天気のいい日だった。 木々の枝を揺らす風は暑くもなく冷たくもなく、ちょうどよい心地よさで彼の頬を 撫でてゆく。 太陽は雲という名の天然のカーテンに遮られ、その強い光に視界を奪われる事もない。 外を歩き回るにはいい天気だった。 (これで、非番でなければな) ディルクセンは草の生えた地面を踏みながら思った。なんだか仕事日和のような気 がしたのだ。 そう思ってから、慌てて首を振る。 「……いかんな、こんな調子では」 今日は、彼の主な仕事であるところの風紀委員会の任務はない日だった。それでも 放課後の今の時間、問題児の溜まり場であると認識する裏山──つまりはいつもの見 回りの順路──に足を向けているあたり、職業病と言われても仕方のないものであろ う。 とはいえ、仕事をしようと思ってここに来たわけではない。一応、気の向くままに 散歩をしているつもり、なのだ。 「ふぅ……」 溜息をついて、ディルクセンは立ち止まった。 横を通り過ぎる風は、そのまま側の立ち木の枝をかすめていく。 「やっぱり疲れが溜まっているらしいな……」 空を見上げる。薄い雲が一面に広がり、日の光は弱く降り注いでいる。 「……今日は非番で時間がある。天気もいい……森林浴は体をリフレッシュさせるのに 有効だというしな」 誰にともなく言い訳するように言うと、ディルクセンは手ごろな場所に腰を下ろした。 そして、そのまま寝転がる。 少しばかりの時間、こうやっているのは悪くないはずだとディルクセンは思う。 この辺りは、普段から人気がない。万が一目撃されたところで自分は風紀を乱す行 為をしているわけではない。授業中ならともかく、今は放課後だ。誰に非難されるい われもない。 そう結論付けると、ディルクセンは目を閉じた。 本人に自覚はないが、いちいち理論立てて確認しないと昼寝もできないあたり、や はり難儀な状態であるのかもしれなかった。 どれぐらいそうしていただろうか。 陽射しは相変わらず柔らかく、風は心地よい。 「……にしても、気持ちよさげに寝とるわ」 「そうだね」 「うん」 声がする。 「普段から考えると、あんまり想像つかん姿やけどな」 「そうなんだ?」 「真面目も真面目、1年から風紀委員やってる男や。かたくてかたくて、卵どころか みかんぶつけてもふたつに割れるわ」 「それは‥‥すごいね‥」 「あはは、すごいやそれ」 3人。男2人に女1人、らしい。 そのうち女のほうは聞き覚えのある声とイントネーション。 いや、聞き間違えはしない。彼女の声なら。 「ま、話の分からん人やないし。私は話してて楽しいけど」 「ふーん‥‥」 「そうなんだ‥‥」 ……自分の事、らしい。 ディルクセンは目を開けた。声のするほうを見る。 少し離れた位置に、見慣れた姿が1つと見慣れない姿が2つ、計3つが並んで立っ ていた。 むっくりと上半身を起こしたディルクセンに、3人の目が集中する。 「おはよ、先輩。よく寝てたようやな」 見慣れたほう──長い三つ編みに眼鏡の、ピンクのセーラー服の少女がちゃかすよ うに声をかけてきた。 「保科……」 彼女の名が口から出る。 保科智子。1つ年下の後輩だ。そしてディルクセンにとっては特別な女性である。 「その様子やと、今日は「お仕事」、お休みのようやね」 「ああ……」 生返事をしながら、ディルクセンは智子の隣に目をやった。 背の高い、紺の学生服を着た青年と、対照的に背の低い、幼い顔立ちの少年だ。 ディルクセンの視線に気付いて、2人はぺこりと頭を下げた。 「こんにちは」 「こんにちは、先輩」 「……うむ」 うなずいて、ディルクセンは立ち上がった。座ったままで対するのは格好が悪い。 「お前達……こんな所で何をしていた?」 「通りかかっただけや。何してたってわけやない」 「僕達は工作部なんですよ。一緒に届け物をしてきた帰りです」 ディルクセンの問いに智子がぶっきらぼうに答え、背の高いほうの青年が補足した。 「工作部か」 なんとなくほっとした気分になって、ディルクセンは改めて2人の男子生徒をみやった。 「‥‥2人とも同じ学年だな」 「はい、2年です。‥‥昂河晶といいます」 「僕は八希望です」 「俺は3年のディルクセンだ。風紀委員をしている」 2人に続いて名乗ったディルクセンに、昂河と望は「よろしくお願いします」と言って 軽く頭を下げた。 「なかなか礼儀正しいな。いいことだ」 ディルクセンは思ったままを口にした。 目の前の2人の名は知っていた。情報特捜部が部誌で転校生紹介の企画を行っていて、 その中で見たのだ。SS使い──つまり要注意人物──としてチェックリストに入れて ある。 それが、こうも穏やかな出会いをするとは。 「そうですか?……普通だと思いますけど」 「昂河くんは「真面目」やからなぁ」 智子が茶々をいれる。 「あ、僕は?智子さん」 「八希くんもまじめやね。いい子やと思うよ」 「いい子って、なんですかそれ?!」 「あはは、ごめんごめん」 真っ赤な顔で抗議する望に、智子が笑って返す。 なんだか不思議なものを見たような気がして、ディルクセンはただその様子を見ていた。 「今日はいい天気ですから、昼寝もいいですよねディルクセンさん」 「……うん?ああ、そうだな」 昂河に声をかけられて、ディルクセンは自分が上の空だったことに気付いた。 「いい天気って、曇ってるよ?」 「でも、すごしやすいから。いい天気だよ、今日は」 望の言葉に、昂河はそう言って微笑んだ。 「‥‥疲れてるんやない?先輩、体は大切にせんとあかんよ」 智子が少し心配気に言う。 「うむ……分かってはいるが、な」 「気ぃつけないと、また入院する羽目になるやろ」 「先輩、体弱いんですか?」 「いや、そういうわけでもないが……」 答えたディルクセンに、望はにっこり笑った。 「風紀委員って、大変そうですものね。胃にきちゃいますよね」 「……そう思うか」 ディルクセンは苦笑した。 「人のことは言えないけど、めちゃくちゃな人多いですしねー」 「この学校、「普通の学校」とは、ちょっと言えませんしね」 昂河が口をはさむ。 「ふむ、そう思うか?」 「僕が前にいた学校とは大違いです。もっとも、それがここのいいところだと思いますが」 「だからといって野放しにしていいわけではない。放っておいたら不法地帯になってしま うからな」 「ええ、適度な秩序は必要だと思いますよ。‥‥締め付けすぎは良くないと思いますけど」 「‥‥ふむ……まあ確かに、学生としての本分を全うし、なおかつ集団生活を乱すことな くすごす分には、そうきついことを言う気もないが」 「そうですね、それが基本的なことではありますしね。集団で暮らしている以上、そこで の基本的な決まりは守られてほしいですね」 「ほう……」 ディルクセンはちょっと感心した。SS使いにも常識の通用する人間がいるのだ。 周りにそういうSS使いがいないわけではないが、彼の認識においてその数は圧倒的に 少ない。 「昂河くんて、マイペースなわりにそういうとこしっかりしてるね」 「なんだい、その「マイペースなわりに」ってのは」 「自覚ないんだね」 そう言って笑った望に、昂河が「心外な」と言いたげな顔をする。 「そういう八希くんも、わりとマイペースやと思うけど」 「あっ、智子さんだって人のこと言えないでしょう」 「みんな自覚がないんだな」 今度は昂河がそう言って、3人は楽しげに笑った。 「…………」 ディルクセンは、また不思議な気分になった。 よく考えると、こういうふうに友達と語り合う智子を見たことはないような気がする。 「せっかくだから、少し休んでいこうよ」 望が他の2人に提案した。 「そうだね……それもいいね」 「あんまり長い時間でなければかまへんよ」 「……じゃあ、俺はこれで失礼する」 二人が賛成したのを聞いて、ディルクセンはそう言ってきびすを返そうとした。 「もうしばらくご一緒しませんか?」 昂河が声をかけてきた。 「いや、邪魔する気はない」 「ジュースおごりますよ」 「……あのな」 ディルクセンはあきれて昂河を見た。 「いいじゃないですか」 「そうですよ先輩。智子さんのお友達だっていうし、少しお話したいです」 「……友達?」 望の言葉に、ディルクセンは智子に目をやった。 「知り合い言うただけや。……まあせっかくやし、少しゆっくりしたらええやん」 あっさりとそう言われて、ディルクセンは戸惑った。 「しかし……」 「じゃあ、僕ジュース買ってきますね」 「あっ、僕も行くよ」 声をかけてさっさと歩いていった昂河に望がついていって、後にはディルクセンと 智子が残された。 「…………」 「…たまには、下級生と交流するのも必要やない?」 「……お前にそんなことを言われるとは思わなかったな」 ディルクセンの言葉に、智子は微笑を浮かべた。 「ひとりでいるよりは誰かといた方が楽しいから……そう思えるようになったわ、最近」 「……そうか」 「ま、誰とでもってわけやないけどな」 そう言って肩をすくめてみせた智子を、ディルクセンは複雑な思いで見た。 「ほら、立っててもしゃあない、座って待たへん?」 「……ああ」 先に座った智子から少し離れた場所に、ディルクセンは腰を下ろした。 そのまましばらく2人とも黙る。 何気なく智子の方に目をやる。風が緩やかに吹き過ぎ、彼女の前髪が揺れた。 智子は前に比べて丸くなった。そんな気がする。少なくとも、1年の時のように気 を張り詰めてはいないと思う。 「学校は楽しいか?」 口をついて出た言葉に、智子はディルクセンを見て、それから視線を地面に向けた。 「まあ、馬鹿なやつばっかやけど。でも悪い環境じゃないと……思う」 「……そうか」 「ほら、さっきの昂河くんや八希くんみたいな愉快な連中もおるし」 「愉快……まあ、そう言われれば変わっているかもしれんが、少なくとも常識はある ようだったな」 「工作部は常識ある人ばっかりやからね」 「まったく、ああいう連中ばかりなら楽なんだがな……」 「それはしゃあないわ。あきらめて「お仕事」がんばりや」 そう言って智子は笑った。 その笑顔が屈託のないもののように思えて、ディルクセンも思わず微笑を浮かべた。 そしてそれに気付いて、慌てて智子から視線をはずす。 「ふん、まあ今日は委員の仕事もないし、お前達の話に付き合うのもよかろう。下級 生の動向を知る上でいい材料になるだろうしな」 「なんやのん、突然」 おかしそうに問う智子にしらんぷりして眼鏡を押し上げながら、ディルクセンは今 日がいい天気でよかった、と思っていた。 そろそろ戻ってくるだろう2人を相手に学生のあり方について話すのも悪くはない だろうし、智子とこうして話すのも久しぶりなことだし。 とりあえずは、ディルクセンにとって今日は平和な一日であるようだった。