グラップラーLメモ第十一話「生きることに賭けるか? 死んだように生きるか?」 投稿者:beaker
シュッ! シュッ! シュッ! 
何も無い空間に拳が空気を切り裂いて突き出される。
ぽたぽたと垂れ落ちる汗。
それがコンクリートの床にわずかながら染みを作り始めていた。
その染みを作り出すのは来栖川綾香。
綾香は目前に迫った坂下好恵との対決に余念が無かった。
他の人間の試合時間は別としてその合間合間、全てシャドーに費やしていた。
格闘技部の彼女とのスパーリングを思い出し、仮想の彼女を作り出して闘う。


どんな攻撃が有効だったか?


どんな攻撃が得意だったか?


どういう風に動くのか?


ありとあらゆる可能性を考え、ありとあらゆる手段を講じていく。
そうした積み重ねが今から闘う好恵への不安を徐々に取り除いていった。
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
大昔に作られたこの言葉が彼女の精神を支えているのだ。
そんなシャドーを続けながら、彼女は待った。
もうすぐ始まるはずの闘いを。
「…………すごい、です」
そんな綾香を呆然と見守る葵。
綾香は先ほどから動きっぱなしだった。
汗はかいている、だがそれはあくまで運動に伴って吹き出す汗であり、
綾香自身はまるで疲れた素振りは見せていない。
事実汗はかいているものの、息はまったく切れていなかった。
十分前、
彼女は試合開始十分前までこうしているつもりだと言った。
もうすぐタイムリミットが近づいている。
葵は壁に掛けられた時計をちらと見た。
十分前だ。
葵はその事を綾香に伝えた。
ビデオの早送りのように動き回っていた綾香は今度はぴたりと静止する。
構えを騎馬立ちに戻す。
すうっと息を吐き、目を閉じる。
「ふう………葵、タオル取ってくんない?」
そう言って綾香はタオルを受け取ると顔に流れる汗を拭いた。
すっきりした顔でパイプ椅子に腰掛けると、葵に笑いかけた。
「あら、私より緊張しているみたいじゃない?」
葵は「え?」という顔をした後、慌てて弁解した。
「い、いえ! 私は、その………やっぱり緊張します」
肩を落とす葵。
そんな彼女を見ている綾香の表情はどこまでも優しかった。
「ねえ、葵。好恵の方を見てきてくれない?」
肩を落としていた葵がはっと目を覚ましたように綾香の目を見つめた。
「坂下先輩を………ですか?」
「そーそー、ちょっと偵察に入ってきてくんない?」
「て、偵察!?」
「うーんちょっと言い方が悪かったかなあ?」
綾香は小首を傾げた。
「とにかく、好恵の様子を見てきて欲しいのよ。お願いっ」
両手をぱんと顔の前に合わせる。
葵は少しの間逡巡したが勢いよく頷くと控え室を飛び出していった。
タッタッタッタッタ・・・
綾香は葵の背中を見送るとふうとためいきをついた。
「さあ、好恵。あなたは今何をしているのかしら………?」
そう呟いた。



beakerと沙留斗はノックをして好恵の控え室に入った。
好恵は床にペタリと両足を広げている。
体操選手と遜色無い柔軟さだ。
「……いつから、新体操に転職したんですか?」
beakerはクスクスと笑いながら好恵に話し掛けた。
好恵はジト目でbeakerを睨み付け……ようと思ったがbeakerの顔を見て唖然とした。
「あんた、この一週間何をやってたのよ? 随分痩せたわねえ」
好恵の言う通りだった。
beakerはこの一週間ほとんど、と言うよりまったくLeaf学園に姿を表していなかった。
多くのものは彼がこのイベントの準備で走り回っているものと思っていた。
実際あちこちに走り回るbeakerを不自然なほど見かけたものだった。
ただ見かける割には誰もほとんど彼と落ち着いてしゃべった人間はいない。
好恵でさえもだ。
それだけに久しぶりにじっくりと顔を見たbeakerはすっかり頬が痩せこけていた。
いや、痩せた、と言うより鋭くなった、と言ったほうが正しいのであろうか。
全体の雰囲気が鋭くピリピリとしているように好恵には感じられた。
それはもしかしたら一流の格闘家である好恵ならではの勘だったのかもしれない。
だが好恵に不信そうに見られたbeakerは少し咳払いをすると、
いつものフワッとした雰囲気を取り戻していた。
気のせい………と好恵は思い込もうとした。
もう一度beakerの顔を見て、それから瞳を見る。
そこには普段通りのbeakerが存在していた。
ほっとためいきをつく。
「どうも、最近忙しかったもので。ご心配おかけしました」
相変わらずの穏やかな物言い。
「そんな事より調子はどうですか?」
beakerが好恵に話を振った。
話をはぐらされた感があった好恵だがともかく答える。
「悪くはないわ」
控えめにそう答えた。
「……何か不安だな、その答え」
沙留斗が訝しげに言った。
「悪くは無いって事は良いって事でしょう、そうですよね?」
beakerが好恵の気持ちを汲み取って答える。
好恵はその質問に答える代わりに一つのアイデアを思いついた。
「沙留斗、あんた確か八極拳やってたわよね?」
「え?」
突然話を振られた沙留斗は戸惑う。
「あ、ああ。確かに八極拳ならそれなりに、な。でもそれが?」
「私とちょっと変わったトレーニングやってみない?」
「変わったトレーニング?」
「ま、いいからいいから」
なし崩し的になぜか好恵の前へ立たされる沙留斗。
「これで何をしろって?」
「とりあえず構えて頂戴、ね?」
言われて沙留斗はとりあえず普通に構えてみた。
すっと好恵は普段よりかなり近づいた。
確実に二人が互いの間合いに干渉できる距離で止まる。
「今から私はあなたの顔面に正拳突きをするわ。いい? ガードして」
「え?」
と言った瞬間だった。
すでに好恵の拳は沙留斗の顔面すれすれで寸止めされていた。
「あ………」
「次は前蹴りで鳩尾、いい?」
今度は素早くガードした………はずだった。
ピタッ。
ガードを潜り抜けてしっかり好恵の足が沙留斗の鳩尾寸前で止められていた。
さらに………


「手刀……」
外せない。


「貫手……」
外せない。


「裏拳……」
外せない。


「足刀…!」
やはり外せない。


沙留斗は残りの攻撃をありとあらゆる方法で逃れようとした。
ガード、スウェイバックや捌き、カウンターまでも使おうとした。
が、徒労に終わった。
「ど、どうして外せないんだ……?」
愕然として沙留斗が独り言を呟く。
「そりゃ経験の違いでしょうね」
壁にもたれかかって見物していたbeakerがようやく声を掛ける。
「経験……ですか?」
沙留斗がbeakerの方へ向き直る。
「私はね……もう十年以上も空手の基本練習を欠かしたことが無いのよ」
「十年……」
「綾香と出会ってから倍、葵に会って、そして負けてから三倍に増やしたわ」
「すげ……」
「実戦経験ならばトレジャーハンターたる沙留斗の勝ちかもしれませんが、
日々の積み重ねという点において好恵さんは沙留斗や僕をはるかに凌駕しますからねえ」
やれやれという風にbeakerは肩をすくめて首を振った。
「さ、無駄話してたら遅刻しちゃうわ。……行きましょ」
タオルを首に巻いたまま、好恵がそう言って控え室を出た。
「では………」
続けてbeakerも控え室を出る。
沙留斗も続いて出ようとした、が、ひょっこりbeakerが控え室のドアから顔を覗かせて言った。
「ちょっと沙留斗はここで待っていてくれますか?」
「え?」
「それでは」
ガチャン
閉められたドアを沙留斗はきょとんと見つめていた。


beakerは好恵と並んで歩いていた。
「好恵さん……」
「ん………?」
「前から聞きたかったことがあるんですが」
「なに?」
「どうして格闘技部に入部したんですか?」
「………」
「確かにこの学園には空手部はありませんが、普段習っている道場の練習も減らしているんでしょう?」
「うん……」
「どうして……です?」
好恵はその問いには答えず無言で歩き続けた。
やがて観衆が待つ闘技場が見えてくる。
「まだ……時間があるわね」
好恵とbeakerは観衆に姿が見える場所の直前で待つことにした。
観衆の歓声がまるで別世界のように遠く聞こえてくる。
beakerは無言で好恵を見つめた。
やがて好恵がポツリと言った。
「生きることに賭けるか、死んだように生きるか……」
「え?」
「さっきの質問の答えよ」
「それが答え……ですか?」
「確かにあんたの言う通り、この学園には空手部があるわけでなし、道場の練習を増やせば空手は
続けることが出来るのかもしれない」
「…………」
「でも確実に分かるのよ、それじゃあ彼女には勝てない……って事が」
好恵はふっと闘技場を見据えた。
「綾香や葵なんか放っておけばいい、私は空手をやってればいい、どうせ二人は空手を捨てたんだから…
そう思うのは簡単かもしれない。でもそれは逃げるって事、そして空手が…二人の習っているものより
劣るって事を認める事でもあるの」
「……だから逃げないんですか?」
「私は今でも空手が最強の格闘技だって信じてる、でも葵や綾香がそれを認めないのは仕方が無いのかも
しれない。……だからこそ、認めさせたいの。あの二人に……ね」
「そうだったんですか……」
「大事なのは道場がどうとか空手がどうとかに拘る事じゃない、ようは『わたしが』、『なにを』、
するのかって事。格闘技部だから、とか空手部だ、とかはどうでも良いことなの」
「格闘技部でも私は空手をやっていたつもりよ、そして綾香を、葵を間近で見てきたわ。
だからあの二人がたとえ関節技を使おうが、投げ技を使おうが、対抗できる自信があるわ……空手でね」
「……それに僕が教えたアレもありますしね」
クスとbeakerは笑った。
「うん…………魔法、ね」
「あの一ヶ月……本当に良くがんばったと思いますよ」
「ふふ、あの練習はためになったと思うわ」
「作戦もバッチリですよね?」
「まあ、ね。勝つ為にあらゆる事はやっていくつもりよ」
その時ナレーションが二人の天井から呼びかけた。

『続いての試合は来栖川綾香対坂下好恵でぇ〜す!』
相変わらず明るい志保の声だ。
『選手の二人はとっとと入場してくださいね〜!!』
「では……」
ぽんとbeakerは好恵の肩を叩いた。
「行きましょうか?」
応と気合の声を上げて好恵がまず最初に闘技場に向かった。


綾香は慎重にテーピングを巻きながら、ナレーションを聞いていた。
心配になって見にきていた悠 朔が綾香に声をかける。
「時間だぞ」
綾香は長い髪をきゅうっとゴムで縛り上げた。
ぱんぱんと両の頬を張り、気合を入れる。
控え室を出てすぐの時、葵が綾香に追いついた。
「綾香さん!!」
「葵……好恵はどうだった?」
控え室の様子をこっそりと見ていた葵は慌てて言おうとした。
「え、えとですね、その……」
綾香はクスッと笑って首を振った。
「一つだけで良いわ、一つだけ教えてちょうだい」
「一つ?」
「好恵は強い?」
そう言った。
葵は真剣に頷き、そしてキッパリと言った。
「強いです」
「そ」
一言返事をして、綾香は廊下を歩き始めた。
分かっていた。
好恵が強いという事は良く知っている。
が、それならこれまでと一緒だ。
問題はどこまで強くなっているか、と言うことだ。
格闘技部での若干の基礎運動を別にしてこの数日間好恵と拳を合わせたことも無ければ、
練習を見たことも無かった。
多分、おそらくだが、これまでの好恵との闘いとは完全に別格の闘いになりそうな予感がした。
そしてもう一つ、これまでで最高の闘いになる予感がした。


闘技場のライトがまぶしく綾香の眼を打った。
眩しい……
ゾクゾクしてくる。
震えが止まらなくなってくる。
綾香は気合の声を上げ、ゆっくりと闘技場へ近づいた。
好恵も既に闘技場で待っている。
審判の説明を聞きながら綾香と好恵は互いに互いを観察していた。
そしてボソボソと喋り合う。
「あなたと真剣に闘うのはいつ以来だっけ?」
「以来って事は無いわ」
「ふふ……今日は勿論空手よね?」
「ええ、私流の空手を見せてあげるわよ、存分にね」
二人は互いに顔を見合わせて笑った。
両者とも分かっていたのだ。
今回の闘いは今までの闘いとは違う、と。
「それでは両選手、いったん離れて!」
審判がそう叫ぶ。


『それでは皆さん、第六試合、来栖川綾香対坂下好恵戦をはじめます!』


<つづく〜>


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いつの間にこんなもの書いてんだ自分?(笑)
さて、今回は前哨戦、というか試合直前の二人を書いてみましたがいかが
だったでしょうか?
イメージと違っていたならこちら抗議をお願いします。
そして僕なりのイメージで「何故好恵が格闘技部へ入ったか?」
という疑問にも答えました(どーせ僕しか答える人間いないだろーし)。
ちなみに今回インストールされているネタ(笑)はなにか分かりましたか?
「グラップラー刃牙」「修羅の門」は知っている人が見たら一発でしょうが、さあタイトルは
何から取ったか分かるかなあ?(笑)