Lメモ異録『偽書・ある一つの結末へと至る道程』最終話 中編 投稿者:雪乃智波
 気がつけば、冷たい床に頬を当てて、倒れていた。
 −−ここは一体?
 という言葉をセバスチャンは飲み込んだ。
 数秒、そのままの姿勢で辺りの気配を探る。一人分の息遣い。それがお嬢様
のものであることを期待する。と、同時にセバスチャンは自分が意識を失う前
にあったことを思い出していた。
 もし、あの巨大な本が、『現実の世界と平行する別の世界』だった場合、こ
の世界は望むべく帰るべき世界とは違う世界かも知れないのだ。
 とにもかくにも行動を起こさなくては行けない。
 セバスチャンはゆっくりと瞳を開けた。
 まず最初に視界に飛び込んできたのは、石畳の床だった。その石畳にうつ伏
せになって倒れているのだ。
 辺りの気配に注意しながら、ゆっくりと体を起こす。
 怪我はしていない…。
 それでようやく部屋の中をゆっくりと見回す余裕ができた。
 石畳の部屋、というよりは空間…。まるで見渡しの利かないほど広いダンジョ
ンにいきなり放り込まれた。そんな状況だった。灯りは…、長い燭台に蝋燭が
立っている。ご丁寧に六本、セバスチャンの寝ていた位置から綺麗に等間隔で
円を描いている。
 そして立ち尽くすセバスチャンの足元に来栖川芹香も倒れ伏していた…。
「お嬢様ッ!?」
 慌てて、様子を見るが、セバス自身と同じで外傷は見当たらない。ただ、気
を失っているらしい…。
 安心して、そして思わずため息をついたところで、セバスは慌てて自分に気
合を入れ直した。状況はまったく不可解なのだ。
 そもそも、この事件の始まりからして不可解であったとは言えるのだが…。
 それにしても
「ここは一体−−」

「図書館最下層ですよ……」

 蝋燭の一つが風も無いのに揺らめいた…。
 ゆらゆらと落ち着かない蝋燭の光が、その少年の顔を下から照らしている。
 見覚えのある少年だった。いや、芹香の供をしているためか、顔を合わせる
ことは少なくない…。
 線の細い、美少年というよりは幼い少年だ…。
「はい、図書館館長のまさたですよ」
「そしてゆかたにゃあ」
 少年の後ろに隠れるように立っていた少女が場所に不釣合いな明るい声をあ
げる。
「…まるで私どもがここにいることをご存知だったかのような口振りですな…」
「それは…」
 まさたが満面の笑みを見せる。
「こちらからご招待させていただいたからですよ」
「招待状は頂いておりませんが…」
 じろりとセバスチャンがまさたを睨む。常人なら、これだけで震え上がって
しまうだろう。
「差し上げてませんから、当然です」
 しかし、まさたはそれをあっさりと受け止め、かつ飄々としている。
「いえ、別に危害を加えようと言うわけではありません。ともかく招待してお
いて立ち話というのもなんですから、こちらでお茶でも如何ですか?」
 そう言って、まさたはにっこりと笑った。
「それに、僕としてはあのまま放っておいても良かったんですよ…」
 笑い事ではなかった。図書館館長をわざわざ敵に回す理由も無かった。
 ただ、セバスチャンとしては当然の疑問を抱いただけだ。
 あのまま放っておいても良かったのなら、何故助けたのか、と。


 試立Leaf学園、超法規的な、言わば治外法権を認められた巨大学園である。
この中で起こる様々な事件に国家が干渉してくることはほとんど無いし、あっ
たとしても生徒の耳にまでは届かない。
 とてつもなく異様な空間、世界だ。
 その中にあって今日までその異常さに気がつかなかったのは、私自身が異常
であったからに他ならない。
 もう夜遅いというのに、Leaf学園には無数の気配が散っている。学園には学
生寮もあるし、貴重物も多い、警備員もいるし、生徒のグループが自主的に巡
回を行っていたりもする。また同時に不審者がうろつきまわっているのも日常
だ。
 そんな中にあって、この教室は昼間でも夜でも変わらない。真新しい蛍光灯
が煌々と辺りを照らしていた。
 私は科学部と書かれたプレートの下をくぐり、扉を開ける。
 まず四つの驚きの視線が私を捕らえた。向こうもこんな時間に生徒がうろつ
きまわっているとは思ってみなかったのだろう。私だって流石にこの時間にま
だ彼らが残っているとは思っていなかった。
「誰かと思えば、そうか、おまえの顔は知っているぞ」
 柳川先生がそんなことを言った。
 私はこの部室からなにか武器になるようなものを持ち出せれば良かったのだ。
けれど、柳川先生がいるのなら…。
「なんだ、先生の生徒か?」
 机の上に突っ伏しているジン先輩が顔に疑問符を浮かべている。時間と状況
から見て、新兵器かなにかを装備していたところなのかもしれない。
「違うな」
 くっくっ、と含み笑いを浮かべる柳川先生に、ジン先輩の頬を冷や汗が伝っ
た。
「彼女は本来、おまえのオプション用に暇つぶしで造ったシールドだ!」
「は?」
「ここからが大事なところだ。よーく聞けよ。なんと、生体の基本構造に秋山
細胞をしよ−−ぎぇばぁぁぁっ!」
 柳川先生の頬を、ジン先輩のロケットパンチが貫く。
「また、オレのいない間に訳の分からない理由で、えらくぶっそうなもんを造
りましたねっ! つーか、人間造るなっ!」
「い、今はそんなことはどうでもいいんですっ!」
 突然叫んだ私に、二人はきょとんとした顔を向ける。というか、この二人、
今、私の存在忘れてたな…。
「柳川先生っ! お願いがあります! 私をっ!」
 私は強く両の拳を握り締める。

「私を強くしてくださいっ!」


 一瞬の沈黙…。
「バカヤロゥッ! 死にたいのぐわっ!!?」
 叫んだジン先輩の後頭部を人体模型で殴りつけた柳川先生が爛々と輝く瞳で
私を見る。その目は昔私を見ていたあの冷たい目とは違う、愉悦に歪むマッド
サイエンティストの目だった。
「そうか、自ら私の改造手術を受けに戻ってきたか、娘よ」
「え……?」
「私が立派な怪人にしてやろうっ! 当然、一回倒されても巨大化して復活す
る特典付きだっ!」
「ちょ、ちょっと…」
「ちょっとは話を聞いてやれよ。つーか、一回巨大化するのは特典だったのかっ
!?」
「今ならなんと15人分のショッ○ースーツもつけてやるぞっ!」
「通販かーーーーーっ!」
 脚部のバーニアを全開にして放ったロケットのような蹴りが柳川先生に襲い
掛かる。そこまでする必要性は感じられないのだけど、おそらくはノリなんだ
ろう。ノリ。
 とか、思っているうちに私は柳川先生に引っ張られて、ジン先輩のキックの
軌道円周上に立たされていた。
「ふぇぇぇっぇえっ!?」
 脳天を突き抜ける痛みに、一瞬遅れて全身を鋭い痛みが駆け抜ける。
 ジン先輩の蹴りを受けて、教室内の机で体を強打したのだ。
「うむ、やはりウェイトの軽さという問題点は解消されておらんな」
 頬にジン先輩の蹴りをまともに受けながら、柳川先生はそう呟いた。
「女を身代わりにするんじゃねぇっ! 蹴っちまったじゃねぇかよっ!」
「大丈夫だ。先程も説明したように彼女の構成元素は秋山細胞を起源として作
られている。その耐久力たるや、たとえ遺伝子の一欠片になって復活してくる
ほどだっ!」
「それ、ある意味ゴキブリより怖いな」
「ただし、体重が軽いのでどうしても攻撃を受け止めることができないのだ。
すぐ気絶するし、痛いと逃げ出すしな」
「それって単なる役立たずじゃ…」
「普通の女の子ですッ!」
「不死身だがな」
「しかし、それって某美加香に限りなく近くなんかないか?」
「うむ、製作コンセプトは赤十字の身を呈して風見を守る姿の美しさにあった
からなッ!」
「でもあれって守ってるんじゃなくて、守らされてるような…」
「甘い、甘いぞ、ジンッ! 砂糖菓子の甘さとは違って、酢醤油のような甘さ
だが、甘いことは甘いっ!」
「よく分からんが、つまりは酸っぱ辛甘いのか?」
「ちなみに醤油は原材料大豆100%の濃口だ」
「最近は化学調味料入りが多いからな。舌が化学変化を起こしたりするんだ。
これが」
「話がずれてますっ!」
 また二人が私を一瞬「こいつ誰だっけ?」という目で見る。
 うう、私ってそんなに存在感無かったっけ?
「おお、そうだ。改造手術だったな。それならちょうど良いものが」
「まさか、先生、俺の新武装を」
「ふ、違うな、ジン。キサマ用の武装をいかに不死身に近い体とは言え、ウエ
イトの軽い女に扱えるわけはないだろう。これはセリオ用に暇つぶしに作った
武器だ」
 と、柳川先生が教室の掃除用具入れから、箒状の物体を取り出した。
「セリオって、Dセリオか?」
「いや、普通のセリオだ」
「でも武器を渡すだけじゃ、改造じゃないんじゃ?」
「甘いっ! 甘いぞジンッ! これは本来セリオのサテライトシステムを利用
して扱う兵器なのだ。通常の生身の人間には扱えんっ! それに巨大化できる
ようにしておかなくては」
「巨大化はいらないよ―な…」
「なにをぅっ!? 怪人に巨大化は必須ではないかっ!」
「ちぅか、怪人違うし」
「ええい、俺の美学に口を挟むなっ!」
「あ、あの、時間……」
「…………」
「…………」
「改造手術だったな。先生っ!」
「そうだ、立派な怪人にしてやるぞっ!」
 ああ、この二人ってホント仲良いんだなぁ。なんて、涙乍らに思いながら、
私は手術台の上に横になった。
 平穏な世界にはもう戻れない、そう思った…。


「さて、なにから話したものでしょうね…」
 湯気の立ったカップを手で揺らしながら、まさたは波打つその紅茶を眺めて
いた。もしかすると彼が見ていたのは紅茶ではなかったのかもしれないが、そ
んなことは誰にも分からなかった。
 −−場所は先ほどの場所から少し歩いた小さな部屋の中だった。内装は先ほ
どまでと変わらない石畳に囲まれた蝋燭に照らされた部屋だ。ただ、ここでは
壁が見える。
 まるで誂えられたように揃った四つの椅子、とうに目覚めていた芹香とセバ
スチャン、そしてまさたとゆかたがその椅子に座っている。四人の前には四つ
のティーカップ。それぞれのカップになみなみと熱い紅茶が注がれている。
「まずは以前に来栖川芹香様から図書館に寄贈していただいたあの本について
から、話すべきでしょうか…」
 ゆらゆらと紅茶が揺れる。
 ゆらゆら、ゆらゆら…。
「あの本は偽物です。というより、本来存在した「ある一つの終末へと至る道
程」とはまったく違う書籍に同じ名がついた。と言っても良いのかも知れませ
ん。とにかく、あの本は『違う』本でした」
 蝋燭も揺れている。
 きっと結ばれた芹香の唇さえも光が揺らす。
「魔本…、とでも呼べば良いんでしょうか? まあ、世の中には結構ありふれ
てはいるんですけれど…。その中でもあの本は禁書とすべきものでした…」
 まさたが乾いた唇を紅茶で濡らす。
「魔本の類いには大抵強い力が込められています。それはこの世界を構成して
いるとも言われる「言葉」の力を一番明確な形で閉じ込められるからだとも言
われていますが、今のところはっきりはしていません。少なくとも、本に込め
られた言葉の力は、それがどんな本でさえ、そうです、魔本でなくとも人を変
える力を持っています。ですが、どんな魔本でも一つだけ明確なルールがあり
ます」
 そこでまさたは一度言葉を切った。

「一度本に込められた言葉は変じられない」

 そしてもう一度その言葉が場に浸透するのを待つように、時間を置いた。
「たとえそれが間違いであったとしても、です。それが魔本の一番恐いところ
でもあるのですが、魅力的なところでもあります。しかし…」
 まさたが言葉を切る。そこへ芹香が口を挟んだ。
「−−あの本は容易にその内容を変えるのですね…」
「そうです。まるでそれを読むものを弄ぶかのようにその内容を変え、誑かし
ます。人によってはその『予言』を絶対のものと勘違いしたでしょう」
「−−しかし、その内容はその全てが事実になったはずです…。ですから予言
書とも呼ばれたのでは?」
「本当にその全てが事実になったと思いますか? 読むものに合わせて内容を
変えるその本の内容が? 無意味ですよ。向かい合った二人が右はどちらだ、
と議論しているようなものです」
「−−ではあらゆる未来は…」
「依然闇の中、というわけですよ。しかし闇の中に光を見てしまえば、人はそ
ちらの道を選んでしまうでしょうね。人とはそういうものです」
「−−それはまだあの子を救う道はあるということですか?」
 まさたがわずかに黙った。視線を再び紅茶に戻す。
「僕は早い話があなた達の未来にはあらゆる可能性があるとは言いましたが、
石を指差してそれがダイヤだと言えばダイヤになるとは言ってません」
 そしてまさたは蝋燭に照らされた部屋の壁にちらりと視線を投げる。
「もう、時間が迫っています。時計の針が12時を回る前に彼がこちらに戻っ
てこなければ、どちらにしろ、僕たちにできることは何も無いですよ…」


「なんか訳の分からんことが一杯あって、なにがなんだが実のところ良く分かっ
ちゃいないんだが、どうやらこれがこの物語の最高潮、つまりクライマックス
らしいなっ!」
 びしぃっ! とHi-waitが人差し指をハイドラントに突きつけた。
 美加香を含む三人は中庭と同じように焼けこげている。三人が三人とも天候
操作級攻撃魔術の奔流の中から生還したのだから、生きているだけで大したも
のなのだろうが…。
「つまりこの正義の使者Hi-waitが悪役をすっぱり、ずっぱり、どっぷりと倒し
て学園に平和を取り戻す。つまりはそーゆー物語だったわけだ。これはっ!」
「Hi-waitさん、どっぷりは違うます…」
 美加香が冷静に突っ込みを入れるが、Hi-waitは一層ヒートアップしていく。
「わはははは、まだ事体は良く読みこめていないんだが、とりあえず悪をぶち
のめせば正義の使者は無罪放免と昔から決まっておるっ!」
「他人の家の戸棚を漁る勇者のようですねえ」
「そう、正義の権利だっ!」
「で、コントはその辺で終わりなのか?」
 ぎらり、と、ハイドラントの目が二人に注がれる。
「一つ宣言しておくが、今の俺は非常に機嫌が悪い。分かってるとは思うが、
手加減していられるような気分じゃないぞ」
 すっと握り締めた拳を下ろすハイドラントの体からは殺気と怒りの混じりあっ
た空気が流れ出す。
「これは…」
「気を引き締めないといけないみたいですね…」
 Hi-waitと美加香が先ほどまでとは打って変わった真剣な表情でハイドラント
を睨み付ける。
「行くぞ、真に正しい力とは何かを教えてやる!」
「ほざけっ!」
 ぐっと三人が拳に力を込める。
 その瞬間…

 ばっひゅぅ〜〜〜〜ん!!

 聞き覚えのあるような風を切り裂く音と共に、ハイドラントに黒い塊が激突
する!
「ロケットパンチっ! ジンかっ!?」
 皆の視線が集中するその先に…、
「うう、こんなはずじゃなかったのに」
 片手の無い少女がだくだくと涙を流していた。