Lメモ私的外伝8「悪夢解放」 投稿者:ハイドラント
【現在…強化人間戦役の数か月前。学園の一室】


  その一言で――
  俺は、心の壁を剥ぎ取られた。
「…もう一度言ってみろ」
  普段は無表情に保たれている自分の顔が、不信感と奇妙な怒りで歪むのが分
かる。
「俺の耳は調子が悪いらしい……良く聞こえなかった」
  口調が変わっているのも自覚した。
『俺』。昔の仲間の前以外では、『私』という一人称を使うようにしていた事
も忘れる。
  目の前にいる、この男――その年齢からは考えられないほど、大柄で強靭な
肉体を有するこの男の、一言で。
  彼は嘲るような、哀れむような眼差しで俺を眺めていた。
  その口が、再び重々しく開く。
「……柏木賢志は死んだ」
  吐き出された言葉が、俺の耳から脳に侵入した。
  …死んだ。
  誰が?
  …柏木賢志。
  俺の先生。
『塔』で、久々野彰と、柏木梓と、来栖川綾香と、俺と、そしてRuneを育
てた教師。あらゆる能力において人間の限界を極めていた男。
  その柏木賢志が死んだ…この男はそう言っている。
「ざけんなっ!」
  俺は彼の胸座を掴んで喚き散らした。
「先生が……死んだだと!? 寝言言ってんじゃねえよ、ボケ爺いが!
  先生なら、この学園の校長室でふんぞり返ってるだろうが!
  あれは何か? 影武者だとでも言うのかよ?」
「かもしれぬ。」
  男は平然と言うと、俺の手を片手であっさりと引き剥がした。
「…っ!」
  俺の右手首を掴む手の万力のような力に、思わず顔を歪める。
「その辺りの事は、別の者が調査中だ。君も良く知っている少年だ……」
  そう言って、奴は手を離した。
  そして乱れた襟を直しながら、どこか面白そうな口調で続ける。
「だが少々意外だったな、ハイドラント。君がそれほど動揺するとは。
  君にとっては、もうどうでもいい事なのだろうと思っていた……捨てた教室
の教師の事など。」
「…捨てた……?」
  俺が捨てたんじゃない、俺が捨てられたんだ――
  そう言いかけて、やめる。
  自分が惨めになるだけだ。
「いずれにせよ、柏木賢志が死んだ事は事実だ。『塔』の中でも疑う者は多い
がね……私は事実だと保証する事が出来る。」
「……何故だ?」
「簡単な話だ。彼は、私が――」
「……!!!」


  奴は話を続けた。
  Runeあたりに言わせると、「典型的な『塔』の教師口調」ということに
なる、冷徹な口調で。
  普段の奴の馬鹿丁寧なそれとは似ても似付かぬ、傲慢な口調で。
「そう言う訳で、我々『塔』は君に任せる事にしたのだ、ハイドラント。
  最初は久々野君に期待したのだが、まあ、彼は……」
「……」
「『美咲の楼閣』の一件で、彼は舞台から退いた。魔術を失ってな。
  君はその代わりと言う訳だ。だが他にも理由はある」
「……」
「君は、彼から遺産――そう、『遺産』だ――を授けられているはずだ。
  それはおそらく、計画を進めるにあたり極めて有用なものであると、私は推
測している」
「……?」
「心当たりがないかね? 確かに君の身辺を調べてみた所、それらしい物は見当
たらない。
  柏木賢志は、君に遺産の場所を教えた――だが君は、まだそれを受け取って
はいない。そうではないのかな?」
「……!」
「今度は心当たりがあるようだな。ならば、すぐに受け取りに行くことだ。
  そして、直ちに計画を始めてもらう。」
「………」
「第二次強化人間計画――ダスト・リーフ計画を……」


  外に出た俺を、土砂降りの雨が迎えた。
  雨は好きだ。
  雨粒が地を打つ音を聞いていると、妙に心が浮き立つ。
  ……だが今は、鬱陶しさしか感じない。
  水滴の跳ねる音が、黒革のジャケットが雨を受けて重くなってゆくのが……
ひたすらに煩わしい。
「……」
  その中を、俺はのろのろと歩き出した。
  一歩歩くたびに泥が跳ね、服を汚す。
  ……野良犬のようだ。今の自分をそう評して、俺は笑った。




                           Lメモ私的外伝8




  記念すべき、Lメモ十作め〜。
  結構書いたなあ…。これでもまだ久々野さんの半分だけど。
  今回は、強化人間編の延長線上にあるLメモ悪夢編のプレストーリー。
  この話の「現在」は、前回の私的外伝7よりも前になります。
  …ああ、例によって自己中な話だ…。




                             「悪夢解放」




【現在…あれから一時間後。賢志邸付近の街道】


(尾行が付いてやがるな……)
  豪雨の中を歩きつつ、俺は内心で舌打ちしていた。
  学園を出てからずっと、二つの気配が俺の後を着かず離れず追ってくる。
  奴の部下と見て間違いなかろう。
(どうする……?)
  今後の事を考えれば、ここで事を荒立てるのは得策ではない。
  かと言って、このまま奴等を「遺産」の元まで案内してやるのも癪だ。
  ……決めた。
「プアヌークの邪剣よ!」
  俺は唐突に魔術を放った。
  光熱波が、尾行者達の潜んでいた木陰を打ち砕く。
  その一瞬前に、二人の尾行者は飛び出していた。
  黒焦げになって倒れた木を背後に、俺と奴等が相対する。
(さて、どうする?)
  俺がこういう行動に出た場合はどうするべきか、奴等は指示を受けている筈
だ。素直に撤退すればよし、さもなくば……。
  全身を漆黒の服――俺と同じ、『塔』の暗殺者のスタイル――で包んだ二人
は、すぐさま懐から大振りのナイフを引き抜いた。
(さもなくば、死なない程度に叩きのめす!)
  俺は僅かに腰を落とし、足を開いて構える。
  奴等の行動は素早かった。
  一人は俺の右側面に回り、もう一人は魔術の構成を編み上げる。
「風よ!」
「タマンカマの玉よ!」
  衝撃波を防御障壁で受け止め、次いで右から飛んできた刃を仰け反って躱す。
  俺はそのまま右側の敵に密着すると、掌底の回し打ちを顔面に放ちながら足
首の間接を踵で踏み抜いた。
「!」
  掌底は躱したものの踵の踏み蹴りを受け、バランスを崩す。
  だがそこに、もう一人がナイフで突き掛かってきた。
「ちっ!」
  俺は腕をかいくぐるようにして躱し、そのまま背後に回る。
  即座に後頭部に拳を打ち込もうとしたが、暗殺者は咄嗟に前方に転がり、俺
から離れた。
「プアヌークの邪剣よ!」
「盾よ!」
  追い討ちで放った魔術は、しかし既に体勢を立て直していたもう一方の暗殺
者の魔術で防がれる。
(流石に楽じゃねえな、『塔』の正規の暗殺者を相手にするのは……)
  だが、余り手間取りたくはない。人に見られれば面倒な事になる。まあ、人
目につくと困るのは向こうも同じだろうが……。
  多少リスクは背負うが一気に勝負に出るか、と俺が思った時。
「……何やってんだ? ハイドラント……」
  思ったそばから人が現れた。しかも知り合いである。
「爆音がしたから来てみれば……何なんだ、そいつらは?」
  悠朔。
  少し離れた所で、綾香をめぐる恋敵とでも言うべき男が、傘を差しながら怪
訝そうにこちらを見ている。
「悠、ちょうどいい所に来たな……」
  だが俺はこの際、これを僥倖と思う事にした。ただの一般人に目撃されたよ
りは遥かにマシだ。
  この男がどういう偶然でここを通り掛かったのかは知らないが、彼ならこの
状況では役に立ってくれる。
  何故なら……。
「……」
  二人の暗殺者は一瞬目を見交わすと、すぐに一方が悠へと飛び掛かった。
  ――そう。任務遂行中の暗殺者が、目撃者を見逃す筈はない。
「なんだっ!?」
  悠は傘を投げ捨てながら、飛びすさって刃を避けた。
  いつも携帯している木刀を構えながら、叫ぶ。
「ハイドラント、こりゃどーいう事だっ!」
  俺は答えない。
  その時俺は、悠の登場で暗殺者が見せた一瞬の隙に、敵の懐へと飛び込んだ
所だった。
「光よ!」
  咄嗟に呪文を叫び、光熱波を放つ暗殺者。
  俺は地を這うかのように体を沈み込ませてやり過ごし、スライディングタッ
クルの要領で相手の足を刈った。
「!」
  たまらず転倒する。
  地に沈む暗殺者と入れ替わるようにして俺は立ち上がり、そのまま相手の鳩
尾に蹴りを叩き込んだ。
「がっ!」
  短い悲鳴を上げ、暗殺者が悶絶する。
  死にはしないだろうが、これではもう動けまい。
  俺は暗殺者が戦闘能力を失った事を確認すると、すぐさま走り出した。
  無論、悠を助けに――行った訳ではない。
  彼がもう一人の暗殺者を引き受けてくれている間に、とっとと目的を果たし
に行くに限る。
「悠、頑張れよ!」
  誠意のないエールを残して、俺はダッシュでその場から離れた。
  背後から罵声が飛んできたようだが、雨音に阻まれて俺の耳には届かなかっ
た。


「殺す。殺してやる。あの男だけは絶対に殺し尽くしてやる……」
  暗殺者と対峙しつつ、悠は呪詛の言葉を呟いていた。
  所用で出掛けた帰り、突然聞こえてきた爆音に、好奇心を刺激されてそちら
へ向かってしまったのが運の尽きだった。
  結果、こうして訳も分からず、プロの暗殺者と戦う羽目になっている。
「光よ!」
  暗殺者の放った魔術が、身を仰け反らせた悠の肩を掠め過ぎていく。
  敵は間違いなく彼を殺すつもりだ。
(とにかく、今はやるしかないか!)
  肩の火傷に顔をしかめながらも、悠は腹を決めた。
  木刀を右上に大きく構える。
  ジゲン流のトンボに近い構えだ。
「ちぇあっ!」
  気合と共に一瞬で間合いに踏み込み、木刀を打ち下ろす。
  風を裂く打撃を、暗殺者は紙一重で躱した。
  だが刹那の間も置かず、悠の木刀は下から上へと跳ね上がる。
  流派によって、「龍尾」「虎切」などと呼ばれる技だ。
  上段からの切り下ろしから即座に切り上げに繋げる、動き自体は単純な技で
ある。この技の使い手は、最初の一撃をフェイントにし、二撃目の切り上げに
勝負を賭けるのが普通だ。その為最初の一撃をフェイントだと見切られると、
簡単に崩される。
  だが悠は、両方の打撃を必殺の威力で放って見せた。並の技量で出来る事で
はない。
  暗殺者は咄嗟にナイフで受け止めようとしたが、抗しきれずに弾き飛ばされ
た。
  追いすがって打ち込もうとした悠からバク転で逃れる。
  悠は更に追い込もうとした。
  しかし、相手もプロの暗殺者である。体勢を立て直すのは早い。
「風よ!」
「ぐっ!」
  暗殺者が放った衝撃波の直撃を受けた。
  全身に凄まじい振動が走り、内臓がひっくり返ったような感覚すらある。
  が――
「な……」
  彼は、倒れなかった。
「なめるなあっ!」
  絶叫で痛みを吐き出し、大きく踏み込んで木刀を薙ぐ。
「!?」
  悠が倒れる事を予想して次の魔術を編み上げていた暗殺者は、完全に不意を
打たれた。
  それでも辛うじて躱したあたりは、さすが『塔』の暗殺者である。
  だが、そこまでだった。
  横薙ぎに振られた悠の木刀はそのまま頭上に回され、凄まじい加速とともに
暗殺者の頭に振り下ろされた。
「がっ…」
  鈍い音が響き、暗殺者の体が泥濘の中に沈む。
「……どんな事情があったのかは知らないけどな……喧嘩を売る相手は選んだ
方がいいぜ。覚えときな」  
  荒い息をつきながら、もはや動かない暗殺者の姿を見やり、悠はにやりと笑っ
た。



【過去…二年前。爪の塔】


「なぜ、お前はそこまで力に固執する?」
  先生は、いつも通りの無造作な口調で、俺に問い掛けた。
  先生――いや、もうそう呼ぶのは適当ではないかもしれない。
  今の俺は吉川教室の教室長代理であり、柏木教室の教師を先生と呼ぶべき理
由は無かったからだ。
「殴り合いが強いとか、人の殺し方がうまいとかいう事が、人間としての価値
を高める要素になるとでも思っているのか?」
  黙っている俺に、先生は――柏木賢志は続ける。
「だとしたらお笑い種だ」
「……俺が……」
  ようやく口を開いた。
「俺が力を求めたのは…あんたの期待に応えたかったからだ、先生……」
「……」
  自分の声が、段々と小さくなっていくのが分かる。それでも俺は続けた。
「あの時――先生が俺を拾った時、俺は、これからの人生で、誰かに必要とさ
れる生き方をしたいと願っていた。
  そこへあんたが声をかけた。ハイドラントという名前を俺に与え、そして俺
をその名にふさわしい人間にすると言った」
「覚えている……」
「俺はそれを、切り札として育てる……そういう意味だと思った」
「……」
「だから……だから、誰にも負けない最強の力を欲したんだ……俺は……」
  言葉の最後は、かすれるようにして消えた。
  沈黙の帳がおりる。
  俺は唇を噛み締めて、ただ立っていた。
  先生は、しばし無言で俺の顔を見詰めていたが、やがて長く嘆息すると、視
線を逸らした。
「……私は……」
「言うなっ!」
  俺はいきなり叫んだ。彼の言葉を遮って。
  先生から――他人の口から、それを言われたくはない。
  せめて自分の口でそれを言う事が、俺に残された最後のプライドを守る唯一
の方法だった。
「分かってる――分かってたんだ! あんたが俺をそんなつもりで育てたんじゃ
ないって事は!
  いや、途中まではそうだったのかも知れない。だが、俺があんたの期待には
応えられない事が分かってからは……俺よりも切り札としてふさわしい、あの
Runeが現れてからは、俺の役目は変わった。
  ハイドラント――火事の時にだけ必要な男。それは変わらない。変わったの
は火事の意味だ。
  なんらかの理由で柏木教室のメンツが欠けた時、その穴を埋める男……つま
り、代用品……。
  あんたは俺を――彰の、梓の、綾香の、Runeの、代用品に仕立て上げよ
うとした――そうだろう!?
  俺という失敗作を、そうして再利用しようとしたんだ、あんたは!」
  俺はそこまで、畳み掛けるように一息で言った。
  椅子に座ったまま驚いた様子も見せない先生を、精一杯の虚勢で睨み付ける。
  彼はいつもの無表情のまま、手を顎の下で組んでいる。
「……それが、私の許を飛び出し、吉川教師の所へ行った理由か?」
「……」
  俺は答えない。
  それが最大の理由であったことは確かだ――が、それだけではない。
  だが、そんなことをいちいち説明したくはなかった。
「あの男は他人を巻き込んで破滅するタイプの人間だ。私としては関わり合い
にならないことを奨めるね。」
  さほど誠意の感じられない、忠告めいた台詞を言う先生に、俺は無性に苛立
ちを感じた。
「……何でそんなに平然としてるんだ」
「…?」
「不思議そうな顔をするな! 分かってるんだろう、俺が吉川の阿呆に何を言わ
れてここに来たのか! 昔話をする為じゃねえ!
  少しは警戒するなり何なり、人並みの事をしてみせろ!」
  理不尽な怒りに任せ、俺は喚き散らした。
  それでも先生の鉄面皮は揺るぎもしない。
  ただ静かに、冷たく、俺を見ている。
  ……泣きたくなった。どうしようもなく、自分が惨めに思えた。
  そして、先生が、ぽつりと言った。
「お前には私は殺せんよ。」
「……」
  その声は、自信に溢れていた訳ではない。こちらを嘲る響きもない。
  先生の言葉は、何の感動もなく、ただ客観的な事実を述べたに過ぎなかった。
  俺とて、そんなことは承知している。
  だが――俺は、引き下がる訳にはいかなかった。
  他に方法はないのだ。柏木賢志の支配下から逃れるためには。だから吉川の
甘言に乗った振りをしてここに来たのだから。
「……う……」
  魔術の構成を編み上げる。
  単純で……そして攻撃的な魔術の構成を。
  先生は――
「……」
  いつも通り――平然としていた。
「……うおおおおおおっ!」
  無意味な叫びの声を媒体に、魔術を解放する。
  不可視の衝撃波が、先生に向けて放たれた。
  それは机に直撃し、木っ端微塵に打ち砕いた。
  破片と埃が舞い、俺と彼の間の視界を塞ぐ。
「……」
  そして、再び視界が開けた時――無傷の先生が、そこに立っていた。
  どうという事もなく……静かに、俺を見据えている。
  もとより、今の一撃で仕留められるとは思っていない。俺は既に次の魔術の
準備を始めている。
「…………」
  息を吸い込む。限界まで、深く大きく。
  再び魔術の構成を編む。
  先程のものとは違う……複雑で、攻撃的と言うより破壊的な構成。
  俺に使える最大級――制御できる範囲では――の魔術。
  極限まで魔力を増幅し……そして、解き放つ。
「……ガディムの叫びよぉぉぉおおおおおおおオオオオオオオオオオ!!!!」
  吸い込んだ息を全て吐き出し、魔術を発動させる呪文を絶叫した。
  その声は、俺の息が切れた後も消えず、どころか爆発的な勢いで音量を増し、
凄まじい轟音となり……
  そして、人間の可聴域を超え……
  物理的な破壊のエネルギーと化した。


「どぅあああああああっ!?」
  突然響いた轟音、そして一瞬遅れて襲ってきた凄まじい振動に、Runeは
危うく横転しかけた。
  が、優れたバランス感覚にものを言わせ、なんとか踏みとどまる。
  今まさに彼にハイキックを放とうとしていた葵は(戦闘訓練中だったのだ)、
数メートル程も転がった。
  ……振動は十数秒ほど続いてようやく収まった。
「大丈夫か、葵」
「は、はい……」
  Runeは葵に手を貸して立たせてやりながら、辺りを見回した。
  体技室の中は酷い有り様だった。固定されていなかった備品は殆ど全てが横
倒しになっている。
  窓際にあった花瓶は床に落ち、砕けて水と花を散乱させていた。
「何だよ、今のは……。落雷か?」
「魔術よ。おそらくね……」
  片膝をついて振動に耐えていた綾香が、立ち上がりながら言う。
(そう……今のは魔術による爆発……)
  だが、破壊の規模が尋常ではない。この体技室はどうやら爆心地からは離れ
ていたようだからこの程度で済んでいるが、直撃を受けた場所は凄まじい様相
を呈しているであろう事が容易に想像出来た。
  久々野彰と柏木梓が卒業した今、この『塔』でこれだけの破壊的な魔術を扱
える者と言うと、彼女には二人しか心当たりは無い。
  一人は柏木教師。もう一人は……
「……」
  綾香は突然走り出した。
「綾香!?」
「綾香さん!」
  Runeと葵の声を背中に聞きながら、体技室を飛び出す。
  廊下を駆け抜けながら、綾香は小さく毒づいた。
「……あの、馬鹿!」


  ぜえ、ぜえ……
  限界近くまで高めた魔力を一気に放出したため、激しく体力を消耗し、俺は
荒く息をついていた。
  柏木賢志の私室は、もうない。
  残っているものと言えば床板の残骸くらいで、あとのものは全て粉々に砕け
散っていた。
  天井も、壁もない。曇り空と外の風景が良く見える。
  この部屋を中心に爆裂した破壊力の余波は、ほぼ『塔』全域に及んでいた。
建物の残骸や、立ち上る煙――出火したらしい――やらが、あちこちに見える。
  破壊音波魔術。
  ブラスト・ヴォイスとも呼ばれる、攻城戦術級に分類される魔術。俺にとっ
ての切り札の一つだ。
  物理的な圧力をも備えた超音波に耐えられる人間などは存在しない。並みの
魔術で防げるようなものでもない。
  だが――
  俺は黙って、彼を見た。
  魔術が発動する前から、一歩たりとも動いていない彼を。
「……」
  柏木賢志は、立っていた。
  教師の地位を示す黒いローブはずたずたに裂け、あちこちから肌が露出して
いる。
  だがその肌には、傷一つ見受けられない。
  ……防いでいたのだ、彼は。あの破壊を。
  切り札を使ってさえ、先生の服を一着駄目にするくらいが関の山なのだ。
  俺は声もなく、表情もなく、ただ黙って彼を見ていた。
「……お前には、私は殺せん」
  彼は静かな口調で、再びそう告げる。
  ――そう。
  それが、現実だった。
  俺がいかにあがこうと、先生を殺すどころか、傷をつけることも出来ない。
  既に知っていた現実。
  今、証明された現実。
  そして、これから繰り返される現実――
「……Fuuuuuuu…………」
  俺は特殊な呼吸を始めた。
  彼女に習った、力を高めるための呼吸法。
  俺の心の中で、どす黒い何かがうごめく。
  収束したエネルギーが……俺の手の中で、漆黒の炎に転じた。
「!?」
  先生の頬が、驚いたようにぴくりと動く。
  彼にこの力を見せるのは初めてだった。
『神威のSS』
  EDGEという少女が、俺に伝授した技。
「黒い牙!!!」
  俺は炎を投げつけた。
  黒い火炎が、先生に向かって走る。
  そして――
  ……炎が先生に届くより早く、俺は攻撃の結果を脳裏に描いていた。
  変わらず、無傷で立っている先生の姿を。
  この力でさえ、先生にとっては驚く程度――気の利いた手品と同じ程度のも
のでしかないのだろう。
  迫り来る炎に向けて手を翳す先生を見つつ、俺は絶望的に笑った。


「……あの爆発は事故だって、先生は執行部に報告したそうよ」
  医務室のベッドに横たわりながら、俺は傍らの綾香の言葉を聞いていた。
  全身、包帯と湿布まみれである。
  瓦礫の中でぼろ雑巾のようになって転がっていた俺を、綾香が見つけてここ
まで運んでくれたのだ。
「そうか……」
  ……綾香は気付いているようだ。その爆発が俺の魔術によるものだと。
  俺は身じろぎしようとした。
「くぁ……」
  その瞬間、全身に走った激痛に顔が引き攣る。
  数秒の間、俺は動かぬまま悶絶した。
  綾香が呆れたように溜め息をつく。
「一体何で、こんな馬鹿な事をしたわけ?」
「……何の事さ?」
  俺はとぼけようとしたが、無理だった。
  綾香はとかくカンが鋭い。
「先生に挑んだんでしょう? 勝てるわけないじゃない。」
「……分かってるさ、んなことは……」
  俺は不貞腐れたように答えた。
  綾香は更に追及してくる。
「じゃあ、何故? 吉川教師の命令? あんな奴の言う事を素直に聞くような男
じゃないでしょ、あなたは……」
「……」
  柏木賢志の掌から飛び出すためさ――
  その答えを、俺は口にはしなかった。
  綾香に言っても、おそらく分からないだろう。
「……変わったわね……」
「?」
  その言葉は、唐突だった。
  俺は辛うじて首だけ彼女の方に向ける。
  だが綾香は俺から目を逸らし、言葉を続けた。
「あの日……高橋教室が全滅したあの日から……あなた、変わった。」
「……」
  あの日。
  魔王を名乗る少女・風上日陰が俺の前に現れた、あの日。
「別に変わってないぜ……」
「変わったわよ」
  断言された。
  彼女に隠し事は難しい。分かっていた事だ。
  あれ以来、確かに俺の心はどこかおかしい。
  どこがどうとは言えないが、何かが変わりつつあるような……歪みつつある
ような気がする。
  綾香はそれを感じ取っていたらしい。
「分かるわよ、それくらい。長い付き合いだもの……あなたがここに来た時か
らの……」
「ああ……」
  そうだ。俺が来た時、彼女は既にここにいた。
  この、特殊なエリート養成施設『爪の塔』に、来栖川財閥の令嬢であるはず
の彼女が。暗殺者を養成しているようなこの場所に……。
「綾香……」
  俺の呼びかけに、綾香は視線をこちらに向けた。
「なに?」
「お前は何故、『塔』に――」


『餞別をやる』
  地に打ち倒された俺に、先生が投げかけた言葉。
『私の屋敷は知っているな。そこの地下室へ行け』
『奥に封印の掛かった部屋がある。お前にだけ解ける封印だ』
『そこにある物をお前にやる。受け取るかどうかは自由だがな』
『それを見れば――』
  俺に背を向け、歩き去りながら、先生は最後に言った。
『それを見れば、来栖川綾香が『塔』に来た――来させられた理由が、分かる
かも知れんな』


「……」
  来たんだ、と言いかけて――俺は言葉を詰まらせた。
「『塔』に……何?」
「いや……」
  訝しそうな綾香に、俺は首を振った。
「何でもない。……疲れたから、少し寝る」
「そう……」
  綾香は立ち上がった。
「じゃ、わたしは行くけど……おとなしくしてなさいよ」
「……動きたくても動けねえよ」
「それもそうね。」
  くすりと笑う。
  ドアを開き、廊下に出ようとして……ふと、思い付いたように言った。
「……先生に正面から盾突いたのはあなたが初めてね、ハイド……」
「――!」
  俺は思わず綾香を見直す。
  だが既に、彼女の姿はドアの向こうへと消えていた。



【現在…悠朔が暗殺者と戦っていた頃。生徒会室】


「……と、言う訳だ」
  月島は彼に説明を終えると、椅子の背もたれに身を預けた。
  外は雨、電気もつけていないため、部屋の中は昼間だというのに薄暗い。
「なるほど……」
  彼――beakerは、納得したように頷いた。
「そういうことなら、分かりました。協力をお約束します。」
「有り難い。」
  月島は満足げな笑った。
「で、具体的な協力内容だが……」
「第二購買部における武器の販売状況を、定期的に連絡すればいいんですね。」
「その通り。」
「情報という商品を扱うのは初めてですよ。」
  肩を竦めて見せるbeakerに、月島はやや意外そうな表情を浮かべた。
「そうなのか? 君ほどの商売人なら独自の情報網くらい持っているだろうに。」
「無論、持っていますよ。でも――」
  来客用の椅子から立ちつつ、beakerは冗談めかして言った。
「情報っていうものは、独占してこそ価値がある。そうは思いませんか?」



【現在…あれから三十分後。柏木賢志の私邸】


  数年ぶりに見る柏木賢志の屋敷からは、人の気配が全く無かった。
  昔、一度だけ見た時とは違う――いや、あの時も人の気配など無かったが、
それでもどこか暖かみのようなものがあった。中に人がいようといまいと、主
を持つ家であれば必ず感じられる、あの暖かみが。
  今、この屋敷は冷たかった。
「……」
  俺は門を押し開くと、中に足を踏み入れた。
  荒れ放題の庭を抜け、玄関に入る。
「……?」
  ふと、俺は気付いた。
  ごく最近、誰かが入ってきた形跡がある。
  ――それは先日久々野がここに来た時のものであったが、無論俺は知る由も
無かった。
  余り気にせず、俺は土足のまま屋敷の奥へと向かった。
  埃だらけの廊下を、泥にまみれた靴が汚す。
  降りしきる雨の音が、僅かに聞こえてくる。
  ……目的の場所には、すぐに辿り着いた。
  重厚な扉の前に立つ。
「……」
  俺は一瞬、ノックをしそうになり……そんな自分に苦笑し……それでも何故
か、無意識に拳で扉を打っていた。
  返答は――ない。当たり前だ。
  俺は数秒待ってから、扉を開いた。
  黴と埃の匂いが鼻を刺す。
  書斎は完璧に整理整頓された姿のまま、埃に埋もれていた。
  その奥の机に――彼は、いた。
「来たぜ、先生……」
  俺は静かに呼びかけた。
  彼は何も答えない。
「愛想がねえな……可愛い生徒が餞別を受け取るために出向いてきたんだ、気
の利いた台詞の一つも言ってみせろよ……」
  俺は笑いながら――涙が流れているのを自覚しながら、なおも話し掛けた。
  椅子に腰掛け、虚ろな眼窩で俺を見詰める、その骸に。


  本棚の後ろの隠し扉を抜け、長い階段を降り、俺は地下室に来た。
  目の前には、奇妙な紋様の描かれた壁がある。
「……」
  俺は右手の親指の腹を噛み破り、血の溢れる指を紋様の中心に押し付けた。
  ゴゴゴゴ……。
  地響きを立てて壁が沈んでゆく。
  そして、その向こうに現れた部屋は――
「……なんだ、こりゃ」
  有り体に言って、怪しい研究室という感じの部屋だった。
  奇妙な形の道具や、得体の知れない標本のようなものが、所狭しと並べられ
ている。
  そして部屋の中央には、円筒形の大きな水槽のようなものが立っていた。
  深青色の液体で満たされた中に、一人の男がゆらめいている。
  その瞳は濁り、何も映していない。腐敗してはいないが、死んでいるのは間
違いないようだった。
「強化人間零型《始羅》……」
  水槽に貼られたレッテルには、先生の字でそう書かれている。
(『強化人間』……?)
  俺は改めてその男を見た。
  良く見ると、それはどう見てもまともな人間とは言いかねた。
  額には角のような突起物。
  右腕はゴリラを思わせる巨大な豪腕であり、一方左手は腕こそ普通だが、そ
の爪は虎のように鋭く、下手な刃物よりはよほど殺傷力がありそうだった。
  その姿は、俺に漠然とした既視感を感じさせた。
(……紫音……)
  結城紫音。学園の一年生・結城光の体に宿る、もう一つの魂。
  正確に言うと、紫音が光に憑依する前に持っていた、彼の本来の肉体に似て
いる。
  三本の腕を有する、異常に強靭な肉体。
  目の前にいる男が、外見上それとどこが似ていると言う訳でもない。だが、
確かに同じ「匂い」のようなものを俺は嗅ぎ付けていた。
「……ん?」
  その時、部屋の隅にもう一つ同じような水槽があるのに気が付いた。
  入り口からは死角になっていて見えなかったのだ。
  近付いてみると、その中にも人が入っているようだった。
  その人間には、腕が三本あったり角が生えていたりという点は、特に見受け
られない。だが、見る者に与えるショックは「始羅」とやらと大して変わらな
いだろう。
  何せ、人間の上半身だけが、水槽の中をふらふら漂っているのだから。
  顔は長い真紅の髪に隠れて良く見えない。胸がわずかにふくらんでいるとこ
ろを見ると、どうやら女性のようだ。
「こっちは『強化人間壱型《皇華》』か……」
  俺は顔を良く見ようと、体を動かした――瞬間。
  力なくうなだれていた女の首が、何の前触れもなく、むくりと持ち上がった。
  瞳が真っ直ぐに俺を射る。
「!!!」
  俺の脳に、ハンマーで殴られたような衝撃が走った。
  生きている。これはまだ生きている。
  だが俺が驚愕したのはそんな事ではない。
  金色に輝く瞳を持つ、少女の顔。
  歳は十二、いや十三歳という所か。
  その少女は、髪と瞳の色さえ除けば、「彼女」によく似ていた。
  数年前であれば、同一人物かと思ったであろう。
「……綾香……」
  俺は呆然と、その名を呟いた。
  胸から上だけの少女は、俺の呟きに答えるように、その口から言葉を発した。
「あなたが……ハイドラント、ですか?」
  その声もやはり、綾香のもので――
  俺は言葉もなく、ただ頷く。
  すると、綾香は――いや皇華は、小さく笑った。
  儚く、悲しげに……。
「待っていました……ずっと。ずっと。ハイドラント……」


  それが――
  俺と、皇華との出会いだった。




                                Lメモ私的外伝8「悪夢解放」 END


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  というわけで、ハイドラントの欲望の象徴・綾香十三歳の登場です(笑)。
  ああ、とうとうやってしまった……。
  って、既に私的外伝7や光君の「心と絆」四話で登場していましたが……。

  Lメモ悪夢編、最初の予定とはだいぶ変わりそうです。
  死人は出ないかもしれない……。

  今回は剣術戦闘が書けて嬉しかったです(笑)。
  次はエルクゥ戦闘が書きたいかな……耕一あたりを主役にして……。