テニス大会その後L・涼風譚外伝「薫風に笑顔弾けて」  投稿者:昂河
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 この話は、YOSSYFLAMEさんのLメモ「テニス大会 第6章 「Why you enjoy?」」
をご覧になってからお読みいただけると嬉しいです。

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  テニス大会その後L・涼風譚外伝「薫風に笑顔弾けて」


「ふぅ…」
 テニスコートを後にしながら、昂河は息をついた。
 首にかけたタオルで汗を拭う。
「お疲れさま」
 隣を歩く由紀が、昂河に笑顔で声をかけた。
「お疲れさま」
 昂河も同じ言葉を返す。その瞳が穏やかに細められた。
「……楽しかった?」
「私?うん、とっても楽しかったよ。」
 相変わらず笑顔の由紀。その表情には一点の曇りも無い。
「…昂河くんは?楽しめた?」
「うん。楽しめたよ。…もっとも、前半は焦ってたけどね。」
 昂河は小さく笑った。
「‥焦ったなんて、久しぶりだよ。」
「そうなの?うん、でも昂河くんっていつも落ち着いてるもんね。」
「そうかな」
「うん。」
 由紀がうなずく。
「まあ…そうかもな。」
 昂河は苦笑した。
 「仕事」をするようになってから、感情を制御することが普通になっていたから、
落ち着いて見えるのも当たり前かも知れない。
「ふふ、昂河くんの意外な面が見れたのかな?」
 由紀が笑みを浮かべる。楽しそうだ。
 その表情が、ふと陰った。
「……ごめんね。私、足引っ張っちゃったかも…」
「そんなことはないよ。吉田さんは一生懸命プレイしたじゃないか。‥足を引っ張っ
たのは、僕の方かもな。」
 一方的に攻められるという、思ってもいなかった展開に焦ったのは、昂河の方だっ
た。
 その可能性がないわけではなかったのに。
「そんなことないよ。昂河くんだって、がんばったもの。」
 由紀が一生懸命に言う。
「そうだな。2人でがんばったものな。」
「うん!」
「まあ、あの2人が強かったんだよ。さすが優勝候補だよ」
「すごかったよね。コンビネーション最高って感じで」
「なんかOLHさんが今一つ気の抜けた顔してたけどね……」
「勇希先生は思いっきり気合入ってたよね。なんか対照的なのに、プレイ中はきっち
りお互いをサポートしてるんだもん。見てて楽しかった。」
「……吉田さん、本当に楽しんだんだね。」
「ふふ、そうだね。」
 微笑む由紀に、昂河も笑みを浮かべた。
 試合の最中、負け試合に焦っていた昂河の心を落ち着かせたのは、由紀の笑顔だっ
た。
 『だって、昂河くんが私と組んでくれたから』
 そう言って、由紀は笑ったのだ。表舞台に主役の1人として立つことができた、そ
のことを楽しんでいるのだと。
 勝ち負けではなく、その時間の中、その場所にいることが楽しいと。
 そして、そこでは昂河もまた主役の1人なのだと、彼女の言葉は教えてくれていた。
 そこでは、誰もが主役なのだと。
(彼女は、楽しむことを知っている……)
 今まで、昂河はそんな楽しみ方を知らなかった──いや、忘れていた。
 「仕事」を始め、影に身を投じた時から、そんな生き方には縁がなくなったと思っ
ていた。
 けれど、自分は今ここにいる。この場所に。
 『助けてあげられるよ。私だけじゃなくて、みんなが助けてくれるよ』
 自分をこの場所──Leaf学園に誘った少女の言葉が、脳裏によみがえる。
 少しずつ。何かが変わっていく。
 それを、昂河は今実感した。
 少なくとも、テニス大会などという晴れ舞台に出るようなことを、自分は今までし
たことはなかったのだし。
 まして、それを楽しむことなど。
「……吉田さん」
「なに?」
 覗き込むように自分を見た由紀の頭に、昂河はぽん、と手を乗せた。
「君と一緒に組めて、良かった。」
「えっ……」
「楽しかったよ」
 にっこりと笑う。由紀の頬が、微かに赤く染まった。
「君の一生懸命さに助けられた。本当にありがとう。」
「そんな、私……ただ、試合に出られて、昂河くんと一緒で、楽しかっただけだから」
「うん、僕も吉田さんと一緒で、楽しかった。」
「昂河くん…」
 由紀は目を丸くして昂河を見た後、にっこりと笑みを浮かべた。
 屈託のない笑顔。
(そうだ…)
 テニスに誘われた時も、彼女は笑顔だった。
 自分は、この笑顔に惹かれたのかもしれない。
「…君といたら、楽しむことがもっとできるのかな」
「えっ?なに、昂河くん?」
 呟きを聞き返す由紀に、昂河は一瞬考えて、それからくすっと笑った。
「…なんでもないよ。さあ、待合室に戻らなきゃ。少し休んでから、他の試合を見よ
う。」
「うん、そうだね。」
 由紀がうなずく。それを見ながら、昂河は言葉を探した。
「それで……えーと、一緒に見てていいかな?」
「えっ?」
「だから、君と一緒に試合観戦していいのかなって」
 昂河の言葉に、由紀は一瞬きょとんとして、それから満面に笑みを浮かべた。
「うんっ!一緒に見てようね?」
「ああ。」
 昂河も、笑顔を返した。
 まだ、よく分からない。
 「楽しむ」こと。自分で自分が思うように動くこと。
 でも、楽しむことを知っている彼女と一緒にいられたら──何か、分かるのかもし
れない。
 自然に笑みが浮かんでくる。
 昂河は今、楽しかった。
「じゃ、早く行こうか。」
「うん。」
 歩きながら、昂河は軽く空を仰いだ。
 風にそよぐ木の緑と、空の青のコントラストが眩しく思えて、昂河は目を細めた。


                                  <終わり>