テニス大会練習Lメモ「我が逃走」 投稿者:悠 朔
 彼は苦悩していた。
 放課後、夕日が射す中庭のベンチでひざの上に猫を乗せ、頭を抱えんばかりに。
 何故こうなってしまったんだろう?
 いったい誰が?
 これは誰かの陰謀なのだろうか?
 ……で、これを俺は喜んでるのか? それとも嫌なのか?
「はぁ……」
 背もたれに両腕を預け、足を投げ出す。
 ズルズルと視線の高さが下がった。
 その視線を。今度は上へと向ける。
 空が見えた。
 夕日に、赤く染まった空が。
 居心地の悪くなり、慌ててひざの上から男の横にと飛び降りた猫が、不思議そうに
その男の顔を見上げる。
 しかし男は一向に気にした様子も見せず、右手に持っていた紙切れを、自分の顔の
前へとかざした。
「ったく。誰だ? こんなのに参加させようとした奴は……」

『情報特捜 Judgment Days
  またまた学園主催の大会が開催されることが決定した。お祭り好きのこの学園生
  徒にとって、これは再び大騒ぎを起こす機会と注目を集めている。当然のごとく
  早くも参加者は殺到しているとのこと。
  今回の競技はテニス。
  男女ダブルスで行われる…………』


 他にもルールだのなんだのと細かく記載されているが、そんなものはどうでもいい。


『 参加する意志を明確に表明しているのは今のところ

  セリス&マルチ
  悠朔&来栖川綾香
  菅生誠治&柏木梓
  橋本(はしもっちー)&来栖川芹香
  makkei&川越たける
  城下和樹&新城沙織
  OLH&斎藤勇輝
  風見ひなた&赤十字美加香
  T-star-reverse&松原葵
  秋山登&日吉かおり
  陸奥崇&セリオ(プロトタイプ)
  トリプルG&来栖川芹香
  ディアルト&Dマルチ
  昂河晶&吉田由紀
  柳川祐也&四季
  きたみちもどる&桂木美和子
  夢幻来夢&柏木初音

  の17組。まだまだ参加者は増えるものと予想される。中でも主催する側である
  はずの教師(斎藤教諭、柳川教諭)の参加に、テニス大会は早くも昏迷の兆しを
  見せ始めて……』


 以下延々と煽り文句が続いているが、やはりそれにはさほど興味は無い。
 問題なのは参加者。
 しかも中でも二列目に書かれてある名前が問題なのだ。
「なんで俺の名前が……こんなところで出てくるんだ?」
 顔の前から校内新聞の原盤をずらし、もう一度ため息を吐きながら、悠朔はどこま
でも赤い空を見上げていた。



 テニス大会練習Lメモ「我が逃走」



 寝耳に水であった。
 情報特捜部恒例の部会。
 情報収集だの、文面だのに関して部員のYF−19――通称シッポ――が細かい指
摘をあげていた。
 文法的な誤りを排除し、より見やすい構図を構築していかなければならない。
 そんなことを言っている。
 ――どーして部長や副部長じゃなくて、一般部員が議長をやっているのかねー?
 それを半ば子守り歌にしながら、朔はのんきにそんなことを考えていた。
 理由はしっかりとある。
 そもそも部長の朔が部長としての仕事を果たそうとしないのが原因とも言えるのだ
が、それは部が立ち上がる時のゴタゴタで、クーデターを起こした副部長の長岡志保
に実権が移ってしまっているのがその理由である。
 お飾りの部長。
 窓際族部長。
 そんな陰口を叩かれることもしばしばである。
 部内でのあだ名が『御隠居』になったときも、朔は気にも留めなかったのだから、
そのやる気の無さがうかがえるというものだ。
 片や副部長はというと、名調子でホイホイと話を進めるのはいいのだが、脱線癖が
あるのでスムーズに司会をするというのはイマイチ期待できない。
 ついでに言えば、彼女は自分が集めてきた情報を語るのは好きだが、部での雑事の
報告などというのは性に合わない。そういう人だった。
 結果、たらい回しにされた司会の座は巡りに巡った末に、事務処理能力を買われた
シッポのもとへ回ってきた、という訳である。
「さて……。じゃ、次の誌面に載せる記事ですが、やはり今噂になっているテニス大
会のことでいいんじゃないかと思うのですが……。副部長、いかがですか?」
「ん〜。いいんじゃないの〜? ま、ゴシップネタばっかりっていうのもアレだしね。
今回は参加者の意気込みを聴いてみるって言うのもいいんじゃない?」
 シッポの横で、椅子に座ったまま志保が肯いてみせた。
「下調べは?」
「無論、済んでます。こっちが参加ルールで、これが今のところ参加する旨を表明し
ている方々ですね」
「上等上等。んじゃ、さっそく聞き込みに行こうかしらね〜。新たなニュースが、こ
の志保ちゃんを呼んでるわ〜」
 軽い足取りで出口に向かう志保を見送り、朔は立ちあがった。
 部会が済んだ以上、彼にはもうここに用はない。
 いつものように校内をうろつきまわった後、帰るだけだ。
 部長でありながら、朔はこれまで編集作業にも、情報収集にも参加したことが無か
った。部でこなす仕事といえば、せいぜい部長会議に出席する程度である。
 ――その前に部室に持ち込んだ紅茶セットで一服するか。
 ちゃっかりと部室を安息の場所として確保していた朔のそんな平和な予定を、
「で、部長。早速ですけど優勝する自信はありますか?」
「ああ?」
 シッポはぶち壊してみせた。 

 このとき初めて、朔は自分がテニス大会に参加することになっているのを知ったの
である。


 スポーツというのは優れた運動神経と基礎体力がもっともものを言うのである。
 誰かがそんなことを言っていた。
 異論はあるが、基本的にはそのとおりだと思う。
 基礎体力。
 まあ、武術なんてものをやっている以上、ある程度はあるだろう。これに関しては
そこそこ自信がある。毎朝走り込みをやったり、暇な放課後に練習をしているのは伊
達ではない。
 運動神経。
 これが問題だ。
 並みよりは上。
 それは自信がある。
 どちらかといえば優れている方だろうという自負もある。
 が、それはあくまで一般的なレベルで見た時の話だ。
 この学園にいる生徒は、良くも悪くも一般などという言葉とは、かけ離れた場所に
居る。
 自動車より速く走る奴も居れば、空を飛ぶ奴も居る。セリオタイプならデータをダ
ウンロードすることで、どんなスポーツでも一級品のプレイヤーになりうるかもしれ
ない。
 とにかくハンパではないのだ。
 そんな奴等と対戦して、勝ちを収めることが出来るかどうかというと、正直自信は
ない。
「テニスか……。苦手なんだよな」
 そんなことをぼんやり考えながら、朔はぼそっと呟いた。
 朔としては、武術とテニスは相性が非常に悪いと言わざるをえない。
 ボールが飛んでくれば、つい反射的に回避してしまうのだ。
「いっそ、得意なスポーツなら良かったんだが。……早撃ちとかクレー射撃とか」
 すでに球技ですらない。
 いや、そもそも早撃ちはスポーツだろうか?
 ――格闘大会は……もう終わってしまったしなぁ。
 その時の戦績は一回戦負け。
 しかし朔は、それはそれで良かったと思っている。
 そもそもあれは大会に参加したという、言わば売名行為的なところもあった。
 門外不出として伝えられる封神流としては、もともとああいう大会で目立つ行動を
とる訳にはいかなかったということもある。
 だがしかし。
 今回のテニス大会はダブルス。
 パートナーは綾香である。
 校内エクストリームのようにはいかないのだ。
 綾香の足を引っ張るようなことになれば沽券に関わる。
 一回戦負けなど論外。許されないことなのだ。
「…………………………どうしたものかな」
 選択肢は二つ。

 1.ぢみちに練習する
 2.バックレる

 地道に練習するとして……。
 どんな競技にしても言えることではあるが、テニスというのは非常に奥の深い競技
である。
 200km/h前後で飛び交うテニスボールを、ラケットの中心部分で打ち返さな
くてはならない。中心を少しそれただけで、打ち返したボールは勢いを減じてしまう。
それをこなすには並外れた動体視力が必要になる。
 また、素人なら左右に打ち分けられるだけで捌くのに一苦労だというのに、テニス
経験者がスライスなどを織り交ぜてきたりしたら、はっきり言ってどうしようもない。
 結論。
「……帰って寝るか。悔しいが面倒事はハイドラント辺りに押し付けよう。随分テニ
スに興味を持っていたようだしな」
 朔は2を選択した。


 学校から出ようと靴箱の前へと差し掛かった時のことである。
 少しでも目立たせようという意図からであろうか。ド派手な色調で描かれたテニス
大会告知のポスターが目に入ってきた。
 数日前から張り出されているものだったが、さほど興味を持っていなかった朔は、
これまでそのポスターを詳しく見てはいなかった。
『優勝賞品:鶴来屋温泉郷温泉街
      ペア二泊三日の旅』
「………………」
 額に冷や汗が浮かぶ。
 ――男女混合(ミックス)の大会でこんな賞品出して……いいのか?
 ともかくも、朔の中から『このまま寮に帰る』という選択肢が消滅した。
 綾香はこのことをどう思っているか、確かめなくてはならない。



「賞品? 知ってるけど……それがどうかした?」
「いや……どうかしたかって、改めて聞かれると困るんだが……」
 あっけからんと答えた綾香に、逆に朔の方が困惑する。
 やむなく訪ねてきた場所は格闘部道場。
 綾香の邪魔になることを嫌って、あまり近づかないようにして居た場所ということ
もあって、いまいち落ち着かない。
 かくいう今も部活の最中でありながら、綾香の練習の邪魔をしてしまっている。
「……で、お前はそれでいいのか?」
「良いも悪いも、エントリーしたのあなたでしょ? 別に参加することに異議はない
から……」
「なに?」
「……どうしたの?」
「俺が?」
「え?」
「……俺がエントリーしたって?」
「……違うの?」
「知らんぞ。俺は……」
「………………」
「………………」
「じゃあ誰よ?」
「さあ……? 見当もつかん」
 朔が本当に誰かの陰謀なのかと真剣に悩んだのに対し、綾香は意外におせっかいな
友人達の誰か、もしくは共謀しての仕業ではないかとあたりを付けていた。
 この辺が人徳の差というものかもしれない。
 違うかもしれんが。
「誰の仕業かって言うのはとりあえず置いておこう。話を戻すと、俺と参加でいいの
かって事だが……」
「だからいいって言ってるじゃない」
「………………。一応確認しておくが、勝ちに行くんだよな?」
「あったりまえでしょ? わたしだってスポーツマンなんだから、参加する以上は優
勝を狙うわよ」
「じゃあもし仮に優勝したとして、賞品はどうするんだ?」
 にこやかに会話していた綾香が一転、表情が消える。
 朔の体感気温がとたんに下がった。
 なんだかとんでもない失言をしてしまったような気がする。
 冷や汗が何故か止まらない。
「………………別にどうもしないわよ。姉さんとでも行くことにするから」
「あ、ああ。そうか……」
 言葉が途切れる。
 ギスギスした空間から逃げるように、朔はこれからテニスコートで練習する旨を伝
え、落ち着かない様子で道場を後にした。
 ダブルスではチームワークも必要だから、部活が終わった後でも余力があるような
ら来るようにと言い残して。

「……バカ」
 その背を見送りながら、綾香はささやくように呟いた。
 それが誰に向けられるべき言葉なのか迷いながら。 



 それからしばらくのあいだ、放課後綾香の姿はテニスコートで見かけられるように
なった。
 やるからには中途半端にしたくない。
 そう言って坂下好恵を納得させ、部活を休んでテニスの練習に没頭したのである。
「ちょっとゆーさく! 動きが鈍いわよ。さっきのはちゃんとフォローに入らないと
だめじゃないの」
「そう言われてもな、こっちは素人なんだから……」
「それで相手が手加減してくれるんだったらそう言い訳しときなさいよ! 大会でわ
たしの足引っ張りたいんだったらね!」
「……そうならないよう努力する」

 チームワークに不安を残しつつ、大会への準備はまがりなりにも整いつつあった。



「そういえば、結局わたし達をエントリーさせたのって誰だったのかしらね?」
「さあ?」





綾芽「パパとママはベストカップルなんだから、優勝間違いなしよね!」 ← 犯人


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朔 「なんか突発的に書き始めたにしては、妙に時間がかかってしまった……。何が
  まずかったのだろうか?」
綾香「賞品をどうするか……じゃないの?」
朔 「そうだな。こういう景品が出た時、喜び勇んで参加するか、それとも参加する
  ことを躊躇するかのどちらかだと思うが……俺はどっちかっていうと後者だから
  なぁ」
綾香「………………」
朔 「………………」
綾香「………………」
朔 「…………………………仲が進展してないのも原因の一端だと思うが(ボソッ)」
綾香「するの?」
朔 「さあ?」

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お・ま・け

 彼は苦悩していた。
 放課後、夕日が射す中庭のベンチでひざの上に猫を乗せ、頭を抱えんばかりに。
「どうすればいいんだ……」
 呟きにも力はない。
「どう……戦ったらいいんだ?」
 この世の中で戦いを生業とする人間には、二種類あると彼は考えていた。
 すなわち武闘家と兵法家である。
 対峙した瞬間から戦いを始める者と、戦うと決まった瞬間から戦いを始める者。
 彼は後者だった。
 ずるい卑怯は敗者の戯言。
 そう断言してはばからない人物だった。
 なのに……。
「闇討ちも裏工作も駄目なんて! いったいどうやって戦えばいいんだ!!」
 そう叫んで、彼は夕日に泣いた。
                                     完