Lメモ悲話・料理に優る武器はなし 投稿者:dye
  世間は若葉萌える五月。空は優しい春の青い衣を脱ぎ捨て、初夏のドレス
を試し始めていた――と言いたい所だが、実際は五日目を迎えた雨に、灰色
の雨具姿でつむじを曲げている。

  窓越しの景色を一瞥し、保科智子は陰鬱な溜息を洩らした。流石の彼女も、
この長雨には気が滅入っている。
  …ザワザワ…ザワザワ…
(どうせなら、地面を叩き付けるように激しくか、春雨のような静かな降り
方をすればええのに…)
  強弱どちらとも取れぬ、おざなりな雨音がうざったくて仕方がない。教室
の喧騒とは違う、節目無い攻撃に苛立っている自分にも少しうんざり…。
(ふぅ、アホくさ。ただの雨やろ?)
  冷静を装った自嘲が、ぼやきのループを断ち切ろうする。納得でなく、空
しさ故に終了を受け入れていた。
(何かこう、自分だけ不幸な気がしてきたわ…)

  それは間違い。この日一番不幸だったのは「彼」だったのだから。
  その「彼」の回想が今回のメインである。


          〜Lメモ悲話・料理に優る武器はなし〜

            (…って、内容バレバレやん!)


    悪名高い千鶴先生の手料理。
    噂を知る者の殆どが、口にした経験がない(当たり前ですよね…)。
    だから、実際は知らないんです。
    決して食えない代物でないことに。
    調理法そのものは間違っていません(…たぶん)。
    たまにレアな食材(贖罪にあらず)が混入したり…
    塩加減がほんのkg単位違うとか…え〜と、まぁ……。

    とっ、とにかく食べられる訳であって、味わなければ良いだけの話っ!
    喉元すぎれば熱さも忘れるっ!
    何のことない。嫌いなものを噛まずに飲み込むのと同じです。
    腹に入れば皆いっしょ!  さあ、涙を拭いて…


「――冷めないうちにどうぞ、雅史君」
  千鶴先生の微笑みが、僕の意識を優しく現実へと引き戻しました。僕は今、
保健室で孤独な闘いを強いられています。
  テーブルの上には謎の料理(怖くて何か聞けませんでした…)が、丼一杯
に有ります。黒くてドロリとした液体はスープなんでしょうか?  
  見透かす事を許さない漆黒が、否応にも想像を煽ります。
「……は、ははっ」
  震える手でスプーンを掴もうとしますが、ぼやけた視界で上手く行きません。
覚悟完了のはずなのに、どうしても涙が止まらない。

「急に呼び止めてごめんなさいね。昨日、試食を約束したジン君が今日は欠席
なの。せっかく腕を振るって頑張ったのに……」
「…き、気にしないで下さい」
  なぜ今日に限り、保健室の前を通ったのか非常に悔やまれます。いや、それ
より…。
(…ジン先輩…逃げちゃったんですか?  あなたの千鶴さんへの愛はこの程度
ですか!?  今なら、まだ間に合います…早く来て僕を助けて…)
  だが、ヒーローは現れません。
  ――その時です。緊張に研ぎ澄まされた鋭敏感覚が、人の気配を捉えたのは。
本能的に廊下への扉を開けると、そこにRune君と健やか先輩の姿が!
  遭難した人が救助隊と遭遇する喜び、いや、海で水死した霊が生者を引き込
む心境です。

「あ、あの――!」
「悪ぃ。今、腹痛でトイレに行く途中なんでな…と、『我は踊る鬼の楼閣!』」
「…Rune君、僕まだ何も言ってないよ…」
  一人は空間転移しましたが、まだ健やか先輩が残っています。この人なら
きっと…と思っている内に、千鶴先生が声を掛けました。
「健やか君。私の新作が有るんだけど、一口どう?」
「…千鶴先生。食べたいのは山々なんですが、初めての女の人の手料理は
加奈子さんと決めてるもので…」
  母の料理はっ!  と突っ込もうとした時には、健やか先輩は素晴らしい速さ
で駆け出しています。
「…フフッ、太田さんも愛されてるわね」
  嘆息した千鶴先生がドアを閉め、続けて「きっちり」鍵を掛けるのが目に映
りました。

…やはり学園は情け無用の世界なんですね(しくしく)。


  万物を滅びに導く「時」が流れ、僕の執行時間が訪れました。黒い深淵を
切り取ったスプーンが、目前で静止しています。

「い、頂きます」
  自分の声が別人のようです。
「どう、美味しい?」
「………………………………………………………………ま、不味…」
「な・あ・に?」
「――まずまずのお味です」
  一瞬、室内の温度が下がったようですが、僕はそれどころじゃありません。
「ふふっ、ありがとう♪」
「じゃあ、僕はこの辺で失礼――」
「…食べ物を粗末にする人って許せないと思わない?」
「で、ですよね」
  最後の晩餐という言葉が、脳裏を過ぎりました。
(――僕はユダになりたい)
  人は窮地に立たされれば何でも出来ます。でも、この料理全部は…。
「ところで、この料理は一体…?」
  自分の死因ぐらいは知っておきたいですよね(泣)?


「…えっと…耕ちゃんを元気にするオ・ク・ス・リ(はあと)」


(…薬って、料理じゃないんかいいぃぃぃぃーーーー!!!)
  頬を桜色に染めて照れる千鶴先生が、1人増え…2人増え…次々と視界を
覆い――そして僕は気を失いました。

「フフッ。流石、来栖川さんに教えて貰った調合だわ。これなら耕ちゃんも
逃亡不可能ね…」

  そんな声が聞こえたのは、たぶん気のせいでしょう。

  僕が意識を取り戻したのは、来栖川グループ系列の病院です。入院先の同室
のベッドで寝ているジン先輩と対面した時は驚きました。欠席って本当だった
みたいですね。
  後日、千鶴先生が特製弁当を片手にお見舞いに来られた途端、急に全快した
ジン先輩は先に退院して行きました。
  そうそう。退院後に浩之から聞いたんですが、入院している間、学園での僕
の欠席理由は「食べ過ぎ」とされていたそうです。
―――――――――――――
―――――――――
――――――
―――
―
「こんな供述書が、そう役に立つとは思えません。柏木千鶴を叩くにしても、
物的証拠としては怪しいですし…」
  供述書を携えた『草』の一員、「雅史にカラオケの誘いを断られた女生徒」
が不服そうに述べる。
「確かにそうだね。ただ、無いよりはマシだから。これからも宜しく頼むよ」
  労いの言葉を掛けながら『草』の主は微笑みを浮かべた。

(――ジン・ジャザム、腹の中は表ほど強くないようだな……)

  情報は扱う者によって与える利益が異なる。
「そう言えば、もうすぐ梅雨だね。『食中毒』には注意したいものだな…」
「…は、はぁ」
  唐突な世間話を振られ、彼女は戸惑いに言葉を詰まらせた。
―
―――
――――――
―――――――――
―――――――――――――
      過去における現在とは「記憶」
      現在における現在とは「直視」
      未来における現在とは「期待」

  時は心のうちにあり、時間とは精神の延長である。覇権に興味を持たない
者でも、「期待」はその胸に秘めている。

「――いずれにせよ、学園は揺れ動くさ」
  中庭の芝生で寝そべる長瀬源一郎は、夕陽に紅く染まる西天を眺めながら
呟いた。悲観してでなく、事実を見据えた口調で。
「…人は善悪どちらでもない。だからこそ皆、白黒つけたがってるんだと僕
は思います」
  甥の祐介が冷めたように応じる。彼はこの呼び出しに不機嫌だった。特に
終わりの見えない話題に。
「笑ってしまうよな…だったら俺達、教師は何なんだ?」
  珍しく真剣な叔父の口調に一瞬、祐介は言葉を失う。

「…知りませんよ。どの道、学園が少しずつ動いているのは事実なんだ。いつ
の日か学園は一つの色に染まる。この夕焼けみたいに…」
  爆弾に燃える世界の幻視が見えそうな程、鮮やかで深い空…。

(例え紅く染まっても、夜が訪れ、やがては蒼穹に還ってゆく。如何なる色に
しろ、学園という「空」は変わらないのに…)
  いや。それを変えてみせるという情熱こそ、若さなのだろう。結果は各々が
独自につかめばいい。源一郎は、敢えて甥に何も洩らさなかった。

  学園は夕闇に包まれようとしている。
  夜にしか安らげぬ者達の宴の始まりに備えて…

                                                     [了]
-----------------------------------------------------------------------
                  <あとがき>

  未出ストック「普通の智子SSの冒頭、Lメモ・ギャグ、Lメモ・シリアス」
を強引に一つにしたのが本作です。とは言っても、終わり方はギャグだったん
です…ハイドさんの新作を読むまでは(爆)。

  今回も(というか毎回)変な進行で遊ばせて頂きました。内容ですが、伏線
は殆ど入ってません。一発ネタです。(オーフェン読み終えてないし…)
  なお、本作最後の「時」の3節は、アウグスティヌスの「告白」を参考にし
たもので、以前レポートで使った引用です。一部を除き、私の言葉でない事を
断っておきます。
  今後ですが、しばらくLメモはROMに回ります。他の方の作品(過去SSも
含め)を待った方が無難に思えてきたので。読むのが楽しみになってきたのが
最大の理由でも有ります(笑)。それではこの辺で。

PS:本当はジンさんの腹って、学園で最も鍛えられていますよね(苦笑)。