佐藤昌斗は間近に迫った試合に向けて、自分の愛刀を布で磨いていた。 それは気持ちを落ち着かせる為であったのかもしれない。 慎重に撫でるように刃を拭く。 運命に感覚があったとすればくすぐったいと抗議したいところだろう。 幸いにもそんな不要な感覚は存在しなかったが。 布で磨きながら、佐藤昌斗は運命に語り掛けた。 ちなみに控え室には誰もいない、さすがに慇懃無礼な従姉妹も試合前の集中を 邪魔する気はなかったようだ。 <なんでしょうか、主…?> 一つ頼みがあるんだ…、そう昌斗は切り出した。 「やっぱり、やめましょうよ…」 「いーから、いーから! 試合前に励ますくらいならだいじょーぶだいじょーぶ」 「で、でも緊張とかしているのに悪いと思いますし」 例によって戸惑う葵を無理矢理引っ張るひづき、である。 ……やはり慇懃ではあったようだ。 こんこんこん、控え室をノックして返事も待たずに開ける。 「やっほー、まさ…」 そこまで言って言葉が繋がらなくなった。 「あう」 突然開けたドアの前で止まったひづきに葵がぶつかる。 「耕一……さん…?」 ノックの音に振り返った彼の顔はまさしく耕一であった。 が、一回まばたきするとすぐによく見慣れた従兄弟の顔に戻る。 「はえ?」 一瞬ぽかんとして口を開けるひづき。 が、 「ひづきさ〜ん」 葵の声にはっと目覚める。 昌斗は心底面倒そうに言った。 「何だよ、ひづき……あ、それに葵ちゃん!」 前半と後半の声のトーンがかなり違っていた。 「ってあたしはそんなに嫌かい!」 踵落しを遠慮なく食らわす。 鈍い音がして、床に沈む昌斗。 「きゃっ! ちょっとやりすぎた!?」 焦るひづき。 「……お前、少しはそれを自覚しろ……」 うめきながら立ち上がる昌斗。 幸い出血はしていないようだ……ダメージは大きかった気もするが。 ズボンの埃を払い、髪の毛を両手で撫で付ける。 「それじゃ……行ってくるよ」 二人にうっすらと微笑んで、昌斗は駆け出した。 「あ、いってらっしゃってください……」 小さく手を振る葵。 照れ笑いを浮かべながら大きく手を振るひづき。 「私たちも……行きましょうか?」 そう言って葵も歩き出した。 「え? あ、そうね、いこいこ!」 慌てて走り出す、葵に微かに赤らんだ顔を見られないように。 少し胸の鼓動が早まっていた。 (何で……何でアイツが耕一さんの顔に見えたんだろ?) そう思いながら。 <主……主!> 運命が走る昌斗に声をかけた。 走りながら答える。 「何だよ」 <先ほど言った事……本気なんですか?> 「ああ」 短く言葉を切って、 「今回の試合……運命は一切口を出さないでもらいたいんだ」 <何故……> 「この試合が終わってから言うよ……ゴメン」 <私が至らないとか……> 慌てて手を振る昌斗。 「違う、違う。……本当に後で必ず答えを出すからさ」 <……分かりました、ご健闘をお祈りします> 「うん」 昌斗が答えるとほぼ同時に廊下が切れて闘技場が姿を現した。 きたみちもどるの控え室。 緒方理奈は靜と手を繋いで彼の控え室へ向かっていた。 「いーーまでもおぼえているーー♪」 「あの日、見た雪の白さ〜♪」 一緒に歌なんかを歌いながら。 と、そこに両手を組んで控え室の傍らに立つ人間がいる。 「よお、君たち」 「何よ、兄さん」 「あ、英二お兄ちゃんこんにちわ」 ぺこりと頭を下げる靜。 「やあ、やあいつも可愛いねえ」 柄にも無く目尻が下がる英二。 ちょっと不気味である。 「ああ、こんな妹が欲しかったよ、俺」 その言葉に殺気をこめて睨み付ける理奈。 「なーーにーーがーー言いたいのかなーーー?」 「あうあう、けんかは良くないよお……」 慌てて二人をなだめる靜。 「ぐ」 その言葉に押し黙る理奈。 と、英二は突然まじまじと理奈と靜を入れ替わり入れ替わり見つめ始めた。 「な、何よ急に……」 何となく身体が後退してしまう。 「いや、こうしてみるとお前達さ……」 「へへー、仲の良い姉妹みたいでしょー?」 照れて髪を掻き上げながら理奈が彼の言葉を先取りする。 「いや、仲の良い親子みたいだな、と……」 ガン! 10tハンマーを彼の脳天に叩き込んで理奈(と靜)は控え室に向かった。 コンコンコン。 とりあえずノックしてから返事を待つ。 ・ ・ ・ 返事が無い。 トイレにでも行ったのか? そう思って理奈が細目にドアを開けた。 「きたみっちゃ……」 ・ ・ ・ ガチャン!! 慌てて扉を閉じる。 次に入ろうと思っていた靜が戸惑いながら理奈を見つめた。 「理奈お姉ちゃん……?」 「ちょ、ちょっと今忙しいみたいだからあっちで待ってようね!!」 靜を持ち上げて駆け出す理奈。 「え? え? え? あれぇぇぇぇぇ?」 片手で靜を抱え上げ、さりげなく兄を踏みつけて脱兎のごとく走る理奈。 彼女は見た。 真っ暗い部屋の中、膨大な闘気を放出していたきたみちもどるを。 重い空気が部屋の外から流れ出しそうだった。 あんな彼を見たことはない。 「だいじょーぶ! あなたのお父さんはやる気満々だから!」 とりあえずそう靜には言っておいた。 しばらくしてからきたみちもどるが控え室から出てきた。 きょろきょろと靜達を探すが……それよりも真っ先に目に付いたオブジェがあった。 「……何しているんですか?」 「ちょっとタブーに触れてしまったらしい……」 廊下には床までめりこんだ頭を懸命に外そうとする英二がいた。 「まあ、とりあえず頑張り給え、応援しているよ」 くぐもった声でそう言った。 「はあ、ありがとうございます」 ヨガの苦行でもしているんだろーか? そんな事を考えて首を捻りながら、きたみちもどるは闘技場へ向かった。 ゴクリ、と唾を飲み込んだ。 手が震える。 まだ、何もしてないのにな、そう思いながら昌斗はもう一つの手で震える手を押さえた。 汗までかきはじめている。 やれやれ、充分彼の実力は知っていたし、覚悟もしていたが…… (これほど、出鱈目な闘気が放てるとはな……) 彼にとって相対している敵は、余りにも巨大すぎた。 だが、と思い直す。 これは覚悟していた事じゃないか、と。 この試合が決定してからじゃない。 このエクストリーム大会に参加の意志を固めた時だろうか、 いや、彼の元で厳しく鍛えられ、そこから巣立ってからか? いずれも違う、思えば自分……佐藤昌斗が運命を手に入れて、 剣客となる決心をしてからであろうか? 恐怖を感じるのは当たり前だ、大事なのは…… ぐっと右手を握り締めた。 震えは止まる。 (大事なのは恐怖を乗り越える事!) 真っ直ぐきたみちもどるの眼を見つめた。 ちょっと驚いた様子できたみちもどるは昌斗を見つめ返す。 「へえ……」 成長したな、とそう思った。 自分に負けないくらいの剣気をこちらに叩き返している。 眼も良い、こちらに全く臆していない。 合格……とそう思った時、彼はもう自分の弟子ではないことに気付き、苦笑する。 こんな調子では駄目だ、こちらも全力を持って元弟子……今は一介の剣客である佐藤昌斗を相手しなければ。 にしても……こんな清々しい気持ちで闘うのも悪くない、そう思った。 とーるの説明が終わった。 さっぱり聞いてなかった事を心の中で謝っておく。 一旦後方に下がった。 互いに刀を抜く。 自分と共に闘って来た無二の相棒を。 互いに呟く。 さながら合い言葉のように。 「これより我々は……」 「一介の剣客同士……」 「いざ……」 「尋常に……」 「「勝負!!」」 その声ととーるのはじめ、と叫ぶ声が重なった。 同時に双方走り出す。 葵が、靜が、ひづきが、理奈が両手を握り締めて祈った。 昌斗は必死に思考を錯誤しながら走った。 同じ心理先読みの飛天御剣流、いかにして相手の心理を素早く読んで、裏切るか、それが問題だ。 当然きたみちもどるも同じ事を考えているに違いない。 さあ、どうする? 横に飛ぶ……? このまま突撃……? 後退して気をずらすか……? いや、これで行こう。 昌斗はぶつかる直前でしゃがんだ、刀を両手で添えるように持ち、きたみちもどるの顎を狙う。 「飛天御剣流、龍翔閃!」 急ブレーキをかけて、止まるきたみちもどる。 驚異的な速さのバックステップ、ギリギリで刀を避ける。 (避けたか……だが、それでいい!) 飛翔しながら、きたみちもどるの膝を蹴った。 さらに上に上昇する。 「飛天御剣流、龍槌閃!」 龍翔閃を避けたところを見計らって、本命はこちら。 これならイケる! と昌斗は下を見て標的を定めようとした。 「!?」 だがきたみちもどるも既に飛び上がり、昌斗へ向かっていた。 先ほどと同じく……今度はきたみちもどるが昌斗の膝を蹴って、さらに上を行く。 「飛天御剣流、龍槌閃!」 逆刃刀が肩に直撃した、咄嗟に頭だけは避ける事ができたらしい。 物凄い勢いで落下する。 「ちぃっ!!」 足を捻って回転させながら地面を蹴った。 縦ではなく、横の方向へ飛ぶ。 少し足を酷使したせいか、痛んだが激突だけは何とか免れた。 ホッと息をつくひづきと葵。 一方きたみちもどるは軽やかな仕草でスタッと着地した。 「くっっ……」 ズキンと鎖骨が痛む、不幸中の幸いか折れてはいないようだが。 きたみちもどるを睨み付けた。 パクパクと口が動いている、言葉は聞こえない。 「そ・れ・だ・け・か?」 そう言っていた。 頭が沸騰して血が昇る。 「上等……!!」 突撃する。 刀を構えた。 「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」 吠える。 きたみちもどるも刀を構えた。 正眼に構え、完全防御の体勢に入る。 きたみちもどるの目の前でフェイントをかけるかのように、左に踏み込み、身体を回転させた。 「飛天御剣流、龍巻閃!」 神岸あかりが思わず立ち上がった。 同じ飛天御剣流を学ぶものとして、アレの弱点は良く分かっている。 「駄目! 佐藤くん!」 龍巻閃は、カウンターで使ってこその技、先打ちすれば返される…… それが基本である。 きたみちもどるもそれを熟知している。 (馬鹿弟子がっっ……) 何度もこの事については教えたはずなのに。 回転する昌斗の刀を落ち着いて見定める。 こちらに刀が襲い掛かってきたのを見計らって…… カキン! 自分の刀で弾いた。 さらに体勢の崩れた昌斗に追撃を加えようとする。 ニヤリ。 「!?」 確かにきたみちもどるの眼には彼が笑ったような気がした。 「飛天御剣流、龍巻閃!」 「何ぃっっ!?」 ズン、という鈍い衝撃がきたみちもどるの首を襲った。 「ガ………」 弾丸がすっ飛ぶようにきたみちもどるの身体が転がる。 「龍巻閃……二連!」 昌斗が叫んだ。 それと同時に観客も今の技の見事さに歓声をあげる。 そんな中、あかりがペタンと座り込んだ。 呆然と二人を見つめながら呟く。 「凄い……一撃目で弾かれた勢いを利用してもう一回龍巻閃なんて……」 「……だけどよぉ」 浩之があかりの独り言に入り込んだ。 「?」 きたみちもどるを指差す。 「ぜんっぜん、効いてないような気がするぜ」 (この程度で勝てるなんて思っちゃいないよ……) 昌斗はそう思っていた。 そしてそれは正しかった。 きたみちもどるはムクリと起き上がり、首をさする。 (やっぱり……もう、弟子じゃない、か……) 頭では理解しているが、ふとした拍子にその気持ち…油断が飛び出してしまったらしい。 だが、もう大丈夫。 アイツは俺の弟子じゃない。 一人の敵、一人の剣客だ。 だから…… 「始まりは……」 「お楽しみは……これからだ!」 激闘、剣音まだ鳴り止まず…… <つづくよ〜>