グラップラーLメモ第四十三話「最後に立てし者」  投稿者:beaker




スパン!
綾香の回し蹴りがガードした梓の腕にヒットした。
腕にビリビリと痺れが走る。
「くぅ……」
梓は一方的に押されていた、いや、少なくとも観客の目からはそう見えた。
わずかにSS使いの一部が梓と、そして綾香の真意に気付いていた。
間髪を入れない攻撃……綾香はその言葉を実践していた。
梓が何か行動しようとする前に、素早く攻撃する。
確かに梓は攻撃する暇もなかった、キチンとガードはしていたのだが。
しかし綾香は息をする暇がなかった、あまりにも激しすぎるラッシュ……
無酸素の運動を数分以上続ける事は人には不可能だ。
梓もそれは良く分かっていた、綾香のラッシュが途切れる時が絶対に来る。
それまでガードを固めておくべき……そう判断していた。
だから、梓はフェイントからの単発的な攻撃を何度か食らっても焦らなかった。
焦る必要はない、大したダメージではないし、いつか終わる時が来る。


だから梓はひたすら待っていた。


綾香もそれは分かっていた、今の自分が無茶苦茶をやっている事も、梓が待ちに入っている事も。
しかし、それは一方で今の状況では梓は反撃しないという事の証でもあった。
ならばとことんやれば良い……ひょっとしたら隙を見つける事が出来るかもしれない。
綾香はそう思ってラッシュを続けていた。


そして、限界が来た。


綾香の攻撃はピタリと止まった。
大きく息を吸って、吐く。
肩が激しく上下に動いていた。
そして今の今までガードを固めていた梓が……動いた。
のろのろと綾香も自分の身を守ろうと動く。
しかし、それは梓には関係がなかった。
……ガードごと打ち破るだけだ。


「ぐっ!!!!」
綾香も梓がガードごと攻撃してくるであろうという事は予想していた。
予想を上回ったのは梓のパワーだ。
(マズっ……)
綾香はパンチを腕に放たれた瞬間、動物的な反射神経で後ろに飛びのいていた。
身体が羽毛のように軽く吹き飛んだために威力は半減する。


綾香は床に着地すると腕を押さえて顔をしかめた。
ズキンと針が刺したような痛みが走る……ヒビが入ったのかもしれない。
ガードができるのは後、二回……いや一回が限度だろう。
ラッシュを仕掛けてみてもまるで隙は見せてくれなかった。


少し、綾香の頬に汗が伝った。
その心の焦りを梓は感じ取ったのか、こちらに向かって牽制もフェイントもなく突っ込んでくる。
ヤバい、何も思い付かない。
梓は右の拳を振り下ろした。
咄嗟に綾香はその腕を掴んで、身体を回転させる。
一本背負い……だが、梓には既にこの技は通用しない事が分かっていた。
だが、ふと、思い付いた。
『おぉーっと、綾香選手またもや一本背負……え?』
鈍い音がした、梓が床に頭から落ちた音だ。


「なっ……」
綾香は一本背負いで梓の身体が逆さまになった瞬間、自分の足を開いていた。
予想していた位置より遥かに低く、投げられた梓は脳天から床に叩き付けられた。


「スッゲ……」
beakerはため息をついて感嘆した。
来栖川綾香は一瞬一瞬の判断力、行動力が凄まじすぎる。
だが、もっと驚くべきは……


床に脳天から叩き付けられたはずの梓の耐久力だった。


梓はスックと立ち上がった、頭を押さえながら。
そして、叫ぶ。
「まだまだァァァァッッッ!!!!」


「なっ……」
「ウッソだろぉ……」
観客のざわめきが辺りを支配する。


「化け物ね……」
呆れたように、可笑しい事のように、綾香は言った。
「綾香にだけは言われたくなかったわよ……」
頭を押さえながら答える梓。
だがそんな会話をしていた一瞬、梓は頭がクラリと来るのを感じた。
視界が歪み、綾香の姿が判別できなくなる。
綾香もそれを瞬時に察知した。
走る、この隙を見逃すと二度とチャンスは訪れないかもしれない。


「このっ……」
梓は歪む視界の中、駆け寄ってくる綾香を何とか判別して、拳を振りまわす。
だが、綾香はその腕を掴んだ。
そして両足を梓の首に絡ませる。
飛び付き腕十字……が、完全に決まった。
「やった! これで倒れれば……終わり!」
葵が叫んだ。


「……が、まだ'極まって'ない」
梓は立っていた。
綾香の全体重が右腕一本に掛かっているのにも関わらず、
梓は立ち尽くしていた。
骨が軋み、ミシミシと音を立てる。
「いっ……せぇーーの……でっ!!」
梓は綾香ごと右腕を思い切り掲げた。
そして、綾香を粉砕するように右腕を床に叩き付ける。
「ぐっ……!!!!」


「綾香の体重が割合軽いとは言え……」
悠 朔が呟いて、首を横に振った。
「化け物め……」


「今ので綾香の嬢ちゃん……アバラが何本かイッちまったな」
「……動けるところを見ると肺には突き刺さっていないようですが……」
「だが、次の攻撃でどうなるか分からんぞ……ちょっと行って来る」
あの娘をここで朽ちらせるには惜しすぎるでな、と言って初代beakerは一階へ降り立った。
いざという時の為に回復魔法を発動し続ける。
確かに違反であり、失格になるだろうが……
「死ぬよりはマシじゃからな」
そう呟いた。


大きく息を吸った、アバラが痛むが肺には刺さってないらしい。
「よし!」
叫んで立ち上がる。
ダメージは負っているものの、いずれもギリギリで致命傷を回避している。
ほとんど運が良かっただけだが。
それに今回はただ、攻撃を食らった訳ではない。
キッチリ梓にもダメージを負わせている。
梓が苦しそうに右腕を押さえている事からもそれは明らかだった。
お互い打撃では勝負が終わりそうにない、と綾香は思った。
そうかと言って投げ技ではとてもではないが勝負が決まりそうになく、
関節技は梓の力が怖かった、一回戦の葛田戦のように力で強引に技を返しかねない。
だが、今なら。


そう、今なら梓に関節技を仕掛ける事が出来る。
綾香は身体を低くし、両腕は人を抱き止めるように構えた。
そして、走る。
梓の両足を抱きしめて勢い良くタックルした。
素早く足を両手で絡めて、極めようとする。
梓は強引に足を抜き取った。
しかし、綾香は諦めなかった。
フェイントをかけながら、足を取り、腕を取り、首を絞める。
綾香にはグラウンドでの攻防は絶対の自信があった。
だが、梓はギリギリで、極められる寸前で動物的な勘で技を防いでいた。
やがて、綾香が攻めている時間が少しずつ短くなっていった。
その代わり、梓が少しずつ自分の動きを攻めに転化していった。


「……信じられない……」
「何が?」
冷や汗をかいているbeakerに好恵が不思議そうに聞いた。
まだ、気付いていなかった。
「この状況下でまだ、'学習'している……」
「まさか……」
全く信じられないと言うように好恵は顔を引き攣らせて笑った。


「綾香が……焦り始めている」
悠 朔が綾香の焦りの表情に気付いた。
「マズいぞ、下手に一気に極めようとすると……」
綾香が右腕を取った。
急いで関節を極めようとする。
「ヤバいっ! 綾香! それは罠だ!」
両者の身体が回転した瞬間、攻勢は逆転していた。
綾香は仰向けになって、左腕を複雑に梓の腕に絡まされて極められている。
『アームロック……!』
ボキィッ!!
そして、一瞬の後、何かが砕かれるような、小気味良い音がした。


(折った……)


(躊躇い無しで折りやがった……)


(この勝負、梓の勝ちか……)


だが、梓は驚愕していた。
今起こった出来事が信じられないかのように。
仰向けに寝転がっていた綾香は左足を動かした。
それで隙だらけの後頭部を蹴る。
「ぐっ!」


梓もさすがに予期してなかったと見えて、極めていた腕を外し、転がって立ち上がる。
「アンタまさか……」
頭を押さえながら信じられないという風に呟く。
綾香はその言葉に頷いた。
そして、左腕を押さえて一気に肩をはめ込む。
激痛が走って、うっすらと涙が出てくる。


「おい、まさかアイツ……」
「わざと引っかかりやがったか……?」


「ね、ちょっと今のどういう事……?」
「綾香さんの方が薄皮一枚分だけ上手だったようですね……」
「え……?」
「まず、梓さんが罠を仕掛けた。そして綾香さんはその罠にわざと乗った……
当然梓さんは腕を極める、これでギブアップを取るためにね。
だけど、綾香さんは……自分から肩を外した、御丁寧に音が聞こえるほど激しくね。
そして後は見ての通り、梓さんはギブアップを取る為に力をこれ以上入れる事を躊躇していた
はずなのに、何故か下から腕が折れる音がして焦った。
その隙に綾香さんは無防備な後頭部へ蹴りを放った、って訳です……」
「じゃあ、左腕と引き換えに綾香は後頭部への蹴りを選んだって訳? そんな馬鹿な……」
「僕もそう思います、けど先程から梓さんが後頭部へ打撃を加えられている事を加味すれば……」


「今のは相討ち……か?」
「……ギリギリでな、しかしそれでも綾香……左腕の代償は高くつくぞ」


「綾香さんは左腕とアバラ……梓さんは右腕と頭部……多分僕の勘ですが、次で決着がつくと思います」
「次で?」
「はい、多分……次がラストです」


(もう、策も技も全て出し尽くした……後は、残ったこの左腕に……賭ける!)


(これがどうやら最後になりそうね……)


梓は左の拳を構えた。
綾香は両手をダランと下げたまま、構えない。
そして二人とも見計らったように同時に近付く。
一歩、また一歩ゆっくりと。


互いに攻撃できる距離まで足を踏み入れた。
だが、まだ攻撃はしない。
足を踏み入れただけ。
そしてまた一歩足を進ませる。
互いの攻撃の間合いにまで完全に相手の身体が入った。
だが、それでも、二人は仕掛けなかった。


観客席は水を打ったように静まり返る。
葵は微かに歯を鳴らして震えていた。
手に持っていた紙コップのジュースの水面が揺らぐ。
Runeがそれを見て、背中から肩を叩いた。
「おい、落ち着……」
だが、それが仇となった。
葵はビクリと身体を跳ね上げた、そして紙コップから手を離す。
「……!」
ゆっくりと、スローモーションがかかっているように紙コップは落下した。
通常ならば聞き過ごされる音だが、今の状態では否応なしに闘技場まで響いてしまう。
カコーンという音がした瞬間、梓と綾香は同時に動いた。
梓は左の拳を振り上げ、一気に綾香の顔面へ向けて放った。
策も、技も、何もない純粋な攻撃。
綾香は右腕を上げて顔面を庇った。
だが、そんな事も意に介さずに梓は右腕に拳を叩き付けた。
右腕から嫌な音がして力が抜けていった。
折れた……綾香はそれが分かった。
だが、威力は衰えたとはいえ梓の拳は顔面へ向けてまだ迫っていた。
綾香は顔を左にかすかに背ける。
梓の拳は頬を掠めて、綾香の側頭部を通過していった。
そして伸ばされた腕を綾香は首と肩を使ってロックする。
微妙な体重移動、そして梓の拳の力が急激に別な方向に移動していく。
梓は急に自分の身体が引っ張られたと思うと、バランスを崩した足を払われた。
空中に浮かぶ、そして


「でぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいいい!!!!!!!!」


死に体だったはずの左腕が梓の顔面を掴んで、床に叩き付けた。
「がっ……」
梓は、激しく後頭部を叩き付けられた。
そして、動かなくなる。


とーるが技が決まった瞬間、物凄いスピードで駆け出した。
梓の表情を見た瞬間、すぐさま志保に合図を送る。
志保は頷いた。


『勝負あり!!!!!!!! 素手部門優勝者は……来栖川綾香選手です!!!!!!!』


「や……やりやがった……」
悠 朔がペタンと床にへたり込んだ。
「あ、あ、あ、綾香さああああああああああああん!!!!!!!!!!!!!!!」
葵が泣きながら闘技場へ飛び出し、綾香に抱き着いた。
「クックックックックック……どうしてあいつはこうも俺の予想を覆してくれるかね……」
ハイドラントは思い切り笑い出した。
「beaker! ちょっと悪いけど……」
「はいはい、行ってらっしゃい」
好恵はbeakerから手を離すと慌てて二階から一階へ飛び降りた。
そして綾香に駆け寄る。
「綾香ぁぁぁ! アンタってヤツはっ!」
既に綾香の周りには人の輪ができていた。
梓は数瞬、昏倒していたが相田響子が背中をトンと叩くと目を覚ました。
「梓っ!」
「センパイ!」
秋山やかおり、勿論自分の姉妹や従兄弟も彼女の周りに集まっている。
「皆ゴメン……負けちゃった」
てへ、と照れくさそうに笑う梓。
秋山とかおりは二人してアイコンタクトで頷くと、二人で梓の両肩を担ぎ上げた。
「梓センパイ! カッコ良かったです!」
「ああ、今までで一番輝いていたぞ!」
秋山の時代かかった台詞に照れ笑いを浮かべる梓。
嬉しかった、皆の気持ちが。
「とりあえず……保健室へ行きましょ」
「はい……」
梓は綾香と、綾香の周りにできた輪を振り返った。
そして、誰にも聞こえないように綾香に向かって囁く。
「おめでとう、綾香……」


綾香は人の輪の隙間からこちらを観ている梓に気付いた。
声は聞こえないものの、梓の口が動いている事に気付く。
そして、何を言ってくれたのかも。


だから綾香も返した。


「ありがとう、梓」
と。










校内エクストリーム大会素手部門優勝者……来栖川綾香