<注:このSSはLメモのキャラを使ってミステリーを書こうというものです。 従ってL本編自体とは何の関わりもないフィクションであることを予めお断り しておきます。設定その他はL本編に忠実でありますが、若干の変化がなされ た部分もあります。特に性格はかなり歪んでいます、誠実な人間でも(笑)> ――粘りつく糊のような雨が二人を包んでいた。 女は屋上のフェンスの向こう側、男はフェンスのこちら側、雨に濡れそぼっ たまま佇んでいる。女は――まるで他人の心配をしているような、そんな困っ たような笑顔を見せた。 ――わたしたち 彼女はポツリと呟いたがそれは雨の轟音に掻き消されて―― ――どうしてわたしたち 男は表情を失った石像のような顔のまま彼女を見つめて―― ――こうなっちゃったんだろうね…… 女は本当に不思議だ、という風に彼に問い掛けた。 屋上のフェンスの向こう側、一歩だけ足を踏み出せば死神が彼女を誘ってい る。彼女には死神が目に映っているのだろうか? ゆらり、と彼女がよろめいた。 死神が、手招きした。 最後に酷く悲しそうな顔をして――彼女は落下した。 ――それでも男は――表情を失ったまま、彼女の死を受け入れた。 ===ミステリーLメモ「無関係な密室(前編)」=== 退屈そうに欠伸をすると、沙留斗はぼんやりと車の外の景色を見つめた。運 転席の小出由美子は少々はしゃぎながら車を運転している。ついこの間免許を 取ったばかりだと言っていたから――こんなに遠出するのが嬉しいのだろう。 幸い、彼女の運転技術は確かなものだったが。 後部座席には沙留斗ともう一人、転校生のkoseki――だったと思う――が武 器を抱えてすやすやと眠っていた。邪気のない寝顔に沙留斗は苦笑する。今彼 らは山間に新しく建てられたとあるペンションに向かっていた。 ある日、Leaf学園に旅行会社から若者向けの新しい旅行パックのサンプルと して何人かを招待したい、という打診がきた。校長の柏木千鶴は――自分が選 ばれる可能性もあるということで――喜んで引き受けた。夏休み、暇を持て余 しそうな希望者が殺到し、旅行会社が何人かを適当にピックアップした。 沙留斗はその中の一人に選ばれたのである。 もっとも沙留斗は――「自分は行きたくない」と言っていたのであるが―― 購買部の他の面々が無理矢理彼を説得した。沙留斗が行きたくないというのも 無理からぬことであったが、否、だからこそ彼らは強固に沙留斗を説得した。 辛い事件があったのだ――しかし、それももう三ヶ月前のこと。 そろそろ、沙留斗も次のステップに足を踏み出しても良いはずだった。 説得に応じたのは旅行会社が締め切る直前であった。 そんな中beakerだけは――何も言わずに背中を向けて黙って手を振った。 彼なりの気遣いだったのかもしれない。 沙留斗はぺこりと頭を下げて、車に乗り込んだのである。 「あ、見えてきたわね……あれがそうかな?」 由美子は山道を初心者とは思えない器用さで登りながら、目を凝らして建物 を見た。ペンションというのだからロッジかと思ったら――ロッジというより もむしろ館――古い映画に出てきそうな――だった。 その声にkosekiも目を覚ます。 「うわぁ……凄いですねぇ……」 感嘆の声を挙げた。 沙留斗もその声に惹かれるようにその建物を見る。館は、およそ日本のもの だとは思えない絢爛さだった。 残念なことに形はどこかの推理小説のように奇妙奇天烈なものではなく、見 た目は少なくともまともそうであったが。 小出由美子は館の横に車を停止させた。 何故だかこのような館に付きものの鉄の門のようなものはなく、綺麗に整備 された噴水の少し横を行ったところに駐車場とおぼしき場所がある。 「一旦、降りて。わたしは車を向こうに持っていくから」 二人は頷いて、荷物を抱えて車から降りた。 「ここで三日間過ごすのか……」 何となく呟いてみた。 どうやら、もう一台の車より早めに着いてしまったようだ。 もう一台は由美子の車と違ってレンタルしてきたバンであと五人は乗ってい るはずだ。沙留斗は本来ならば門があるはずの場所を向いた。 微かにエンジンの音が聞こえる。 どうやら……二台目もやってきたらしい。 「へぇー! 凄いじゃんか!」 わぁ、という歓声を上げたのが柏木梓。 「きゃー、アタシのゴージャスな雰囲気にピッタリ!」 手を叩いて喜んでいるのが長岡志保だ。 「うむ、俺と梓の新居にピッタリだな」 変な発言で梓に叩かれているのは秋山登。 「それにしても……本当に若者向きの旅行とは思えないなぁ」 次に助手席のNTTTが呆気に取られたように呟いた。 「やれやれ」 最後に運転席から出てきた彼は疲れ切った笑みを浮かべて―― 「到着か」 最後の締めの言葉を呟いた。 緒方英二である。 元々髪は白かったから影響が直に見られているという訳ではないのだが―― やはり例の事件のせいなのか、三ヶ月、沙留斗は疲れきっている彼しか見た ことがなかった。それともただ単に怯えているのか―― まぁ、どうでもいいことか。 沙留斗はそう思って荷物を持って館の扉を開けた。 こういう時は軋んだ音がしてゆっくりと開かれると思っていたが、油を注し ているのか滑らかに扉が開かれた。 少々拍子抜けである。 中は外側の絢爛さと違って思っていたより簡素な造りでペンションやロッジ の雰囲気をそこはかとなく漂わせていた。 柏木梓と長岡志保、それに小出由美子は歓声を上げて、中を見渡す。 koseki、秋山登も口にこそ出さないが表情が満足感を表していた。 NTTTや緒方英二は何を考えているのやら沙留斗には判らない。 沙留斗は館を見渡しながら……少しだけ気が晴れたような気がした。 あの事件は沙留斗、緒方英二だけでなくLeaf学園全体に悲しみと衝撃をもた らしていた。きたみちもどるやきたみち靜、森川由綺や藤井冬弥といった教師 までもがしばらくは仕事にならなかったほどだ。 緒方理奈の――自殺である。 . . . . . . . . . . 原因は全く不明であった。自殺であるのだが、目撃者は誰一人として存在し てなかったし、他殺の可能性すら残っていた。 だが自殺の前後、馬鹿げた噂が飛び交っていた。緒方理奈が妊娠したという のである。それだけならまだしも妊娠は望まれたものではなかったとか、妊娠 したから捨てられたのだとか、挙句は妊娠させたのはLeaf学園の生徒だとか、 憤懣やるかたない噂が学園を包んでいて、柏木千鶴がわざわざ不埒な噂を流さ ないようにと朝礼で警告したほどだ。 沙留斗は無責任な噂を流す人間を片っ端からぶちのめした。 お陰で反省房に収容されたのはこの三ヶ月だけで十を数えた。 沙留斗は実感する。 ――今でも痕は消えちゃいない。 だけど、痕を消す努力もするべきであろう。 沙留斗はそう思ってこのツアーに参加したのだ。 「――沙留斗くん、どうしたのかね?」 NTTTが声を掛けた。 「うん、ああ……なんでもありません」 「そうかい、君の部屋は向こうだ。荷物を置いてきたまえ」 はぁ、と生返事をして沙留斗も荷物を置きに部屋へ向かった。 部屋は単純に右の廊下にずらっと扉が並んでいて、それぞれがちょっとした ホテルの個室並みの豪華さであった。 ちなみに部屋は奥から順番に緒方英二、NTTT、koseki、沙留斗、秋山登、小 出由美子、柏木梓、長岡志保である。 柏木梓は密かに懸念していたのだが、幸いにも部屋の扉は内側から頑丈な鍵 が掛かるタイプであった。勿論外側からも開けられるのだが、マスターキーか それぞれの部屋主が持つ鍵でない限り、絶対に開けられないらしい。 これで夜這いも安心である。 秋山登は無念そうに鍵を弄くっていた。 「くぅ……今時の鍵はどうしてこんなに丈夫なんだぁっ!!」 その晩の夕食は柏木梓が腕を振るったおかげで大層豪華なものであった。何 せ梓はその荷物の大半を料理の材料にして持ってきたのである。 館に相応しい豪奢な料理をたらふく腹に詰め込んで、そのままリビングで八 人のお喋りへと突入した。 さすがに旅行は彼らをリラックスさせたようで、普段顔を合わすことがない 人間も気軽に喋り、笑い、騒ぎあった。 さすがに緒方英二は余り話に加わらず、もっぱら酒を飲みながらの聞き役に 終始していたが。 沙留斗は――喋り疲れたのか、何となく音楽を聴いてみようと思い立った。 持ちこんでいたウォークマンの再生ボタンを押す。聞き慣れた彼女の歌声が鼓 膜に直に響いて心地よかった。 「あれ? 沙留斗ったら何聞いてんのよ」 志保が黙り込んだ沙留斗に気付いてウォークマンのイヤホンを奪い取った。 沙留斗は咄嗟のことで奪い返すこともできない。志保はふんふんと聞いてい たがやがて素っ頓狂に、 「あれ? これって緒方理奈の……」 そこまで言ってしまった、という風に口を押さえた。 途端、先ほどまであれほど賑やかだったリビングが時間を刀で絶ち切られた かのように絶句する。 やがて、気まずい沈黙に耐えきれなくなったのか、始めに沙留斗が立ち上が った。 「お先に失礼します」 続いて緒方英二も、 「俺も失礼することにするよ」 無表情で立ち上がった。 志保は不味いことをした、とさすがに悄然となって項垂れている。 「あ、緒方先生。マスターキーを預かってくれます?」 梓がすまなそうに言ってマスターキーを差し出した。 緒方英二は苦笑しな がらそれを受け取った。ちゃらちゃらとキーを回しながら、 「あ、俺のことは気にしなくていいから。皆楽しくやっていてくれ」 そう言い残して。 そうは言っても、これでは話が盛り上がるはずもなく、結局その後三十分ほ どで散会となった。 NTTTは自分の部屋に真っ直ぐ帰らずに、緒方英二の部屋へ向かった。koseki が不思議そうに、 「先生、どうしたんです?」 と訊いた。 NTTTは、 「なぁに、ちょっと尋ねたいことがあってね」 と答えてから部屋のドアをノックした。 少しの間があって、どうぞ、という声が聞こえた。 kosekiはおやすみなさい、と声を掛けてから自分の部屋に戻った。 「……ふざけるなっ!!」 kosekiが慣れない枕でようやくウトウトとし始めたところ、突然そんな怒鳴 り声が館中に響き渡った。慌てて、ドアを開けるとNTTTが緒方英二の部屋のド アを叩きつけるようにして出てきた。普段温厚な彼にしては珍しく本気で怒っ ている。彼は自分の部屋に閉じこもると鍵を掛けた。 今の声で起こされた他の何人かも慌てた様子でNTTTの部屋のドアを叩く。 「どうしたんですか? 先生、どうしたんですか?」 「悪いが放っておいてくれ! 今は気分が悪いんだ」 そんな声がしたきり、ドアの向こうから声は聞こえなくなった。 仕方ないと由美子は今度は緒方英二の部屋のドアを叩いた。 ドアを開けて、英二に事情を問う。彼は苦笑しながら、 「ちょっとした行き違いがあってね」 とだけ言った。 何となく納得し兼ねる説明であったが、ともかく明日詳しい事情を訊こうと 由美子やkosekiは早々に退散した。勿論眠たかったこともあるのだが。 さらに少し時間が経ち、kosekiは中途半端に起こされたため、眠れないまま ベッドで寝返りを打っていた。やれやれ、とため息をつく。この調子では朝ま でこのままで苦しまなくてはならなそうだ。 その時、ぼんやりとしていたkosekiの目の前を何かが通り過ぎたような気が した。 「え?」 思わず声を出すと、何かはまるで雲散霧消したかのように消え去った。 kosekiの顔がたちまち蒼ざめる。 「まさか……ゆ、ゆ、幽霊……?」 kosekiは慌ててシーツを被った。物理学的な存在ではない幽霊は苦手なので ある。南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、と出鱈目に唱えながらひたすら朝を待 つことにした。 そして朝、沙留斗は全身に鈍く広がる痛みと共に目を覚ました。筋肉痛―― 慣れないベッドというせいもあるのだろう――はいつになっても慣れない。 ふわぁぁとしまらない欠伸をして、沙留斗は部屋のドアを開けた。 ちょうど同じ頃に起きたらしい志保とばったり会う。やはり昨日の気まずい 行為に罪悪感を覚えていたのか「ごめんね」と手を合わせて謝って来た。沙留 斗は「いや、気にしてないから――」そう言って志保に微笑んだ。 梓は一番早く起きたらしく、台所から鼻歌と一緒にパンの焼ける良い匂いが している。志保は喜び勇んで食堂へと向かった。 匂いに釣られたのか秋山登(エプロン姿の梓を見て襲いかかってカウンター を食らっていた)、小出由美子、koseki、緒方英二も姿を見せた。 朝食が八人分出来あがって、テーブルに並べられる。 だが、NTTTは何故かまだ起き出してこなかった。 「わたし、呼んできます」 そう言って小出由美子がNTTTの部屋へと向かった。 「先生! 朝食できましたよー!」 ドアをノックしながらそう叫んだ。だが、返事は来ない。 慣れない旅行で疲れているのかしら、と思って小出由美子は一旦食堂へ戻っ た。他の人間には「起きてこない」と言って自分も食事を始める。 朝食は三十分程度で全員が食べ終わった。にも関わらず、NTTTだけはまだ起 きて来なかった。不安になった他の人間はNTTTの部屋の前に集まって、ドアを 叩く。 「先生! もう朝ですよー!」 「NTTT先生! どうしたんですかー!」 「緒方先生、マスターキーを持ってきてくださらないでしょうか?」 緒方英二は頷いて自分の部屋からマスターキーを持ち出した。 一応もう一度だけドアをノックして、 「先生! ドアを開けますよ」 念のためそう言った。 NTTTは確かにそこにいた。 ベッドに眠るように、仰向けに横たわって。 目を瞑って微笑んでいるのか、あるいは諦観しているのか―― NTTTの身体には深々と包丁――台所にあった内の一本――が突き刺さっていた。 ここでようやく、彼らは悟った。 NTTTは死んでいる―― 昨日とは違う女性の悲鳴が、館中に響き渡った。 <つづく>