日溜まりの中の小さな幸せ。 風見はそれを愛していた。 それほど広くもない家の中、ルーティはのんびりと昼寝して、風見は添い寝。美加香は 研究書をめくり、ティーナとは楽しそうに掃除している。 たわいもない、だがしかし温もりのある家庭。 天涯孤独だった風見にとってはこれに勝る幸せなどあろうはずもなかった。 ずっとずっと、この幸せが続いてくれればいい。 風見はいつもそれを願ってきたし、それを守るためならなんでもやったし、そしてまた この幸せは永久に終わることがないと信じていた。 ルーティの短く切られたつややかな髪を撫で、風見は目を細めた。 彼女は静かな寝息を立てながらちょっとくすぐったそうに笑う。 睡眠状態に置いてちびは学習した出来事を整理している。 ルーティは一体どんな夢を見ているのだろうか? 「ひなたさん」 風見はその声に振り向いた。 掃除機を持つ手を休めたティーナがはにかみながらこちらを見ていた。 「どうしたのですか、ティーナ?」そう言いながら風見は手を差し出す。 ティーナは笑いながらぴょんとルーティの反対側に転がり、風見の手を掴んだ。 無邪気な仕草に、風見の顔がほころぶ。 このような安らいだ仕草は人前で決してみせることはない。 風見はあくまで武闘家、修羅の道を選んだ男である。 だがその道もまたちびたちを守るためにこそ存在する。 誰かを守るために戦うという面では彼が修めたss不敗流と変わるところはない。 しかし風見の中ではあくまで自分は他人の前では修羅でなくてはならないという自戒が ある。それが彼がss不敗流を捨てるときに決心したけじめだ。 そして、その修羅の心こそが風見の内側から絶えずほとばしり続ける破壊衝動の発散法 である。かつて優しかった風見はそれまでの人格を破棄し修羅となることによって破壊衝 動を御した。その衝動は今の人格でもまだ不十分とばかりにくすぶり続ける。 自戒と破壊衝動、この二つのため風見は他人には辛く当たるのだ。 が、それも今の風見には無縁の話だ。 ちびたちと一緒にいると風見は自分の心が安らいでゆくのを感じる。 家庭に飢えていた自分、生きる意義を求めていた自分、他の誰かとの接触を求めていた 自分、そういった過去の自分がちびたちとの触れ合いの中で穏やかに眠っていくのを感じ る。 風見はちびたちがいる限り破壊衝動を解き放つことはない。 今の風見にとってはちびたちはまさに切ってもも切れない間柄の存在だった。 もし来栖川に拾われたあのとき、ちびたちのおもりをさせられなければ自分は生きる意 義を見失って自ら命を絶つか、破壊衝動の命じるまま全てを踏みにじる鬼となっていたか も知れない。 風見はそんなことを考えていた。 ティーナは風見の思いに気付かない風で、その腕を取る。 「ねえひなたさん、ボク、カレルレン先生の所にお嫁に行っていいかなぁ?」 その笑みは純真で、そして風見の返答を求めていた。 可愛いな、と風見は思う。 ティーナはまだ七歳だ。 いや、七歳という精神設定にしてあるだけで実際には一年も生きてはいない。 あの日、風見が好奇心に耐えきれずカプセルを開きちびたちを起動させてしまった時か ら、まだ一年も経っていないのだ。 ティーナがどこかに嫁ぐまでには早くてもあと10年。 その頃にはカレルレンも30代の中年になってしまっている。 大体HMが人間と結婚するなど荒唐無稽も良いところだ。 だがティーナにはそういった「大人の約束」が分かっていない。 風見はニッコリ笑うと 「そうかぁ、ティーナはカレルレン先生が好きなんだね。いいよ、早く結婚できると良い ね」と応えた。 風見はティーナを悲しませたくなかった。 これから辛い運命が待っている子達だ。 今一時は甘い夢を見させてやって何が悪い。 ティーナは嬉しそうに 「わーい!ボク、先生のお嫁さんになるー!」と言ってはね回った。 いつの間に目を覚ましたのか、ルーティが風見の腕にしがみついている。 「じゃあ、あたしはひなたさんのお嫁さん!」 風見は困ったように笑うと、二人を膝の上に載せてぎゅっと抱きしめた。 今、自分が感じているこの幸福を風見は感謝した。 そして思った。 もし将来この子達が本当にどこかに嫁ぐことになったなら、自分は笑顔で見送ってやれ るのだろうかと。 教会の鐘が鳴る。 雲一つなく晴れた空の元で純白のドレスに身を包んだ少女がゆっくりと歩いてゆく。 長い緑の髪に、慈愛に満ちた美しい顔つき。 風見はブレザーではなくタキシードを着て式に参加し、そして走り続けるのだ。 ティーナ、行かないでくれ。ずっとお父さんと一緒にいてくれと…叫びながら。 しかしその声を聞くこともなくティーナは愛しい娘を奪ってゆく泥棒に腕を取られ消え 去ってしまう。 風見は娘を奪った憎い男に呪詛の声を上げながらその場に座り込み、泣き続けるのだ… …。 風見が起きると、顔中に汗がしたたっていた。 パジャマ代わりのTシャツもびっしょりと濡れている。 のどが酷く渇いている。 嫌な夢を見た、と風見は思った。 どんな内容かは覚えていないがとてつもなく不吉な夢だったような気がする。 なんだか頭に音が響いている。 風見は頭を一つ振ると水を飲もうと起きあがった。 日差しが暑い。もうすっかりと夏に近付いているようだ。 起きあがってようやく頭痛の正体に気付く。 ドアが何回も激しくノックされているのだ。 おいおい、いくら一戸建てで音が響かないからって社宅なんだぞ。借り物に傷を付ける んじゃない―――風見は内心でぼやきつつドアを開いた。 風見は面食らって立ちすくむ。 美加香がすらりとしたダークブルーのスーツに身を包んで風見を睨んでいた。 いつもブレザーの制服と少女趣味がほんの少し入った普段着しか着ているのを見ていな かったので、きれいにスーツを着こなした美加香を見て風見は一瞬怯んだのだ。 「ひなたさん!一体いつまでそんな格好でいるつもりですかぁ!?」 ああよかった、中身はいつもの美加香だ。 実はちょっと安心しつつ、風見は半眼で訊いた。 「美加香、何ですかその格好は?今日は何かお祭りでもありましたっけ?」 はあっ?と美加香は呆れたような表情をした。 「何馬鹿なこと言ってるんですか!?今日はティーナちゃんの結婚式じゃありませんか!」 風見はまだ半覚醒の頭で美加香の言葉を数回繰り返した。 たっぷり三十秒のちに、風見は目を剥いて美加香の肩を掴んだ。 「何ですって!?」 三十秒は理解と状況判断と推論の末かかった時間である。 「ほら、この間ティーナちゃんが結婚許可をもらいに来たら、ひなたさんが良いって言っ たじゃないですか」と美加香が冷静に言う。 風見はぶつぶつと何事か呟いていたが、そのことを思い出しつつっと冷や汗を流した。 まさか、あのことか? 「あれ、子供の冗談じゃなかったのか?」 美加香は呆れた目で風見を見やった。 もちろん風見は結婚のことについてなど一切聞いていない。 ティーナが故意に風見にだけ準備をしていることが伝わらないように仕組んだと思われ た。 美加香がふるふると首を振ったのを見て、風見は頭を抱えた。 「そんな馬鹿な…あの子はまだ七歳だぞ!?」 だが美加香はそんな風見を見て冷たくつっこむ。 「それを言うならHMと人間が結婚するのも前代未聞ですけどね」 確かにHMの結婚可能年齢など法律で定められてはいない。 定められているわけがない。 「そんなことより早く着替えて下さいよ。急がなきゃ式が始まっちゃいます!」 風見は親指を軽く噛んで考えた。 もちろん考えるまでもないことだが。 …絶対に邪魔してやる! 「美加香、着替えて後から出ますから先に行って下さいな」風見はやんわりと煮えたぎる 悪意を包み込み、言った。 それにいささかの疑問も覚えず美加香は部屋を出てゆく。 にっこりと笑って手など振っていたが、美加香が出ていくとにわかに険しい顔つきにな った。 手早く服を脱ぎ捨てると着馴れたブレザーに身を包む。 そしてブレザーとシャツの間の隙間をチェックすると、窓を開けた。 ほぼ同時に窓から黒い人影が躍り込む。 風見はそれを見て頬を緩めた。 黒い影もそれに笑い返す。もちろんやや歪んだ笑みではあったが。 「さて、行こうかひなたくん…」 ここに、二人の利害は一致した。 まず、OLHが教会の一階に残りカレルレンとティーナを監視しておく。 そして式が始まっている中、花嫁が入場する前に風見が釣り鐘堂に到着、カレルレンめ がけてチャペルを落下させる。 ティーナにショックを与えないよう、彼女が入場する前にカレルレンを始末しなければ ならない。 OLHの役目はもしカレルレンがポイントからずれたとき彼の位置を修正することであ る。 あくまで事故に見せかけて殺すつもりなのだった。 「………まさか十代で殺人を犯す身になるとはね」とOLHが嘆息した。 「やはり、やめますか?僕はひとりでもやりますよ……カレルレン教師にはあの子は渡さ ない」風見は至って冷静な口調で呟く。 OLHはそんな風見の横顔を見て、少し笑ったようだった。 「僕だって前途ある少女の一生をおじさんのお世話に費やさせる気はないな」 風見はOLHを見てしばし思案に暮れた。 この男は何を考えて自分に協力するのだろうか。 バイトとはいえ、警備保障のメンバーがする行動だろうか。 いくらなんでも殺人などと狂気じみた発想に荷担するなど…。 それとも、彼もティーナを手元に置きたいと考えているのだろうか。 もしそうなら…いずれは決着を付けねばなるまい。 ティーナは自分の娘だ。誰にも、渡さない。 初めに与えられた三人の娘…その一人は既に芹香様の命により我が手を離れた。 そして、この上末娘までも失うというのか。 あの子たちは自分の命。「あいつ」を封印する狂気の扉を堅く閉ざす鍵。 自分から欠ければ自分はもう「あいつ」を塞ぎきれない。狂気を押さえられない。 いや、既にもう自分は狂気に冒されかけている…。 風見は暗い笑みを浮かべた。 「ひなた君」とOLHは声を掛ける。 風見は慌てて笑みを消して振り返った。 OLHは真っ直ぐに風見を見つめている。 「僕がこうやってカレルレン先生を消すのは、君のためでもあるという事を忘れないでく れ」 風見はそこで初めて彼に感謝した。 そして、息を吐くと一気に螺旋階段を駆け昇り始めた。 美加香は嘆息すると、ルーティをぎゅっと抱きしめた。 可愛らしいドレスに包まれて、いつもとは少し違う魅力を持った小さなレディは息を呑 んで美加香の腕に収まった。 いつもとは違う様子に戸惑ったルーティは美加香にどうしたのかと問おうとした。 だが、嗚咽を聞いて中止する。 美加香は泣いていた。 悔しそうに悔しそうに、泣いていた。 「私じゃ…ひなたさんは、止められなかった…」 そんな凍りそうに冷たくて、焦げるように熱くて、ルーティを消し飛ばしてしまいそう な感情と、全てを許し暖かく優しく包み込む感情に彼女は哀しげな表情を浮かべた。 そこにファンファーレが鳴り、式は厳かに始まった。 風見は全力で螺旋階段を走っていた。 既に下では式が始まっている。遥か下にはちっぽけなカレルレンが歩いてきているのが 見える。参加者の先頭にOLHが待機していることを感じ、風見は頼もしげに笑った。 風見の力なら鐘突堂までほんの5分もかからない。 高い高い教会の頂上であってさえも。 心のどこかから湧き出てくる、「あいつ」の欠片、黒い歓びを感じ風見は哄笑を上げて いた。 だが、その足は突然に止まる。 中間地点の踊り場に到着した。 そしてそこに待っていたのは…。 西山英志。風見の師だ。 彼は深い悲しみをたたえた目でかつての弟子を見ている。 「おまえに…わが流派を伝えなければこんなことにはならなかったのかもしれん…」 風見は応えない。ただ黙って師を見つめるのみ。 西山はきつく拳を握り固めると、風見に語りかける。 「おまえの中に眠る『邪』。その力を『素質』と見た日から悲劇は始まったのか…。 一瞬風見の心が妄執の束縛を離れ、かつての自分に立ち返る。 師に拾わる前の日々、頼りなく誰かに守られなければ生きていけなかったあの頃。 師に学んだ毎日、ただひたすら師を愛し武を信じれば良かったあの日。 だが、もうあの頃は帰ってこない。 誰かに守ってもらう季節はもう終わったのだ。 今は自分の手で決定せねばならない。…どんな決定であれ、それは自らの正義である。 「あなたに鍛えられようが鍛えられまいがいずれ『あいつ』は現れるのです。そして、あ なたは僕を鍛えることでその覚醒を少しでも伸ばした…あなたは間違ってない」 滴の音。 西山の手から、流れ落ちる液体。掌を傷つけた爪をしたたり落ちる、赤。 風見は沈黙の内に構えを取った。 また違う滴が西山の相貌から流れ落ち… 「その心がありさえすれば貴様とて我が流派を極めることは不可能ではなかったのだ!」 血を吐くような叫びが風見の耳を打った。 OLHは階下で待機していた。 吹き抜けの果てに小さく見える鐘は未だ落ちてこない。 やがて拍手と共に可愛らしい、妖精のような小さな花嫁が入場した。 ブーケを手に持ってしずしずと歩いてくる。 いつものおてんばな少女とは思えない姿だった。 その後ろでドレスの裾を持つのは彼女の親友、笛音。 琴音の分身でありOLH自身の養女でもある。もちろん未成年が里親になることは 出来ないので戸籍上のことではないが。大体笛音自身にしても戸籍などないのだ…。 OLHは選択せねばならなくなった。 花婿の残酷な「事故死」を幼い少女に見せるかどうかを。 (ひなた君…間に合わなかったか…) かくなる上は、少女だけでも救わねばなるまい。 だが、カレルレンを救うかどうかは…彼の裁量にかかっている。 …おそらく。 今や西山と風見の闘いは血で血を洗う物になっていた。 かつては互いに信じ、歓びを分かち合った師弟は決死の削り合いを演じている。 西山が拳を振るえば風見がかわし、風見がサイを煌めかせれば西山が爪で叩き折る。 互いに紙一重、避け損なった傷は少しずつ双方を傷つけてゆく。 だが西山が驚嘆したのは二人の足場は確実に上へ上へと向かっていることであり…そし てまた、一撃を重ねるごとに風見の暗器は切れ味を増してきているということだった。 風見は本気だった。いつものように金槌やピックは使わず、カタールやトマホークなど 普段使うことのない武器を使用している。 それにしてもいつの間にここまでかつての弟子は上達したのか…そう考え、西山は慄然 とした。風見の目をのぞき込んだとき、それを感じた。覚醒が近付いている。 ぞっとするような寒さがその心を満たしていた。或いは灼熱の煉獄の火か。 そのどちらにしても到底正気の物ではなく…西山は心中で弟子の名を絶叫した。 風見は現在では力を以前のように使うことが出来ない。 精神の一部を美加香と結びつけた折りに施した封印である。 そしてまたそれは『あいつ』の覚醒も封じるはずだった。 だが、明らかにそれは解けかけている。美加香との精神のリンクが消え始めているのだ。 西山は爪を振るって暗器の波状攻撃を捌きながら唇を噛んだ。 何故、こいつはここまで狂気に陥ることが出来るのだ。 破壊しか生まない狂気から平気で力を引き出すことが出来るのだ…。 風見が不意に跳んだ。 西山ははっとして上を向く。 チャペルが目前にあった。既にここまで来てしまっていたのだ。 風見は超合金ナイフを取り出して留め具を狙っていた。 錆びかけた金具など、今の風見の力なら軽々と貫き潰すだろう。 吹き抜けの下ではカレルレンとティーナがいる。 チャペルは1トンはくだらない。直撃すればもちろん命はない。 西山は一瞬で気合いを丹田に込めると、脳天から吹き出すように叫んだ。 気波が投げられたナイフをたたき落とす。 風見は殺気のこもった視線を西山に向けた。 「邪魔をされるな!たとえ師匠と仰いだ者であろうと、邪魔すれば斬る!」 いささかの抑制もない純粋な悪意にさしもの西山も体がすくむのを感じた。 西山はそれでもかつての弟子を眺めやり、静かに聞いた。 「何故だ?何故、そこまでカレルレンを狙う。お前の幸せはティーナの幸せではないのか」 風見は笑った。 歪んだ、邪気のみによる笑いだった。 「そうですとも…なればこそ、奴を殺すのです。ティーナはまだ僕の元を離れるべきでは ない!」 西山は唾を吐き捨てた。 「親のエゴか。それでティーナが愛する者と添い遂げられなくとも良いというのか」 「あの子はまだ七歳です、恋愛が何かも分かっていない子供をたぶらかすような男と一緒 にいることがあの子の幸せになると言うのですか!」 正論かも知れない。 だが、西山は直感的に悟っていた。それは、エゴを満たす事への良いわけに過ぎないの だ。 「風見、結局お前は本当にあの子を心配しているのか。お前の渇望を満たすだけの道具に あの子達を使っているのではないか?」 風見の動きがぴたりと止まる。 先の数倍に比す殺気が周囲に溢れる。 「それは、どういうことなのです?」 何かが吹きださんとするのを押し止める声。 西山は遠慮しなかった。 「お前が必要なのはあの子達自身ではなくてぬくもり…お前はあの子達を愛玩の対象とし か見ていないのだ!」 その瞬間…風見の精神の中で、何かが崩壊した。 或いはそれは美加香との結びつきであったのかも知れないし、風見ひなたを名乗ってい た人格自身だったのかも知れない。 だが、彼の心の奥深くでさび付いていた扉が開かれたのは確かであった。 何ら外見の変化はなかった。 しかしそこにいたのは明らかに西山の弟子であった男とは別の存在だった。 「あなたは僕を責めるのか…」彼は言った。 西山はその予想以上に強烈な迫力に押され、退く。 自分のとった行動に西山は驚愕していた。 「あの子は幸せになる権利がある…だが、僕の幸せはどうなるのだ…」 一歩、近付く。西山が下がる。 近付く。下がる。近付く。下がる。 「あなたには分かるのか。手塩に掛けて育てた娘を他人に横からさらわれる、親の気持ち が分かるのか…」 西山の額に脂汗がにじみ出る。 大丈夫だ。まだ、自分には切り札があるではないか。 DK細胞。風見に埋め込んだ、思考操作の結晶。 西山はDK細胞に命じようとして…声を失う。 ぱりん、という音を立て細胞が砕け、宙に破片を飛ばした。 …思考操作をはね除けた!? あまりの事態に恐怖感を刺激され、一歩下がろうとして…立ちすくむ。 西山の足は吹き抜けにかかっていた。 …いや、悩むことはない!ここで風見を倒せば、全てはなかったことになるのだ。 自らの心の声に後押しされ西山は風見に突進していった。 「…あなたも所詮、僕から娘を奪ったくせに!」 風見だった者の叫びと共に、西山は黒の波動に吹き飛ばされていた。 西山はあの眼をどこかで見たような気がした。 思い出す。 前生徒会長、月島拓也だ。 「新婦はカレルレンを夫とし病めるときも健やかなるときも永久に愛すると誓いますか?」 神父の声にティーナはカレルレンを眺めやり少しはにかんだように笑うと― 「はい、誓います」と良く通る声で言った。 「では、指輪を交換し誓いの口づけを…」 カレルレンは自らの手から優しい緑色をした指輪を外し、ティーナの小さな手に着けた。 ティーナは幸せそうに指輪を撫でる。 魅入られていたが、はっと我に返ると夫を見上げた。 カレルレンの大きなごつごつした手がティーナの頬に触れる。 「愛してるよ、ティーナ」そのささやきにティーナは頬を赤く染め…。 カレルレンはティーナの頬に優しく口づけた。 それを離れた席から見ていたマールとルーティはほろりと涙をこぼした。 「よかったね、ティーナちゃん…」 「うん、…おめでとう、ティーナ…」 美加香は複雑な思いでそれを見ていた。 風見が父親なら彼女は母親だった。 マルチはちびたちの母体ではあったとしても決してその成長に関与してはいないのだ。 チャペルがゆっくりと横に揺れ、吹き抜けから荘重な音を響かせる。 そのとき、美加香は身体の芯を焼かれるような激しい苦痛を感じた。 同時にOLHが叫びを上げる。 それを感じた者は多かったらしく、多くのSS使い達が思わず立ち上がった。 OLHはその中でも特に敏感であったのだ。 がたがたと瘧を起こしたように震える美加香を、マールとルーティが助け起こした。 「美加香お姉ちゃん、どうしたの!?何が…」 その目には絶望と衝撃が浮かんでいた。 美加香は涙を流しながら、呟いた。 「ひなたさんが…精神のリンクを切断した…ひなたさんが、死んじゃった……」 思わずちび二人は顔を見合わせた。 爆音が起こり、西山は式場の真ん中に落下した。 そしてその後を風見だった者が追い、音もなく降り立つ。 風見だった者は据わった眼で一同を見渡すと、やがてこらえきれなくなったように笑い 声を上げた。壊れてしまったレコーダーのように狂った音程で笑い続けた。 笑いと同時に、狂気の詩を読み上げる。 「そうとも、みんな壊しちゃえば良かったんだ。僕から大事な物を奪う奴は死んじゃえば 良いんだ。自分の物にならなければ、必要ないんだ。砕いて、壊して、消えちゃえばいい んだ…」 幼児的な破壊衝動と残虐さの言葉の羅列。 純粋なる欲望と他人の否定と復讐の歓びと。 嫉妬によって開かれた狂気の扉の奥に封じられていた者。 友に守られ、師と出会い、守るべき者を見つけることで永遠に捨てたはずの過去の遺物。 それこそが… 「風上、日陰…外道の意志に封じられた魔物。ダーク十三使徒のロストナンバー…」 美加香の呟きに応えるように、まず初めに「それ」は自らを否定した。 バンダナが弾け飛び、髪が伸び、体が女性的な曲線を帯び始める。 胸が膨らみ、それまでの武器だった暗器を塵と化して床にこぼす。 やがて周囲に黒がかった紫のオーラを発し、風上日陰は不敵な笑みを浮かべた。 廠気にさらされたカーペットが腐食する。 「あたしは風上日陰…絶対のロウによって運命付けられた『破局』をもたらす者。運命大 典の指示に従い、全てを消滅させる者…」 運命大典…その名前に西山は記憶のとっかかりを感じたが、思い出すことは出来なかっ た。 「まさたにゃん…」とゆかたが目配せする。 苦々しげにまさたは頷いた。 異界の崩壊を描いた「ありうべからざる書」、運命大典。 ヒカゲはその一節に登場する化け物の名である。 「あの世界のことを知る者はない…はずなんだ…」まさたはそれを自分に言い聞かせるよ うに呟いた。 何をしてもいい。ただ、とにかく勝たなければ。 勝たなければ、ここで自分たちの運命は終わる。 西山は弱々しく立ち上がると、一同を叱咤した。 「落ち着け!いくら変化しても風見は風見だ、SGYに比べれば物の数ではない!」 日陰はそんな彼に冷笑の視線を向けると、細い指先をつ…と目の前に出してみる。 「この世界ではあたしはどれだけの力を奮えることを『約束』されているのかしら…? 試してみるのも一興よね…」 そう呟くと、日陰は掌を正面に突き出す。 『黒き重圧の中に消えよ』 目の前一体にに黒い霧が満ちる。 そしてその「無」の空間は辺りに構築された「有」の元素を吸い込み始める。 急激な「有」の減少の内に周囲との釣り合いが保てなくなり、やがて空間は大爆発を引 き起こした。 あっと言う間に…教会は闇色の光に満たされる…。 暗闇が引いたとき教会は消し飛び、日陰は荒野の中央に立っていた。 面白い。ほぼ変わらぬ力を奮えることを知り、彼女は歓喜の声を上げた。 これならば、この世界をも滅ぼせよう…! だが、その歓びはあっと言う間に不機嫌さに、そして怒りへと変わる。 緑色の壁が一角を占め、そしてその後ろに避難した者たちには一切の危害はなかった。 M・Aフィールド。セリスの扱う絶対の防御壁である。 フィールドの中には彼とマルチしか存在できないが、ならばドーム状にフィールドを二 重に作ればそれは立派な隔壁となる。 今のセリスは日陰のいた世界のセリスと同じくらい冴えていた。 「ち、これだからコメディ世界は…」と日陰が毒づく。 だが、流石に負荷に耐えきれずにばたっとセリスが倒れる。 マルチはそれに取りすがり泣きついている。 まさたは息を呑んでいた。 とんでもない威力。しかも相手はシリアス世界で構築されている、まともに喰らえばい くらコメディ人格とはいえただでは済むまい。 一同で一気にかかれば、果たして倒せるだろうか…? その思考は泣き声で破かれた。 ティーナが日陰に抱きついて、大声で泣いている。 「酷いよ…ひなたお兄ちゃん、どうしてこんなことするの!?お兄ちゃんは僕たちが好き だって言ったじゃない!僕たちが幸せだと僕も嬉しいって、そう言ったじゃない!」 泥だらけのウェディングドレスに身を包んだまま、ティーナは日陰の服にしわを作った。 ブレザーに食い込んだ小さな指が、震えている。 日陰は眉をしかめてそれを払いのけようとする。 が、強烈な怒りの波動を感じて顔を上げた。 Hi−Waitと智子が日陰を睨んでいる。 「忘れちまったのかひなた!お前はいじめられっこで、俺がいつも守ってやったよな!お 前は…お前だけは、弱い奴の気持ちが分かると思ってたのに…買いかぶりだったのかよ!」 「風見君、いつからあんたはそんなに弱なったんや!昔のあんたは情けのうて臆病で泣き 虫で、およそ男らしいって概念からは無縁やったけど…筋は通す奴やったやんか!」 智子は昔風見が天涯孤独ではなかった頃、よくいじめっ子からやーみぃと一緒に助けて あげたことがある。まだ風見が神戸に住んでいた頃の話だ。 そのため風見は智子に頭が上がらない…はずだった。 だが日陰は鼻で笑うと、掌をつきだした。 「そうとも!弱いからこそ、強くなってから復讐したくなるものだ!守ってもらうことで 風見ひなたがどれだけの屈辱を覚えたか思い知れ!」 劇風! 智子は吹っ飛ばされFoolに助けられたものの廠気に当てられ意識を失い、Hi−W aitはそのまま地面に転がった。 ティーナの声がさらに大きくなる。 「やめて!もうやめてよ!ひなたさん、そんな人じゃなかったじゃない!いつだってボク 達に優しさが何より大事って教えてくれてたじゃない!」 「無駄よ、ティーナちゃん!その人はひなたさんじゃない!ひなたさんはもうどこにもい ないのよ!」美加香が絶叫する。 はっとティーナは日陰を見上げる。 その眼は残酷に、事実を告げていた。 「…ウソ…だよね?」 「いいえ、本当の事よ」 ティーナは宙に放り投げられた。 ドレスが風に舞う。 女性陣が悲鳴を上げた。 それを空中でキャッチし、カレルレンは汗を拭う。 ルーティはきっと日陰を見据えた。 横にはマールもいる。 「嘘だ!あたしは信じないぞ!ひなたさんはお前に閉じこめられてるんだ!」 「そうです!ひなたさんを返して!私達の大事なお父さんを、返して!」 嘲るように日陰は首を振った。 「違うね。もう、死んでるよ。あたしが殺したから間違いない…。それはパートナーが一 番良く知ってるんじゃないのか?」 はっと二人は美加香を振り返った。 びくっと一瞬たじろぎ…美加香は眼を閉じた。 ただ、ちびたちの視線が交錯する。 まさたはこっそりとルーンの後ろに行き、囁きかけた。 ルーンが問い返す。或いは、とまさたが頷くのを見て彼は覚悟を決めた。 美加香はやがてふたりの少女に向かって、言った。 「私は、ひなたさんを信じます」 日陰が哄笑を上げた。 その声が、ひび割れる。 精神の黒い河の中に再び生まれる白の小石を見つけ、日陰は苦悶の声を上げる。 「自分自身の無に消えろ、風上日陰!」 皆が同じ事を考えていた…。 ss使い達は言霊を一斉に紡ぎ出すと、日陰の力を押さえ込みにかかった! 美加香とちびの言葉により復活の手がかりを得た「風見ひなた」は日陰に奪われた精神 を一気に浸食し返してゆく! 日陰は再び扉の中に封じられる。 しかしそれながらも、せめて一部分をと日陰は分裂体を体の外に飛ばした。 「ここは貴様のいるべき場所ではない…去れぃ!」 西山の渾身の一撃が廠気を殴りつけていた。 圧倒的な「有」の元素を浴び、廠気は昼の光に消え失せた。 美加香は崩れ落ちる風見に取りすがると、その顔に涙をこぼす。 未だ精神のリンクはつながらず、風見の女性化は治っていない。 だがそれでも風見は無理に目を開くと、微かに笑って見せた。 終わった………。 一同は安堵する。 「本当に、そうかな?」 そう言ったのはただ一人作業に参加しなかった男、ハイドラントだった。 彼は皮肉げな笑みを満面に浮かべると、ついと一点を指さす。 そこにいたのは、OLH。あまりにもダークに影響されやすい男。 日陰の強烈な邪気を受け、OLHもまた覚醒を開始していた。 今度は駆け寄ろうとする笛音をルーティが制する。 ダークに染まったOLHは愛するものから殺そうと歪んだ愛を向ける…。 SS使い達は冷や汗をかいた。先ほどの一斉攻撃で最大限まで力を引き上げ、最早力は 残ってない。 ハイドラントと葛田は面白い見せ物とばかりににやにや笑いながら見物している…。 今なら、SS使い達を倒すのもさしたる困難ではなかろう。 特にハイドラントは綾香とEDGEに手が伸びたらそれをくじくだけで良いのだ。 甘い密ではあった。 だが。 「自分のしでかした不祥事は…自分の手で決着を付けてやる…!」 一同は驚いてそちらを見る。 美加香に支えられた風見が満身創痍、といった感じで佇んでいた。 西山はちらっと風見を見ると、ただ一言「やってみろ」と言った。 心配そうに美加香の視線が向けられる。 風見は薄く笑うと、その頭を撫でた。 「美加香、愛してる」 一同は硬直して風見を凝視した。 美加香本人も時間が止まっている。 ちびたちや西山までがあんぐりと口を開けた。 ハイドラントと葛田が目を丸くしている。 美加香は湯気が出るくらい真っ赤になると、「あ、あの…」と呟く。 その瞬間に精神のリンクが復活し、これまでになく二人の心が結びつけられた。 何よりその一体感が雄弁な答えであった。 風見の意志に応え、美加香の叫びが唱和する。 『二人の心が真っ紅に燃える!悲劇を止めよと轟き吼える!』 そして、ぴったりのタイミングで止まっているハイドラントと葛田をひっつかんだ! 『風見鬼畜拳最終奥義!悪逆酷薄獣心非道苛烈残虐鬼畜ストライク!!!』 ハイドラントと葛田を高圧凝縮された「有の」エネルギーの膜が覆い、日陰と同質の存 在になりつつあったOLHの元へと飛来してゆく。 「って、またこれかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!?」 「おのれひなたん、いつか必ず復讐して…………………………………………………!!!!」 閃光が辺りの全ての画像をただただ支配していた。 美加香に分かたれた風見の力は心合わせることで相乗以上の効果を発揮した。 やがて光の霧が晴れたとき、そこには「無」のオーラのみを吹き払われたOLHがいた。 笛音とティーナが走り寄っていき、顔をのぞき込む。 すぐ側には焦げ炭が二つと精神体が浮いていたが、誰も気にとめなかった。自業自得で ある。 美加香は風見の顔を見上げた。 真意を訊いている。 ギャラリー達は期待して風見の一挙一投足を見つめた。 風見は一つ咳払いすると、にっこりと笑った。 「ああ、ちなみに今の嘘だから」 …はい? 美加香のみならず一同が訊き返した。 「僕が貴様みたいな貧乳ちびなんか相手にするわけないでしょう、このすかぽんたん」 思わず絶句する美加香。 拳を握り息を吐き掛ける観客達。 ちょっと嬉しそうなさおりん。 呆れ顔のちび。 かくして「第一回女の子泣かせ野郎に天誅を加えよう大会」が開催された。 ぼろぼろになった風見の元に、一人の少女が現れる。 不思議な幽玄の雰囲気に落ち着いた足取り。 彼女の名は来栖川芹香。 風見は顔を下に向け、膝を屈した。 「………」 「はい、承知しています芹香様…」 かくなるうえは、どんな罰則でも受けねばなるまい。 「…………」 「おっしゃるとおりで……」 実際に言われると胸にいたかった。 そう、確かに風見は教師として失格だった………。 「…………」 風見はうつむき加減を大きくし、拳をきつく握りしめた。 もう、何も弁解はするまい。 自分には、彼女たちに優しさを教えてやることは出来ないのだから。 「…………」 OLHははっとして立ちすくむ。 そして、数回頷くと、 「わかりました………ティーナちゃんとルーティちゃんは確かにお預かりいたします」 と答えた。 風見ひなたは任務に失敗した。 彼は教育係を降ろされ、ちびたちを預かることもなくなった。 芹香は、カレルレンの所には毎日通わせて身の回りの世話をするだけにしておくように、 とも決めた。 だがそんなことはすでに風見にとって何の意味も持たない。 彼のいきる意義は、消失した。再び世界は暗闇に閉ざされてゆく。 「………さよなら、ティーナ、ルーティ………!」 風見はその場から全速力で離れていった。 光や西山はそれを見たが、追いかけようとはしない。 OLHはティーナとルーティ、笛音を抱えると、優しい眼をした。 「………帰ろうか、おうちに」 ティーナがルーティの袖を引っ張る。 だがルーティはそれを振り切ると駆け出していった。 「ちくしょう…ちくしょう…」 風見は殴る、殴る、殴る。 ひたすらに、ぶつけるように、教会の残骸の中の鉄柱を殴りつけ続ける。 拳の皮がはがれて、血が吹き出す。 「畜生、畜生、畜生、畜生…」 鉄柱を血が伝う、飛沫が地面を赤く濡らす、異質の滴が鉄柱に降りかかる。 「畜生、畜生、畜生、畜生…」 骨が軋む、間接がねじれそうに痛む。 後ろに美加香が立った。 構わずひたすらに鉄柱にぶつける。 怒り、やるせなさ、無力、自己嫌悪。 くたばれ、くたばれ、くたばれ、くたばれ。 「僕なんて、くたばれ」 かつん、と小さな石を蹴る音。 やがて包み込む、ささやかな温もり。 「ひなたさん、一人じゃないよ。私達がいるよ」 殴る殴る殴る、鉄柱に似た自分を殴り続ける。 いつまでも、風見は殴り続けた。 やがて、彼が泣き出して美加香とルーティの胸の中で眠ってしまうまで。 たわいもない、だがしかし温もりのある家庭。 ずっとずっと、この幸せが続いてくれればいい。 幸せは永久に終わることがないと信じていた。 日溜まりの中の小さな幸せ。 風見はそれを愛していた。 完 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ひ:ええと、てなわけで過去話。「ちびたちがそれぞれに引き取られた理由」です。 み:補足すると、OLHさんに預けられたのは警備保障のメンバーで信頼が置けると考え られたからです。 ひ:ちなみにこれ以後再び風見は教育係に戻りました。 ルーティは本人の意思が尊重されました。 み:あ、あれ?書けない……もしや、限界字数!? ひ:むう、ではここまでにしておきましょう。 み:日陰さんと最終奥義は一回こっきりだったようです。 ひ:それではみなさん、さようならっ!