『伝説の財宝、図書館地下ダンジョンにて存在を確認される。 発見者の第二購買部に独占の意図』 情報特捜部発の特ダネとして校内に放たれたこのニュースは、あっという間に学園 中に広がった。 もっとも、もともとの信憑性の低さに加え、多くの生徒にとって地下ダンジョンへ の冒険などは遠い世界の話であったため、その情報はいつもの騒ぎの一つとして、何 事もなく過ぎ去るはずの事だった。 そう、過ぎ去る『はず』の事『だった』 いや、もとよりお祭り騒ぎが三度の飯より好きな連中の見本市のようなこの学園の 事だ。所詮はこれも、『いつもの騒ぎの一つ』にしか過ぎないのかもしれない。そう 小さく、苦く笑って、ディルクセンは胃薬を喉に流し込み、この十分ほどで四度目に なる重い溜息をついた。そして。 「ええい、貴様ら!! 図書館地下ダンジョンは当分風紀委員会が封鎖すると言って いるだろうが!! 散れっ、散れ散れ!!!」 放った怒号に対し、数倍する非難の叫びが帰ってくる。 「なんだよ、図書館は公共施設、しかも管理は図書委員会だろ? お前らに言われる 筋合いはねーよ!」 「そーよそーよ! なんであんたたちに止め立てされなきゃなんないのよぉ」 「横暴だぞ生徒指導部!!」 時計は夕方六時に迫っている。100人を超える風紀委員が固める図書館地下ダン ジョン入り口に詰めかけた、数百人の生徒たち。いずれも騒ぎを聞きつけて集まって きた野次馬ばかりだ。その連中が、ダンジョン入り口を封鎖して何人たりとも通そう としない風紀委員会に対してねじ込んでくる。馬鹿どもが、と小さく舌打ちして、デ ィルクセンは苦りきった表情をさらに苦いものにした。 考えてみれば、以前beakerたち第二購買部が催したハンター試験講座のために、一 般生徒の間にも図書館地下ダンジョンへの関心は大きく向上していた。それに、せっ かくダンジョン入り口の管理権をもぎ取った事で得た情報の流出を防ぐチャンスを、 みすみす失ってしまった事も痛い。まぁ、これはマジックアイテムに関する知識など 無いに等しい人間を、監視の任務に割り当てていた自分の失策でもある。 「大体、ジャッジとか第二購買部とか、他にも何組かとっくに地下に潜ってるそうじ ゃんか。なんでそいつらはほったらかしで、俺たちは入っちゃいけねぇんだよ」 そうだ。痛いといえば、放課後迅速にダンジョン入り口を封鎖するつもりが、六時 間目が終わるまでにはとっくに第二購買部とオカルト研、そしてジャッジがダンジョ ン入りしていたというのも迂闊だった。恐らくこちらの動きを読まれていたという事 なのだろう。無念だが、仕方あるまい。こちらもは規模が大きいだけに物資や人員の 準備に手間取った。小回りという点であちらに一歩も二歩も譲るのは止むを得ない。 …………それに、密約もある。 「引っ込め風紀委員!」 「なんでもかんでも規制できると思ったら大間違いだぞ!」 「そーだそーだ、帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ!」 「帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ!」 「帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ!」 いつのまにか帰れコールに発展していた群集を一瞥し、ディルクセンは忌まわしげ に舌打ちした。背後を振り返り、冷淡な声で言う。 「催涙弾発射。追い散らせ」 「了解。催涙弾、射撃開始! 射撃開始後警備班は突入、ぶん殴って追い散らせ!!」 その声に応じ、傍らで擲弾筒を構えていた数人の生徒指導部員が、装填された弾丸を ぱしゅん、という奇妙な音とともに撃ち出した。放物線を描いて飛び出した弾丸はあ るものは生徒たちの前方に落ち、あるものは真っ只中に飛び込んで、たちまちのうち に白煙を上げ始める。 「うわぁっ!!」 「くそっ、なんだこりゃ!?」 図書館の一角に突如もうもうと立ちこめた白煙に喉と目をやられ、生徒たちが算を 乱す。そこに強化プラスティック製の盾にスタンバトン、そしてガスマスクという完 全武装を施した風紀委員が容赦無く襲いかかると、生徒たちはあるものは殴り倒され、 あるものは逃げさって散り散りとなった。 「派手にやるものだな、ディルクセン」 捕縛した生徒に容赦なく暴行を加える生徒指導部員を見て薄く笑ったハイドラント は、今は、彼は普段のような黒一色の服装に身を包んではいない。 いや、服装自体は黒一色には違いない。今の彼は、学ランと生徒指導部が良く着用 する制帽、それに学ランの上から巻くタイプのバックル付きベルトを着用しているの だから。 要するに、生徒指導部員に化けていたのだ。 「お前の予想通り、ジャッジだの第二購買部だのには見事に出しぬかれたよ。癪な話 だがな」 彼のほうは見ようともせず、ディルクセンが言った。 「そしてこれもお前の予想通り、広瀬は俺の独断を咎めようとはせず、風紀委員会か らの人員の動員も簡単に認めた。おかげで、監査部にいちいち口出しされずに済む… ……… しかし貴様。『嵐の戦争』の時といい、どんなトリックを使った?」 険悪な口調のディルクセンの問いに、しかしハイドラントは答えない。あざ笑うよ うに口許をわずかにゆがめただけだ。ディルクセンも答えを期待してはいなかったら しく、小さく嘆息してようやく彼を振りかえる。 「いいだろう。俺たちはなるべくならジャッジを相手にしたくない。ジャッジを相手 にするということは、生徒会と本気で対決する覚悟が必要だからな。それにはまだ時 期尚早だ。その逆に、お前たちは第二購買部やオカルト研との衝突は避けたい…………」 陰鬱な表情と声で頷く。 「第二購買部とオカルト研はこちらで相手をする。そちらはジャッジを始末しろ」 「……賢明な判断だ」 ハイドラントはそう言うと身を翻した。数歩進んで思い出したように振りかえり、 鋭い視線でディルクセンを見据える。 「図書館の裏手から使徒たちを引き入れる。そちらは話が通じているのだろうな?」 「言われるまでも無い」 明らかに不信げな視線を受けて、彼は憤然と声を荒げた。 「生徒指導部はもとより、動員した風紀委員も含めてすべて俺の息のかかった連中だ。 とっくに話は通っている」 二人だけ、違うのがいるがな。そう内心付け加えたが表情には毛ほども出さない。 それに頷き、ハイドラントはふたたび図書館の裏口へと歩を進める。ディルクセンは 軽く舌打ちし、もはやそちらは見ようともせず背後を振り返ろうとして――― 「……あれ?」 ぱたん、とその場に倒れ伏した。 「か、身体が……動か……ない……?」 全身を縛るような痺れが襲う。四肢は完全に麻痺し、さらに周囲で同じようなうめ きが聞こえるところを見ると、他の連中も同様に倒れているようだ。 (もしや、ハイドラントに一服盛られたか……) 辛うじて動いた頭をめぐらし、視線をハイドラントへと向ける…………と、彼もや はり同様に倒れてぴくぴくと痙攣しているのが目に入った。そこで、ようやくここが どこだったのかを思い出す。ついでに、彼の妹の美也が三十分ほど前―――生徒たち が集まって騒ぎ出す前に持ってきた『ハーブティー』の事も。 「美也……さ、さっき持ってきた、ハーブティーな……ひょっとして?」 聞きたくはなかったし、聞いたからといって打開策が見つかるわけでもなかったが、 とりあえず聞かずにはいられない。恐る恐る、問い掛ける。 「館長さんからもらったんだけど……まずかったかな?」 同じようにぶっ倒れているのだろう、背中のほうから返事が聞こえた。それを聞き、 ディルクセンは力尽きたように床に顔から突っ伏した。そのまましくしくと声を立て ずに泣き始める兄を尻目に、美也は思い出したように首だけ動かしてハイドラントを 見る。 「あっ、あと……裏で待機してたダーク十三使徒の人にも差し入れちゃったんだけど ……」 「なにぃぃぃぃぃぃっ!!?」 ハイドラント、絶叫。 こうして、生徒指導部とダーク十三使徒の最初で最後(になるかどうかまだわから ないけど)の共同作戦は、しょっぱなから作戦開始時刻を二時間オーバーという問題 だらけの出だしを迎えたのだった。 「まさたさん、うまくやってくれたかな?」 同じ頃、地下ダンジョン18階。生徒指導部の動員と物資集積の動きに先んじて、 六時間目の最中にダンジョン入りしたジャッジの面々は、しんがりを勤める風見ひな たがポツリともらした言葉に怪訝そうに振りかえった。 「うまく、って、なにを?」 松明を掲げ持ち、慎重にあたりの様子を窺いながら進んでいた岩下信が聞く。それ に対し、風見は実にこともなげに応えた。 「いえ、まさたさんに、生徒指導部かダーク十三使徒がダンジョン入りする時に 少しの間、足止めしてくれるように頼んだだけですよ」 「…………なるほど」 「大分、時間を稼げそうだね」 聞かずとも足止めの手段は自然とわかる。今ごろ地上で床に倒れ伏し、ひくひくと 細かい痙攣を繰り返しているだろう連中の姿を思い浮かべ、岩下とセリスは苦笑をも らした。それにしても、と周囲を見渡し、風見は怪訝そうに首を傾げた。 「おかしいですね。以前、筋肉生徒会を吹っとば……もとえ、沙留斗さんとディアル トさんを救出するために潜ったときと、だいぶ様子が違う」 「図書館ダンジョンは常時誰かが潜って戦闘を繰り返してるんですし、それに図書館 には自動修復装置がついているんでしょう?」 それなら様子がどんどん変わっていっても、不思議ではないのでは? SOSのそ の言葉に、風見は首を横に振る。 「修復装置は地下まで修復したりはしませんし、第一修復するにしても元通りにする んです。けど、今は明らかに様子が違う。そもそも階層ごとの規模がまるで違うんで す」 さらに言えば、出現するモンスターの種類も違う。以前なら、この程度の浅い階層 に出現するのは、殺人ナマケモノや大トカゲといった通常生物の変異体や、せいぜい ゴブリン程度の下等な亜人程度のものだった。ハンター試験予備校の頃は、なんらか のトラブルが発生してベヒモスなどという化け物が出現していたが、それも収まった はずだ。 しかし、現実に今出現するモンスターには、かなり危険なものも含まれている。 具体的に言ってしまえば、悪魔だ。その大半は蝙蝠の羽を持ち、二本の細長い角が 頭部から生え、槍の穂先のような尻尾が生えている古典的な姿のものだ。もちろん、 その肌は闇に溶け込むような黒。 そんなステレオタイプのそのままの悪魔が、すでに何匹か彼らの前に現れていた。 駆け出しのハンターになら致命的にすらなりかねない敵だったが、このメンバーにと っては苦戦するほどの相手ではない。出会うたび、一蹴して退けたのだが。 「しかし、悪魔が出てくるなんて…… その、『レメゲドン』でしたか? 悪魔を自 由に出来る魔道書だと言う事ですが……まさか、もうハイドラントの手に落ちている などということは……」 「それはない」 温和な表情に憂いの色を強く浮かべた冬月俊範に、岩下が力強く断言する。 「あちらの動静は、出発ぎりぎりまでこちらも監視していた。冬月君、君も風紀委員 会監査部からのルートで、ダーク十三使徒の動静に関しては情報を得ていただろう?」 「ええ、それは、そうなんですが……」 冬月は憂いの表情を崩さない。実のところ、冬月は風紀委員会上層部とダーク十三 使徒の間でなんらかの接触があったのではないかと内心疑っていた。それを証明する 事実は何もない。単なる推量だ。『嵐の戦争』処理に対する不満が疑念となっている のかもしれない。しかし、どうにも気にかかる。 だが結局推量は推量だった。迂闊に口にするわけにはいかない。彼のように風紀委 員会の内情に触れることの出来る(そして実際わずかながらも触れている)人間がそ んな推量を口にすれば、それは関係者が証言した『事実』として認識されてしまう。 そんな事になれば、ただでさえ関係が良好ではなくなりつつあるジャッジと風紀委員 会のあいだの決裂は決定的なものになってしまうだろう。若干17歳にして宇宙艦隊 の司令官を勤める彼には、その程度の判断力は当然の事として備わっている。 (しかし……不安、ですね……) 表情を押し隠して、内心呟く。だが、不安がっても仕方がないことも確かだ。 「確証を掴むまで、波風立てるような事は無用の事ですよ、俊範様?」 冬月の内心を読み取って、彼のすぐ脇を歩いていた綾波優喜が小声で言った。冬月 は苦い表情をして小さく頷く。 そんな二人とは別の意味で、ディアルトも内心穏やかではなかった。沙留斗からも 地下ダンジョンへの誘いを受けていた。結局ジャッジの使命を優先したのだが、今回 ジャッジと第二購買部・オカルト研は目的を異にしている。かたや魔道書の破棄を目 指すジャッジ。かたや、魔道書の回収・保管(商談?) どちらかが魔道書を手にし た状態で鉢合わせたりすれば、どう考えても何事もなく済むとは思えない。 実際、一度オカルト研究会から正式に「自分たちが責任を持って保管するから、今 回はジャッジは介入を控えて欲しい」と要請があったとき、岩下とセリスは相談の末 「今回の地下ダンジョンの異変を引き起こした可能性があるほど危険な魔道書は、こ の世に存在すべきではなく、処分を前提とした介入は避けられない」と回答している。 (なんとか、ならないものでしょうか……) それ以外にも、気になる点はある。ひなたが言っていた様に、明らかにダンジョン の構成が変わっているのだ。しかも、ダンジョンの規模自体が大きくなっている。何 か、大きな力が加わっている。それはもう疑い様のない事実だった。 だが、それに関して深く考える余裕は与えられない。 「ひなたさんっ、敵です!!」 美加香の警告が終わるよりも早く、背後から数本の炎の矢が風見の背中を襲った。 風見はとっさに地面に倒れ伏してこれを避けるが、そこにさらに追い討ちがかかる。 「くっ!!」 小柄な悪魔が突き出してきた三叉の銛を蹴り上げ、地面を転がって距離を取る。彼 が立ち上がる間に、ディアルトと貴姫が銛を取り落とした悪魔を速攻で屠った。 「大丈夫ですか、風見様」 「これくらい、大丈夫ですよ……くっ」 貴姫は風見の言葉を無視して背中に両の掌をかざす。瞬間、激痛が風見を襲った。 どうやら、すべて回避したと思っていた魔法が、一つ掠めていたらしい。 風見の火傷が癒えるまでわずか数秒の事。その間にすべては片付いていた。背後か ら襲ってきた残り四体の悪魔のうち、一体は岩下に焼き尽くされ、一匹はセリスに袈 裟懸けに斬られ、一体は美加香とSOSに倒され、残る一体は冬月と綾波の「風」に 切り刻まれて全滅した。 「案外、あっけないもんですね」 ディアルトが拍子抜けしたように言った。だが、セリスは緊張した表情を崩さず、 慎重に周囲に気を配りながら言う。 「油断はしないようにね……悪魔という連中は狡猾だから、こちらの油断を誘ってい るのかもしれない」 「ひゃははっ、こーんな風にかい?」 頭上からの声に、セリスはとっさに背後に飛んだ。直前まで彼の首があったところ を、鋭く巨大な鎌がなぎ払う。 「くっ!」 「ひゃひゃ、どこを狙ってるんだい、人間!」 反撃のセリスの一閃。しかし、間合いが甘い。反撃は空を切り、奇襲をかけてきた 小柄な悪魔はけたたましい笑い声を上げながら前方の闇へと消えた。 「逃がすか!」 「止すんだっ、信!!」 即座に敵を追おうとした信をセリスが止める。 「きみにもわかってるだろう、誘いだったらどうする!」 「我々より先に第二購買部やオカルト研が先行してるんだぞ、もし計画的な奇襲なら、 彼らが先に襲われているはずだ!」 先ほどから断続的に待ち伏せや不意打ちをかけられている事がよほど頭に来ていた らしく思わず声を荒げた岩下に、セリスは落着いて反論する。 「だからといって罠じゃないという確証もない! ダンジョン探索自体がはじめてな んだから、もっと慎重に事を……」 唐突に、言葉を区切って前方を見据えた。そんな二人に風見がやや苦味を含んだ口 調で声を掛ける。 「……岩下さん、セリスさん、あまり大声で喋ってると普通のモンスターまで呼び寄 せてしまいますよ」 腰を落とし、静かに構えを取る。 「…………もう遅いみたいですが」 「……潜る度にいつも思うんですが、どれほどの数の魔物が棲みついているんでしょ うね」 気を練り倭刀を虚空より生み出して、ディアルトが疲れたように言う。 「来るぞっ!!」 岩下が叫ぶと同時にブラックドッグの群れが彼らに襲いかかり――― 「……」 地下十九階に続く階段を降りきった所で、黒猫エーデルハイドをその腕に抱いたま ま、来栖川芹香は無言で背後を振り返った。小さく首をかしげる。その様子に、隣を 歩いていたセバスチャンが気づいて声を掛ける。 「どうかなさいましたか、芹香お嬢様?」 見れば、先ほどまで心地よさそうに寝ているようだったエーデルハイドも芹香同様 長い階段の彼方、十八階の方へと視線を向けている。問われた芹香はしばらく足を止 め、黙考するしぐさを見せていたが、やがていつものように聞き取れないほどの小さ な声でポツリと呟いた。 「……」 「なんと、強い魔力を持った集団が後ろからやってきています、でございますか?」 「芹香君、ジャッジやダーク十三使徒ですか?」 二人の会話を耳ざとく聞きつけ、神無月りーずが割って入った。その彼の質問に、 芹香はこくんと小さく頷く。 「……」 「振るわれた力の波動から考えると、ジャッジの岩下さんだと思います、ですか」 やはり魔王級存在をその体内に封じる連中となると、離れたところからでも認識し やすいらしい。 「……やれやれ、あちらもご苦労な事ですね」 りーずは思わず苦笑を漏らす。『魔』に属するものの絡んだ事件となればジャッジ は必ずといって良いほど介入し、そして大抵の場合苛烈な措置を取る。彼らの経歴や 立場からしてそれはしかたのない事なのではあるが、だからといってその『魔』を探 求する事こそがそもそもの存在理由であるオカルト研からみれば、厄介この上ない集 団だ。 「まぁ、何故か魔物の襲撃があちらに集中してくれているおかげで、こちらは楽に進 めるんですが……」 天井を見上げ、皇日輪が錫杖をしゃん、と鳴らした。とたん、天井に立ちこめた邪 気があちこちへと散らばって行く。 「どうにも……凄い邪気ですね」 一般人には見えないだろう、悪意が靄の形をとったような邪気に、りーずが眉をひ そめる。 「……」 「え? これがすべて、実体を取る前の悪魔なんですか!?」 芹香の言葉に流石に皇が驚いた様子を見せた。実体を取った魔物なら数多く相手取 ってきた彼ではあるが、キリスト教国でもない日本でエーテル体レベルでの悪魔とい うのはそうそう見られるものではない。 悪魔とはそもそも霊的存在だ。これは天使にも共通する事なのだが、悪魔は本来実 体を持たない。ゆえに、その姿は霊的本質の現われなのだ。かつては天上の神に仕え る美しい天使であった彼らが堕天すると同時に黒い肌、二本の角、こうもりの羽、鏃 のような尻尾に象徴されるような邪悪な姿に変じたのは、邪悪な欲望を持った事がそ のままその姿に跳ね返ってきたものといえる。 一方、物質世界である人間界においては悪魔といえどもその法則に従わねばならな い。人間界に悪魔が干渉しようと欲するなら、霊的存在、すなわちエーテル体である 悪魔は人間界における活動の基盤として実態をえなければならない。実態を得ずとも アストラル体にまでなれば干渉する事は不可能ではないのだが、やはりその本来の力 を揮うことは望めない。 では、実体を得るにはどうすればよいのか。もっともポピュラーな方法が、ベネデ ィクトのように魔術師によって実体を得るのに必要なだけの儀式と供物を捧げられ、 魔方陣を通じてこの世に顕現するという方法だ。この手段がもっとも確実で、力も本 来のものを行使できる。 ただし、この場合顕現した悪魔は契約によって縛られているため、彼は術者に使役 される使い魔とならざるを得ない。もっとも、悪魔の目的は魔術師の魂というより神 を悩ますためにこの世に悪をばら撒くことであり、そして悪魔を召喚し契約するよう な魔術師はまず邪心を抱いている輩と考えて間違いないので、悪魔にとっては問題な いと言える(その意味においてもベネディクトは不運であるが) もう一つが、悪魔憑きといわれる現象だ。多くの場合は心の弱いものや悩めるもの に憑依して狂気を引き起こすだけ(憑依される当人にとっては到底『だけ』で済ませ られる問題ではないが)の現象だが、場合によっては精神も肉体も乗っ取り、この世 における実体となしてしまうこともある。悪魔ではないが、ラルヴァのケースがそれ に近い。その場合、被害者の肉体は悪魔のそれに変貌し、多くの場合意識は覚醒した まま悪魔の邪悪な行為を眺めることになるのだ。 「つまりこの邪気は、隙あらば我々の肉体を乗っ取ろうと狙っている連中、と言う事 なんですね」 珍しく長々と喋った芹香に対し、東西が要略して呟いた。こく、と無言で小さく頷 く芹香の姿に、トリプルGが苦笑を浮かべた。 「……まったく、油断も隙もないですね」 「……まったく、油断も隙もないですね」 ……違和感。 ステレオの音声。 反響音などではない。全く同時に同じ言葉が同じ声で放たれた。 …………肉声なのに? 「……!?」 「ドッペルゲンガーかっ!!」 偽者のトリプルGを中心に、一同が機敏に飛びずさる。芹香は当然の事ながらセバ スチャンが抱えて安全なところまで退避している。 「まってください、そっちがドッペルゲンガーです!」 と、包囲された格好の贋トリプルGが慌てたように叫んだ。だが、魔術に長けたオ カ研メンバー相手に使い古された手段で混乱を引き起こそうとは、やや虫が良すぎる 話だ。 「物の怪、正体を現せ!!」 「ぐぅっ!?」 皇が印を組み、錫杖を贋トリプルGに突きつけると、あっけなくドッペルゲンガー の術は敗れた。一瞬霞みが掛かったように姿がぶれ、ドッペルゲンガー本来の姿、人 間の皮膚を裏返しにしたような醜怪な姿が一同の目前に晒される。 「おのれっ、人間風情が小癪な真似を!」 術を破られ怒り狂った悪魔が言い終えるか終えないかの内に、彼の周囲に幾つもの 火球が生まれた。下級のデーモンとはいえ、ドッペルゲンガーもまた悪魔の端くれだ。 その魔法が紡がれるのは素早く、しかも強力無比。 「マカラカーン!!」 りーずがとっさに魔法障壁を張るが、全員には到底行き届かない。トリプルGがビ ームライフルを構えるよりも、皇が新たに印を組みなおすよりも、東西が水の精霊に 水壁を張り巡らせるよりも、そしてエーデルハイドが魔術の構成を編むよりも早く、 ドッペルゲンガーが十数の火球を放とうとした時。 「がっ……!!」 銃声と同時に、悪魔の額に二つの穴があいていた。そのままがくりと崩れ落ちる。 同時に術者を失った火球も跡形もなく消え去った。闇の向こう、弾丸が放たれた方向 から、人の足音が近づいてくる。 「すみません、気づくのが遅れたもので」 「……助かりましたよ、beakerさん」 暗視スコープをつけたまま駆け寄ってきたbeakerの姿に、トリプルGが安堵の溜息 を漏らす。 「罠が解除できたので知らせにきたら、きわどいタイミングだったようですね」 それにしてもドッペルゲンガーとは珍しい、とbeakerは死体をしげしげと眺めた。 もっとも死体というのには語弊がある。何故なら、霊的存在である悪魔は死を迎え る事がないのだから。物質世界で肉体的な死を迎えても、もとの霊的世界、要するに 地獄に戻るだけの話だ。 まぁ、それはこの際関係ない。ともかくも悪魔の襲撃を切りぬけ、場にはほっとし た雰囲気が流れた。 「りーずさん、どうせなら説得して仲魔にしたかったんじゃないですか?」 「いや、種族が外道の悪魔は、DARK属性ですから仲魔にはならないんですよ」 そんな東西とりーずの会話を横に、セバスチャンはドッペルゲンガーの死を確認し てから抱え上げていた芹香を地面に下ろす。 「芹香お嬢様、失礼いたしました。もう大丈夫のようですぞ」 「……」 こくん、と頷き、芹香は少し背伸びしてセバスの頭を撫でる。まぁいつものことで はあるのだがやはり少々気恥ずかしく、セバスは年甲斐もなく顔を赤らめながらこほ んと小さく咳払いして、ことさら大声で周囲に怒鳴った。 「小僧ども、罠が解けたならさっさと進まんか! 後ろの連中に追いつかれたら困る んじゃろうが!」 「っと、そうでした!」 「まずいな、今のでどれくらい距離をつめられたでしょうね?」 その一喝で状況を思い出し、一同は先ほどの襲撃で投げ出した荷物などを拾い上げ、 あわただしく再出発の準備を整え始める。 「全く、尻の青い若造どもが……」 そんな一同を険しい目付きで眺めながら、セバスチャンはぶつくさと一人ごちる。 それでもいつもの眼差しよりは若干優しいものが混じっているというのは、芹香以外 には気がつかないことだ。 「まぁしかし、少なくともワシが手助けせねばならんほど頼りにならんというわけで も無さそうじゃな。一つお手並み拝見とさせてもらおうか」 ______________________________________ ああ、もっとギャグメインにするつもりだったのにこの話(汗) ええい、次こそは……(笑) ちなみに、これは風紀動乱終結前のお話と言うことで一つ(笑) それと、セバスチャンは『塔』モードです。多分強いぞ、戦わないけど(笑)