「ある夏の一日」 「暑い」 第二茶道部部室。 陸に上がったクラゲのような格好で、彼は万感の想いを込めて呟いた。 ダーク十三使徒の首長、ハイドラント。 彼は暑さに弱かった。 どのくらい弱いかと言うと、黒い服装をこよなく愛するこの男が、今はポリ シーを捨てて薄い水色の浴衣をだらしなく着崩しているというくらい弱いので ある。黒い服は熱を逃がさないので、夏場には向かない。 (でも、結構似合ってるよね……浴衣姿) むらさきはこっそりそう思っていたが、取り敢えず口には出さない方が良さ そうだった。 「現在の気温は34度。昨日より四度上昇しています。」 「そうなの? どうりで暑いと思った。」 と、これはハイドラントを団扇で扇いでやっている電芹と、川越たけるであ る。その後ろでは、 「暑い……暑すぎる。こんなのは不自然だ、バランスが乱れている。いかん、 このままではいずれ大破壊が起こる。一つの力が全てを支配してはならないの だ。白でもなく黒でもなく、全てを灰色で調和しなくては。ククク……」 と、虚ろな目をしたT−starが、生け花に向かってぶつぶつ言っていた りする。 熱が頭に回ってしまったらしい。 彼らを見回して――ハイドラントが得たものは、めまいだった。 無力感。 彼らの力もそうだが、ハイドラントの魔術も暗殺術も、いま彼の体力をじわ じわと削ってゆくこの敵に対して、あまりにも無力であった。 ……いや、違う。 (俺は……いつも無力だ……) 彼の力は、いつも彼の運命に対して抗う役には立たなかった。 この学園に来てから。 「塔」で学んでいた頃。 「塔」に来る前も……。 ハイドラントの脳裏に、過去の無力な自分の姿がちらついた。 馬の形をした提灯がその光景を次々と映し出している。 (そうか……) 唐突に、理解する。 「これが、死か……」 「……たかが暑さで、そこまで挫折しないで下さい……」 目を閉じて呟く彼に、たけるが困ったように言った。 「もうちょっと我慢して、お兄ちゃん。さっき弥生先生が……」 「お待たせしました」 むらさきが言いかけた時、ちょうど弥生が現れた。両手にお盆を抱えている。 その上には……。 「スイカかっ!!!」 ハイドラントは一瞬で無力感を跳ね飛ばし、がばと起き上がった。 「素晴らしい! スイカは人の生み出した灰色の調和の極みっ!」 同じく水をかぶったシーモンキーのように復活するT−star。 脳はまだ死んでるよーだが。 そんな二人に構わず、弥生は五つの皿を畳の上に並べていく。 無論、その上には五等分されたスイカが―― 「……あれ?」 五等分……と言うか。 四等分されたスイカと、そのあまり(ぺらぺら)と言うか……。 とにかく向こう側が透けて見えそうなくらい薄いスイカが、ハイドラントの 前に置かれていた。 「えーと……弥生さん?」 「何か?」 「いや、その……気のせいか、俺のがやけに薄いような……」 「そうですか?」 にっこり。 弥生は、笑った。 バックは一面の氷雪吹雪。 なんかここにだけ局地的に冬が到来しそうな微笑であった。 「気のせいでしょう。」 「……はい。僕の目の錯覚でした。」 無力感、逆襲。 挫けそうになるのを何とかこらえて、ハイドラントは周りを見回した。 「あはは、お兄ちゃん嫌われてるね〜」 「バランスが悪いな。まあこれは運命と思って諦めて下さい、首長。」 「あの……良かったら、私のをどうぞ。」 むらさき、T−star、たける。 「…………」 ハイドラントは、この状況で自分が取るべき行動を考えた。 1.運命と諦める。 2.おたけさんのを貰う。 3.それ以外。 COMMAND?> (3番) 彼は五秒で選択した。 「てい」 ごす。 カカト落としでむらさきとT−starを撃沈する。 「これで万事解決だな。」 「……そうなのですか?」 気絶した二人のスイカを奪うハイドラントに、電芹が疑わしげに呟いた。 「導師」 スイカを平らげて人心地ついたハイドラントは、自分を呼ぶ声に上を向いた。 上。天井裏からの声である。 「葛田か。」 「はい」 「……どーでもいいが、お前平気なのか? この暑いのにンな風通しの悪い所に いて……」 「はっはっは、お忘れですか導師」 ハイドラントの疑問に、葛田は笑って答えた。 「憚りながらこの葛田、昔コタツ売りの行商人として世界を回っていた頃は、 インドやサハラ砂漠にも足を伸ばしましたよ。この程度は暑さのうちに入りま せん」 「……売れたのか? コタツ……。まあいい、そんなことより、首尾はどうだ? 部室に冷房つけるための予算、生徒会から降りそうか?」 葛田は即答した。 「ダメでした」 「何故だっ!?」 「やっぱ、第二茶道部作る時にゴリ押ししたのがいけなかったんでしょーね。 『そんな金はない』と門前払い食わされました。」 「……それで、あっさり帰ってきたのか?」 「いや、僕もどうしようか悩んだんですよ、導師。でもどうしようもないなっ て思って。 ……あ、今のギャグ、分かりました? 『どうし』ようか、『導師』、『どう し』ようもない、と、三つも懸けたんですよ。プッ、ククッ……」 「プアヌークの邪剣よ!」 轟!!! 巨大な熱線が、屋根ごと葛田を吹き飛ばした。 そして―― 「……あ。」 直射日光が彼を照らしていた。 屋根がなくなったのだから当たり前である。 おまけに、辺りには熱波の余波が充満していたりする。 「ハイドさん……」 「周囲の気温、急激に上昇。」 「…………」 三人の視線が痛かった。 「えーと……」 汗を垂らしながら――暑さのせいではない――ハイドラントはこの窮地を乗 り切るための打開策を求めた。 段階を踏んで思考を進める。 一、大至急冷房を手に入れなくてはならない。 二、しかしこの炎天下の中を歩き回るのはイヤだ。 三……… 彼は解答を導き出した。 (他人にやらせる。) 「起きろ、むらさき」 「ふみゅ?」 ほっぺたを引っ張られ、むらさきが目を覚ます。 「任務だ、むらさき。大至急、冷房を調達してこい。」 「礼帽?」 「冷房だ。クーラー、エアコン。出来るだけ強力なやつな。」 「……お金は?」 「ない。手段は問わん、盗むなり強奪するなりしてこい。」 「えーと……」 「いいから……」 まだ寝惚けているむらさきの襟首を、魔術を編み上げながらがっしと掴む。 「とっとと、行かんかぁぁぁぁぁいっ!」 「ふにゃああああああああああっ!?」 魔術で軽くしたむらさきを、ハイドラントは空の彼方へ投げ飛ばした。 格闘部部室。 この暑さにも関わらず、いつも通り練習が行われている。 「はぁっ!」 「せいっ!」 今は綾香と葵の組み手の真っ最中だった。 突き。蹴り。時には間接技や投げ技も交わされる。 その激しい技の応酬を、窓の外から眺めている男が一人。 「うーむ……」 転入生、ディアルトである。 彼は冷や汗を垂らしながら組み手を見ていた。 (ほんとに女か? この人達……) 二人の技の凄まじさは、はっきり言って彼の想像を越えていた。 先日、綾香と立ち合った時は、彼は手加減して戦った。女は殴らない、とい うのが彼の主義だったからだ。 だが、どうやら綾香は、こちら以上に手加減していたらしい。 ディアルトは、もしあの時彼女と本気で仕合っていたらどうなったか想像し て、思わず身震いした。 親でも区別がつかないほどぼろべろにされた自分の姿が目に浮かぶ。 (一体どういう学校なんだ、ここは……?) 格闘部の前から立ち去りつつ、彼は胸中で唸っていた。 (外の世界では、みんな私のことを化物呼ばわりしたものだが……) 彼には、この学園の生徒達こそが化物に見えた。 彼らの中にいると、自分が無力な羊のようにすら思えてくる。 (……図書館の地下迷宮に行って修行してくるか。ひょっとしたら宝が見付か るかも知れないし……) 彼は知らない。 彼がよく行く迷宮の四〜六階辺りは、既に学園生徒達が荒らした後で、財宝 などこれぽっちも残っていない事を。本気で財宝を探したいなら、迷宮の五十 階くらいまでは潜らなくてはならない事を。そう、トレジャーハンターの沙留 斗のように。 が、彼はそれをまだ知らず、また知ったとしても、そこまで迷宮の奥深くに 行く事は不可能であったろう。 ともあれ、物思いに耽りながら図書館へと向かっていた彼に、声をかけた者 がいた。 「そこの君。」 「はい?」 彼が顔を上げると、見覚えのある男が歩み寄ってきていた。 セリスである。 「ああ……先日、いきなり襲ってきた人ですね。何か?」 「ふん……。普段は温厚な僕だが、さすがにマルチの前であんな醜態を演じさ せられては、笑って済ませる訳にはいかなくてね。 もう一度、立ち合ってもらおうか」 「やれやれ……」 ディアルトは溜め息をついた。 戦いは嫌いなのだが。 「どうやら、話を聞くつもりはなさそうですね……。」 彼はすっと構えると、先手を打ってセリスに飛び掛かった。 セリスの力は、先日戦った時に既に見切っている。 (本気でやれば、勝てる) 彼はそう確信していた。 彼は知らない。 先日、彼と立ち会った時のセリスは、頭痛・腹痛・腰痛・筋肉痛の四重苦に 苛まれており、まさに最悪のコンディションだったという事を。 親でも区別がつかないほどぼろべろにされたディアルトが通りすがりの男子 生徒(藤田浩之)に発見されたのは、それから三十分後のことだった。 「涼しいですねえ……」 「そうですね……」 図書館の談話室。 冷房完備のこの部屋で、ひなたと美加香が思い切りくつろいでいた。 部屋の前には無数の生徒の骸(死んでない)が転がっている。 要するに、冷房を求めて集まってきた生徒で溢れかえっていた談話室を、実 力で占拠したのであった。 「こうしていると、何もかもが許せそうな気分になります……」 「そうですね……」 「『最近ひなたんを出してなかったから、ここらでてきとーに出しとくか』と か言ってるどこかの駄文作家のことも、遠い異世界の事のようです……」 「そうですね……」 「『弔歌編書けねぇ。東鳩SSもさっぱりだ。いっそのことみんな忘れて、生 まれ変わったつもりで新しい人生を歩もーか』とかほざいていても、市中引き 回しのうえ釜茹でしながら鋸引きの刑で許してやろうかって気になります……」 「そうで」 すね、という美加香の相槌は、 どごぉぉぉぉぉぉん!!! という、突然の破壊音にかき消された。 「…………」 「…………」 「けほ、けほ。……あ、こんにちは〜」 埃にせき込みながら挨拶してきた少女に、しかしひなたと美加香は無言だっ た。 突然壁を破壊して入ってきた大鎌少女に対する反応としては、まあ妥当なも のであったろう。 が、全く知らない相手ではなかった。 「十三使徒の、むらさきちゃん……?」 「はい、そーです。今日は冷房を強奪するために来ましたっ!」 美加香の言葉に、むらさきは元気良く頷くと、ちゃきっと大鎌を構え直した。 ゆったりとくつろいでいた時間をいきなり物理的に破壊され、しばし呆然と していたひなただったが、我に返ると頭を全速力で回転させ始めた。 十三使徒のむらさき。理由は不明だが、彼女は冷房を奪いに来た。 が、こっちとしては奪われたら困る。冷房完備の部屋は少ないのだ。 (なら、戦うか…?) だが相手は、十三使徒の最上位、四大使徒の一人である。「破壊の大使徒」 などという物騒な二つ名を持っていたりする奴だ。 戦って負けるとは思わないが、手を抜いて勝てる相手でもなさそうだ。だが この暑い時に本気の戦闘なんぞは願い下げである。 それに、相手は中身はどうあれ外見は青い髪の華奢な少女。勝ってもあまり 格好がいいとは思えない。 (なら……) チーン。 ひなたの鬼畜コンピュータは、三秒ジャストで解答を提出した。 「むらさきさん、こうしましょう。」 「ふに?」 大鎌を振りかぶっていたむらさきは、機先を制されてたたらを踏んだ。 「残念ですが、ここの冷房は渡す訳にはいきません。ですが、僕の部屋に予備 のクーラーが一つあります。それを譲るということで、どうでしょう?」 「えと……それ、強力ですか?」 「はい、冷却効果は抜群です。」 「じゃあ、それでいいかな……あ、でも、お金ないんですけど。」 「タダでいいですよ、もともと人から押し付けられ……いや、貰ったものです から。」 「ほんとですか? ありがとうございます〜!」 大喜びで礼を言うむらさきに、ひなたは内心でニヤリとほくそ笑んでいた。 そんな訳で、第二茶道部。 「これがそのクーラーですっ!」 「おお〜!」 むらさきが持ってきた段ボール箱を前に、ハイドラント達は思わず歓声を上 げた。 さっきまで乾き死にかけていたのだが、クーラーを前にしたらそれも忘れて しまったようである。 「よし、早く開けてみろ」 「はいっ!」 むらさきは頷くと、箱を開き、中の物を取り出した。 それは―― 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 何と言うか、見る者を硬直させる形をしていた。 「……あの……むらさきちゃん、これって……」 「はい、『千鶴クーラー』です。」 たけるの震える声に、あっさりとむらさきが答える。 『あの人』の上半身を象ったそのクーラー(?)を前に、手柄顔で説明を始め るむらさき。 「えと、このクーラーは電気がいらないんです。なんか魔法の品みたいで。 この前で、『年増!』『寸胴!』『偽善者!』って言うだけで、辺りが涼し くなるんだそうです。」 「…………」 「…………」 「ね、すごいでしょ、お兄ちゃん。褒めて褒めて♪」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 誰も――誰も、言葉を発しない。 にこにこしているむらさきと、『それ』を前に、ただ呆然としていた。 やがて、どこか心細そうに、弥生が呟く。 「取り敢えず……使ってみます?」 「……そだな。」 他にどうしようもなく、ハイドラントは小さく頷いた。 翌日、ハイドラントがストレス性胃炎で入院し、「千鶴クーラー」は燃えな いゴミに出された。 その後の消息は不明である。 一説にはジン・ジャザムの手に渡ったとも言うが、定かではない。 Lメモいんたーみっしょん3「ある夏の一日」 END *********************************** ハイド:とゆーわけで、いんたーみっしょん3でした。今回は、十三使徒の日 常編。 瑠璃子:それだけ? ハイド:……何が言いたい。 瑠璃子:いじめっ子。 ハイド:何の事かな。 瑠璃子:『いじめっ子、いじめっ子』 ハイド:…………。 瑠璃子:ハイドちゃん、電波届いた? ハイド:電波使ってまで言うな。んなこと。 それに、別にいじめた訳じゃないぞ。俺はむしろ、彼の失敗の後始末 をしてあげたつもりだが。 瑠璃子:『くそう、気に入らん。登場していきなり綾香やセリスさん相手に強 さを主張するとは。みんなが強さの主張というものにどれだけ心を砕 いているか、まるで知らんのかな。まあ、今回のLメモで憂さ晴らし はしたから、いいか。』 ハイド:…………。 瑠璃子:ハイドちゃん、電波届いたよ。 ハイド:俺が電波飛ばしたんじゃねえっ! お前が勝手に心読んだんだろうがっ! 瑠璃子:晴れた日は良く届くんだよ。 ハイド:意味不明だぁっ!