グラップラーLメモ第十五話「波瀾」 投稿者:beaker
「む」
T-star-reverseは葵の控え室にいた人間を見て顔を露骨に顰めた。
勿論その控え室にはディアルト・佐藤昌斗・YOSSYFLAMEと言った面々から、
Runeまでもがぶすっと腕組みをして立っていたのだ。
一瞬交錯する視線――だが、互いに無視する事にした。
いくら何でも試合前の葵ちゃんの目の前で喧嘩する訳にはいかないだろう。
ちなみに綾香と好恵も葵の控え室でさっきの試合の話をしている。
お互いに照れたり、肩を叩き合っているのを見ると、
とても葵には先程まで激闘を繰り広げていた二人だとは思えなかった。
そして不思議な感動を覚えていた。
彼女達がやった試合は、憎しみあって闘ったのでは無い
――あくまで自分が努力して生み出し、昇華させた技をぶつける、それだけの事だった。
勝ち、や、負け、はその結果に過ぎない。
そう、一番駄目なのは「自分の努力を相手に見せないまま終わる事」だ。
それは何より相手に対して失礼だろう。
だから葵も相手に全力を見せたかった、それが礼儀だと思うから。
だが葵には一つの障害があった。
「あがり症」である。
今も大観衆の前に立つと思うだけで足がガクガクと小刻みに震えてしまいそうだ。
あがり症の人間は不思議な事に「落ち着こう、落ち着こう」と思えば思うほど返って緊張感が高まってしまう。
そんな葵の様子に気付いた四人は一斉に声をかけた――


「葵ちゃん、あのね…………」
「葵ちゃん…………」
「葵ちゃ…………」
「むむっ」
T-star-reverseやディアルトが一斉に話し掛けようとして、じろっと互いのライバルを睨み付ける。
Runeだけはつまらなそうにその四人を見ていたが。
「まったくもう…………」
綾香は頭痛がすると言わんばかりに頭を押さえた。
ただ一人、葵だけが不思議そうな顔をしてきょろきょろと四人を見回している。
「ちょっとアンタ達!!」
好恵がそんな四人を見て苛々しながら怒鳴りつけた。
「葵は試合前なのよ? あんた達がいがみ合ってどーすんのよ!」
と、それまでこめかみを押さえていた綾香が良いアイデアを思い付いたとばかりに、一歩前に進み出た。
「あ、じゃあこう言うのはどう? 一人一人控え室で二人きりになって葵を励ます……って言うのは?」
「あら、良いわね。でも順番はどうするの?」と好恵。
「うーんと、名前順でどう?」
「「「「それなら別に文句は…………」」」」
「じゃあ佐藤昌斗・ディアルト・T-star-reverse・YOSSYFLAME・Runeの順ね、文句ある?」
「おい、俺もか?」
慌てた様子でRuneが綾香に問いただした。
が、凄まじい威力のガンつけに押し黙る。
「それじゃあまずは佐藤昌斗! 後は頑張ってね〜」
全員を無理矢理追い出すと、手を振ってがちゃんと扉を閉める。
ぽりぽりと頬を指で引っかく佐藤昌斗。
「あ〜……え〜っと、葵ちゃん! いよいよ……だよね」
「あ、はい……」
やはり緊張の為か、それとも照れているのか俯く葵。
「え〜っと、俺がこう言うのも何だと思うけど……いつもの通り、全力でいけば絶対に大丈夫!
この試合を勝てば、綾香さんにだって確実に一歩近づけるんだから……、俺には何のアドバイスも
出来ないけど、見てるから、頑張って!」
一気に捲くし立てる佐藤昌斗。
葵は顔を上げると、嬉しそうに「はい!」と返事した。
「佐藤先輩も頑張ってくださいね!」
「あ、う、うん、俺も頑張るよ!」


続いてディアルト。
ディアルトは興奮気味だった佐藤昌斗と違ってやや落ち着いた様子で葵と向き合っている。
「いまさら……アドバイスを言っても混乱するだけですよね、だから一つだけ。
頑張ってきてください、応援しています」
すっと手を差し出す、葵もニッコリ笑って手を握り返した。


三番手はT-star-reverse。
「松原さん、一つ良い事を教えて上げます」
「はい、何でしょうか?」
「まず試合場に上がったら、まずゆっくり息を吸って、それから止めてください。
そして、今までの練習……私との組み手でも何でもいいです。一つ思い出してください。
それからゆっくり息を吐くんです。そうすればきっと落ち着けますよ」
「は、はい深呼吸ですね!」
葵はいきなり目の前で深呼吸し始めた。
胸が微かに吸われた空気によって上下する。
T-star-reverseは少し眩しげに目を細めて葵を見つめた。
「そうだ、松原さん、私と一つ約束をしてくれませんか?」
「あ、はい、どんな約束ですか?」
T-star-reverseは浮かべていた笑みを消し、唇を引き締めて右手を挙げた。
「……私は、松原さんがどんな苦境に立たされようとも、その勝利を信じることを誓います」
ハッキリとした口調。
言い終わると、再びニコリと笑みを浮かべた。
そして
「だから、松原さんも約束してください。
例え相手が誰であっても、例えどんなに苦しくても、戦っている間は精一杯頑張る、ってね」
「……………………はい、私も誓います! 精一杯頑張ります!」
「良かった、それじゃ頑張ってくださいね」
T-star-reverseはぽんと肩を叩いた。
軽く、でも決して弱くなく。


YOSSYFLAMEの場合。
「葵ちゃん、次は頑張ってね! 大丈夫、葵ちゃんはその気になれば綾香さんとだって闘えると
思っているから!」
「は、い、いえ、綾香さんとだなんてとんでもない!!」
ぶんぶんぶんと慌てて首を振る葵。
「で、次の相手誰だっけ?無案とか無印とか・・・まあどっちにしても、油断さえしなきゃ大丈夫!」
思いきりあっけらかんとした笑顔。
「とにかくさ、やれることはやったんだから、
あとはもう思い切って全力でぶつかればきっとどーにかなるから、頑張って!」
そう言って意外にあっさりと(扉の前で佐藤昌斗らは取り押さえる準備をしていた)
控え室から去るYOSSYFLAMEであった。


そして最後、面倒くさそうに彼はやってきた。
Runeである。
「おい、青い。後ろ向け」
いつもの台詞に葵は頬を膨らませて抗議する。
「私は青いじゃないって何回言ったらっっ」
「いいから後ろ向け後ろ、ほれほれ」
ぶつぶつ言いながらも素直に後ろを向く葵。
「これでいいんですか…………ひゃっ」
Runeはいきなり彼女を背中から抱き締めた。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょっといきなりなんですかっっ……」
葵の身体にRuneの体温が直に伝わってくる。
かあっと全身から火が噴き出そうだった。
そんな葵に構わずRuneは耳元で囁いた。
「お前…………」
「は、は、は、は、はい」
「一昨年より胸小さくなったな」
あっさりと言い切った。
「…………ええっ?」
拘束を解くと、Runeは彼女の両肩をつかんでくるりと前に向き直らせた。
そして頬を指でつねる。
柔らかいほっぺがゴムのように伸びた。
「はひ、するんですかぁ!?」
「…………で、お祝いは何が食べたい? 肉だな、肉だよな?」
「……ひふんがたびたいだけなんでしょう(訳:自分が食べたいだけなんでしょう)」
「まあ、いいじゃないか、肉だよな」
「…………えーっと、できるならお肉……」
「よーし、任せておけ。スポンサーなら五人ほど心当たりがあるから、死んでも勝って来い、
俺の為に」
「そ、そんなあ」
「ガタガタぬかすな、んじゃな」
スタスタスタとあっさり去って行くRune。
後には真っ赤になって脱力した顔のままの葵が取り残された。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと皆、落ち着いて! 気持ちは十二分に分かるけど落ち着いて!」
綾香と好恵が必死になって殺気立つ四人を宥めている。
そんな中、葵が少し熱に浮かされたような様子で控え室を出てきた。
「葵、大丈夫?」
好恵が心配そうに声をかけた。
今の騒ぎでやる気が削がれていなければ良いが…………
葵はすううと息を深く吸った。
そして廊下の向こうの闘技場を見つめる。
スポットライトがやけに眩しい事に初めて気付いた。
「はい、行きます!」
ぱちんと両方の頬を叩いて葵は相手が待つ闘技場へと走っていった。


beakerは二階で二人を見守っていた。
彼がそうしてくれ、と望んだからだ。
カタンと音がしたので、beakerは辺りを見渡した。
「ここだよ」
慌てて振り返ると初代beakerが彼のすぐ側まで来ていた。
ビクッと反応してから、力を抜く。
「驚かせないで下さいよ…………」
「すまんすまん、つい、な」
苦笑する彼。
beakerは肩を竦めて、闘技場を見つめた。
「…………この試合、どう思います?」
「どうとは?」
「つまり…………どっちが勝つのか、って事です」
「うーん、あの元気な嬢ちゃんは確かに強いぞ」
「へえ…………」
意外そうにbeakerは闘技場の葵を見つめた。
「あれだけ真っ直ぐな意志と強さを持った人間なんぞ、最近そうは見掛けんな、
もし、私か誰かが鍛えれば化けるかもしれんぞ。だが、な」
「だが…………」
初代beakerはため息をついた。
「これだけはお前さんも覚えておいた方が良い」


デコイが前に進み出て、いつもの説明をする。
が、チラチラと視線を彼に走らせている事は誰の目にも明らかだった。
最も、観客も、綾香や好恵と言った面々も葵ではなく、対戦相手に視線を奪われていたのだが。
彼は真っ黒なズボンに、袖の無い極薄のブラックレザースーツを着込んでいた。
それはいい、が、誰もが彼に視線を注いだのはそれが原因ではない。
仮面だ。
彼は顔を完全に覆うマスクを被っていた。
真っ白な仮面に目の部分だけが鋭く横に切れている。
その黒い部分が深淵のように深く、不気味でもあった。
ゴクリ、と葵は唾を飲みこんだ。
こうして相対してもまるで彼の雰囲気が伝わってこない。
綾香や好恵のように、こちらがピリピリするほどの闘気も。
殺気や、怯えた雰囲気も伝わってこなかった。


無、だ。


葵はじっと見ているとその虚無の空間に引きこまれそうな気がして、思わず目をそらした。

「たとえ、どんなに元気な嬢ちゃんが正しい真っ直ぐな強さを持っていたとしても――――」

(怯えちゃ駄目…………前を見なきゃ!)
思い直して、キッと視線を戻す。
そして、アドバイス通り深呼吸をして、これまでの様々なトレーニングを思い出す。
デコイがようやく説明を終え、ともに一旦後方に退がる。

「たとえ、アイツがどんなに歪んだ強さしか持っていなかったとしても――――」

そして志保のアナウンスが会場に響き渡り…………
デコイが手を十字に振って試合を開始した。
葵がくるりと相手の方を振り返る。

「同じ’強さ ’には変わりない、そしてアイツは間違いなく――――」

そこには、誰も、いなかった。
慌ててあたりを見回す、そして、彼女が右を向いた瞬間だった。

「あの元気な嬢ちゃんよりも、段違いに――――」

葵はしっかりと肩を掴まれた。
そして仮面の男が葵の耳に顔を近づけ、囁いた。
「……………………」
「え?」
問い質す暇も無かった。
葵はふっと自分の腹、やや上に彼の拳がそっと触れられているのを見た。
以前中国拳法を習っている先生に聞いた事がある。
確か、この独特の拳の形は――――

「――――強い!!」


寸……………………勁…………!!


ドグッッッッッッ!!!!
肩を掴まれていたにも関わらず、それすら引き剥がされて葵は軽く数mは吹っ飛んだ。
「あ……………………」
ドサッという音と共に葵が落下した。
綾香も好恵も佐藤昌斗もディアルトもT-star-reverseもYOSSYFLAMEもRuneすら、
余りの展開の早さに身動き一つ、言葉一つすら交わす事が出来なかった。
ようやく綾香が叫んだ。
「葵ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
その言葉に弾かれた様にデコイが慌てて、倒れた葵に駆け寄る。
そして、手を振って合図を送る。
志保も目が醒めたように、慌てて叫んだ。
『た、ただいまの試合ッッ!! 松原葵選手戦闘不能により、無音選手の勝利です!!』
観客も目の前で起こった出来事に歓声すら与えられないようだった。
重い沈黙の中、無音が黙って闘技場を降りる。
そして慌てて葵に駆け寄る綾香や好恵と、無音が一瞬すれ違った。
キッと睨み付ける綾香。
だが、その視線を何ら介する事無く、無音は自分の控え室に去って行った。


「――――と、言うわけだ」
初代beakerは言い終えて、ふと顔に感じる液体を拭った。
汗だ。
初代beakerはそれをまじまじと見つめてから、フッと笑みを浮かべ、二階から飛び降りた。
beakerはそれすら気付かず、呆然と闘技場を見つめていた。


「葵! 葵! しっかりして!! 葵!!」
綾香がガクガクと葵の身体を揺する。
「早く! 誰でも良いから回復魔法! 何でも良いから!」
「そこの金持ちの嬢ちゃん、ちょっとどいておくれ」
音も気配も無く、初代beakerが綾香の後ろから声をかけた。
「ッ!?」
慌てて振り向く。
好恵やディアルト、佐藤昌斗と言った面々も慌てて彼に注目した。
(い、何時の間に…………)
そんな視線に全く関せず、初代beakerは葵の上半身を起こし、軽く背中を指で叩いた。
一瞬、動きが止まったかと思うと、葵は思いきり咳き込んだ。
「ゲホゲホゲホ!!!」
「後は、安静にしてりゃあ大丈夫だろ、保健室にでも連れて行ってやれ」
そう言って去っていった。
その姿を呆然と見ていた綾香だったが、慌てて立とうとする葵の肩を抱く。
「葵! 葵! 大丈夫!」
「あ、あやか…………さん、わたし…………」
「今は黙って! 保健室に行くから!」
綾香と好恵が葵の両肩を担いで保健室に向かう。
ディアルト達もその後に続いた。
ただ一人、Runeだけがポケットに両手を突っ込んだまま、無音の去った廊下を睨んでいた…………


無音・・・二回戦進出!
松原葵・・・一回戦敗退



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