Lメモ異録「偽書・ある一つの終末へと至る道程」A  投稿者:雪乃智波
--3/21-- One day, at Leaf High-school.
















 人生においては実のところ選択肢など存在しない。
 過ぎ去った過去を見つめ、そんな方法もあったのか、と、気づく一本の道か、
 その時にできた最良の選択という定められた道だ。
 選択肢があったとして、最良のもの以外を選ぶものが何処にいるだろうか?

                  「ある一つの終末へと至る道程」より



















”始まったよ。お兄ちゃん…”
 彼女は僕にもたれかかったまま、クスリと笑った。
 その表情は昔とちっとも変わってなかった。
 可笑しな事があると彼女は少し大人びた表情で、クスリと笑うのだ。
「……なにが?」
 僕は彼女の言葉に対して抱いた疑問を問う。
”開花よ……。この世でもっとも美しい花がもうすぐ見られるわ”
 昔と違うのは、彼女は[彼女が生きていたらそうなっていたはず]の年齢にちゃ
んと見えているということだ。
 それとも彼女は生きていたのだろうか?
”生きてるよ”
 何時の間にか彼女が僕の瞳を深く、深く覗き込んでいる。
”ほら、ここにいるよ”
「幻想なんじゃないかって思うんだ…」
”幻想なんかじゃない”
 彼女の体が僕の体にぎゅっと押し付けられる。背中に回された腕が僕を捕ま
えてる。柔らかい体…。
”現実を疑う必要なんて無いよ”
 彼女の声がくぐもって聞こえるのは、彼女がその顔を僕の胸に押し付けてい
るからだろうか?
”夢も、現実も、幻想も、全てはお兄ちゃんの真実なんだから…”




















 出番、欲しいな。

         廊下に落ちていたぼろぼろのノートに残された落書きより











      Lメモ異録

                   偽書・ある一つの終末へと至る道程




















 貴方のために何かをする人が、その何かに見合った見返りを求めるなら、そ
の人は信用できる。
 求めないなら、その人はすでに見返りを得ている。
 そのどちらでもない時は、その人は貴方の敵か、貴方を愛している。

                  「ある一つの終末へと至る道程」より


−−−−
 俺が…、俺が俺であるということを知ったのはずいぶんと先のことになるが、
俺にとって一番古い記憶は暗い闇の中でミーミー鳴いていた自分の声だ…。
 飢えと、寒さと、痛み。
 その感情はいまだ俺の心に焼きついたようになってしまったまま離れない。

 Leaf学園の校舎下。誰も訪れない暗闇の中で生を受けたちっぽけな仔猫。
 それが俺だった…。

 本当ならいるはずの母親の顔を見たことはない…。
 何かの些細な間違いの結果なのだろうということは、今では容易に想像がつ
く。しかしあの頃の俺は、母というものの存在すら知らなかった。

 俺は、一人だった…。

 正直なところ、俺は死に瀕していたのだろう。
 生まれたての生物が一匹でいるということは、それはつまり死を意味してい
る。
 もっとも当時の俺ならば、死の意味すら理解していなかっただろうが…。

「……おいで……」

 そんな俺に与えられた呼びかけ。

 その声は小さかったが、聞き取るには容易だった。
 当然意味は理解できなかった。
 ただ、その巨大な手が差し伸べられていたということだけが、その時の俺に
あった総て、そう総てだった…。
−−−−


「後は智波を呼んでくるだけですね?」
 Runeの問いに芹香はコクリと頷いた。
「…一瞬で楽にしてやるつもりですか?」
 芹香の瞳がじっとRuneを見つめた。

 オカルト研究会の部室は今、以前の様相を完全に失っていた。
 雑多に並べられていたオカルトの道具類は全て片付けられ、床にあった魔方
陣の描かれたカーペットの代わりに、芹香が直接床に書いた魔方陣が複雑な文
様で描かれている。
 Runeにはその魔方陣がどのようなものなのか、まったく理解することができ
なかった。
 いや、理解できないほうがいいのかもしれない。
 今、Runeはこの魔方陣が智波を殺すために描かれていることを知っている…。

 −−知れば止めたくもなる、か…。

 そうRuneが思ったとき…、
「さて、と。そこまでね」
 何時の間にか開け放たれていた部室の扉にもたれるように立った一人の少女
がそう言って、微笑んだ。
「…………」
 少女を見つめ返した芹香の表情がきゅっと引き締まる。
「彼を殺させるわけにはいかないの。魔王の種の苗床を、ね。安心して、楽に
一瞬で消してあげるわ」
「待て、日陰」
 そしてその日陰の後ろから、一人の黒尽くめの男が現れる。
「Runeは俺が殺す」

−−−−彼の名はハイドラント−−−−

「……承知いたしました。マスターの仰せの通りに」
 魔王・風上日陰はその男にうやうやしく頭を下げる。

−−−−魔王を従える者…−−−−

「……Rune。貴様との腐れ縁もここまでだな」
 ハイドラントが唇の端を釣り上げた凄惨とも言える笑みを見せる。
「ハイドラント先輩、寂しいんですか?」
「きっさま、本気で尋ねとるだろ?」
 思わずハイドラントは三白眼になって、肩を落とした。
 −−のも束の間、ばさっ! っと全身を覆っていた黒いマントを肩から後ろ
にかける。
「まあ、いい。ここがおまえの死に場所だ。Rune」
「…………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………」
 それは長い沈黙だった。
 その重圧に近い沈黙はRuneだけでなく、日陰や、芹香さえからも発されいる…。
「……あやかいのち……」
 ぼそっとRuneがハイドラントの胸にでかでかと書かれた文字を読み上げた…。
「……へ?」
 呆けた顔でハイドラントが自分の胸を見る。
「…………」
 その顔がたちまちの内に青ざめ、赤くなり、そして真顔に戻った。
「はっはっはっ、それがどうしたっ! これが俺のパジャマだっ!」
「なるほど!」
 ぽんっ、と、Runeが手を打つ。

 …………。

「Rune、もしかして本気で納得しただけで、ツッコミとか、ノリボケとかはナ
シか?」
「はぁ、そうですけど?」
「てんめぇはっ!」
 ハイドラントがずいっと前に一歩踏み出す。
「あ……」
 その瞬間、Runeがすっとぼけたような声を上げた。
「なんだ? Rune」
「そこ、落とし穴の上ですよ?」
「……へ?」
 ハイドラントが思わず足を半歩分後ろにずらす…。

 がこんっ!

 その瞬間、ハイドラントの足元から床が消滅し…
「あ、そういやスイッチは半歩分後ろに作ってたんでした」
「んな馬鹿なぁぁぁぁっ!」
 ハイドラントはその穴に吸い込まれるように消えた。
「ふぅ、手強い相手でした。さらばです。生涯の宿敵」
 そう言ってRuneが半歩右に移動する。
「んなわけあるかぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 突然の絶叫と共に、部室の床が爆砕し、そのまま伸びた炎の舌が、ほんの今
までRuneが立っていた場所を焼いて、消えた。
「仕掛けもなにもない落とし穴に落とされたくらいで死ぬかっ! ああっ! 
石を落とすなっ!」
「落とし穴に落とし、上から漬物石を落とす、死なず、と……」
 いつのまにかRuneが懐からメモとペンを取り出していて、そう呟きながらメ
モに書き留めた。

 来栖川芹香はほんのわずかに緊張した面持ちで、まだ扉のところに立ったま
まの少女を睨んだ。
「ふぅん、儀式魔術の中でも最上級の結界魔術ね」
 クスッと日陰が苦笑めいた笑みを見せた。
 それは芹香の甘さを指摘していたのだろう。
 この期に及んで智波を殺す覚悟のできていない芹香の甘さを…。
「でもその中に彼を捕らえたところでそれが私にとっての障害となると思う?」
「…………」
「だんまり…ね……」
 日陰はまたクスリと笑う。
「どちらにしろ、今私をどうにかしないことにはどうにもならないわよ」
「…………」
「どうにかしてみせます? どうしようもないことは分かってるはずでしょ?」
 芹香は答えずに手に持った杖を日陰に向けた。
「……いいわ。相手をしてあげる」


−−−−
 初めて死んだのは彼女に飼われるようになってすぐにだった…。
 どれくらいすぐかというと、呆気ないほど。
 よく考えてみれば、彼女はあの時に俺が死んだことなんて気がついていなかっ
たんだろう。彼女からすれば、魔術は成功した。
 説明するとこういうことだ。
 来栖川芹香は俺を使い魔にしようとして、魔術に失敗し、俺、つまり仔猫は
その所為で死んでしまった。
 もし、それで終わりだったならそれだけのことだったはずだ。

 荒野…。

 死んだら何処に行くのか?
 少なくとも俺の時は荒野だった。
 それとも本当の意味では死んでいなかったのか?
 俺は一匹でそこにいた。
 前と同じ孤独は、前とはひどく違っているように思えた。

 幾許かの時が流れた。
 いったいどれほどの時間だったのか、思い出すこともできない。
 ただ、時は俺に様々なものを見せた。

 俺が人間というものを理解し始めるくらいには、時が流れていた…。

「まだ生きてたいか?」
 ある瞬間、それは訪れた。
 なぜそのタイミングだったのか…?
 それは未だに良く分からない。
 ただ偶然その瞬間が選ばれたのか、それとも俺がある境界線を突破したのか?
あるいは他の誰かが…。
 その言葉は人間の言葉で語られたが、俺はもうそれを完全に理解していた。
 そして俺は再びあの無限の荒野に立っていた。
「お前がそう望むなら、もう一度生をやろう」
 それは単純に声だった。
 無限の荒野には、人影は一つも、自分の影すらも無かったのだから。

 望む。

 そう思った。
 この孤独が死だと言うのなら、それは厭でたまらなかった。
 あの暖かい手の持ち主の所に戻りたいと思った。
 ほんのわずかな時間を共有しただけの人だったが、そのわずかな時間は俺が
誰かと共有した唯一の時間だったからだろう。

 そう、俺は人が語る愛という感情を彼女に対して抱いていたのだ…。

「猫が人を愛するというのか?」

 その通りだ。
 そういうことだってあり得るだろう。

「叶わぬ想いだとは思わないのか?」

 人は叶えるために恋をするわけじゃない、と思う。

 俺はその気配が嘲笑するのを何処かで感じていた。

「賭けをしよう。猫よ」

 賭け?

「そう。本当なら、私はおまえにもう一度生を与える代わりに、何かをおまえ
から奪うだろう。だがあえて賭けをしようじゃないか。そう、私はおまえに生
だけでなく、人間の肉体をやろう。そして本当は猫であるおまえが、その愛を
成就することができれば、おまえはそれを得る」

 もしもできなかったら……?

「私はおまえから全てを奪う。命も、魂も、すべてだ。怖気づいたか?」

 俺は、この現状が厭だった。
 そのままでいることが一番怖かったのだから、何をしたところで、今よりは
ましに違いない。

「もう少しルールをはっきりさせたほうがいいな。期限は一年。愛が成就する
ということは分かりやすくその女と結ばれた時としよう。しかしその女におま
えの秘密が知られれば全ては無効だ」

 判定はどうやって下す?

「私は何も知らない。それゆえに私に知り得ないことなどないのだよ…」
−−−−


 薄暗く、埃っぽい…。
 酷く乾いた空気は本を守るために図書館が常に何らかの空調を働かせてると
いうことなんだろう。
 唇が乾く…。
 天井から吊られた裸の電球がすぅと消えかけて、また灯った。
 私はひとつの本棚を穴があくほどに見つめている自分に気がついていた。
 芹香さんは言った。
 …違う、Runeさんが代弁した。芹香さんの言葉を…。
「智波を殺すんですね」
 と……。
 そしてまた黄昏丘で出会った少女も言った。
「彼を守って欲しいのよ。せめて今日が終わるまでは…」
 符号が合った…。
 でも、それはまるで適当に手に取った二つのパズルのピースがぴったりと当
てはまったみたいだった。
 それが繋がっていることは分かってるのに、できあがりの図はまるで見えて
こない。
 私は本棚を見上げる。
 智波さんはこうやってこの場所に立って本を読んでいた。
 そこに私がやってきて、本を落として…
『沙耶香さん、死、ってどう思う?』
 私は不意に思い出す。
 どうして忘れていたのか。
 それはパズルの三つ目のピース、そして少し分かったことがある。
 智波さんは知っているんだ、芹香さんが彼自身を殺そうとしていることに。
 私は知らぬ間に強く手を握り締めていた。
 行かなきゃ。芹香さんに聞かなきゃ。
 どうして智波さんを殺さなきゃいけないのか。
 私は振り返り、その場を去ろうとした。

 −−ばさっ!

 その静かな空間で、その音は私を飛び上がらせた。
 もう一度振り返る。
 そこには一冊の床に落ちた本があった。
 本棚を見上げると、一冊分の隙間がある。
 恐らく中途半端に戻されていた本が、何かの拍子に落ちてきたのだろう。
 私はじっとその本を見詰める…。
 その本の題名は「ある一つの終末へと至る道程」と言った。


「……まあ、なんというか、だいたいそんな訳なんだ」
 雪君はそう言って、半分しか見えない空を見上げた。
「え、えーっと、つまり来栖川先輩とHしないと助からないってこと?」
 言いながら私は顔が熱くなるのを感じた。
 雪君もさすがに恥ずかしいらしく、赤く染まった頬を指先で掻いた。
「まあ、すごく単純に言っちゃうとね」
「それって思いっきり無理じゃない」
「う゛……」
 雪君が顔をしかめる。
 今から告白したところで、今日中にHしちゃうなんて、それはそれで大きく
間違ってる気がする。というか、間違ってる。つまり、ありえない。
「なんでもっと早く告白しなかったの? 一年あったんでしょ?」
「そ、それが…」
 雪君はうつむいてごにょごにょと何か呟いた。
「……来栖川先輩の前だと緊張してうまく喋れない!?」
 私は一瞬笑えばいいのか、ため息をつけばいいのか大いに迷った。そしてそ
んな状況ではないことを思い出した。
「雪君、まだ来栖川先輩と結ばれたい?」
 コクリ。
 雪君は素直に頷く。
 高校生が語るにはもしかしたら間違ってる会話かもしれない。でも私たちは
お互いに真摯だった。
 その証拠に雪君の目は真っ直ぐだった。
「好きなんだ…、来栖川先輩のこと」
 不思議と私の心にからかいは無かった。
 聞く必要があった。聞かないといけなかった。
「……うん」
「なら告白しなきゃね。駄目でも、どっちでも、Hできなくてもね」
 私がそう言うと雪君は真っ赤になって、俯いてしまった。
 命がかかってるのに、変な人。
 そう思って思わず私は苦笑してしまった。
 人の命がかかってるのに、私も変な人だ。


「力の差、というものを感じたことはある?」
 日陰さんがそう尋ねてきたとき、私は返事に困った。
 私の力では日陰さんの力には敵わない。
 けれど、それはなにか−−力の差を感じる−−ということとは違うような気
がしている。
 私は半分に折れた杖をぎゅっと握り締めた。
 この部屋はすでに半壊していた。
 Runeさんとハイドラントさんはすでに戦いの場を移して、ここにはいない。

 −−私は何故戦っているのだろう?

 世界を救うためだ。
 日陰さんが種子を得れば、それは大きな災いになってこの地を覆うことだろ
う。
 それだけは阻止しなければいけない。
「…………」
 何かが違う気がした…。
 何が違うのかは分からなかったけれど…。
「ところで来栖川先輩」
 日陰さんがクスリと笑った。
「私とマスターがたった二人で行動を起こしたと思う?」
「え………」
 空間に構成が投げ出された。
 日陰さんからではなく、その他の無数の意識から…。
 数百に折り束ねられた構成の渦に魔力が流れ込んで…。
「十三使徒を相手にどこまで戦えるか見せてね。私は彼との戦いに備えなきゃ
いけないの。そう、もし私を止められるとすれば、今の彼だけね」
 その声を聞いて、このままじゃ駄目だと思って、そして意識は目の前に現れ
た真っ白な光に塗りつぶされて爆発した。


 −−エーデルハイド……


 ぞくり。

 その感覚を俺はよく知っていた。
 背筋を駆け上がる何か、だ。

 彼女が俺を呼んでいる!

「ゆ、雪君…」
 ふと服の袖を引っ張られる感触に俺は現実に引き戻される。
 南条さんだった。
 南条さんが俺の服の袖を掴んで、あさっての方向を凝視している。その視線
に自分の視線を合わせる。
「………!!」
 そこには黒い服に身を包んだ四人の男たちが立っていた。
 正確には虚ろな瞳の三人の男と、瞳に危険な輝きを持った一人の敵が…。
「雪智波だな…」
 蛇のような光り方の目をした男が言った。男たちの素性には心当たりがあっ
た。否、学園内において、このような集団は彼らを置いて他には無い。
「十三使徒……どうして…」
「隠す必要も無いか。来栖川芹香のところに行かせるわけにはいかない。まあ、
そういうことだ」
「どうして…………」
「さあな、理由など知らんな」
「どうして……」
 智波の呟きの意味が分かったのは薫だけだっただろう。
 薫も同じことが言いたかった。

 どうして?

「どうしてこんなタイミングでなけりゃいけなかったんだっ!」

 同時にそれは、智波にとって選択肢など存在しないことを示していた…。

「我はっ!」
 智波が13使徒に向けて手を伸ばす。
「放つあかりの白刃っ!」
 膨大な魔力が不完全な構成に流れ込んで、そして弾けた…。


「たける様…」
 長い髪をポニーテールにまとめたHM−13型メイドロボ、通称電芹が彼女の
主人であるたけるの服の袖を引っ張った。
「なーに、電芹? ほら、そっちの瓦礫、持ち上げて」
「あ、はい」
 電芹がたけるの言うままに、教室いっぱいに散乱した瓦礫(その大半は机や
椅子、天井や床も一部混じっているようではあった)を持ち上げては片付ける。
 片付けるとは言っても、修理できるわけではないので、窓から投げ捨てる。
 こうして、Leaf学園の校舎周りには不法投棄されたゴミが大量に溜まってい
くわけだが、何故か翌朝には無くなっている。
 まあ、学園七つじゃない不思議の一つなので、誰も気には留めていないが。
「ところで、マスターより指令が…」
 黒焦げになったTasを不法投棄したところで、電芹がようやく先ほどの話題を
持ち返した。
「え? マスターから? なになに?」
 この二人、実は何気に十三使徒だったりする。お茶汲みとして雇われている
わけだが、時としては工作員めいた命令を受けることもある。
「学園に混乱を起こせ、とのことです」
「え? 混乱って…」
 たけるは腕組みしてうーんと唸る。
「とりあえず教室片付けちゃおっか。ね、電芹」
「はい、たける様」
 やっぱり何処か間違っている二人だった…。


「どうした? Rune。動かないのか?」
 ハイドラントは10メートルほど離れたところにいるRuneに嘲笑して見せる。
 二人は満身創痍、というわけではなかった。
 むしろほとんど傷らしい傷も見当たらない。
 ただ、二人とも疲れきってはいるようだった。
「ハイドラント先輩こそ…」
「罠はもうネタ切れか?」
「先輩こそ、もう冗談のネタも尽きたようですね」
「お互い様だな…」
 くっくっ、とハイドラントが楽しそうな笑いを漏らした。
「俺たちはお互いをあまりに良く知りすぎている」
「そうですね…」
「俺たちが望めば、決着はつく。相手を殺すだけでいいんだからな…。どちら
かが死ぬ。俺たちの決着にはそれしかありえない」
「…それは先輩の望む決着ですよ」
 Runeはわずかに肩をすくめた。
「そもそも何故先輩が滅びを望むのかが、僕には理解できないんですよ」
「その理由も分かってはずだ。Rune」
「ええ、理由、つまり先輩の言い分は分かります。だけど、理解はできないん
ですよ」
「分かってるはずだ。Rune。それこそが俺たちが決着をつけなければいけない
理由なのだ、と」
「あくまで理由の一つに過ぎないでしょう?」
 そう言って、Runeが自分の左腕を指差して見せた。
 ぎし、と、ハイドラントは自らの左腕が軋む音を聞いた…。
「そうだっ! Rune。貴様は…」
 ハイドラントが自ら服の左袖を引き裂いた。
 その下から、はっきりそれと分かる義手が現れる。
「殺すっ!」
 その瞬間、ガディムの叫びが辺り一帯を吹き飛ばした。


 それを私はなんと表現すれば良かったのだろう?
 雪君が最初の魔術を放ったとき、すでに雌雄は決していたと言っていいんじゃ
ないだろうか?
 それは圧倒的な力の差。
 決して魔力の違いだけではない、それは思いの違いだと私は思った。
 それはそうなんだろう。
 雪君にとって戦いの場は、ここではなく、来栖川先輩の元にあるんだろうか
ら…。
「芹香さんをどうしたっ!」
 雪君が地に仰向けに倒れた十三使徒の一人の胸の上に手を置いて、そう尋ね
ていた。
 すでに他の三人は気を失うか、意識があったとしても体が動かないようになっ
ていた。
「…自分の命の心配でもしてるんだな」
「…………!」
 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
 雪君に抑えつけられていた十三使徒の体が、ビクンと跳ねたかと思うと、動
かなくなったのだ…。
 彼が自らの舌を噛み千切ったのだ、と気づくまで、しばらくの時間が必要だっ
た。
 その間、雪君は手を握り締め、まるで親の仇でも見るかのような瞳で、自ら
命を絶った十三使徒を見下ろしていた…。
「……雪君…」
 なんと声をかければいいかを迷っているうちに、雪君がゆっくりと手を広げ、
「行かないとっ!」
 そう叫んだ雪君の瞳にはもう私の姿は映っていなかった。
 彼が見ているのはすでに来栖川先輩だけなんだ…。
 雪君が行ってしまう…。自らの命も顧みないで…。
「駄目っ! 駄目だよ、雪君!!」
 気がつくと私は雪君の服の袖を掴んでいた。
「今、行ったら助かる方法を探してなんていられないよっ! 今は生き残るこ
とを考えなきゃ!」
「南条さん……」
 雪君がゆっくりと振り返ってくれる。
 そしてゆっくりと首を横に振った。
「良いんだ。俺はあの人に、同情してもらいたくて、生きてるわけじゃないん
だから…」
 私は言葉を失う。失うより無かった。
 彼は命に代えても来栖川先輩を愛してるんだ、と気付かされたから…。
「私にできること、もう、なにもないのかな? 雪君…。なんでも、どんな事
でも良いから…」
「ありがとう。話を聞いてくれて。本当は誰かに話しておきたかったんだと思
う。ありがとう。俺のために泣いてくれて…」
「え……、私…、泣いて……」
 その時、何かが頬に触れた。

 あたたかいなにか…。

 雪君の指だ…。

 私は自然と目を閉じていた。

 構わない。気まぐれでも、寂しかったからでも…。

 唇が触れ合った。

 そしてゆっくりと離れた…。

「ごめん…」
「謝らないでいいよ。だから約束して、生きるって」
「……約束するよ…。なんとかする。まあ、芹香さんの無事を確認して、告白
しちゃうさ」
「うん。…早く行ってあげて」
「ああ…、分かった」
 行かないで、なんて言えなかった。言えるわけがなかった。
 私は1時間で恋に落ちて、30秒で振られた無力な女の子だった。