Lメモ私録 第六「雨が降った日」 投稿者:神海

 外は、雨だった。
 雨音は体育館の屋根に大きく反響し、床に頭をつけていると、建物全体を――下方すら
も――包んで浮かび上がらせているような錯覚に襲われる。
 いつもより強く見える黄色い照明や、締め切った屋内に響くバスケットボールの音など
も加わると、不思議な空間と時間をかたどることになる。
 考えてみれば、学校というのは奇妙な空間だった。
 毎日のように通う場所であるのに、ふと稀に、異世界に迷い込んだような感触を覚える
ことがある。
 図らずして日没後まで居残ってしまった教室の、白く強烈な蛍光燈の下。
 早朝、自分の声すらも木霊する無人の廊下。
 暗幕の降ろされた体育館。閉塞と開放を同時に感じる
 今まで訪れなかった角度から見る、意外な中庭の風景。
 雲厚い雨の日の体育館にも、そんな魔力がある。
 呪力、というべきか。
 ……歩み寄ってきた影には気づいていたが、神海は頭を起こして、傍らのダイ●ット・
ペ●シを飲み干すのを優先した。
 空になった350ml缶を腰掛けているステージに置いてから、身体を完全に起こす。
 彼の背後で、女子がバスケットの3on3に興じているのが見えた。柏木梓と観月マナ
の姿が混じって見える。
 それからやっと、神海は彼に口を開いた。
「雨ですね」
「それは分かっているが」
 彼――ディルクセンは、眉根をしかめつつ空缶に視線を落とした。
「昼休みとはいえ、こんなところで飲食するんじゃない。せめて空き缶の始末は付けろよ」
 普段は眼鏡に総髪、風紀の職務中は険しい目付きで学ランに学帽までかぶっている生徒
指導部長も、学校指定のジャージに着替えれば、やはり年相応の高校三年生に見える。
「雨ですから」
「晴れていたら投げ捨てでもする気か?」
「空缶は屑篭へ捨てますよ」
 会話が噛み合っていない。承知はしていたが、特に構わずに続ける。
「ま、何はともあれ、雨なわけです。今日で四日目。体育も屋内ばかりに集まって、いさ
さか手狭です」
「……確かに、そうだが。仕方あるまい。毎年のことだ」
「確かに、そうですね。湿度も高いです」
 じっ、と、ディルクセンの顔を見詰めてみる。
 彼はしばらく、その視線の意図を測るように神海を見返していたが――
「なっ、どこを見ているかっ!」
 ディルクセンははっと気づいたように突然怒鳴り、視線をかき消そうとするように腕を
振り回した。
「湿気が多いからむれるだの薄いだの育毛だの植毛だのマープだのずれるだの生え際が不
自然だの風になびかないだのどーせだからアフロをかぶれだの貴様に言われる覚えはなあ
いっ!!」
「いや、言いませんけど」
「黙れ黙れっ! 俺をLメモに出したからには絶対言うに決まっとるっ! やられる前に
やれっ! 逮捕だ! 拉致だ! 監禁だ!! 洗脳だぁぁぁっ!!!」
「人間不信ですねー」
 言いつつも、神海はさもありなん、という風に何度も肯いた。
「何しろ、この半年間、ディルクセンさんの登場Lメモに『●ラ』の二文字が登場する確
率は、なんと――」
 言いかけて、ふと、神海は口を噤んだ。
「むぅ」
 などと唸ってみる。
 ディルクセンが笑みを引き攣らせつつ、ワルサーPPKの撃鉄を起こしたからでは、別
に無い。
「……続きはどうした?」
「はい、実は書いたんです、続き」
「……ほう?」
「そうしたら、漫才が終わらなくなってしまいまして。いくらなんでもディルクセンさん
の身の上話で行数稼ぎをするのはタイトルに偽りありだろうとお」
「あー、もーいい」
 眉間に命中したゴム弾により、それ以上の行数稼ぎは中断させられた。




        Lメモ私録 第六「雨が降った日」




 神海もさすがに昏倒したところで、5時限め開始のチャイムが鳴る。体育の阿部貴之教
師が男子生徒を呼び集める。ディルクセンも、のたのた歩いている男子を叱り付けつつ、
整列した。
 授業は、男女ともバスケットボールだった。
 SS使いと呼ばれる能力者達の存在が際立つLeaf学園ではあるが、普通のルールで
普通の授業となれば、さして目立つこともない。基礎運動能力がよほど秀でていない限り、
技術としては一般生徒と大差はないのである。
 せいぜい。
 FENNEKが、平均に満たない身長なのにどっしり動かないディフェンスで堅実に一
角を固めていたり。
 ジン・ジャザムが、豪快なアリ・ウープを決めて観衆をどよめかせつつ、実は隠し持っ
ていた足裏のバーニアが露見してペナルティを取られたり。
 ギャラが、姿の霞むような高速のフェイントで相手を翻弄しつつ、本当に幻術を使って
いたことがばれてやっぱりペナルティを貰ったり。
 健やかが床に穴を開けてブービートラップを用意していたかどで(昨日から掘っていた
らしい)同じくペナルティを言い渡されたり。
 まあ、その程度である。ファインプレーより珍プレーや反則が遥かに多いのが気になる
が、プロ野球の特番でもそうだから、そのようなものなのだろう。世の中。
「てゆーか退場にしろ、退場に。単位もやるな」
 神経質に呟きながら、得点盤に点を加算するディルクセン(もう一方のチームの分は、
何故か神海が担当していた)。セリスがフリースローを、見事なフォームで二度決めたの
だ。女子から歓声と、応援の声が上がる。
「セリスさんやっぱりすごい〜!」
「忍君、がんばってー!」
「もどるさーん!」
 応援相手が大分偏っているようだが。これもやはり、世の中こんなものである。
 実際、セリスやきたみちもどるのドリブル、ディフェンスの速度は高校体育の群を抜き、
別次元な攻防を展開してくれていたりする。
「あー、いるんだよなー、ああいうなんでも出来る奴って。なんなのかねー」
「ひがんではいけませんよ、ディルクセンさん」
「言わせているのは作者だろうが。何かトラウマでもあるのか?」
「………………」

『突然の声は、背後からだった』

「危ない!」
「んのぉっ!?」

『後頭部に猛烈な衝撃を受けて、ディルクセンは前方につんのめった。まったくもって無
情な攻撃である。この世に神も無いものか。嗚呼、ディルクセンに幸あれ』

「マイク使って勝手にナレーション流してるんじゃないっ! 話を誤魔化しよってからに
っ!」
 ――とはいえ、流れボールには違いない。一人の女子が、とろとろと――言うほど遅い
動作ではないのだが、そういう印象で駆けてきて、転がるバスケットボールを抱えると、
転倒しているディルクセンの前に腰を下ろした。心配そうな表情で。
 黒い長い髪がさらりと流れる。長谷部彩だった
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「あー、大丈夫大丈夫。こいつ、結構頑丈だから」
 霜月祐依(試合中だったはずだが)がにょき、っと、彩の隣に生えてくる。
「いえ、あの……」
 彩は何事かしばらく躊躇った後、ぽつりと。

「カツラ……ずれませんでしたか?」
「あ。それは心配だな。衝撃を与えるとますます抜けそうだし」
「やかましいいいいいいいいいいいいっ! へぐっ!?」
 胃が引き攣る痛みに、ディルクセンはその場に屑折れた。


 ……まあ、情報特捜部との一件以来、最近では割といつものことになりつつある。『デ
ィルクセン・ヅラ説』は誤報だったと、特捜部は公式に謝罪しているのだが、同時に起き
た生徒指導部実働部隊壊滅『事故』の騒ぎのせいでめっきり印象が薄くなってしまってい
る。
 胃薬を飲んで落ち着くと、出るのはため息である。
「……まったく、どいつもこいつも……」
「お困りのようで――」

 ダンダンダンダンダンダンダンッ。

 背後から声を掛けてきた相手に振り向もせず全弾七発ぶち込んだ後、マガジンを再装填
しながら訊ねる。
「……このLメモは俺の話ではなかったんだよな。どういうことだ、神海?」
「む。そうでした。それでは――」



    改題



     Lメモ私録 第六「神海のお悩み相談室(はぁと)」





「――というわけで、万事解決です」
「………」
 ディルクセンは、とりあえず無言でもう一度全弾発射した。


「……だいたい、ダーク十三使徒に悩み相談などと言われて、納得すると思うか?」
「宗教団体ですし、俺は『呪い屋』でもありますし」
「……呪い屋が悩み相談?」
「関係無いことも無いんですよね、意外と」
「………」
 ディルクセンはとりあえず警戒した。ダーク十三使徒構成員とかハイドラントの付属物
Fくらいとか、ちょっとおまけっぽい認識ではあるものの、この男子もとりあえず、彼の
警戒リストの中に入っている。
 だが、彼の不審げな表情にも気づかない――はずはないのだが、ともかく、気づかない
らしい――様子で、神海は(珍しく)思慮深げな表情した後、こう言った。
「中学の時の吉川先生が、こんなことを言っていました」
「ほう?」
 吉川先生とやらが何者か知らないが、とりあえず相づちは打っておく。


「『木の葉を隠すには』」
「黙れ」

 ディルクセン、3マガジン目消耗。




「ええと、吉川先生の話でしたね。先生は言いました。薬を隠すには金庫の中、コレ(親
指を立てる)を隠すには別宅の――」
 神海は割にあっさりと復活して解説を続けたが。
 弾丸のように飛んできたバスケットボールが、その頭を横殴りにして得点板の金属の角
に叩き付けた。
「はっはっはー、さっきから授業中によそ見は良くないぞ、二人ともー」
 コートの反対側から、阿部貴之教師が、やたらと爽やかな笑顔で叫んでいた。多少マッ
スルモードに入っている。
「……話が進まんな」
 金属の角から、ごきゅっ、とこめかみを引き抜きつつ、神海も肯く。
「同感です。やはり話題は選びませんと」
「とりあえず、どうせオチも俺が喚きつつワルサー乱射して終わりなんだから、そろそろ
本題に入らんか? 弾ももう尽きるし」
「やたらと諦めきってますねー。まあともあれ、要は『人生何事も正攻法がベストだ』と
いうことです」
「……ふむ。それで?」
「ですから短く刈ってしまえばいいのではないかと。で、徐々に生えてくる様子を見せれ
ば、噂などすぐに消えますよ」
「……本当に正攻法だな」
 たかが噂のために、そこまでやるのも馬鹿馬鹿しいが。
 と言おうとして。
「あの」
 なぜか、神海は急に不安げに口篭もった。
「……なんだ?」
 訊ねながら、顎の下にしっかり銃口を密着させる。威嚇にもならないともはや判ってい
たが。
 おずおずと、神海は応えた。

「毛、生えて、きますよね……?」
「……同じギャグは三度までって言葉、知っているよな?」
 ディルクセンは4マガジンめを発射した。



 神海の頭部を、スイカのように破裂させるために。




「………………………………………………………………………………………………へ?」


 それが起こった時、時間が止まったように思えた。――それは、耳が音を聞くことを拒
絶したから。

 時間すら、粘度を持ったように重く流れを停滞させる。

 ゆっくりと、床に倒れる、神海――だったもの。

 ――放射状にまき散らかされる、血と、脳漿。大の字に投げ出される身体。

 ――数瞬の静寂――そして、沸き上がる悲鳴。聞こえていないのに、何故かそれが判っ
た。

 ――目の前の光景が急速に色を失い、遠ざかっていくような目眩の中――
    ..
 ――実弾を発射した愛銃の重みだけが、ずしりと右手に感じられる。

 ――周囲に漂うのは、硝煙と鮮血とその他のものが交じり合った、胸の悪くなる臭い。

 ――赤色の回転灯に照らされながら、両脇を抱えられて車内へ連れ込まれる自分の姿が、
まざまざとディルクセンの脳裏に浮かび上がっていた――


「……馬鹿な……実弾……? 馬鹿な……」
「……やってしまったものは、仕方がありませんよね」
 手錠が両腕に、しっかりと掛けられる。その主が、しんみりと、だが、暖かい情感のこ
もった声でディルクセンを励ました。
「立派に罪を償ってから、出てきてください」
「ああ、そうするよ……だが、俺はどこで道を間違えたんだろうかな、神海……」
 見上げた空が青かった。ホワイトアルバムのトラック19がどこからか流れ出す。
 嗚呼、バッドエンドだ。
「――って」
 危うくスタッフロールが始まるかという辺りではっと気づき、ディルクセンは自分に手
錠を掛けた相手を見直した。

 顔面血まみれの男子生徒が、朗らかに微笑んでいる。

「………うあ、対戦車砲ぶち込んでやりてえ」
「いえまあ、お構いなく」
 神海は気楽げに言い、顎の銃創から万国旗など手繰り出してひらひらさせたりしている。
 なんだか大事なものがごっそりと奪われていく感触に立ち眩みなどしながら、ディルク
センは仕方なく、目の前の状況を受け入れることにした。なにはともあれ、色と雨音が回
復したのは良いことだ。明日もまた陽は昇る。
「……生きてるならとっとと治せ。まだ出血しとるぞ、音声魔術士」
「はは、そんな興を殺ぐようなことを言わないでください治癒魔法使いさん」
「それはもう言うなっちゅーに」
 溢れる鮮血が自分のジャージを上から下へ染めていく中で、神海はあくまであっさりと
告げた。
「ま――これが呪い、ですよ」
「……なんだと?」
 ただならぬ単語にディルクセンは思わず顔を上げたが、神海は相変わらずマイペースな
笑顔をたたえているだけだった。
「この話はこちらに置いておきまして」
 そんな定番なフレーズを口にしつつ、神海は、見えない箱を横――ちょうどバスケの得
点盤がある――にどけるようなしぐさをする。と。

 ズガンッ!!

 金属が悲鳴をあげて吹き飛んだ。殆ど同時に、奥の天井で何かが弾けたような音がした。
得点盤が床に叩き付けられ、耳障りな金切り音を立てる。
「………」
 見ると、金属部分に明らかな銃痕が残っていた。金属の火花が散った臭いがする。
 そして、どういう当たりどころをすればそうなるのか、音が聞こえた辺りの鉄骨の一つ
が轟音をたてて落下して床に大穴を空けた。ついで豪雨が大量に吹き込んでくる。
 真下の女子コートは、あっという間にパニックとなった。
「………」
 ディルクセンが視線を戻した時には、神海の姿には血の染み一つ残っていない。
「何か?」
 あまつさえ小首を傾げて聞いてきたりもする。
「……あー、もう何でもいいが」
 やっぱりこのオチか、と嘆息しつつ、ワルサーPPKを握る手に改めて力を込める。
「確かに、何でもいいけどな」
「……ん?」
 声に振り向くと、男子が二人、立っていた。
 セリスと、天神昂希。
「……君たち、掃除と修理、やってくれるんだよね?」
 非常に非友好的な表情で。ビームモップなど振りかぶりつつ。
『……うぃー、むっしゅ』


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 ディルクセン&神海、放課後、課外技術実習――工作部員の監督付き。


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「ディルクセン先輩、ここもうちょっと右やよ、右!」
「わかっとる! ただでさえ狭いゴンドラなんや、耳元でごちゃごちゃ言うな!」
「ああ、そんなへっぴり腰で力入ると思ってるんかいな。まったく、これだからインテ
リもどきは……うちが監督頼まれたからには、ハンパじゃ帰さへんよ?」
「馬鹿にするな。この程度の工作作業、風紀の仕事で馴れている」
「ああっ、そやからそこはもっと上で……!」
「わぁとるっ!」

 ……ディルクセンは、ちょっと得した気分だったらしい。




「縦、横、縦……むぅ。塗装も奥が深いですね。はい、完了です」
「――カンシャシマス、カンシャシマス」
「いやいえ。Dボックスさんに喜んでもらえて俺も幸いです。人の役に立つって素晴らし
いですね、菅生さん」
「神海君、手伝ってくれたのは嬉しいんだが……もう得点盤の修理は終わったんだろう?」
「ああ、そうですね。そろそろ体育館に行きませんと。お世話になりました。――Dボッ
クスさん、ご一緒しましょうか。外はまだ雨ですし」
「――アイアイガサデス、アイアイガサデス」
「はは、そう率直に言われると照れますね(にこにこ)」
「……またいらっしゃい」

 ……神海もなぜか、得した気分だったらしい。



                          「雨が降った日」 おしまい

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 えー、神海の「日常会話」編でした。
 ……えと、まあ、こんなもんでしょう(笑)。もうちょっと練り込みたいなとは思って
ますけど。山浦さんの「柔道部設立L 『カンバン騒動記』」でいい役がもらえて嬉しか
ったので、余勢を駆って仕上げてみました(ありがとうございます〜。十三使徒、やたら
とチームワークが良かったですね(笑))。
 ディルクセンさんを良いように振り回してしまいましたが……すみません(笑)

 Dボックス様は、本来は警備保障で整備などを受けているんでしょうけど、今回は工作
部の近くで拾われたということで、ご勘弁を(笑)。
 次は……第二茶道部Lでお会いできれば、幸いです。
 
   (私信:これを三年Lと強弁するのは厚かましいですか?(笑)>菅生誠治さん)


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             ――D箱様胸ラン入り推進委員―― 000528 神海