テニスエントリーLメモ・涼風譚外伝「幸運は涼風と共に」 投稿者:昂河
テニスエントリーLメモ・涼風譚外伝「幸運は涼風と共に」
「はぁー…」
 吉田由紀は、溜息をついた。
「テニスかぁ…」
 暗躍生徒会主催のテニス大会の準備は、着々と進んでいるようだった。
(…男女ペアのみだしなぁ)
 目的はどうあれ、お祭り騒ぎはやはりわくわくするものなのだが、由紀は今回あまり
乗り気ではなかった。
 廊下を歩きながら、彼女は窓の外に目をやった。
(出るにしたって、美和子しか相手思いつかないよ…)
 交友関係がないわけではないが、こういう時に浮かぶ仲のいい男友達というのはいな
い。
(でも、せっかくだから出てみたいなぁ。いっつもこういう行事の時って、何か係の仕
事ばっかり回ってくるし。1度くらい、ちゃんと出てみたいな…)
 思いながら前方に目をやった時、長身の後ろ姿が目に入った。
「あ」
 最近見るようになった姿だ。
 雑多な服装のLeaf学園の生徒達の中にあっても、長身のせいもあって、その鮮や
かな紺の制服は目立つような気がする。
(昂河くんだ)
 由紀はその後ろ姿をじっと見た。
 転校してきて間もないその青年の名は、昂河晶といった。
 情報特捜部が突発企画で転校したての彼の取材記事を新聞に載せたのと、同じ学年と
いうことで、顔と名前は知っている。
 まだ話したことはない。
 だが、由紀にはなんとなく気になる存在だった。
(……やっぱり似てる気がする……)
 美和子に言わせれば、背の高さと髪型が少し似ているだけだというのだが、それでも
由紀はその思いを消せないのだった。
(そりゃ、違うけど……でも、人当たりもいいし、なんか落ち着いた雰囲気だし、背も
高いし、目はぱっちりしてるけど、髪型も昂河くんの方が前髪長いけど、ちょっと似て
るし…)
 由紀にとっては、やはり似ているのである。彼女の憧れの先輩──月島拓也に。
「あ」
 昂河が立ち止まったのを見て、由紀も立ち止まった。
 昂河は通りすがりの2人連れと話をしていた。由紀はその2人とも知っている。
(…長瀬くんに、瑠璃子さん…)
 3人は親しげに会話を交わしている。
(…仲いいんだ…)
 同じ2年の藤田浩之や神岸あかりとはよく一緒にいるのを見るが、この2人といるの
は初めて見た。
(瑠璃子さん…楽しそうだよね)
 彼女の表情はいつも読めないのだが、由紀はそう思った。
 そのうち話は終わったらしく、昂河はまた歩き出していた。
 由紀もそれに合わせて歩き出す。
(…どうしよう…)
 さっきから、由紀はある事を試みる気になっていた。
(突然変なこと言って、気を悪くしたりするかな…でも、今を逃がしたら)
 後はないような気がする。
(いいよね…私だって夢見ても)
「うん!」
 由紀は気合いを入れるように、グッと両拳を握り締めると、意を決した表情で小走り
に歩き出した。
 紺の後ろ姿が近くなる。
「あのっ、昂河くん!」
 手を伸ばせば触れられるくらいの距離まで追いついた時、由紀は声をかけた。
 昂河は足を止めると、振り返って由紀を見た。
「はい?」
「あの…」
 背の高い昂河の顔を見上げながら、由紀は何かを言おうとしたが、その何かが出てこ
なかった。
(えーっと、えーっと…私、昂河くんと話すの初めてなんだよね。何言ったらいいんだ
っけ。初対面の相手に会った時って…えっと…)
 言葉が出てこない由紀を、昂河はいぶかしげな表情で見ている。
「あの…私、吉田由紀っていいます。昂河くんと同じ2年生で、生徒会で会計やってま
す。」
 ようやく自己紹介の言葉が出て、由紀はほっとした。
「あ、やっぱり」
「え?」
 思いがけない言葉が返ってきて、由紀はきょとんとした。
「あ、いや、君の着てる制服が僕の友達のと同じだから、ちょっと気になってきいてみ
たことがあったんだ。それで、生徒会だったかなと思って。」
 更に想像もしていなかった言葉に、由紀は目を丸くした。
(昂河くんが……私の事知ってた…)
「それで、なにかな?」
 昂河が軽く笑みを浮かべた。
「あ…あのね」
 話そうとしながら、由紀は心臓がドキドキいいだすのを感じていた。
「えっと、昂河くん、暗躍生徒会主催のテニス大会の事は聞いてる?」
「聞いてるよ。男女混合ダブルスだったっけ。」
「昂河くん、出る?」
 言ってしまってから、由紀はちょっと後悔した。
(ちょっと切り出しが早すぎたかな…)
 だが言ってしまったものはしょうがない。
 昂河は少しびっくりしたような顔をした。
「僕?」
 由紀は頷いた。
「いや、僕は出ないけど」
「テニス、嫌いなの?」
「そういうわけじゃないけど、1回くらいしかやったことがないし……。それに、相手
もいないしね」
「じゃあ、相手がいたら出るの?」
 その言葉に、昂河は考えるように目を軽く伏せた。
(あ…昂河くんの目って)
 その瞳を見て、由紀は思った。
(青く見えるんだ……)
 なんだか新しい発見をしたような気がして、由紀は嬉しくなった。
 昂河は少しの間考えていたが、やがて口を開いた。
「うーん……出てもいいけど、僕はテニスはよく分からないしな。」
「大丈夫、私、分かるから」
「えっ?」
 不思議そうに顔を覗かれて、由紀は顔が赤くなっていくのを感じた。
(やだ、私まだ肝心な事言ってないのに……)
 先走って言葉が出てしまった。
(えっと、えっと……)
 由紀は赤面したまま、ぎゅっと両の手を胸のところで握り締めて、昂河を見た。
「あの、昂河くん!」
「はい?」
「あのね、あの…私と、テニス大会に出てくれないかな」
 言った後、顔がかあっと熱くなった。
 昂河はきょとんとして由紀を見ている。
「えっと……僕と?」
 由紀はこくこくと頷いた。
 昂河は、じっと由紀を見た。
(どうしよう…変なやつだと思われたかな。でも、でも…)
 心臓がばくばくいっている。
 昂河は軽く視線を下に向けたが、すぐに目を上げて由紀に視線を戻した。
「いいよ。」
「…………」
 心臓の鳴りが静かになった。顔から、過剰な熱が引いていく。
「さっきも言ったように、テニスはあんまり分からないけど、それでよければ」
「……ほんと?」
 昂河は由紀の言葉に頷いた。
 その穏やかな瞳を見ながら、由紀は自分の顔が自然に笑みを作るのを感じていた。
「…ありがとう、昂河くん!」
 笑顔で、由紀は礼を言った。おそらく、とても嬉しそうな顔をしているだろう。
(嬉しいよ……とっても嬉しい)
 変な娘だと思われているとしても、由紀はにこにこ笑うのを止められなかった。
「私、1度こういうイベントに出てみたかったの。だってね、生徒会メンバーって、い
っつも出場するより係とかの裏方に回っちゃってたし」
 なんだか饒舌になってしまっている。
 さっきまでの「どきどき」は、「うきうき」に変わっていた。
 昂河は穏やかな笑みを浮かべて、そんな由紀を見ていた。
「あっ、じゃあエントリーしてこない?2人で一緒に申し込みしなきゃならないし」
「ああ、いいよ。」
 頷いた昂河と一緒に、由紀は歩き出した。
(えへへ、昂河くんとテニスッ。嬉しいな)
 スキップになりそうな足取りをなんとか押さえながら、由紀はやっぱり笑みを隠す事
ができなかった。


 ちなみに、エントリー時には優勝特典の事などすっかり忘れていた由紀が、それを思
いだして真っ赤っかになったのは後の話である。(ちなみに昂河も全然忘れていた。)