合作「裏」Lメモ 『漆黒と蒼風』 前編 投稿者:昂河

 月の冴え冴えとした夜だった。
 雲ひとつない空で、満月に満たない、だが半月よりは丸みを帯びた月が、煌
々と光を放っている。
 己の持つ得物が刀身にその光を映しているのを、彼は目の端に捉えていた。
「う…わ……」
 目の前では、腰を抜かしているらしい男が彼を見上げて口をぱくぱくさせて
いる。月光に照らされて、その蒼白になった顔がはっきりと見える。
 何も言わず、彼は刀を構えた。
 座り込んでいる男の足元には、2人の人間が倒れている。その向こうには更
に2人。
 いずれも彼が切った。
 いや。彼はその者達を人間とは認識していなかった。そして、目の前の男も
また──

「……外道が……」

 つぶやくと同時に、彼は動いた。風よりも早く。
 彼の愛刀──殺人刀と名づけられたそれが、月光を照り返し冷たい光を放つ。
 一閃。
 声を出す事もなく、男は倒れた。
 彼──YOSSYFLAMEは刀を軽く振り払うと、振り返ることなく、そ
の場を後にした。



 夜の繁華街。学生がいるべき時間帯ではないが、その場を歩く誰もが、そん
なことは気にしていない。
 人が絶え間なく行き交う中、YOSSYは軽く息をついた。
 さっさと帰って寝るか──そう思ったとき。
 前方の店から、男が3人出てきた。
 1人は中年の、恰幅がよく頭の薄い男。その後ろにつく2人は、体格のいい、
いかにもボディガードといった風情の男達だった。
(あいつ……)
 YOSSYの瞳が鋭く細められる。
 その中年の男は、裏ではかなり有名になってきた男だった。社会的地位もそ
れなりに高いらしいが、YOSSYにとってはそれはどうでもいい事だった。
 肝心なのは、男が汚い手を使って何人もの人間を陥れている事。そして、そ
のせいで命を絶った女性が何人かいる事。
(……運がなかったな)
 YOSSYは男の不運を思って、口元に笑みを浮かべた。
 どのみち、切るつもりだった男だ。それが今になったからといって、なんの
支障もない。
 軽くうなずいて、YOSSYは男達の後をつけはじめた。




                ***




 夜の繁華街。学生がいるべき時間帯ではないが、その場を歩く誰もが、そん
なことは気にしていない。
 実際、塾帰りやら何やらで、制服のままこの辺りをうろつく学生は少なくな
い。
 だから、昂河晶は気にせずいつもの紺の学生服のまま、そこにいた。
 手には英単語カード。それに目を落とし、一定の間隔でめくる。
 たまに目を上げて人の波を、そして歩道の向こうを見やる。誰かを探すよう
に。
 傍目には、人を待っているように見えるだろう。
 事実、彼は人を待っていた。今回の仕事の「標的」を。
 今の彼は、ただの学生ではなく、「賢武館」と呼ばれる組織の人間として行
動していた。
 つかんでいるスケジュールによれば、そろそろ動きがあるはずだった。
 目を上げて、今「標的」がいる店を見る。レストランとも居酒屋ともいえる
極一般的な飲食店。
 その扉が開いた。
 現れたのは、3人の男だった。
 1人は中年の、恰幅がよく頭の薄い男。その後ろにつく2人は、体格のいい、
いかにもボディガードといった風情の男達だった。
 彼らは特に急ぐわけでもなく普通に、歩道を歩いていった。
 昂河は英単語カードをポケットに仕舞った。
 「標的」が動いたのだ。
 昂河は充分な距離をとってから、その後を追った。無論、そうとは知られな
いように。
(ん……?)
 見たことのある後ろ姿を見つけたのは、しばらく歩いてからだった。
 昂河は背が高い。自然、自分の前にいる人間の姿が目に入ってくる。だから、
見つけたのは当然なのかもしれない。
 「標的」と自分の間に、竹刀袋を背負った後ろ姿があった。
(あれは、YOSSY?)
 彼の通う試立Leaf学園の同級生、YOSSYFLAMEだった。すたす
たと前の方を歩いている。
(こんな時間にここに……まあ、遊び人だからな、YOSSYは。……とはい
え、気付かれたくはないな、今は)
 思いながら、「標的」に目を移す。
 彼らは先の路地に入るところだった。車を待たせている道に出るにはそこが
一番近い。
(しっかし、あれで用心してるつもりかね)
 苦笑が浮かぶ。
 「標的」への勧告と警告はすでにしてある。しかし、「標的」はそれを無視
した。結果、昂河が「標的」の暗殺という任務を帯びてここにいる。それを考
えてのボディガードなのだろうが──
(わざわざ、人通りの少ない方を行くとはね。それとも──迎え撃つつもりか)
「えっ」
 思った直後、昂河は思わず目を見張った。
 YOSSYの姿もまた、その方向に消えたのだ。
(ちょっ……待てよ、おい……)
 仕掛けるポイントはこの先だ。つまり、次の通りに出る前に終わらせる予定
だった。
(なんだってわざわざそっちに行くんだよ!)
 もしかしたらこれは次のポイントを考えた方がいいかと思いつつ、昂河はそ
の後を追った。




                 ***




 人の多い通りを歩いていた男達が、不意に脇道に入った。
 そこを通り抜けると更に広い通りに出る。車でも待たせているのだろう。
 この脇道は人通りが少ないところだ。仕掛けるチャンスはあるだろう。
 それにしても警戒心の薄いことだ。それとも、何事があっても退ける自信が
あるのか。
(その自信が命取りだってのに、な)
 YOSSYの口元が微かに歪んだ。
 そのまま気付かれないよう用心しながら、彼らの後ろを歩く。
 道は4人くらいなら並ぶゆとりがある広さだ。
 均一に降り注いでいる月の光が、地面に落ちる様々な影を浮かび上がらせて
いる。
 今のところ、他に人の気配はない。
 道は、先で左に折れている。そこに入る前に決着をつけてしまった方がいい。
「おい、あんたら」
 YOSSYのかけた声に、男達は立ち止まり、振り返った。そしてこちらを
認めると同時に、ボディガード達が恰幅のよい男を守るようにその前に立つ。
(うん…?)
 彼らの動作に、YOSSYは内心首をかしげた。
 ボディガード達は、完全に臨戦体勢である。見も知らぬ、しかも少年に声を
かけられたくらいでそこまで反応するのは過剰というものだ。
(ま、あながち間違いじゃないけどな)
 思いながら、YOSSYは刀を抜いた。
 鈍く光るそれを目にした頭の薄い男は、顔を引きつらせ一歩退いた。
「き……来たな……賢武館」
「は?」
「ふ、ふん。返り討ちにしてやる。そのためにこいつらを雇ったんだからな。
やれ!」
 男の命令に、ボディガードの1人がYOSSYとの間合いを素早く詰めてき
た。並みの人間ならば反応できない速さだ。
 そう、並みの人間ならば。
 ブン、と音を立てて繰り出された拳がYOSSYの顔に突き刺さる───
 ぼとっ、と音がした。
 ボディガードが、訳が分からない、という顔になる。
 それもそうだろう。繰り出した右腕が、いつの間にか自分の体から離れて地
面に落ちていたのだから。
 YOSSYは無防備になっているその体に、返す刀で切りつけた。
 表情の変わらぬまま、傷口から血をほとばしらせ、ボディガードは地面に崩
折れた。
 もう1人のボディガードが何かを呟こうとした時には、すでにYOSSYは
その目の前に迫っていた。
 光が風を伴い走る。
 袈裟懸けからの乱撃──「絶・烈風乱舞」。
 その類いなき速さに、身じろぎする間もなくボディガードの巨躯は全身を朱
に染め、音を立てて地に伏した。
「ひ……ひぃ……」
 残った男が、引きつった声を上げて後ずさる。その顔には、はっきりと恐怖
が張り付いている。
 無理もない。頼みの綱のボディガード達があっという間に倒れてしまったの
だから。
「聞いてるぜ、あんたの噂。大層な事をやってるってなあ」
 ニヤリ、と口元を吊り上げYOSSYは言った。
「し…証拠は、役に立たんと、言ったはずだ……お、俺のバックには……」
「うるせえって。なんだか知らんが、んなこたどうだっていいんだよ。ようは、
あんたが消えりゃ問題なしだ」
 言いながら刀を構える。
「確かにそうなんだけどね……」
 不意に、後ろから声がした。




                 ***




 無言。
 それしか、昂河にできる術はなかった。
 全ては一瞬。
 YOSSYの抜いた刀が月光のきらめきを跳ね返したその一瞬に。
 ボディガード達は朱で地面を染めながら倒れていた。
(…………)
 「賢武館」ともあろう者が、「標的」を取られようとしているとは。
(いや、それより)
 YOSSYFLAME。
 彼は一体何者なのか。
 なぜ「標的」を狙うのか。
 怯えきった「標的」に向けて、YOSSYの言葉が紡がれる。
「聞いてるぜ、あんたの噂。大層な事をやってるってなあ」
 昂河は眉をひそめた。
 彼は知っているのか。「標的」が何故「標的」たりえるのか。
「し…証拠は、役に立たんと、言ったはずだ……お、俺のバックには……」
「うるせえって。なんだか知らんが、んなこたどうだっていいんだよ。ようは、
あんたが消えりゃ問題なしだ」
 言いながらYOSSYは刀を構えた。
 彼が動くより早く、決断しなければ。
 そして、昂河は数歩進み出た。
「確かにそうなんだけどね……」
 そう声をかけながら。




                 ===




「?!」
 素早くそちらを向いたYOSSYの目に映ったのは、鮮やかな紺。
 空から降りかかる白い光に浮かび上がっていたのは、紺の学生服を着た背の
高い青年だった。
「なっ……昂河……」
 YOSSYは思わず声を上げ、内心で「しまった」と思った。
 見知らぬ人間に見られたのなら、どうとでもなる。
 普通の人間には知覚できない速さで自分は動けるのだから、さっさと奴を片
付けてその場からいなくなればいい。顔を覚えられる事もないだろう。
 だが、この場に現れた青年はYOSSYが見知っている人間だった。
「お前……」
「まさかこんな所で会うとは思わなかったよ。……なんていうか……」
 まったく、なんと言ったらいいのか。昂河は言葉をとぎらせた。
「…………」
 さすがに何を言えばいいのか、YOSSYも言葉に詰まった。
 どさっ、と音がした。
 見ると、相変わらず恐怖に引きつった顔をした男が、その場にしりもちをつ
いていた。
「た、た、……助け……」
 口をぱくぱくとさせて、うわずった声を絞り出している。
 昂河も男に目をやった。
(さて、どうするか……)
 逡巡したのは一瞬。昂河は腹を決めた。
 なんにせよ、自分のこれからやるべき事とYOSSYがやった事に変わりは
ない。
 ならば──
「……聞きたいことはいくつかあるけど…とりあえず、用事は済ませてしまお
うか」
「用事?」
「君には悪いけど、彼は僕がもらう」
 言うなり、昂河はYOSSYに向かって駆けた。
「なっ?!」
 予想もしなかった昂河の行動に、YOSSYも動きが遅れる。
 昂河の言った言葉の意味を考える間もなかった。
 そのYOSSYの横をすり抜けて、昂河は座り込んでいる男の目の前まで来
ると、その勢いのまま無造作にも見える動きで片足を蹴り上げた。
 殺気を含んで跳ね上げられた爪先は、男の喉下を衝いた。
 男の体が後ろにのけぞり倒れる。
 それで終わりだった。男の体はもう動かない。
 昂河は軽く息をつくと、YOSSYの方を向いた。
 今度は、YOSSYが無言だった。
 男が絶命したのは確認するまでもなかった。昂河が放った蹴りが、紛れもな
く急所を衝いていたのは分かったから。
「さて……任務完了。ただし、完全ではない、と」
「……昂河、お前…………なぜだ?」
 少なくとも、YOSSYの知っている昂河は、平気で人の命を奪う人間では
ない。
「それは僕の台詞だよ」
 昂河はそう言ってYOSSYを見た。
 昂河の知る限りでは、YOSSYは確かに破天荒な男だが、街中で殺人行為
をするような男ではなかったはずだ。
「……君はなぜ、この男を狙った?」
 昂河はYOSSYを見ながら言った。その表情には、戸惑いのような、ある
いは困惑のようなものが見える。
 事実、昂河は困惑していたのだ。
 YOSSYのやっていた事に。そして、自分の行動に対しても。
 だから、ただYOSSYに問いをぶつけた。
「…………」
 どう答えればよいものやら。
 YOSSYは、月の光のせいかいつもより青く見える昂河の双眸を見返した。
 自分のやっている事──外道狩り。それをやっていることについて、言い訳
をすることはしない。できない。
 だからといってそれを「正義」だなどと言うような意味のないこともまた、
しない。
 そんなことなど関係ないから。ただ、あの人の敵を討ちたいだけだから。
「……見ていたのか?」
 とりあえず、聞いてみる。
「まあ、成り行きで。止める暇もなかったしね」
 正直に昂河は答えた。
「……止めたろうがよ」
「ま、間に合ったといえば間に合ったのかな。もっとも、結果的には同じ事に
なったわけだけどね」
「あいつは……殺されて当然の男だった」
「知ってるよ」
 あっさりと昂河は答えた。
「あの男のしてきた事はまさにそういう事だったからね。『我々』は自首する
ことを促していたんだけど、結局こっちの忠告には従わなくてね。だから、僕
が来た」
 YOSSYは眉をひそめた。
「どういうことだ…?」
「つまり、あの男を殺すのが僕の『仕事』だったんだよ」
「……なんだと?」
 思いがけない言葉に、YOSSYは唖然とした。
 この男の口から、そんな言葉を聞こうとは。
「だから、悪いけど優先させてもらった。……完遂とは言えないけど」
 言いながら、昂河はYOSSYを見据えた。
 隠すことはないと判断したのだ。
 なぜなら、彼のやろうとしていた事と自分のした事とは、結局は同じ事であ
るから。
 だから、そう判断した。それが本来してはいけないことであったとしても。
「……お前……」
「君がこの男に手を下す理由があったというなら、君が殺ってもよかったのか
もしれないけどね。「依頼者」も許してくれただろう。でも、まあこっちも仕
事だから」
 依頼者。
 察するに、誰かに頼まれて殺しを行うのが昂河の言う『仕事』か。
「あの男に恨みを持つ人間からの依頼ってわけか?」
 答えは特に期待はせずに、YOSSYはきいた。
「まあね。……で、これからどうする?」
 あっさりと、昂河はそう返した。
「……長居は無用だけどな」
「そうだな。……場所、変えるか」
「……俺がお前に付き合う理由はないぞ」
 昂河の提案に、YOSSYはそう答えた。
「君がどうしてこんなことをしていたのか、聞かせてもらいたいな」
「そんな必要ねえだろ」
「そうもいかないよ。偶然とはいえ君に邪魔されたのは紛れもない事実だしね。
別に洗いざらい聞く気もないし。……そもそも、僕のことだけ聞いて終わらせ
る気かい?」
「お前が勝手にしゃべっただけだろ」
「……本来、部外者の目の前で遂行するべきものじゃない……確かにそうなん
だけど」
「そりゃそうだろうな」
「だいたい、なんだってこんなところで出会わなきゃならないんだよ」
「なんだよ、唐突に。つーか、それはこっちの台詞だ」
「ったく……どう言えばいいんだよ、先越されたなんて。一応とどめさしたの
は僕とはいえ、君があそこで余裕ぶっこいてくれなきゃ絶対取られてたし」
 憮然とした顔で昂河は前髪をかきあげた。
「まあ、その辺の事も打ち合わせしたいし。とにかく、しばらくつきあっても
らうからな」
「おい、勝手に決めるな! そもそも打ち合わせってのはなんだよ」
「……『我々』を敵に回してもいいんなら、別にいいけど」
 ジト目でYOSSYを見ながら、昂河は低く言った。
「なんだよ、それ?」
「つまり、僕はある組織に属してるんだよ。今回は、そこの仕事だったわけだ。
それが君に邪魔された、となれば……」
 昂河は今度はまっすぐにYOSSYを見た。
「『我々』が動いてしまう。だけど、僕はそれは避けたいんだ。だから、打ち
合わせ」
「……つじつま合わせ、か」
「君が、君でなかったら……Leaf学園の生徒でなかったら……そしてこん
な事をしたのでなかったら……僕も、何も言わずにいたんだろうな……」
 言いながら、自分の判断基準がそこにあったことに昂河は気付いた。そして
納得する。
「…………」
「ま、見られたりした場合は、本来は問答無用でいったん身柄拘束なんだけど
ね。そのあと、うちの能力者に預けられて記憶操作だろうけど。でも、それは
……したくないんだ。それなら君の目の前で任務遂行する必要はなかったわけ
だけど……なんか、動揺したらしいね、僕」
「…………」
 YOSSYは、昂河の視線を正面から受け止めた。
 分からないでもない。立場は違えど、結局同じ事をするのが目的の人間がい
て、それが日頃そんな面を見せない知人であったなら、動揺もするだろう。
 自分もまたそうであるように。
 しばらくそのままにらみ合う。
 昂河が、不意に目を伏せた。
「僕は、あそこでの……学園での生活を壊したくないんだよ。失いたくもない」
「じゃあ、何も見逃すこたないんじゃないか? 素直に俺の記憶を消しちまえ
ばいいんだ」
「僕が嫌だ」
 簡潔に言うと、昂河は前髪をかきあげた。
「やだって、いいのかそれで?」
「本当はよくないけど。……僕がこういう仕事をしていることもあるから、君
のやっていたことについて知っておきたいんだ。……理由があるのなら、聞い
ておきたい」
「…………仲間意識ってやつか?」
 皮肉気に、肩をすくめてYOSSYはきいた。
 そんなもの、なんの意味もない。そう思う。
「さあね。……それに、僕は君の殺人現場を目撃してる。それを忘れてないか
い?」
「……脅すつもりか?」
「だから、おあいこにしておきたいんだよ。君だけ忘れるんじゃ不公平だろ?」
「…………」
「どうかな?」
「……例えば、俺が証拠隠滅のためにお前を消すとしたら?」
 その言葉に、昂河は口元に笑みを浮かべた。
「はっきり言って、君と僕が正面から打ち合ったら、次の瞬間に地に伏してい
るのは…僕だ」
「そうかね……」
 YOSSYはその言葉に苦笑いを浮かべた。
 対峙する2人を、太陽の照り返しである月の白い光が浮かび上がらせていた。