グラップラーLメモ第二十五話「安っぽい意地だけど」 投稿者:beaker
「うっっ…………らぁっっ!!」
形も何もない素人同然のパンチを放つ。
耕一はそれを落ち着いて避けると、腹に強烈なブローを食らわせる。
勢い良く血を吐いて、またもや吹っ飛ぶ浩之。
「げほっげほっげほっげほっ!!」
両膝を突いて、ゆっくりと前のめりに倒れる。
身体が小刻みに震える様子はまるで死に直面している人間を思わせた。
「浩之ちゃん!!」
あかりが叫ぶ。
と、その声とほとんど同時にゆっくりと浩之が立ち上がった。
最初は頭を起こし、次に手を闘技場の壁にかけて、身体をゆっくりと起き上がらせる。
耕一は無表情を装っていたが額には微かに汗がにじみ始めていた。
手を口に当てて咳き込む浩之。
大量の血が手を汚していた。
それを見て唇の端を吊り上げると、また前に歩き出した。
耕一の前まで来るともはやパンチとも呼べないような、スローの攻撃を繰り出す。
耕一は目をつぶって頭を振ると、浩之を突き飛ばした。
「……もういいだろう! これ以上やると命に……」
そこまで言って言葉を切った。
浩之がまたもやこちらに向かって歩き出したからである。
思わず少し後ずさる。
『も……もう良いわよ、ヒロ!! もうやめてよ!』
志保が叫んだ。
「そうだっ!! もういい!」
「これ以上は無理だ!!」
そんな声が観客からも聞こえてくる。


四季も立ち上がって叫んだ。
「ダーリン!! もうダメ! もう闘っちゃ……!!」
それでも浩之はゆっくりと対戦相手に向かって歩いていく。
雅史はタオルを必死で握り締めていた。
身体が震え、血が出るほど唇を噛む。
そんな中、あかりだけが座って頭を下げていた。
目をつぶって試合を、彼の姿を見たくないというように。


『あかり! 何やってんのよ! アンタもヒロを止めて!』
志保の叫びにあかりは弾かれたように浩之を見た。
少しずつ、少しずつ遠のいていく背中に子供の頃感じた置いてきぼりにされる恐怖を思い出す。
あの時は自分が叫べば、泣けば、自分の元へ戻ってきてくれた。
でも今は――?


立ち上がる。
「浩之ちゃあん!!!!! もう良いよ! もうやめてよ! 戻ってきてよ!」
大粒の涙を零しながらあかりが叫んだ。
最後は言葉にならなかった、「お願い……」と呟くだけで精一杯だった。
その声に浩之は立ち止まる。
ゆっくりとあかりの方へ振り返る。
そしてちょっと哀しそうな笑顔を彼女に見せた――。
その後、耕一の方に向き直る。


「イヤ…………」
首を振るあかり。
「イヤアァァァァァァァ!!!」
泣き叫んで崩れ落ちる。
耕一はゆっくりと力を溜めていた。
中途半端な攻撃では絶対に彼を仕留める事は出来ない。
ドクンドクンと身体中に血が流れるのを感じながら拳に力を込める。
「これでっっ…………終わりだっっ!!」
ドスン! と激しい音が闘技場に響いた。
耕一のボディブローが再び、浩之の腹に決まったのだ。
人形のように上へ持ち上げられ、そのまま耕一の足元へ落下する浩之。
身体が微かに動いているところを見ると、まだ生きているらしい。
志保達はほっとため息をついた。
生きているだけでもいい。
が、その次に彼を見て凍り付く。
浩之はまたもや動き出していた、彼の腕を掴みながら立ち上がろうとする。
「ま………………………………だ……………………」
囁くような声。
耕一はその手を払いのけると今度は彼の顔面に向かってパンチを放った――
・
・
・
・
(何だ…………俺…………何してたんだっけ…………?)
浩之は必死に考えていた。
確か自分は重要な事をしていた最中だった、という事だけしか記憶に無い。
だが身体中が痺れるように痛い。
眠りたい、と彼は思った。
別にどーでもいいじゃないか、確かに何か重要な事をしていたように思えるが――
命に関わるような事ではあるまい。
そう思った途端、身体の痛みが緩和されて光が彼を包んだ。
(ああ…………もうどうでも…………いいや……)
暖かい光を浴びながら、彼はゆっくりと周りを見回す。
あかりが、泣いていた。
その顔を見た瞬間、ふわふわとした意識がハッキリして、身体中の痛みが戻り出してきた。
光は闇に覆い隠され、代わりにあかりの泣き顔と声だけが頭の中でぐるぐると回り出す。
浩之はあかりの視線の方向を振り向いた。
(こいつか…………こいつが…………あかりを泣かせているのか?)
血が逆流し、心臓が早鐘のように鼓動を打ち、身体中に力が漲って来る。
そして永劫とも思える時間の中――


「浩之ィィ!!!」


彼の頭の中で何かが――


『ヒロッッ!!』
「ダーリン!!!」


そう、ナニカが――


「浩之ちゃあああああああん!!!」


キレた!


ガシィィッ!!
耕一は目の前の光景が信じられなかった。
崩れ落ちる寸前だった浩之が彼の右拳をしっかりと受け止めていた。
「ぐっっ!!」
外れなかった。
代わりに徐々に彼の拳に力がこめられる。
ピシピシという骨の音が聞こえた。
「ぐわああああああああぁぁぁぁっっ!!」
(て、掌で…………俺の拳を握り潰しただと!?)


浩之はまだ両膝を突いて呼吸を整えている。
急速に呼吸が落ち着いてきた。
そしてニヤリと笑う。
耕一は不審そうに彼の顔を覗き込んだ。


「ハハハ…………ハハハア」
立ち上がる浩之。
額から流れ出した血が彼の目元まで侵食している。
「ハハハハハ」
浩之は笑い出していた。
耕一の髪をすばやく掴むと振りまわす。
そして顔面に蹴りを入れた。
地面に滑るように転がる耕一。
「ハハハハハ…………ハハハハッッッ!」
起き上がりながら耕一はこれまで感じた事の無い不気味さを彼から感じ始めていた――。
茫然とその光景を見つめる観客達。
あかりすら目を見開いて言葉が出なかった。
志保がやがて弾かれたようにマイクを持って叫ぶ。
『ちょ…………ま、雅史!! ちょっと何なのよアレはぁ!!』
雅史も茫然としながら浩之を見入っていた。
志保の方を振り向きもしないでポツリと呟く。
「浩之が……………………キレた」
『キレたぁ!? キレたってどういう事なのよ!!』
「分からないよ! 僕もあかりちゃんも浩之が怒っているところはともかく
キレたところなんて見た事ないんだよ!!」
珍しく声を荒げて怒鳴り返す。
『ど、どうなるか分からないって、そんな…………』
無責任、と言おうとしたところで慌てて浩之の方へ向き直った。
「立てよ…………」
先程までよろよろと歩いていた人間と同一人物とは思えないほどの動きで、
耕一に蹴りを叩き込む。
やがて耕一が起き上がり、半ば壊れかけた右の拳で彼の顔面を殴ろうとする。
浩之はそれを避けようともせず、額で彼の拳を受けた。
脳天に衝撃が走るが今の浩之には大した意味は存在していなかった。
代わりに拳を固い額に打ちつけた耕一のほうが苦しんでいる。


「ハハハハハ……」
浩之はボディブローを耕一に食らわせた。
先ほどの浩之のようにごふっと血を吐く。
ゆっくりと浩之が構えた。
テレフォンパンチだ、それは耕一にも分かっていた。
だが、肝心の身体が痺れたように動けなかった。
目の前で拳がゆっくりと近付いてくる。
顔面に拳を受け、首が回転し、地面に転がる。


「も、もしかして…………勝っちゃったりして?」
四季は思わず呟いた。
あかりはまだショックから抜け切れないでいた。
涙が止まらない。
胸の鼓動は落ち着く事なく加速度的に速まって行く。
突如、イヤな予感が身体中を走った。
「浩之ちゃん!!! ダメェ!!!!!!!!!!」
立ち上がって叫んだ。


遅かった。
浩之は左腕を掴まれていた。
振りまわすが離すことができない。
やがて両方の手で浩之の左腕を掴まれた。
ゾクリと浩之の背中に悪寒が走る。
耕一の手は徐々に力を込め始めた、次第次第に左腕に痛みが襲ってくる。
やがてメキメキメキという音、そしてその次に風船が弾け飛ぶような音が観客の耳に届いた。
「がああああああああああっっっっっ!!!!」
浩之が叫ぶ。
左腕からは噴水のように血が噴き出ていた。
『な、何なになに? 何が起こったってゆーのよ!?』
何時の間にか志保の横に座っていた初代beakerがマイクを奪い取って叫ぶ。
『握撃!! 両手で相手の身体の一部分を握り締め、行き場を失った血液で内部から
破裂させる! 単純! だが強力!』


一瞬、耕一の存在を忘れ自分の左腕を茫然と見つめる浩之。
その一瞬の油断が次の攻撃を招いた。
浩之が気付いて耕一の方へ向き直った時には既に足のつま先が彼の目の前に迫っていたところだった。
顎に綺麗に食らって吹っ飛ぶ浩之。
偶然か、それとも必然なのか、浩之はあかりが座っているそばに吹き飛んでいた。


しっかりと壁に手をつかみ、また立ち上がろうとする浩之。
だが、彼の手にそっと別の手が添えられた。
「あか…………り…………?」
「もういい、浩之ちゃん、もう良いってば……」
首を振る、涙はまだ止まらなかった。
そんな彼女の頭にぽんと手を載せる浩之。
「泣くな、あかり」
頭をゆっくりと撫でる。
「約束は覚えているよな?」
こくりと頷く。
「じゃあまだ闘わなきゃいけない事も分かるだろ? ……俺がお前の約束を破った事、あるか?」
あかりはまだ涙が止まらなかった――が、笑う事はできた。
「ううん、約束を破った事は……一回もないよ」
「だろ? だから…………観てろ」
そう言って頭から手を離す。
耕一はゆっくりとこちらに向かって歩いていた。
浩之も歩き出し、あと数メートルのところで互いに歩みを止める。
「正直なところ――」
浩之がポツリと話し始めた。
「今の俺は左腕が死んでいる、あばらも軽く何本かは確実に折れているだろうし、
膝も疲労の為にほとんど上がらない……実質動くのはこの右腕だけって訳だ」
浩之は構えた。
右腕を身体の後ろに動かして、放つ直前の弓のように力を溜める。
「そして一番の問題は体力が限界だって事だ、この一撃を放てば多分、身体は動かねーだろ」
耕一は戸惑った、何故こんな話をわざわざ敵にバラすのだ?
「だからコレは俺の正真証明最後の一撃だ…………覚悟してくれよ」
つまり…………こちらも本気を出せと言う事か?
耕一はようやく合点がいった、耕一は逆に左腕を動かす。
拳を振り上げたまま、ゆっくりと互いに間合いを詰める。


(俺は…………長瀬祐介のように電波みたいな超能力を持っている訳でも――)

足がジリジリと引きずられる。

(目の前の耕一先生のように鬼の力を持っている訳でもねえ――)

後、二メートル。

(だけど、ただの人間代表として一度くらい……一度くらいは……)

互いの間合いに入った。

耕一は目をカッと見開いて左腕のパンチを浩之の顔面に向かって放つ。

(……ビビらせてやる!!)

浩之は首を左に傾けてそのパンチをぎりぎりで避けた――
『カウンター!?』
彼は渾身の力を込めた右腕で耕一の伸び切った左腕をロックして、
勢い良くフックを放った。
ベキベキという音と共に本来届く事の無い間合いから耕一の顔面にパンチが叩き込まれる。
ディアルトはガタリと観客席から立ち上がった。
「獅子吼!? まさかっっ…………」
偶然、なのか? ディアルトは驚愕して浩之を見つめていた。


「もしかして…………勝ったっ!?」
四季が表情を輝かせた。
が、次の瞬間、愕然とした表情に変わる。
互いに最後の一撃を放った瞬間のまま固まっていた二人だったが、
ずるずると床に倒れ込んだのは浩之だった。
耕一は左腕を右手で押さえながら、何とか立っている。
倒れながら浩之は相手がまだ立っている事に気付いた。
身体を動かそうとするがどこをどう力を入れてもピクリとも動かない。
(ダメ、か…………ま、頑張った方だよな)
意識がブラックアウトし始める。
最後の瞬間、ざまあみやがれと言わんばかりに耕一に向かって中指を立てると、
浩之は完全に意識を失った。


デコイとほぼ同時にあかりも飛び出した。
あかりだけでなく、雅史や四季、志保達も。
「浩之ちゃん! 浩之ちゃん! 浩之ちゃん! しっかりしてっ! しっかりしてよお!」
デコイはチラリと浩之を見ただけで分かった。
もう力は残っていない、と。
惜しかったな、と思いながらもゆっくりと手を上げて耕一の勝ちを宣告しようとした瞬間――
「待った!!」
耕一が叫んだ。
「…………え?」
戸惑うデコイ。
耕一は疲れたような呆れたような笑いを浮かべると、
「ギブアップ、俺の負けだ…………」
と呟いた。
デコイは驚いて耕一の方を向き直る。
「し、しかし耕一先生! どう考えてもコレは……」
「何故だい? 別に不都合な事はないだろ?」
「た、確かにそうですが…………」
「何と言われても意志を崩す気はない、浩之君の勝ちだ……」
そう言い放つと振り返って控え室へ歩き出す耕一。
茫然としていたデコイだが、落ち着いてすーーっと息を吸った。
そしておもむろに手を挙げて――


「勝者!! 藤田浩之選手!!」
そう叫んだ。






<じつはまだつづいたり>