風紀動乱L「アイアンマウスの天秤」 投稿者:beaker

 最近佐藤雅史は良く夢を見る。
 良くない夢だった。
 夢の中で彼は追い詰められていた。
 誰に――?
 それは時にディルクセンの顔をしたり、名も知らぬ風紀委員の顔をしたり、
 さらに――姉の千絵美の顔になったり、自分自身の顔をしたりした。
 怖くもあったが、それよりも、酷く――厭な夢だった。


 先日のあの一件(昴河さん作「たぶん、友情のために」参照)で雅史はようやく
自分を取り戻したような気がした。
 だが――相変わらず夢は続いていた。
 どうしてなのか、多分――やはり、千絵美の一件なのだろう。
 昴河は千絵美が襲われない保証はしてくれている。
 友人の言葉を無論雅史は信じている。
 しかし――それでも尚不安は残る。
 風紀委員がやろうと思えば、階段の上からそっと姉の背中を押すだけでいいのだ。
 護るよりも殺す方が遥かに簡単――
 なるほど、昴河の言う通り多分彼の仲間は姉を護ってくれているのだと思う。
 だけど、護られているという実感がない。
 どれほど護られていても防げる保証がないのだ、だから――あんな夢を見る。
 雅史はそう思った。
 

「しかし何だな」
 昼休み、屋上で突然藤田浩之が呟いた。
「最近、勉強ばっかりして、なかなか遊べないよな」
 そう言いながら浩之は一緒に弁当を食べていた男三人――
佐藤雅史、昴河晶、八塚崇乃に目配せする。
「そう……? あ、そうだね」
 ああ、浩之は例の筆談のことを言っているのだ。
 最近はたびたび勉強会と称して集まっては相談を続けていた。
 何かの提案というよりもむしろ――喋ること(書くことか)で
一時の安心を得たいという――少々後ろ向きの行為だったが。
「俺達が勉強なんて珍しいよなぁ、こりゃ初雪が近いぜ」
「あはは……」
 今の言葉を意訳すると(あまりに勉強と称して集まっているのも不自然だぞ)
ということであろう。
「今日は勉強は止めにしよう、そうだな――どこかでおしゃべりでもして時間潰すか」
「そうだね――ああ、どこがいいか――」
 風紀委員会の息のかかっていないところ――。
「でも、そうかと言って情報特捜部にほいほい遊びに出かける訳にはいかないね」
 昴河がいった。
 つまり――(風紀委員会に抵抗している団体は逆に怪しまれる)ということである。
「ああ、そうだな。わざわざ志保に逢うのなんて真っ平ゴメンだ」
「じゃあ……第二購買部はどうかな?」
「購買部? まぁ、確かに中立といえば中立だけど……」
「浩之!」
 慌てて浩之は口を塞いだ。
「だけど、まぁ購買部か。あそこなら――見てても飽きないしな」
「写真が入っているかもしれねーし」
 ニヤリと浩之が笑う。
「まぁ、あそこなら多分大丈夫だろ。――放課後、行くか」
 浩之の提案にその場にいた三人――佐藤雅史、昴河晶、八塚崇乃は頷いた。


 ――第二購買部
「今月も黒字……と」
「最近絶好調だねー」
 理緒が電卓を打ちながら帳簿をつけていたbeakerの背後から顔を覗かせた。
「そうですね、一般生徒の需要がやや減少していますが、風紀委員の一括注文が
たびたび入ってくるのが大きいですねぇ」
「風紀委員か……わたし、あんまり好きじゃないなー」
 理緒が屈託なく笑いながら言う。
「好きじゃなくても親の仇でも客は客。お客さんを差別してはいけませんよ」
「はぁ〜い!」
 そう言って理緒は学生鞄を引っ掴んで、
「お先に失礼しま〜す!」
 と飛び出した。
 これから別のアルバイトだそうだ。
 良くやるなぁ、とbeakerは苦笑した。
 そして帳簿を付け終わって金庫に仕舞う。
 さて、後は閉店するだけ、と……
 そう思った時に、客がきた。

「あ、いらっしゃい……」
 飛びこんで来たのは普段良く一緒に行動している男四人――プラスHMが一機。
 四人は入るなり、店中をうろうろと動き回った。
 まるで人を探しているかのように。
 やがて、店に誰もいないと判るとホッと息をつく。
 どうにも――物を買いに来たのではなさそうだ。
「これはまた――どうしました?」
「あ、beaker。聞いてもいいか?」
「何でしょう?」
「この部屋に――盗聴機が仕掛けられている可能性はあるか?」
「盗聴機? ……今ならご奉仕価格で1500円ですけども」
「違う違う」
 浩之は手を横に振って否定する。
「この部屋にどこかの盗聴機が仕掛けられている可能性があるか、って聞いてるんだ」
「ここに? 盗聴機が? ……そんなことするメリットなんぞありませんからねぇ」
「そりゃそうだけどな――」
「それについこの間、月末恒例の棚卸をやったばかりですからね。盗聴機があったのなら
その時見つかるでしょうし、これまでに見つかっていたら――用心はしますよ」
「つまり、今まではないんだな?」
「ですね」
 ようし、と呟いて浩之は三人を振り返った。
「聞いただろ? ここなら安心して喋れそうだ」
「助かったよ。筆談は結構面倒だからな――」
「ああ、beaker!」
「はいはい」
 浩之は再びbeakerの方に向き直る。
「言うまでもないけど、これからのお喋りの内容は――他言無用だぜ?」
「判りました――はい」
 beakerが手の平を浩之に差し出した。
「何だよ?」
「部屋の使用料を」
 ちぇ、と舌打ちした。
「夏目漱石さん、一枚でいいか?」
「ごゆっくりどうぞ」
 beakerは浩之から千円札一枚を受け取ると、
 カウンターに座りこんで、本を読み始めた。

「ようし!」
 浩之たちは思い思いの場所にもたれかかって話を始めた。
「昴河」
「ん?」
 雅史が昴河に話し掛けた。
「この間言った例の件なんだけど――本当に大丈夫?」
 言うまでもなく姉の千絵美の護衛についてである。
「大丈夫。大丈夫。僕の知り合いに任せておいてよ」
「でも――」
 雅史は目を伏せた。
「いつ来るか判らない誰かから身を護るのは――難しいと思う」
「心配しないで」
「うん、信じてるけど――」
 昴河は余程自分の知り合いについて言ってしまおうかと思った。
 彼等は暗殺のプロなんだと。
 暗殺のプロなんだから――どこで誰が襲ってくるのかすぐに判ること。
 でも、それを言ったら――
 間違いなく、何かが壊れる。
 昴河も目を伏せた。
「最近、夢を見るんだ――」
 雅史は夢の内容を洗いざらい喋った。
「僕の勝手な心配なんだろうけど……」
「雅史、考えすぎだ。大丈夫だって」
 浩之が雅史の肩を叩く。
 雅史は弱弱しくつんのめった。
「うん、それは判っているけど――ただの考えすぎだってことは――」

「ああ、それはいけませんねえ」

 思わぬところから声がした。
 全員がその方向へ振り返る。
「beaker……?」
「いけませんねぇ、それは――憑いてます」
「憑く?」
「ええ、性質の悪い鼠が――妖怪がね」


「妖怪?」
 全員が素っ頓狂な声を出した。


「そう、鉄鼠――てっそが」
「あ、どこかで聞いたことが――」
 その手のものに結構知識を持つ昴河がいった。
「そう、とあるミステリー作家がこれを題材にして小説を書いてますね」
「でも、その鉄鼠が――何で僕に?」
「ああ、今の言葉は余り正確じゃありませんね。ここでいう妖怪とは
リーフ学園においてありふれすぎている千変万化魑魅魍魎の類ではなくて――
強いて言うならば、その時々の状態・情景を妖怪、という形に押しこめて
表現したもの――とでも言うべきでしょうか」
「訳判らねぇぞ」
「まあ、その内判りますよ。さて、雅史さん――」
「うん」
「部分部分内容を聞いたところによると、あなたのお姉さんが――
狙われているそうで」
「え、うん、まぁ……」
 雅史は――チラリと浩之を見た。
 浩之は頷く。
「他言――無用だよ?」
「判ってますって」
 雅史は今までの展開をかいつまんで喋った。
 志保のこと、ディルクセンのこと、彼が言った脅し文句、
こちらが取った手段、その他――
 beakerはいちいち、うんうんと頷きながら話を聞いた。
「という訳なんだけど――」
「なるほど。それは――いけません」
 先ほどと同じ言葉を繰り返した。
 beakerは昴河を見てため息をついた。
「昴河さん、余りにも――短絡すぎますよ。これじゃあ雅史さんが怖がるのも無理はない」
「え!? で、でもさ。お姉さんを護るにはこの方法しか――」

「あなたがそうやって、お姉さんを別の力で護ろうとするから、
雅史さんは不安になるんじゃないですか」

「――?」

「つまり――あなたのお知り合いがお姉さんを護る、ということは
     . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
すなわち、お姉さんが襲われるという仮定を事実として確定させることに繋がるんですよ」

「あ……」
「未遂に終わろうが終わるまいが、お姉さんが襲われるということを事実に
してしまったのなら、雅史さんが怖がるのも無理はない」
「で、でも――」
「第一そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
「え?」
 全員が声を揃えて疑問の声を発した。
 beakerは続ける。
           . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 
「ディルクセンさんが、雅史さんのお姉さんを襲うなんてありえない」

「え!?」
 再び全員が声を揃える。

「そんな馬鹿なことを――するほど彼は愚かではないと思いますよ」
「だけど――あいつなら」
「やりかねないと?」
 雅史は無言で頷いた。
「ふむ、そうですか。これは――根深いですね」
 beakerは顎を擦った。
「ならば――僕にお任せ願えませんか?」
「?」
「僕が――結界を張ってあげましょうか」
「け……っかい?」
「無論」
 コホンと咳払いする。
「それ相応の料金は頂きますよ」
「結界とは――?」
「今から張りますよ。どうです?」
「……いくらで?」
 そうですねぇ、とbeakerはしばし熟考する。
 先ほど帳簿をつけるのに使用していた電卓を取り出す。
「これくらいで――?」
 覗きこんだ浩之が、げ、と漏らす。
「お前――これは、ボリ過ぎだと思うぞ……」
 その浩之の言葉にbeakerは平然と、
「そうですか?」
 と答えた。
「そうだなぁ……これくらいでどうだ?」
「うーん、じゃあ、これでどうでしょう?」
 電卓を雅史に見せる。
 雅史はしばし考えたが――
「それで、結界を張れるなら――」
 と頷いた。


「さて、その前に――雅史さん」
「うん」
「夢を見ると言いましたね?」
「うん――」
「その夢は怖いんですか?」
「少しは怖いけど――それよりも、厭なんだ」
「厭?」
「そう、何か知らないけど無性に――厭だ」
「そうですか」
 beakerは立ち上がった。
「さて、雅史さんの夢見を良くして、鉄鼠を落とす方法はただ一つ――」


「ディルクセンさんにスパイの話を断ることですね」


「あのな」
 浩之が呆れたように言う。
「それじゃあ解決にならねーだろうが」
「へえ? どうしてですか?」
「雅史は姉貴が――人質に取られているんだぜ?」
「お姉さんは無事なのでしょう?」
「だけど――襲われる、と脅迫されているんだ」
「襲われたらどうなりますか?」
「え?」
「お姉さんが襲われて、子供が――流産してしまったとしましょう」
 beakerは不吉なことをさらりと言った。

 . . . . . . . . . . . . .
「ではその結果どうなるんです?」


「どうなるって――そりゃ、雅史が――」
「そう、雅史さんが傷つきますよね。そうして当然加害者である風紀委員を恨むでしょう。
当然雅史さんが狙うのは――命令を下したディルクセンさんです」
「……」
「刺し違える覚悟でいったら、所詮アマチュアの風紀委員に防げるはずもないでしょう。
ディルクセンさんが死んで風紀委員のこれまでの実績は崩壊、と」
「あ、そうか。雅史のお姉さんを傷つけるということは、すなわちディルクセンの
命も危うくなるって訳だ!」
 八塚が真っ先に気付いた。
「そうですそうです」
 にこやかにbeakerは頷いた。
「だから、雅史さん。――あまり、自分を責めるのはお止めなさい」
「え?」
「もし仮にお姉さんが傷ついたとしても、悪いのはディルクセンさんであって、
あなたじゃない――ご自分の選択がお姉さんを傷つける訳じゃないのですよ」
「ど、どういう――?」
「鉄鼠とは己の心の疚しき部分に食らうもの――」
 雅史にbeakerがそろそろと近付く。
 雅史は思わず退こうとして、止めた。  . . . . . . . . . . . . . . . .
「いいですか? あなたは被害者なんです。姉が流産したら裏切った僕のせいだ、
なんてことを思っているからそんな夢を見るのです」
「あ――」

 じゃあ、じゃあ夢の中で追い詰められているのは、

 夢の中で自分を追い詰めているのは、

「あれは――僕?」
「そうです、それはあなたなんです。不当な罪悪感を抱えるのはもうおよしなさい。
あなたの取るべき行動は間違っていない。そして解放されるには――」


「ディルクセンさんにスパイの話をキッパリと断ることです」


「うん、うん、判ったよ。やっぱり――こんな事をしてはいけないんだ」
 雅史は拳を握り締めた。
「明日、彼に逢ってキッパリと断ってくる。何を言われても――もう、恐れない」
「明日と言わず、今からでもどうです? ちょうど――案内役もいますし」
「案内役?」


 beakerが大声で叫んだ。
「松原さん、そこで覗いていても声が聞き取りにくいでしょう!」
 見ると、かすかにドアが開いていた。
 そこから目が覗いている。
 覗いていた目は声にビクリと反応して――
やがて、観念したかのようにドアを開けて堂々と入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「松原……美也」
 昴河が呟いた。
 一瞬、恐れた表情を覗かせた美也だったが、今では既にいつもの勝気な
顔を取り戻していた。
「こんな遅くまで何を喋っているのかしら?」
 浩之が進み出る。
「お前には関係ねーだろ。ただの……世間話さ」
「あら」
 ころころと松原美也が笑う。
「今しがたあなたのお兄さんのところに向かおうとしていたんですよ。
まだ――学内に残っているのでしょう?」
 beakerが浩之を庇うように進み出る。
 二人が、対峙した。
「そう言えば――あなたとこうして向き合うことは今までなかったですね」
「そうですねぇ。ですが僕は結構あなたの事について良く知っているつもりですが?」
「へえ」
 冷笑を浮かべる。
 昴河はこの笑みが無性に嫌いだった。
「市井の噂は――所詮、話半分で信じた方が賢明ですわよ?」
「ですねぇ。こうして話していると――やはり、あなたはディルクセンさんとは違う。
もっとも僕は――ディルクセンさんとそれほど話した訳ではないのですが」
「あなたにまで構っている暇はないのよ。私たちには」
「強気ですねぇ、構っている暇がないんじゃなくて、単に構いたくないだけでしょう?」
 フン、と松原美也が鼻を鳴らした。
「私たちが本気になれば――三日でこの購買部、潰してみせるわよ」
 強気な物言いにもbeakerは全く柔和な仮面を崩さない。
「うひゃあ、それは困りますねぇ」
「だったら――私たちには」
 逆らわない方が賢明だ、と続けようとする。
 しかしbeakerは彼女の言葉の続きを遮る。
「そのスタンロッドの最新版が手に入らなくなる」
 はっと息を呑んで思わず美也は自分の腰にあるスタンロッドに手をかけた。
「そのスタンロッド、アメリカのあるセキュリティ会社専用の武器をやっとの思いで
手に入れたって言うのに、最新版が手に入らなくなるなんて残念だなぁ」
「くっ……」
 美也が歯噛みした。
「なぁに。あなたほどのやる気があれば充分ですよ。結構面倒な作業ですし、
風紀委員の片手間にやれるほど楽ではありませんが。それもまた人生です」
「……」
 美也は完全に沈黙した。
 購買部のような店は誰にでもやれる。
 しかし――むしろ重要なのは商品を売るということではない。
 如何にして商品を手元に持ってくるか――流通である。
 風紀委員とはいえ一介の高校生が手出しできる範囲ではなかった。
 それに購買部は――特に敵対している訳ではない。
 一般生徒も利用している学園の施設だ。
 それを潰したら――さすがに一般生徒から不満が起きるだろう。
 勝てない。
 学園の統治が目的である以上、購買部は切り離せないパーツの一つだ。

「さて。では――ディルクセンさんのところに案内してもらいましょうか?」
 下を向いた美也にbeakerがいった。



 ――風紀委員会議室
「兄さん――」
 ディルクセンは一人だった。
「何だ? 美也、お前もう――」
 帰るんじゃなかったか、と言おうとして言葉が止まる。
 美也の次にやってきたのは佐藤雅史。
 それから――こちらの方が驚いた。
 見慣れた制服に真っ黒いコートを着る。
 それだけなのにまるで――身体全てが黒く染まっているようだ。
「貴様は……?」
「どーもー、第二購買部のbeakerと申します。風紀委員会の皆様には
いつもお引き立ていただいております」
 へこへこと頭を下げる。
「ああ、うん、それで」
 ディルクセンは意外な闖入者に驚きを隠せないでいた。
 だが、すぐに立ち直ると平静を装っていう。
「それで、佐藤。何か――用かね?」
「これをお返ししようと思って」
 そういって雅史は胸ポケットから――盗聴器を取り出した。
「ほう」
 誰かが――余計な知恵をつけたか?
「いいのかね? 君は――」
「どうぞお好きに。あなたが僕の姉や友達を傷つけると言うならば構わない。
だけど――」


「誰か一人でも傷つけたら――あなたと刺し違える覚悟です」


「君は……自分が何を言っているのか判っているのか?」
 拳が握り締められる。
 ぷるぷると小刻みに震える。
「判ってます」
「君は――君のお姉さんが傷ついてもいいと言うのかね!?」
「良くありません。だから――」


「刺し違える覚悟だと言ってます」


 ディルクセンの顔を真っ直ぐに見据えた。
 あれほど冷徹で、瞳を見れないほど怖かったディルクセンは――
 意外に普通だった。
 ああ、そうか。
 あの時僕は――鉄鼠に心を食われていたんだな。
 もう、それほど怖くはない。

 ぱちぱちぱち、と突然拍手が起きた。
「beaker……」
「いやいや、良く言いました雅史さん。これでもう大丈夫ですよ。
さぁ、ここからは――僕の出番ですので」
 beakerは雅史に退出を促した。
 少し戸惑ったが、雅史は一礼して部屋を出ていった。
「さて――」
「少々、お話しましょうか」
 曇り空からゴロゴロ、と雷が鳴った。


「佐藤に余計な知恵をつけたのは貴様だな?」
「余計な知恵とは失礼ですねぇ。僕は彼に取り憑いていたモノを
落としただけで」
「そんな事はどうでもいい。だが――正直驚きだよ」
 せせら笑う。
「貴様が人の為に動くとは思いもよらなかった」
「あはははは、かいかぶりすぎ、という奴ですね。
僕はちゃんと――依頼料を貰ってます」
「ふん、たった一人の依頼人の為に大口顧客を潰すのが貴様の
商売人の道徳か?」
 おや、と不思議そうな顔をするbeaker。
「大口顧客? はて……どうしてこんな事で潰れるんでしょうかねぇ」
 ディルクセンはダン、と机を激しく叩いた。
「貴様! 風紀委員に余計な茶々を入れて貴様の購買部に客になっていると
でも思っているのか!」
「思っていますよ」
 平然と言い返す。
「だって、僕は――あなたの命の恩人ですから」
「何だと?」. . . . . . . . . . . . . .
「雅史さんが命を狙う危険性を断ってあげたじゃないですか。
それは感謝してもらわなくちゃあ」
 ディルクセンは絶句した。
「あなたは――言葉を言葉としてしか使わなすぎる」
「何?」
 突然訳の判らないことを言い出すbeakerにディルクセンは
疑念の目を向ける。
「あなたは仮にも風紀委員の実力者、あなたが放つ言葉はそこらの
一般生徒より、遥かに威力が上だ。そこらのチンピラが言う「殺す」
とあなたが言う「殺す」が――全く価値が違うように」
「あ、当たり前だ」
「いいや、あなたは判ってない。自分の言葉が巡り巡って――」

 . . . . . . . . . . . . 
「自分を傷つけるということすら判らなかったではありませんか」


「自分を――」
 ディルクセンは徐々に彼の言葉に引き込まれていく。
「いいですか。千絵美さんの姉は弟がリーフ学園に通っているということ以外、
全く学園とは無関係です。そんな人をリーフ学園のトラブルに巻き込むということは――」


「外部からの干渉をリーフ学園に許すということです」


「な……に……」
「この学園は言ってしまえば檻です。我々は檻の中の獣。
獣には獣なりの道徳があり、ルールがある」
「そうだ、だから――」
「統一しなければと?」
 beakerがせせら笑った。
「まあ、それについてはとやかく言いません。問題は――
檻の獣が外の人間に危害を加えちゃぁ……駄目でしょう」
「だが――」
「過去、いくらでも同じような事態はあったと?」
「そうだ! 今更――」
「そうですね、ですが今回のは決定的に動機が違います。
今までのは多かれ少なかれ――たまたま、巻き込んだという
形がほとんどでした。言ってしまえば――アクシデントだ」
 そうっとbeakerがディルクセンに近付く。
「だが、今回あなたはご自分の意志で傷つけようとしている。
勿論、あなたが言っているのは脅し文句だけだと僕は承知していますが」
「私は本気だ!」
「ほほぅ」
 beakerがまた――笑った。
「本気で考えたと? それはおかしいですね、本気で考えれば考えるほど
この手の脅迫は――上手くいくはずがないという事があなたにも判るはず」
「だが――」
「一時的には効果があったと? ふふふ、それでは最近――胃薬の量が
増えているあなたは何なのです? あなたは無意識にご自分に鉄鼠が憑いていた
ことが判らなかったようだ――」
「てっ……そ?」
「あなたの中に巣食う鉄鼠はもういない。雅史さんに憑いた鉄鼠を祓った時から」
「訳が……判らない」
 たどたどしい言葉を繋ぐ。
「それでもいいでしょう。僕が依頼されたのは雅史さんだけだ。
あなたに懇切丁寧に説明する義務はない。ただ――」
 

「学外の人間に手を出すのはお止めなさい。あなたが思っている以上に、
僕が知っている以上に、この学園の外の――闇は深い」


「中ではなくて――外が?」
「外ですよ」


「あなたは外に手を出そうとしている」
「だが――だが、お前は何なんだ? お前こそ外に――繋がっているじゃないか」
 beakerは机に手を掛けた。
 そして言う。
「いいですか、この学園は――天秤です。風紀委員会、ジャッジ、エルクゥ同盟、
ダーク十三使徒、etc……これらの組織を皿としましょうか」


「そして、あなた達が重りです」


「あなたは風紀委員会の皿に自分や美也さんという重りを載せた。
広瀬ゆかりという重り一つだった風紀委員会は一時的に――その皿
を深く沈めることができた」

「……」

「しかし、それは――天秤全体からすれば些細な揺れに過ぎない」

「私のやっている事は全くの無駄だと――?」
「そうは言いません。あなたのやっている事が間違いかどうかは――
あなたと後世の人間が判断することです。だけど、ここで外の異物を加えよう
とするのは――愚かだ」

「内側だけで……済ませろと?」
                       . . . . . . . . . . . . .
「そうです。僕たち購買部はその為にあるんです。外の重りを運び入れるために」
 しばし、ディルクセンは考える。
「つまり、貴様は――敵対するつもりはないと?」
「そもそも敵対という存在ですらありません、ウチはね。
確かに組織立ってはいますが、僕らはあなた達とは全く違う存在です」
「重りを運び入れるのに――意志は関係ない、ということか?」
「そうです。僕は外と内の指示に従って――ただ、運ぶだけです」
「そうか――」
「そうです」


 沈黙する。
 窓に叩きつけられる雨の音が部屋に響く。
 beakerはそれっきり押し黙った。
 ディルクセンも無言だった。
 美也は――喋れなかった。
 ここに、自分はここに――居てはならない。

 何故だか強烈にそう思った。








 ――翌日
「ふぁぁ……あれから雅史どーなったんかなぁ……」
「雅史ちゃんがどうしたの?」
「うわっ!」
 浩之の呟きを耳ざとく聞きつけたあかりが駆け寄ってくる。
「いや、何でもねぇ」
 やっぱりついていくべきだったんだろうかなぁ……
「おはようっ!」
 爽やかな声で二人に声を掛けた。
「雅史!?」
「雅史ちゃん、おはよう!」
 二人の目の前にいつもより当社比二倍爽やかな顔をして、
雅史がやってくる。
 浩之はあかりに聞かれないようにそっと耳打ちする。
「雅史、昨日の……どうだった?」
「うん。もう夢は……見ないよ」
 そう言って、にこりと笑った。
「そうか……うん、そうか……うん」
 あかりがそんな二人を不思議そうに見つめる。
「どうしたの、二人とも?」
「いや、何でも……な」
 ニヤニヤと笑いながら浩之がいった。
「そうだね」
「えー、ズルいーっ」
 あかりが両手を振って抗議の意思を見せる。
「ま、めでたしめでたしって所さ、な?」
 バンバンと雅史の肩を叩いた。
「さて、んじゃ……遅刻しねーよーにとっとと行くか」
「うん!」


 ――翌日の第二購買部
「おはよーございまーす!」
「朝から元気ですねぇ……ふあぁ」
「beakerくん、眠たそうだねぇ……どうしたの?」
「なぁに……昨日ちょっと働きすぎたんです。今日は疲れたのでここで寝ます……」
 カウンターに突っ伏したまま手を振った。
「授業はどうするの?」
「自主休講……」
 言葉が途切れる。
 見ると、本当にbeakerは眠ってしまっていた。
「あっきれた……」
 理緒がだめねー、と言わんばかりに肩を竦めて首を振った。




<了>

===+++===
うわ、クソ長い……何やねんコレ(笑)
えーとですね、これは風紀動乱関係のLです。
何が言いたかったかとゆーと、えーとね、「中立」だと(笑)
ウチには正義も悪も権力も何にも関係ありませんゆえに。
鉄鼠の檻の影響を凄まじく受けておりますなぁ、それにしても。