グラップラーLメモ第十三話「光の道へ」 投稿者:beaker
ぎり
初代beakerは歯を噛み締めて、トボけた顔をしている孫を見つめた。
「この状況で出すかよ、あれを」
そう言って苦笑する。
「あれ……?」
沙留斗が不思議そうに自分の師匠たる初代に問い掛けた。
「あれとは…………今の技の事ですか?」
「ああ」
「今…………その、一体’何が ’あったんですか?」
「分からないか?」
沙留斗は恥ずかしそうに俯いた。
「その、突然の出来事なんで、一体何がなんだか……」
その沙留斗の頭をぽんと叩く初代。
「恥ずかしがらなくても良い、私でも多分、というだけで絶対そうだという
保証は出来ないくらいだからな」
「はあ…………」
「それくらい見事だったよ、今のは」
「それで一体…………?」
「膝だよ、しかもとんでもない速さのな。それがあの綾香の嬢ちゃんの顎に
直撃したんだ」
「確かに、言われてみればそれしか考えられませんけど…………」
「お前の思っている事は分かるよ、確かに高速なだけなら多分、綾香の嬢ちゃんも
ブロックできたかもしれん」
「もう一つ何かあるんですか? あの猫だまし?」
「ああ…………沙留斗、映画は好きか?」
「映画……ですか?」
何を突然、という顔をしながらも沙留斗は素直に答えた。
「マスターに連れられて時々見に行く事はありますけど……特に好きという訳では……」
「映画のスクリーンは分かるな? あれは何で横に長いんだと思う?」
「へ? い、いや、その…………すいません、ちょっと分かりません……」
またもや俯く沙留斗。
「人間の眼はな、ある一定以上の角度で横に広がったものを見ると
それ以外の物が全く気に入らなくなってしまうんだ」
初代beakerは自分の目を指差しながら沙留斗に言った。
「つまりだ、横長の画面になればその画面の世界に没入してしまうと言う事」
「はあ、で、でもそれと今のと何の関係…………ア…………」
沙留斗は不信そうな表情から一転、驚愕の表情を浮かべた。
ニヤリと笑う初代beaker。
「飲みこみが早いな、そう、横長のもの、つまりあの猫だましだよ。
あの猫だましの後、両手を高速で広げただろう? 普通の人間にはまず見えないほどのスピードだ。
だが、だがしかし…………対戦している当事者である、来栖川綾香には見えた。
そしてそれ以外のもの全てが意識の外に追いやられた。
そこから高速の膝蹴りが顎に飛んできた、これがマジックの正体、という訳さ」
初代beakerはやれやれと言った風に肩を竦めた。
「多分、綾香の嬢ちゃんは’今、自分に、何が、起きたのか? ’それすら分からないはずだ」




「化け物ね…………」
綾香が万感極まったという表情をして、よろよろと立ち上がった。
そんな綾香を見て好恵は苦笑する。
「どっちが’化け物 ’よ。あれ食らって立つ? 普通」
「まったく……こんな事があるなんてね。自分が何を食らったのか、倒れた事すら分からない……
そんな事があるなんて、ねえ? まあ……」
顎をさする綾香。
「想像は、つくんだけど」
「つくんなら、それが正解よ、多分ね」
そう言いながらも好恵はゆっくりと間合いを詰める。
ふう、とため息をつく綾香。
「やっぱり、強いわね、好恵」
かすかに微笑みさえ浮かべながら嬉しそうに言う綾香。
好恵はその表情にゾクリとしたものを感じた。
「やっぱりあんたが’化け物 ’よ」
冷や汗かそれともハードな運動によるものなのか、汗が好恵の額から滴り落ちる。
「じゃあ……行くわよ!!」
叫んで好恵は一気に間合いを詰めた。
綾香を横蹴りで打ち抜こうとする。
だが、脚が突然跳ねあがって無防備な綾香の頭を襲った。
『横……いえ、踵落とし!』
綾香も両手を交差させて頭を防ごうとする。


ガシィッッッ!


ギリギリで踵が脳天を襲うのを防げた、と思った瞬間、
顎に再び衝撃が襲ってきた。
さっきからの断続的なショックに脳が震え、思考が混乱する。
好恵は踵落としに切り替えた瞬間、そのまま残りの軸足で飛んで、顎に蹴りを食らわせたのだった。
一回転して着地する好恵。
『サ、サマーソルト!?』


止まらなかった


好恵はふっと何のフェイントも無く、正拳突きを綾香の顔面に向かって放った。
咄嗟に防ごうとした綾香だったがその動きがピタリと止まる。
遠慮無く、好恵の正拳が綾香の顔面を襲った。
「つぅっ!!」


「今のもマジックだ」
「え? 今のはただの正拳では?」
「先ほどからの連続攻撃が尾を引いているんだよ、’何か ’が来る、そう思っているから
ただの正拳突きがマジックになってしまう」


再び正拳突き――と見せ掛けて前蹴り
ヒット
「グッッッッッ!!!」


「――虚と見せれば実、実と見せれば虚。一旦穴に嵌れば二度と抜け出せない――」
懐かしいものでも見るかのように初代beakerは呟いた。


「それがあやつの’魔法 ’。わしがヤツに教え、ヤツがあの嬢ちゃんに伝えた――な」
「師匠が…………?」
「まあ教えたと言うよりもあの狐男が一方的に私から盗んだんだが……」
呆れたように呟く。
自分の孫の事を狐男呼ばわりする師匠に沙留斗は思わず苦笑した。
が、その師匠の顔色がわずかに動揺する。
「ん? ……風向きが変わったみたいだな」
その言葉に慌てて闘技場を見る。
確かに。
先程まで一方的に攻めたてられていた綾香が今度は一方的に好恵を攻めている。
「たああああああああああああああっっっっっ!!!」
ローからミドル、さらにそのままハイキックへと繋ぐ凄まじいコンビネーション。
さらに右、左へと振り分ける事で好恵を翻弄する。
(まだ、力が残っていたの……ってヤバッッ!!)
綾香は好恵の膝にぽんと自分の足を乗せた。
「え?」
思わず硬直する好恵。
綾香はぐっと膝を踏みしめ飛翔する。
そのままもう片方の膝で好恵の顎を殴り上げた。
「ガフッッッッッ!!」
思わず顔を仰け反らせる好恵。
綾香はそのまま空中で彼女の顔面を掴み、頭からはたき落とそうとする。
だが、好恵は四肢に力を込めて踏ん張ると、仰け反った顔面を押し返した。
着地して距離を取る綾香。
「すっげえええええええええ!!!!!」
叫ぶ観客達。
beakerも思わず口笛を吹いていた。


「よし、綾香!! このまま一気に反撃――」
悠 朔が叫ぶ。
「――出来んよなァ、やはり」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
がくりと片膝を突く綾香。
「あれだけのラッシュを食らった後にあれだけの反撃をする事自体、既に人間の領域を
越えていると言っても良いのだが――さすがにあれ以上は身体が精神に追い付かんらしいな」
「坂下の方は…………?」
「あっちもそれなりにダメージを食らっているみたいだな、もっとも綾香の嬢ちゃんの方ほど
深刻ではないがね」
やがてゆっくりと好恵が顔を上げた。
「つぅーー、やっぱりアンタは化け物よ、こっちに’魔法 ’を使わせる暇さえくれないんだから」
「まぁ……単純な……発想よ……あんたが、その、妙ちきりんな技を使う前に
こちらが技を出せば食らう事は無いもんね」
息を切らせながら答える綾香。
「参ったわね、盲点だったわ……」
そう言ってちらりとbeakerを見る。
その視線に気付いたbeakerはさてねえ?とばかりに肩を竦めた。
「まったく、あんたの彼氏には参るわね――、厄介なモノを教えちゃって……」
綾香はそう言いながらゆっくりと呼吸を整えた。
顎の痛さに加えて、先程の正拳突きによる頬の痛みもキツい。


次


そう、綾香はふと’次 ’の事を考えた。
チラリと好恵を見る。
好恵の方も確実にダメージを負った筈なのに、彼女は全く意に介していないようだった。
やがて、彼女は自分と好恵の意識の差に気付いた。

自分は次、次の試合の事を考えている。
次の試合の更に次、そのまた次……
結局次を考えているという事は優勝などと言う遠い未来まで夢見ているに過ぎない。
大事なのは今、そう、好恵はそれが分かっている。


――今一時、この瞬間を大事にするために――


――その為に私達は闘っていた――


――そうよね? 好恵――


最初にその変化に気付いたのは好恵、次がbeakerだった。
「闘気が…………変わった?」
違う、殺気に変わったわけではない。
「集中…………しましたねえ」
そう、闘気が一点、好恵に叩きこまれていた。
ピリピリと肌に電気のようなものが伝わる。
痺れる。
「…………これよ、これを待っていたのよね、私は」
好恵はかすかな身体の震えと恐怖を感じながらも、表情は冴え渡っていた。
beakerをチラリと見ると、彼は参ったと言わんばかりに頭を掻いている。
(参りましたねえ、計算違いでした……)
今にもそう口を開きそうな顔だ。
心配無いわよ、beaker。
その計算、もう一度引っ繰り返してあげるから。
睨み返す好恵。
そして…………


「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「たああああああああっっ!!」
『同時に動いたっっ!!!!』


好恵はミドルキックを放った。
一歩退いて綾香はかわす。
そのまま好恵はくるりと回転して背を向けると、空中に跳んだ。
サッカーのオーバーヘッドキックの要領で綾香の脳天目掛けて、蹴りを振り下ろす。
「身体の陰に隠れて見えない蹴り――この魔法を……」
綾香はギリギリで避けると、無防備な背中をさらけ出した好恵の腰を両腕でロックした。
「……かわすとはねぇ」
苦笑するbeaker。
『まさか、出るか!? ジャーマンスープレックス!!』
綾香はそのまま見事なブリッジを描き、好恵を床に叩き付ける――かに見えた。
が、好恵は綾香の両肩に自分の手を乗せ、さらに彼女の両膝にも足を乗せた。
勢いをつけて跳びあがる好恵。
くるりと一回転して着地する。
「ふうっ」
ホッとため息をつくbeaker。
「くそっっ、空手なんて一度倒してしまえば寝技で何とかなるって言うのに……」
悠 朔が歯噛みする。
「でも――」
梓が不思議そうに言った。
「彼女、倒れないわね……」


「さて、これでこちらの手札は出し切りましたか……後は好恵さんの精神に期待するしかないですねぇ」
beakerが呟いた。
(そう、坂下好恵最後の手札、彼女が持つたった一つの、珠玉の才能)


綾香が好恵の腕を取った。
そのまま背中を向けて腰を深く沈みこませる。
『一本背負いっっっっっっ!! これは決まったか!?』

「よし!! …………って嘘だろ!?」
愕然とする観客。
好恵は確かに投げられた。
だが、好恵は床に背中から叩き付けられる事無く着地した。
「参ったわね……どうあっても投げ技じゃあ倒れないつもり?」
綾香がうっすらと冷や汗をかきながら言った。


(そう、好恵さんは格闘技の才能という点を抜き出してみれば綾香さんより確実に一歩譲る)


(だがたった一つ、たった一つだけ好恵さんが綾香さんより遥かに勝っている点があるんですよ)


「高く上げすぎたんですかね?」
沙留斗が不思議そうに言った。
「いや、ありゃ空手の嬢ちゃんが自分で跳んだんだろ。だが、さっきのジャーマンと言い、
今の一本背負いと言い……、ありゃ空手の嬢ちゃんの一種の才能だな」
「才能?」


「そう、好恵さんの才能…………それは’天性のバランス感覚の良さ ’」
どんな不安定な場所だろうが、どんな状態だろうが絶対に大地を見失う事は無い。
加えて鍛えに鍛え上げた強力でバネのような足腰。
「つまり…………坂下好恵を」
「地面に転がす事が出来る格闘家はこの世に存在い…………」


「私は、私は、空手家だから」
そう言って笑う。
「だから絶対に倒れるわけにはいかないの」
「そう…………本当に意地っ張りね、アンタは」
でも、と言いながら綾香は再び構えを取った。
「倒れないなら、立ったままで、勝つまでよ」


最後の激突。
好恵も、綾香も、全力だった。
ロー、ミドル、ハイ、ワンツー、回し蹴り、横蹴り、後ろ回し蹴り、時にフェイクを織り交ぜながら
ひたすら相手の身体に己が印を刻み込む。
『両者、満身創痍です、ですが二人は一歩たりとも後退する気配を見せません!!』
「凄い…………」
「だが、しかし綾香の方が押されてる……」


「やはり、この条件下であるなら空手の嬢ちゃんのほうが若干有利、か……」
初代が言うまでもなく、観客の目にも綾香が次第次第に劣勢に陥っているのは明らかだった。
「負けるのか…………」
「負ける…………?」
「綾香が…………」


「「そんな訳ないな」」
綾香を追い続ける二人の男がキッパリと言い切った。


好恵が必殺の正拳突きを放った、
間一髪で顔を横に傾ける綾香。
びゅおん、という風を切る音と共に横の空間が切り裂かれた。
綾香は右手でその腕を掴むと、素早く身体を沈ませ両足を好恵の首に絡めた。
『と、飛び付き腕十字!!??』
「やりますねぇ、だが今の好恵さんは腕が折れたくらいでは諦めませんよっ!!」
だが綾香はそのまま空中で動きを変えた。
好恵の腕を吊り上げ、その腕と首を足で挟みこむ。
『さ、三角締め!? た、立ったまま首を……』
「やりやがった…………」


ぎりぎりぎり、という嫌な音と共に好恵の首が締め上げられる。
「グッッッッッッッッ…………!!!」
もがいて好恵は外そうとするが全く外れない。
「しまった…………、あれじゃあ立とうが寝転がろうが全く効き目が無い……」
拳を握り締めて悔しがるbeaker。
・
・
・
それでも好恵は粘っていた。
絶望的な状況だが、それでも、勝つ為に、自分の遠のく意識と戦っていた。
だが初めから負けは見えていた。
ゆっくりと視界がブラックアウトし、自分が何をしているのか分からなくなっていく。
混乱する思考の中で好恵が考えたのは何故かこの闘いの事ではなく、
自分の最も近しい人間――彼の事だった。


「!?」
beakerも好恵が幽かに自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
驚いて好恵の顔を見る。
今まで闘っていたとは思えないほど穏やかな顔だった。
目も瞑り、まるで眠っているようでさえあった。
だが、だが、それでも。


「とうとう最後まで…………護り切ったか、己の信念を」
感嘆して初代beakerが呟く。
『も、もしかして……立ったまま……失神してる?』
志保が呆然としたように呟き、慌ててデコイが確認に走る。
綾香も技を解いて闘技場を去ろうとする。
が、何時の間にか闘技場の中に入りこんだbeakerが彼女を呼び止めた。
「綾香さん、好恵さんに何かコメントは?」
綾香はうっすらと笑った。
「何もないわ」
心の底から愉快そうだった。
「それはどーも」
ぺこりと頭を下げるbeaker。
そして好恵の方に向き直ると彼女を抱え上げた。
思ったより軽い、そう思った。


『最後の最後まで倒れなかった空手家…………坂下好恵選手、仁王立ちで散りました!』


ぎゅ、と拳を握り締める葵。
綾香に駆け寄る悠 朔。
そして…………
「あら? 思ったよりつまらなそうですわね?」
弥生が二階の観客席のさらに上から見物しているハイドラントに声をかけた。
「当たり前だ、この程度で綾香が負けるか」
そう言って去る。
だが弥生は、ハイドラントの手が汗で濡れている事に気付いていた。


ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち
一際大きい拍手の音が聞こえてきた。
初代beakerだった。
「いや、二人とも見事見事、長年生きているがこんな闘いは久しぶりじゃわい」
それにつられて観客席の人間も拍手し始める。
beakerは好恵を抱きかかえて、保健室へと向かう。


(好恵さん、今日あなたは負けてしまったけど……、あなたが見せた空手は決して無駄ではなかったはず)


(僕はそう思います)


「坂下好恵…………あの嬢ちゃんが見せたもの、お前は見れたか?」
「はい、何となく、ですけど」
沙留斗が闘技場から去る二人の格闘家を見ながら答えた。


彼女が見せたもの、それは――
空手をやる全てのものにとっての光の道――


来栖川綾香・・・二回戦進出!
坂下好恵・・・一回戦敗退



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