、平たく言えば何も変わらないって事だ」
幹部は一斉に頷いた。
これで少なくとも中国を俺達の組織が統一するまでは彼らは逆らうまい。
俺は目を見開いたままの劉の死体を見下ろした。
小心者の劉、今までありがとうよ。
そう呟いた。






――そしてさらに二年が過ぎて
今や裏の人間で俺の名前を知らない人間はどこにもいなくなった。
中国の三分の二の組織が俺達の支配下に入り、残り三分の一はこちらに敵対する事もなく、
機会があれば俺達の傘下に入りたいという打診もいくつか舞い込んでいた。
つまり、中国を俺達の組織が統一したも同然である。
その間、俺は目の前の事だけを見ながら動き続けた。
粛清、暗殺、粛清、暗殺、粛清、暗殺……人殺しが日常茶飯事の出来事になると、
次第に倫理観や罪悪感といったものが心に存在しなくなる。
俺は何かに乾き始めていた。
俺は何の為に生きているのだろうか?
誰かを殺すために生まれてきたのだとしたらひどく悲しい一生だ。
だが止まることができなかった。
いや、自分の意志で止まらなかったのだ。
まるでレミングのような自分に苦笑する。
そんな事を考えている時、奴が俺の部屋にやってきた。
幹部にして俺の顔を知っている数少ない人間――
「金……何の用だ?」
相変わらず下卑た笑いを浮かべながらこちらに何枚かの写真を差し出す。
「実はこの男がウチの組織に逆らっているらしいんですがね……警備が思ったよりも厳重で
並みの暗殺者では手を出せないらしいんですよ」
「ふん……」
そう言いながら俺はその男の写真を見た。
突然既視感が自分を支配する。
(この男……こいつ……どこかで……)
忘れられるはずもない顔。
俺がここにいる原因となった顔。
「いや、こいつは前から俺達の組織にかなり近い場所にいたんですけどね、昔は大人しかったんですが……」
「おい」
俺は金の襟を掴んで引き寄せた。
「ひぃっ……!?」
「もっと詳しい資料を寄越せ」
「は、はい!」
金は慌てて部屋を飛び出した。
俺はそれを見送ると何枚かの写真の中の一枚を手に取った。
幼かった頃の記憶だからややあやふやだったが、こうして今の写真を見てみると分かる。
……そう、間違いなく彼女は、春蘭だ。


金の持ってきた資料を読み漁る。
俺は知りたかった、俺が何故ここにいるのかを。
そしてその根源は何だったのかを。
・
・
・
俺は資料を読み終わるとため息をついた。
煙草に火を付ける。
どうすればいいのだろうか?
自分が知った事実は余りに残酷過ぎた。
でも、いや、だから、
もう一度俺は彼女に逢わなければならない。
これは運命などではない……俺が選んで進む道だ。
俺は決意する。


でも俺もその選択が……あんな残酷な結末を迎えるなんて……思わなかったんだ。







<続く>