グラップラーLメモ第十四話「極めし者 汝の名は?」 投稿者:beaker
「う、うん…………はっ!?」
好恵はうっすらと目を開けて、ベッドから飛び起きた。
「あれ? …………こ、ここは?」
きょろきょろと周りを見渡す。
「保健室ですよ」
カーテンをシャッと開けてbeakerが入ってきた。
手には湯気が立つコップを持っている。
「どうぞ、熱いから気を付けてくださいね」
そう言って好恵に持っているものを差し出した。
そして好恵のベッドの傍らに腰掛ける。
受け取るとココアの良い香りが好恵の鼻をくすぐった。
少し、ほんの少しだけ飲んでみる。
「美味しい…………」
「そですか? まあ、ただのインスタントですけどね」
そう言って苦笑する。


「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
長くもなく、短くもなく、穏やかな時間の流れの沈黙だった。
ゆっくりと彼女が口を開く。
「そっか…………負けちゃったんだ…………」
「はい…………」
beakerはそう頷くと再び黙り込んだ。
「良い勝負だった」とか、「惜しかった」と言っても所詮それはただの傍観者の感想に過ぎない。
だからそんな事を言いたくなかった。
「ねえ」
「はい?」
「不思議なの…………負けたって事は実感出来るんだけど、何か全然悔しくないの。
スッキリした気分って言うか…………満足したって言うか…………、うーん、分からないかな?」
「…………何となくですけど、分かりますよ」
「そ。あ、ねえねえ、もしかしてbeakerが私をここまで運んできたの?」
「あれ? どーして分かったんですか?」
「んーー、何となく、かな?」
「思ったより……軽かったですねえ」
そう言ってニヤリと笑う。
好恵はその言葉の意味に気付くと、顔を赤くした。
「も、もう! この馬鹿! スケベ!」
ポカポカとbeakerの胸を叩く。
空手家としては全然迫力も、威力も無い叩き方だった。
それが何故か堪らなくなったbeakerはぐいっと好恵を引き寄せた。
「え? きゃっ…………」
そのまま背中に手を回してぎゅうっと抱きしめる。
「い、痛いじゃないの…………身体、怪我だらけなんだから……」
好恵の言葉が耳に届いていないかのようにbeakerは一層強く抱きしめる。
たまらなく愛しかった。
好恵も抵抗を止めて抱きしめられるままになる。
しばらくして、好恵がゆっくりと顔を上げた。
目に涙を溜めたまま、目をつぶる。
beakerがキスするのとほとんど同時に好恵の瞳から涙が零れた。


しばらくして互いに気まずそうに離れる。
好恵は頬を染めて、何か言いたげに口を開くが中々言葉が出てこない。
beakerの方は頬こそ染めていないが何となく嬉しそうに好恵を見つめている。
「ね、ねえ…………」
ようやく好恵が喋り出そうとしたその時だった。
「マスター!!」
沙留斗が保健室の扉を開いて大声でbeakerを呼んだ。
シャッとbeakerはベッドを囲んでいるカーテンを開ける。
「……どうしました?」
「そろそろ、次の試合が始まりますよ! ……あ、もしかしてお邪魔でした?」
「「邪魔」」
とほほほほほと沙留斗が保健室を出て行った後、beakerもいつものコートを羽織った。
「まあ、せっかく沙留斗が呼んで来てくれた事ですし、ちょっと試合を見に行きますね」
「う、うん…………あ、その次の試合が確か葵だったわよね?」
「えーっと、そうですね」
「それまでには私も葵の試合を見学しに行くから」
「ああ…………そですね」
何故かちょっとためらったような口振りで答えるbeaker。
「さて、それじゃあ行って来ますね」
「あ、待って!!」
好恵が慌てて出て行こうとするbeakerを呼び止めた。
「はい――?」
「あ、あのさ…………その、今まで、何て言って良いか分からないんだけど…………」
好恵は一生懸命言葉を選び選び、たどたどしく言った。
「い、今までありがとう!! えーっと、それでこれからも、その、よろしく…………また、
また、頑張ってみるから!」
最後の言葉はハッキリとした決意が良く分かる声だった。
beakerはその言葉を聞くと嬉しそうに笑った。
「どういたしまして。好恵さんがそう言う限り、僕も頑張ってみますよ」
「うん…………私、もう少し頑張ってみるわね」
背中を向けたままbeakerは片手を挙げると保健室の扉を開いて出て行った。
と、扉を出てすぐのところで沙留斗が腕組みをして待っていた。
「おや、沙留斗。待っていてくれたんですか?」
「まーーすーーーたーーーー? 次の試合が始まる時間になったら呼んでこいって言ったのは
マスターじゃないですかあああ」
ちょっと身体から闘気が感じられる。
だがbeakerは平然と
「タイミングが悪かったと思って諦めてくださいな、そこらへんもうちょっとくらいは計算に入れないとね」
あっさり言い切ってスタスタと廊下を歩く。
「うう〜〜、何か理不尽なものを感じる〜〜〜」
慌てて追いかける沙留斗。


『それではただいまより、第七試合、EDGEvs広瀬ゆかりの試合を開始します……観客の皆さんは
直ちに席にお座り下さい…………とっとと座りなさーーい!!』
「葛田」
ハイドが呼び掛ける。
「はいはい、導師、何ですか〜〜?」
のんきに答える葛田。
「あのEDGEっつー女の技をようく見ておいた方がいいぞ」
「へ? 導師の師匠の?」
「結果がどうなるにしろ、見て損は無い、と……思う」
「何か語尾が自信なげですが…………」
「やかましいっ!」


西山英志は騒がしい観客席(先ほどまでいた席は周辺がゆかりの応援団で固められ、
うるさくて集中できなかった)を離れ、二階へ来ていた。
ここには弟子も楓もいない、闘技場の全てを見下ろす事が出来る場所。
「さて」
独り言を呟く。
「見せてもらおうか? EDGE……」


(信じられないわね、つくづく…………)
広瀬ゆかりは自分と対峙しているハイドラントの’師匠 ’を見てそう思った。
風紀委員会を運営している以上、彼女やM・Kの耕一先生との争いに手を出した事は何度もある。
最終的には謎の爆発が起きてうやむやになってしまうのであるが。
だが、それでも彼女には目の前の可憐と言う言葉が一番似合いそうな少女があの争いの中心に位置している
とは思えなかった。
まあいい、いずれは対決しなければならない相手だ。
そう思って、彼女は握った拳に力を込めた。
集中しようと思えば思うほど普段は全く耳障りでない歓声がやけにうっとおしい。
一方のEDGEは耕一の姿をきょろきょろと探したりして、全く落ち着きが無い。
それもまたゆかりには不快だった。
『それでは、第七試合 始め!!』


「……………………………………………………え?」
先制攻撃を出そうとしていたゆかりの動きがピタリと止まった。
バネを溜めていた足が動けなかった。
EDGEは自然体で何の構えも見せていない。
だが、だが、それでも何も出来ない、何もこちらにさせてくれない感じがした。
(こ、攻撃…………出来ない)
いや、攻撃をする事は出来る、動く事も出来る。
しかし次の瞬間、自分が反撃される事が手に取るように分かった。
やがてEDGEが一歩こちらに動いた。
びくり、としたゆかりは思わず後ろに下がる。
また一歩

後ろに下がる

また一歩

後ろに下がる

また一歩

後ろに下がる


やがて、ゆかりは自分が闘技場の壁を背にしている事に気付いた。
(追い詰められた…………)
観客がざわついている。
「何をそんなに恐れているのか?」と言いたげなのがゆかりにも分かる。
(対峙してみなけりゃ分からないわよ、彼女の怖さは……)
だが、このままでは間違いなく攻撃されるだろう。
こちらは反撃も出来ないまま潰される可能性が高い。
それなら、
じり、と一歩だけ前に出た。
距離が詰まる。
足に力を溜める。
もう一歩間合いを詰めて蹴りを出そう。
前に出る

「たああああああっっ!!」
蹴りを放とうとした、が、足に重りが乗ったかのように動けなくなった。
一瞬遅れて激痛が走る。
EDGEがそれより早く、自分の足でゆかりの足を踏んでいたのだ。
何時の間にかゆかりは彼女の間合いに入りこんでいた事に気付く。
ゆかりが一歩踏み込んだ瞬間、体勢を崩す事無く一気に間合いを詰めたのだ。
「クッ…………!!」
握り締めた拳を彼女の腹部へ放とうとする。
が、攻撃しようとした瞬間、EDGEの肘が彼女の二の腕を打った。
じぃんと電気が走るような痺れが走り、攻撃が出来なくなる。
続いて掌底が広瀬ゆかりの顎を撃った。
脳がシェイクされて、世界がグルグルと回る。
膝をガクンと突いた。


「つ、強い…………」
葛田が呆然としたように呟いた。
「風紀委員長に全く攻撃をさせませんね…………」
「ああ」
ハイドラントは頷いた。
さらに強くなっている、耕一への愛か、それともエルクゥの血か、いや、もしかしたらこれがEDGEという
SS使いの才能なのかもしれない。
(神威のSSは先手必勝。攻撃こそ最大の防御…………今までその言葉を普通に受け止めていたが
…………あそこまで極められるものなのか?)
そう、EDGEは単に攻撃をしているのではない。
相手の攻撃を全て攻撃によって封じている。

蹴りを相手の足を踏む事によって、

拳を肘で腕を打つ事によって、

相手に攻撃をさせてから迎え撃つ「後の先」でも相手が攻撃をする前に攻撃しようとする「先の先」でも無く、
相手が攻撃をする瞬間、その一点の隙を狙って攻撃を仕掛ける。
ともすれば、危険な賭けだ。
相手の攻撃を読み切った上でその隙を狙わなければとても上手くいかない。
俺には出来ないだろう、いや、EDGE以外の他の誰にもこれは出来ないのかもしれない。
完璧だ。
極められし武だ。
ハイドラントは次の試合、EDGEと当たった時の対策を本気で考え出した。


「降参…………する?」
少し心配そうにEDGEが呟いた。
痛い、頭が割れそうに痛かった。
さっきの掌底が効いたのか頭もぐるぐると回って気持ち悪い。
EDGEの言葉の誘惑にともすれば乗せられそうになる。
だが、
「断るわ…………私は女優であり、何よりも…………風紀委員長なのよ、この学園の」
「下らない意地にすがりつくのは止めた方がいいわよ」
冷たい物言いだった。
「下らない意地なんて…………絶対に言わせないわ!!」
しゃがんだまま、回転しての足払い。
だが、EDGEは読み切ってカウンターのサッカーボールキックをゆかりの足に放った。
「いたっっっ…………」
足を押さえてうずくまる。
確かに敵わない、多分負けるだろう。
だが、負けるからと言って闘わない訳にはいかない。
負けるから、なんて理由で闘いを放棄するのは自分の女優としての、風紀委員長としてのプライドを
捨てる行為だ。
断じて放棄しない。


ゆかりは立ち上がった。
拳を握り締めて、構える。
EDGEはピクンと反応した。
だが動かない。
ゆかりは構えを維持するのに必死で息も切らしている。
「どうしたの…………来なさいよ…………」
何故か少し戸惑い気味に間合いを詰めるEDGE。
最も思考回路が先ほどの衝撃により混乱しているゆかりには気付かなかったが。
EDGEがじわり、じわりと詰めていく。
間合いまで後30cm。


20


10


「はああああああああああああっ!!!!」
間合いに入った途端、ゆかりが右正拳をEDGEに放った。
その正拳が動くか動かないかの刹那、EDGEもカウンターを打っていた。
だがゆかりが全身全霊を込めて放った拳はEDGEの思っていた以上のスピードを出していた。
どすっ、という鈍い音がしてEDGEの腹に正拳がめり込む。
一瞬ゆかりは自分の攻撃が当たった事が信じられなかった。
だがEDGEは腹を押さえて崩れ落ちる。
やった、と思ったその瞬間だった。
崩れ落ちそうだったEDGEがゆかりが伸ばし切っていた腕を掴んだ。
そしてそのまま飛ぶ。
下腹、鳩尾、頭に計三回の蹴りを食らわされる。


「三階崩しかっ!!」
ゆかりは手を離されると同時に壁まで吹き飛んでいた。
デコイが例によって駆け寄り、志保に合図を送る。
『広瀬ゆかり選手、戦闘不能によりEDGE選手の勝利です!!』
わあああ、という歓声が沸き起こる。
ふう、とEDGEはため息をついた。
そして最後の最後で’自分 ’を晒してしまった事に苦笑する。
まあいい、たとえ何があろうと、勝つ。
そう思い直して、彼女は闘技場を去った。


「見えた…………」
誰かがニヤリと笑った。


EDGE・・・二回戦進出!
広瀬ゆかり・・・一回戦敗退

コンコンコンとノックの音がした。
「はいっ!!」
元気な声で部屋の人間が答えた。
「葵ちゃん、もうすぐ出番ですよ」
T-star-reverseが部屋の中の人間――松原葵に話しかけた。
「はいっ!!」
ぴしゃりと自分の頬を叩いて、松原葵は控え室から廊下へ抜けるドアを見つめた――。






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