テニスL『あとは野となれ……』(後) 投稿者:悠 朔

 決定打となる武器。
 必要なものがわかっているからといって、それがすぐに用意出来るかという
とそうもいかない。
 人としての筋力が不足している訳ではなく、これはすでに資質の差だ。そう
易々と埋められる差ではない。パワーにはパワーではなく、別の手段が必要だ。
 梓にチャンスボールを渡さないようにゲームメイクをするのは当然だが、そ
れだけで勝てるなら苦労はしない。誠治というブレインの存在も、やはり気に
なる。
 梓がスマッシュを打てば点が取れる、という必勝パターンを根本的な部分で
崩さなければ勝ち目は無い。
 となれば、朔がするべき事は自ずと見えてくる。
 次の試合において、朔の機動力は最速であるという自負がある。
 YOSSYのような継続的な高速移動ではなく、綾香達のような格闘技によ
る体捌きでもなく、超短距離での爆発的な加速と最高速からの一瞬での停止。
それが戦闘時における朔の回避能力を支える一つの柱。
 即ち、テニスコートという限られた空間で、最も速く動けるのは自分だと言
う自負が。
 それをさらに磨いて、梓のスマッシュさえ完全に返せたなら、勝機が見えて
くるはずだ。
 ならばそれを伸ばせば良い。


「という訳なんだが、何か適当な物はないか?」
 困ったときのbeaker頼み。
 品揃えからアフターサービスまで。顧客の信頼は絶対だ。
 とはいえ流石に今回はbeakerも難色を示した。
「そうですね……。これなんかどうです?」
 berkerが引っ張り出してきたのは所謂インラインスケートの入った箱だった。
「……これは?」
「ご存知ありません? 巷で噂のエア・トレックです。機械式で、それこそ圧
倒的な加速を得られます」
「これを履いてテニスをしろっていうのか? ……バランスが悪そうだな」
「ホッケーモデルかアグレッシブモデルを使えば出来ない事はないかと思いま
すが……」
「どう違うんだ?」
「ホッケーモデルはアイスホッケーと同じような動きが出来るよう作られたモ
デルです。エア・トレックの目的に添うものではありませんが、限定的に存在
しています」
 朔は肩を竦めた。
 やった事もないスポーツと同じと言われてもピンと来ない。
「アグレッシブモードは主にスタント用でしょうか? 安全性が高く安定して
ますが、インラインスケートの中ではウィールが小さく、スピードが遅めのモ
デルですね。切れのあるターンには向いてません」
「なら駄目なんじゃないか……。どちらにしろこれを履いてテニスをするのは
無理があるだろう」
「なるほど……。ではこちらはどうでしょう?」
 次いで出してきたのは似たような、底部に稼動パーツを持つ靴。だが、その
ゴツさが格段に違った。
「……なんだこれ?」
「キャタピラブレードと呼称されているものです。原理的にはエア・トレック
と同じです。スピードではやや譲りますが、パワー、走破性、安定性ともに他
の追随を許しません」
 それには文字通り無限軌道が装着されていた。
 確かにこれならどこででも走れるだろうが、
「……曲がるのか、これ?」
「まあ慣れが必要ではありますね」
 曲がらない訳ではない。その程度の保証しかbeakerとしても出来なかったよ
うだ。似つかわしくない苦笑が浮かんでいる。
「いかが致しましょう。お客様の目的に添うとは言い難いですし、当方としま
してはあまりお勧め出来るものではないのですが」
「うん、そうだな……。使えるか使えないかはともかく、面白いな。これは貰
っていく事にする」
「ありがとうございます」
 beakerは深々と頭を垂れた。


 とりあえず履いてみる。
 一通りまず説明書を読み、加速減速の方法はわかった。
 が、
 ――転ぶと思うがなぁ。普通の人間がこんなの履いたら。
 幸か不幸か良くも悪くも朔は普通の人間ではない。
 というか、普通の人間なら転んだ時点で死を覚悟しなくてはならないだろう。
これは極め付けにスリリングな遊び道具だ。と悦に浸る。男にとってこういっ
たものは危険なほど面白いと相場が決まっている。
 嬉々としてバックルを留め、各部プロテクター、ゴーグルを着け、立ち上が
ると同時。
 全速前進。
 その朔の指示にキャタピラブレードは忠実に従い、砂塵を後方に巻き上げ強
靭な動力が咆哮を上げた。
「おお……。おおおお……。あ〜っはっはっはっはぁっ!!」
 後方へと押される身体を前傾姿勢に保ち、朔はその加速感に酔いしれながら
爆笑した。
 ――こいつは面白い!
 障害物のないグラウンドを最初の練習場所にしたが、すぐに飽きが来た。進
んで障害物の多い方へとフィールドを変更する。
 林に飛び込み木々を避ける。
 障害物を跳ね、飛び、越え、駆け回る事がこれほどに面白いとは、朔は思い
もしなかった。YOSSYが見ている高速移動の視界はこんなものなのかもし
れないと思うと、またそれが面白かった。
 曲がらないという欠点もすぐに克服する方法を見つけた。
 もともとスムーズに曲がるようには出来ていないと開き直ったのだ。軌道は
カーブではなく二本の直線によって描かれた。慣性を操作する朔にとって、鋭
角に曲がる事さえ難しくは無かった。
 果ては校舎の垂直な壁を駆け昇った。気孔を使えば造作も無い事だったが、
エア・トレックにそういった技もあるらしい。今度兆戦してみるのも楽しそう
だ。
 生徒の下校を促す鐘が鳴り響いている事。それにキャタピラブレードのエネ
ルギー残量がEを指している事に気付き、そこで遊びの時間は終わりを告げた。
「……しまった。遊び惚けてしまったな」
 呟きはしたものの、面白かったので気にしない事にして、その日はキャタピ
ラブレードを担いで寮へと帰る事にした。

 帰る道すがらで気付いていた。
 痛快な遊び道具ではあるが、これはテニスでは使えない。
 打ち返せるようになれるかどうかはともかく、このキャタピラブレードとい
う道具は重い。機械式の加速である以上やむを得ない話ではあるが、必要であ
り重要なのは最初の加速である。錘になってしまうようでは話にならない。
 面白いアイデアではあったが、やはり使う訳にはいかないようだ。
 仕方が無いので通学用に使う事に決めた。
 遅刻の心配も減って一石二鳥であるし、とにかくこれは履いていると非常に
面白い。
 風紀の連中どころか警察に捕まるかもしれないという事も含めて。
 明日から通学路が楽しくなりそうだと、朔は笑みを浮かべた。
 残念なのはこの喜びを共有してくれそうな人材が居ない事だ。YOSSYは
素で同程度の速度を叩き出せるし、音速超過で空を飛ぶ希亜がこれに楽しみを
見出せるかどうか甚だ疑問だ。
 ――誰か付き合ってくれそうな奴居ないかな?
 友人とはこういう時に共に遊ぶ人間の事を言う筈だ。
 友達は増えた方が楽しい。
 前に参考にした書物のどこかにそう書いてあった。
 である以上、増やさなければならないだろう。せっかく作った友達の為にも。

 しばらくのあいだ朔は友達(新たな生贄)を求めて徘徊し、学園を狂乱に導
いたりした。(例:無理やり巻き込んだ友達第2号(名称:東西)にエア・ト
レックを履かせる。結果→バランスを崩してスッ転んだ東西は己の身体を摩り
下ろしながら大回転。首から大地に激突するも、命が爆笑した為に朔は技と誤
認。他)が、それはここではどうでも良い話である。



 一応言っておくと、試合までの時間、朔はキャタピラブレードで遊び惚けて
いた訳では決してない。
 身体に負担をかける練習は出来ない以上、朔に出来る事は端から気孔術しか
なかった。
 放課後になれば学園内で特に自然の気脈が集まる場所。生徒達に単に裏山と
呼称される森林地帯に入り込み、適当な場所に座り込んで呼吸を整える。
 気孔には数多の技がある。
 その中の"軽身孔"を、朔は選んだ。
 本来は身軽に動く事を目的とした功夫を指すのだが、朔の家系はこれに気孔
を加える事で、体重を減少させる事に成功している。
 脚力は同等で体重が減少すれば、動きは鋭さを増す。
 踏み込みが軽くなるのは歩法で補える。
 ボールに追いつければ、あとは普段から刀を振り回しているリストの強さを
信じてラケットを振りぬくだけだ。
 この短い期間で未熟故の不安定さを補えるか。補えたとして実際に梓のスマ
ッシュに追いつけるのか。気孔は呼吸が総てだ。激しい運動の中でその呼吸を
長時間維持できるのか。
 不安な要素はいくらでもある。
 が、朔は気にしない事にした。
 いくら思い悩もうが、試合になれば結果は出る。レミィも言っていたではな
いか。『人事を尽くして、後は野となれ山となれネ』と。 
 意味は通じているのだが、微妙に間違っている。
 それさえ受け入れて、朔は淡く微笑んだ。
 雑念に取りつかれ、閉じていた瞳をうっすらと開く。
 視線を上げれば満点の星。
 瞑想は時間の感覚を狂わせる。
 すでに夜もふけ、確認してみれば寮の門限まであと僅か。
 腹が空腹を訴えて盛大に鳴った。
「……しまった。晩飯、食い損ねた」
 呟いて朔は後ろにひっくり返った。


===================================

 ここまでの番組は『悪魔のように大胆に、狐のように狡猾に、蛇のように執
念深い軍人さん』『勝てば官軍負ければ賊軍を地でいく気孔術師』『ずるい卑
怯は敗者の戯言の双刀剣士』『面白ければオールオッケーな陰陽師』『友達居
なくても一人上手と呼ばないで』以上のスポンサーでお送り致しました。

 まぁ言うまでもない事ですが、これは朔サイドの話です。
 綾香がこの後どう動くかなんて考えてないし、梓がこういう姿勢で試合をす
るだろうというのも憶測です。
 蓋を開けてみれば予想もしなかった行動を取るかもしれません。
 後は野となれ山となれ。
 でもって責任をYOSSYさんに丸投げして、推移を見守りたいと思います。
 あでゅ〜。

===================================

 今回の没アイテム

『エア・トレック』
 エア・ギアに登場する。インラインスケートに非常識な加速機構を装着した
もの。操作に失敗した時点で死人が出ると思う。道交法では確実に禁止されて
いるであろう代物。

『キャタピラブレード』
 ロケットプリンセスで登場。したはず。
 ヒロインのライバルの女の子が履いていたと記憶している。エア・ギアと基
本的には同じだが、ローラーではなくキャタピラが付いているというイカレっ
ぷりがナイスなアイテム。
 ブレードでバランスが悪いならキャタピラで……と思ったが、重いだろう流
石に。という理由で没。

 結果、アイデア的には無難に気孔に落ち着いた。
 無難だけど基本。
 どうよ?