『どよめけ! ミスLeaf学園コンテスト』 第四十二話A 「Battle stage」 投稿者:悠 朔

  この文章中には一部暴力的な表現が含まれます。
  心臓の弱い方などはご遠慮ください。

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 扉の前には
『Please  come  the  new  challenger!』
『求む挑戦者!!』
『I  wait  the  new  comer!!』
『Please  insert  coin!!』
  などという立て看板、張り紙が並ぶ。
「いや、最後のはちょっと意味不明だが」
  ぽつりと呟いて、悠朔はぼんやりと虚空を見上げた。
  情報特捜部部室。
  ヒロインの隆雨ひづきとその護衛達――佐藤昌斗、悠朔、EDGE、M・K  ――
は並んで壁に背を預け、暇を持て余していた。
  ひづきとM・K  に至っては昼寝に興じている始末である。まぁ持久戦が予想
される以上体力を温存するのは得策ではあるが、わざわざ目立つようにした上
で昼寝というのはいくらなんでもあまりに無用心だ。
  が、実際問題として彼らは暇だった。
  なにしろ現状で既存の戦力情報からすれば、彼らに戦闘を挑むのはあまりに
無謀な行為だと言える。勝負になるとすれば来栖川陣営とLeaf学園警備保障陣
営ぐらいしかない。その彼らにしたところで早期から強豪と激突して戦力を減
らすのは避けたいだろう。すでに普段なら授業が終わろうかという時間だが、
この競技の終わりはまだ明確に見えてこないのが現状だ。
  天附の剣才――佐藤昌斗。
  神威の格闘家――EDGE。
  唸る剛腕――M・K。
  神速の蹴撃――隆雨ひづき。
  そして万能戦闘習熟者である悠朔。
  遠距離ならともかく、このメンバーに近接戦闘を挑めるグループは、まだ形
成されていない。遠距離にしても迫撃砲だの対戦車ミサイルだのマテリアルラ
イフルだのを常備している人間弾薬庫――朔――と戦いたいなどと思う者も少
ないだろう。EDGEと昌斗も気孔や運命(さだめ)の力を使えば中距離戦が可能
だ。
  このメンツが部室に立て篭もっている時点で、戦いを挑むのを無謀と言わず
してなんと言おう?
「ど〜かしたか?」
「……いや」
  呟きを聞きとがめたのであろう昌斗の問いに、気の無い返事を返す。
「そーいえばさ、お前さっきジン先輩に殴られた腹、大丈夫なのか?」
「ん?  ああ……あれはホラ、殴られるのを一応前提にしてたからな。防具を
付けておいたし、受ける瞬間には気を発して防いだ。……大事無い」
  あそ、と、肯き、昌斗は朔と同じ様に虚空を仰いだ。
  そうだ。
  大事には至っていない。そういう事にしておく。
  実際それだけの準備をしておきながら、意識が数瞬完全に飛んでいた。腹に
響く鈍い痛みは未だ健在だ。激しい動きに制限ができるし、反応は遅れるだろ
う。
  痛みが引くまでまだかなり時間はかかりそうだが、まだ足手まといになるほ
どには、衰えていない。
  だから大事はない。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……暇だな」
「そだな。悪いな、他にちょっかいを出すにしても居場所が正確にわからんと
下手すりゃ返り討ちだからな。……式神を飛ばすにもまた暫く休養が要る。相
手が相手だ。慎重には慎重を重ねたい」
  何しろ今、標的と見定めているのは来栖川陣営と姫川陣営という強力なグルー
プである。漁夫の利を狙うにしても、出来る手は張り巡らせておくに越した事
は無いはずだ。
  移動後も看板出しっぱなしにしとけば、まだここに居ると誤認させる事も出
来るかもしれんしな。
  そう答えつつ朔は白衣の懐から――断っておくと、それはとてもそんなとこ
ろに収まるスケールではなかったが――輪胴式グレネーダーを引き抜き、構え、
おもむろに撃つ。
  ポンッと軽い音。
  撃ち出された弾頭はくるくると回転しながら十字型に展開。開け放たれてい
る扉からひょいと顔を覗かせた生徒の顔面に炸裂、昏倒させた。
  昌斗は一瞬顔を顰めたものの、その生徒が男子で、なおかつ先程から未熟で
邪な気配をひづきに向けていた事には気付いていたので、特になにも言わない。
  ただ、大会参加の証であるハチマキは巻いておらず、代わりに高性能カメラ
を所持している辺り、多分そっち方面に転んだ――ひづきは現在巫女装束であ
る――マニアだろう。
  意識を断たれて転倒しながらもカメラを死守したその姿には、一種の意地と、
それに勝る執念が伺えた。
  間違った方向に進まなければ将来は良いカメラマンになるかもしれない。す
でに手遅れという気もするが。
「いや、こっから動かないで周囲の捜索なんてお前以外出来ないし。にしても
……平和だね〜」
「いやまったく……」
  フゥ、と嘆息し、グレネーダーを仕舞う。
  と、ふと頭上を仰いだ。
「……?」
「どうかしたか?」
「いや……。向かいの校舎の屋上に……何か……」
「ああ、いるね。まだ仕掛けてくる気はないみたいだけど」
  事もなげに答える昌斗。
  瞳目する朔の気配に気付いたのか、昌斗が振り向いた。
「どうかしたか?」
「いつから……気付いていた?」
「三十分ほど前からかな。向こうがこっちに気付いたのも多分同じくらいだと
思う。その瞬間だけ害意があったけど、あとは収束していったし……様子見か、
やり過ごす気か、仕掛ける瞬間が来るのを待ってるのか。ちょっと相手にする
のは面倒そうに思うけど……」
「そうか……」
  ――俺は、気付かなかった。
  肯きつつちょっと落ち込む。
  それを頼りにしてきただけに、朔は気配察知能力に自信を持っていた。が、
それも井の中の蛙に過ぎなかったらしい。
「修行が足らんね、まったく……」
「ん?」
「いや、こっちの話だ。……様子見に行ってくる。何かあった時には適宜対処
してくれ。ここから離れる場合はこっちから合流するから捜す必要は無い。ほ
いマーカー」
  大きめのボタン程度の大きさのバッチを投げ渡し、そんじゃま、あとよろし
く、と朔は立ち上がった。
「お、おい……」
  慌てて声をかける昌斗を無視。
  もともと彼はやると決めたら誰が止めようとそれを実行する人間である。決
めてしまった以上問答は時間の浪費でしかない。だからおそらく静止しようと
するのだろうその声に、彼は答える必要性を認めなかった。
  加えてひづきが居眠りをしているので、彼に命令する人物も居ない。
  スタスタと無造作にドアを潜り、校舎へと歩く。
 壁から数m離れたところまで移動し、呼吸を整えながら壁を睨む。
  走り出した。
「ハ?」
  助走のあと壁の寸前。部室の入り口で頓狂な声をあげた昌斗を尻目に、跳躍。
  タンッ!  タンッ!  タンッ!  と壁を蹴る音が連続し、屋上の柵の上に両
の足で着地。一動作で棍を抜き放ち肩に担ぐと、柵の上を気負った様子も無く
無造作に歩き、移動。校舎の端まで進んで、角を曲がる。朔の姿はそのまま視
界から消えた。
「はぁ……」
  屋上を見上げたまま、昌斗は嘆息した。
  彼は二十mはある壁を一気に駆け昇ったわけだ。
  空を飛ぶ者が居るのだから驚くにはあたらないのかもしれないが、少なくと
も唯人の為せる技ではない。
「凄いな。と言うより無茶苦茶だな、あれは」
<軽功ですね。たいしたものです>
  インテリジェンス・ソード――意思持つ刃――運命(さだめ)が感嘆の念の
こもった言葉にあいの手を入れる。
「軽功って……?」
<簡単に言いますと身軽に行動するための訓練ですね。転じてその技そのもの
を指しても用いられます。軽身功とも言いますね>
「身軽……ってレベルで済む事か?」
<あの方は気孔を用いた秘術も使っているようでしたから。あの域まで達した
ら水に浮かんだ葉の上に立ったり、篭のへりに片足で立ったりも恐らく容易に
出来るでしょうね>
「……神業だね」
<主殿にもその程度の事はやっていただかないと、私の立場が無いのですが?>
「さりげに無茶言ってないか?」
<そのような事はございません。やれば出来る事をやらずにいるのを怠慢と言
うのです>
「何を根拠に……。そりゃお前の力を借りれば少しはましに戦えるようになっ
てきたとは思うけどさ」
<おや。私は誰よりも主殿の成長を楽しみにしていますし、誰よりも主殿の才
能を信じているつもりですけれど?>
「……裏切り続けてて悪かったな」
<そうでもありませんよ。才の無い人間にいくら力を貸したところで、あの大
剣豪きたみちもどると互角に戦えるとは思いませんから。主殿はもう少し自信
を持っても良いと思うのですが……。ここまで一貫して腰が低いのも考えもの
です>
  運命が人間臭く嘆息する。
「……もしかして本気で言ってる?」
<ま・さ・かっ!  ただもう少し堂々としていても良いとは思いますけどね。
あ、でも天狗になられるほうがもっと困りものですか>
「ま、そんなとこだろ」
  達観したように呟く昌斗。
  ――尤も、評価の方は半分以上本気なのですが。それに、強くなればなるほ
ど腰は低くなるという言葉もありますし……。まぁこれはさすがに誉めすぎで
すか。
「ん?  なんか言ったか?」
<いえ別に……。それより主殿。暇なら素振りでもされたらいかがです?  何
事も修練の積み重ねがものを言うのですよ>
「へ〜へ〜」
<返事はキリッとなさいっ!>
「はっ、はい!」
<いいですか?  態度と言うものは常日頃からの心掛けが表に出るのです!  
そんなだらけた返事をするなんて弛んでいる証拠です。猛省(反省の強意)し
なさい!>
「ひ〜」
  悲鳴をあげながらも昌斗は律儀に運命を抜き放ち、素振りをし始めた。すぐ
にその繰り返しの作業に没頭していく。


  さて、ここに一人。
  会話にも加わらず、さりとて居眠りをしているわけでもなく、そこに静かに
存在している者があった。
  見張り番でありながら現場を離れるのは職務放棄ではないのか、とか、単独
行動は一応危険ではないのか、とか、どこにちょっかいを出すかはもう決めた
はずなのに、いきなり方針を勝手に変えるのは如何なものか、とか、何か行動
するときにはリーダー――この場合はひづき――の許可を取った方が良いんじゃ
ないか、とか、先程から何者かと会話しているよう――運命の声が聞こえるの
はマスターである昌斗だけである――だが、腕の良い精神科の医者を紹介した
方が良いのか、などといったツッコミ天国にありながら、その人物は微動だに
しない。
  神威の拳EDGE。
  携帯片手にメール打ち込みに必死。
  周囲の雑音、耳に入らず。


  カンッ、と金属を蹴る小さな音。
  垂直の壁を駆け上がりフェンスの上に着地した朔は、まず武装として三つに
折りたたんであった棍を引き抜き、振る。パーツの継ぎ目でパチンと小さな、
歯がはまる音がし、棒として固定された。
  強度がやや弱くなるのが難点だが、持ち運びには便利だ。
  屋上に視線を向けると巨大な魔法陣とその傍らに立つ二つの影。
  屋上の出入り口を警戒しているためか、こちらには背を向ける形となってい
る。
  が、それが誰なのかはすぐに知れた。
  学園広しと言えど、霊体の守護天使を連れているものは一人しか居ないし、
髪の毛の色が紫――まず普通の人間ではない――でロングヘアー、長身の女性
というのは珍しい。
  ――ルミラ・ディ・デュラルと城戸芳晴。……あとアレはコリンっていった
か?
  とりあえずこちらには気付いていないらしい。消気法を使っている気孔術師
を見つけるのは至難だ。姿を見られていなければ、大きな音でも出さない限り
まず見つからない。下手すれば視界内にあってさえ認識されないほど、その
『存在』を希薄にする事が可能だ。
  わざわざ壁を登って来たのは狙い通りだったと言える。
  ――あれはいったい……なんのつもりだ?
  ものものしく展開された魔法陣。
  魔界貴族であるルミラ自らが描いたものであれば、まずこけ脅しやハッタリ
の類とは思えない。
  幸い二人は魔法陣にも背を向け、入り口から入ってきた者から守りながら迎
撃する位置に居る。その上なにやら話しこんでいるようだ。観察する邪魔には
ならない。
  とはいえ、朔は西洋魔術に関してはド素人である。見たからといってわかる
ものでもない。
  ――となると、する事は一つだよな。
  今度ゲーティア――ソロモンの鍵とも言う――でも読破してみようかね。無
駄だろうけど。などと考えながら、あっさりと行動指針を決定する。
  忍び歩きで柵の上を歩き、魔法陣から見て南方から東へと移動。
  フェンスの上に乗ったまま、身体は魔法陣へ。視線は逆方向へと向ける。
  ――ふむ……。北と南を結ぶ霊道の真上だな。で、同時に北西から北東を結
ぶ龍脈を捻じ曲げて通すつもり……となると、気脈が通じればたいがいの無茶
が押し通るな。本来ここで交わるはずの無いモノを交差させようってんだった
ら、実行させればあまり面白いものでもないだろうが……。
  この魔方陣を東洋魔術的な視点で見ればそうなる。かなり大雑把かついい加
減な見方になるが、詳細な術式などわかるはずがないのだから仕方ない。
  もし同じような思想で作られたものだとしたらやっかいな代物だが、この魔
法陣の完成、あるいは発動を確実に妨害する方法は存在しないだろう。
  城戸芳晴。
  学園の特別授業の一つ。宗教を受け持つ教師であり、同時にキリスト教徒の
牧師でもある。エクソシスト――キリスト教は除霊を認めていない。故に彼は
正規の除霊師ではないだろうが――としても著名な存在で、学園に関わる者と
してはおそらく最強のホーリー・マジック・ユーザー。
  ルミラ・ディ・デュラル。
  前述した通り魔界より来た力ある者。貴族の一人。デュラル家の女当主。
  魔に属するもので彼女を超える力を持つ者はまず、近隣には存在しないはず
だ。彼女はそれほどに力に溢れている。
  魔術さえ使わずに桁外れの力を行使する者。
  とてもではないがこの二人を退けるのは一人ではまず不可能だ。二人が警護
に付いていては簡単な妨害さえ非常に難しい。
  ルールに則り背後から不意を突いてエントリーヒロインであるルミラの服を
奪い取る、という手も無いではないが、さすがにこれ以上接近して気付かれな
い自信は無い。
  顎に手を当てて思考をまとめようとしたその時、何気なく、本当に何気なさ
そうにルミラが振り向き、その視線がまっすぐに朔を射抜いた。
「!!」
  彼女が、嗤う。
「やばっ!」
  その声に出せたかさえ、朔はもうわからなくなっていた。
  ルミラの視線が何かを考える力を一瞬で奪う。内面をドス黒い感情が覆う。
視界が燃える。朔の持つ最も原始的で強力な衝動があふれ出る。
  破壊。
  暴力。
  それ以外を考えられない。
  ――考えたく……ない。
 永劫の無への回帰。
  その願望が明確に顕在化する。
  ――ああ……そうだ。結局のところ……。
  朔の瞳から理性の輝きが消え、異様な光を帯びる。
  ――お前らは、邪魔だ!!
  フェンスの上から一歩、ルミラと芳晴。そしてコリンに向かって虚空へと跳
躍する。
  その瞬間には、朔は敵と見なした者を屠る、ただの獣と化していた。


「あり?」
  ルミラが不思議そうな声を出した。
  彼女が仕掛けたのはチャーム。相手を魅了し、己の意思に従わせる術だ。吸
血鬼であるルミラにとっては十八番であり、代名詞とさえ言える術である。そ
れを抵抗されたのは少しショックだった。
  とは言えいかに強力無比な魔力を有しているといってもそれは絶対では無い
のだし、ありえない話ではない。                          ・・・・・・
  ルミラが不可解に感じたのは朔がレジストに成功したから、ではなかった。
  なんらかの魔術が、ルミラから朔の精神への干渉に介入してきた。しかも極
めて強力に。
  魅了出来なかったのはそれが原因だ。
  一体それは、どういった介入であったのか。
  それを即座に解析、確認したルミラは、思わず天を仰ぎたくなった。
「バーサーク(狂戦士化)……。誰よこの子にこんな術掛けといたの……」


  戦術とは古来より、より効率良く戦うための手段として研鑚を積まれてきた。
時には圧倒的多数を擁する敵を打ち倒したり、敵が寡兵であっても被害を最小
限に抑えたりするためである。
  獣の持つそれは基本的に狩猟を目的としたものであり、自分と同等以上の敵
と戦う際に発揮されるそれは、決して洗練されたものだとは言えない。
  敵戦力減殺を目的に、敵の中で最も弱い個体に対し特攻する。
  それだけだ。
  もとより彼我の戦力差は絶望的と言って良い。
  肉体的なリミッターを極限まで解除したとて、理性を失い戦術を組み立てる
事さえ出来ぬ者にどうこう出来る相手ではない。
  決着が着くのに要した時間は、先だって朔が予想したよりも遥かに早かった。
  ……苦しまなかったはずである。
「さ〜てっと。躾の悪いペットには、しっかり教育を施さないとね〜」
  後どうなるかは知ったこっちゃないが。


  部室の壁に背中を預けて座り込んでいたEDGEは、悲鳴を上げて両手を投げ出
すと大きく嘆息した。
「あ〜あ……。やられっちゃった。結構イイトコまでいったのになぁ」
  見れば両手で持っていた携帯電話のディスプレイに、大きく『GAME OVER!』
の字が踊っている。
  メールを打ち込んでいたと思ったら、どうやらその後ゲームに興じていたら
しい。
  背後の壁に、コンと頭を着けて上を見上げる。
「……あの子も捕まっちゃったか。……死んだ、かな?  まさかね」
  物憂げにそう呟き苦笑するEDGEの視界の遥か先を、風を切り裂き爆音を響か
せ、二つの影が高速で横切っていく。
  一つはいびつな外見をした逆翼型の戦闘機。というのも機体の横から二本の
腕がせり出している。音を出しているのは主にこちら。
  それに追いまわされているのは完全に航空力学を無視した存在。棒状の物体
に跨った人影と、その人物の肩に捕まって後ろに立っている人影が確認できる。
棒状の物体には計八ヶ所ほど小さな翼が突き出ている――中心部付近の下部に
ラダーに相当すると思われるものが二枚。後端部の六枚は正確に 120°間隔で
展開されている。上下の二枚は他の物よりやや大きいか――が、そんなものは
安定翼になりこそすれ、浮力を得るには小さ過ぎる。
  複雑な軌道を描きながら、それらはEDGEの視界からすぐに消えていった。
「みんな元気よね〜」
  ぽつりとそう呟いて、彼女は大きく欠伸をした。



  目まぐるしく変化するコンソールパネル。上下左右が一瞬のあいだに反転し、
景色が物凄い勢いで流れていく。
  常人には不可能な細かい操作でスティックを動かし、ラダーを蹴り飛ばし、
エアブレーキを展開し、スラスターを吹かす。
  その間、愛機YF−19改ラグナロクを駆るシッポの視点は一点に固定されたま
まだ。超高性能機ではあるものの、ほとんどのシステムが旧態依然であったエ
クスカリバー。そこにYF−21シュトルム−ティーゲルに試験的に取り入れられ
た機能をいくつか導入し、性能を無理矢理向上させたこの機体、レスポンスは
もはや化け物の類に入る。
  先行するは魔法の箒(型デヴァイス、と言うべきかもしれない。すでに帚で
すらない、という意見もある)。
  それに跨る弥雨那希亜と、同乗者の悠綾芽。
  最高速度はあっさりと音速を超え、慣性の法則を無視したかのような――事
実魔法で中和している――過重をものともしない機動。もとより戦闘機と人間
ではウェイトの大きさを比較するまでもない。機動力に差が出るのは当然。
 だが。
  エースパイロットとして。戦闘機乗りとして。譲れないものがあった。空戦
の覇者として守らねばならないプライドがあった。
 もともとは来栖川綾香との『全ヒロインを妨害する。但し脱落はさせない』
という約束がきっかけで、追い掛け回すだけで捕獲するつもりはなかったのだ
が、その出鱈目な動きがシッポの闘争心に火を点けた。
「シャロン!  目標の機動を予測出来るか!?」
『相手は空戦は素人のはずですから……。偶発的なひらめきと気まぐれな心理
を予測出来れば。でも捕捉自体はシッポさんの技量があれば比較的容易に可能
かと思いますよ。撃墜する気があれば、ですけど』
「墜としてどうする!!  今回の目的は捕縛だぞ!」
『私に怒鳴られても困るんですが。ゴーストバードかシュトルム−ティーゲル
で援護しましょうか?』
  X−9ゴーストバード。
  次世代機、というより最早オーバーテクノロジーの粋と言える、シャロンが
駆る完全自立型無人戦闘機。
  この機体に人間の限界などという範疇はない。あるのは機体の剛性などから
弾き出される限界性能。そしてレーダーとコンピュータのリンクから求められ
る、次の行動計算だけだ。
  だからこそ、想像を絶する性能を誇る。
「俺の楽しみを……邪魔すんなっ!」
  言いながらシッポは機体を横滑りさせる。
  直前まで機影があった場所を野太い光線が数条、高速で貫いていった。
『そう言うと思いましたよ。……相手は魔術で空を飛んでいるようですから、
空戦の常識は当てはまらないと思った方がいいですね。魔術師相手の定番です
が持久戦に持ち込めば、勝機はいくらでもあるかと』
「面白くない!!」
『左様で』
  間髪入れず即答したシッポに、シャロンはディスプレイ上で肩を竦めて見せ
た。
  彼女にしてみれば予想通りの返答だった。だからこそ、何も言わない。
  彼女はシッポをサポートする為に作られた人格プログラムであり、ベースが
軍用である為ハードは採算を度外視して作られた。そのためこと演算速度と情
報予測に関しては他の追随を許さない、という自負がある。
  ――ま、技術は日進月歩ですから……所詮砂上の楼閣ですけど。
  パートナーの簡単な心理状態程度が読めなくて、優秀なサポートだなどとは
口が裂けても言えはしない。
  下手に手出しして不興を買うのも馬鹿らしい。
  放っておくのが最良の手と言うものだ。
  ――この学園に来てから満足がいくまで飛ばせてなかったようですからねぇ。
弥雨那さんには悪いですけど、シッポさんが飽きるまで付き合って頂きましょ
うか。
『衛生軌道上"アスラーダ"、目標ロック。学園内屋外監視カメラ"バルタザール"、
"メルキオール"、"カスパー"。各々アルファー01以下イプシロン09まで。レー
ダー"ドヴォルザーク"、"ヴェートーベン"、"チャイコフスキー"、"バッハ"。
その他現在支配下にある全センサーで目標をロック。アスラーダの援護は上空
を通過しきるまで。おおよそ後二時間有効です。……御武運を』
「おう!」
  シッポは嬉々としてスロットルを押し込んだ。
  学園や近隣施設にハッキングを仕掛けまくっている事には……とりあえず目
を臥せ、バレない事を祈りつつ。


「アメノヌボコッ(天之日矛)!!  ニギハヤヒッ(饒速日)!! アメノオ
ハバリッ(天之尾羽張)!! フツヌシ(経津主)ノォ……ツルギィッ!!」
  綾芽の声があがるたびに、熱線が躍り、熱光破が大気を切り裂き、十に別れ
た衝撃破が獣の顎を形取って喉笛を切り裂かんとし、実体化した長大な刃が振
り下ろされる。
  だがそのいずれもが華麗とさえ言える、シッポの凄まじい卓抜した操縦技術
によって回避される。
「あ〜ん、もう! ど〜して避けれるのよ〜」
「ちょ、ちょっと綾芽さん? 何してるんですか一体」
「迎撃」
「止めて下さい。反撃されたらどうするんですか」
「ちょっかい出してきたの向こうなんだから、反撃してるのはこっちじゃない?」
「先に攻撃したのはこっちだから、反撃でいいんじゃないですか?」
  希亜の言葉に綾芽は「むぅ」と唸る。
「でもこのままじゃ捕まっちゃうよぉ」
「そーですねー。無制限ならともかく、今日は学校の敷地内から出られません
からね〜。逃げるのは結構辛いかもしれませんねー」
  いかに広大な敷地を誇るLeaf学園と言っても、所詮それは地上での話。超音
速の世界では僅か数秒で学園の両端を結べてしまう。
  航空機から見ればドッグファイトをするにも余りに狭い。
「……わりと余裕ある?」
「ありませんよ〜そんなもの」
  言いつつ、希亜の飄々とした態度は崩れない。
  だが敷地の上空から追い出されれば失格になってしまうというこの現状を打
破する手段はというと、シッポを振り切る以外にはない。この限定された空間
で、だ。しかもあいにくの空模様で、雲に隠れるという定番の行動も取れない
ときている。
  実際余裕などあるはずがなかった。むしろ八方塞がりに近い。
「すみませんが綾芽さん、しっかり捕まっててくれません?」
「え?  どうして?」
「立ってても一応大丈夫だと思いますけど、少々振りまわしますよ〜」
  フィールドでカバーしてあるので少々無茶な動きをしたからといって落ちる
心配はほとんど無いのだが、危険である事に変わりは無い。
「……大丈夫なのよね?」
「え〜と、多分」
  自信無げに言われて綾芽は素直に腰を下ろし、希亜の腰にしっかりとしがみ
付いた。誰だって命は惜しい。
「じゃ、行きます」
  言って、希亜は一気に箒をダイブ。
「はえ?」
  魔力による障壁と慣性制御のおかげで落下の感覚も、風切る音も、頬を叩く
風も無い。よく出来た3Dゲームのようで、空を飛んでいるという実感は極端に
薄い。
「ひっ!!」
  が、圧倒的な質感を以って迫る大地。緑に茂った木々の群れ。視界に飛び込
んできたそれに、綾芽は本能的に恐怖した。引き攣るような小さな悲鳴が喉か
ら漏れる。
  構わず希亜は直進。
  大地に激突する寸前で方向のベクトルを横にずらす。が、魔力で殺しきれな
かった慣性に引かれ、重力に引かれ、さらに高度が落ちた。
  落ちる。落ちる。落ちる。
「いぃぃやぁぁぁ――――――――――――!!」
  今度こそ綾芽は悲鳴をあげた。
  けたたましい悲鳴が出るのも当然。縦方向へ働くベクトルが零になったのは
高さにして僅か1m程の位置だ。完全に森の中に飲み込まれてしまっている。常
軌を逸した速度で飛び込んで木々に激突せずにすんでいる事が奇跡に近い。
  だが偶然としか思えぬその事象も、それが当たり前であるかのように希亜は
冷静に前を見据えていた。落下によってプラスされた速度をある程度にまで落
とし、進む。前へと。
  避けた樹木が高速で後ろに流れていく。
  陽光を防ぐほど鬱蒼と茂った木々の下。的確に、だがかなりのスピードで突
き進む。
  その後方で爆発が起きた。
  後ろから突然強力なサーチライトで照らされたかのように、視界の明度が跳
ね上がる。
「え?」
  驚いて振り返った綾芽の正面に、無音の世界から爆風が襲いかかった。それ
に押されて箒の尻が持ち上がる。が、やはり綾芽自身は風を感じない。希亜の
フィールドは健在。にも関わらず、次の瞬間綾芽は強いGを感じた。車がろく
な減速もないままに急カーブにさしかかったような、身体が横に持っていかれ
る感覚。その重圧が断続的に右から左から加えられ、そしてさらに上下にも身
体が振り回される。
  慣性制御が追いつかないほど細かく、そして鋭い機動。
  吹き荒れる風と自らのスピードが、それを希亜に強要する。
  フィールドが一時的に消し飛んだ。
  本来そこにあって然るべき風が。嵐の如く暴虐に荒れ狂う風が、二人に襲い
かかる。
「ええっ!?」
  そんな中、風に舞う自らの髪に視界を遮られながら綾芽が目にしたのは、恐
怖の権化そのものだった。
  希亜と同じ軌道。同等の速度で突っ込んできたシッポの愛機が行う、急激な
逆噴射、急制動。
  完全にガウォーク形態に移行したラグナロクの脚部。ピンポイント・バリア
によって歪んで見えるそれが、激突した木々を粉砕する。エンジンノズルから
吹き出す爆発的な気流が木々をなぎ倒し、吹き飛ばし、巨大な質量を持つはず
の巨木がまるで玩具のように、冗談のように宙を舞う。
  襲い来るそれらの木片を的確に回避しながら、それでも希亜は振り向かない。
その余裕も無い。
  ただ前へ。
  ラグナロクもまた、即座に体勢を立て直し追撃に移る。
  執念ともいうべき強靱な意志を宿し、邪魔になる木々を蹴散らしながら追い
迫る巨大な飛行兵器。
  それは意図してあったものなのか、蹴散らした木片が何度も二人の頭上に降
り注ぐ。
  距離は縮まらない。が、開きもしない。
  さすがに希亜達ほどの低空を飛ぶ事は出来ないので、機影はやや上空。だが
確実に追い詰めるべく追ってくる。ラグナロクの腕なら伸ばせば届きそうな、
そんな錯覚さえ起こす高さ。
  先程までの至近距離での大迫力と比べれば幾分マシだが、それでも、
「ぞっとしないね。夢に見そう……」
  綾芽はYF−19改を見上げながら、そっと呟いた。
  希亜に任せっぱなしではなく、振り切るために何か自分もしたほうがいい。
このままでは実際ただのお荷物だ。
  ――私に今出来ることは魔術を撃つこと。でも、一番効果的なのは……?
  思考し、頷く。
「ちょっと派手な術立て続けに使うけど、驚かないで高度維持してね」
「りょ〜か〜い」
  指示を出してすぐ、綾芽は考え込んだ。
「……あの、その前に一つ聞くけど希亜君が飛ぶときって、レーダーみたいな
の使ってる?」
「ええまぁ。音速で飛ぶ以上、視覚はほとんどあてになりませんからね〜。直
感に近いかもしれませんけど、魔法的なレーダーと解釈していただければ良い
かと」
「じゃ、一時的に視界を塞がれても大丈夫よね?」
「ええ」
  なら、彼女がやろうとしたことに問題はない。
  綾芽は再び魔術の構成を編み込みながら気合いを入れた。
  ――さあ、いくぞ!


「アラハバキ(荒波吐)!」
  一つ目の術で希亜達の周辺。広域の大地が爆裂し、粉塵が舞い上がった。

「テンソン・ニニギ(天孫・邇邇芸)!」
  二つ目の術でYF−19改の真正面に強烈な閃光を放つ小型の太陽が出現した。

「オモイカネ(思維兼)!!」
  三つ目の術は幻術。
  粉塵に紛れ姿の確認を難しくした上で、更に複数の分身を縦横無尽に飛翔さ
せ、惑わせる。

「よしっ!」
  イメージしたとおりに術を展開することが出来、綾芽は会心の笑みを浮かべ
た。
  この時綾芽は追っ手の目から逃れることが出来ると確信していた。だが、彼
女が思う以上に猟犬の嗅覚は鋭く、そしてそれ以上に経験豊かで頭が切れた。


  YF−19改のコックピットの中。小型太陽を回避、上空をフライ・パスして、
シッポは感嘆の口笛を吹いた。
「やるね。さすが部長(情報特捜部部長。即ち悠朔の事)の娘だって自称する
だけはある。……シャロン」
『Yar』
「見失ったか?」
『はい。あれだけの低空、しかも障害物だらけですからね。レーダーは使えま
せんし、フレアーを撒かれたので熱源探知も不可。目くらましもなかなか有効
的ですね』
「だが、策を弄し過ぎた。そうだろ?」
『相手が私達でなければ及第点をあげれたんですけど』
  確認するような問いかけに、苦笑を交えながら、しかし自信を持ってそう答
える。
  希亜が魔術でもって形成するフィールドは、一般に言うところのバリアに近
い。いっそ同じ物だと言っても良い程に。特筆すべき大きな違いとしてフィー
ルドは内部の状態を、物理法則さえ無視して変化しないよう保持している、と
いう点が挙げられるが、今はそれは問題ではない。
  例え真空中であろうと揺るがないそのフィールドが、粉塵程度の進入を許す
はずもない。かたや幻体はといえば、質量を持たないが故に気流に影響を与え
ず、粉塵は弾かれる様子さえなく無く像を素通りする。
  それに気付きさえすれば、シャロンならばYF-19改に装備されているCCDカメ
ラの記録を拡大し、どれが本物か見分けるのにかかる時間は一秒にも満たない。
  幻で撹乱しようとするのは良かったが、一瞬とはいえ自分達の姿も晒したの
はいただけない。そしてそれがこの二人の前では仇となる。
「むしろ本体は煙幕でも張って動かないでいれば良かったのにな。急造コンビ
の悲しさと言ったとこか、それとも嘆くべきは経験不足かな?」
『ロスト後コンマ5秒でアスラーダにて再補足。方角と距離を視覚表示します』
  言葉とほぼ同時にディスプレイに3D表示された赤い矢印と、その下に相対距
離と相手の移動速度が表示される。
  それに従ってシッポは愛機をターン。
『物理法則に従っているか不明なので確証は持てませんが、軌道予測によると
ほぼ……。今、幻体の消失を確認。目標と断定しました』
  久々に楽しい時間になりそうだと、満足そうにシッポが肯く。
  狩りはまだ始まったばかり。
  ターゲットは二匹の若い狐。
  狐は狡猾で、だからこそ狩り甲斐のある至上の獲物となる。



  結局希亜と綾芽は、池の水を機動の余波で吹き飛ばしたり、地表を衝撃波で
えぐり溝を作ったり、校舎内に暴風を巻き起こしたりと地上施設に甚大な被害
を与えつつ、この日の大半を戦闘機に追われて過ごす事になった。
  が、結果としてみればそれは彼らを救ったかもしれない。
  なにしろ希亜とシッポに相当するほどのの空戦機動能力を有するものなど、
まして高速飛行する対象に攻撃を仕掛けられるものなど、アパッチを駆る黒人
のファンキー兄ちゃん、ジェットスクランダー装備のジン=ジャザム、亜音速
戦闘機を操る地獄の女狐、他、くらいしか居ないのだから。
  割と居たな、とかは、思わないように。



  水の中に居るような、浮遊する感覚を伴う落下。
  或いは急速にアルコールが体内を巡った時に発生する酩酊感。
  朔が最初に認識したのは、そんな感覚だった。
  ――脳震盪でも起こしたか?
  いぶかしみながら瞳を開く。
  が、その目には何も映らない。
  光も無く、闇も無く、ただ、虚無だけがあった。
  音も無く、偏りもなく、歪みも無く、そしてなんの変化も無い。
  ――失明……した訳ではないか。なら……?  これはなんだ?
  認識できるのは自分の姿。それだけだった。
  膝を抱え、頭を下にして、ただ沈んでいく。
  比較する対象さえないのに、堕ちていく。それだけがわかる。
「……心象風景、とか言わんだろうな」
  呟きに対する答えは、無論無い。
  呟くために口は動かされたが、声にはならなかった。それに答えなどあるは
ずも無い。
  嘆息し、どこまで行くのだろうかと、そんなことを思う。
  思うあいだに、瞬きすると虚無の幻影は消えた。


  画面が切り替わり次に視界に入ってきたものは、朔の度肝を抜いた。
  ボンテージ。
  ハイヒール。
  ボンッ、キュ、ボンッのないすばでー。
  ご丁寧に手には鞭。
  それがスルスルと近づいてくる。
  はっきり言って、恐怖そのものだった。
  ――逃げなくては!  よくわからんが、ここにいると危機だ!  主に俺の尊
厳とかそういうものの!!
  泡を食って立ち上がろうとして阻まれ、それが不可能であることに知った。
  磔刑に処されたキリストのように、己の身体で十字を形作るよう固定されて
いるのだ。
「これがお約束というやつかっ!  所詮俺など運命という名の奔流に流される
だけの存在だというのかっ!!  かくも神々は無慈悲なのかぁっ!!」
  喉から絞りだされた叫びは悲痛なものだった。が、すでに錯乱しているのか
大袈裟ではあるが、特に深い意味を伴ってはいない。
  騒ぐ朔の傍らまで来た人影が逆光の中で鞭を振りかぶり、
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
  朔は心の底からの悲鳴を挙げた。