グラップラーLメモ第二十四話「I promise」 投稿者:beaker
二回戦第三試合十分前
――藤田浩之の控え室

「ねえ、浩之ちゃん」
「ん?」
あかりは頼まれて買ってきたスポーツドリンクをコトリと机に置きながら言った。
「さっき言った約束…………覚えてる?」
「忘れた」
あっさりと言ってしまう浩之。
「…………え? 忘れたの?」
手を顎に添えておどおどとした表情で浩之を見つめるあかり。
本当に犬みたいだな、と浩之は思った。
口に出すと怒られそうだったので勿論そんな事は言わなかったが。


「冗談だ、冗談。勝つって約束だろ?」
浩之が片目をつぶって見せた。
ぱあっとあかりは表情を輝かせる。
「う、うん。あの時…………嬉しかった、本当に……嬉しかった」
「そうか…………で、悪いんだけどよ」
「え?」
「着替えるから出て行って欲しいんだが…………」
浩之はTシャツをたくし上げる真似をした。
たちまちあかりは真っ赤になってこくこくと頷くと部屋の外へ出て行った。
「ふう、やれやれだね」
「本当に邪魔なんだから」
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「お前も出て行け、四季!」
「ええーー、ひどぉぉい! 心配して来てあげたのに!」
両手をブンブン振りまわして抗議する四季。
「あのな、お前も今は一応女みたいなもんだろうが! とっとと部屋の外へ出ろ!」
「次があの柏木耕一先生だから怖くないのかなーって思ったんだけど…………大丈夫なの?」
きょとんとした顔で四季は浩之に聞いた。
浩之は相手の名前を聞くと一瞬、苦い顔をしたがすぐにいつもの顔に戻って答える。
「ばーか、怖い訳ねーよ! そんなくだらねー心配してねーでとっとと出て行ってくれ!」
「あーー、冷たーーい! ありがとうくらい言ってくれたって…………」
「はいはいどうもありがとうございました!」
四季の背中を無理矢理押し込んで部屋から追い出す浩之。
バタンとドアを閉めてふうっとため息をつく。
「あはは、大変な人気だね」
雅史は苦笑した。
「これ、人気って言うのかよ? まあ、いいか……」
浩之は椅子に座り込んだ。
「浩之! スポーツドリンク飲む?」
「ああ、パス」
雅史はひょいとスポーツドリンクを浩之に向かって投げた。
浩之はそれをしっかり受け止めた、が、突然手から缶が離れる。
カランカランという音を立ててスポーツドリンクが床を転がっていく。
「…………浩之?」
雅史が訝しげに浩之の顔を覗き見た。
浩之は顔色が真っ青になって、両腕を小さく抱え込んでいた。
ぶるぶると唇が震え、カチカチという歯の音がやけに響く。
「ひ、浩之! どうしたの!?」
慌てて雅史が駆け寄ってくる。
「…………は、ははは。今頃になって実感が沸いてきたよ…………」
震える声で何とか言葉を繋ぐ。
「あ、相手はあの鬼の中でも最強の男なんだぜ…………怖くない訳ねーだろ」
足の震えが止まらない、額には脂汗が浮かび、唇の震えを押さえようとして強く唇を噛んでいた
せいで、血が流れ出していた。
「ひ、浩之…………」
「だいじょうぶ、だ、約束は…………守らないとな」
ハハ、と力無く笑って着替え始める。
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「藤田選手、出番です!」
スタッフの一人が浩之を呼びに来た。
「今、行きます!」
雅史が代わりに声をかけた。
そして浩之の方をチラリと見る。
「浩之…………いける?」
身体の震えは既に収まっていた、というよりも無理矢理押さえ付けたと言ったほうが正しいか。
額にかかった髪をゆっくりと両手で後ろまで撫でつける。
「ああ」
先程までガタガタと震えていた人間と同一人物だとはとても思えなかった。
「本当に大丈夫だよね! もし、ちょっとでもダメだと思ったら…………」
雅史はタオルをぎゅっと握り締めた。
「これを遠慮無く投げるよ、いいね!?」
珍しく声を荒げる。
「ああ、よろしく頼む」
「無理はしないでよね!?」
「それはダメだ」
「え……どうしてっ!?」
「…………ここで引き返せるような人間なら主役張ってねえんだよ」
そう言い切って彼はドアを開けた。
「あ、遅かったね浩之ちゃ…………え? その格好って……」
あかりが不思議そうに言うのも無理はない。
彼は学生服を着ていた。
所謂学ランというヤツだ。
どう考えても戦闘向きではないだろう。
「その格好で試合に出るおつもりなんですか?」
スタッフが不審そうに聞いた。
「ああ、別にいーだろ、ルールにゃ学ランで試合に出ちゃダメだなんて書いてないぜ」
「え、ええ、そりゃまあ確かにそうですが…………」
ならいーだろ、と言い残して浩之はさっさと廊下を歩いて行った。
「……いいのかなあ?」
一人残されたスタッフはポツリと呟いた。




『ヒロ〜〜〜ギブアップするなら今の内よお〜〜』
試合前だと言うのにやたらと明るい声で喋り掛ける志保。
「うるせえ! てめーは黙って実況してろ!!」
マイクで増幅された声に負けずに言い返す浩之。
『ってゆーかぁ、その格好何よ、それでも選手?』
「うるさいっつってんだろーがっ!!」
『あかりに心配かけちゃダメよ、じゃあせいぜい頑張ってね〜〜!』
「どういうアナウンサーだよ、ったく…………」
ぶつぶつ言いながら浩之は改めて自分の対戦相手を見つめた。
(…………ったく、こうして向かい合うとイヤでも自分との差を実感させられるぜ)
手が微かに震え始める。
ぎゅっと拳を作る事で何とか押さえ付けた。
デコイが試合前の注意を述べる。
が、浩之は既に耕一をじっと睨み付けたまま話を聞こうともしなかった。
耕一の方はそんな視線を全く気にする事無くリラックスした様子で
準備体操をしている。


「それでは互いに線まで戻って下さい」
デコイがいつも通りの事を述べて闘技場から出て行く。
耕一はくるりと振り返って戻ろうとする。
と、誰かが耕一の肩を軽く叩いた。
「?」
思わずくるりと振り返る耕一。
が、その顔面にいきなり拳が叩き込まれた。
「何っ!?」
『ヒロッ!?』
グシャリという音が闘技場に響く。
耕一は無様に倒れ込んだ。


「ああーーーーー!! 卑怯者!!」
M・KとEDGEが叫んだ。
「耕一さん!」
同じく千鶴が心配そうに耕一に向かって叫ぶ。
「藤田君、卑怯だぞ!」
「そーだそーだ! 卑怯者!」
たちまち怒号とブーイングが浩之に向かって浴びせ掛けられる。
だが浩之はそんな言葉を全く気にした様子は無かった。
三白眼で倒れ込んだ耕一を睨み付ける。
ゆっくりと耕一が起き上がろうとするのを見て、顔面に前蹴りを叩き込む。
「ぐっ!!」

今度は仰向けに倒れる耕一。
「立てオラ」
そう言いながら髪を掴んで殴り付ける。
一発、二発、三発。
『ちょっとヒロ! あんた何考えてんのよ!!』
マイクが不要なほど大声で叫ぶ志保。
デコイがオロオロと試合始めの合図を送るべきかどうか躊躇っている。
と、そんな彼の肩をポンと叩く人間がいた。
初代beakerだ。
「硬い事考えるな、とっとと始めろ」
そう言って二ィッと笑う。
デコイは頷くと、大声で試合開始を叫んだ。
ブーイングが飛び交う闘技場。
そんな中、あかりと四季は茫然として試合を見ていた。
「ダーリン、どうしちゃったってのよ…………」
ポツリと呟く四季。
そんな中、雅史だけがタオルを握り締めたまま耕一の様子を真剣に窺っていた。
ピクリと耕一の身体が動く。
「浩之!! そろそろヤバいよ!!」


(分かってるよ、んな事)
浩之は狂ったように耕一を殴りつけながら、ゾクリと身体中に湧き上がる悪寒を堪えていた。
やがて殴りつけられながら耕一はゆっくりと立ち上がった。
それを見てピタリと浩之も彼を殴り付けるのを止める。
皮肉っぽく笑い出す。
「ほ〜〜ら見ろ、全然効いてやしねえ」
服の汚れを払う耕一。
「気は済んだか?」
そう浩之に問い掛ける。
冷たい声だった、普段の耕一からは考えられないほど。
その様子にブーイングをかけていた客もやがて静まり返る。
「いーーや、まだまだだね」
そう言ってポケットに手を突っ込む。
耕一は鬼の力を少しずつ開放し始めながら殴りかかった。
風を叩き切る凄まじい音と共に右の拳が浩之に襲いかかった。
浩之は左に避けると同時に、ポケットから手を出して思い切り耕一の顔に向かって
何かを投げ付けた。
「!?」
慌てて耕一は目を押さえる。
『目潰しぃ!?』
うずくまる耕一にゆっくりと近付いて強烈なアッパーを放つ浩之。
「ぐはっっ!!」
たまらずダウンする耕一。
先程まで静まり返っていた客達がたちまち騒ぎ始める。
「反則じゃねーのかっ!?」
「反則負けだろ!?」


ハチの巣を突っついたような大騒ぎである。
が、当事者の浩之はそんな外野の声を全く無視してひたすら攻撃を続ける。
デコイは試合の審判を全て任されていたがどうすべきかこれほど迷った事はなかった。
(どうする…………試合をやり直させるか、それとも……)
頭を振って悩む。
そんな彼にまた初代beakerが声を掛けた。
「このまま続けさせろ」
デコイはその指示に頼るしか術がなかった。


耕一は目をつぶったまま、立ち上がった。
それを見て浩之も攻撃を止めて間合いを取る。
やがてポツリと耕一は呟いた。
「何故、そこまでする? 何故そこまでして闘おうとする?」
浩之は答えた、実に単純な答えだった。
「勝ちたいからに決まってんだろ」
だが耕一のそれに関する答えはもっと残酷だった。
「言い難いが君は俺には勝てない」
浩之はそれに関しては無言だった。
答えに詰まったからではない。


(……分かってるよ、んな事。だけどよお、それでも勝ちたいじゃねーか、
あいつとの約束を守りたいじゃねーか)


(……嘘は嫌いだ、約束を破る事は嫌いなんだ。あいつとの約束を守るためなら悪魔にだって
魂売ってやりたいんだよ!!)


拳を握り締めて駆け出す。
耕一はゆっくりと目を開いた。
浩之は走りながら叫んだ。
「うあああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!!!!!!」
ブンブンと拳を振りまわす。
が、落ち着きを取り戻した耕一はそのテレフォンパンチを避けるとあっさりとカウンターを
彼の胸にブチ込んだ。
突然浩之は自分の胸に鉄球がぶつかったと思った――それほどまでに彼のパンチは強力だったのである。
壁まで吹っ飛んで叩き付けられる浩之。
「浩之ちゃん!?」
「ダーリン!?」
あかりと四季は共に叫んだ。


「かぁ〜〜〜〜〜〜効いたァ…………」
ハンマーで殴られたような痛みが身体中に襲いかかる。
特に胸から腹の辺りに激痛が走っていた。
「どうやら…………アバラが何本かイッちまったみたいだな」
ごはっ! と咳き込んで血を吐いた。
口に溢れる血をぺっと吐き捨てて、立ち上がる。
『ちょ……まだやる気!?』
志保が浩之が立ち上がるのを見て慌てて叫んだ。
「あたりめーだろ」
さらりと言い切ってまた浩之は耕一に向かってゆっくりと歩いていく。


「おらよっ!!」
浩之は耕一の顔面を殴りつけた。
身体が仰け反って倒れ込む――かに思われたが首の力だけで拳を返す耕一。
そしてお返しとばかりに浩之の顔面を殴り返す耕一。
余りの威力の強さに回転しながらもんどりうつ。
歯が折れる音がした、どうも奥歯の何本かが折れたらしい。
口の中でカリカリという音を立てる。


「…………すまない」
耕一はそう言ってくるりと振り返った。
闘技場を出ようとする。
「どこ行くんだ? 試合中に外へ出ると失格だぞ?」
初代beakerが耕一にそう声を掛けた。
慌てて振り返る。
浩之はゆっくりとだが立ち上がろうとしていた。
途中力が抜けるのか何度もふらふらして倒れようとする。
が、膝に手を当てて無理矢理立ち上がった。


この時、初めて耕一は彼に恐怖を覚えた。
「何故…………何故そこまでして…………」
耕一の問いに浩之はニヤリと笑った。




「俺は約束を守る男なんだよ」




<次回へ続く>