Lメモ異録「偽書・ある一つの終末へと至る道程」第三話前編  投稿者:雪乃智波
--3/21-- One day, at Leaf High-school.

















 パンドラが開いた箱にはこの世の全ての悪が詰まっていたという。しかし、
全ての悪が飛び出した後、その箱の奥底に残っていたもの、それが希望だ…。
 では何故希望はこの箱の一番奥に閉じ込められていたのだろうか?
 その答えは容易である。
 希望こそが人を狂わせる最大の悪だからだ。

                  「ある一つの終末へと至る道程」より

























”お兄ちゃん、私のこと好き?”
 彼女はそう問うた…。
 真摯な言葉だと思った。
 冗談では返せない重さを感じた。
 彼女は本気で問うているのだ、と。僕は気がついていた。
「好き、だったんだよ…」
 それ以外になんと答えようがあっただろう?
 僕のことを兄と慕う、婚約者と定められていた従妹の少女はもういない…。
”ここにいるよ…?”
 彼女は言う。不安を隠し切れない声で…。
 しかし僕は知っている…。
「違う、違うよ。君は死んだんだ。君は死んだんだよ…」
”ここにいるよ?”
 ぎゅっと小さな手が僕の胸を掴む。
 涙目が僕を見上げる。
”わたしをひていしないで…”
 小さな体が小刻みに震えていた。
”わたしをけさないで…”
 震える声が僕を揺さぶる。
 僕は不意に気付く。
 ああ、そうだ、僕は今でも彼女のことを愛しているんだ…。
 それは僕にとってもとても辛いことだった。
 嘘でも良い、虚実で良い。
 騙しているんだとしても、騙されているんだとしても…、
「好きだよ。日陰…」

























 文句ばっかり…、
 でも文句も似たり寄ったり。

                                 嘆き











      Lメモ異録

                   偽書・ある一つの終末へと至る道程





















 奇跡など存在しない。
 もしも貴方が奇跡を見たのなら、その裏にはそれ相応の努力をしたものがい
る。

                  「ある一つの終末へと至る道程」より


「我は放つあかりの白刃!」
 声に乗った魔力が構成を満たし、伸ばした俺の両手から、目には見えない無
数の真空の刃が葛田に向かって躍り掛かかった。その音速にも至ろうかという
刃はわずかに伸びた雑草を刈り取り、地面を切り、木々に傷をつけ、そして畳
を切り裂いた。
「……畳っ!?」
 真空の衝撃は空間を走り抜け、一陣の風が吹き抜けた後で、世界に静寂が戻
るまでしばらくの時間を必要とした。
「…駄目だよ、ちなみん。その技には威力が無さ過ぎる。確かに人間の肌を裂
き、血管を傷つけ、致命傷を与えるには十分な威力があるよ。でも、なにかで
防ごうとすれば簡単に防ぐことができる。そう、畳の一枚でも良い…」
 ずたぼろになった畳の陰から紅い目が俺を覗いた。
「どっから出した。それ?」
 葛田はぼろぼろになって使えそうも無い畳を、中庭の地面に横倒しにすると、
ぽんぽんとその上をはたいた。
「…決まってるじゃないか。畳は床から、これ基本だよ…」
「それは、まあ、そうだろうけど」
 俺が思わず額を押さえると、葛田がそのぼろぼろの畳の上にぽて、と倒れた。
「……おやぁ、なにかくらくらする…」
「血塗れだし、まあ、当然だろ?」
 言うまでも無い。俺の放った真空刃は葛田の取り出した畳を切り裂き、貫い
て葛田自身をも斬り払っていたのだ。
 そもそも魔力による真空刃を単なる畳で防ぐということ自体が間違っている
のだ。
「…………」
 もそもそと畳の上に正座し、葛田が自らの腹に手を当てる。そしてそれを顔
の前に持ってくると…、
「なんじゃこりゃぁぁぁっ!」
「言うと思った…」
「…ぺろっ……、マヨネーズ…?」
「それを言うなら普通ケチャップだ」
「…苦い…」
「鉄分含んでるしな」
「…くっ…!」
 と、葛田は血塗れのその手を畳についた。
 ぼろぼろの畳にぽたぽたと赤い雫が落ちる。
「…そんな馬鹿なっ! 匠の技を集結して作られたこの畳が破られるなんて、
高価かったんだぞっ…!」
「どの辺が匠の技なんだ?」
「…この縁取りの模様を見ろっ! 綺麗だろう…?」
「それだけかっ!?」
「…い、いや、ちょっと待って、ほ、ほら、この畳の原材料は熊本は…」
「もういいわっ!」
 俺は両手を畳に向け、
「我は開く黒界の門っ!」
 葛田の出血を媒体に儀式魔術を行使する。
 儀式魔術の媒体に使う血液は何も自分の出血でなくても良いのだ。
「…うわぁぁっ! 畳が、畳がぁぁっ…!」
 空間から吹き出した真っ黒い炎が畳に燃え移り、赤い炎になって燃え上がる。
葛田はその畳にしがみついて、必死に火を消そうとしている。
 自らも燃えつつ、天晴れな奴。
 などと思いつつ、俺は後方を振り仰いだ。

 そこは文科系部室の並ぶ、校舎一階北側…。
 その北から三番目の部室は見るも無残な風体をさらしている。
 窓は割れ、ドアは吹き飛び、壁には穴…。倒壊しなかっただけでも幸運とい
うものだ。被害は回りの部室にまで及んでいたが、すでにみな避難したのか、
被害者は特にいないようだった。
 そんな中、一番被害を受けている、三番目の部室、つまりオカルト研究会、
通称オカ研の部室に強力な魔力が二つ…。
 一つは良く知った魔力。
 芹香さんだ。
 もう一つは、知らない魔力。
 強く、冷たく、深い…。
 知らない誰か。
 敵、おそらくは十三使徒。

 −−そもそも、なぜ急に十三使徒は芹香さんを襲ったのだろう?

 ふと浮かぶ第一の疑問…。

 −−そういや、芹香さんの準備してる魔術ってなんだったんだろうな?

 その時…

 ぴちょん……。

 それは雫の落ちる音…。

 呆ける間も無く膨大な構成が空間に投げ出された。
 非常に複雑な構成が前触れもなく出現する。
 明らかに儀式魔術の構成展開だ。
 と、すると、
「芹香さんっっ!」
 その瞬間、オカルト研究会部室は消滅した。
 それこそ跡形も無く、完全に……。
 支えを失った二階の教室の床が落下している…。埃が舞い、辺りを覆う。
 幸運なことに、崩壊は二階教室の床で止まった。
 ぐちゃぐちゃに潰れた机や、椅子。散らばった置きっぱなしにしてあったの
だろう教科書類…。
 それらは全て、今の今までオカ研の部室のあった場所に落ちてきていた。
 嘘だ……。
 起こっていることが理解できなかった。
 起こっていることが意味していることが理解できなかった。
「超ペンギソ、さおりーーーーんっ!」
 ゆっくりと俺は振りかえっていた。
 振りかえってしまってから葛田の叫びに反射行動を取ったのだと気がついた。
 よほど畳を燃やされたことが気に食わなかったのか、怒りの形相を浮かべた
黒焦げの葛田のその背後に突如として巨大なペンギンの成り損ないのような
生物が出現したが、俺は別にそれがどうだとかは感じなかった。

 芹香さんの気配さえ消えていた…。
 彼女がどこにいようが、常に感じられたあの感じすら…。




























              「喪失」






























 理解のしようなどあっただろうか?

 始めてだった。
 本当に始めてだった。
 生まれて、芹香さんに出会い、一度は死に、そして戻ってきてから、一度も
失ったことの無い感覚。
 この世界に芹香さんの存在を感じるということ。
 それが失われてしまうということ。
 自分の存在意義を見失うということ。
 不思議な感覚だった。
 自らの命を諦め、芹香さんを助けに駆けつけたはずが、もうなんでも、どう
でも良くなってしまう。
 何もかもが無くなったと感じてしまう喪失感は芹香さんを失った所為なのだ
と気付く。
 ああ、そうか、結局俺は、芹香さんのために人間であろうとしていたのだ。
 芹香さんをもっと助けたくて、傍にいればそれができると信じていたのだ。

 追いつけない。

 芹香さんが何処かの時空に跳ばされた、もしくは自ら跳んだのだとして、芹
香さんを見つけ出し、そこに行くには時間が無さ過ぎた。
 俺の命が失われるまで、もうほんの十時間も残されていないのだから…。

 だから…

 超ペンギソの口から超高熱のエネルギーが放たれるのを、俺はただ呆然と眺
めていた…。


 日陰さんは苦笑にも思えるような笑みを見せ、断絶した空間に背をもたれさ
せた。
 実際のところ、断絶した空間の切れ目にはなにも存在しない。「無」が空間
を断絶させているからだ。しかしそれにも関わらず、日陰さんはそこにもたれ、
私もそこを通りぬけることはできない。
「無」は「有」を拒絶する。
 ただ、それだけの事…。
 それだけのことが全てを断絶させている…。
「殺さないわよ。今はまだ、ね」
 そう言って日陰さんは肩をすくめて見せる。
 私にはその意味が分かっていた。
 厭になるくらいに…。
「…それは種のために、ということですか…?」
「そうよ。貴方を殺すとしたらその為に、ね。ところで」
「…はい…」
「貴方は全部知っていたのよね?」
「…はい…」
「なら、どうしてもっと早く彼に抱かれてあげなかったの?」
「…………」
 私は絶句した。
 それを言われると確かにそうなのだ。
 私は知っていた。
 それにも関わらず彼をそう言う目で見たことは無かった…。
 私は彼を見殺しにしようとしていた。
「……種のことを知らなかったからです…」
 ああ、そうか、という顔をして日陰さんは笑う。
「彼を殺すには、一度彼に抱かれなくてはいけなかったから」
 言われたくなかった。
 智波さんは体内の種と、契約の影響を受け、ほぼ不死身に近い生命力を有し
ている。その彼を種ごと消滅させるには、そう、少なくとも契約の影響だけで
も消しておかなくてはいけなかった。それならば私にだって種ごと智波さんを
消し去る自信があった…。
「彼のこと、愛してるわけじゃないのね」
「……そんなことはありません。けれど…」
 それは決して男女の愛ではないんだろう。
 彼は、エーデルハイドは最も近かった友達だから…。
「でもね」
 と、日陰さんがそっぽを向いた。何処か悲しそうな顔で…
「彼なら来るわよ。自分がどうなってでも、貴方を助けに、ね」
 知ってます…。


 全身を灼熱が灼いた。
 肌が蒸発する感覚。
 そう、俺はこの感覚を知っている。
 痛みと快楽が入り交じった不思議な感覚の先に…
 夕焼けの空が見えた…。


 その身を覆うは蒼き炎。
 広げた翼は一町にも及び、天に或りて尚一層と光り輝く。
 しかし…、
 その姿は美しいというには、凶々し過ぎた…。
 紫に近い蒼に染められたその翼は、それを見た人に、死者の魂を運ぶ翼を連
想させた。
 鋭く伸びた足の爪は獲物を狩るためというよりは、残虐な殺戮のためのよう
に思えた。
 それは不死鳥ではなかった…。
 いや、見た目こそ不死鳥であったが、色が違うと言うだけで、まったく雰囲
気は変わってしまっていた。
 そして時として雰囲気はもっとも大事なことを伝えていたりする…。


 夕暮れが近づいていた。
 ふと見上げた空に映ったのは帳の蒼。
 雲の合間に広がる蒼い翼。夜の色…。
「雪君……?」
 二本の尾を風になびかせたその生物がきらりと翼を瞬かせた。
 蒼い炎が幾条もの光の筋となって、地上に伸びる。
 その先には……、
「ぺ、ぺんぎん?」
 私には他に言葉が無かった。
 その造形は明らかにペンギンに酷似していた。しかし、ペンギンには六つも
眼は無い。言うなれば、ペンギンの醜悪なパロディというところだ。
「きゅーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 そのペンギンが鳴いた。
 私はペンギンの鳴き声を知らなかったので、その鳴き声が本物のペンギンと
同じかどうかは分からなかったが、とりあえず本物のペンギンは鳴きながら火
を吐いたりはしないに違いない。
 赤い炎と、蒼い炎が正面からぶつかり合って、赤い炎を蒼い炎が貫いた。そ
う、まるで炎の中に槍を投げ入れたみたいに…。
 炎を貫いた蒼い光はペンギン(?)を貫いて、消えた。
 それと同時にペンギン(?)も消える。
 大空を舞う鳥が鳴いた。
 翼をひらめかせ、今度はその体ごと地面に向かってくる。
 翼の先が蒼い軌跡を残し、それは地面へと突き刺さった。
 あれは…、雪君だ…。
 気がつくと走り出していた。
 どうしても行かないといけない気がした。


「だぁぁぁぁっっ!」
 Hi-waitが目を覚ますと世界は暗黒に包まれていた。
 いや、それだけではなかった。
 まず最初に全身を襲ったのは痛覚だった。
 肉を抉られるような痛みに、ちくちくする痛み、締め付けられるような痛み
が断続的に襲ってくる。
 地獄かな、と思ってみても、死んだ記憶は無い。
 その上、臭い。
 焦げるようなたまらない匂いがする。
「くそっ、いったいどこなんだここはっ!」
 体を動かそうとしてもろくに動かない。
 全身を何かで縛り付けられているようだった。
「っていうか、埋まってないかっ! コレッ!」
 とにかく自分の感覚を信じて、上だと思う方向に体を動かしてみる。
「思い出してきたぞ。ひなたの野郎、脱出できたらたこ殴りだ!」
 不穏な妄想に頭を働かせつつ、Hi-waitは地上を目指して、また体を揺り動
かした。


 空が燃えている…。
 その夕焼けを表現するのに、それ以外の表現を俺は思いつかなかった。
 美しい光景だ。
 そして地面、急激に迫るまだ緑も浅い大地。
 衝撃と、空圧に唸る三半規管を宥めながらではとてもろくな表現など思いつ
かない。
 思いついてる場合でもないだろうが…。
 落ちている。
 地面を寸前に、体を捻り、まずは手、そして足と着地する。落下の衝撃に1
メートルほど地面を滑り、その後は体が弾き上げられる。空中でもう一回転し
て着地すると、葛田がこちらに向かって手を伸ばしたところだった。
「プアヌークの邪剣よっ!」
 まっすぐに伸びた光熱波を俺は右手で受け止め、そのまま握りつぶす。
「俺の邪魔をするなっ! クズタァァァァッ!」
 もう、どうでも良かった。
 そしてどうでも良いのなら、芹香さんを助ける努力をするべきだった。
 何故なら俺は彼女の使い魔だからだ…。
「動けない程度にぶっ倒してやるっ!」
 俺の右手を蒼い炎が包み込む。
 蒼い炎…、どうしてだろう? 俺の炎は紅いはずなのに…。
 だが正直、疑問に思っている余裕など無かった。
 葛田が俺に向かって次の魔術を放とうとしていたからだ。
「ヤスランのっ!?」
 しかし、葛田は最後まで叫びきることが出来ない。
 炎の翼を伸ばした俺が、低空を飛び、接近したからだ。
「ルリコッ!」
 葛田が叫ぶと、葛田の後ろに控えていた成り損ないペンギンがずい、と、一
歩前に出た。葛田を踏み潰しつつ……。

 ぷちちっ……。

 どがががががががーーーーーーーっ!

 ちなみに、二つ目の豪快な爆音は俺が思わず地面に墜落した音だ。
「きゅー?」
 先ほどは俺の完全変化フェニックスの体当たりをいとも易々と受け止めた巨
大ペンギン?は足元をそろそろと眺め、足を上げると、その下の潰れた葛田に
気付いたようだった。
「きゅーーーーーーー!!」
 成り損ないのペンギンはそんな奇声(歓声?)をあげると、頬を染めつつ、葛
田をその平べったい手に取り、どすどすと走り去った。
「…………」
 笑えば、いいのだろうか?
 俺は表情の選択に困る。
 だが、すぐに飛び起きる。
 芹香さんが待っているのだ。なんとしても、芹香さんを追いかける方法を見
つけなければいけない。
「よし、行こう」
 何処に行けば良いかは分からなかったが、行動は起こさなければ何も為さな
いだろう。
 びゅぅ、と、強い春風が吹いた。ざぁぁ、と、常緑樹の葉が揺れて、その先
に彼女が立っていた…。
「……間に、合わなかったんですね…」
「沙耶香さん……」
 そこには風に揺れる髪を片手で押さえ、もう片方の手で分厚い本を手にした
沙耶香さんが、風にはためかされながら立っていた。
「智波さん、芹香さんの代わりに探していたのですけれど…」
 ちらりと沙耶香さんの視線が、失われたオカ研の部室を探す。
「間に合わなかったようですね……」
 ふぅ、と、風の中に息を漏らす。
「…沙耶香さんは何か知っているの?」
「…………」
 沙耶香さんはわずかに視線を落として、小さく首を横に振った。
「でも、用事はそれだけじゃないんです…」
 つい、と、沙耶香さんが俺の側に歩み寄ってくる。
 手を伸ばせば、簡単に抱き寄せられそうな距離…。
「智波さん…」
 沙耶香さんの右手がそっと俺の腕に触れた…。
 少し俯いた沙耶香さんの顔が朱に染まっているのは、夕日の所為なんだろう
か…?
「私は…、貴方を……」
 びゅうと風が吹いて、沙耶香さんの言葉を覆い隠した。
「え……?」
 その時だった…。
「雪君っ!」
 南条さんの声が聞こえた。風の中を突き抜けて、俺の耳に届いた。
 俺は振り返った。
 その時、風が止んだ。

「…殺します…」

 背後からの声に、俺は反射的に沙耶香さんに掴まれていた腕を振り払った。