グラップラーLメモ第二十六話「いまを生きる」 投稿者:beaker
――保健室(二回戦第三試合終了直後)
「はい、これでよーしっ!」
相田響子が浩之の包帯を巻き終わった左腕を思い切り叩いた。
「いってぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
絶叫する浩之。
「だらしないわねぇ。ちゃんと包帯巻いてあげたでしょ?」
「あのな、さっき怪我したんだぞ、俺は! 包帯どうこう以前にまだ痛いんだよ!」
「ま、アバラはポッキリ折れてるし、左腕にはヒビが入ってる上に一部断裂してるし、それに足首も
捻挫してるし、顔面ボコボコだし、何よりもスタミナ零! よってドクターストップよ」
そんな抗議を無視してカルテにさらさらと怪我の種類を書く響子。
「……言われなくてももう出る気力ねーよ」
「あら。じゃあ私が大丈夫だって言ったらどうしたの?」
悪戯っぽく笑って響子は浩之の目を覗き込んだ。
「……出たかもしれねーけど」
「でしょ?」
響子は目を覗き込むのを止めて、保健室の扉に向き直った。
「もーいーわよー!!」
すぐにガラガラと扉を開けてあかり、四季、雅史、志保の四人が飛び込んできた。
「せ、先生っ! ひ、浩之ちゃんは……?」
慌てて問い掛けるあかり。
「うーん、ま、肉体的にはズタボロだけど命だけには別状ないみたい。
左腕も神経は繋がっているし、アバラは奇跡的に肺に突き刺さってないわよ。
ただ…………」
深刻そうな顔つきになる響子。
「た、ただ…………?」
震える声で続きをせがむあかり。
「ただ……ちょーーっと目付きと顔が悪くなったかなーー? なーんちゃって」
「なーーんだ、よーするに元からじゃない!」
志保が呆れたように肩を竦めて呟いた。
「てめえ、志保! 何抜かしてやがる!!」
絶叫する浩之。
「ほーら、全然元気でしょ? じゃ、アタシは用事があるし、しばらくどーぞ」
響子はそう言って片目をつぶると、保健室を出ていった。
「ちっ、ったく無責任な教師だ」
浩之はブツブツと呟いた。
「まあまあ、でも一生モノの怪我じゃなくて良かったじゃない」
雅史が苦笑して宥める。
「そーよ! あの耕一先生相手に生きて返っただけでもありがたく思いなさい!」
人差し指を立てる志保。
「浩之ちゃん…………」
潤んだ瞳でじっと浩之を覗きこむあかり。
「あー、あかり、その、何だ、約束守れなくてゴメ…………」
敏感に雰囲気を察知して四季が乱入する。
「ダーリン凄い! あの耕一先生相手に勝ったのよ!?」
「勝つって約束を……………………え?」
ふっと四季の方に向き直る浩之。
「四季、今、お前何て言った?」
「え? だからあの耕一先生に勝つなんて凄い…………」
「何ぃっ!? 俺は負けたんだろ!?」
慌てて上半身を飛び起こそうとする浩之。
が、激痛が身体中に走る。
「あいたたたたたたたた…………」
「あ、安静にしてなきゃ駄目だよ……」
慌ててあかりが浩之を押さえ付けた。
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「と、言う訳で耕一先生は自分の負けを宣言しちゃったのよ」
志保が事のあらましを(若干デマを加えつつ)説明した。
「何だよ、それ…………俺は同情でもされたのかよ?」
「いーじゃない、何であれ勝った事は間違いないんだし」
「そういう訳にいくかっ!! …………あいたたた……」
またもや飛び起きようとして激痛にうめく浩之。
進歩ないわねえ、と言いながら志保はため息をついた。
と、その時保健室の扉がノックされた。
「………? どうぞー」
雅史はそう答えて保健室の扉を開けた人物を見て硬直した。
いや、それはその場にいた人間全員と言う方が正しいかもしれない。
「ちょっと…………いいかな?」
そこにいたのは、左腕を包帯でぐるぐると巻いた男だった。
「耕一……先生?」




「なーーんでアタシ達が追い出されなきゃいけないわけ!?」
「仕方ないよ、二人で話す事があるって言うんだから……」
「ダーリンにこれ以上怪我させたらどうなるか覚えてなさいよ〜〜〜〜」
「浩之ちゃん………」
あかり達は結局、耕一に保健室の外へ追い出されたのだった。


天井を睨み付けたまま、表情を固くする浩之。
やがてポツリと呟いた。
「どういう事なんだよ…………」
耕一は椅子に座って顔を伏せたまま、答えようとしない。
「……まさか俺への同情って訳じゃねーだろーな」
沈黙。
浩之はそれを肯定と解釈し、続いてこう言った。
「今からでも間に合うだろ、敗北宣言撤回してこいよ」
少しの沈黙の後、ようやく耕一が口を開いた。
「それは出来ない」
「何でだよ!?」
とうとう堪忍袋の緒が切れて怒鳴り出す浩之。
また起き上がろうとして身体を痛める。
耕一は懐からライターと煙草を取り出すと、火をつけた。
煙が保健室にたちこめる。
「それを説明しようと思って来たんだよ、俺は」
「………………説明?」
すーーっと息と煙を吐き出す耕一。
「ああ」
短く呟く。
耕一は手近の灰皿を手に取ってぎゅっぎゅっと煙草を押し潰した。
少し沈黙する、
「死ぬのは怖いかい?」
唐突にそんな事を聞き出す耕一。
「はあ?」
余りにも突然の質問に間抜けな声で返事をする浩之。
耕一は気にした風もなく続けて質問する。
「死ぬのは怖いのか? って聞いてるんだ」
「そりゃ、まあ、怖いさ、たまらなく怖いよ」
浩之は困惑しながらも素直に答えた。
「では、何故怖いんだ?」
続けて問い詰める耕一。
「いや、何故だって言われても…………」
困った顔で沈黙する浩之。
「俺も怖いよ」
そう言ってニッコリ笑う耕一。
「ただ、その怖さってのは…………死ぬ事自体への怖さじゃないんだ」
「え?」
どういう事を言っているのか分からず混乱する浩之。
「理由は二つ。まず今俺が死ぬと悲しむ人間がいるって事、君にも悲しんでくれる人間がいるだろ?」
浩之はあかりや雅史、四季や志保と言った面々の顔が頭に浮かんだ。
黙って頷く。
「そう、今死ぬと俺は死んだだけで良いかもしれないが、そいつらに大きい痕を残す事になる、
だから死ねない」
「…………だろうな」
「だが、今回はその事はあまり重要じゃない……むしろ重要なのは次の理由」
「次?」
「そう、問題なのは死んだその瞬間、俺は'俺'じゃなくなると言う事」
二本目の煙草に火をつける耕一。
「つまり、それがお前との試合に負けた理由でもあるんだ」
「何だよソレ……訳分からねえよ」
「まあまあ、これから順を追って説明するさ」


「つまり、だ。死んだ瞬間、俺は柏木耕一ではないタダの肉塊になってしまう訳だ。
俺が死にたくない理由の二つ目はそれなんだよ……つまり、俺はまだ俺でいたいんだ。
死ぬのは怖くない、命は永遠に繋がりを持っている、
いつか縁があればまた人間に生まれ変わる事だってできるだろうさ」
柏木耕一は遠い昔の記憶を少し思い出しながら言った――柏木耕一に生まれ変わる前の事を。
天井を見上げ、煙を吐き出しながら言葉を続ける。
「しかし、'柏木耕一'として生きられるのは今、この瞬間しかないんだ……分かるか?」
「ああ、何となくだけど…………分かるよ」
「だから俺はな、死が俺の元に訪れるまで――'柏木耕一'として勝ちたい、
そして'柏木耕一'として負けたいんだ……」
「……………………………………………………」
「あの試合のラスト、君は全てを賭けて臨んだ。試合全体の勝ち負けではなく、
俺と一回勝負して勝つか負けるか――それに全てを賭けた、違うかい?」
「違わない」
浩之はあの瞬間の事を思い出していた、
あの時俺は確かに試合の勝ち負けなんかどうでも良かった。
ただ、人間でも、せめて耕一先生に一矢報いたい、そう思っただけだった。


「そして俺はその勝負に負けたんだよ、技術でも力でもない……君の執念に、ね」
再び煙草を口に咥える。
「…………そこが重要なんだ、つまり今までの展開で俺は勝ってたからとか、
そんな些細な、他の事はどうでもいい」
「ただ、俺と君が一度勝負をして、俺がそれに負けた事が重要。
俺にはそれを無視して自分が勝ったなんて言う事は出来ない、
それは俺という存在の否定でもあるんだよ」
「耕一先生…………」
「馬鹿な意地と言われればそれまでかもしれない、だけど俺にはこうするしか出来ない。
…………悪いな」
三本目の煙草を灰皿に押し潰して立ち上がった。
保健室の扉を開こうとしてふと振り返る。
「納得してくれたかい?」
「ああ」
「それは良かった、俺も怪我を押して来た甲斐があったよ」
「その割には平気そうな顔じゃねーか」
「エルクゥは回復力があるだけだよ」
右肩だけを竦めて、保健室の扉を開けた。
と、同時にドドドッという音がして数人の男女が雪崩込んだ。
「お前ら!?」
浩之が呆れたように叫ぶ。
雪崩てきたのは勿論、先ほどの四人だった。
エヘヘヘヘと照れたように笑いを浮かべるあかり達。
耕一は目を丸くしていたがやがてクスクスと笑い出すと、
「良い友達を持って幸せだな、浩之も」
「へ? あ、まあ、良い友達かどうかは分からないけど」
「そうよお、幸せでしょ? ヒロ!」
「お前は良い友達に入ってねーよ」
冷たい目で睨む志保を睨む浩之。
「キーーッ!! なあんですってぇっ!?」
やいのやいのと口喧嘩をし出す浩之と志保、
そしてそれを苦笑いを浮かべながらなだめる雅史。
浩之にベタベタしようとする四季と、それをしっかり止めようとするあかり。
耕一はそんな彼等を眩しそうに見つめながら、こっそりと扉を閉めた。
五人ともそれに気付かずドタバタとした争いを続けている。


(さて、控え室に戻るか……)
廊下を歩き出す。
が、目の前にいる人間達に硬直する。
「梓……楓ちゃん、初音ちゃん、それに……千鶴さん」
「へっへーー」
梓は悪戯っぽく耕一を見つめてニヤニヤと笑う。
「……お疲れ様でした」
ペコリとお辞儀する楓。
「耕一お兄ちゃん、腕大丈夫?」
心配そうに初音は耕一の腕を見た。
「ああ、大丈夫だよ。すぐに治るさ……」
「耕一さん………」
「千鶴さん…………ねえ、俺ってもしかして馬鹿かなあ?」
唐突に質問する。
千鶴は一瞬躊躇い、ニッコリと笑う。
「はい、大馬鹿です」
「やっぱり、そうか…………」
苦笑して鼻をごしごしと指でこする。
「でも」
言葉を続ける千鶴。
「でも、そんな耕一さんが皆大好きなんですよ」
再び微笑んだ。



柏木耕一・・・二回戦敗退
藤田浩之・・・準決勝進出なるもドクターストップにより棄権