『どよめけ! ミスLeaf学園コンテスト』 第四十二話B 「Battle stage」 投稿者:悠 朔

  耳元で聞こえた、というより、脳内に直接響いた魂消るほどの悲鳴。
  それが朔を覚醒させた。
 がばっとばかりに跳ね起き、肩で息をしながら己の掌を凝視する。
「あ……夢……?」
  言葉は疑問符混じり。
  だが状況はそれを肯定している。
  少なくとも起き上がり己の掌を見ることが出来る、という点に関して言えば。
  霞がかった意識が人の気配を察し、視線を上げる。
  そこに難しい顔で不機嫌そうに佇む魔族、ルミラ。
「正夢?  ……祝寝(うたいね)ってやつか?  ぜんぜん祝福じゃないぞこれ」
  しかももしこれが現実となるなら避けようの無い未来を示されて、楽しい訳
が無い。
  小さく呟きながらワタワタとあとじさる。
  だがすぐにガシャンと金属が擦れ揺れる絶望的な音が、朔の動きを停止させ
た。屋上と、その外を区切るフェンス。それが朔の行動を阻害している。
「いわゆるところの絶体絶命?」
  だがルミラはというと冷や汗を流す朔を冷然と見詰め、
「……理性はあるようね」
  ぽつりと、そう呟いたに止まった。
「あ……?」
「邪魔だったからね、バーサーク。それも綺麗に消えたみたいだけど、気分は
いかが?」
  疑問符に答えたのは短い言葉。
  だが、それで朔には十分事足りた。
「破れた、のか……?  凶の呪が……。あのクソ爺いがあらゆる魔術と暗示と
にカウンターをかけるために仕組んだあの仕掛けだぞ!?」
「カウンター?  カウンターね、なるほど。道連れの自爆をカウンターと言う
ならそうね。そうなるか……」
  少し考える素振りを見せたルミラに、朔は肩をすくめて見せた。
  肯定だ。
  朔の言うところの『凶の呪』とはそういう性質のものだった。魔術を用いた
魅了や精神操作から、薬物を用いた尋問。果ては催眠術までありとあらゆる強
烈な外的要因から被術者の精神を防御し、関与者を殲滅させる指示を出す。
  被術者は狂戦士と化し、常人離れした怪力などを与えられる代わりに肉体を
極限まで酷使する諸刃の剣。
  何度かそういった状況に陥っていながら、再起不能にまでは至っていないの
は単に幸運だったからに過ぎない。
「なら感謝、するべきだろうなぁ。おかげで無駄に錯乱することも減りそうだ。
モノがモノだけに、誰かに解除を頼むわけにもいかなくて困ってたしな」
「あら、魔族に簡単に礼なんて言っていいの?」
「……ああ、そういえばそうだ。でも言うだけならタダだし、それ以上を請求
される前に釘を刺すことも出来る。だろ?」
「ま、そういう考え方も出来るかもね」
  ルミラがけだるげに答える。
「あなたの善意に、深く感謝する」
  善意、という部分を強調し、朔はそう断言した。
「別にいいけど……。そっちが善意と解釈するんだったら」
「?  なにか問題でも?」
「そうね。私にはないけど、あなたは困るんじゃない?」
「だから何がだ?」
「さあね?」
  鉄面皮朔&魔性の笑みルミラ。
  二人がしばし睨み合う。
「…………」
「…………」
「裏でもあるのか?」
「今回に限ってはなかったんだけどね。単にあなたにかかってたその術が邪魔
だった。それだけだから。……でも、結果として悪いことしちゃったか〜もね。
ま、本人喜んでるみたいだから、いっか」
「ちょっと待て、どういう意味だそれは?」
「教えてあげない。魔性は無償じゃ働かないものよ」
  朔はしかめ面で舌打ちした。
  彼女本人がそう言うとおり、コレは魔性だ。信頼するには危険極まりない相
手だ。
「助けてほしい?」
  助けは必要、なのだろう。
  少なくとも嘘は言っていない。言葉に魂が入っている、本気の、言葉だ。そ
れはわかる。
  だが肯いていいのかがわからない。自分に何が起こっているのか、それさえ
も。
「……内容がわからんが、俺にとってマイナス、なんだな?」
「ええ、恐らくね。マイナスばかりじゃないでしょうけど、あなたはきっと、
それに耐えられない。そして私以外にあなたを助けられる人はものすごく少な
いと思うわよ。……さ、まずは最初の選択の時ね」
「選択?  なんの?」
「さっき言ったでしょう?  魔性は無償じゃ動かないって。相応の対価を求め
るものよ?」
  一瞬、言葉に詰まった。
  この女は代償に何を求める?
  そう考えた途端に頭にきた。
  ――助けを得る代償……だと?  誰がどうして何の為に?
  そう考えた時点で、答えは決まっている。
「断る」
  明確な拒絶。
  だがそれでもルミラは微笑んだままだった。
「そう。それもそうでしょうね。何が起こってるのかもわかってないでしょう
しね」
「……それだけでもない。かな?」
「?  参考までに理由を聞かせてくれるかしら?」
「お前や魔女と呼ばれる連中は、俺にとっては天敵なんだそうだ。だから耳を
貸すなと忠告を受けた。一度心を許せば骨の髄まで破滅に沈められるぞ、とな」
「誰よ?  そんなこと言ったの」
「自らを魔女の系譜に連なる者と称する、奇人だよ」
  一瞬、ルミラが虚を突かれたようなキョトンとした表情を浮かべ、次いで破
顔大笑した。
「なるほどね、良いこと言うわ。そいつ」
  笑いを堪えるのに苦労しながらそう言うルミラを、朔は不機嫌そうに眺めて
いる。
「そういう事なら、今は見逃してあげるわ。もう行ってもいいわよ」
「……構わないのか?」
「ええ。他人の獲物を横取りするのは魔女の礼儀に反するもの。でも……」
「?」
「二度目は、無いかもね?」
「多少ひっかかる部分が無い訳でもないが、肝に銘じておく」
  朔は答えて立ち上がり、ルミラに視線を合わせたままフェンスの上へと飛び
乗った。
「貴方の敵には、なりたくないな」
「それはいつだってあなた次第よ?」
  朔がフェンスを蹴り、落下。
  二人の会話はそこで途切れた。


「良かったんですか?」
  声がすると同時に、何も無かった空間から滲み出るように人影が現れる。そ
の肩に手を乗せ翼を広げた守護天使、コリンと共に。
  城戸芳晴。
  いざという時いつでも朔の不意を打てるように、じっと姿を消していたのだ。
「別に……。だってしょうがないんじゃない?」
  確認するように問う芳晴に、ルミラは拗ねたように答えた。
「わたしはあなた達が思ってるほど、万能じゃないわ」
  それにお人好しでもない、と、心の中で付け足す。エビルのこともあってか
どうもこの芳晴という人間は魔族を敵視しない。それが逆に、居心地が悪い。
「…………」
  言われて芳晴は少し考え込んだ。
「別に僕達はあなたに完璧な答えを求めている訳ではないと思いますけど……」
「そうかしら?」
「たとえ異界の者と言えど、この世の中のしがらみと無関係ではいられない。
そう言ったのは確かにあなたですが、それでもその中で生きていくことを選ん
だのもあなたでしょう?」
「そうね……。だから」
  そう言って、ルミラは視線を大空へと向けた。
  憂いに満ちたその視線を。
「だから辛いわね。あの子はきっと苦しむことになるのに、わたしはそれに関
われない」
「さっき言っていた魔女の礼儀ですか?」
「そ。別に明確に決められてる事でもないし、私のメンツだけの問題だけど、
でもだからこそ重要でもあるわ。だから、わたしは手出しできない。今のわた
しに出来るのは行く末を見守ることだけ。あの子が助けを求めない限りね。
……そしてそんな機会はきっと来ないわ。あの子の魂の輝きが、そう言ってい
たもの」
  蒼穹を映す空は晴れ渡り、憂いを抱かせるものは何も無い。
  にも関わらず、ルミラの表情は重く暗く曇っていた。
  ――ああ、本当に残念。あんなに穢れが少なくて大きな魂、めったに手に入
る機会なんてないでしょうに。
  それが傷付き、のたうちながら血を流すであろう姿。それを間近で見れる同
胞に、ルミラは殺意さえ伴う羨望を心に浮かべ、静かに嘆息した。
  ――ホント、少々は大人げ無いかもしれないけど、ちゃんと宣戦布告して横
から奪い取ってやろうかしら?
  まぁ、今はそれよりも、と、視線を魔方陣へと移す。
  ――龍脈が他所へ流れ始めちゃったから、効果が低くなるほうが問題なんだ
けど……。地脈の方も……妨害が入ったか。あのコ達が失敗するなんてちょっ
と考え難いけど……。
  ちろーりと、視線を傍らの芳晴に向ける。
  苦悩するルミラを見て、芳晴は柔らかく微笑みを返した。
  ――こんなのも居る訳だしねぇ。
  嘆息する。
  思ったよりここは手強くて、面白い場所なんだなと改めて思う。
  彼女の姿は見方によっては、保護者が被保護者を心配する姿に見えたかもし
れない。
  そうして、彼はしっかり誤解していた。



  朔が飛び降りた校舎の近くに木立など無い。落下のスピードを殺すようなも
のも無い。
  にも関わらず、朔はストンと、何事も無かったかのように軽く大地に降り立
った。
  軽気孔。
  朔のそれは普段なら不安定でそうそう使えるものでもないのだが、今日はこ
とのほか調子がいい。そよ風に煽られて体勢を崩しかけたほどだ。それほどま
での剄が放たれ、彼の体重を減少させている。
  朔は嘆息し、屋上を見上げた。
  無論なにが見えるというものでもない。ただそこに校舎が建っている。それ
だけのことだ。その上に、恐るべき力を内包した存在が居り、それが自分如き
にどうこう出来る代物ではないということを除けば、本当にどうということも
ない景色だ。
「痛いものだよな、自分の器を知るというのは……」
  朔はもう一度嘆息すると、屋上を見上げた姿勢のまま、校舎に背を向けた。
  視線を本来の自分の高さに戻す。
  と、その途中でひっかかったものがあった。
「?」
  視線を上へと戻す。
  今まで朔が居たのが特別教室棟であるリネット。その向かいにある一年生棟
エディフェルの屋上にある人影。それは朔のよく知る人物だった。協調性とい
うものに著しく欠ける朔にとって、数少ない親しい人間。懐かれていることや
諸々の事情もあって可愛がっている少女。
  彼女は一年生だ。
  その彼女が一年生棟に居ること自体は、おかしなことではない。
  が、その姿を認めた瞬間、朔は一種異様な違和感に囚われた。
「……?」
  場違いと言えば、場違いな場所に居ると言える。何故なら今はどよコンの真
っ最中で、彼女はヒロインとしてエントリーしている。あんな目立つ場所に居
ては狙ってくれと言っているも同然だ。
  が、そういったことでは無い気がする。
  違和感の正体がわからないまま、だが自然と、足が前へと進んだ。
  数歩進む。
  その動きで彼女がこちらの存在に気付いたのか、それとも元々気付いていた
のか、視線が、合う。
  見上げる朔を見下ろし、彼女は微笑みを浮かべた。
  酷く儚げで、そして淡い。
  そんな笑みを。
「!?」
  瞬間、心臓の鼓動が、ひときわ大きく、鳴った。
  背筋に冷水を浴びせかけられたような、恐怖を伴う寒気。
  訳も無く冷や汗が流れ出る。
  彼女はけして、そんな悲しげに微笑む人間ではなかったはずだ。
  心臓を鷲掴みにされるような、悪寒。
  そんな自分の心情に驚く。
  まさか、と。
  そんなはずはない、と、心が否定する。
  彼女の姿が屋上にあって、そして微笑んで見せた。ただそれだけの事だ。そ
れでそんな不安を抱く理由など、あるはずがない。あってはならないはずだ。
  が、否。
  理由はあった。
  朔は唐突に理解した。
  なんの障害も無く見える彼女の姿。それこそが恐怖の根源なのだと。
  ――フェンスの外に居るのは何故だ?  あいつの連れは何処に行った?  何
故そんな悲しげに微笑む!?  何故?  何故?  何故!?
  猛烈に嫌な予感に背中を押され、自然と足が前へと出る。だんだんと歩調が
早くなる。
  彼女は音声魔術師だ。
  術の発動速度において他の追随を許さない魔術師達のひとりだ。無論のこと、
彼女らの使う術の中に浮遊の術は含まれている。屋上から怪我も無く降り立つ
など造作もない事のはずだ。
  しかも彼女には現在ガードが付いている。
  戦力として格付けすれば『論外』だが、こと飛翔というジャンルではパワー、
速度ともに他の圧倒する。朔の知る限り、生身で音速を越えるようなケタの外
れた魔術師は他に無い。
  そしてある意味において。その一点においてのみ、朔が最も信頼する人物。
彼が好むのは直接的打撃ではなく、間接的かつ精神的な打撃。朔への精神攻撃
だとしても、綾芽を危険に晒す。傷を負わすなど、彼の性格からすればまずあ
りえない事だ。
  彼女が高所に居るというのは安心材料でこそあれ、不安に思うことは何も無
い。その筈だ。
  焦る。
  にも関わらず。
  気が付けば朔は中庭を全力疾走していた。
  障害物を乗り越え、まろび、躓きながら、視線を上へと固定し、ただ走る。
  二人を阻む悪夢のような距離。
  行く手を遮る木立や藪に絶望的な怒りを覚える。
  頭を埋め尽くす疑問符が鬱陶しい。
  叫びたいことは、ただ、ひとつだ。
「止せっ!!  止めろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――――!!!!」
  朔の絶叫。
  彼女の身体がグラリと傾く中で、それが虚しく響いた。


  息を荒げ、エディフェルの校舎へと辿り着いた朔は、肩を上下させながらた
だそれを見下ろしていた。
  他に何が出来ようはずもない。
  ただそれを見下ろす。
  うつぶせになっているにも関わらず、ねじれた首で、彼女は虚空を見上げて
いた。
  長い髪は大地に大きく広がり、脳漿と血が、その頭部から未だ流れ出ていた。
  いびつに、肩からありえない方向に曲がった右腕。
  投げ出された左腕と両足。
  即死だった。
  疑いようも間違いも無い、完璧な投身自殺。
  ――ああ……。
  横たわるその姿が、朔にひとつのモノを想起させる。
  ――ああ、まるで……。
  そう、まるで。
「花……」
  呟くその声はむしろ、落ち着いたものだったかもしれない。
  禍々しくも美しく咲き誇る、大輪の花。
  天を、仰ぐ。
  親しくしていた少女の、理不尽なまでに突然の死。助けようとして叶わなか
った己。こんなになるまで追い詰められていたのに、相談に乗ることさえ出来
なかった自分。
  湧き上がる自責の念。
  同情。
  悲しみ。
  だがそれ以上に大きく、朔にのしかかるものがある。
  否定したいことがある。
「嘘だ……」
  思いを支えるように言葉にする。
  だがそれは、あまりに力の無い呟き。
「嘘だ、こんな……」
  もう一度、囁くように呟く。
  それでも現実は崩れてはくれない。
「嘘だ嘘だ嘘だぁっ!!」
  ――悲しむよりも、嘆くよりも強く、この感情があるなど嘘だ!!  頼む誰
かっ!  誰でもいい、どうか嘘だと言ってくれ!!
  彼女は美しかった。
  あまりにも。
  否定のしようも無いほどに。
  そう感じる己自身に、朔は怖気が走るほどの嫌悪を感じた。これがまともな
感性で得られる感覚であるはずはない。あっていいはずがない。
  それはおそらく、狂気と呼ばれる側に位置するもの。
  自分の理性が、音を立てながらそれに陥落していく。
  貴様は狂っているのだと、残った理性がそう告げる。貴様と、貴様以外の者
が見ているものは、まったく違うものなのだと。
  けして同じものを見ることなどないのだと。
  誰とさえもわかりあえるものではなく、違ってしまったモノなのだと。
「嘘だぁぁぁっ―――!!」
  もはや否定の叫びにはなんの効力も無かった。
  天を仰ぐことで逸らした瞼には、禍々しくもおぞましく、戦慄を伴うほどに
美しい、色鮮やかに焼き付いた、その光景。
  力なく、膝が落ちた。
「う……あ……」
  両腕で頭を抱える。
「ああ……」
  ――お前は、狂ってるんだ。
  誰かが指差して、そう告げた瞬間、
「うわああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
  朔は狂乱した。



  同刻。
「……!!」
  来栖川綾香、ハイドラント、ガンマル、神無月りーず、トリプルGらと行動
していた来栖川芹香が、弾かれたように顔を上げ、一点を見据えた。
「?」
  急に厳しい表情を浮かべた――といってもほとんど普段と比べて変化はない
のだが――主人に、芹香に扮した綾香の足元に侍っていた黒猫が、ピクンと耳
を震わせて反応した。そうして、不安そうに主を見上げる。
「……姉さん?」
  それに気付いて綾香が訝しげに声をかけた。
「…………」
「ちょ、ちょっと、行かないとって、何処行くつもりよ!?」
「…………」
「え?  贖罪って……ちょっと姉さん!?」
  慌てる綾香に、しかし返答したのはりーずの方だった。わざわざ芹香と綾香
の間に立ち、綾香の視線を遮る。
「貴方は知らなくていいことです」
「どういう……意味?」
「知ったところで貴方にとって弊害にしかならない。つまり言ったとおりの意
味ですけど?」
「それじゃわからないわよ!」
「言いたくないんだから当たり前じゃないですか」
  しれっとそう言ったりーずに向ける綾香の視線に剣呑さが宿った。
  しばし睨み合う綾香とりーず。
  先に視線を外したのはりーずの方だった。
  といっても別に根負けしたわけではない。
「でも芹香さん、今は駄目ですよ」
  話す価値の無いものとして、綾香を無視したのだ。
  それによって彼女の怒気が急増する。が、背を向けてしまったりーずにとっ
て、それはどうでもいいことだ。
「…………」
「ええそうです。下手したら逆効果になりますから……。特にこの面子では、
"あの人"を刺激する可能性が大です。危険が過ぎます。それに結果だけ言わし
てもらえば貴方は"あの人"を救ったんですから、贖罪というのは間違いですよ。
……自己犠牲なんていう甘美な罠に浸るような真似はしないでください。人は
なんでも背負えるほど、万能じゃないんですよ」
  りーずは不機嫌そうに語り、
「増して、他人の罪なんてものはね」
  そう言って締めくくった。
  芹香は弾かれたように顔を上げた。
  なにか反論しようとして口を開き、もどかしげに表情を歪め……そして結局、
それが声にならないまま、悲しげに俯いた。
「"あの人"は"どちら"を選ぶんでしょうね……。こちらに留まるのか、それと
も……いえ、もしかしたらその方が幸せですか?  夢は常に甘美なものと、相
場が決まっていますからね」
「…………」
  独り言とも取れるりーずの呟きにも、芹香は答えなかった。
  ただ痛ましそうに、悲しげに眉をほんの少し顰めた。それ以上彼女がしてい
いことなど無かった。選ぶのは常に当人でなければならない。部外者が口出し
すべきことではない。そう諌められたばかりだ。
  だがそれでも、
  ――どうか、心強く持つように……。
  芹香はそう祈らずに居られなかった。
「……いったい何の話だ?」
「さあ?」
  ハイドラントとガンマルが並んで首を傾げる中、トリプルGは別のことが頭
にひっかかっていた。
  ――何か……周囲の様子がおかしい?  随分前から変に魔力濃度が上がって
るけど、それとは別のなにか……か?
  芹香とりーずが辛そうに視線を向ける先。
  そちらに目をやって、トリプルGは首を傾げた。光術に特化し過ぎたが故に、
彼には他系統に関する魔術的技能は期待できない。基本的に魔力云々に関わり
の薄い音声魔術師のハイドラント、魔術を知らないガンマルにはなおさらだ。
  結局トリプルG達は事実の一端を掴むことさえできなかった。



  美術部で姫川琴音を護衛する東西と神凪遼刃は顔を見合わせた。
「なにか凄まじい魔力を感じるのですが……」
  首を傾げる遼刃。
  それは方向性を持たず、荒れ狂うように放出されている。
  が、さりとて周囲に何か影響を与えているわけでもない。魔力を探知できな
い者には、それが放たれていることにさえ気付くまい。
  なんの効果も無い。
  だがマナ(魔素)だけが無駄に、しかも膨大に放出されている。
  目的が見えない。
「……風、の精霊?  いや違う……かな?  なんだ?」
  精霊使いである東西もまた同様に、何かは感じる。
  だがその"何か"がわからない。
  結局二人とも確としたものを得ることが出来ず、かといって護衛を離れて確
かめに行くことも出来ず、もどかしげにその方向へ顔を向ける。
  そちらで何かが起こったとき、琴音を守るため注意を怠らないでおく。
  とりあえずこの時点で彼らに出来たのは、ただそれだけだった。



  昌斗の感覚が、なにかに殴られたようにおもむろにズレた。
「……え?  なに……が……?」
  強烈な耳鳴りのような、大地を踏みしめているのに地震に襲われているよう
な、不確かで経験の無い、不可解な感覚。
  それにとまどう横で、居眠りをしていたひづきが突然跳ね起きた。
「昌兄っ!!」
「えっ?」
「行くよっ!!」
「……は?」
「早ぁくっ!!」
  鋭く言い放ち、昌斗の返事も待たずおもむろに走り出す。
「お、おいっ!  行くって何処行くんだよ!?  待てひづきっ!」
  訳がわからないながらも大会期間中である今、ひづきを一人にするわけには
いかない。
  おかしな感覚に襲われる頭を片手で抑えながら、愛刀を片手にひづきの後を
追う。
「いったいなんだってんだっ!!」
「なんかあったみたいね」
  吐き捨てるように毒づく昌斗の横に、居眠りを続けるM・Kを背負ったEDGEが
並ぶ。足は高速で動いているのに上半身は微動だにしていない、極めて不自然
な走法だが、速い。
「なにかって?」
「さあ?  この学園、わたしなんかじゃわからないことが山ほどあるもの。ひ
づきちゃんにはわかって、わたしにはわからないことでしょ?」
「……この不快感と関係あるのかな」
  昌斗のつぶやきに、EDGEは器用に肩を竦めて見せた。
「少なくともわたしよりヒントが与えられてるって事ね。……どちらにしても、
あれが答えで終点みたいだけど」
「なるほど」
  つまんない答え、と失望を露にしたEDGEに、昌斗は苦笑を返した。
  前を走るひづきの更に先に一人、頭を抱えなにか喚き散らしている者が居る。
見間違えるはずもない。この広い学園でも、白衣を好んで着ている者はあまり
多くないし、ましてつい先ほどまで顔を突き合わせていた者だというのは後ろ
姿からでも容易に予想が付いた。
  だが、
「……っ!!」
  ひづきが何か鋭く叫んだ。
  ――え?  まずい?  まずいって……なにが?
  その後のひづきの行動は、昌斗の予想を超えた。
  走り寄ったその勢いを殺さず、軽く跳ぶ。さらに身体を振り回し遠心力を得、
朔のこめかみに廻し蹴りを叩き込んだのだ。
「いっ!?」
  三人――うち一名は居眠り中――の目の前で吹っ飛ぶ朔。
  ひづきが砂煙を上げながら方向転換しつつ急制動をかけ、さらに朔へと攻撃
を仕掛けようと身構え、走り出す。
  起き上がりながら懐から引きずり出した鞘を握り締める朔に向かって、ひづ
きが跳んだ。
  構えも取れないままの朔の喉元やや下方、秘中と呼ばれる急所に、ひづきの
飛翔蹴りが綺麗に入る。
「が、はっ!!」
  再び朔の身体が吹き飛び、大地に転がった。
「……!  浅いっ!!」
  にも関わらず、ひづきの喉から搾り出されるのは絶望的な声。
  蹲り、激しく咳き込みながら、それでも朔が起き上がろうとする。
「ひ、ひづきっ!  なにやってんだいったい!?」
「気絶させてっ! 早くっ!  このままじゃ悠さんが死んじゃう!!」
「なにっ!?」
  体勢を崩した不自然な形で着地、というより落下し座り込んだ、泣き出しそ
うなひづきの顔。
  嘘や冗談を言う雰囲気ではない。
  ――あ……。
  なにより明確に、咆哮をあげながら抜き放った朔の刀。それが彼女の弁の正
しさを語っていた。
  肩に担いだ刃の先にある、朔自身の、首。
  その手は明らかに、己の首を落とすために刀を握っている。
「うわああああっ!!」
  それを見た瞬間、昌斗の中にあるスイッチが入った。
  平凡な一生徒が、学園の双璧と呼ばれるほどの達人へと変貌するスイッチが。
  ほんの一瞬。ただ一足で朔の眼前へと踏み込み、比類なき神速と称されるに
恥じない飛天の抜刀術で以って、朔の手にあるその凶刃だけを、正確に弾き飛
ばす。
  ギンッと、鈍い音をさせ、朔の刀が宙を舞った。
  最後は側背に回りこんだEDGEの、首筋後ろへの容赦のない腕刀。エネルギー
の総てが打点へと集約する、達人の一撃。ひづきの蹴りとは根本が違う。打撃
によって、朔の身体が吹き飛ぶなどという事もない。
  ただ、身体をビクンと震わせ、
「うお……あ……」
  朔の意識はそこで綺麗に途切れ、その場に崩れ落ちた。


「……なんなのよ、いったい」
  倒れた朔の顔を覗き込み、EDGEが訝しげに呟く。
  さきほどまで浮かんでいた鬼気迫る凶相が、すっかりなりを潜めていた。一
見、穏やかに眠っているように見える。狐に摘まれたような気分だ。
「タチの悪い霊に憑かれたんだよ……。多分、幻覚も見てたと思う」
  ひづきは右足を引きずっていた。
  二度目の蹴りを放ち、足を戻すその一瞬。朔に掴まれ、捻られたのだ。
  痛む右足を引きずりながら、ひづきが朔の傍らに立つ。
  痛ましそうに朔を見下ろしていたひづきの表情が、だんだんと怒りに転化し
ていった。同情心より痛みが勝ったらしい。
「仮にも霊能者とも在ろう者が、易々とこんな低級霊に乗っ取られてんじゃな
いわよっ!  このマヌケッ!」
  持ち上げた右足を、朔の腹部に少し勢いをつけて落とす。
  朔が苦しげに悶絶する細い声と、それに数倍する、右足の痛みによるひづき
の悲鳴が、中庭を少し騒がしくした。



  縦横無尽。
  その言葉を体現し、学園各所を飛び回っていた箒。
  それに跨る二人を追う影は、今は無い。
  ようやく諦めてくれたのか、それとも見失ったのか、それはわからないが、
もうすでにシッポが姿を消してから小一時間が経過しようとしている。
「しばらくここで、時間を潰すことにしましょうか。……綾芽さん?」
「あ、は、はい!?」
「疲れましたか?」
「あ……。ご免ね、ちょっとボーっとしてた」
  その返答に、希亜はやんわりと微笑んだ。
「無理もありませんよ。緊張もしたでしょうしね」
「……うん」
  少し躊躇したものの、素直に肯く。
  確かに、緊張した。
  箒と戦闘機のドッグ・ファイト。
  これほど稀有なケースは他にないだろうが、例えるならサファリ・ラリーで
優勝を目指して疾走する車に、ド素人が乗り込んでいるようなものだ。彼らの
ように限界をわきまえ、その限界に挑むドライバーの感性は、一般人と大きく
ずれている。
  素人にとって危険と感じることが、彼らにとってはまだ安全の範囲内なのだ。
  それに加えて航空ショーもかくやの高速機動。そんな振り回され方をすれば、
疲弊するのも当然といえた。
「幸いここでならしばらく休めそうですし……もう少しで夜が来ます」
  現在綾芽達が居るのは学園敷地内にある鬱蒼とした森のほぼ中心。その中で
も比較的高い木の、太い横木の上だった。
  この場所に降り立つのを誰かが見ていたとしても、そう簡単に手出しできる
場所ではない。警戒するのも酷く簡単だ。
  まして彼らの逃げ足の速さは想像を絶する。
「夜の闇に紛れ込んでしまえば……翼あるものを捕らえられるものなどいませ
んよ」
  それは静かな、だが一日目を無事に終えられるという確信を伴った、希亜の
勝利宣言だった。



  だが、
「認識が甘い」
  綾芽達を見上げ、そう呟いた影があった事を、彼らは知らない。
  口の端を吊り上げ、笑む。
  それは絶対的優位に立つ者が浮かべる、慈悲の笑み。
「私のテリトリーを荒らしたとはいえ、今は見逃してあげましょうか。守れと
いう指示は受けていませんが、スポンサーを怒らせると後が怖いですしねぇ」
  影が意味深な言葉を吐く。
  森の緑に紛れたその人影――佐々木沙留斗――は、足元に置いていたザイル
の束を再び担ぎ上げると、森の奥へと音も無く消えて行った。