グラップラーLメモ第四十二話「決戦…!」  投稿者:beaker



綾香は奇妙な気分だった。
落ち着いている訳ではない、だが慌てている訳でもない。
恐怖に震える事も無ければ、これから始まる闘いに興奮する事も無い。
そう、まるで自分というキャラクターを天井からの視点で動かしている、そんな気分だった。
ここに至るまでの道程を思い出してみる。


一回戦……坂下好恵との闘いだった。彼女は自分が途中で離れた道を見せてくれた。
空手というものの可能性を。そして坂下好恵自身の可能性も。
本当に楽しい闘いだった、痛かったけど、苦しかったけど、それでも楽しいと言えた。


二回戦……EDGEとの闘い。彼女は自分が出会う事なかった道を見せてくれた。
神威のSSという道を。彼女もまた自分に闘いという中で育まれる技術の可能性を見せてくれた
人間であり、彼女の想いは今も綾香の中で息づいていた。


そして準決勝……無音、と名乗ったbeakerとの闘い。これまでの闘いとは全く異質なもの。
闘いというものに、闘う相手に、生まれて初めて恐怖した。
自分とは決して交わる事が無かったはずの道を彼は見せてくれた。
闘いの楽しさ、危うさ、怖さ、痛さ、苦しさ……全部を彼らは見せてくれた。
それでも何故私は闘うのだろうか?


いや、それが分からないからこそ闘っているのかもしれない。
闘う理由を探して闘う。
無限に結論に辿り付く事ができないメビウスの輪(リング)に陥っている気がした。
もし、自分がそこから抜け出せたのならば……。


それは闘いを止める時だろう、そう綾香は思った。
スタッフが試合開始五分前になり、自分を呼びに来た。
扉を開ける、そこには……


ハイドラントがいて、悠 朔がいて、葵がいて、好恵がいて……


次々に激励の言葉を掛けられる。
肩を誰かに叩かれた。
振り返って誰かを確かめる。
「……beaker?」
「応援してますよ、頑張って下さい」
肩を沙留斗に貸してもらった痛々しい姿だが、それでもbeakerは笑ってみせた。
綾香も笑った、
「ええ、任せてちょうだい」
そう言って。


宙に浮いていた自分が自分の身体に入り込むような気がした。
心臓が早鐘を打ち、力が漲って来る。
廊下の終わりまで来て、少しだけ歩き出すのを躊躇う。
ここを踏み越えれば決戦――


綾香は深呼吸をした後、闘技場へ向けてその足を踏み出した。









梓は緊張していた。
それは闘いという事だけではなく、一人の親しい友人と闘うという事実にだ。
いや、もっと正確に言うと、
彼女は親友との闘いを心待ちにしている自分に気付いていた。
だから、悩む。
自分の心の内に住まう修羅という生き物に。
初音や楓を部屋の外へ追いやって、一人部屋の中で考え込む。
自分もやはり……狂っているのだろうか? エルクゥという遺伝子のために。
そんな時、部屋がノックされた。
返事はしなかった、まだ試合開始の時刻ではない。
もう少し、考えに耽りたかった。
だが、返事がないとみるや、その扉は突然ブチ破られた。
「梓ぁぁぁぁぁぁ、応援に来たぜっ!」
びっと親指を立てて、ニカリと笑うのは秋山登。
「梓せんぱぁぁぁぁいぃぃ!」
こちらに向かってジリジリと近付いて来るのは……日吉かおり。
「もー、悩む梓センパイも激ラブゥゥゥゥゥ!!」
……思いっきりこちらに向かって飛びかかって来た。
が、秋山が彼女の足を引っ張ったので無様に地面に叩き付けられる。
「ふぎゃっ! ちょっと、何すんのよ!」
「まあ、待て」
「言うのが遅いわっ!」

はぁ……梓は秋山とかおりのいつもの口論に頭が痛くなってきた。
言っている事が良く聞こえない。
が、突然二人がこちらを振り向いて自分を見つめる。
「な、何よ……」
「そういう訳でっ!」
「梓センパァァァイ!!!」

「何がそういう訳なんじゃぁぁぁ!!!!」
カウンターアッパー。
秋山もろともかおりもフッ飛ばした。
「アンタ達! 人が真剣に悩んでいる傍でうるさいんだってばっ!」
「ほう、で、その悩みはどうした?」
秋山が梓に聞いた、その台詞に彼女はぎょっとした。
「……あれ?」
さっきまであれほど苦悩していたはずなのに、ドタバタ騒ぎに巻き込まれて
何時の間にか忘れていた。
「悩んでいるだけじゃダメですよ、梓センパイ!」
かおりが続いて言った。
「そう! まず行動! それが第一歩!」
「あ……」
秋山とかおりの台詞に二人がわざわざここへ来てどたばた騒ぎをしてくれた理由が分かった。
自分の悩みなぞ、いつものドタバタに巻き込まれれば解消される程度の悩みだ。
気が楽になる。
「秋山、それからかおり……アリガト!」
梓はニッコリと笑った。
その笑顔に二人とも照れたような顔を浮かべる。
「まあ、とにかく頑張ってこい!」
「梓センパイが優勝するって信じてますよ!」


「梓選手、時間です!」
「はい!」

梓は一声大きくその声に答えると、扉を開いた。
初音や、楓、千鶴、耕一と言った面々が出迎える。
「じゃあ、行って来る!」
まるで子供が遠足に行くような弾む足取りで梓は廊下を駆け出した。
そして、廊下の終わりでピタリと足を止める。
両足を揃えて、深呼吸を一つ。
「よし!」
梓は闘技場へ向けての第一歩を踏み出した。



『それではっ! ただ今よりっ! 校内エクストリーム大会素手部門決勝戦を……行います!』
志保がマイクを掴んで叫んだ。
観客がその声に応じて大歓声を挙げる。
『馬鹿馬鹿しく、清々しく、雄々しく、猛々しく、闘い合った選手達――
素手で相手を倒すというある意味乱暴な技術を極めに極め、芸術にまで昇華させた
彼らを否定する事が出来るでしょうか!? ……出来ません! 我々はただの人間です!
だから! 彼らが……技術を極める様を見守る事しか出来ません! ならば見届けましょう!
究極の闘いを……見せてもらいましょう! では選手入場!』


「Leaf学園二年! 来栖川綾香選手!」


「Leaf学園三年! 柏木梓選手!」


「さあて……」
beakerが二階へ戻って呟いた。
傍らには沙留斗と好恵、それに初代beaker。


「'ヒト'が勝つか'オニ'が勝つか……」


ハイドラントが呟いた。
「見せてもらおうか、綾香……」


綾香と梓はほぼ同時に闘技場へと足を踏み入れた。
ゆっくりと、だが真っ直ぐ相手に近付く。
言葉は交さなかった、ただお互い見つめ合い、ただ微笑んだ。


とーるは試合開始前の注意を促そうとして……止めた。
今更言うことではないし、二人の集中を邪魔するのは余りに無粋だ。
席に戻って、志保に合図を送る。
とーるの合図に志保が頷いた。
『……それでは、決勝戦……始め!!!!』


開始の合図と同時に二人は動いた。
梓が先に攻撃を仕掛ける、右のパンチ。
だが、綾香は充分な余裕を持ってそれを捌くと、後ろ回し蹴りを梓の後頭部に放った。
いきなりの大技に少しだけ焦る梓。
だが梓はそのまましゃがんで彼女の軸足を払おうとする。
力任せの攻撃ではなく、相手の攻撃に対応して動く梓に綾香は驚いた。
この大会だけで、彼女はより一層成長したような気がする。
だが、
自分もこの大会でさらに成長したのだ。
綾香は後ろ回し蹴りの足を止める事なく、軸足ごとジャンプした。
空中でくるりと回転すると、何も無い空間に軸足での蹴りを放つ。
「!?」
観客が戸惑った瞬間、その軸だった足の蹴りの勢いを活かしてさらに身体を回転させる。
後ろ回し蹴りを放った足が空中の踵落としとなって梓の頭を襲う。
だが、梓はそれに素早く反応するととっさに十字受けで頭をガードした。
綾香の踵落としは梓の腕の受けに阻まれた。
だが、それだけではない。
梓は受けた腕の痛みを堪えながら綾香の足を掴んだ。
そしてそのまま自分の身体ごと回転する。
「たあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
まるで砲丸投げのように梓は綾香の身体を放り投げた。
勢い良く壁に向かって投げられた綾香。
だが、綾香は空中で体勢を立て直すと、そのまま壁に足を付き、バネを溜めて
壁からまるでロケットが発射しそうな勢いで飛び出した。
「それっ!!!!」
拳を握り締めて梓に飛びかかる。
「!?」
梓の頬に綾香の拳が激突した。
そのまま地面を転がる。
「くっ!」
だが、すぐに体勢を立て直した。
立ち上がり、構える。
綾香も一旦ここで構え直した、一気にここで勝負をつけられるほど彼女は甘い人間ではない。


一瞬の沈黙、
「す、スッゲええええええええええええ!!!!!!!!!!」
観客の大歓声が闘技場へ振り注いだ。


「やれやれ、……二人ともマジで強いですねぇ」
呆れたようにbeakerが呟いた。
「本当に……今の攻めと守りがポンポン変わるんだもん、少し混乱しちゃったわ」
「まあ、今の攻防は引き分け……でしょうね、最後の一撃はトリッキーでしたが、
梓さんにはまるで効いてなさそうですし」
初代beakerが会話に割り込んだ。
「だが、今ので若干金持ちの嬢ちゃんにも不安要素が見えてきたな……」
「打撃が……弱いですね、少し」
beakerがその言葉に頷いた。
もちろん、綾香の打撃は一流だ、だが梓の身体の頑丈さも並み大抵ではない。
つまり、梓に効果がある打撃は一撃必殺というような感じの打撃でないと多分ダメだろう。
だが、そんな打撃は力が強い分、読まれやすく、捌かれやすい。
トリッキーな一撃は確かに梓に当たるだろうが、それが効果があるかどうかは別物だ。
すると、綾香に残された手段は……


「お、やはりそう来たか」


綾香はゆっくりと両手を心持ち広げながら、ゆっくりと近付いて行く。
「投げ技、関節技……なるほど、これなら相手の打撃を防ぎつつ、攻撃ができる」
感心したかのようにbeakerはうんうんと頷いた。
「だが、あのデカい嬢ちゃんもただ、対策がないわけではあるまいて」
それにさっきのトレーニングの効果がどれほどあるか……それが問題だ、
と初代beakerは心の中でそう付け加えた。


『綾香選手、組み付いた!』
梓も襟を掴んで対抗する。
だが綾香は微妙な体重移動を盛んにすることで梓の身体のバランスを崩れさせた。
そして、梓の手を一本掴んで後ろを振り向き、一気に投げる。
『一本背負い!』
梓は苦手な投げ技に移行されても驚くほど落ち着いていた。
無意識に、投げられる瞬間、足で跳ぶ。
引っ張られるように投げられても、梓は自分の身体をコントロールできた。
そして、両足で着地する。
『……決まりません! 何と梓選手! 両足で着地してしまいました!!』
さすがに綾香も茫然とする。
投げた瞬間から梓の身体の重みが全く使われなかったからだ。
たった一試合、わずか三十分前くらいの出来事でこうも変われるものか……
綾香はNTTTに余計な事をやってくれてありがとう、と一瞬毒づきたくなった。
綾香にも才能があり、成長力が早いのと同様に梓も成長が早いのだ。
冷静に綾香は現状を分析する、はっきり言ってこちらが相当不利、である。
だがしかし、
負ける訳にはいかないし、負けない。


綾香は構えながらも、慎重に距離を取った。
梓は彼女が自分を牽制している事に気付き、それならば、と自分から仕掛ける。
「行くわよ!」
鬼の力を最大限に発揮して、梓は殴りかかった。
だが、綾香は構えたまま動こうとしない。
そして、梓の拳が唸りを上げて綾香に襲い掛かった瞬間――
梓は投げられた。
ギリギリで梓の拳を見切った上で、その勢いを利用して拳を放った手を取って、投げたのだ。
余りにも拳に勢いが付きすぎていたために、簡単に投げられる。
梓は床に落とされ、苦しさの余り息をこぼす。
だがそれを堪えて立ち上がると、なるほどと納得したように呟いた。
「なるほど、アンタも使えたのね……ソレを」
「ええ、あなたが教えてもらうよりもう少し早くね」


「今の攻防は……」
「金持ちの嬢ちゃんに一日の長あり、というところだな」


だけど、と綾香は心の中で呟いた。
これで有利になったとはとても思えない。
まだまだ勝負はこれから――


きっと、両者とも総力を使い果たす1戦となるだろう。
綾香も梓もそういう予感はしていた。


「で、beakerはどちらが勝つと思うわけ?」
好恵が聞いた。
「さあて、個人的には勿論無音に勝った綾香さんと言うのが常道なんでしょうが……」
呆れたように頭を振って、
「柏木梓……彼女と当たっていても僕が勝てたとは思えませんからね……」
「つまり……」
「そういう事は神様に聞いて下さいって事です」



「アタシは自分のために、応援してくれた皆のために、そしてあの二人をガッカリさせない
ためにも……」
拳を構えながら梓は言った。
「勝つ」


「私は……自分のために、そして私の前に立ち塞がった彼らのために……」
綾香もそれに応じて言った。
「勝つわ」


そしてまた、二人は激突した。