シネマLメモ「フェイス/オフ」完結編 投稿者:beaker
坂下好恵はいつかこの日が来るであろう事を予測して、
色々なシミュレーションを頭で思い浮かべていた。
だが目の前にいる男の反応は彼女が思っていたのとはまったく
正反対であった。
ショックで真っ青になったのである。
「俺の…………娘?」
その反応を訝しく思いながらも好恵は続けた。
「そうよ、ティーナは正真正銘あなたの娘…………兄以外の人間には話した
事が無いけどね」
何て皮肉だ、そうOLHは思った。
死んだ娘の生まれ変わりのようなこの娘がよりによって仇敵の子供だとは。
あまりの運命にOLHは笑い出しそうになったが自制した。
膝を突いてティーナを迎えようとする。
「ティーナ、パパに御挨拶して」
好恵はティーナの背中を押した、ティーナは戸惑いながらもおずおずとOLHに近寄る。
OLHはかつて彼が家族の愛に満ち溢れていた時のような笑顔でティーナを抱き寄せた。
手のひらでそっとティーナの顔に触り、顎までそろそろと動かす。
くすぐったそうに笑うティーナ。
坂下好恵はbeakerの余りの変化に戸惑いながらも親娘の対面にほっと息をつき、心を和ませていた。


その時だった。


突然OLHの顔が強張ると好恵とティーナを無理矢理床に伏せさせた。
それとほぼ同時にガチャンという音と共に窓ガラスが割れ、催涙ガスが投げ込まれていた。
OLHは咄嗟にそれを窓に放り出した――ところが放り出した瞬間にたちまち銃弾の雨が降ってくる。
好恵は悲鳴を上げてティーナを抱き締めた。
ティーナはあまりの轟音に泣き出し始める。
OLHは床に這いながら二人のところへ何とか戻った。
好恵はたまたま側にあったウォークマンとヘッドホンをティーナの耳に装着し、目一杯ボリュームを上げた。
ティーナの耳にたちまちジョディ・ガーランドの唄う「オーバーザレインボウ」が大音量で流れる。
「こっちへ来るんだ!!」
這いずりながらOLHは好恵とティーナにそう叫んだ。
だが聞くとあちこちで銃声と怒号が聞こえてくる。
(ヤツだ――――)
そうだ、beakerだ。
来栖川警備保障を動かしたんだ。
くそったれめ。
「YOSSYFLAME!! 今ティーナをそっちに連れて行く!!」
そうOLHは叫ぶと、こっそり彼女達に近づこうとしていた隊員の頭を狙い――思いなおして足を狙った。
もんどりうって倒れるのを確認すると、好恵はティーナをYOSSYFLAMEに渡した。
ティーナを二階のフロアへ連れてきたYOSSYFLAMEは片目を軽くつぶった。
「ティーナ、心配するな。おじさんが悪い奴等をやっつけてくるからな」
ティーナは無邪気に頷くと再び音楽に耳を傾けた。


そして時はゆっくりとスローモーションで映し出される映像のように、残酷に、無慈悲に、流れていった。
先ほどの部下達は警備保障の圧倒的な火力に圧倒され、ほとんどが息絶えていた。
中には女も混じっている――。
そこら中に悲鳴が上がる中、ショットガンをマトモにぶち込まれた一人の隊員がサブマシンガンを
辺り構わず乱射し始めた。
既に彼は息絶えているが指だけが先ほどからしっかりとトリガーを握り締めていた。
好恵が悲鳴を上げる。
「ティーナ!!!」
既にOLHは駆け出していた。
ティーナは先程から何が起こっているのかも知らず、無邪気に立ち尽くしていた。
相変わらず耳には「オーバーザレインボウ」。
OLHが抱き締めてその場を離れた瞬間に、先程までティーナがいた場所がサブマシンガンの弾丸で、
無残に破壊された。
「大丈夫、大丈夫だ、パパがついてるぞ」
OLHは軽くティーナの頬にキスをすると好恵に再びティーナを預けた。
そしてYOSSYFLAME、好恵、beakerは隠し通路に向かう。
幸いにもここにはまだどの人間も見当たらなかった。


一人を除いては。


彼はゆっくりとそのロフトの階段を降り、優雅に銃を構えた。
周りには鏡が円間隔で備え付けられ、中央にはさらに等身大の鏡が対照的に鎮座している。
その鏡の間を縫って、好恵が現れた。
彼は彼女に向けて銃を構えた。
だが好恵の前を一人の人物が通りすぎようとする。
ためらいなく彼は銃をそちらに向けた。


ズギュン!!


YOSSYFLAMEは喉に引っかかるような痛みを最初覚えた。
手を当てるとべったりと自分の手に何かがついた。
血だ。
撃たれたのか? 俺が? 何てこった、まだやるべき事が残っているのに。
咄嗟に彼は手で喉の穴を押さえた。
そして好恵を呼ぶ。
「好恵、ティーナをしっかり護れよ」
好恵はYOSSYFLAMEの様子に気付かず言った。
「当たり前じゃない」
「それからな、愛しているぞ」
そう言って少し抱き寄せ、頭を撫でる。
「さあ、さっさと行け!!」
戸惑いながらも好恵はその指示に従った。
OLHはYOSSYFLAMEに駆け寄った。
YOSSYFLAMEはOLHの姿を見るとニヤリと笑って崩れ落ちた。
「よう、beaker。楽しかったと思わないか?」
そのままYOSSYFLAMEは静かに目を閉じた。
OLHは怒りに任せてYOSSYFLAMEが持っていたイングラムを片手に撃った人物目掛けて
撃ちまくった。
たちまちの内に周りの鏡がイングラムの弾丸によって破片と化す。
だが素早くbeakerは鏡の間をすり抜けて柱に隠れる。
OLHもそれに反応してイングラムの弾丸が切れるまで撃ちまくった。
カチリという音がしてイングラムの弾丸が切れた事を確認すると、OLHは中央の一際巨大な鏡に背中を
預けた。
直感的にその鏡の裏側に’誰か’がいると分かった。
そしてその’誰か’が誰なのかも。
そいつはため息をついてこう背後のOLHに囁いた。
「お前と顔が変わって何がこんなに嫌なのか――
お前の顔か? 体か? お前の女房と寝るのは悪くないんだが……」
一息つくbeaker。
「やっぱりお互い前の体が良いと思わないか? 元に戻ろう」
OLHは目をつぶった、笛音の笑顔がすぐに思い出される。
あの時の死に顔も。
「お前が――」
「何?」
「お前が俺から奪ったものはもう元に戻らない」
静かな声だった。
何年も貯め続けていた怒り。
それがもうすぐ爆発しようとしていた。
「ああ、そうかいそうかい。じゃあな、もう一つプランがあるんだが……?」
beakerは憎々しげに言うと、
「殺し合おう!!!」
そう叫んだ。
それを引き金に二人の男は互いに背後の鏡の自分――いや、相手に向かって引き金を引いた。
互いの弾丸は二人の頬を掠めた。
引き金をさらに引き続けながら倒れ込み、なおも撃ち続ける。
と、beakerは鏡を寝転がったまま思い切り蹴った。
OLHは慌てて転がって鏡から離れた。
鏡が倒れ込むと同時に埃が舞い上がる。
OLHはbeakerより一瞬早く立ちあがり、唯一の脱出口である屋上への階段へ向かおうとしていた。
beakerも何とか立ち上がり、階段を登る無防備な背中に向かって引き金を引く。
カチリ。
弾丸切れだ。
くそっ。
beakerは舌打ちすると慌てて弾倉を入れ替えた。
だがその間に既にOLHは屋上まで来ていた。



屋上から別の屋根に伝おうと梯子に手をかけたその時、誰かが自分の手を踏みにじった。
たまらず悲鳴を上げる。
「よお、兄貴。反省房以来だな、元気かい?」
そう言いながらぐりぐりと手を足で抉る。
「あん時はよくも俺に恥をかかせてくれたな、礼はさせてもらうぜ」
OLHは片手でぶら下がると、素早くポケットから拳銃を取り出した。
思い切り足を踏もうとした沙留斗は顔色を変える。
「このッッッッ」
言葉は続かなかった。
至近距離で拳銃を発射された沙留斗はふらふらと前のめりにつんのめる。
だが、沙留斗は最後の力を振り絞ると目の前のOLHを道連れにしようと服に手を引っ掛けた。
OLHも悲鳴を上げて梯子から放り出される。
沙留斗は天井の吹き抜けからガラスを勢い良く割ってそのまま落下した。
OLHは間一髪で天井の鉄パイプに手を引っ掛け、そのまま這い上がって天井からは落ちずに済んだ。


beakerは突然天井のガラスが割れて見慣れた誰かが落ちてきたのを呆然と見つめていた。
ぐしゃりという気分が悪くなる音がした後、沙留斗が側の床に横たわっていた。
beakerは酷く混乱した。
弟が、沙留斗が、いない自分など考えた事も無かった。
震える手で沙留斗の顔を触った、動いたような気が幽かにした。
「救急車を呼べ!! 早く!! 誰か呼んでくれ!!」
その声を聞きつけて一人の隊員が姿を現した。
緊張した面持ちだった彼は沙留斗の姿と焦るbeakerの顔を見てホッとため息をついた。
「放っておきましょうよ、そいつは沙留斗です」
beakerは湧き上がる衝動に正直に従ってその隊員の眉間を銃で撃ち抜いた。
沙留斗は身動き一つしなかった。
死んだのだ、そうbeakerはようやく理解した。
沙留斗の眼をつむらせ、ほどけた靴紐を子供の頃のように直してやると、彼の頭を撫でた。
ぬるりという感触がするが、そんな事はどうでも良かった。
「沙留斗、この償いは必ずあいつにさせてやるからな、あいつの死で」
beakerはおそらく何十年かぶりに悲しみの涙を流した。
愛する弟を殺したヤツに深い憎しみと、殺意と、怒りを覚えながら。


勇希はシャワーを浴び終わると、着替えて寝室へ向かった。
三時間程度の仮眠しか出来ないがなるべくならリラックスした状態になっておきたい。
これからの夜勤、いつどんな急患が入ってくるのか分からないのだから。
髪をバスタオルでごしごしと拭きながら寝室のドアを開け、ベッドへ潜り込もうとする。
だが、


「勇希」
見知らぬ男の声が自分を呼び止めた。
はっとして振り返る。
口をぽかりと開け、どんな予想もしなかった人間が自分を優しく見つめている事に気付いた。
beakerだった。
そう、私達の娘を殺したあの男。
彼は勇希の様子を見て、慌てて近づき口を塞いだ。
「待て待て、待ってくれ!! 落ちついて話を聞くんだ、落ちついてくれ」
パニックになってもがく勇希を何とか押さえつけてベッドに座らせる。
「いいかい? そのまま話を聞いてくれ。僕はbeakerじゃない、僕はbeakerじゃないんだ」
嘘おっしゃい、
忘れるものですか。
あの時の新聞、雑誌、指名手配中の写真まで見せてもらった男の顔を絶対間違えるはずが無い。
だが次の言葉が勇希にじたばたもがく行動を止めさせた。
「君と最後に出会ったのはこの寝室で喧嘩をした時だ。僕は最後の任務があるからと言い、
君は扉を指差して『出てってよ!!』と叫んだ」
続けてまくし立てる。
「いいかい? 僕が言っていた最後の任務は僕とbeakerの顔を交換する事だったんだ。
分かるかい? つまり僕はbeakerじゃなくてOLHなんだ」
その言葉に勇希が感じた事はまずこの男の頭がおかしくなったのでは、という事だった。
「そう、そして僕はさっき言っていた話の後、最初ソファを借りようと思ったが、
久しぶりに笛音の部屋で寝た、毛布をかけてくれたのは君だろ?」
「勿論君が疑っている事は良く分かる。だが一つだけアイツと俺とで決定的に違う部分がある。
血液型だ、僕はB型だがヤツはA型……、本当だ。調べてくれれば分かる」
そう言ってOLHは勇希をこちらに向けさせて真正面から見つめた。
勇希は目を逸らそうとしたが見てしまった、彼のまっすぐな瞳、以前の彼の優しい瞳を。
「愛しているがキスも出来ない…………奴の顔ではね」
そう言ってから彼は去った。
勇希はガクガクと膝が笑い始め立っていられなくなった。
恐怖と混乱の渦が彼女の理性を奪ってしまった。
ベッドの枕にしがみつき、涙を流して声をあげても外に漏れないようにする。
何故だかそうしなければならないように思えた。


オフィスで一人沙留斗への思いに更けるbeakerは突然思考を中断するノックの音に不機嫌そうに応じた。
「入れ」
やってきたのは彼の上司、へーのき=つかさだった。
情報特捜部の新聞を彼の目の前に放り出した。
写真がデカデカと載っている。
彼だ。
爆弾を解除した時の写真だ。
beakerはうんざりしたような顔でへーのきを睨んだ。
「どうかしましたか?」
へーのきはその態度にやや怒りを覚えたがなるべく平静をよそって口を開いた。
「ご活躍だな、OLH。だが昨日はやり過ぎだ」
「昨日?」
「ほとんどアレでは虐殺じゃないか!? 警備保障は君の私設軍隊では無いんだぞ!!」
beakerはちらりとオフィスの窓から部屋を見た。
皆、思い思いの仕事に打ち込んでいる。
こちらを注目している人間は誰もいない。
さりげなくbeakerは立ちあがり、ブラインドを閉めた。
それからこちらを睨んでいるへーのきに近づく。
「話があるんだ、あまりあんたにとって良くない話じゃない」
「…………何だ?」
訝しげな目で彼を見るへーのき。
beakerは構わず近づくと耳元で囁いた。
「生憎だな、俺はOLHじゃない」
その言葉にへーのきは目をぱちくりとさせた。
「な、何だって?」
それが彼の最後の言葉だった。
beakerは思いきり心臓を拳で殴りつけた。
「ぐう!!」
更にもう一発。
beakerはへーのきの呼吸と脈が止まっているのを確認して、内線で秘書を呼んだ。
「救急車を呼んでくれ!! へーのきが倒れた!!」
焦った声を出す。
救急隊員がオフィスに到着するちょうどその頃、彼は心臓マッサージを試みていた。
「動け!! この野郎!! 動くんだ!!」
何回も拳で心臓を叩く。
これでへーのきの肋骨が折れている原因も説明がつくようになるだろう。
やがて救急隊員が死亡を確認するとbeakerは涙を流した。
芝居の必要は無かった。
これからはいつでも思い出せる。
沙留斗が死んだから。
沙留斗の死を悼み、酷くbeakerは悲しんでいたのでその姿は実に説得力があった。


その晩、勇希は隣で’彼’が眠ったのを見計らって、注射針を刺し、素早く血を抜いた。
ほんの一滴ほどで充分だ、血液型を調べるには。
少し腫れあがった傷口を無意識にぽりぽりと掻くbeaker。
勇希はこんな事をしてよかったのか? という罪の意識はあった。
別に彼――宿敵の事を信じたわけではない。
実際の話、彼女も一度はOLHに話そうとしたのだ。
だが、今日、彼のオフィスでへーのき=つかさが死んだと言う事態を極普通に言ってのけたOLHを見て、
疑惑が這い出してきた。
十年来の親友である彼をまるで新聞に出ていた赤の他人が自殺したかのように平然と言ってのけるOLHを見て、
どうしても言い出せなかったのだ。
彼女はそっとベッドを抜け出し、病院へと向かった。
白衣を着て、検査室へこっそりと入る。
先ほど取り出した血液を垂らし,コンピュータで結果を待った。


「結果はA型だった」
勇希は思っていた以上の悪夢にふらついた。
どういう事? 血液型が変わった? それともそっくりさん?
一体何があったの? どうして? どうして? どうして?
いや、そもそも血液型はB型だったかしら……?
がさりという音がして勇希はびくっと振りかえった。
そこには’彼’がいた。
「信じてくれたんだね」
彼はそう言った。
勇希は思わず後ずさって叫ぶ。
「来ないで!! お願いだから来ないで!!」
「…………?」
「もう、分からないの! 誰を信じればいいのか! あなた? それとも外見が夫のあいつ?」
勇希は両手で顔を覆って伏せた。
OLHは眉をしかめたが、やがて独り言を呟くように語り始めた。
「昔、一人の女の子とデートした事がある。
お互い昔から一緒に遊んでいた、そう、幼馴染だった。けど正式なデートらしいデートは初めてだった。
僕はガイドブックで読んだお洒落なレストランへ連れて行った。
だがその店は最悪だった。料理は悪くなかったが、彼女がアレルギーを持つ食べ物ばかり出されたんだ。
美味しい、お洒落な店をとばかりに気を配っていてそこがシーフードレストランだって事を
すっかり見落としていたんだ。
結局彼女はパンばかり食べていた。
だが、不幸な事は続くものでそのパンの中に何か種が入っていて彼女の歯が欠けてしまったんだ。
僕達はすぐにその店を出て深夜営業の歯科医を探した。
やっと見つけた歯医者は酔っ払っていて隣の歯を抜こうとした。
結局歯の治療は出来なくて、僕は彼女を家まで送っていった。
なるべく明るく僕はラジオに流れていた歌を喉が掠れるまで唄った。
多分あの時僕は泣いていたのかもしれない。
それが暗かった君に分かっていたかどうか分からないけど。
でも家に着いた時、彼女は僕にキスしてくれたんだ。
歯が痛くて、歯が痛くてたまらないはずなのにキスしてくれたんだ。
そう、そして彼女は今――――」
そこまでOLHが言うと勇希が彼の胸に飛び込んできた。
「ああ、ごめんなさい!! ごめんなさいあなた!!」
勇希は泣きじゃくった。
「私、私、私…………」
「いいんだ、もう、もう、いいんだ…………」
OLHは彼女の頭を撫でつけ、抱き締めた。
少しでも彼女の傷跡が癒えればと願いながら。




二人は火傷治療室に移動した。
ここなら顔面に包帯を巻いていても見咎られる心配は無い。
「…………それでアイツは明日の葬式に出席するんだな?」
「ええ、私の夫はへーのきの葬式に出席するわ。勿論私も。これが絶好のチャンスだと思わない?」
「いや、君は危ない。人質に取られる可能性がある」
勇希は首を振った。
「駄目よ、私が欠席なんかしたらまず間違い無く疑われていると知るわ。そうしたら逃げ出すかも……」
「そうか、そうだな、だけど……」
「大丈夫よ、ちゃんと私も考えがあるから」
「ああ、なら信用する。俺は、ヤツと…………決着を着ける」
「そう」
短く言った。
「大丈夫ね」
「ああ」
突然二人の会話がコツコツコツという複数の人間の足音で遮られた。
直感的にOLHはbeakerだと感じた。
「マズい、ヤツだ!!」
とっさに隠れる。
勇希は慌てて他の患者の治療を始めた。
遠慮無い感じでズカズカと部屋に入りこむとbeakerは次々と患者を遮断しているカーテンを
開けて行った。
五人目で勇希を見つけた。
無言で治療中の人間の包帯を剥ぎ取る。
「何するの!?」
勇希が叫ぶが無視する。
そこには火傷で醜く爛れた男がいた、が、OLHで無い事は確かだ。
焦げ臭い匂いがして思わず目を背けた。
「すまない、ハニー。だが、この時期に誰だって家から抜け出したら驚くに決まっているだろ?」
「そうね、でもあんまりあなたが熟睡していたから起こすのも悪いと思って」
「ああ、気にするなよ」
ぽんぽんと抱き締めてキスする。
「じゃあ…………」
そう言って踵を返した。
二人の部下も後に続く。
「疑惑、裏切り、密告、言い訳…………本当の夫婦みたいだ」
呆れ返るような口ぶりでbeakerは呟いた。



翌朝。
OLHは喪服用のシーツを好恵に頼んで手に入れていた。
あの時、結局好恵はティーナと一緒に何とか生き延びたのだ。
「…………行くのね?」
好恵は言った。
「ああ」
短く答えると、OLHは何となく居心地が悪くなり、顔を背けた。
車に乗りこもうとしたその時、
「待って!!」
と好恵が叫んだ、思わずOLHは好恵の顔を見てしまった。
ひたむきな情熱を持った人間の顔だ。
OLHに駆け寄ると好恵は彼の胸に飛び込んだ。
無言だった。
好恵がすっと目を閉じ、OLHは思わずキスをしてしまった。
それから
「ティーナによろしく」と言い、
「何が起ころうと心配しなくていい、確実に言える事は――もうOLHは二度と君達親子の仲を
引き裂いたりしない」
そう言って車に乗りこんだ。



教会は厳粛な雰囲気に包まれていた。
グレゴリオ聖歌が響く教会はまるで外とは別世界だった。
OLHは教会の小さな小部屋で葬式が終わるのを待った。
服のポケットから写真を取り出し、そっと小部屋の小さな祭壇に置く。
笛音の写真だった。
昨日家に侵入したとき、手に入れたものだ。
写真にそっとキスをして、一つのアイデアを思いついた。
OLHは手近な少年に声をかけた。


教会では神父の説法が始まっていた。
beakerには何の事だか上の空だった。
口笛を吹いたり、足を踏み鳴らしたりして退屈を凌ぐ。
勇希は真っ赤になって顔を伏せた。
と、その時。
一人の少年――どうも聖歌隊らしいが、その少年がbeakerに近づいた。
「これを、あなたにと」
beakerは渡されたものを見つめた。
笛音の写真である。
勇希もさりげなくチラと見た。
beakerはクックックと含み笑いをするとその写真を握り潰した。
床にそれを捨てる。
「ゲームの終わりだ」
そうbeakerは呟いた。


葬式の場所が墓地に移動した為、全ての人間が教会から消え去った時。
OLHは一人先ほどまでへーのきがいた場所、十字架像の前に銃を置き、彼の冥福を祈った。
バサバサバサという音がする。
鳩だろう。
そしてその音の次にゆっくりとした足音が教会に響き渡った。
そいつはグレゴリオ聖歌らしき歌を口ずさみながらOLHの元へやってきた。
OLHは振りかえらない。
「どうだい? 厳粛な雰囲気だろ?」
beakerは両手を上げてキリストの磔の真似事をした。
「そう、そうだとも。これは善と悪の永遠の闘いなんだ」
beakerは言いながらわずかに手を懐に忍ばせる。
「だが、それなのに全くお前と言う奴は楽しみ方を――知らん!!」
素早く拳銃を取り出す、が、同時にOLHも銃を掴むと素早く後ろのbeaker目掛けて撃った。
くるりとバレーダンサーのような回転を見せると、beakerの脳天に銃を突き付けた。
だが、beakerも銃を真っ直ぐとOLHに突きつけていた。
お互い引き金を絞る事が出来ない――そんな一瞬が形作られた時、
beakerはもう一方の手でちょいちょいと誰かを呼んだ。
すると部下が勇希に銃を突きつけてこちらに歩いてきた。
「どうだい? まさしくラストに相応しいだろ?」
からかうような口振り。
「勇希は関係が無い、これはお前と俺の問題だ」
「いや、違うね。どうしてお前は何年も前に死んだ娘の事をぐちぐちと思い続けているんだ?
自殺でもするか、さもなきゃ忘れるかしろ」
「殺された娘を忘れられる父親がいるか」
OLHは睨み付けた。
負けじと睨み返すbeaker。
「我が弟の復讐を」
「我が娘の復讐を」
「我が兄の復讐を、ね」
もう一人乱入客が現れた。
「好恵…………?」
思わずbeakerが叫ぶ。
「beaker、パス」
そう言って好恵はOLHにもう一つ銃を渡した。
片手で受けとめるとOLHは両手に拳銃を持ち、部下とbeakerそれぞれに突きつけた。
「好恵、聞いてくれ。あいつはbeakerじゃない。俺がbeakerなんだ」
必死に訴える。
だが好恵はせせら笑うと、
「あんたの冗談ってホント面白くないわ」
とだけ言った。
だがもう一人乱入者が来た。
天井に威嚇の銃弾を撃つ。
beakerの秘密を知っている部下の一人だった。
「てめえこそ動くんじゃねえ」
かちりと撃鉄を起こして好恵の頭に突きつける。
beakerは堪え切れないと言った感じで笑い出した。
「クックックックック…………絶体絶命だな!!」
OLHはゆっくりと勇希の目を見た。
そしてスッと目を左下に向ける。
勇希は好恵の目を見た。
視線が交錯する。



そして次の瞬間――



時間が、動き出した。



OLHはすっと両腕を交差すると脇にいたbeakerの部下めがけて撃ちまくった。
そのまま後ろに倒れ込む。
好恵は素早く勇希を庇うとbeakerを狙った。
beakerは一瞬混乱したが、差し迫った危機から対処しようと手近な人間を撃った。
再びの沈黙――
勇希はぎゅっと目を閉じていたが、ゆっくりと目を開いた。
beakerの部下二人は既に死亡している事は明らかだった。
そしてOLHの上に重なるようにして好恵が倒れていた。
重なったOLHの手にぬるりとした感触が感じられる。
YOSSYFLAMEの時と同じ感触だ。
震えながら好恵はニッコリ笑った。
慌ててOLHは好恵を抱き起こす。
「娘を…………娘を、お願い。どうか、どうか私みたいな人間にはさせないで……」
OLHの服の袖を必死に掴む。
黙ってOLHは頷いた。
好恵はその了解に満足を得たのか、ゆっくりと目を閉じた。


勇希は今の状況も忘れて二人を見つめていた。
ちょっとした嫉妬が心の中に入りこむ。
だが、


「キャアアッ!!」
OLHがふと見るとbeakerが勇希のこめかみに銃を突きつけていた。
「動くなっっ!!!」
どちらが叫んだのかも分からないような中、ゆっくりとbeakerは後ずさる。
そのまま外に出るとbeakerはニヤリと笑った。
「悪いが、もうしばらくこの顔のままでいさせてもらうぜ」
「そうはいかん」
銃を突き付けたまま、OLHも教会から飛び出す。
「それから貴様の女房も連れて行く事にしよう、新婚旅行ってやつだ」
そう言うとbeakerは勇希の頬に舌なめずりをした。
「誰があんたなんかと!!」
そう叫びながら勇希は持っていたバッグから注射器を取り出した。
膝に突き刺す。
悲鳴を上げながらbeakerは勇希を突き飛ばした。
「このアマ!!」
そう叫んで銃を勇希に向かって放とうとした瞬間――
彼は自分に向かって銃が突き付けられていた事を忘れていた。
ズギュンという音がして思わず勇希は目を閉じた。
だが、痛みも、死もやってこなかった。
ふっと目を開けて見ると、beakerの銃はOLHが放った弾丸によって跳ね飛ばされていた。
「beaker…………」
一歩一歩OLHは近づいて行く。
「おいおい、公僕ともあろうものが、人殺しなんてしないよな?」
慌てて手を振って降伏の意思を示すbeaker。
最後の頼みの綱、良心とやらにbeakerは賭けてみることにした。
OLHはまったく表情を変えなかったがそれでも近づく事は止めた。
beakerの顔に安堵の表情が浮かび上がる。
「オーケー、beaker。お前の気にはいらないだろうが――お前に良くない知らせがある」
「…………?」
「俺はお前を確かに撃たないよ……………………顔はな」
そう言ってOLHはbeakerの胸と腹目掛けて弾丸が切れるまで撃ちまくった。
一言も発せずにbeakerは崩れ落ちた。
ひたすら驚いていた。
だが、beakerはすっと後ろ手でナイフを取り出した。
「OLH…………」
ふっとbeakerを見るOLH。
顔色が変わる。
「何をするつもりだっ!?」
クックックとbeakerは笑った、いつもの皮肉っぽい調子で。
「おぼ、えて、おけ……これから、鏡を、見るたび、貴様は俺を思い出す…………」
笑いながらbeakerは自分の顔――OLHの顔を傷付けた。
ナイフの刃がズブズブと顔に食い込む。
OLHは最後の力を振り絞ってbeakerのナイフを取ろうともがいた。
beakerは笑いながら顔をどんどん傷付けて行く。
だがOLHには最後の切り札があった。
あの時と同じ切り札を。
「ダークウィンドォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!!!」
beakerはナイフどころか身体もろとも吹き飛ばされた。
そして、ズブリという音がした。
見るとbeakerの体に巨木の枝がまるでエイリアンが腹から飛び出したような滑稽さで突き刺さっていた。
呆然と自分の身体から飛び出る枝を見るbeaker。
枝は彼の重みに堪え切れず、根元からボキリと折れた。
「死ねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
OLHは叫ぶと全ての精神力、体力を使い果たしガクリと膝から崩れ落ちた。
beakerも自分の死を悟ったのか、身動き一つしない。
だが幽かにもごもごと呟いている。
勇希はOLHの介抱でそれどころでは無かったがそれでも歌を歌っている事は分かった。
何の歌だったのかは今でも分からない。


やがて警備保障が来て、勇希が事情を説明した。
警備保障全ての人間がまさかと思い、血液型に関する事を聞くと顔色を変えた。
OLHは救急車で運ばれ、最高の移植スタッフが結集された。
「すぐに元通りになりますよ」
医師の一人はそうOLHに向かって言った。
OLHはふと自分の傷について思いだし、医師に頼んだ。
「ああ、すいません。実は前の私にはここに傷跡があったんです」
ちょいちょいとOLHは左胸を指した。
「この傷跡はもういりません…………私は未来に生きなければいけないから」
そう言ってニッコリ笑った。
医師には何の事だか分からなかったがとにかく頷く事にした。


それから三日後の早朝――
手術に立ち合わせてもらえなかった勇希はまんじりともしないまま三日目の朝を迎えた。
極秘の手術だから、と勇希はOLHの部下達に諭され、仕方が無いと自宅で待機していたのだ。
ほとんど三日間一睡もしてなかった。
だがさすがにもう限界だ。
今日はゆっくり眠ろう、そう思った瞬間だった。
すっと窓の外を誰かが横切った気がした。
慌てて扉に駆け寄る勇希。
だが扉を開いた彼女に見えたのは何時もと変わらぬ風景と朝もや。
幻覚…………?
そう思った瞬間だった。
ゆっくりと見慣れた顔が彼女の視界に飛び込んできた。
’彼’だった。
ニッコリ笑うと、一言静かに言った。
「ただいま」
勇希は涙で目を潤ませながらOLHに抱き着いた。
そしてキスする。
「あなた…………」
強く抱き締めて欲しかった。
キスをして欲しかった。
長かったトンネルをやっと抜け出した気がした。
「ああ、勇希。一つだけ頼みがあるんだが…………」
そう言って彼は横を向くと首を縦に振った。
玄関からは誰がいるのか見えない。
勇希が訝しげに見ていると、一人の小さい少女がおずおずとやってきた。
くまのぬいぐるみをしっかりと抱きかかえながら。
「彼女の名前はティーナ、一人ぼっちなんだ」
勇希は跪くと、目線をティーナに合わせた。
「ボク、ティーナ…………」
「ハイ、ティーナ」
勇希はかつてやったようにティーナの顔に手を当て、ゆっくりと撫で下ろした。
「一緒に暮らそう」
OLHのその言葉に三人は互いの身体をしっかりと抱き締め合った。








<了>