それから数分後、希亜がバスケットを片手に戻ってきた。 「今日は京番茶と、割れ煎ですよぉ」 そう言ってバスケットから湯飲みや急須、ポットに茶がら入れ、木製の平皿に割れ煎、 それらを次々と慣れた手つきでテーブルの上に広げて行く。 「…もしかして京都まで行って来た?」 綾芽のそんな疑問に、希亜は「前に、京都の産地で買っておいた物です」と、急須から 番茶を注ぎながら答えた。 「そっか、さすがにさっきの時間じゃ、京都まで往復できないよね」 「さぁ〜、やった事無いので何とも言えませんね〜」 「なんだろう、希亜なら出来そうな気がする…」 「必要がなければトライしませんよぉ」 「でも、やってみないと分からないでしょう?」 「そですよ。ですから色々と調べてはいるんです」 そのまま綾芽と会話しながらにお茶を注ぐ希亜。 程なく各人にお茶を差し出し、そのまま希亜はテーブルに着こうとするが、空いている 席がない。仕方なく綾芽の隣に自分の場所を確保した。 一口お茶を啜り、テーブルに湯飲みを戻す。 ふと気が付くいた。 テーブルの上を行き交うのは、各人がそれぞれに割れ煎を食べる音。 会話はおろか、声一つ漏れては来ない。 その割には三人とも、コミュニケーションがとれている様に見えた。 目の前の三人が、何らかの手段でコミュニケーションをとっているのは間違いないのだ ろうが、やはり声は聞こえなかった。 不思議には思ったが、そう言う効果の魔法を使っているのだろうと一人納得し、特に気 にすることも出来ず静かに待つことにした。 古い映像記録を見ているような気分だ。そんな感想を持って、楽しそうにしている三人 を、希亜はただぼんやりと眺めていた。 会話という音の代わりに、割れ煎を食べる音が時折三重奏で部屋に広がる。 (これはこれで貴重なものかなぁー) 希亜も一つ手に取り、口にする。 ばりばり、ぼりぼり… 堅い煎餅の歯ごたえが心地良い。 割れ煎とは、本来なら不良品として廃棄するはずの割れた煎餅。それを色々な種類の割 れた煎餅を詰め合わせにする事よって商品化したものだ。 一袋で色々な煎餅を楽しめると言う点においては、ちょっとお得な感じのする割れ煎を 選んだのは、少なくとも間違いではなかったなと思う希亜だった。 とは言え、手持ちぶさたになった希亜は、ぼんやりと記憶をたどり、思考の海に沈んで 行く。 「ところで希亜君の背中。さっきより翼が大きくなってませんか?」 綾芽の隣、一歩下がった位置で控えるように立っている希亜。その背中の内側の羽が、 伸びやかに広がっていくのに気付いたリアンがそう訪ねたが、希亜からの反応は全くなかっ た。 「あの… 希亜君は、魔法の効果に含まれていないのではないですか?」 魔法の効果で増幅された芹香の言葉に、リアンは気まずそうに希亜の方を見る。 リアン自身が施したこの魔法は、声の小さな芹香との円滑なコミュニケーションのため にと行った物だ。それはテーブルに着いた者に限定して、円滑な会話が可能になる物だっ た。無論テーブルに着いていない希亜には、この魔法の効果は及ばない。 三人の視線が希亜に注がれるが、当の本人はのほほんとした表情で、どこか遠くを見な がら煎餅を食べており、こちらの様子を気にもかけていないように見えた。 「世話が焼けるんだから…」 そう言って、どこかうれしそうに綾芽は席を立つ。 それに気付いた希亜の視線は、自然に綾芽に向かった。 彼女はそのまま希亜の方へと向き直り、希亜に視線を合わせた。 「どうかしました?」 口に残っていた煎餅を飲み込み、そう問いかけた希亜。その表情は綾芽の目にも、いつ ものように、のほほんとしているように見えていた。 「どうして、言ってくれないの?」 「…何をです?」 キョトンとして希亜が答える。 「わたし達が話しているの、聞こえなかったんでしょう?」 「ああ、そですね」 「じゃあ、どうしてそう言ってくれなかったの!?」 希亜の顔があっけにとれるが、それは本気で気にしていなかった事の裏返しだった。 「…独りには慣れていますから、気にならなかったんですよぉ」 ややあってから、いつもののほほんとした答えが、あまりにも自然に帰ってきた。少な くとも希亜が本気で気にしていなかった事に、綾芽は不安になりつつも、自覚を促すよう に声をあげる。 「もー、少しは気にしなさい!」 「ごめん…」 綾芽の言葉にすっかり小さくなった希亜は、そう小さく返事をしてうつむいてしまった。 希亜にとってただ疎外されることは、全く気になることではない。 だが好意をよせ、本気で好きだと言える相手に、そう自身の欠点を指摘されれば、落ち 込まない訳にはいかなかった。 希亜にとって、疎外されることを気にできないと言うのは、精神的欠陥であり。中学ま でに受けたいじめの数々がその欠陥を生み出していた。 綾芽はうつむいて落ち込んでしまった希亜の様子を見て思う。子供が親に怒られて俯い ている、そんな感じも受けるが、そういうのとは少し違う気がしていた。 少なくとも、寂しさについて希亜が度を超して鈍感だと、綾芽は思っている。ただそれ が希亜の精神的欠陥に関わりのある物だとまでは、この時点では気付く事はなかった。 「えっと、そんなに怒っているわけじゃないから。でも、これからは気をつけて欲しいな」 「…分かりました」 「よろしい」 戸惑いつつも、素直に返事を返す希亜に、綾芽は笑顔で返した。 希亜の表情も戻り、二人の会話に一段落着いたのを見て、リアンが席を立ち話しかける。 「それで希亜君、その背中の翼の事なんですけど」 「はい」 「ちょっと確かめたいことがあるので、浮き上がってもらえませんか?」 「分かりました」 言うが早いか、希亜はふわりと宙に浮き上がる。同時に背中の翼のうち外側の一対が伸 びるように広がった。 「そのまま。そうですね、昨日の晩御飯の事を思い出してみて下さい」 「昨日の晩御飯ですかぁ」 そう言いながら希亜は記憶をたどる。昨日の夕食は寮の食堂ではなく、実家で食べた。 その夕飯のことを思い出す。 リアンも芹香も綾芽も、希亜の背中にある内側の一対の翼が、ゆっくりと伸ばされ始め るのを見逃さなかった。 「少し大きくなりましたね。では次にその様子をインスタントヴィジョンで、見せて下さ い」 リアンはあまり驚くでもなく、そう希亜に言った。 希亜も特に疑問は感じなかったのか、そのままインスタントヴィジョンに移る。 (image aprooching…) 一度記憶を思い出し直し、イメージを固定する。 背中の翼は、羽根の先まで伸びきり。空色の淡い光を、優しく周囲に広げていた。 「data engage… release!」 そして、魔力が凝縮を開始する。背中の四枚の翼が一瞬揺らめいたかと思うと、魔力が 爆縮し、虚無へはじけた。 爆縮課程での、周囲の魔法使いに与える影響を極力小さくした様子に、リアンは満足そ うに頷く。何度試しても、希亜の通常魔法の発動は魔力の爆縮が必要な為、爆縮課程で周 囲の魔力を引きずり込む力を極力弱めるように指導していたのだった。 希亜の視界に、満足げに頷く師の姿が映る。 その直後、急激に拡散を始めた意識に、希亜は絞るような声を残して気絶してしまった。 「ああっ! 希亜ぁ」 急いで駆け寄る綾芽を視界に納めながらリアンは席に着く。 ふわふわと無軌道に宙を漂い始める希亜を捕まえる綾芽の様子を微笑ましく思い。同時 に希亜が魔力を集中爆縮させる前までの、内側の一対の翼の変化を思い出していた。 インスタントヴィジョンは個人の記憶をもとに像を構成するので、記憶が古かったり、 あまりよく覚えていないと、映像は劣化する。 以前、希亜に修練の為に行ってもらった時の事。記憶情報の劣化がない、ほぼ生の映像 を何度か見たことがあった。しかもそれがいつ見た物なのか、希亜自身は良く覚えていな いと言う。 良く覚えていない記憶がインスタントビジョンによって表されるという事は、グエンデ ィーナでも特に珍しいことではない。応用的な使用になるが、今朝見た夢や、何となく想 像した物を表すという事にも使われるからだ。ただ、そう言った物の場合は、ほとんどの 場合不鮮明な像であったりするため、希亜のようにいつ見た物なのかが定かでないにも関 わらず、劣化のない鮮明な映像が現れるのは、希有な事であった。 「希亜君は、特殊な記憶を持っているようですね」 「それは?」 「いつ見たかも分からない記憶を、鮮明に思い出せるようです」 リアンと芹香が希亜の記憶について談義を始める。 一方の綾芽は、ふよふよと宙に漂っている希亜を引き寄せ、ゆっくりと床に横たえさせ ていた。 その希亜の胸の上に、彼の使い魔がとてとて登り、そのままそこで丸くなる。 「失敗するといきなり気絶するのは、何とかしないと危ないと思うんだけどなー」 彼の使い魔の子猫クラムに、綾芽はそう語りかける。 するとクラムは、その頭と視線を綾芽に向け答えるように「なー」と一鳴きした。 「やっぱりクラムちゃんもそう思うでしょ?」 「なー」 一人と一匹は、そんな会話のような言葉と鳴き声を交わし、お互いに希亜の顔を覗き込 んだ。 ややあって、ゆっくりとその瞼が開かれる。 「あ、お早う」 「う〜、お早うございますぅ」 「なーお」 「む〜」 「失敗したね」 「ですね〜」 クラムを抱きかかえながら、希亜はゆっくりと身を起こし、そのままふわりと立ち上が る。 「この翼って、トゥスクルから来ているカミュちゃんみたいだよねー」 伸ばされる外側の翼を見て、綾芽は思い出すように言った。 「そうなんですか?」 「うん、初等部の子達に聞いたんだけどね。カミュちゃんの翼もさわることは出来ないの」 「そですか、それは興味ありますね。えっと、トゥスクルの方々でしたっけ?」 「そうだよ、見た目は動物と人を足して人側に近い感じの人たち」 「そう言われて見れば、講義室とかでも見たことがあるような気がしますねぇ。あれはそ う言う仮装ではなく本物でしたかぁ。 …とすると思ったよりゲートの出入りは多いんで すね〜」 思い出す希亜の脳裏に、学園の裏山にあるゲートを囲む建物から出入りする彼らの姿が 克明に浮かぶ。 「希亜によく似合った羽根だね」 綾芽がそんな感想を漏らす。彼女の視線の先、そう明るくはない部屋に淡い空色の光を 広げながら、希亜の背中の羽が四枚とも開かれていた。 「多分、私の性格も反映したんだと思いますよ」 「そうなんだ、だからこんなにのんびりと広がるんだね」 「なー」 「クラム、そこまで言わなくても…」 視線の先の二人と一匹が話している様子を見て、リアンは視線を芹香へと移す。 「やっぱりそのようですね。内側の翼は記憶に関係するもの、外側の翼は飛ぶことに関係 するものを、それぞれに表しているようです」 リアンが納得したように芹香に言った。 「あの淡い光と色は、あの子の力の色です。それに…」 そんな芹香の言葉は、魔法の効果の及ぶリアンだけに届く。そして芹香の言葉を一通り 聞いた後、リアンは席を立ち、希亜にテーブルに着くための椅子を持って来るように言っ た。 「リアンさんの魔法はね、テーブルに着いた人限定で、会話が出来るようにする物なの」 「なるほど」 綾芽の言葉に納得した希亜は、室内にもう椅子が無いのを見取り。 「すぐ戻りますね」 そう言って部屋から出て行った。 「あ… 羽根があるのにそのまま出て行っても、大丈夫かな?」 「大丈夫だと思いますよ」 コクコク。 「ならいいんだけど」 「そう言えば、綾芽さんはカミュさんとはお知り合いなんてすか?」 「えっと… 子供達の中にアルルゥって言う、トゥスクルから来ている子がいるんです、 その子を通して」 「そうですか」 「アルルゥちゃんは、少し人見知りするけどいい子ですよ」 綾芽は視線を腕時計に落としで、再び顔を上げる。 「もう少ししたら、紙芝居をしに行くんですけど、ご一緒にどうですか?」 「良いんですか?」 「そのかわり、子供達の相手をしてもらう事になりますけど。いいですか?」 「はい、よろこんで」 屈託のないリアンの返事に、綾芽は笑顔で答えるのだった。 十数分後、学園内の一角。 初等部方面へと続く、落ち葉の降り積もった照葉樹の並木道を一行は歩いていた。 紙芝居の入った鞄を持った綾芽の隣を、子猫のクラムを右肩に乗せて歩く希亜。その後 ろを隣り合って歩く芹香とリアン。 「こちらの方まで来るのは、初めてですね」 辺りを見渡しながらリアンが言った。 場所的には中等部の敷地の裏を通る感じで、初等部の裏側へと並木道は続いている。ま た反対方向に歩くと大学の敷地に至るらしい。 そのまま一行は裏側から初等部の校舎へと入る。途中綾芽が職員室に寄って鍵をもらい、 初等部と幼稚園の間にもうけられている図書館へと向かう。 初等部の図書館は、幼稚園の図書館としても使われ、同時に初等部の授業で使うことも 目的とされたもので、書庫もなくあまり大きくはない。とは言え学園の衛星図書館の役割 も持っている為に、こちらからも図書検索等が出来るようになっている。 その初等部図書館の一角に多目的ルームがあり、そこで綾芽は週に一回紙芝居を披露す ることになっている。「授業の都合が合わないと、なかなか出来ないんです」と綾芽はこ ぼす。 初等部の時間割の構成と、高等部の時間割構成が違いすぎるために、六時限目以降が開 いているような日でなければいけないとの事だ。 多目的ルームの鍵を開け中に入ると、綾芽はいそいそと準備を始める。 部屋の棚の中にある紙芝居の木枠を取り出し、慣れた手つきで組み立てる様に、希亜は ぼんやりと見とれている。 その様子に気付いて、綾芽が希亜に言う。 「知ってる希亜? これ単位になるんだよ」 「ええ〜!?」 突然かけられた声とその内容に、希亜は驚いて声を上げる。 「そう言えば以前いただいた学園の資料にありましたよ。高校と大学の方でそういった単 位認定がありますね」 リアンが綾芽にそう答えた。 「大学にもあるんだ」 「そっちの方も知りませんでしたねぇ」 「次から申し込んでみたら?」 「そですね」 「ところで、私達は何をしたら良いでしょうか?」 コクコク。 「見ての通り足下が絨毯ですから、椅子もいらないし。初等部の授業が終わって、子供達 が入って来てからですが、マナーを守れない子がいたら注意する位でお願いします。紙芝 居の手伝いは打ち合わせが必要ですから、希亜も一緒に見ていてね」 「分かりました」 程なく初等部のチャイムが鳴り、校舎内のあちこちが騒ぎ出す。 それから少しして、初等部の図書館の中にも、放課後の喧噪がこぼれ落ちて来た。 ふと芹香が腕時計に目を落とす、いつもならまだ六時限目のはずの時間だった。芹香自 身はたまたま休講の為に、綾芽につきあって今ここにいる。 綾芽にしても紙芝居をしていること自体は聞いていたが、正式に単位として取ろうとし ている事までは知らなかった。 (子供が好きな事は、以前から知っていました。けど、一種の代償行動としてのそれだと 考えていた事は、改めないといけない時期に来ている。そう考えても良いでしょうね) そんな事を考えながら、芹香はとても優しい眼差しで、部屋に入ってきた子供達の相手 をする綾芽を見つめていた。 程々に子供達が集まったところで、紙芝居が始まる。 綾芽が紙芝居をする様を、希亜はじっと見つめていた。 (題材は山陰地方の昔話。その時の題はもう思い出せないけど、絵本を見たことがありし たねぇ。 物語の意味は、まぁ。あまり高望みはせずに、程々がよいと言う話しだったかな〜。 こんな一生懸命な姿、始めて見ますね。 …それにしても、綺麗だなぁ) 目を離すことなど欠片も存在せず、希亜はただじっと綾芽の姿を見つめていた。 リアンは綾芽が話す声と仕草と紙芝居の雰囲気を感じていた。 (紙芝居という物を始めて見ました。 表には物語の一シーンが書かれ、裏側に対応するシーンのお話が書かれている物を、読 み手が表現力豊かに読んで行く。本を読んで聞かせると言うよりも、こちらの世界で見た テレビのような感覚に近いみたいですね。 それにしても、綾芽さん。とても上手にお話を進めていて、私も思わず見入ってしまい ます) 紙芝居の雰囲気に飲まれる事を楽しむ自分と、紙芝居という物を分析する自分を感じな がら、リアンは綾芽が紙芝居をする様を見続けて行いた。 「めでたし、めでたし」 そんな決まり文句で、物語は終わりを告げた。 「どうだったかなー、今日のお話は」 「典型的な教訓を残す昔話ですね。形態的にはヨーロッパのおとぎ話にも、似たような話 しがあったと思います」 鋭く、身も蓋もない意見に、綾芽がジト汗を浮かべる。 (あの子はそう言う子ですねぇ) 希亜は間にスフィーとティーナの二人を挟んで知っている、マールの言葉に苦笑する。 「そ、それはしょうがないよぉ〜」 「面白かったよー、綾芽ねぇちゃんが」 「はうぅー。でもでも、ちゃんと最後まで聞いてくれてありがとうねー」 「おう」 「ところで綾芽ねーちゃん。そっちのお兄ちゃんは、今日は飛ばないの?」 「はい?」 指をされて生返事を返す希亜は、その指を指した男の子が、以前箒に乗せてあげた人物 だと思い出した。 「ああ、今日は紙芝居の付き添いです。だから今日は無しですよ」 「えーっ」 不満の声があがる。 「ちょっと待っててねー、次のお話しを用意するから」 そう言って綾芽は次の紙芝居を用意し始めた。 その間にも数人の児童が、この多目的ルームに入って来る。 「ヴォフゥゥゥーー」 突然、そんな大型の動物の、比較的低い鳴き声が部屋の外から聞こえた。 「ん〜。学園内に、あんな鳴き声をするモノっていたかな」 そう言って様子を見に、希亜は歩いて出入り口の方へと向かった。 「なんでしょう?」 「来たんですよアルルゥちゃん」 不思議に思うリアンに、綾芽はそう言って微笑む。そのまま希亜の向かった出入り口の 方へと目を向けるリアン。 「なんでしょうね」 当の希亜は、のほほんとしたままに戸を開いた。 「ヴォフ?」 希亜の目の前に、何かが視界いっぱいに広がっている。 焦点が合い脳髄が認識を始める。 (ホワイトタイガー non... 白虎 non... check retry... しろいねこで大きさが規格外 距離近接 危険度極めて大…) と、そこまで思考したところで、ぷつりと糸が切れるように希亜は倒れ込んでしまった。 「ああぁーーっ、希亜! …ムックルの事、先に言った方が良かったかなぁ?」 驚いて、自分にごまかすように呟く綾芽。 その綾芽の視線の先。巨大な白い虎ムックルは、開かれた戸の前に倒れ込んでいる希亜 に戸惑う。 「ムックル、早く入る!」 戸の向こうからそんな女の子の声が聞こえる、するとその巨体を震わせて、ムックルは やや戸惑ったものの、結局希亜を跨ぐようにして部屋の中へ入って来た。 「危なくないんですか?」 「大丈夫ですよ。とても賢いし、飼い主もいますから」 「飼い主?」 「今入って来た、アルルゥちゃんです」 赤いランドセルを背負い、セーラータイプの制服を着た、犬のような耳を持った女の子 が入って来ていた。 「いらっしゃーい」 綾芽の声に、入ってきたアルルゥは「ん」とはにかみながら答え、そのままムックルの 側へ歩いて行く。 「あの子が?」 「はい、アルルゥちゃんです。じゃあ、ちょっと行って来ます」 綾芽はそう言って、気を失っている希亜の側へと歩み寄り、希亜の体を丁度お姫様だっ こをするように抱きかかえた。 (いくら浮いているからって、本当に軽いよね希亜って…) 自分の体重と比べてどうなのか、という思考をキャンセルして、綾芽は部屋の隅へと希 亜を運ぶ。 (それにしても…) 「あ〜れ?」 不意に綾芽の腕の中で声が聞こえた。いつも聞き慣れた、のほほんとした声が。 同時に腕の中の希亜が、一気に重くなる。 「わっ!?わわわ〜っ!」 落とすまいと思いっきり踏ん張った綾芽だが、気が付くと腕にかかっていた重さは消え ていた。 「重かったでしょう〜?」 のほほんとそう言って、希亜は空中でくるりと回り、床に降り立つ。その背中の翼はふ わりと広がっていた。 「もう少し早く気が付いてよ、ビックリしたじゃない!」 「ごめん」 「あー、翼があるんだー」 「「はい?」」 部屋の入り口からかけられた声に、二人が驚いて振り向く。異常な事に耐性があるのか、 初等部の誰もが言わなかった言葉が投げかけられたからだ。 「あ、いらっしゃい」 声の主を見て、綾芽はそう声をかける。 「あの子がカミュちゃんだよ、希亜」 「そうなんてすか? 見たところ普通ですけど」 アルルゥと同じくセーラータイプの制服を着ているカミュ。彼女の背中に羽は見えず、 希亜の魔法使いとしての感覚にも、一目では別段不思議な点は見受けられなかった。 「綾芽ねーちゃん、早く次のお話やってよー」 そんな声を皮切りに、子供達から催促のコールが始まる。 「じゃあ、次のお話し始めるねー」 そう言って綾芽は紙芝居のセットしてある台へと戻り、希亜も部屋の隅へと歩いて行く。 ムックルは、比較的部屋の後ろにその身を横たえ、それをソファー代わりにアルルゥと カミュが座り込んだ。 綾芽は一度辺りを見渡し「さぁ、始めるよー」と、元気良く声をかけると、子供達の視 線が一気に集まった。 今度の話も昔話だった。 一生懸命に昔話を進める綾芽に、見とれる希亜。 子供達の様子と綾芽とを見つめる芹香。 お話しをゆっくりと噛み砕いて理解するリアン。 「…そうして、今もこの岩は人々を見守っているそうな」 そんなくくりで昔話しが終わった後、子供達から声はあがらなかった。 「典型的な日本のお話ですね 欧州では一神教に根付く物以外では、こういった話しの形 式は少ないと思います」 ややあって、ようやくのマールの意見が綾芽の耳に届いた。 「うーん、今のお話は少し難しかったかなー」 「難しかったー」 数人からそんな声上がる。 「ごめんねー、今日はここまでなの。来週もまた来るから見に来てねー!」 子供達から不満の声もあがるが、綾芽が片づけを始めると、子供達はそれぞれのグルー プ事に部屋から出て行く。 「お疲れさま〜。戻ってお茶にしましょうか」 「うん」 希亜の言葉に頷き、綾芽は大きな手提げ袋に紙芝居をしまい込む。 そんな綾芽にリアンが声をかける。 「結構時間がかかる物なのですね」 「あんまり早く読んじゃうと、誰も着いて来れなくなりますし。子供達に読み聞かせる物 ですから」 「好きなんですね、子供が」 「はい」 自然とこぼれてくる綾芽の笑顔に、リアンはつられるように笑みを浮かべてしまう。 残っていた子供達を部屋の外に出し、部屋の片づけも手早く終え、多目的ルームに鍵を かける。 そこでふと綾芽は辺りを見回した。いつものように戸の横に置いたはずの、紙芝居の入っ た鞄に手を伸ばそうとして、そこに鞄がなかったからだ。 原因はすぐに分かった、希亜の手に握られているからだ。 「荷物、持つよ?」 「重くはないですよぉ」 「それはわたしが借りている物だから」 「分かりました」 答えながら紙芝居の入った鞄を渡す希亜は、じっと綾芽を見つめる。 「えっと… 何?」 「真剣な姿が、格好良かったですよぉ」 「あ、ありがと」 顔を紅くしながら答える綾芽は、すぐに背を向けて「鍵、早く返しに行かなくちゃね」 と言って、やや足早に歩き出した。 「さあ、希亜君も行きましょう」 「あ〜、はい」 生返事を返す希亜を置いて、リアンと芹香は歩き出す。 「まぁ、いいかなぁ」 先程のことを思い出し、のんびりとそう呟いて、希亜もこの場から歩き出した。 「先に校舎の外で待ってて下さい」 職員室が見えてくると、綾芽はそう言って職員室へと入っていった。 「じゃあ取りあえず外へ出ましょうか」 コクコク。 リアンの言葉に芹香は頷いて返し、二人は歩き出す。希亜もそれに従って歩き出した。 茜色を帯び始めた空が、ゆっくりと辺りを染めて行く。 校舎から出た三人は、誰からともなくその足を止め綾芽を待つった。 「良い季節になりましたねぇ」 夕焼けに移りゆく空を見上げて、希亜はしみじみとそう言った。 「希亜君は、なんの秋が思いつきますか?」 「そですね〜、なんだと思います?」」 「芸術の秋、はちょっと違うでしょうし。食欲の秋、と言うわけでもなさそうですね」 「…………………」 「え? お月見の秋? ですか」 コクコク。 芹香の言葉を反芻した希亜は、夜の空の中で、独り静かに月を見上げながら、好みの酒 を飲む姿を想像する。 「いいですねぇ」 「お月見でしたら、寮で月見会をするって結花さんから聞きましたよ」 「そうなんですか?」 「はい。まだ詳しくは聞いてないのですが、月見会をすること自体は決定だそうです」 「そですかぁ」 「その時は、ご一緒にどうですか芹香さん」 「………………………………」 「…喜んで出席させていただきます?」 コクコク。 「では、そう伝えておきますね。細かい事が決まりましたらまたお伝えします」 「……、…………………………」 「えっと、よろしくお願いします?」 コクコク。 そんな風に三人が月見会のことを話していると。唐突にガサガサと木々の揺れる音が聞 こえた。 次いで「ヴォフ?」と、なぜか疑問系の獣のうなり声のような音が耳に入る。 振り返ると先程の巨大な白虎が、アルルゥを乗せてのっしのっしと歩いてきたところだっ た。 リアンがアルルゥに会釈をすると、ペコリとアルルゥもお辞儀で返す。 「これからお帰りですか?」 「ん、カミュちー待ってる」 「そうですか、私達も綾芽さんを待っているところなんです」 二人が校舎の入り口へと視線を移すと、丁度校舎から綾芽とカミュが一緒に出てくるの が見えた。 「お待たせー、丁度そこで一緒になったんだよ」 「えっと紹介はまだだったよね? こっちがカミュちゃんで、大きな白い虎に乗っている のがアルルゥちゃん。二人ともトゥスクルから来ているの。それからその大きな白い虎が ムックル」 カミュが元気良く、アルルゥがややはにかみながら、それぞれに挨拶を返し、最後にム ックルが「ヴォフゥゥー」と控えめに鳴き声を上げる。 「それで、こっちの男の子が希亜君。その肩にいるのがクラムちゃん。こちらの方がリア ンさん、希亜君の魔法の先生。こちらが来栖川芹香さん」 「初めまして」 「なー」 「こんにちは」 ペコリ。 と、綾芽の紹介に、こちらもそれぞれに挨拶を返した。 「確かゲートは高校の方だったよね?」 「ここからだと、そですね〜」 「じゃあゲートまで一緒に行きましょうか」 リアンの言葉に、一同はゲートへと歩き始める。 その歩き始めた綾芽の側に、ムックルに乗ったアルルゥが寄ってくる。 「紙芝居のお姉ちゃん」 「なに? アルルゥちゃん」 「見てなかった方の紙芝居、して」 「うーん、どうしようかな…」 アルルゥの言葉に綾芽が戸惑う。 「時間はありますか? お家の人は心配しませんか?」 「大丈夫だと思うよ」 リアンのアルルゥに向けた問いかけに、反対側からあっけらかんと答えるカミュ。 「それに、ゲートの人に連絡してもらえば大丈夫!」 「ん」 二人の自信を持った言葉に、そう言う物なのかなと、疑問に思う綾芽。 だが綾芽も含めた希亜とリアンの三人は、アルルゥとカミュの具体的なトゥスクルでの 素性に関しては、全く知らないのである。 とは言え、グエンディーナの姫がこの場にもいるのだが、本人はその事を棚に上げっぱ なしであるらしい。 落ち葉と夕焼けの紅に色づく照葉樹の並木道の中を、一行は歩いて行く。 しばらくして、並木道から枝分かれしている道へと入る。分岐点にはご丁寧に日本語と 英語とトゥスクルの言葉で行き先掲示板が立てられていた。 それぞれに学校の事や、世界の違いなどを話しながら、小高い丘の裾にあるゲート管理 棟へと坂道を上って行く。 ふと希亜の背中の羽が、ゆっくりと空気にとけ込むように薄れ、最後にふっと淡い空色 の光を放って消えた。 「え? 魔法の効果が無効化されます、気をつけて?」 芹香の声を反芻した綾芽の言葉を聞いて、希亜が振り返った。 「ゲートを中心とした球状の空間が、そう言った影響を受けますよぉ。もちろん魔法以外 にも干渉することは確認済みです」 「どうしてそんな事知ってるの?」 「どこまでが危険なのか知っておかないと。うっかり上空をパスして墜落、なんてしゃれ になりませんから〜」 「そっか」 「そう言えば。ゲート管理棟は、ほとんど見たことは無かったですねぇ」 アスファルトで舗装された道の先、木々の間からようやく建物が見えてくる。 「なんか、ちょっと…… かなり昔の砦みたいですね」 周囲を板塀で囲った中に幾つかの建物がある。全体としては戦国時代の城を、それも天 守閣など無い初期の砦とも言える城を模した建物だった。 「わたし達はどこまで入れるのかな?」 「あの建物の中に、待合室があるの。こっちの人たちはそこまでは入れるよ」 カミュが正面の大きな建物を指して言う。 「ちょっと、行って来る」 そう言ってアルルゥはムックルを走らせ、建物の中に入って行ってしまった。 「それにしても、思ったより出入りする人は多いよね」 先程からちらほらと、いろいろな身体的特徴を持つトゥスクルの人々が、ゲート管理棟 へと入って行く。 その中にはカミュを見かけると、丁寧に一礼をして行く人もいた。 「えっと、カミュちゃんって偉い人なの?」 とても知り合いに挨拶するような仕草ではなかったのを見た綾芽が、不思議に思い問い かける。 「全然偉くないよ、偉いのは姉さまだし」 「でも、何人かはカミュちゃんを敬っているような感じに見えたよ」 「そうかなー …あ、出てきたよ!」 ごまかすように言ったカミュは、ゲート管理棟から出てきたムックルに乗るアルルゥへ 向かって、足早に離れて行く。 「ちょっとー」 カミュを追いかけて綾芽が、その綾芽を追うように希亜もこの場から離れて行く。 その様子に芹香は、仄かに笑みを浮かべていた。そんな芹香の様子に気付いたリアンが そっと訪ねる。 「何か知っているんですか?」 芹香は微笑みでそれに答え、リアンに耳打ちする。それはアルルゥが首長の娘的な存在 である事と、カミュが国教の大僧上の補佐役としてトゥスクルに来ているという事だった。 「それは、大変ですね」 二人はまるでいたずらっ子のような笑みを浮かべ合い、希亜と綾芽の様子を見ているの だった。 やはりリアンはグエンディーナの姫である事を、しっかりと棚の上の奥の隅に置いてお くつもりらしい。