箒乗りの 魔法の話 その二 パートC 空とこみパと想い人 投稿者:弥雨那 希亜

「長かったですね〜」
 術式処理して一日経過した部屋には、希亜ただ独り。
 目の前には先日工作部から上がり、下処理をしたパーツ達。
「始めましょうか〜」
 誰にともなく言い、以前に実家から送ってきていた小箱を開けようと鍵穴にそっと
指を触れ、呪文を静かに詠唱する。
 詠唱の終了と同時に、鍵穴からカチリと音が聞こえ、蓋を開いた。
 小箱の中の八面体の結晶の様な物は、どこまでも澄んだ空の碧を溶かし込んだよう
な色を湛えている、それをしばらく見つめる。
 夏休み末に製作し、安定するまで保存してあったそれは、希亜自身の魔力の結晶で
あり、同時に希亜ではない魔法の塊でもあった。
 元々は曾祖母から教わったもので、Rising Arrowの制御中枢を成すほどの物体であ
り、その生成自体が非常に高度な魔術であり、それその物を複製する事は現時点の希
亜では不可能であるのだが、希亜の場合その結晶の能力をそらと言う存在に特化する
事によって製作を可能にしていた。
 夏休み中に作ったそればデッドコピーと言うよりは、ソレを初めからそらという物
に特化させたものと言えた。 そして試験的に小型のそれを内包した二つの杖を作っ
た。
 一つは翼を持つハンマーを模した杖"Wingd Hanmmer"、ただ魔法の成功率を上げる
為の補助演算装置のようなもので、希亜曰く「そらの記憶にアクセスし、その知恵を
借りる」ようなもの。
 もう一つは機械的鋭角的フォルムを持つ大鎌と言える道具"Soul-Divieder"、こち
らはハンマーを模した杖の補助演算装置の機能を増大させ、加えてそらの狂気と記憶
と想いを扱うのに特化させたもの。
 いずれも完璧ではない物の、十二分に成功を収めていた。
 そしてそれらから得た経験で、実験的に製作した天津丸Mark-2パワーアップタイプ。
 それは亜音速での長距離飛行を可能にした。
 今までの道のりを思い出すように、結晶の映し出す深い碧の底を静かにのぞき込む
ようにして。
「私自身かな〜」
 そんなことを言って作業を始めた。
 魔法的に安定した空間の確保、それ自体が最大のハードルだったので、それさえク
リアできれば作業自体は非常に単純な物ではあった。
 魔法的に安定した空間で、パーツを組み立て、空飛ぶ箒としての機能を組み込む、
言い換えるならば命を吹き込む… それだけのことなのだ。
 掌の上の結晶に短く呪文を呟く。 結晶の持つ碧が深くなるのを見届けると、希亜
はそっと手を離した。 回転するわけでもなく、その結晶は静かに宙に静止している。
「始めようか」
 そう言って希亜は箒の組立を始めた。
 結晶を覆い隠すように、少しずつそれが箒の一部であると、結晶に認識させるよう
に。
 メインシャフト、主推進機としてのメインフィン、偏向推進機としてのベクターフィ
ン、カナードと垂直翼のついたバウパーツ、下部カバーと、上部カバー、そして主翼
を箒の下の格納位置へ組み込み手を止めた。
 フルクローズド工法、曾祖父が命名した工法は、基本的には完全分解する整備以外
の整備を受け付けない。 それを克服したのが、Rising Arrowではコアと呼ばれる、
この箒ではアズレグラスと呼ばれるパーツの働きの1つ、自己修復機能だった、能力
的には時間を掛けてゆっくりと直る感じになる。
 だから、手荒に扱わなければ、永久に稼働し続ける事が出来る。
「我ながら、罪作りなことをする…」
 これからこの箒が歩む時に思いを馳せながら、小さくそう呟いた希亜は、組上がっ
た箒を一別し。
 とりあえず間に合わせたクラフトナイフを手に取った。
 静かに呟きクラフトナイフの刃先をたて、指先をすっと引く。
 呪文の詠唱を始めつつ、指先を箒の舳先のすぐ上に静止させた。 その指先にはプ
ツプツと赤い点が切り口に顕れ、それがやがて傷口を形作る。
 呪文の詠唱に合わせるように、部屋に1つの意識が広がって行く、幾百億の出来事
を、幾百億のおもいを見てきた、そらの意識が。
 命を与える為の儀式、そう形容するのが一番近いだろうか…
 一滴、また一滴と希亜の指先からゆっくりと滴る、呪文の詠唱だけが広がる部屋の
中、箒の舳先に滴った血はその朱を広げることもなく、舳先の中に吸い込まれてゆく。
 やがて鈴のような連続した金属音が部屋に広がり始めた。
 少しして、希亜の呪文の詠唱が止む、希亜はその指先を舳先から放し。
「名を送るよ。 真名を送るよ。 音ではなく心で、意味ではなく想いで…」
 鈴の音のような金属音の広がるなか、希亜の口だけが動き止まる。
「名を送るよ。 呼び名を送るよ。 心ではなく音で、想いではなく意味で…」
 優しく部屋を満たす鈴の音のような金属音に希亜の言葉が重なる、
「Air Flier」
と。


 部屋を満たしていた、様々な記憶で構成される意識がゆっくりと希薄になり、消え
ていったのを芹香は感じ取った。
「おわったみたいです… 希亜君が出てくるんですか? …入っても大丈夫だと思い
ます」
 芹香の前から離れ、綾芽は希亜にの飼い猫クラムを抱きかかえたままに教室の入り
口のドアに手をかけた。
「希亜君?」
 そっとドアを開きながら希亜を呼ぶ綾芽。 その彼女の後ろには芹香が隙間から中
をのぞき込んでいた。
「希亜君。 いないの?」
 教室の中に入り見渡すが、そこには希亜の姿も箒の姿もなかった。
「あれ?」
「わぁ!!」
 後ろからかけられた声に驚く綾芽、
「お、脅かさないでよ希亜君!」
 そう言って見上げた希亜の肩には、全ての翼を閉じた箒があった。
「え? はい、おかげさまで出来ました〜 名前はAir Flier Ver.0.00-alpha、翼を
持つ箒です。 あ、因みにメインフィンの定格最大推力で加速すると、圧死してしま
うのはRising Arrowと同じです」
「お前な…」
「あ、パパ」
「え? ……はい、慣性を中和するのが間に合わなくなるんです、今の所は素でも少
し、Rising Arrowだとかなり無茶が出来ますから」
「マンポイントを超える、と言う事は戦闘機とかとは空戦性能が違うか」
「戦う道具ではありませんよ、これはね」
「戦える道具ではあるだろう?」
「まぁオプションマウントがありますから。 でも、このAir Flierも翼展開時には
飛行機ですからね〜」
「だろうな」
「希亜君」
「なんでしょう」
「すぐ飛べるの?」
「いいえ、この箒に空気を捉える事を覚えさせないといけませんから、しばらくは試
験飛行です」
「そうなんだ」
「…良ければ。 それが終わったら、いっしょにどうですか? 綾芽さん」
「いいよ、おねーさんが付き合ってあげる」
「はいな」


 夕刻、漫研部部室。
 現在希亜は、Air Flierの組み立て終了までのコンテを組み立てていた。 と言っ
ても"Air Flier"の製作リファレンスを目指すだけあってか、漫画的な絵よりも文字
や設計図やイメージが多く、漫画のコンテと言うよりは、本を作っている、そんな感
じで作業を進めていた。
 キーボードを叩く音、タブレットの上でマウスをクリックする音、その眼鏡にディ
スプレイからの光を映し、希亜は自分の世界に深く入るように作業をしていた。
 既に出来上がっていた導入部では、技術的な道筋である"Wingd Hanmmer"、
"Soul-Divieder"、"天津丸Mark-2パワーアップタイプ"の三つを順に説明していた。
 ただ、Rising Arrowの事については微塵も触れることなく…
「弥雨那ちゃん、あっちの世界に逝って戻ってこないんスよ」
 軍畑が困ったように、希亜の背中を見て呟く。
「すごい集中力ですのね」
「いやいや、まいしすたぁ。 同士希亜は、我らが目標オタク文化による世界征服へ
の第一歩として、魔力を込めた本を作ろうとしているのだ、その本を手にした者は…」
 感心したように希亜の様子を端的に述べたすばるの横の由宇は、長々と演説をたれ
る久品仏を尻目に、
「こういう所はアっちゃんと一緒やな」
 そう言って楽しそうに自分の世界に深く入り込んだ希亜の背中を見つめていた。


 深夜、中間圏中層。
 淡い光を放ちながら周囲を舞うようにまわっている、Rising Arrowの対宇宙用デバ
イスをそのままに、自身の魔法によって宙に静止している希亜は、主翼を放出展開し
た状態の箒Air Flier Ver.0.06-alphaを前に、その箒の名を呟き、呪文の詠唱に入っ
た。
 既に音を伝えるほどの空気もない高空に、ゆっくりと魔力があつまる。
 寝ていた子供が起きるように、Air Flierのフィールドがゆっくりと形成される。
(大丈夫、これから空に帰るからね)
 優しく包み込むように唱え終えた呪文の詠唱。
(さあ、私と共に空に帰ろう)
 少しだけ舳先を下に向ける。
(私を信じて…)
 ふわりと、そういえる程度の降下を始めたAir Flier。
(そう… うん、まだ空には遠い、けど急がなくて良いよ)
 速度に注意を払いながら降下を続ける。
 この箒、Air Flierは舳先のバウパーツからのびる一対の水平方向と下向きのカナー
ドと、前進翼の形式を取った主翼、主翼パーツの付け根に当たる位置より後方にある
尾翼、そしてその他数枚の安定翼、それら自身とそれらが形成するフィールドでで空
気をとらえる。
 翼展開時の定格最大速度は時速480キロ、空気をとらえるのに必要な最低速度は
たった30キロ、その間の速度でこのAir Flierに、空気をとらえることを覚えても
らうのだ。
 そして、それ以上の速度は主翼を収納した状態で出す事になる。 この時の箒その
物の物理的な強度は希亜の父親の計算では4G未満の機動は問題なく行えると出てい
た。

 やがて辺りが暗闇から青を伴った光に包まれ始める。 体感として空を認識できる
高度まで降りてきたのだ。
 とは言え、基本的にAir Flierの翼は揚力を全く発生しない、浮遊する箒に翼を付
けたと言う発想なのだから。
 浮遊機能が補助的に付いているRising Arrowとは異なる設計思想を持つ為、
Air Flier自体での独立飛行が可能であった。
 それは同時に魔力の弱い者でも、事前に魔力をチャージする事によってAir Flyer
を扱える事を物語っていた。
 少なくとも低空域低速度ではRising ArrowよりもAir Flierの方が安定した飛行を
実現できるのだから。
(どうかな? かなり空気を感じる事が出来ると思うけど)

 本能、そう表現するのが妥当だろうか。
 風を切り、その翼によって姿勢を制御する。
 生き物のようにフィールドを伴って補助翼と偏向スラスターを動かしてそれを行う
姿は、そう形容するのにふさわしかった。
 やがてとても原始的な思考が希亜に流れ込んで来た、それはまだ希亜が拾うにはノ
イズとしてしかとらえる事は出来なかった。
(急がなくて良い、お前はこの空と共に在るものなのだから)

 進化の軌跡をたどる、と言う訳ではないが。
 Air Flierから流れてくるそれは、ゆっくりとノイズから形をなした思考に変わっ
てきていた。
 まだ高度は高く、僅かばかりにある雲は遙か眼下の地表にへばりつくように見えて
いた。




 翌朝寮、軍畑&希亜の部屋。
「うう〜ん」
 制服に着替え不機嫌そうに唸る希亜。
「なんスか?」
「うう〜頭痛がするぅ、眠い〜…」
「随分調子悪そうっスね」
「魔法を使いすぎました、多分〜」
「あんまりしんどかったら休むと良いッスよ?」
「それはちょっと… 今は大事な時ですから」
「でも本当に大丈夫っスか?」
 いぶかしげに希亜に訪ねる軍畑だが、
「あの子はまだ、上手く飛べないから。 その翼で風を切る事を覚えるまでは、側に
いないといけないんですよ」
「弥雨那ちゃんって、そんな風に微笑むんスね」
「…笑みを浮かべてましたか、まぁ良いでしょう。 では軍畑さん、私はまた飛んで
行きますゆえ」
「いてらっしゃいっス」
 ふわりと作り出した箒に跨り、ゆっくりとベランダから離れて行く希亜。
「さて、オイラもそろそろ仕入れに行かないと、今日もがんばるッスよ!」




 数日後、授業中。
 視界の端で、頭がゆらゆらと揺れる。
 不思議に思って振り向くと、隣の席に着いている希亜がうつらうつらと船をこいで
いた。
「希亜君、授業中だよ」
 そんな綾芽の声も聞こえていないのか、希亜は船をこぎつづける。
 最近ずっとこの調子で、授業中は寝ている、もしくは眠たそうにしていることが多
かった。
 幸い今は教師の方もあまり気にしていないのか、キアは船を漕ぎ続ける。
 やがてその振れが大きくなり、
 ゴンッ!
 机に頭を打ち付け、そのままバウンドするかのように頭を上げた希亜。
「だ、大丈夫?」
 思わず小声で訪ねる綾芽だが、
「…あれ? 寝てる?」
 希亜は頭を上げたまま瞳を閉じて静かに眠りこけていた。

(外で、誰かが呼んでる。 私が、寝ている。 今は、あ…)
 いつまで寝ていたのだろうか、希亜の意識が一気に覚醒する。
「…あれ?」
 ガバッと起きあがり辺りを見渡す。
「…何で、授業が終わったらすぐに起きるかなぁ」
 先程一度だけ呼び掛けた綾芽が、苦笑しながらに言った。
 辺りを見渡すと、講義室から生徒がぞろぞろと出て行く所だった。
 少し考え、綾芽の方に向きなおり、
「ノート貸して下さい、綾芽さん。 放課後に返しますから」
「ちゃんと返してよ」
「は〜い」
「それと、最近ちゃんと寝てる?」
「最近の睡眠時間は、3時間ぐらいですね〜」
 ノートを受けとりながらに、欠伸をかみ殺すように答えた希亜に呆れながら綾芽は、
「ダメだよ、ちゃんと寝ないと」
「分かってはいるんですけどね〜、まだあの子は上手く飛べないから」
 眠い頭で返事をする希亜は、綾芽の表情が変わった事に気付かずに、教科書やノー
トを片付けていた。


 夜、来栖川邸、芹香の部屋。
「おじゃまします」
 夕食後に部屋を訪れた綾芽は緋袴姿のままに、魔術書を開いたまま小休止している
芹香に近づく。
「芹香さん、少し聞きたい事があるんですけど」
 ゆっくりと綾芽に向き直り、芹香は彼女にソファーに座るように促す。
 特に返事をするでもなく導かれるままに自然とソファーに座り込む綾芽。
「最近よく眠っていないみたいなんです」
「え? 希亜君の事ですか? はい…」
 僅かに芹香はうつむき、綾芽の言葉を待つ。
「最近、あの箒を大事に育てているのは良いんだけど、あんまり大丈夫そうじゃない
から…」
「…心配ですか? うん、おねーさんとしてはちょっと…」
「『おねーさんとしては』ねー?」
 気配を消して近づいていたのか、背後から掛けられた声に驚く綾芽。
「ママッ! うー、ビックリさせないでよぉ」
「ごめんごめん、でも本当に『おねーさんとしては』なの?」
 チェシャネコの様な、というよりは単純に好奇心からくるような、そんないたづら
な微笑みを浮かべつつ、綾香は綾芽の隣のソファーに腰掛ける。
「…だって。 希亜君危ういんだもん」
 そう言われて、芹香は希亜の魂の形を思い出す。 そらの欠片、淡くとても優しく
周りを照らすのに、硝子のように鋭い空の欠片、それを本人は他人に触れないように
隠そうとする。
「確かに、一見すると本当にのほほんとしていて無害そうに見えますけど、心の刃を
隠している様にも見えます? …姉さんにはそう見えるんだ」
「ママは、どう思うの?」
 そう綾芽に言われて綾香が思い浮かべるのは、悠朔と一緒にいる希亜の姿だった。
「あたし? そうね、悠朔をあそこまで手玉に取れるなんてなかなかすごいと思うけ
ど、それ以上に悠朔がそれを許している事、それ自体があの子のすごい所じゃないか
な」
「? どういう事?」
「悠朔って結構ニヒリストって言うか、孤独とは一寸違うんだけど一人で居る事を好
む所が有るじゃない。 でも、見ていると本当にそんな事は嫌いみたいだけど… と
もかく、彼をいつもそんな淵から釣り上げているんじゃないかなって、そう思うんだ
けど」
「…あの人は孤独は好きなようです。 でもあの子は、あの子がみている人がそうな
る様は好きじゃないようです… 姉さん、みている人って? あ…」
 綾香は悠朔の周りに居る希亜の事と、彼の自称とを思い出した。
「なるほど、みている人ね…」
 希亜の自称、超音速の箒乗りや魔女の系譜の魔法使い等と同じような意味でいくつ
か在るが、魔女というフレーズに着目して希亜をみるならば、悠朔は彼のお気に入り
であり、悪く言えば玩具である、そう捉えることができる。
「どういう事?」
 よく分からないという風に綾芽が綾香に訊ねてくる。
「そうね、貴女が希亜君をよく見ている事と同じ様な感じかな、ね? 姉さん」
 コクコク、
「…それは、ハパも確かに危なっかしいところあるけど…」
 端切れ悪く綾芽が答える。
 綾香がもう少し綾芽で楽しもうかなと悪戯心に口を開こうとしたその時、
 ボーン、ボーン、ボーン…
 旧く大きな柱時計が時間を告げる。
「あ、 じゃあ私そろそろ部屋に戻ります、宿題が残っているから」
 そう言って、綾芽は綾香と芹香にお休みを告げて、部屋から出ていった。




 数日後、学園上空。
「明日ぁ、誘ってみようと思うんだ」
 一人Air Flierに腰掛けたまま静かに浮いている。
 見上げれば月が静かに夜を迎えはじめた空にあった。
 その日、初めてAir Flierは単独で飛んだ。
 フィールドの調整も終え、Air Flier Ver.1.04は自身の力で浮遊し、空力によって
空を泳いだ。 時にするどく時に優しく、舞うように、漂うように。
 辺りはゆっくりと夕焼けの朱から夜の空へと色を移して行く。
 寮の部屋の前のベランダに静かに着地する。
 翼を折りたたんだAir Flierをそっと置くのと、軍畑がベランダの戸を開けるのは
ほぼ同時だった。
「ああ、お帰り弥雨那ちゃん」
「ただいま軍畑さん」
「なー」
「ああ、ただいまクラム」
 そう言って希亜は足下にすり寄ってきた、青みがかったグレーの毛並みを持つシャ
ム猫を抱きかかえて部屋の中に入っていった。




 翌日、カフェテラス。
 放下後に希亜の提案で綾芽と2人でここに来ていた。
 2人の前にはそれぞれに注文した物が既に置かれている。
「ねぇ希亜君。 希亜君って子供、好き?」
「嫌いですよ」
 何気なく即答した希亜に驚いて、綾芽は目の前の希亜を見つめ直す。
「…どうして? 前に初等部の子供達を相手にしていたじゃない」
「眩しいんですよ、じっと見ていられないほどに」
 その言葉に綾芽は、希亜が本当に子供が嫌いじゃない事を感じ、更に質問を繰り返
す。
「どうして?」
「サリエリにアマデウスがそう見えたようにです」
「…そうなの。 でも、お姉さんとしてはもっと詳しく知りたいな」
「そですか」
「うん」
 目の前に座っている希亜が黙り込んだように綾芽には見えた。
 無垢とは言い難くても、何処か子供のような様相を持つ希亜を、初等部の子達と同
じように見ていると思いつつ、綾芽は希亜の言葉を待った。
「私の系譜の、グエンディーナではないこの世界の魔術、主に魔女と呼ばれる者達が
扱う魔術を、上辺だけとは言え私は幼い頃に教えられました…」
 再び希亜が黙り込む。
 ふと気付くと、希亜の目は泳いでいた。
「希亜君?」
 今まで面と向かって話す時の彼の瞳は、こちらの心をじっと、だが静かに見つめて
いるような瞳だった。
 その希亜の目が泳いでいる。
 違和感を感じずには居られない綾芽、そしてその違和感の原因が、希亜自身を戸惑
わせていた。
「おかしい、言葉にならない」
 ややあって発せられた希亜の呆けたような声。
 そのまま呟くような声で、言葉が続けられた。
「確か、一番良く習ったのは、心を扱うもので。 いろんなカウンセリングとかをお
婆さんと一緒に…」
 いつしか、声は綾芽に聞き取れる大きさではなくなり、口がただ小さく動き、何か
を言おうとしているのみとなっていた。
「希亜君!」
 思わず声を掛ける綾芽。
 だが、希亜はその声に反応するでもなく、何かを伝えようと口が僅かに動くままだっ
た。
 これ以上希亜をこのままにしておくのは危険だと思った綾芽は両手で希亜の両肩を
つかんだ、その一瞬希亜と視線が合う。
「「え?」」
 ビックリしてそのまま手を離す綾芽に希亜はのほほんと、
「どうしたんですか? 急にぃ」
「だって希亜君急に声が小さくなって、ぶつぶつ言ってて怖かったから…、その…」
 慌てて説明する綾芽。
「あ〜、記憶の中へと落ちていきましたから、たぶんそれが原因でしょう」
 平然と、のほほんと話す希亜に、綾芽は深いため息を吐き。
「希亜君、もう心配したんだからね!」
「あう… でも心配してくれるんですね」
「だっ、だって希亜君危なっかしいんだもん、お姉さんとしては心配するのが当たり
前じゃない」
「いや、同級生でしょ?」
 思わず即座にツッコんだ希亜だが、
「細かいところは気にしないの」
「むう」
 実際問題として、2人ともお互いの誕生日を知らない。
 希亜の方の誕生日は、実は数日前に過ぎているのだが、その事を希亜は綾芽にも告
げないようにしている。 本人が聞けば答えるとしても。
 何故ならそれが綾芽にとってタブーを引きだす事象なのではないかと、希亜自身が
判断したからだ。
 幸にして、調べるような人物も現時点では無く、希亜自身がそれについては黙って
いるので、今年の希亜の誕生日はいつもの1日として終わっていた。
 ややあって希亜は再び口を開く。
「多分、私にとって小さな子供は、魔術を学んで摩滅した心の一部を内包し続ける…、
ある種の悪夢の形の一つ。 そう言えるのかもしれません」
 希亜の言葉が途切れるが、綾芽は静かに言葉の続きを待った。
「それが、私が持つ優しさと強く反発している事に、多分私自身は薄々気付いている
と思います、でもそれらを認める事自体は受け入れられない」
「嫌いでいたいの?」
「そうかもしれません」
「そうなんだ、よく分からないけど…」
「そいえば… こんな事話すのは、あなたが初めてですよぉ」
 そういった希亜を綾芽は思わず見てしまう、彼女の視線の先の彼はなかなかこちら
に視線を合わせてくれなかった。
 その仕草に綾芽は内心で微笑みを返しながら、静かにパフェを口に運ぶ。
「でも何で聞こうと思うたんですか?」
 相変わらずそれたままの視線の希亜の質問に対して、綾芽は反射的にスフィーやマ
ルティーナ達を含めた初等部の生徒達と、話している希亜の姿が思い出された。
「だって、優しい目をしているのに嫌いだなんて変だよ」
「…私が、優しい目をしていましたか、子供相手に?」
「うん」
「そうですか… では、それは忘れて下さい」
「え?」
「私は、残酷な人間ですから」
「うそ」
 静かに否定した綾芽。
 その綾芽に、希亜はそれまでののほほんとした空気を引き裂くような視線と、敵意
を持って、深く静かに綾芽に口を開く。
「これ以上、その話をしないで下さい」
 殺気等とは違う、心だけを温度のない何かで直接貫かれるような感覚を受けた綾芽
は、希亜の視線だけで全身を貫かれ、紡ぎ出された言葉で心を直接削られるような錯
覚をおぼえ。
「ご、ごめん」
 ただそう生返事を返していた。
「すいません。 触れてほしくはない事ですから〜」
 綾芽にプレッシャーを与える事に成功したのは良いが、このままを維持する必要の
ない希亜は、またのほほんとそう言った。
 だが、綾芽はまだ固まっている。
「あの、綾芽さん?」
「…あ、だったらさっきの事も」
 今度は何とか反応する綾芽。
「あ〜、話したのはあなたが初めてですよ。 出来れば黙っていて下さいね〜」
 そう言った希亜の中に綾芽はとても危うい物を見ていた、
「いいよ、お姉さんとの秘密ね」
 だからだろうか、そう返事を返したのは。
(…さすがに、今は誘うべきではないですね〜)
 今日Air Flierでの飛行に誘うつもりだったのに、失敗したなとぼんやりと考える
希亜だった。
 だが、そんな考えも綾芽の一言で吹き飛ばされた。
「ねぇ、帚出来たの? 今日は眠そうじゃないみたいだけど…」
 思わず希亜は呆気にとられた、次いで…
「…百面相して、どうしたの? ね、ねぇー…」
 希亜は綾芽の前で、悔しそうだったり、愉しそうだったり、いろいろな表情が入り
交じった顔のままに口を開く。
「う〜ん、箒の方はとりあえずは完成しました」
 そう言って、紅茶を啜る希亜。 カップを戻した彼の表情は少し百面相の名残を残
しつつも、おおかたいつもののほほんとした物に戻っていた。
「じゃあ、乗れるんだ」
「ええ」
 返事はした物の、特に希亜の言葉が続く気配はなく、そのまま彼は沈黙を保つ。
「…まださっきの事気にしてるんだ」
「分かりますか〜?」
「だって、希亜君って表情にすぐ出るから」
「私は…」
「お姉さんとしては、心配だから。 だって目を離したら希亜君すぐ、悪いことしそ
うだもん」
「…そ〜んな、人を万年犯罪者みたいに言わないで下さい」
「でも、魔女ってけっこう傍迷惑な事するって聞くけど?」
「…いじわる」
 拗ねるように言った希亜の言葉に、綾芽はクスクスと笑みを返して立ちあがり、
「さ、連れってくれるんでしょ? そらの中へ」
「…う〜ん。 んでは、azre wayへ御招待しましょう」


 学園上空。
 綾芽の髪が風に梳かれる。
 グライダーに乗った事があれば、風を切り、そして風に乗る事を、知ることが出来
たろうか。
「ゆっくりと飛んでいますから、フィールドはほぼ解除に近い状態になってます」
 隣で自慢の箒ではなく、彼は彼曰く「天津丸」と言う、本当に魔女の御約束とでも
言うべきシンプルな箒で隣を飛んでいる。
 綾芽はAir Flierと言う箒に腰かけて、箒の舳先の方を見つめる。 どこまでも続
くそらを泳ぐように飛んでいる。
 不思議と空を飛んでいる道具に乗っているという感じはなかった。 その道具と共
に空の中に溶けこんでいるような、不思議な一体感があった。
 雲の白と、空の青、そしてその二つが織りなす淡い水色のハーモニーが、2人の前
にどこまでもひろがっていた。


 いつまで飛んでいただろうか。
 希亜の乗る天津丸に先導されるように、校舎の屋上に向って降下していた。
 優しい夕焼けのオレンジから、狂おしいまでもの紅に染まる雲の上の夕焼けを最後
に目に焼き付けて。
「言葉にならないの」
 そんな綾芽の言葉に希亜は静かに肯く、まるで「それでいいんですよ」とでも言う
ように。
 屋上に下り立った綾芽はふり返って先程まで乗っていた箒を見つめ。
「希亜君って、本当に魔法使いだね」
 そう言葉をつむぐ。
「ずるいよ…」
 ややあって綾芽からの言葉、ただ感歎のままに紡ぎ出された言葉。
「…ずるいよ、あんな景色を独り占めできるなんて」
「狙っていた訳ではありません。 でも、雲行きからだいたいの予想は出来ました、
私だけでは勿体ないですからね〜」
 こちらに背中を向けたままの綾芽に対して、希亜はただそう返していた。




 数日後漫研部部室、午前8時頃。
「ああ、あう…」
 満身創痍、と言うべきか一人の魔法使いの姿をした少年が、脱稿を終えて机に突っ
伏した。
 とは言え向かっていたのはPCである、丁度"空飛ぶ箒の作り方 翼を持つそれ初
版マスター"と名付けられたファイルをメディアに書き込み終わった所だった。
 少年とはもちろん希亜であり、脱稿が終わったと言っても、まだ原稿を印刷所に持
ち込まなければならない。
 印刷所の締め切りまであと… と時間を確認するが、まだ2日ほどあるのに気付き。
「とりあえずは目を覚まさないと…」
 部室内にもうけられているキッチンの方へと、ふよふよと漂う様に飛んでゆく。
 ふと窓の外を見ると、昨晩までの雨がやみ虹が見えていた。
 キッチンに着くとそこから一つの茶碗を取り出しポットの前に置き、他に茶筅と抹
茶を用意する。
 無造作に抹茶を茶碗に入れ、茶筅でダマにならないように細かくかき混ぜ湯を注ぐ。
 さらに細かくかき混ぜ、程良くとけ込んだところで泡たてに移る。
 その音が誰もいない部室に広がっていく。
 やがてその手が止まり、茶筅をトンと快い響きをたてて置いた。
 くいくいと茶碗を回し、正面を避けて口を付ける。
 静かに飲み込まれてゆくそれは、最後にズズズッと飲み干された。
「とりあえず寮に戻って、起き酒にしよ。 頭がハイになりすぎないように…」
 道具を軽くすすぎ、茶筅以外を食器乾燥機に入れ、重たい体を引きずるように、夜
食などで汚れたキッチンを片づけるべく行動を開始するのだった。


「♪闇へ飛び上がる、つばさ〜♪」
 そんなふうに自作の歌を口ずさみながら、Rising Arrowに乗って彼方に虹の見える
街の上を、すべるように飛んでゆく。
 程なく寮に着き、食堂へと一気に入り込む。
「あら? ずいぶん遅いじゃない、希亜君」
 食堂のおさんどん江藤結花は、寮生達がみんな朝食を取り終えて、食堂の片づけを
している所に入って来た希亜にそう言った。
「あ、おはようございます。 もう…」
「こんな遅くに来たら何もないわよ」
「そですね」
「ご飯と生卵ありますか?」
「それくらいなら…」
「では、その分の片づけは私がしますから〜、食べさせて下さい」
 ジト目で希亜を見る
「お願いしますぅ」
 哀願する、というよりは。 目の下にクマを浮かべた疲労困憊の表情で、徹夜のま
まにいつもののんびりした声… で静かに脅しているようにも見える。 もちろん本
人はただ普通におねがいしてるだけなのだが。
「仕方ないわねー、早くしなさいよ!」
「はい」


 お昼休み。
「ええと…、この辺りにいると思ったんですけどぉ」
 魔法使いの姿のままバゲットを食べながら、宙をふよふよと漂うように飛びながら
同級生を捜す。
「うーん、塚本さん何処に行ったんだろう…」
 既に印刷の件は伝えてある。 別に校内で原稿を渡すわけではなく、脱稿を終えた
ので後で原稿を持って行く事を一言伝えておこうと思っただけなのだが。
「参ったなぁ」
 そうは言うもののあまり参ったといえるような口調ではない。 希亜はそのままゆっ
くりと上昇し屋上に達する。
 目が合う。
 あからさまに嫌そうな顔になる視線の先の朔、希亜は内心でくすりと笑みを返し、
ゆっくりと近づいてゆく。
「こんにちは〜」
「お前な…」
「こんにちは希亜君」
「こんにちは、綾芽さん」
「最近顔を見なくてやっと平和になると思っていたら…」
 朔も、希亜がここしばらく箒の製作と同人誌の製作で色々と忙しい事を、自然に入っ
てくる情報と綾芽からの愚痴を聞く事で知っていた。
 もっともここしばらく昼食時に現れなかった事を考えると、考える必要性もないの
だが。
「残念ですね〜、でもそう言う意味では彼方にはもう平和はありませんよぉ」
 会心の笑みを浮かべながらに朔に返す希亜に、朔はゲッソリとして溜息をつくのだっ
た。
 そのまま希亜は、朔と綾芽の間の若干後ろにふわりと着地し、ゆったりとした仕草
で唾広の帽子を取り、持って来たバスケットから水筒を取り出し自前のコップに注ぐ。
「ん? それは?」
 珍しそうな視線をむけつつ、朔は問いかけた。
「水出し紅茶です、水は曾祖母の家の井戸からですよぉ」
「ん」
 素っ気なく言って、コップを希亜の前に差し出す朔に、全く動じることなく注ぐ希
亜。
「あらあら、ゆーさくはその言うのが好みなんだ」
「別に、俺とこいつの仲はこういうもんだからな」
「希亜君、私にももらえるかな?」
 今度は綾芽の差し出したコップに注ぐ、やはり全く動じることなくである。
「ふむ、こう言うのもたまには良いもんだな」
 口の中で転がすように味を堪能した朔の言葉に希亜は上機嫌で。
「そう思って、準備したんですよ〜。 綾香さんもどうですか?」
「そお? じゃあもらおうかしら」
 珍しく、純粋に楽しそうな表情を浮かべている希亜に気付いた朔は、
「うれしそうだな…」
 素っ気なく呟く。
「…ええ、一仕事終えましたから。 それに」
 そこで言葉を止めた希亜は、朔に寂しそうな笑みを返す。
 朔にもその笑みの意味が分かったのだろうか。
「そうか… まぁ、がんばれ」
 そう半場なげやり気味にではあるが、言葉を返していた。
 悠朔にとって希亜が綾芽の事を好いているのは疑う事のない事実であり、それがな
かなか上手く行ってないのを見ているのは、いつも希亜に手玉にとられているような
気がする彼にとっては、なかなかに愉しい見世物でもあった。
 彼から見た希亜は、色々と言動が危うくとも、綾芽を傷付けるような事を肯定する
ような人物ではないように見えた、そこはかな不安は残れどだが。
 だから、この2人の関係には出来るだけ不干渉でいるようにするつもりでいる、た
ぶん…。
「所で希亜君、あのAir Flierはどうしたの?」
「今は、部室においてありますよ。 また、どうですか綾芽さん?」
「放下後、でどうかな?」
「分かりました、迎えに行きますね」
「あら、よかったわねー綾芽。 彼と二人っきりじゃない」
 綾香の視線の先には、きっぱりと否定している綾芽と、視線を外してはいる物のい
つも通りののほほんとした希亜の姿があった。
(まあ、いいさ。 お前は俺とは違うのだからな)
 口の中に残る紅茶の味わいを感じつつ、そう思う朔だった。


 夕刻、五月雨堂。
「いらっしゃ…… 希亜君、なにそれ?」
 先程丁度客が居なくなった店内に、長物を持った希亜が入って来のを見て、思わず
店長の健太郎はそんな質問をしていた。
「今度作った箒ですよ〜、健太郎さん」
「箒?」
 見た目の質量の割には軽々と持っている、彼が箒といった物を見る。
 彼自慢の箒Rising Arrowのようなタイプのデザインで、舳先の方には水平方向と下
向に安定翼のような物があり、後端の方には後ろに大きく突き出した上下の二枚が対
になるような安定翼のような突起、その左右に対称に先程のよりは1つだけ形状の違
う3枚一組の安定翼のような突起、下部には舳先まで延びるブレードのような物等…、
およそ箒と言ってもにわかには信じ難い物だった。
「あ、希亜〜… なに? それ?」
「…。 箒ですよぉ〜」
 奥から出て来たスフィーの健太郎と同じような質問に、脱力とともに返事を返す希
亜だった。
(そりゃあ、箒なんて形状とは程遠いですけどねぇ)
 そんな呟きを脳裏に浮かべながら、希亜は説明を始めるのだった。

「…な、訳です」
「ふうん、翼を持った箒ね〜」
「さっきも説明したように、自立飛行が出来ますから荷物を載せてけん引と言う事も
出来ます」
 店の奥、廊下に沿って置かれたその箒。 5m近くあるそれはさすがに店の中で立
て掛ける訳にも行かず、廊下の端にそっと置かれている。
「これが今の私の限界ですよ」
「そうなの?」
「はい、この箒の翼を始めとした色々なデバイスは、ただ空と共に在ることの一つの
表れとして存在しているにすぎませんから…」
 のほほんという希亜の言葉の内容にどことなく危うさを感じた健太郎だが、スフィー
はそんな事にお構いなく希亜に訪ねる。
「ふ〜ん。 でもどうして急に作ることになったの?」
「由宇さん… 猪名川由宇さんに、急かされる感じになりましたから〜」
「由宇が? 希亜を? あの人からは希亜が同人誌を作るって話しか聞いたことない
けどな〜」
「それです、その同人誌の中身が、この箒の制作自体になってますから」
「…それじゃあ、その同人誌というのは、魔法書なんですか?」
「ええ、そうですよ」
 リアンの質問にのほほんと返す希亜はそのまま言葉を続ける。
「次の日曜に、販売しますよ」
「そうなの!?」
 驚くリアンだが希亜は平然としたまま。
「私の所属のサークルはそういうサークルですから〜、で場所ですけど…」




 コミパ当日、早朝。
「パージですねぇ」
 後方で牽引されている荷物を抱えた無人のAir Flierを見ながら、雲の上をすべる
ように進んで行く二人乗りのRising Arrow。
「弥雨那ちゃんは単独では初めて何スね?」
「ええ」
「オイラは今回も姉さんの手伝いなんスけど、ちょくちょく見に行くっスよ」
「すみません軍畑さん」


 コミパ会場。
 ペンダントになっているRising Arrowとは対照的に、主翼を折り畳んだだけの
Air Flierはかなりの長物で、突起物をのぞいた幅こそ40Cm程度なのだが、この状態
でも全長4.8M程もある。
「あら、いらっしゃい希亜君、ずいぶんと早いのね」
「お早うございます南さん」
「希亜君、後ろの箒は許可できないけど」
「あう。 荷物を運ぶだけで、すぐに預けに行きますからお願いしますぅ」
「本当に? 約束できる?」
「Witch's Broomの名にかけて」
「じゃ、本部の方には伝えておくから」
「有り難うございます」
「がんばってくださいね」
「はいな」
 ペコリと頭を下げて中へと入って行く希亜の後ろを、荷物を抱えたままの
Air Flierは補助翼と偏向スラスターをひらひらと動かしながらついて行く。
「うまく出来ている物スね」
 ほぼ速度0という低速での安定性を、単独でとっている目の前の物体の動きがあま
りにも生物的なのか、気づくと軍畑はその動きを楽しそうに目で追っていた。

 ここオリジナル系のスペースにも色々なサークルが参加している。
 Wtich's Broomのスペース、つまり今回の希亜のスペースに着いた希亜は、とりあ
えず荷物を下ろしAir Flierの機能を停止させ、準備会の方へと持って行くためにこ
の場を離れた。
 少ししてスペースに戻ってきた希亜は、長机の下をくぐり出店準備を始めるのだっ
た。
 びっしりと緑青で覆われた、銅製の魔女の帽子と箒を図案化したロゴをかたどった
看板を、テーブルの端に置いた専用の吊し台に吊し、先日看板と一緒に送られて来た
再販本と今回の新刊を並べて行く。 新刊を含めて並べたのは120冊ぐらい、と言っ
ても新刊は50冊程度を刷る代金しか持ち合わせていなかったことにもよるのだが、
希亜自身完売する事など考えてもいないのでこうなったのである。
 なにせ同人誌とはいえ、今回の希亜の新刊はAir Flierを作るための、マニュアル・
リファレンス的な部分が非常に大きく、資料まで含めたページ数は300ページを越
えていた。 とは言えサークルWtich's Broomの本は、魔女に関する物語か、魔法や
魔術に関する本がほとんどなのだが。
 結構早く準備が終わった希亜は、小型のクーラーボックスに入れていた水筒とコッ
プを取り出し、お茶をすするのだった。
 手慣れていたためか、もとも量が少なかったのか、あっと言う間に準備の終わって
しまった希亜にはする事はなかった。
 両隣を見てみるが、そこには段ボールが置かれているだけで、まだサークルの人は
来ていなかった。
「やっぱり、開いてすぐに来てしまうとこんな物なのかな〜」
 普通はそう言うわけでもないと思いつつ、時計を見る。
「あんまり時間経ってないやん」
 一人なので、ウロウロするわけにも行かず、ゆっくりとお茶をすするのだった。


 コミパの一般入場が始まって2時間が経とうとしていた。
 関西限定で活動しているサークルだけあって、知名度なんかほとんどないので、あ
んまり本は売れていない。
 買って行くのは、魔法に興味を持っている人と、たぶん魔法使いくらいだろうか…
 希亜の方も積極的に売ろうとしているわけではない。 内容が内容だけに、興味を
持っているように見える人にしか声をかけてはいない。
「よう、景気はどうだい?」
「あ、千堂さん。 ウチはそう言うサークルではないのでぇ」
「そうなんだ。 新刊読ませてもらっていいかな」
「かまいませんが… 魔法に興味がなければ新刊ではなくて、こちらの方が良いと思
うんですけど」
 そう言いつつ希亜は、並べている本から一つ取り出し、新刊を添えて和樹にそっと
差し出し。
「どうぞ、よければ差し上げますよぉ」
「それは悪いよ」
「んではぁ、気に入ったら買ってくださいね〜」
「ああ、ありがとう」
 いろいろと表情を変えながら、新刊の方を読んで行く和樹、その様子をのほほんと
したままに感じている希亜。
 しばらくして和樹は読み終え、一度希亜の方を見て。
「これってさぁ、レポートとか論文とかの形式になってない?」
「ええ、そのつもりで描きましたけど」
「俺ってずっと普通の漫画ばっかり描いていたから、こう言うのは評価しづらくて」
「思った通り言ってください、先輩」
「そうだな、進行役でキー君が出てくるけど… 全体としてはリファレンスとか、ハ
ウ・ツー本になってるって事ぐらいかな」
「読みづらくはないですか? 対象がマジックアイテムメーカーとかそう言った人た
ちなので、結構解説は入れたつもりなんですけど」
「専門用語以外はそんなには… その専門用語も作中や巻末に解説があるから、悪く
はないんじゃないかな」
「では、おおむねねらい通りです」
「取りあえず、両方もらっておくよ幾らだい?」
「900円とぉ400円、二つで1300円になります」
「じゃ、おつりください」
 そう言って差し出された2千円札を受け取り、
「七百円のお返しです〜」
と、すぐにお釣りを返す。
「じゃ、がんばってね」
「はい」


 お昼過ぎ。
 結構暇なのか、希亜はスケッチブックに落書きをしたためていた。
 あれからも数冊売れた程度だか、新刊の方はあれから1冊売れたにとどまっていた。
「まぁ、これを読んだからと言って、これと同じ物が作れるわけはないんですよねぇ」
「そうなんスか? 弥雨那ちゃん」
 落としていた視線を上げると、そこには寮のルームメイトの姿が。
「あ、軍畑さん。 ええ、私の魔法はかなり偏ってますからね〜、それに同じ物を作
る必要はないんですよ。 先人がこんな物を作ったのだなと、それが分かれば良いん
です」
「そう言うもんなんスか」
「ええ」
 長椅子の下を潜り込み、島の中へ入って来た軍畑は、希亜の隣に座り込む。
「あ、忘れるとこだったっス。 弥雨那ちゃん一人じゃ大変そうスから、店番にきたっ
ス」
「あ、でも…」
「姉さんから言われたっスから」
「あ… さいですか。 んでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「出来るだけ早く帰ってきて欲しいっスけど、ゆっくりしてくると良いっス」
「じゃあ、お願いしますね」
 島の外に抜け出し、新刊を幾つか入れた紙袋片手にた希亜に、ちょっと哀愁込みで
手を振る軍畑だった。
「まだ挨拶まわりも出来なかったんスね。 …おや?」
 テーブルの上の開いていたスケッチブックには、色鉛筆で荒く色づけされたラフで
はあったが夕焼け空を見上げる巫女の姿が描かれていた。
「はて、見たことあるような… まぁいいっス、弥雨那ちゃんには… ちょっと興味
あるっスね、後で聞いて見るっス」


 サークルJamming Book Store、そこだけコミパの喧噪とは別世界、とでも言うよう
な独特の空気が漂っていた。
 希亜はそのサークルの前、学校の先輩でもある彩の前で、新刊を読みふけっていた。
 いや、食い入るように読んでいるのだから、のめり込んでいたと言うのが正しいだ
ろう。
 やがて読み終えたのか、希亜は大きく息をつき本を閉じた、ふと落とした視線がこ
ちらを向いている視線とぶつかる。
「今回も、新鮮な話でした。 一ついただきます」
 そう言って財布の中から、お代を取り出す。
「有り難うございます」
「んで。 ついでと言っては何ですが、ウチの新刊をどうぞ」
 そそくさと取り出し、彩に差し出す。
「良いんですか?」
「ええ、問題ないですよ。 じゃあ、次も楽しみにしていますから」
 ペコリと頭を下げ、その場から去って行く希亜。 綾は彼の新刊を手に取り、表紙
をめくった。
 "空飛ぶ箒の作り方 翼を持つそれ"と題された本は、漫画とは逆に閉じてあり、そ
れがいっそうリファレンスっぽさを醸し出していた。
「芹香さんが前に教えてくれた物ですね」
 目次のカットインに描かれていた完成予想図に、彼女はそう言った。


 サークルWtich's Broomのスペース
 そのスペースの前に1人の大人の女性が歩いて来た。 その人物はピンク色の前に
ピョコンと飛び出た二房のくせ毛をひよひよと揺らしながら、カタログと睨めっこし
ている。
 その人物が通りすぎようとしたところで立ち止まり、軍畑と掛けられている看板を
見てカタログを閉じた。
「ここで良いのよね」
「あ、自由に手にとって読んでオッケーッスよ」
「あ〜、そうじゃなくて。 希亜は居ないの?」
「見てのとおり、今はちょっと席を外してるッス。 何時帰ってくるかは分からないッ
ス」
「そっか〜、じゃあ又来るわ」
 そう言ってその女性はスペースの前から離れていった。
「…、なんか弥雨那ちゃんのお師匠さんに似てたッスね…」
 たまに見掛ける主に初等部のスフィーが大人になったら、あんな姿になるだろうと
考える軍畑だった。
 勿論軍畑もスフィーが色々な体形に、何等かの影響で変わってしまうことを知って
はいたが、先程の人物がスフィーだとすれば、軍畑が未だ見たことのない大人のスフィ
ーと言えた。
(確かめればよかったッスね… ホントに)
 そんな事をぼんやりと思考しつつ、軍畑の店番は続のだった。


 辛味亭ののぼりが立つ、由宇のサークル辛味亭。 その前まで着た希亜だが、その
スペースには誰もいなかった。
「また… 何かあって南さんから逃げているのかな」
「あら希亜君、丁度良かったわ」
 振り返ると、南さんがいつもとは違う笑みを浮かべて佇んでいた。
 いやな予感のする希亜。 たいていの場合は、怒りを内包した笑みだからだ。 だ
が何かその笑みの向こうに、怒り以外の物を感じていた、それが何かまでは分からな
かったが…
「由宇ちゃん、見てない?」
 見ていないとばかりに、首を左右に振る希亜。
「残念、紅葉狩りの概要が纏まったから、意見を聞きに来たのに…」
 結局、怒った笑顔ではなくて、企みの笑顔だったことに気づいた希亜。
 確かに普通の笑顔とは違うのは何とか分かるのだが、そこまで洞察できなかったこ
とに、一人静かに深くダメージを受けていた。
「大丈夫? 希亜君。 疲れたのなら救護まで送るわよ」
「大丈夫ですよぉ。 私、ここで由宇さんを待ちますゆえ」
「じゃあ、由宇ちゃんに紅葉狩りの件お願いね、案纏まったからって」
「はい」
 行ってしまう南さんに手を振り、希亜は振り返って辛味亭のスペースを見る。
 幸い料金表はある…、他にも問題は見つけられない…
「そうですね…」
 自分に軽く言い聞かせるようにして、ふわりと長机を飛び越え、ふわりとかぶって
いた紺色のつばの広い帽子を脱ぎ。
「売り子さんしますか」
 そう言って今まで何度も経験してきた、辛味亭の売り子をするのだった。


 先ほど放送でこみパの終了が告げられていた。
 ある程度片づけをして、売り上げを数える。
「ふう、今日の売り上げは…」
 いつも通りの、主に神戸で参加した時と変わらない量に、なんとなしに安心し。
 段ボール箱に詰め込んだ本を見る、結局新刊は10冊と売れなかった。
「とりあえず、実家に送ってと…」
 宅配便の伝票に記入していると、ふっと手元が暗くなった。
「希亜君、どうでしたんですの?」
 影を作り出した人物、御影すばるは既に宅配を終えていた。
「いつも通りですよ」
 言いながら伝票を業者に渡す希亜。
 ペンギン便の従業員は慣れた手つきで書き込み、箱に伝票を貼り付けて行く。
「こちら、控えになります」
「お願いしますね」
 そう言って希亜は控えを受け取りこの場から離れる。
「おっと、そうだな」
「何ですの?」
「Air Flierを取りに行かないと、本部の方に寄るので、先に由宇さんとの待ち合わ
せ場所に行ってて下さい」
「分かりましたの、じゃお先ですの」
「はいな」




 会場から幾つか離れた自販機の前に数人の人影、猪名川由宇を初めとする今回のこ
みパに参加した数名がここにいた。
「遅いな、希亜のやつ」
「そうッスね」
 そんな事を言っていると、向こうの方に何か長い物を肩にかかえて歩いてくるシル
エットが見えた。
「あれ、希亜君じゃありませんの?」
「ホンマや、隣に誰かおるで」
 街灯に照らし出されて希亜と希亜のの隣を歩く人物がハッキリと見えた。
 ピンク色の二束の癖毛をひよひよと揺らしながら、希亜より高い身長の、やや子供っ
ぽい女性。
「スフィーや、希亜の師匠の一人。 …にしてはいつもより少し大きゅうないか?」
「やっぱり弥雨那ちゃんのお師匠さんだったんスね」
 二人は何かを話しながらこちらにやってきている。
「しかし、いつの間に来たんや?」
「お昼回ってから、会場を回っていたのを見たッスよ、弥雨那ちゃんを捜していたっ
スから」
 2人はそのまま歩いてみんなと合流した。
「しかしどないしたんやスフィー?」
「希亜の作った魔法書を貰いに来たんだけど、行き違いで手に入らなかったの」
 あっけらかんとしてはいても、やや残念そうに由宇に返すスフィー。
 この2人、寮のおさんどんである江藤由花をはさんでの知りあいであった。
「ところで猪名川さんたちは何で集まってるの?」
「ああ、ウチらはなー」
「これから希亜君の初出を祝って宴会ですの〜!」
「ま、そう言うことや、一緒に来るか? ワリカンやけどな」
 そう屈託のない笑みで尋ねる由宇にスフィーが否と言う事もなく。
 夜のとばりに一団は消えて行のだった。




 翌日放課後、漫研部室。
「あの、何ですか? これは」
「何って、次のこみパの申込用紙やがな」
「え?」
「次の本楽しみにしとるからなー」
「どうしよう… 天津丸Mark.2pとかも一緒にネタにしちゃったし…」
                                    Ende






 今回の教訓、特になし。
 敢えて言うなれば「魔女の系譜の人間が他人の掌の上で踊る」のはという点。
「だって由宇さんには、逆らえませんよぉ」
 …何か忘れているような。
「忘れているんなら、永久にそのままでも良いでしょう、その程度の事なんですから」
 思い出した…
「何を?」
 面と向かって、綾芽に告白してないね。
「あう…」
 だからまだ綾芽は芹香の庇護下にある訳だ。
「うん…」
 いつ、彼女の手から自らの庇護下に?
「…まぁ、そのうち」
 期待しているよ(笑)




登場人物(C-Part・登場順)
 来栖川 芹香
 悠 綾芽
 悠 朔
 軍畑 鋼
 江藤 結花
 長谷部 彩
 牧村 南
 御影 すばる
 猪名川 由宇