無数の情報、無数の現実、無数の真実、無数の他人、無数の自分。 認識は観る人格の数だけ存在し、その対象は一つであるにも関わらず捉え方はただ一通 りではない。 だがそうであるからといって、自分の認識した事実に疑問を持つことは得策ではない。 自分の中では常に自分こそが基準である。それを踏み外してはならない。 こと情報化社会においては何が真実であるか、それを保つのは難しい。情報はあちこち に転がっており、そのどれが『事実』に根ざしているかは分からないが、しかしあらゆる 情報はあまねく『事実』になりうるのだ。 噂、フォークロア、デマゴギー、情報操作そのいずれもが信じられた時点で真実となり、 逆に事実に根ざした情報も信じられなければ真実ではない。 現代情報化社会とはそうした場所だ。流されるまま情報を受諾していては、意に添わぬ 『真実』を押しつけられるかも知れない。 ではそこで何を信じればいいのか、何を基準とすればいいのか。 それこそが『自分』だと美加香は考えている。 認めたくないことだからといってそれから耳を塞いでも進行中の出来事は解決しない。 ならば、敢えてその認めたくない情報と対立してその出来事をねじ曲げればよいのだ。 その都合の悪い情報の価値判断を行い、現実に対して干渉することが出来るのはまさに 『自分』だけなのだ。エゴイストと呼ばれても構わない。 全ての人間を含む生物はエゴイストであり、勝ち抜き続けねば生きていけない。 だから、いつでも美加香は闘っていなければならないのだ。……現実と。 Lメモ外伝「電子の迷宮に竪琴は響かない」(4) ルーティはブレードを握り直し、ティーナを斬り裂くべく構えを取った。 黒いマント、黒いスーツという黒づくめの出で立ちでティーナはこちらを見据えている。 対するルーティは白いボディースーツを白い甲冑に身を包み、自ら輝くブレードを構え てティーナに相対する。 互いに同じ顔立ちで同じくらいの髪の長さ、違うのは髪と瞳、そして衣装の色くらいの ものであるのに与えるイメージは全く対照的だった。 その後ろでは複雑な表情のとーるが二人の対立を見つめている。例によって騎士姿なの だが、その顔は暗く迷いが見て取れる。 「ルーティ……君は本当に血を……いや、意識を分けた妹を斬るつもりなのか?」 とーるの言葉にルーティは小さく頷いた。 「あいつは妹なんかじゃない…責任をもってあたしが倒さなくちゃいけないんだ」 「……くそっ」 舌打ちするとーるに、冷水を浴びせるような冷たい声でティーナが言った。 「安心してとーるさん。ルーティの次は……あなたも殺してあげる。赤十字美加香の眷属 は全て抹殺するからね」 「何故だ!?何故そんなに美加香母さんが憎い、ティーナ!?」 ティーナはくすくすと笑ってとーるを見据えた。 「言ったでしょ?これは『裁き』なのよ。誰もあの女を糾弾しないなら……ボクがあの女 を葬ってあげるんだ!《冥王》の名においてね!!」 「ティーナ!?一体何が……」 「無駄よ、とーるさん!!」 ルーティは鋭い声でとーるの声を打ち切った。 「こいつといくら話しても埒はあかない。時間がないんだ……とっとと斬らせて貰う!!」 そう言い放ち、ルーティはティーナに向かって駆ける。 ブレードが煌めき、ティーナを叩き斬ろうとエネルギーが充填される。 だがティーナはそれに相対しようとはせず、大きく後方へと跳んで指を打ち鳴らせた。 「さすがのボクも戦闘モードのルーティの相手は出来ないからねっ!!代わりにこいつに 闘って貰うよ……ロゴス!!」 叫びと同時にルーティの前方の床が盛り上がった。あっと言う間に身の丈ほどにも膨れ あがったそれは、徐々にモーフィングを開始して人型へと変化していく。 そしてその変型が終了したとき、そこに立っていたのは……。 「D芹さん!?」 「馬鹿な!?D芹は外でジンさん達と闘っていたはず!?」 二人の声に《冥王》はくっくっと笑い声を上げながら言い放った。 「こいつはD芹を中心としたDシリーズの管理システム……いわばDシリーズの意識その ものだよ!!さあ、どうかな!?ボクは斬れても、これを斬ることは出来るかな!?」 「とことんまで姑息な……」 ルーティは舌打ちしたが、《冥王》は勘に障る笑い声を上げてD芹に指を突きつけた。 「姑息で結構!小細工を仕掛けられないお姉ちゃんが馬鹿なんだよ……あははははは!! さぁて、ロゴス!!ご主人様の命令だ、ルーティを殺せっ!!」 《冥王》が命ずると同時にDセリオは高速でルーティに走り寄って、スピードの乗った 拳でその腹を殴り飛ばした。 ルーティは抵抗できずに軽々と吹っ飛ばされる。それだけでDセリオ……ロゴスの力の 程は知れようというものだった。 「ルーティ!!」とーるは叫んでブレードを抜く。 ロゴスはそのとーるをも標的に入れ、冷徹な瞳を向けた。 《冥王》はくっくっと例の如く癪な笑い声を上げてもう一度指を鳴らす。 「さて、これからがショータイムだ!!赤十字、そこで娘と息子がなぶり殺されてゆくの を指をくわえて見守ってるんだね!!」 「またブロッキングされたぞ!!」誠治はキーを叩いて叫んだ。 美加香は舌打ちしてキーボードに触れようとするが、直前でその動きを止める。 「……いや……不可能ですね。さっきはわざと干渉の隙を作っていたけど……今度は本腰 入れてブロッキングを掛けてきました。今度は干渉不能です」 「だけどルーティととーるが!!……くそっ、ティーナにこんなバグがあったなんて…… このままだと二人が殺されるぞ!!」 誠治の言葉に、美加香はぴくりと肩を震わせた。 だが、即座にぶんぶんと頭を振って短く呟く。 「……大丈夫です」 「何でだ!?ルーティもとーるもDシリーズを斬れない!!機体なら壊されても治せるが、 電脳空間での破壊はプログラムの消滅を意味する!!このままだと死ぬぞ!!」 「………」 「マルティーナは構造的にバックアップがとれない仕様になってるんだろうに!!セリオ などの普通のHMなら、バックアップさえ在れば過去に戻って生き返ることもできるが… 彼女たちは異界から精神を呼び出しているから精神は一つだけ、過去の蓄積であるバック アップデータだけでは生き返れない!!とーるもバックアップがないはずだ、死ぬぞ!!」 美加香は悲鳴を挙げる誠治を静かに振り返り、微笑して呟いた。 「でも、大丈夫ですよ」 「だから何が!?」 「私は、あの子達を信じていますから」 「みかちょん!!」 誠治は頭を掻きむしって叫んだ。 美加香は目をルーティ側からマール側のモニターに向けて、その様子に見入った。 てぃーくんはゆっくりと身体を起こした。 マールはそんな彼を見てほっと息を吐く。自分は馴れているから良いが、てぃーくんは 元々電脳世界の住人ではない。少し心配していたのだ。 「てぃーくん、お早うございます」 「つつつ……あ、マール!?一体どうなったんだ!?」 その質問に、マールはちょっと肩を竦めた。 「さあ、それが私にもさっぱり……。ルーティ達とは違う場所に放り出されたことは間違 いないんですけどね」 てぃーくんは痛む身体を叱咤して何とか立ち上がった。別に異常はないようだ。 きょときょとと周囲を見渡すと、深い霧が周囲に立ちこめているのが分かった。その霧 の向こうに無数の石が並んでいるのが分かる。 一瞬何だろうか、と思ったがその正体に気付いててぃーくんはげっと呟いた。 それは全て墓碑だったのだ。 マールは大丈夫ですよ、と呟いててぃーくんの肩に昇った。 「ゾンビはブードゥー教だし兇屍は中国、ヴァンパイアあたりが臭いですけどアレはそも そも墓場に入ってませんしね。多分洋風の墓の下から死人は出てこないと思いますよ」 「あ、そうなんだ……」 てぃーくんはほっとして胸をなで下ろした。死者が甦ってこないなら恐れることは何も ない。 マールは目を細めて霊園を見渡すと、怪訝そうに額を叩いた。 「それよりもおかしいと思いませんか?ここは冥界、死者の眠る場所。本来墓場に入った 人がやってくる場所なのに……何で冥界に墓場があるんです?」 「あっ、そういえばそうだね」 てぃーくんの同意で自分の考えに漠然と正当性を見いだし、マールは霊園を見つめた。 「ここにはきっと何かがあります……てぃーくん、ちょっと辺りを調べてみましょう」 「うん、いいよ」 マールを肩に乗せててぃーくんは歩き出して行く。 途中石碑を見ながら進んでいったが、墓碑銘も何も彫られていないものが多かった。 中には人名と没年、墓碑銘が彫られているものもあったがその内容も支離滅裂だ。 『柏木 耕平 ???〜??? じじい、早く死ね』 『緒方 英二 R43〜 赤十字の次は貴様だ』 『荒井 中 R50〜R71 殺しに殺して20年、ついに自分が殺される』 てぃーくんは眉をひそめ、そんな石碑を眺めながら歩いていく。 「まだ死んでない人多いね。それに、聞き覚えがある名前の人もいるし」 「多分この《冥界》というのは《冥王》を名乗る人物の内的宇宙でもあるんですよ。その 中にある《墓場》とは、つまり心の中で死んで欲しいと思う人の名簿なんです」 「うぇっ……気持ち悪い」 てぃーくんは露骨に顔を顰めたが、マールは困ったように彼を見て言った。 「でも、そうした感情は誰にでもあるはずですよ。私にもてぃーくんにも、多かれ少なか れ生きている者全ての心の中にはそういった醜い部分があるはずです」 「マールちゃんにも?」 「当たり前です」 てぃーくんはちょっと意外だと思った。マールは裏も表もない、優しくのんびりとした 優等生だと思っていたからだ。 マールは言ってからちょっとため息をついて、周囲を見た。 「でもちょっと墓が多すぎる気もしますね……《冥王》は相当に猜疑心と瞋恚の強い人物 のようです。それから、墓碑銘も名もない墓があるでしょう?」 「うん、刻んである墓よりも多いよ」 てぃーくんは手近な墓碑をぺしぺしと叩いた。 「それはきっと、殺したけど名前を覚えてない人の墓ですよ」 「うわああああああああっ!?」 慌ててその手を離し、大きく跳びずさる。 てぃーくんはきょときょとと周囲を見渡して、ぞくりと身体を震わせた。 「嘘だろ!?《冥王》って奴はどんだけ人を殺してきたんだ!?」 「多分職業暗殺者だと思うんですけど……殺人淫楽症でもあったんでしょう。ほら」 マールは心なしげんなりした顔つきで墓の一つを指さした。 『貞本 ユリ R47〜R60 抵抗したけどヤりながら首締めたら静かになった』 てぃーくんはウッと呻いて口を押さえた。 「……ま、まさか……」 「多分……乱暴してそのまま殺したんでしょうね」 思わず地面にしゃがみ込み、てぃーくんは嘔吐感と必死に格闘した。 「ルーティが居なくて良かったです。まだ世の中の汚さを知らない子だから……」 見た目より世の中のことを知っているてぃーくんでさえ、吐き気を堪えるのに苦労した。 ここはとんでもない場所だ。てぃーくんはそれを初めて実感した。 「冗談じゃない、ここって墓がいくつあるんだ!?軽く百は越えてるぞ!?」 「そうです。そんな人が《冥王》で、しかも美加香さんを裁くって言ってるんですよ」 「確かに殺した数だけなら《冥王》かも知れないけど」 てぃーくんはこみ上げる不快感を押さえながら周囲を見渡した。 「ナンセンスな話だな。裁かれるべきは《冥王》の方だったってわけか」 マールは何も言わず、静かに黙祷を捧げた。 てぃーくんもそれに倣う。 しばらくの時間が流れた後、マールは顔を上げて呟いた。 「あれ?あそこに何かありますね」 「え、どれ?」 マールの指さす方を見ると、確かに一際大きな影が霧の向こうに見えた。 「本当だ、何かあるね」 「行ってみませんか?」 「うん」 Dセリオのミサイルが放たれ、へーのきを狙う。 それを必死にかわしながら、握ったラケットでへーのきはDセリオを狙った。 だがそれは一発も当たらない。スピードが鈍すぎる。 空振りの直後を狙って繰り出されたDセリオの蹴りがへーのきの身体をよろめかせた。 「ぐっ……!」 激痛に堪え、一歩踏み込んだへーのきはラケットを手当たり次第にぶん廻した。 ここでようやくDセリオの身体に一撃が入り、Dセリオの身体は軽く跳ぶ。 しかしその時点でへーのきは既に手痛いダメージを受けていた。 「D芹……!」 へーのきはごほごほと血の味がする咳をしながら、Dセリオを見つめる。 「どうすれば正気に戻ってくれるんだ……!?」 「無理だ……へーのき」 重症を負ったジンはゆきに応急処置されながら呻いた。 「俺が何度やってもダメだった……もうD芹を正気に戻す手段はない」 「ジンさん……」 「くそっ…くそっ!!ライバルにでかい顔されて俺が黙って引っ込むとは……情けねえ!!」 ジンは大地を殴りつけて全身を震わせた。 本当に悔しいのはDセリオに負けたことではなく、Dセリオを正気に戻せなかったこと なのだろう。元に戻すための手加減を加えなければまだ少しは闘えたはずだ。 (それにしても……) 風見は横目で秋山を見た。 ワイヤーでぐるぐる巻きにされたDマルチとDガーネットをじっと監視している。 (この人、遠慮なく潰したなぁ。まあ初めからハングさせるのが得策ではあったけど) 壊れていたらどうするつもりだったのだろうか。それとも絶対の自信があったのか。 やはり秋山登の思考回路は風見の理解を逸している。 「あ、お義父さん」 OLHは風見のところにやって来て、頭を掻きながら言った。 「おや、婿殿。どうしました?」 「いえ……ちょっと気になることがあるんですけどね」 そう言えばへーのきと一緒に来たにも関わらずOLHは何もしていない。 へーのき自身が一対一で勝負を付けるというので、手出しが出来ないのだ。 風見は首を傾げ、OLHを見返した。 「何です?何か不思議なことがあるんですか?」 「ええ……一体何故《冥王》とやらは笛音を巻き添えにしたんでしょうかね?機会を窺え ばマルティーナを三人とも捕まえることも出来たでしょうに……」 「えっ」 確かにそれは不思議ではある。非効率的だ。 だが風見にその答えが見つかろう筈もない。 「さあ……僕には分かりかねますね」そう答えるしかなかった。 そんなやりとりをしていると、背後で悲鳴が上がった。 「あああっ!!へーのきさんが危ないっ!?」 「何っ!?」 ゆきの声に慌てて振り返ると、へーのきがDセリオの討ちだしたミサイルの爆風を背後 から浴びて地面に倒れるところだった。 「へーのきさん!?」 倒れたへーのきにトドメを刺すべくDセリオがゆらりと歩み寄ってくる。 「危なーーーいっ!!起きて下さい、へーのきさんっ!!」 必死の応援にも関わらずへーのきは動く様子もない。 Dセリオは手刀を振りかざし、へーのきの心臓の位置に狙いを定めた。 「ダメだ、やられる!?」 「へーのきーーーっ!!」 一同の悲鳴が響く中、Dセリオの腕が振り下ろされる。 だがそのときへーのきは素早く左腕で跳ね起きて、右腕に握られていた物を投げつけた。 「デス鉄アレイーーーーーーーーッ!!」 「反応不可能!?」 へーのきのデスクラッシャーの応用技が発動し、鉄アレイが至近距離からDセリオへと 飛来する。 光をまき散らしながら突き進む鉄アレイはDセリオの胸に命中し、彼女の身体を高々と 吹き飛ばした。 「あれは僕の鉄アレイ!?そうか、わざと鉄アレイがある位置に倒れたんですね!?」 風見は重さを気にして戦闘直後に捨てた鉄アレイの事を思いだして叫んだ。 さすがにDセリオは素早く立ち上がる。 しかし満身創痍のへーのきは素早くDセリオの方へ突撃し、その両手を捕らえた。 胸に仕掛けられていた装備を粉砕され、Dセリオは手を振り払わないことにはへーのき に攻撃を仕掛けることは出来ない。 だがふらふらに弱っているとはいえへーのきの取り柄は怪力、Dセリオはその手を振り 解くことが出来ずぎりぎりと押し合うことになる。図らずも二者は力比べの要領で相手を 押し倒そうと拮抗することになった。 「D芹……いい加減に正気に戻ってくれ!!」 「排除します……排除……排除……」 へーのきの悲鳴が虚しく響く。 ジンは拳を握りしめてその様子を窺っていた。 「もしかすると……勝てるか!?」 確かにこのまま力で押せば、へーのきにも勝機はあるかも知れない。 そのときゆきがDマルチとDガーネットを見て小首を傾げた。 「……あれ?そういえば、Dボックスは何処に行ったのかな?」 「え?」 風見は周囲を見渡した。だが、やはり見つけることは出来ない。 Dシリーズにはあと一体、Dボックスが居る筈なのだが姿を見せてはいなかった。 「おかしいな……戦闘能力がないから隠れてるんですかね……?」 「隠れる?」 風見の台詞を聞き咎め、OLHが呟いた。 「そう言えば、Dボックスは……」 OLHが言おうとした瞬間、地面がぼこっと盛り上がって何かが顔を出した。 それは『箱』だった。Dボックス!! 「何だ!?」 一同が注目した途端、Dボックスは呟いた。 「ジバクシマス、ジバクシマス」 「何ィィィィィィ!?」 戦慄が一同の間を走り抜ける。 「そうか……Dシリーズが攻めてくるまでの数時間、何してたかと思ったら!時間を与え て余裕を見せたんじゃなかったんだ!!もし負けてもいいように、Dボックスをここに埋 めていたんだなっ!?」 風見が叫びながら暗器を拾い上げ、Dボックスに攻撃を仕掛けようとした。 だがOLHが慌てて制止の叫びを上げる。 「ダメだ!!一度自爆装置が作動したが最後、途中で攻撃を加えると即座に爆発する!!」 「じゃあどうすれば止めることが出来るんだ!?」 「D芹か学園中枢からのキャンセルコードを打ち込まないと……」 ……………………………………………………………。 冷たい悪寒が周囲に満ちた。 一同はちらりとDセリオと図書館を見比べる。 Dセリオは向こうでへーのきと力比べをしている。 学園中枢は《冥王》に完全掌握されている。 「……どっちも不可能じゃないか……?」 「………………あ」 OLHの泣きそうな声が響いた。 Dボックスはカチカチと時計を鳴らしながら無機質な声で呟く。 「ジバクマデアト180ビョウ、ジバクマデアト180ビョウ」 ゆきは蒼白になった顔で呆然と呟いた。 「もしかして……絶体絶命ってヤツ……?」 てぃーくん達はやがてその物体の前に立った。 それは巨大な墓碑だった。 名前はない。没年もない。ただ墓碑銘だけが記されていた。 『PATOS』 てぃーくんは意味が分からず、それをじっと見つめていた。 マールは額をこつこつと叩いて何かを考えている。やがてそれは口をついて出た。 「PATOS……パトス。感情を意味する言葉で……確か《冥王》は論理的思考こそ最上 と言ってましたね。論理はLOGOS(ロゴス)ですから…それにエウリュディケがまだ ……ああ、そうか」 マールはてぃーくんの顔を見て、墓碑を指さした。 「てぃーくん、これを破壊して下さい!!」 「ええっ!?」 いきなり罰当たりなことを言われててぃーくんは驚愕した。 「この墓がどうかしたの!?何でまた……」 「てぃーくん、この冥界は二つの神話を元に作られています。関係者達は登場人物に役を 割り振られてきました。《冥王》は言うに及ばず《ペルセポネ》はティーナ達《デメテル》 は美加香さん、《オルペウス》が私達!では、《エウリュディケ》は誰ですか!?」 「……まだ、出てきていないんじゃないかな?」 「そう!エウリュディケは深い地の底に引きずり込まれ……この墓の下に眠ってるんです!! さあ、起こしましょう!!土に埋もれたエウリュディケを!!」 「ぐっ……」ルーティの喉から苦痛の声が漏れる。 暗い闇に満ちたホールの中でロゴスは静かにこちらを眺めている。 その前に立つルーティととーるは既に攻撃を一方的に喰らってボロボロだった。 反撃をしていないわけではない。二人ともちゃんと攻撃はしている。 だがどうしてもそこに手加減が生まれてしまい、結果としてロゴスはほぼノーダメージ のまま二人を痛めつけているのだった。 「駄目だ……手加減してちゃこいつには勝てない……」 「でもDシリーズを殺すわけには!!」 二人の悲鳴が闇に交錯する。 《冥王》は楽しそうに玉座からそれを眺め、くっくっと例の笑いを漏らした。 「ほらほら、どうしたのかな?そいつを殺さないと君たちが死ぬよ?」 「ううっ……」ルーティは苦り切った表情で呻いた。 何とかロゴスを避けて《冥王》に攻撃を浴びせようとしたが、上手く行かなかった。 ロゴスは完全に《冥王》を守る動きを取り、二人に攻撃を許さない。 「馬鹿だねぇ……情けに流されるからだよ。自分の身が何より大切だろう?それとも君達 は戦士の癖に人道主義者なのかな?ははは、馬鹿だ!愚昧にも程がある!!」 《冥王》は哄笑を挙げて二人に言った。 「洋の東西古今を問わず、人道主義者の末路は守ったはずの相手に殺されるか野垂れ死に するかに相場が決まってるんだ!命に代えて人を守ったからって感謝されるか!?見返り があるかっ!?ないんだよ、そんなものは!!《いいひと》の末路は無惨な死に様だけ!! 正直者は馬鹿を見て、殉教者は軽蔑される!!それが世の中のお約束、死にたくなければ 相手を殺すしかないんだよ!!さあ、殺せ!!殺してみせてよ!!」 「……言いたいことはそれだけ?」 ルーティは切った唇から血を流しながら、《冥王》を睨み付けた。 「何?」 己の絶対的優位の下から挑発的な視線を受け、《冥王》は眉をひそめる。 ルーティは馬鹿にしたような目を向けながらブレードを《冥王》へと向けた。 「ふざけるんじゃないわよ。善人は殺されて悪人は長生きする、だから人を殺せだって? 馬鹿にしないで欲しいわね、誰かの為に闘わず自分の為にだけ闘って人を殺すような戦士 は戦士とは呼ばないのよ。……それは単なる殺人者だわ」 「その通りだ。俺は騎士だ……騎士は主君を守ってこそ騎士。それが出来ない者は騎士に なれない。騎士道を守らない騎士は騎士ではない」 とーるもまた、ルーティの横に立って剣を《冥王》へと向ける。 ルーティはふっと挑発するように笑って、続けた。 「死の尊さも知らない癖に《冥王》を名乗るなんて不遜にも程があるわ。死は人生の終末 にして人生の完成点。人はその人生の価値を自らの死によって計上するもの。その人生を 途中で奪う者は、だからこそ正しくなければならない!!あんたなんて、神でもなければ 王でもない!!ただの血にまみれた人殺しよ!!」 《冥王》は絶対的優位を覆らされ、顔面を蒼白にした。 震える指を二人に突きつけ、ロゴスに向かって叫ぶ。 「こ……殺せ!!あいつらを今すぐに殺せぇぇぇっっっ!!」 ロゴスは命令を受諾した。 「みかちょん!!駄目だ、殺られるっ!?」 「まだ……まだ大丈夫です!!」 美加香は全力でキーボードを叩きながら叫んだ。 「諦めない……諦めちゃ駄目!!最後まで負けてたまるもんですか!!」 画面には凄まじい速度でプログラムが組み上げられていく。 誠治はそのスピードに舌を巻きながら訊いた。 「みかちょん、何を作ってるんだ?」 「ワクチンプログラムです。ようやく掴めましたよ……全貌が!!」 「ワクチン!?何でそんなものを、ルーティ達は今危ないんだぞ!?」 誠治の叫びを聞きながら、美加香はキーボードを叩き続ける。 二人の力比べはまだ続いている。 お互いに持てる力を極限まで出し切りながら、相手を倒そうと睨み合っていた。 「D芹……いい加減にしろ!!お前はこんなこと望んでないだろうが!!」 「排…除…!」 へーのきはDセリオの声を聞きながら、悔しそうに心の底から叫んでいた。 「馬っ鹿……野郎……ッッ!!」 「バクハツマデアト60ビョウ、バクハツマデアト60ビョウ」 Dボックスの声が響いて行く。 爆発力は侮れないものになるだろう。全校に被害が出るのは間違いないと思われる。 騒いでいたエルクゥ同盟の面々は既に落ち着いていた。 「まさた」ジンは結界を張り続けていた館長に向かって言った。 「図書館の結界を逆展開して、この一帯を包み込んで欲しい。……出来るか?」 「ええ」まさたは頷いた。 「ただし、爆発を防ぎきるためには皆さんの力が必要ですが……」 ジンは一同を振り返って言った。 「聞いての通りだ。俺は爆発を食い止めるため、まさたと共にここに残る」 「図書館がなくては僕の存在意義もありませんからね……」 まさたが寂しそうに呟いた。 ジンは爽やかでどこか一点欠けた、雲一つない青空のような笑顔を向けた。 「だが、強制はしない。逃げたいヤツは……逃げてくれて構わない。好きに生きろ」 「………」 一番初めに風見がジンの後ろへと歩いていく。 「守るべき者を守りきれないのなら……せめて他の人だけでも」 次に秋山が。 「止められなかった責任は取る。それが道理ってヤツだ」 ゆきはどきっとして四人とOLHを見たが、やがてごくりと唾を飲み下してそろそろと ジンの方へと歩いていった。 「僕だけを置いていくなんて……言わないよね?」 五人の目がOLHに注がれる。 OLHはふっと笑って肩を竦めた。 「ティーナと笛音の居ない人生に未練はない」 「何だ、結局全員残ったのか」 ジンは呆れたように呟いて、頭を振った。 「ったく、命を粗末にしやがって……折角見逃してやるトコだったのによ」 「それはジンさんもでしょう?」 「……まあな」 一同は互いの顔を見合わせて、屈託なく笑った。 爽やかな笑顔だった。 「さ、行くぞお前等!!」 『おう!!』 「クイーン・ザ・リズエル!!ジン・ジャザム!!」 「エース・リネット!!水野ゆき!!」 「キング・オブ・エディフェル!!風見ひなた!!」 「ジャック・イン・アズエル!!秋山登!!」 「ブラック・カオリ!!まさた!!」 「来栖川警備保障バイト!!OLH!!」 『エルクゥ同盟+1、全力を持って秩序を守る!!』 ははは、はははははーはははははは!! Dマルチが壊れたような笑いをあげて6人を見た。 「無駄!!無駄無駄無駄、絶対に無駄!!喩え上手く行ったとしても所詮《天空の劫火》 で焼き滅ぼされる、死ぬまでの時間が数分長引いただけのこと!!無駄なことをするな!!」 ジンはフン、と鼻を鳴らして低い声で応えた。 「人間の人生はコレの繰り返しさ。一時しのぎで人生は長らえ続ける。今回はちょっと 短かっただけの話だ。だがな、《冥王》。諦めちまったらそれで終わりなんだよ!!」 「無駄!!無駄、無駄、無駄ァァァ!!」 《冥王》は哄笑を挙げ続ける。 「起きろ……」がんっ! 「起きろ……」がんっ! 「起きろぉぉっ!!」がぁぁぁんっ!! てぃーくんは荒い呼吸を吐きながら墓碑を殴り続ける。 だが一向に墓石は砕けず、虚しい時間だけが流れていった。 「畜生……壊れろ!!壊れろよっ!!お願いだから壊れてくれよっ……!!」 てぃーくんは肩を震わせて、墓碑をどんと叩いた。 全く傷が付いたようには見えない。 「てぃーくん、諦めないで下さい……!」 「駄目だよマールちゃん!!やっぱり無理なんだよ!!いくらやっても無駄だよ!!」 「それは違います!!」マールはてぃーくんを見据えて言った。 「いくらやっても結局駄目なことは確かに多いです。だけど上手く行くことだってありま す。諦めてしまうということは、その上手く行く可能性をも自ら捨てるってことです!!」 てぃーくんはぐっと奥歯を噛みしめた。 「あと一回!!あと一回だけやってみて下さい!!」 「…………………………」 てぃーくんは墓碑から身体を離すと、すうっと息を吸い込んだ。 そして次に、ありったけの力を集中させ始める。 「ティーが言ってた……波の如き連打も岩には通じないが、纏められた滴は岩を穿つって。 マールちゃん……これで、最後だよ」 「はい!!」 マールは力強い笑顔で頷いた。 「ビョウヨミハイリマス、ビョウヨミハイリマス」 Dボックスが宣告し、爆発までの最後の30秒が始まった。 「皆さん、心を平静にして下さい!!一人一人が立方体の面となるようにイメージして、 爆発を食い止めるんです!」 まさたの号令で六人はそれぞれの方向へ精神を集中させる。 「30」 「D芹……頼む、正気に……戻ってくれ……!!」 「排……」 二人は未だ拮抗している。 「20」 「無駄!無駄だああああっ!!」 Dマルチの口を借りた《冥王》の哄笑が響く。 「10」 (千鶴さん) (初音ちゃん) (美加香) (梓) (ゆかた) (……二人とも) 漢達の祈りが不可能を可能にする。 ……そして。 「9、8、7、6、5、4、3、2、1………」 「D……芹……!!」 「…………!!」 へーのきはDセリオに接吻した。 「覇ァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」 てぃーくんの気孔波が届いた瞬間、墓碑は粉々に砕け散った。 「………やっ……た……?」 「てぃーくん!!」 マールの叫びと同時に墓碑から光柱が立ち上る。その内部には美しい女性のシルエット が見て取れた。Dセリオ。 「……やった。やったんだ。僕は……やったんだ」 「目覚めた!!エウリュディケが、封じられたD芹さんの……」 Dセリオは喜ぶ二人を見て若干顔を綻ばせた。 そしてすぐさま険しい表情になり、森の奧を睨み付ける。 「……よくも!!よくもみなさんを……!!」 明らかに感情的なDセリオの発言にマールとてぃーくんの動きが止まる。 Dセリオは二人を脇に抱えると、小さく囁いた。 「……振り落とされないように注意して下さい」 「え?あの、D芹姉……」 言うが早いかDセリオはとてつもない超高速で森の中へと疾走し始めた。 「き、きゃあああああああああああああああああああっ!?」 「ひええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ………」 霊園には二人の叫びの余韻だけが残された。 (………駄目か) ルーティは絶望的な気分になりながらも、なお突進してくるロゴスを睨み付けていた。 「なあ、ルーティ」 「え?」 とーるはルーティの顔を見て、小さく笑った。 「お前は……妹として決して悪くはなかったぞ」 「馬鹿なこと言わないでよ!死ぬもんか!!負けるもんか、絶対に生きて戻るんだから!!」 「ルーティ……」とーるは妹の顔を見て、少し笑った。 ロゴスはブレードを構えたまま、滑るように走ってくる。 ルーティはその動きを直前まで見据えていた。 ロゴスのブレードが、振り下ろされる。 ガキィィィィィィィィィィン!!!! 鋭い……音。 そして、眩い光。 「え?」 明るい光がホールを照らしている。 横を見ると、壁に大きな穴が穿たれて陽の光が射し込んできていた。 恐る恐る視線を前に戻すと、自分の前にロゴスが立ちふさがりロゴスの攻撃を……。 いや、違う。Dセリオが二人居る!! 「ルーティ!!」 マールの声が耳元で響き、ルーティは慌てて振り返った。 肩の上でマールがぴょんぴょん跳ね、涙を流している。 「やったわルーティ!!ついにD芹さんの『感情』が目覚めたのよ!!」 「えっ!?」 壁をぶち破ってルーティの前に割り込んだらしいDセリオは、怒りに燃える瞳でロゴス を睨み付けた。 「よくもみなさんを散々痛めつけてくれましたね……絶対に……許しませんっっ!!」 Dセリオの鉄拳がロゴスを殴りつけ、数メートルの距離を吹き飛ばす。 マールはそんなDセリオを見て、嬉しそうに言った。 「D芹さんは《冥王》にのっとられる寸前に、論理回路と感情回路の内の感情回路だけを 自ら切り離して電脳世界に隠しておいたんです!!論理パートのD芹さんをロゴスと呼ぶ なら、あのD芹さんは……そう、パトス!!」 「なっ………何だとおおおおおおおっ!?」 《冥王》は狼狽を隠せない表情で叫んだ。 「感情回路!?まさか、そんな回路はデータには……」 誠治は思わず叫び、ある可能性に気付いた。 「……自分で、作り出したのか……!?経験学習機能を利用して……!?」 「へーのきさんが本当に好きなんですね、D芹は」 美加香の呟きに誠治は驚いたように振り返った。 「……知ってたのか!?」 「知ってたも何も。普段の行動を見ていたら、感情があることは一目瞭然じゃないですか」 平然と言う美加香を見て、誠治は頭を抱えた。 (うーん、みかちょんも女って事か……) 美加香は心底楽しそうにモニターを睨み付けると、ふっふっと笑いながらキーボードに 触れた。 「パトスの乱入でブロッキングが解除されたみたいですね。さあ、逆襲といきますか!!」 「逆襲!?」 「そう!!さあ、ルーティ受け取って!!ワクチンプログラムよ!!」 雷撃が館の屋根を打ち砕いた。陽の光が今度こそ明らかに館を照らす。 それと一緒に空中から降ってきたガラス瓶をぱしっとキャッチして、ルーティは《冥王》 を睨み付けた。 《冥王》は陽の光を浴びてのたうち苦しんでいる。 「うっ…………ぐぅあああああああああああ!!!」 「年貢の納め時です、《冥王》!!死者の世界は闇の世界、陽の光の下ではお化け屋敷も ただのハリボテに過ぎません!!」 マールの声に同意して、ルーティがワクチンを握ったまま一歩を踏み出す。 「《冥王》……あんたはもう終わりよ!!」 「黙れ、黙れ、黙れェェェェェェ!!!まだだ、まだ終わらぬわァァァァァァ!!」 陽の光射す冥界に、《冥王》の咆吼が轟く。 つづく ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― はい、長らくおつきあい下さってありがとうございます。 どうもお待たせいたしました、とうとうクライマックスです!! とゆーわけでよろしければまた次回!