Lメモ異録『偽書・ある一つの結末へと至る道程』最終話 前編 投稿者:雪乃智波
--3/21-- One day, at Leaf High-school.

 目が覚めたとき、最初に考えたのは「ここは何処だろう?」という当たり前
の疑問だった…。目を閉じた暗闇の中で小刻みに揺れる振動と騒音、少し固め
の皮のシート。直感的に、車に乗せられているのだと気がついた。
 気絶する前のことを思い出してみると、どうも助かったようだ。
 −−救急車じゃないけど…ね。
 私は薄目を開けて、辺りを伺う…。
 どうやらやはり車のシートに横に寝かされている状態らしい。車は…相当な
高級車だと私でも分かる。私はワゴン車でもないのに、後部座席がお互いに向
き合っている車には乗ったことが無い。
 私が寝ているのが後部座席の一番後ろ…。つまり運転席からでも見える位置
だ。そして私からも車の中が一望できる。
 車の中には男の人が二人…。一人は運転を、一人が私から向かいの席に座っ
て、どうやら、私を看ているらしい…。
「出血の割には脈拍が戻ってきてますよ」
「まあ、なんというか、その、あれだ、事実は小説よりなんたらって言う奴」
「奇なり、ですよ。高畑さん」
「そうそう、それだ。まあ、そうとは言っても、なんだ、油断はしないにこし
たことはないだろ? あ〜、気をつけといたほうがいいぞ」
「はい、分かってます」
 きびきびと答えてるほうが、私を看ている人だ。黒いスーツをびしっと着込
んでいるけれど、サラリーマンという風ではない。私のイメージとしては、な
んかドラマとかに出てくる恐い人っぽい。
 しかし、困った…。
 どうやらこの人たちは私を助けようとしてくれているらしいんだけど、私が
気を失ってると思ってるし、致命傷だと思ってるみたいだ。普通なら、私がう
めき声でもあげて、目を覚ませば、「大丈夫か?」と聞いてくることもできる
し、そこからお互いに状況確認ができるはずだ。けれど、私はごく静かに目覚
めてしまっていて、今更目を覚ます演技をするというのもなんだか馬鹿らしい
…。
 かと言って、このまま眠った振りをしているのも馬鹿らしい。
 …体は…、驚くほど平気だった。それか、平気に思えた。
 普通、出血すれば体力は失われると思うんだけど、そんなこともないし、意
識もはっきりして、きている。さっきまで意識が無かったのがウソみたいだ。
 でも、なにか忘れてるような気がする。凄く大事なこと…。
「あ……」
 次の瞬間、私は飛び起きていた。
「雪君ッ!」
「え……?」
「は……?」
 黒服の二人が呆気に取られて、いきなり起き上がった私を見つめていた。
 しかし、それも束の間、激しい衝撃が私を含む三人の意識を現実へと戻させ
る。
「高畑さん、前っ!」
「あ〜〜〜〜!」
 車はバランスを失い対向車線側に飛び出していた。そして私たちの目の前に
はまるで山を思わせるようなダンプカーが迫っていて……



























 生きること。
 それは権利ではない。
 ましてや生まれてきた者の義務と言う訳でもない。
 生まれてきてしまったのだ。
 後は、楽しむかどうか。

                  「ある一つの終末へと至る道程」より













”お兄ちゃん…”
 彼女は怯えていた。
 僕の腕の中で、まるで捨てられた仔猫のように小さくなって震えていた。
”もうすぐなのに、どうして…”
 ぽろぽろとその瞳から頬に伝った透明な雫は、僕の服に吸い込まれては消え
ていく。
 消えていく…。
 消えていく雫をぼんやりと眺めながら、僕はただ、ただ立ち尽くしている。
 鉛のように重い沈黙がゆっくりと流れていく。心臓の鼓動と、吐息、それと
彼女の嗚咽だけが時を刻んでいる。
 彼女の涙は二つの事を意味していた。
 一つは、彼女の望みが上手く行かなかったこと。
 もう一つはこの安らかな時間が終わりを告げようとしているということだ。
”何か言ってよ!”
 ナミダゴエが僕を叩く。
”このままじゃ消えちゃうよ。消えちゃうんだよっ!”
 僕は何を言ってやればいいのだろう?
 分からない…。
 分かるわけない…。
「……ごめん」
”……!!”
 彼女の顔が強張った。怒り、そして悲しみ。
 僕は言葉を間違えたのだと知った。決して言ってはいけなかったのだ。
 謝っちゃいけなかった。
 彼女が手を振りかぶった。
 僕は目を閉じて、頬に走るだろう鋭い痛みを待った。
 それがどれほどの贖罪になるだろうかと考えながら…。



























 終わりが始まりの別の言い方だって?
 死んだ奴に別の始まりなんて無いんだよ。

                             通夜にて














      Lメモ異録

                   偽書・ある一つの終末へと至る道程

                                最終話

 まあ、実のところ終末へと至る道は無数にある。
 だからこの本のタイトルは一番始めに「ある一つの」と書いてある。
 結局はなんだっていいのだ。
 なんなら、「また別の一つの」でも良かっただろう。

                  「ある一つの終末へと至る道程」より


「おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!!!
 いい加減、このっ!! 目ぇ覚まさんかいっ!
 ボケひなたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!!!!!!!!」


 物語の最終章の幕が開いてみれば、そこはとてつもなく空虚な世界だった。
切り取られた現実以外には何もなく、ゆるゆると生温い空気が肌にまとわりつ
いてくる。明かりはどこにも見当たらなかったが、虚無−−なにもないという
ことが、闇さえも拒絶してしまったのか、−−それとも現実世界の空間に満ち
ていた光がどこにもいけずに漂っているのか…、ほのかな光が辺りを包んでい
る。
 自分は−−そう、自分は黒い服に身を包んでいた。中途半端に伸びた、先が
跳ねっかえる黒髪…、殴り合いを知らない華奢な手…。
 その手は今、僕の前にいる少女。
 長い髪を頭の後ろでまとめて、ポニーテールにしている少女の、呆気に取ら
れた顔の、少し朱色の頬に当たっていた。
 くそくらえだ…。
 なんだか、奇妙なくらいに落ち着いて、そんなことを頭の中で考えていた。
 なんというか、これはまったくもってくそくらえなのだった。
「ぷっ、うふふ、あははははは……」
 やがて目の前の少女が笑い出した。最初は引きつったように笑っていた顔が
だんだん愉悦に歪んでいく。僕はそんな彼女の頬から手を離さずに、その顔を
見詰めていた。
「無駄だよ」
 ぱしっ、と音がして、右手に鋭い痛みが走った。日陰が僕の手を叩いたのだ。
「そんなことじゃ彼が目覚めるわけないよ」
 日陰は何がそんなに可笑しいのか、含み笑いを浮かべたまま、僕を見つめて
いる。策を失った僕を笑っているのだろうか?
 けれど現実にはこれっぽっちも−−
「面白くないですね…」
 日陰に叩かれた右手は赤くなっていた。痛みはそれほどでもないが、このぼ
んやりとした世界を現実だと認めさせてくれるくらいにははっきりとしている。
「面白くない…」
 むしろ嫌だった。こんな場所はさっさと逃げ出して、どこかに消えてしまい
たかった。
「なにを…」
 中途半端に笑いを凍り付かせた日陰が、緊張に−−多分そうだろう−−身を
固めている。
 気付いているのだ。気付かざるを得ないのだ。
 変化に…。
「僕はずっと、そう、ずっとあなたのことを日陰の姿を借りた化け物だと思っ
ていました…。本当は初めから気付いていたのかもしれない…。けれど認めた
くなかったんですよ…」
「!! 茶番はやめてよッ!」

 ぱしぃッ!

 小気味良い音が僕の左頬で弾けた。
「…僕の知っている日陰、つまり風上日陰、と、貴方はあまりにも違い過ぎた
んです。…僕は、年月が人を変えることさえ忘れていた…」
 顔を上げることができなかった。日陰の顔を見ることができない。
 17になった日陰の顔にはあの頃の面影が残っていて、僕はどうしても忘れ
ることができない。
「だって君は死んだんだッ! あの時、君は僕の腕の中で事切れてッ! それ
で冷たくなっていってッ! 忘れないッ! 僕はあの時の悲しみを忘れちゃい
けないッ! だから君は死んでなきゃいけないんだッ!」
「……生きてるよ…」
 日陰の顔を見てしまった…。
「私、ここに居るよ…」
「…知って、いますよ…」
 日陰の瞳から、一筋の雫が流れ落ちたかと思うと、日陰の重さが、匂いが僕
にぶつかってくる。
「お兄ちゃんッ! お兄ちゃんッ!」
 それは、夢に見た光景だった。
 そして得られないと思っていた時間だった。
 日陰との語らい。触れ合い。
 しかし、この瞬間も夢と変わらない。
「酷いよ。こんなのって酷すぎるよ」

 僕は風見ひなただ。
 そして同時に雪智波でもあるのだ。
 少なくとも、今、意識は完全に僕が掌握してるとはいえ、肉体は僕のものじゃ
ない…。

「酷いのは貴方がこれから世界中の人にしようとしていることではありません
か…」
「お兄ちゃん、なにを言うのッ!? お兄ちゃんだって良く知ってるじゃない
ッ! この世界は汚すぎるよッ! 醜すぎるよッ! 絶望に満ちすぎてるよッ!
 力があるものが弱き者を食い物にして、利用して、捨ててッ! 弱き者は絶
望しかせずに自らの手で希望を勝ち取ろうともしないッ! 強き者は自ら正義
を語るし、弱き者の正義は彼らが力を得たときから改ざんされていく! こん
な世界、完全に消えてしまうべきだッ! それは遥かな過去からの絶対正義な
んだよッ!」
「貴方がしようとしていることは、まさしく貴方が今糾弾した強き者の正義に
他ならないことに何故気付けないんでしょうね…」
「お兄ちゃんには分からないんだよッ! 分かるわけないッ!」
「その通りです。僕は何も分かっちゃいませんよ。けど、貴方はどれほどのこ
とが分かってると言うんですか? 貴方は僕を理解してる、と? この世界に
は少なくとも50億の人間がいて、50億の考えを持っているんです。全ての
人に自分を分かって欲しいなら、貴方は50億の考えを理解しないと行けない
んですよ。そうでない限り、貴方の言う絶対正義は、単なる正義の訪問販売で
す」
「そんなのは理想論だッ! 人は決して他人を理解したりできないッ! 理解
できないから、自分を主張するしかない。例えそれが押し付けであっても主張
しない人間に何も言われる筋合いなんてないよッ!」
 日陰の腕が僕の胸を強く押した。
 僕らは手を伸ばせば先が届くくらいまで離れてしまう…。
「…お兄ちゃんには理解して欲しかったよ」
 寂しそうな瞳が僕を見ていた…。
 でも、手を伸ばせば届く距離は永遠に埋められない距離になっていた。
「日陰…、決着をつけましょう」


「……エーデルハイドッ!」
 時空をうねる不可視のうねりは、私とセバスチャンの体を捕らえ、引き裂か
んばかりに振り回す。痛いくらいに私を捕まえるセバスチャンの腕が無ければ、
私はとうに遠いどこかに飛ばされてしまっているだろう…。
 目を開いても見えるのは無数の光の粒だけだ…。あの全てが、私たちの世界
と良く似た別の世界なのだろうか? それとも私たちの世界に現れ得る可能性
たちなのだろうか? どちらにしても答えはその光に飛び込んでみなくては分
かりはしないだろう。
「エーデルッ!」
 私たちの飛び出してきた光の粒はあっという間に、他の、無数の光の粒に紛
れて、どれだか分からなくなっていった。私の叫びと共に…。
「…………」
「お嬢様、彼奴に謝ることなどありませんぞ。なーに、心配なさらずとも、必
ず戻ってくるに違いありません」
 セバスチャンが苦笑する。幾多の戦いを潜り抜けた男の笑みだった。まるで
信頼する戦友を待っているかのような。そう、いつもいがみ合っていたけど、
それと同じくらいお互いを信頼していたのかもしれない…。
 エーデルも、セバスチャンも、私を守ろうとするその心の向きはまったく同
じだったから…。
「…………」
「え? なんですか? お嬢様」
「…………」
 私は答えない。
 そう、セバスチャンの言う通りだ。エーデルハイドは必ず帰ってくる。しか
しその時にはもう…。もう…。

 迷いが私の気を逸らした。

「うおぉぉぉぉぉッ! お嬢様ッ!」

 大きな波の気配に気がついたときにはもう飲み込まれていた。セバスチャン
の腕が痛々しく軋んでいる。私の体重まで支えているからだ。
 時空の裂け目と言うものは時には穏やかで、時には嵐の海より激しい…。

「これくらいなんともありませんぞッ!」

 そう叫ぶ顔が歪んでいる。
 いかにセバスチャンの力が強かろうと、もう持たない…。

「なッ!?」

 セバスチャンの腕が限界を超える、その時、彼が拍子の抜けるような声を上
げた。
 釣られて、私もセバスチャンの見ている方向を振り仰ぐ。

「…………」

 私たちは時空のうねりと星々の中で、巨大な本に挟み込まれようとしていた
…。


 そこは何処かと問われれば、普段の私ならすぐにでも答えを導き出せただろ
う。歩き慣れた駅前の道だ。駅前から南に真っ直ぐ伸びた、空の開けた明るい
商店街を真っ直ぐ直角に切り裂いている大きな道路。あと1分も走れば商店街
が見えるだろう。普通の国道だ。
 だけど、今は深夜も近いそんな夜で、商店街には見慣れた喧燥や活気はなく、
この街の主要道路である国道上を大きなトラックやダンプカーが轟音と振動と
共に走り抜けていく。
 車のシートは少し冷たかったが、柔らかかった。少なくとも、砂の混じった
草の臭いのする土の地面とは比べ物になるわけもない。つい温もりに甘えそう
になる。
 しかし、今やそのシートさえも安全な場所では無くなっていた。何故こうも
追い立てられるのだろうか? と、疑問に思っている暇さえない。
 車のフロントガラス一杯に、ダンプカーのフロントバンパーが迫っていた。
 私は車の中にいて、運転している多分高畑さんっていう人は必死にハンドル
と格闘していた。もう一人の黒服の人は、多分、たまたまそうしてしまったん
だろうと思うんだけど、私を抱きすくめた。シートベルトをしていない私を守
ろうとしたのかどうかは分からない…。
 衝突の瞬間、私にできたことは何も無かった。
 ただ、身を竦めて、その絶望的な瞬間を待っていた。

−−
               衝撃
                                 −−

 あらゆる意識が弾け飛び、無思考の思考が頭の中を駆け巡る。
『バカチンがッ! そのくらいで意識を失ってどうするっ!』
 私は校舎地下に作られた実験場に居た。本当のところは地下だったのかどう
かさえも分からない。ただ、その部屋には窓が無かったので、私がそう思いこ
んでいるだけだ。
 ただ一つの窓さえない、ときどきちかちかと瞬く蛍光灯の明かりの中、私は
実験の真っ最中だった。間違っても実験する側ではない。実験される側だ。
『今日の実験メニューをなんだと思っている。耐久テストだぞ。耐久テストッ!
 盾の耐久テストであって、決してか弱い女生徒が何処までの打撃に気絶せず
に耐えられるかどうかの実験ではないッ!!』
 私の血に濡れた拳が蛍光灯に向かって掲げられる。
 痛くて、辛くて、どうしようもなく嫌で、

 耐えられない…。

 リノリウムの床に突っ伏せるように倒れたまま、痛みに引きつる足を精一杯
前に進ませようとする。
 動いてよっ! 動かなきゃ逃げられないんだよッ!
 もう何も考えられず、ただただ、出口に辿り着けば逃げられると甘い考えに
支配されて、私は床を爪で引き擦った。
 少しでも進めば、出口に近づく。
 ちょっとだけ手を伸ばす、それだけのことがうまく行かない。袖のある服な
んて着るんじゃなかった。そうだったら、こんなに腕が重いわけないのに。
 しかしその腕を踏みつけられた。動かない…。
『逃げるなッ! 俺はおまえをそんなにヤワに造った覚えはないッ!!』
 硬い靴の踵が脇腹に振り下ろされる。
「アゥッ!」
 痛みにくの字に折れた体に、何度も靴が振り下ろされた。何度も、何度も、
何度もッ!

 痛い、痛いよッ!
 なんで、こんなの、忘れてたのにッ! せっかく忘れさせてくれてたのにッ!

 重みが私を押さえつける。
 血の臭いが鼻孔を刺激して、私は嘔吐した。
 吐いて、吐くだけ吐いて、吐くものが無くなった私を見下ろしてその人は言っ
た。
『なんだったら…』
 切れ長の鋭い瞳が残虐な色に染まっていた。
『証明してやろうか? おまえは女ですらないということを…、その体に刻み
つけてやろう。二度と忘れることができぬように』

 厭だッ!

 重い、重いよッ!

 痛いよ…。

「うっ……ひっく、ひっく…」
 重い、そして臭い。
 まるで生温い水の詰まった袋に押しつぶされているような重みだった。
 力を失った人間の重み…。
 そして臭いは血の臭いだった。
 私はそれを突き飛ばして、立ち上がる。
 −−ここは?
 ここは、そう、商店街の傍の国道だ。
 変に赤い光に照らされた道端に立っている。
 ぐしゃぐしゃに潰れたガードレールと、店先に突き刺さったダンプカー…。
押しつぶされた黒塗りの高級車。
 そして足元には黒服の男性…。
 そう、悪夢から、地獄へと戻ってきただけなのだ…。
「……」
 私はその人の名前を呼ぼうとして、名前を知らないことに気がついた。
「ねえ、起きて…」
 肩を揺さ振ろうとしたけど、腕が動かなかった。血塗れのその人に触れるこ
とに躊躇する…。
 そう言えば高畑さんはどうなったのだろう?
 まだ、車の中に…?
 黒塗りの高級車に向かって振り返る。今さっきまでその中にいただなんて、
当たり前の事が妙に現実味を失っていた。
 現実だと感じられたのは、空気の冷たさと、月の明るさだけだ…。

 ワタシハダレモマモルコトガデキナイ……。

 捨てられた理由、必要とされない理由。
 守られてばかりの私…。
 でも、今はそんなことは言ってられない…。
 守るべき人ができたから…。
「救急車、呼びますから、すぐに来ますから…」
 名も知らないその人にそんなことを言って私は立ち上がった。
 戻らないと行けない。あそこに…。
 間に合うかどうか、分からないけれど…。
 月が黄色く、不気味に、星たちを覆い隠すほどの光を放っていた…。