ミステリーLメモ「無関係な密室(後編)」 投稿者:beaker












<前編と同じ(笑)>








                                   
 沙留斗は勤めて冷静になろうと、首を振ってNTTTの死体に近付いた。死体の
首に触って脈を計る。わずかな期待を打ち砕くかのように、沙留斗は首を振っ
た。由美子がああ、と嘆くようなため息を吐いた。
「警察に……連絡してください」
 沙留斗はそう言ってなるべく誰も死体に近付かないように、と言い含めた。
勿論現場を荒らさないためである。
 緒方英二がさすがに蒼ざめながらも、受話器を手にとって、番号をプッシュ
し始めた。……が、戸惑い顔になる。
「電話が……通じない」
 何だって、と一同は声を挙げた。志保は慌てて自分のポケットから携帯電話
を取り出すが、無言で首を横に振る。電波が通じないのだ。
「ま、まさか……閉じ込められたとか!?」
 そう叫んで慌てて柏木梓は駆け出した。扉に掴み掛かるかのように押す。だ
が彼らの不安とは裏腹にあっさりと、扉は開いた。
 朝日がさっと目に飛び込んでくる。何となく、扉は開かないのではないかと
不安に狩られていただけに、返って拍子抜けする。
 小出由美子はどうしようかと迷っていたが、
「わたしと長岡さんで車で麓まで降りて、警察を呼ぶというのはどうでしょう
か……?」
 そう提案した。
 確かに携帯を持っている長岡志保と車を持っている小出由美子が警察を連れ
てくるのが常識的に考えて一番良い提案であろう。全員は一も二もなく賛成し
た。
 念の為、車を点検してみたが、特に異常はないようだ。
「じゃあ猛スピードで突っ走って警察呼んでくるから!」
 小出由美子はそう叫んだ。
「安全運転でお願いしますってばぁぁぁ!」
 長岡志保は断末魔の叫びのようなものを残して、二人は一路警察へと向かっ
た。
 残された六人――いや、五人は不安げに彼らの車の白煙を見つめていたが、
やがて一人、二人と館の中へと向かった。




===ミステリーLメモ「無関係な密室(後編)」===





 全員がリビングへと集合する。何となく自室へは戻りたくない気分である。
そんな中、沙留斗が思い出したように緒方英二へ問い掛けた。
「先生、確かあの部屋……鍵が掛かってましたよね?」
 あの部屋とは勿論NTTTの部屋のことである。
 緒方英二はそうだ、と頷いた。
「外側からあの鍵を開くにはマスターキーか、NTTT先生が持っているはずの鍵
がないといけないんですよね?」
 ここで緒方英二は混乱していた思考がまとまったようだった。
「……何が言いたいんだね?」
「最後、この部屋を出るとき、皆、あのキーケースの棚からそれぞれ自分の鍵
を持っていきました。えーっと、最後にこのリビングから自室へ戻ったのは誰
ですか?」
 kosekiが手を挙げた。
「NTTT先生も自分の鍵を持っていきましたよね?」
「はい、部屋番号に対応する鍵を持っていったから確かだと思います」
「その後、確かNTTT先生は緒方先生のところへ行って言い争いをして、それか
ら部屋に戻ったんですよね……そして鍵を掛けた」
 kosekiは黙って頷いた。
 緒方英二は冷笑を浮かべて沙留斗を睨みつけている。
 他の二人は黙って、彼らの顔を交互に見回していた。

「だから、当然NTTT先生を刺し殺した――あの様子では多分そうでしょうが―
―犯人は、どちらかのキーを持っていることになりますよね」
 沙留斗は手を顎に当てた。
「NTTT先生が持っていた鍵を盗み取ったりする機会は多分無いでしょうから、
マスターキーを持っている人間しかあの部屋には入れない――」
「つまり俺が犯人ってことかい?」
 冷笑を浮かべたまま、肩を竦めた。
「そこまでは断定できませんが……でも、警察は多分そう考えるんじゃ……」
「へえ、そうかい……」
 冷笑が嘲りの笑いになった。
「だけど、盗み取る機会がなかったってことはないはずだぜ?」
「どうしてですか?」             . . . . . . . . .
「つまり、殺した後さ――NTTT先生を殺した人間がこの中にいたとして鍵を奪
い取って、その後死体を皆で見つけた後にそっと上着のポケットか何かにでも
入れておけばいいじゃないか」
「死体には私しか触ってないはずですが?」
「だから、君も俺と同じ穴の狢ってことさ」
「へぇ……」
 今度は沙留斗が冷笑を浮かべた。
「では、そういうことにしてみましょうか。いずれにせよ、マスターキーが先
生の手元にある以上、NTTT先生の鍵を探し出すことが先決かもしれませんね」
「それじゃあ全員であの部屋へと行ってみようじゃないか」
 緒方英二の提案で沙留斗を含む四人は渋々とNTTTの部屋へと向かった。
 勿論、死体が消えるとかそういうことは全くなく、NTTTの死体はそこにあっ
た。この安らかな表情を見ているとどうにも殺されたとは信じがたい。
「慌てて全員で探すと誰か不埒な人間がこっそり企むかもしれない。だから君
――沙留斗くんが一人で探したまえ、ただし俺たちの監視つきだ」
 沙留斗は黙って頷いた。
 全員で探すとこの中にいるかもしれぬ犯人が証拠隠滅を図る恐れがある。
柏木梓とkosekiは部屋のドアを開いて、そこに立つと沙留斗の行動を見張るこ
とにした。勿論秋山登や緒方英二も隣にいる。
 沙留斗はなるべくゆっくりと行動することにした。下手に素早く動いて妙な
勘繰りをされたらたまったものではない。
 ゆっくりと、丁寧に、鍵を探してゆく。
 ズボンのポケット、上着のポケット、手に何も忍ばせてないことを確認させ
ながらの捜索は骨が折れた。
 だが、残念なことに成果はない。
 肩を竦めて、今度はカバンに取りかかろうとした沙留斗だが――NTTTの死体
を見て重要な事を見つけ出した。
「すいません、全員来て下さい」
 四人は互いに顔を見合わせたが、頷いて死体に近付く。
「ほら、先生の右手――何か握っているのが見えませんかね?」
「うん」
 確かに、彼の右手にはしっかりと何かが握られていた。
「今からこの手を開きますよ、いいですね?」
 沙留斗はゆっくりと、力を込めて手を開かせた――死後硬直しているので本
当に骨が折れる――死体の左手がゆっくりと開いた。
 鍵、だった。ちゃんと鍵にはNTTTの部屋番号が刻印されている。
「さて、先生――鍵はNTTT先生がしっかりと握ってましたよね? ご存知死後
硬直中の人間からこうやって握り締めたものを奪い取るのは相当な努力が必要
です。あの衆人監視の中、私がどうやって先生に鍵を握り締めさせたんでしょ
うねぇ?」
 沙留斗の完全勝利、というおもむきであった。
 緒方英二は明らかに顔色が変わり、歯噛みした。
「馬鹿な! そんな馬鹿げたこと、どうして俺が……」
「昨日、NTTT先生と何を話していたんですか?」
 沙留斗が追い詰めるように問い掛けた。
 あっと小さく叫んで、一言、二言呻くように何かいった。
「それは……言えない……故人の名誉にも……」
「察するに先生と何か言い争いになって、謝ろうと思ったがドアをノックして
も入れてくれないNTTT先生と言い争いになって、つい……」
「やめろ!」
 緒方英二は珍しく声を荒げた。
「ふん、君の言っていることはどこまで行っても推論に過ぎない!」
「そうですね、確かにそうです。ですが――」
 沙留斗は落ち着いてトドメを刺した。
「これが現時点での妥当な結論ですよ?」
 そう言い残して沙留斗はドアを閉めて悠然と部屋を出ていった。
 しばらくして、「フン!」と鼻息も荒く、緒方英二も出ていった。
 二人の応酬に呆気に取られていた柏木梓と秋山登とkosekiだが、とりあえず
それぞれの部屋に戻ることにした。どちらにせよ旅行は中止だろう。今の内に
さっさと部屋の荷物を片付けておくべきだ。
 そう思って三人は誰が言うともなく、各自の部屋へと戻った。



 緒方英二は苛立っていた。
 残念なことに、沙留斗が言っていたことの八割以上は正しい。NTTTと言い争
いをしたことも事実だし、その内容はとてもではないが他人に言えないことも
事実だ。だが、しかし、神に、自分の心に誓って確実なことがある。

    . . . . . . . .
――俺は殺していない。


 それは確実な真実だ。
 だがしかし、どうなっているのだろう。俺が犯人でなくて、彼も犯人でない
とすると、誰が――。
 ――その時、生前妹が喋っていたことを思い出した。

「そうだ! もしかして……」

 鏡に誰かが映った。
 気付いた時にはこめかみに銃を突きつけられていた。
「貴様……」
 汗が滴り落ちる。
「貴様……」

        . . . . . . . . .
「貴様がどうしてここにいる?」


 銃声はくぐもった音で、緒方英二のこめかみを貫いた。
 ガタン、と崩れ落ちる。
 今や死体となった緒方英二に拳銃を握らせると、貴様と呼ばれた人間は悠然
と部屋から抜け出した。



「あ、警察が来ました!」
 柏木梓に嬉しそうにkosekiが報告する。
 梓の顔も喜びに輝いた。
「ふぅ、このまま来なかったらどうしようかと思ったよ」
 ファンファンとテレビでお馴染みのサイレン音を鳴らしながら数台のパトカ
ーと小出由美子の車がこちらへ向かってくる。
 パトカーから転がるように飛び出してきた警官や刑事たちが、たちまち館の
中へ突入する。
 その音をようやく聞きつけたのか沙留斗も部屋から飛び出した。
 沙留斗も、梓も、秋山も、kosekiも、刑事に事情聴取されていたが、やがて
一人の刑事が緒方英二の部屋をノックする。
 返事がない。
 もう一度ノックする、声を荒げながら。
 やはり返事がない。
 マスターキーも、部屋の鍵も中にいる彼が持っている。
 そのことを知った刑事たちはドアを蹴破った。
 そこには――











――第二購買部  
       
「……自殺したと思われる緒方英二先生の死体が発見されたという訳です」
 beakerは降りしきる雨音を聞きながら、凄まじく甘ったるいココアを飲んで
いた。好恵は日本茶を啜りながら、煎餅を齧っている。
「ふーん、それがこないだの事件の結末かぁ……」
「ま、大部分は沙留斗に聞いたんですけどね」
「結局、自殺ってことで片がついたの?」
「まぁ一応は」
「ふーん……それにしても……最近気が滅入る事件ばっかりよねぇ」
「そうですね……全くもって遣り過ぎですよ」
 beakerは悲しそうにため息を吐いた。
 奇妙な言葉に気付いて好恵が聞き返す。
「やりすぎ?」
「彼の気持ちも判らないではありませんが――これは遣り過ぎです」
「どーゆー事?」
「どーゆー事って……沙留斗ですよ」
 ますます判らないという風に好恵が問いただす。
「だから、どうしてそこで沙留斗が出てくるのよ……」
 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
「だって沙留斗が犯人だからじゃないですか」
 beakerは平然とそう言うとココアを飲んで新聞を取り出した。
 好恵の口は弛緩したように呆気に取られてしまった。
 日本茶を口に含んでなかったのが不幸中の幸いというべきであろう。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! 今、緒方英二が自殺って……」
「まさか」
 beakerは肩を竦めた。
「あの人は自殺なんかするタマじゃないですよ」
「じゃ、じゃあ沙留斗が殺したって訳? NTTT先生も?」
「そうですよ……だから、遣り過ぎです」
「ちょ、待ってよ……待って待って待って。どうしてそういう風になるわけ?
現場は完全な密室で……」
「密室な訳ないじゃないですか」
「え?」. . . . . .
「だから密室な訳ないじゃないか、と言っているんです」
「どうし、て……?」
 訳も判らずポカンと口を開く。
 beakerはため息をついた。
「仕方ありませんね、順に説明しましょうか」

                                   
「確かに好恵さんの言う通り、現場は完全な密室でした。通常の人間はまず通
り抜けることは不可能だったでしょう。だけど、沙留斗にだけは密室だと
か密室でなかったとか――」

  . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
「そういうことはまるで関係がなかったんです」


「だからどうして……」
「ディス・インテグレート」
「あ」
 再び、好恵の口が呆けた老人のように開かれた。
       . . . . . . . . . . . .
「塵になれば、密室であろうがなかろうが関係ないんです」

「じゃ、じゃあこういう事? 沙留斗は塵になって二人の部屋に忍び込んだ後
二人を殺害……?」
「逆です。塵になって忍び込んだんじゃなくて、塵になってから脱出したんで
す。今のお話、いずれも沙留斗が自分の部屋に帰ったということは誰にも
判っていません。二回目にしてもそうです。沙留斗はわざわざNTTT先生の
部屋のドアを閉めてから部屋に戻った――緒方英二先生の部屋に行くならまる
っきり逆の方向ですからね」
 beakerは取り出した新聞を元に戻すと、好恵の方向へ椅子を向けた。
「いいですか? いうまでもないですが、今から話すことは他言無用ですよ?
そのつもりでお聞き下さい」
 好恵は勢い良く頷いた。
「では……」
 beakerがゆっくりと真実を語り始めた。



「そもそもの話、僕はこの旅行自体が怪しいと思うんです。日本中に学校はい
くらでもあるのに、どうしてわざわざこの学園を選んだのか――答えは簡単。
沙留斗が旅行会社にそう指示したからです」
「沙留斗が?」
「お金はたくさん持ってますからねぇ、沙留斗は。旅行会社の人間が言うとこ
ろによればあの館の持ち主という人間から電話が掛かってきて、人選も、旅行
の内容も、全てその人間が考え出したことだと言っています。つまり、沙留斗
は希望書を出しさえすれば絶対に合格することができた。そして次の人選に移
ります」
 beakerは手早くメモ帳に参加した人間を書きとめると好恵に手渡した。
「こう見れば判るように、見事に購買部関係とハンター関係、つまり沙留斗を
直接的に知り得ている人間が排除されています。少なくとも現場で沙留斗が犯
人なのでは? と疑う人間は存在しない訳です」
「でも……でも……わたしたちは知っているじゃない」
「そうです、確かに僕たちは知っています。しかし、ほら、今ついさっきだっ
て好恵さんは僕の言葉に何の疑問も持たなかったじゃないですか? 沙留斗の
ことは多少なりとも知っているはずなのに」
 好恵は項垂れた。

「いえいえ、何も好恵さんを責めているわけじゃありません。これはほとんど
の人がそうなのです。限定された事実を他者から聞く限り――真実が語られる
可能性は低いのですから。例えば――」

「好恵さん、あなたは――このLeaf学園の購買部のことを全く知らない人間だ
と思ってください」
 好恵は唐突な質問に面食らったが頷いた。
「僕はある日、いつものように購買部のドアのノブを捻って開くと、部屋の中
央には首を吊った死体がぶら下がっていた――これを聞いてどう思います?」
「どう思うって……ウチのドアは引き戸じゃないの。それに部屋の中央に首を
吊る場所なんて――」
「そうですね、今この場にいて何より購買部のこの景観を知っているなら疑問
に思うでしょう。しかし、あなたが今何も知らない人間ならば――今の話に何
かおかしいところはありましたか?」
「……」       . . . . . . . . . . . . . .
 ない、何もない。別に不思議なところは何もなかったのだ。


「だから――限定した事実だけを切り取ってもこの学園の人間には意味がない
のですよ――」
 beakerはココアを一口飲んで話を戻した。
「続けましょう。沙留斗はそうやって選んだ人間から既に犠牲者となる二人を
加えました。そして、談話の際、自分がNTTT先生よりも先に部屋に戻ることの
出来る状況を作り出しました」
「どうやって?」
「単に話に途中で加わらずにウォークマンを聞いただけです」
「それが……どうやったら?」
「ここで長岡志保さんが選ばれたのはその為です。多分――沙留斗は志保さん
ならこのウォークマンの曲が何か聞くとか、あるいはイヤホンを奪い取るよう
な行動に出ると予測したのでしょう。彼女は音楽好きですから」
 ――実際、予想通りに上手くいった。その為に志保の隣に座ったのであろう
――とbeakerは予測した。

「さて、予想通り白けた場に耐えられなくなったという風に沙留斗は飛び出し
ました。続いて緒方英二さんが。後の順番はどうでも良いですが――まぁ、誰
かがNTTT先生が自分の部屋の鍵を取るのを見ていることくらいは期待したでし
ょうね」

「予想外だったのはおそらく、二人の口論ですが――これは大変良い結果に繋
がった。これでますます緒方先生は不利になったのですから。さて、沙留斗は
気配を消して、ベッドの下なり、クローゼットの中なりに忍び込んでおいて―
―NTTT先生を殺害します」
 好恵はその情景が目に浮かびそうになって慌てて首を横に振った。

「そして、その後ポケットか何かに入っていた鍵を左手に握らせて塵になって
部屋へ戻ります。――多分、kosekiさんが見た幽霊というのは、沙留斗の塵が
ぼんやり暗闇に浮かんだのではないでしょうか? 叫ばれたので、慌てて部屋
から飛び出していったようですが」

「その後、全身の苦痛に耐えながら、部屋へ戻って眠りにつきます」
 ――沙留斗は全身に鈍く広がる痛みと共に目を覚ました
「朝になってNTTT先生の死体を発見し、緒方英二を口論の末、追い詰めます。
そして、完膚なきまでに叩き潰した後、沙留斗は部屋を出るとドアを閉めて、
足音を立てないように緒方英二の部屋へ忍び込みます」

「そして、懐に忍ばせていたサイレンサー付きの銃をそっと緒方英二先生のこ
めかみに突きつけて――」

 ――貴様がどうしてここにいる?

「躊躇いなく射殺したという訳です。その後はNTTT先生の時と一緒です。勿論
――kosekiさんの部屋の中は通り抜けなかったでしょうが」

「これがあの事件の一応の真実です」

 beakerは話をおしまいとばかりに打ちきった。
 新聞に伸ばした手をむんずと掴む。
「ちょっと待って……動機は? 動機は何なのよ!?」
「動機……ねぇ、一応一般的に動機と呼ばれるものは『復讐』でしょうかねぇ
……」
 beakerは言い淀んだ。
「まぁここまで言ってしまったのは僕ですし――最後まで聞きますか?」
 好恵は当然とばかりに頷いた。
「言いですか? これからの事は絶対に他言無用の上に――辛い事実ですよ」
 beakerは意味ありげのそう言うと、どこか遠くを見るような目付きで語り始
めた。


「そもそも、事の発端は緒方理奈先生の自殺――でしょうね」
「理奈先生の……?」
「そう、緒方理奈の自殺――沙留斗は悲しみました。けど悲しんだのは親しい
先生だったからじゃない」

 . . . . . . . . . . . . . . . . .
「沙留斗は緒方理奈の恋人だったんです」


「え?」
 再び弛緩の時だ。
「だって、先生……しかもアイドル……」
「アイドルだとか、先生だとかそんなことは全然関係ありませんよ。いや、少
なくとも二人にとっては関係なかったに違い有りません」
「そして、自殺の前後に広がったあの噂――あれは真実です。『Leaf学園の生
徒が』『緒方理奈先生を』『妊娠させた』というアレです」
「しかし、この噂の重要な要素の一つに微妙な食い違いがあるのです。いえ、
真実はこちらの噂が正しいのですが――緒方理奈と沙留斗だけはそれが事実で
はないと思いこんでいたのです」
「……何が違ったの?」
「『Leaf学園の生徒が』という部分です。この部分を緒方理奈と沙留斗は――
『緒方英二が』だと思わされていた」
「そ、そんな!? そんな馬鹿なこと……」
「さもなければ沙留斗が緒方英二を殺す動機も緒方理奈が自殺する動機も見当
たらないんですよ。では、その歪んだ真実を伝えた人間は誰か――?」
「保健のNTTT先生!」
「そうです、ここは保健室とはいえ、下手な病院顔負けの施設が整っている。
だから妊娠していることはすぐに判った。だけど父親がどちらかまでは判らな
い、おそらくはまだ妊娠してわずかな月日しか経っていなかったのでしょう。
しかし、それでも判ったことがあった……。NTTT先生は――おそらく緒方先生
に言いくるめられて冗談のつもりで――言ってしまった」
「判ったこと……」
 . . . . . . . . . . . . . . . .
「胎児には遺伝に先天的な異常があると言ったんです」

「これでこの父親は緒方英二であることがほとんど確定してしまった。緒方理
奈は涙ながらにそれを沙留斗に告げた。沙留斗はまだ十七歳、妊娠という事態
だけでも衝撃的なのに輪をかけて衝撃的だったのが父親が――」

 . . . . . .
「彼女の実の兄だということです」


「沙留斗は堕胎しろなどとは言えなかったでしょう。そうかといって、産もう
とも言わなかった。いや、何も言えなかった。緒方理奈は傷心の余り――」


「もう、いい」


「僕はさっき、保健室でNTTT先生の雑務記録を読んできました。それによると
あの日の前後にこう記されてあります」


 ……悪ふざけも度が過ぎてしまった。すぐに冗談だと打ち消せば良かった。

 ……私は後悔している。何故あの男の冗談に私が付き合わねば……


「だから、多分お腹の子は……沙留斗の子供だったんでしょうねぇ」
 beakerはひたすら悲しそうに呟いた。


「沙留斗は……これから沙留斗はどうするんだろう?」

                                   
「さて、どうでしょう……通常この場合三つの道が考えられます。まず一つ、
良心の呵責に耐えられなくなって自殺する……」
「そんな……まさか!」
「あくまで可能性ですよ。では二つ目、良心の呵責よりも復讐心が勝った。よ
って沙留斗はこのまま胸を張って学園生活を送る。まあ……楽しいかどうかは
判りませんがね」
 beakerは三つ目といって、三本目の指を伸ばした。
「三つ目は……自首するということです」
「beakerは……どれを選んだと思うの?」
「さぁて、僕なら迷わず二つ目を選びますが――沙留斗はそこまで頑丈な心を
持っていませんし、そうかと言って自殺するような腰抜けでもありません。だ
から――」



 コンコンコンと購買部のドアを叩く人間がいる。
 好恵は思わず息を止めて、ドアを見守る。
 beakerは「どうぞ」といった。



 やってきたのは――
「マスター」
 beakerは心底悲しそうな目をして――
「どうしました?」
 沙留斗はぐしょぐしょに雨に濡れそぼったまま、意を決して――
「お話があるんです……大事な、話が」
 外には――
「判りました……お聞きしましょう」
 外にはまだ、あの粘りつくような雨が降っていた――






<了>






ふーっ、荒業でした(笑)。
えーっと、しつこく繰り返しますが、なーんにもL本編とは関係ありませんので。
沙留斗さん、ごめんねー(笑)
あ、それから沙留斗さんを語る上で欠かせない沙耶香ですが、今回は存在そのものが
……無かったことに(笑)
ごめんよー(笑)