Lメモ「蛍を見た日」 投稿者:トリプルG



初夏の、ある日。
「あーあ、なーんか、あれですねえ」
屋上で寝そべり、トリプルGが半ば無意識に呟く。この季節にしては珍しく湿度が低く
過ごしやすい日で、暖かい日差しがさんさんと降り注ぎ、このまま眠ってしまえばどん
なにか気持ち良いだろうと思うのだが、しかし午後も相変わらず授業があるので眠る訳
にはいかない。それが少々辛く思えたりする。
「あれって、どれですか?」
半ば無意識に出た言葉だったので、言葉を返されて少々困る。そもそも近くに誰かいる
とは思っていなかったのだ。
声のした方を見てみると、いたのは見知らぬ少女だった。栗色の長い髪に、大きな瞳。
着ている服は真っ白な着物。もしかしたらこの学園の生徒ではないのかな、と一瞬思う。
「いや、意味は無いんですけどね。あまり暖かくて気持ちよかったので、つい」
いつも通りへらへらと笑いながらそう言うと、少女はころころと笑った。
「そうですね、暖かいですよね」
彼女はトリプルGの隣で横になった。少々気恥ずかしかったが、やめろとも言えず、ま
た動くのも失礼かなと思って、トリプルGもぼんやりと空を眺める。午後の授業開始ま
ではまだかなりの時間があった。
「ここって、不思議なところですね」
ぽつりと、彼女が呟いた。
「そうですね。基本的に何でもありな場所ですから、ここは」
「ええ、何でもありですよね。私、自分が人の姿になるなんて夢にも思ってませんでし
た」
それから、しばしの沈黙。
「私、蛍なんです」
そう言った。
思わず彼女のほうを見る。彼女は変わらず、空を見続けている。その姿が霞んだように
見えた。瞬きする。目の前の彼女には変化が無かったが、何か儚げな印象を受けた。
「蛍、ですか」
別に蛍が人の姿になって現れても不思議がる事でもない。この学園ではその程度の事、
日常茶飯事だ。
「はい。最近やっと大人になれました」
彼女もまた、トリプルGの方を見る。
「この辺りは、どうです? 住みやすいですか?」
「ええ、この学校の裏山はとても水が綺麗なんですよ。仲間も沢山います。私もちゃん
と結婚できて、子供を沢山生む事が出来ました」
「それは良かった」
「ええ、良かったです」
二人ともあはは、と笑って、また空を見上げた。
そよそよと風が吹き、上空ではゆっくりと雲が流れている。
ああやっぱり眠ってしまおうかな、と思う。次は確か生物の授業だったか。出なくても
別に……いやいや、サボるのは良くない。しかし、サボってる人だって結構いるし……
「あのね、私、そろそろ死んでしまうみたいなんです」
そんな言葉が耳に届いて、理解するのに数瞬かかった。
何故か驚かなかった。いきなりな話で呆気に取られたという訳でもない。とにかく静か
な心で、その言葉を受け止める。悲しいという感情も湧いてこなかった。それはこの場
の雰囲気が、あまりにのどかすぎるからだったのかもしれない。
「……はあ。それは、また、どうにも……」
とっさに上手い言葉が思い浮かばず、そんな、間抜けな言葉を返した。
「仲間に死ぬところを見られたくなかったので住処を出てきたんですけど、いざそのと
きが間近に迫ってみると、とても寂しいんですよ。夫に先立たれて、もういつ死んでも
いいと思ってたのに、不思議ですよね。それで、やっぱり住処に帰ろうと飛んでいたら、
もう体力が無くなってきて。この辺で地面に落ちて、気が付いたらこの姿になってました」
そこで言葉を切り、ふう、と息を吐く。その一息で、少女の全身から力が抜けたような
感じがした。
「……手、握ります」
起き上がって、少女の左手を両手でそっと握る。
「人の姿であれば、私が手を握っていられますから。多分、あなたが力尽きたときに、
たまたま一番近くにいた私に看取る事が出来るよう、神様が計らってくれたんですよ」
「……そう……かもしれませんね」
少女が目を閉じる。何か、満足げな表情だった。
「さようなら。お昼寝の時間を、ごめんなさい」
「……とんでもない、どうかお気になさらず」
そしてその姿が消える。何の演出も無く、唐突に、ふっと。
包み込むような形のままの両手の中に、蛍の亡骸が一つあった。
看取るのが自分なんかで良かったのかなとぼんやりと思って、その時になって初めて、
悲しいと思った。





夜。裏山を、オカルト研究会のメンバーが歩いている。
「蛍を見に行こうとは、トリプルG君も風流な事を提案しましたね」
前を歩くりーずが、振り返って言う。
「ふっふっふ、私は風流な心が分かる男なのですよ」
「でも、この間の梅の花見の時は、桜じゃないのにどうして花見に行くんですかとか
言ってましたよね?」
得意げに胸を反らしかけたトリプルGを、東西が後ろからツッこむ。
と、最後尾を歩く来栖川芹香の肩からエーデルハイドが飛び降りて、たたたっと先の方
に駆けて行き、立ち止まって一声鳴いた。そこから先は時々運動部が宿泊訓練に使う、
小川沿いのちょっとした広場になっている。
「うわあ……!」
沙耶香が歓声を上げた。
広場のあちこちを、光を放ちながら蛍が飛び回っている。かなりの数、百匹や二百匹で
はないだろう。自分が星々の海にいると錯覚してもおかしくなさそうな、そんな見事な
光景だった。
「この辺りの水が綺麗である事は知っていましたが、ここまでとは思っていませんでし
たね」
ティーが伸ばした指先に、蛍がとまって瞬く。それを、知音が両手でがしっと掴む。
「つーかまえたっ! こいつ、私の下僕に決定!」
「こらこら、下僕はやめなさい、下僕は」
「それじゃあ奴隷?」
「余計に酷くなってますよ。もういいから離す離す!」
神凪遼刃が知音の手から蛍を奪い、放した。知音の罵声を背に浴びながら、再び空を
舞って行く。


そして、皆から少し離れて。
トリプルGは、川辺にしゃがみ込んだ。ポケットから真っ白なハンカチを取り出して脇
に置き、周りに生えている雑草を使って一艘の葉っぱの小船を作る。
ハンカチを開く。包まれているのは、もう動かない一匹の蛍。彼はそれを小船に移し、
そっと流れる水の上に浮かべた。それはゆっくりとした流れに乗り、すぐに見えなくなる。
ふいに肩をとんとんと叩かれ、振り返ると来栖川芹香の姿があった。
「…………」
その子は天国へ行きましたよ、と言われた。
トリプルGからは、昼間の事は何も話していない。おそらく彼女はトリプルGがたまたま
死骸を見つけて供養したと思っているのだろう。
しかし、もしかしたらこの人は何もかも全て知っているんじゃないだろうかと、そんな
気がした。
「いやあ、普段妖魔を仕留めてる奴が何やってんだって感じなんですけどね」
そう言って、あはは、と笑う。芹香の腕の中のエーデルハイドがにゃあ、と鳴いた。
その時、道の向こうから二つの足音と懐中電灯のものと思われる光が近付き、神海と皇
日輪がビニール袋を持って現れた。じゃんけんで負けて買出しに行っていた二人である。
「ちょっと聞いてくださいよ! 皇さん、どろり濃厚とかいう不気味なジュース三本も
買ってきたんですよ!いや、止めたんですけど、俺は止めたんですけどっ!」
「なっ、何を言うんです、そっちだってパイン味も買おうとか横から言ってきたじゃな
いですかっ!」
得体の知れないジュースの出現に、わいわいと騒ぎ始める部員たち。トリプルGと芹香
もその輪の中に入る。
そうして、その日は遅くまで、蛍の光に囲まれた宴会が繰り広げられた。


明日、部室に行ったら、一番に昼間の事を話そう。トリプルGはそう心に決めた。


=================================
……次はもっと良いものを、と思うのですが、こんな感じの話しか思いつ
かなかったり(汗)。
……それでは失礼いたします。