Lメモ私録R 『日常が終わった日』 投稿者:神海

 吹き付ける風に逆らって金網を握り締めた。
 目の前には何もない。ただの空。
 眼下には、千人を越えるかもしれない生徒たち。彼女が集めた、彼女を見つめ
る生徒たち。
 一つの決意を伝えるために、彼女が集めた生徒たち。
「わたし──」
 学園校舎の屋上で。
 彼女──緒方理奈は、そのあらんばかりの声で、彼らに叫んだ。


「わたし、冬弥君と寝たのぉっ!」



       Lメモ私録R   日常が終わった日



 静寂。
 風の音さえも消えていた。眼下の生徒達は、意味を測りかねたように一言も発
しなかった。ただ、一言のためだけに切らせた自分の呼吸が、理奈の耳に響いて
いる。
「理奈ちゃん……」
 声に振りかえる。緑色の金網の外、コンクリートの床の上。
 森川由綺と、兄の英二が立っている。
「……ごめんね、由綺。そういうことなの。だから……」
 由綺は応えられずに、顔を伏せる。ついこのあいだまで、彼女のこんな表情を
決して見たくないと思っていたはずなのに。
「理奈姉……」
 その後から現れたのは、きたみちもどるだった。
 視線を逸らすと、ぽつりと呟く。
「……幻滅した」
「……ごめんね」
 私はもう、あなたの"理奈姉"じゃいられない。
 そして。
 鉄の扉を開けて現れた男。まっすぐに理奈を見つめてくれる人。
「冬弥……君」
 無言のままに歩み、由綺の横をすれ違い、まっすぐに理奈を見つめる男。
 二人を見た由綺が、ゆっくりと首を振った。ついに、諦めたように。
「もう……手遅れだったんだね、理奈ちゃん」
「由綺……」
「わたしも、ずっと気付かなかったの。ずっと、騙されてたの」
「違うわ! 騙してなんか……!」
 思わず声を荒らげた。だが、無駄な言い訳かもしれないと心のどこかで思った。
これほど手酷い裏切りをして、なお自分の言葉を信じてくれなどと……。
 由綺は痛切な表情で息をつく。
「……でも、本当にことに気付かせてくれる人がいて……。危ないところだった
の。もう少しで、わたしも手遅れになるところで……。理奈ちゃんは、本当に、
お気の毒だったと思うけど……」
「……え?」
「でもね、強く生きてほしいの。大丈夫。やり直しの効かない人生なんてないん
だって、理奈ちゃんの歌にもあるでしょ? わたしにできることなんて、なんに
もないかもしれないけど……でも……!」
 健気なふうに拳を握る由綺。
「……あの……由綺、何か違う話をしてない?」
「そうなの。実は冬弥君って……」
 話を聞かず、忌まわしいものを振り払うように首を振って、由綺は叫んだ。

「冬弥君って、とってもスケコマシだったんだよっ!」

「……は?」
「由綺、困るぞ、こんなこと大きな声で言っちゃあ」
 冬弥が初めて口を開いた。これ以上ないほど軽薄に。
 ──篠塚弥生と澤倉美咲を両手で抱き寄せ、マナを胸に縋らせた冬弥が笑って
いた。これ以上無いほど軽薄に。三人とも、赤く染めた頬を冬弥にすりよせてい
る。
「あ……なに……? ……どういうこと?」
 ただ呆然とするだけの理奈に、冬弥はその表情のままで告げた。
「あ、理奈ちゃん。俺、あんなはしたないことを叫ぶ女の子って好みじゃないん
だ。だから、そういうことで。じゃあね」
 しごくあっさりとした、それは離別の言葉だった。三人を引き連れて踵を返す
と、来たときと同じようにまっすぐに歩いていく。
「ああ、理奈」
 理奈が言葉を形に出来る前に、英二がいつもと変わりなく、あっさりと告げた。
「おまえ、クビな。あんなことしたアイドルなんて、売り物にならんよなあ」
 由綺を抱き寄せて頬に口付ける。
「これでおまえに専念できるな、由綺」
「きゃっ。英二さんてば……」
 くすぐったそうに肩を竦める由綺。
「じゃあ、理奈ちゃん、元気でね……」
 そして理奈は見てしまった。
 背を向ける寸前、由綺の口が、頬まで裂けたようにニヤリと笑ったのを。
「ゆ──!」
 ──鉄扉がその身を重く震わせて閉じる。
 ……誰もいなくなった屋上に風が吹き抜けていく。ただ、理奈自身の影が長く、
コンクリートに伸びているだけ。
 校庭に集めた生徒たちも、既に影もない。
 独り。
「どうして?! どうしてこうなっちゃうの? ただ欲しいものを欲しいと思っ
ただけなのに! 特別なものなんて望んでないのに! どうして何も手に入らな
いの!?」
「まだ、わからない?」
 ──否。残っていた人物が一人。冬弥の友人で、エコーズの店員の七瀬彰。
 彼は言った。平板な口調で。

「アフロになったからだよ」
「そんな今更っ!?」

 理奈は頭を抱えた。こんもりとして弾力があった。
 天地が回る。白い太陽がに重なって、
「格好いいのにね、アフロ」
 貯水タンクの上に長い足を投げ出した河島はるかが、そう呟いて──

 怖気のする浮遊感が全身を襲った。


「ッ──!!」

 声にならない悲鳴とともに顔を上げた。

「Hey! 夢見はイカガデースカ? リナセンセイッ!」

 眼前でアフロが踊っていた。



         Lメモ私録R


                改題 『なんでもない日2』
 


 手に、分厚く重い冊子が触れた。理奈は衝動に従った。

 衝撃音。

「オウチッ!」
 きりきりばったんと倒れる白ランアフロ。
「うーむ。鋭く低く。しかしながら上体のスナップを最大に生かしたモーション
……芸術的だ」
 シャッターを乱射している第二のアフロ。
「あー、ますたぁ、これ、来週使うんですからね。汚さないでくださいよ……」
 血の付いた冊子を拾って愚痴をこぼしている第三のアフロ。
「血痕は染みになると取れないですからね……」
 冷静にバケツと雑巾を持ち出している第四のアフロ。
「転ぶ夢とか見ると、足がびくっとなって目が覚めるんだよね。あれってびっく
りするよね。バッドエンドだね」
 文庫本を開きながら電波を受信か発信かしている紅一点アフロ(水色だが)。
 つまり、いつも通りの部室だった。
「ゆ……ゆめ……だったの?」
 理奈は崩れるように椅子に座り込んだ。思わず零れる大きなため息。部室に来
たら珍しく誰もいなかったので、うとうとしてしまったらしい。
 ここはアフロ同盟が密かに誇る秘密のアフロ同盟室。その場所は不明であり、
関係者以外には入室はおろか、場所を突き止めることさえできない。のだそうだ。
 ちなみに部屋の隅では、
『アフロ同盟の今後の行動指針   目標を見つけようっ!!』
 と、書き殴られたホワイトボードが埃をかぶっている。
 理奈は、このアフロをこよなく愛する善良な集団(公式発表)の、顧問を引き
受けていた。
 因みに、彼女自身は「顧問だから」ということでアフロを拒絶している。
 第一のアフロがにょこりと復活して変わらないリズムで腰を振る。
「Oh、寝起きガヨロシクナイようデスネー」
「……いろんなものがいろんな意味でグズグスな夢だったわ……」
 いやに鮮明な夢だった。曖昧で流されるままに変転するようなものではなく、
はっきりと覚醒した脳で筋道を追っていくような。
 しかも、あんなことを叫ぶなんて──
「エロい夢でも見てたんスか?」
「違うわよっ!」
「おお、赤くなった?」
 囃し立てるデコイを睨む。もちろん、夢に出たような事実は一切ないわけだが。
(……事実は?)
 現に残るものに気付いて、黙り込む。声帯を震わせたような記憶が、喉に……?

『冬弥君と──』

「……私、何か寝言言ってた?」
 急に深刻めいたのを察したのか、デコイとYinは顔を見合わせた。他の一人は
ダンスポーズの研究に余念がなく、もう一人は文庫本を手元にしながら中空を見
つめて微妙に表情を変えている。
「いや、俺ら来たのたった今っスから」
「別になにも言ってなかったですよ」
「……本当でしょうね?」
「……絶妙に疑われてる目だなぁ」
「本当ですよ」
 とーるが『アフロ同盟出納帳』と書かれた大学ノートを広げながら言った。
 アフロ同盟の会計がデコイ撮影による写真の一部売上によって賄われている事
に彼が難色を示したが、いろいろ握らされて沈黙したという事実があったりもす
る。
「私たちが入室してから先生が目覚めるまで、1分もありません。特に何事もあ
りませんでした」
「そう、それならいいけど」
「うあ。あからさまに態度違っ」
「生徒差別だ〜。ブーブー」
「信用の問題よっ!」
「ケッ」
 デコイは唾を吐き捨てる真似をした。
「どーせ夢の中で(ピー)とか鳴いてたくせに……」
 理奈は無言で手近の立枝切り鋏を掬い上げた。同時にデコイの手が鞄(防御用)
に伸びるが、遅い。
 眉間に鋏が生える。
「拾うと投げるをワンモーションでッ! シャッターチャンスだったぁ〜……」
 痛恨の表情で床に沈んだ。とくとくと流れていく鮮血。
「鋏は凶器じゃないんだけどなぁ……」
 Yinがぼやきながら引き抜くと、小さな噴水が短い命を解き放った。そちらに
は頓着せずに血をぬぐってケースにしまう。本格的な園芸セットらしい。
「あ、そうだ」
 Yinが首を傾げた。
「今まで寝てたってことは、由綺先生が来てたの、知らなかったんですよね?」
「由綺が?」
「ああ、なんか逃げるように出て行ったけどなぁ。道に迷ったとか、理奈先生が
寝てたからまた来るとか……なんだったんだ?」
 とは、既に復活しているデコイ。
「センセ、やっぱりヤバい寝言でも聞かせちゃったんじゃ……」
「うはは。実は藤井先生と浮気してるのー、ってか?」
「………」
 理奈は立ちあがった。デコイは即座に床にダイブして頭を庇う。街中で銃撃戦
に遭遇しても安心な思い切りの良さだ。
「……ちょっと、出てくるから」
「……あれ?」
 拍子抜けのデコイ。もの言いたげな視線が集まるのをかわして、理奈は足早に
出口に向かう。

 ピンを抜いた手榴弾をデコイの背中に放り捨ててから、ドアを閉めた。


                 ◇


 長雨の季節。
 五月雨は今朝からも降り続いていた。学園にもどこか憂鬱な空気が回流してい
る。焦慮を押し隠して放課後の廊下を歩きだす。まさか、とは思う。だが、不安
は拭い去れない。それほど現実感のある夢だった。
 この時間、由綺の行きそうな場所はどこだろうか。職員室、音楽準備室、警備
保障支部……。
 不意に遭遇した顔ぶれに、理奈はぎくりと足を止めた。
 一人は教師、一人は同輩、一人は生徒。
「あ……」
 理奈に気付いて小さく声を零したのは、観月マナだった。澤倉美咲が振り返り、
驚いたように小さく口を開く。長身の篠塚弥生が二人の背後で視線を巡らし、無
言で眉を動かした。
 思わずたじろぐ。……揃って冬弥にとりすがり、うっとりとする姿がまざまざ
と蘇ったので。
(あれだけとっても、ちょっとした悪夢よね……)
 ──そのまま、三人と見つめ合ってしまった。
 なぜか、向こうの三人も理奈を見つめて沈黙している。
「……何か?」
「え?」
 美咲が困ったような表情を慌てて押し隠した。
「い、いえ、なんでもないわよ?」
 そう答えた美咲の後ろに、マナが隠れるように下がる。弥生が変わらず無言で
見つめている。
 非常に居心地が悪い。
「あの、由綺を見掛けませんでした?」
「ああ……」
 美咲がどこか揺れる視線で向こうを向いた。
「今、職員校舎の方に行ったけど……何かあったの? なんだか変だったねっ
て話をしてたんだけど……」
「そう……ですか」
 やはり、由綺は何かを聞いたのだ。
(いくら由綺でも、周りに言い触らしながら歩いてるわけは……)
 ……やりかねない。
 礼を言うと、理奈は職員校舎へ向かって歩き出した。なんとなく背中に視線を
感じながら。
 やがて、理奈は一つのことに気付いた。
 視線は、それだけではない。
 さらには一人や二人でもない。廊下で傘を振り回してふざけている男子たち。
用もないのか教室で話しこんでいる女子たち。長雨に耐えかねたか廊下を駆け抜
けて行く陸上部員。
 ……全員が一瞬理奈に目を止め、なのに、目は合わせずに逸らしてしまう。怯
えたように。
(……居心地悪いわね)
 まるで、本当にあの夢の宣言のあとのよう。
 唐突に、金属音が床に響いた。振り返った先にいたのは、顔なじみの『親子』
二人だった。
「あ……きたみち君。驚かさないで──」
 金属音は、幼馴染と言える少年が、愛刀を床に取り落としたものだった。大事
なものであるはずのそれを拾う素振りも見せず、
 その袖を掴むようにして、いつもは明るい靜が彼の背後に半ば隠れている。
「……きたみち君?」
「理奈……姉……」
 彼──きたみちもどるは表情を隠した。顔を俯かせて。
 震えて、いた。
「ねえ……どうしたの?」
「……しょう……」
「えっ?」
「ちくしぉォオオッ!!」
「きゃっ!」
 あろうことか、靜を跳ね飛ばすようにして走り去ってしまった。
「きたみち君!?」
 後には、二人が残される。
「ね、ねえ……きたみち君、どうしちゃったのかな?」
「………」
 靜は答えない。責める視線をちらりと向けただけで、彼の刀を拾うと、無言で
駆けだしていった。
「………」
 言いようもない孤独感が全身を襲う。雨の音だけが理奈の耳を打っていた。
 いつのまにか、周囲には人影すらない。
 ……まずは、由綺だ。彼女に逢わなければ、どうしようもない。
 ふと、廊下に何かが落ちる音がした。白いプリントが滝のようになって持ち主
の手を滑り落ちている。一枚が床の上を滑空して理奈の足元にも届く。
「由綺……」
 拍子抜けするほどあっさりとした邂逅だった。
 だが。
「あ……あ……」
 意味をとらない声を漏らしながら、由綺は小刻みに首を振って怯えたように後
退る。今も少しづつ零れていく、手の中のプリントにも気つかずに。
「由綺、ちょっとだけ話を聞いてくれる?」
「ご……ごめんなさい、理奈ちゃん、わたし、そんなつもりじゃ……」
「わかってる、と思うわ。怒ってもいない。でもね、少しだけでいいから」
「わたし……なんてこと……でも……だって……っ」
 感極まって口元を抑える。今にも泣き出しそうに。
「由綺、ちょっとだけ落ち着いて聞いて──」
「ごめんなさいっ!」
「由綺っ!?」
 捕まえる暇もなかった。廊下の向こうへ駆け出すのを理奈は呆然と見送ってし
まった。
 理奈は覚悟を決めた。
 本当に……ばれているのだ。
 って──。

「『ばれてる』じゃなくてぇ!」

 傍の丸い柱に額を叩きつけた。灰色のコンクリートがばらばらと崩れ落ちて鉄
筋が露出したが、気にしないことにする。ちょっとこぶができて痛かった。
「……ご、誤解は解かないといけないじゃないの! 待ちなさい!」
 あとを追って、理奈は走り出した。


 脚力も体力もあるとは言えない由綺の背中が、いくら走っても大きくならない。
よほど後先構わず走っているのだろう。生徒達が道を慌てて譲っていく。走る二
人、というより理奈一人に怯えたように。
(まるで虐めてるみたいじゃないの!?)
 その人影も、階段を駆けあがるに連れて少なくなっていく。辿りついたのは、
屋上だった。
 水滴が全身を覆う。
 昇降口の正面、由綺は高い金網の前にすがりつくようにして呼吸を整えていた。
まるで追い詰められたように。理奈も息を切らしている。二人して喉を傷めるよ
うなことをしているな、と理奈は心のどこかで思った。
 二人きり、夢とは逆の位置。
「由綺」。理奈は呼吸を整えると、軽く微笑みながら歩み出した。「この雨よ。
せめて中に入りましょう?」
 慎重に言葉を選ぶ。誤解の元で喧嘩にでもなったら、とんでもないことになる。
 だが、由綺は応えない。
「ねえ、由綺。あなたが、何をそんなに慌ててるのか知らないけど……」
 由綺は首を振った。
「もう……遅いの」
「遅いとか早いとかって問題じゃなくてね……」
「駄目、来ないで!」
 由綺は何度も何度も首を振る。羨ましく思った長いて綺麗な髪が激しく揺れる。
「由綺! 話を──」
「出来心だったの! こんなことになるなんて思わなかったの!」
「そうかもしれない。でも、話はそんな大袈裟な──」
「すぐ傍にそれがあったから、ちょっとした悪戯で……」
「だから、そういうことじゃないの。あれは単なる……。……悪戯?」
「だって、気付くと思うでしょ? 自分のことだもの。理奈ちゃんが……だって
……まさか……っ」
 由綺はついに涙を溢れさせた。叫びも支離滅裂になっていく。悲劇の名主演女
優のような悲痛な嗚咽。
「……あの……由綺、何か違う話をしてない?」
「理奈ちゃんが──!」
 話を聞かず、忌まわしいものを振りきるように首を振って、彼女は叫んだ。

「身も心もアフロになっちゃってたなんてぇっ!!」

「……は?」
 その時、理奈は初めて気付いた。自分の頭の上の違和感に。
 いつも背中に流している少し赤茶けた髪が見えないことに。
 恐る恐る、頭に手をやる。手触りがあった。頭よりもはるかに大きな形に。
 雨にも負けず、もこもこと存在感を主張するものが。
「………」
「理奈ちゃん、よく眠ってたからっ。すぐに気付くと思うでしょ? でもっ……」
「………」
「わたし……やっぱりあの時に止めておけば良かった……。理奈ちゃんだからだ
いじょうぶ、なんて……そんなふうに……た気に……──」
「………」
 由綺の声が遠くなっていくような気がした。たった今浴びてきた校舎中の視線
が脳裏に溢れていた。無数の子供たちの怯えたような表情。
「………。あふっ」
 吐息のようなものが漏れる。暗くなっていく視界の中で、天地が回った。

「格好いいのに、アフロ」
 なぜか青い傘を差して屋上の一角に佇んでいた河島はるかが、そう呟いていて
──

 理奈は今度こそ、短いが本物の浮遊感を体感した。


                  ◇


「落ち着いた?」
 テーブルにコーヒーを置きながら、冬弥が尋ねた。
「……なんとか」
 あれからのことは、よく覚えていない。
 由綺とはるかが二人かかりで運んでくれたようだ。我に返ると、理奈はバスタ
オルを頭からかぶって喫茶店のソファに座っていた。
 転倒したはずなのだが、怪我はしていない。……後頭部に、もにょんと柔らか
く衝撃を吸収した感触が残っていたが。
 テーブルの端には、ぐっしょりと濡れたアフロヅラ(なんの変哲もない、よう
に見える)が置かれていた。一応、部の備品だ。
 目の前には、藤井冬弥が首を傾げている。
「いったい、何があったのさ?」
「うーん……」
 由綺は苦笑いして答えをはぐらかしている。いくらべったりの冬弥に対してで
も、ああいうことを言い触らさないだけの分別はあるらしい、と改めて感心する。
失礼な話だが。
 ここは、『エコーズ』だった。馴染み深い落ち着きのある明るい店内。だが、
理奈たちが常連にしている店ではない。微妙にレイアウトも違うし、外には学園
中庭の木立が見える。
 理奈の疑問を察して、冬弥は店内を軽く見まわしてから答えた。
「エコーズ学園支店だよ。仮店舗だけどね」
「何、それ?」
「この学園、なぜか飲食店が多いからさ、開店しても繁盛するか分からないし。
食べ盛りの高校生にエコーズみたいな店は、ちょっとね。だから、仮」
「そっか。それもそうね」
 大学部にでも出店すればいいのに、と思いはしたが。
「でも、なぜ急に学内に支店なんて?」
「知りたい?」
「それは、まあ」
「んー……」
 冬弥がもったいぶる様子なので、理奈はコーヒーを一度口に運んだ。軟らかく
癖のない味わいで、喉に落としやすい。それを吟味する間に、冬弥は視線を理奈
と水平に下ろして、告げた。

「理奈ちゃんのためにだよ」
「ブボッ!!?」
「うぉああっ!?」

 冬弥が飛びのく。諸に顔面に紅茶を噴き出してしまった。気管支に入って、何
も言えずに咳き込む。
「だ、大丈夫っ!?」
 由綺がどちらを介抱するか判断できずにおろおろしている。
「ゲホッ……ゴホッ……。ゴメンナサイ、お手洗い……っ」
「あ、うん、そっち……」
 理奈は指差した方に駆けこんだ。
 背中で、二人が話すのが聞こえた。
「……なんであんなにウケるかなぁ?」
 由綺は心底から困惑したように。
「今日の理奈ちゃん、なぜか変だから……」
 ……本当に寝取ってやろうかと、少しだけ思った。


「う〜……。踏んだり蹴ったりだわ……」
  洗面台の前で思いきり鼻をかむ。鼻から耳にかけて、痺れるような嫌な痛み
が走っている。飲みかけで噴き出したので、紅茶が大量に鼻を逆流していた。
 ……ファンには絶対に見せられない姿だった。
「……これだけ意識しちゃうと、恋もハマチもあったものじゃないのね……」
 当人二人は何も知らずにいるのに、自分だけ一人相撲。まったく、散々な日だ
った。大きくため息。とりあえず気分を整えると、店に戻る。
「それでね、へーのき君たらね、なにもないところで躓いてネジばら蒔いちゃっ
て。せっかく手伝おうとしたのにね」
「はは……でも、それって彼には気の毒だなぁ」
「え……なに? どういうこと?」
 意味が分からず由綺と、笑っているだけの冬弥。コーヒーができて、暖めたカ
ップに四人分を注ぐ。由綺の話に軽く言葉を返しながら、それを上手く進めてや
っている。乱れのない手際でテーブルに置かれるカップたち。
 はるかは知らないふりで、映画誌に目を落としていた。
「へぇ……」
 仕事と大学に多忙を極める由綺が、平気な顔をしている理由がなんとなくわか
ったような気がした。黙然として干渉しないフランク長瀬とは正反対だ。
 ふと、思う。
 自分は何をしにここにいるんだろう。
 もちろん、恋愛するだけが人生ではない。
 欲しいもの。
 夢の中の自分は、少なくとも、それを求めてあがいていた。
 今の自分は?
 ……もう一度ため息。
「今日は……本当に踏んだり蹴ったりね」
「ん」
 はるかが目を上げて、薄く微笑んだ。
「いつも、目に毒だよ」
 二人が、きょとんとした顔ではるかと理奈を見た。


              ◇


 翌日、束の間の快晴。

「──と、いうわけでっ」
「どんなワケっスか?」
 デコイの突っ込みを無視して、理奈はアイドル仕様スマイルをいつものメンバ
ーに向けた。その背後には『アフロ同盟の今後の行動指針』と書かれたホワイト
ボードを引っ張り出してきている。
 勢いよくボードをひっくり返した。

『目標なんて気にするな! やりたいことをやろう!』

(……今更?)
 全員分のそんな心の声が電波にでも乗って聞こえたような気がしたが、気にし
ない。
「と、いうわけで」


「踊りにいくのよ。やりたいように」

 指差した先の中庭に、謎のコンサートステージが特設されていた。

 もちろん、若干名の悲鳴が上がった。



                               おしまい
────────────────────────────────────




 おまけ。


「誠治さん! 弥吉さんを助けてください! 今ならまだ、きっと……っ!」
「……いや……俺にはどうしようもないんだ、電芹。これは……直せない」
「患者を選り好みするのですかっ!? 人はマシンの上にマシンを造らず。マシ
ンの下にマシンを造らずと言うのでしょうっ!?」

「俺は電柱は専門外だぁあっ!」

 電芹が泣きながら、芯まで砕かれた電柱にすがりついていた。

「ああ……っ。弥吉さん、しっかりしてください……。きっと、きっといいお医
者さんを見つけてあげますからね……!」
「電芹、カムバーークッ!!」


 翌日。

「フッ……。菅生君、君もまだまだだな。人はマシンの上にマシンを造らず、マ
シンの下にマシンを造らず。そこにパーツ不足に苦しむ物あらば、行ってそっと
改造してやるのが科学者の務めだろう?」

 欠損部にウネウネ動くケーブルを埋めこまれて、自律移動を可能にした電柱の
弥吉さんの姿があった。

「相手にしてられるかぁッ!!」
「誠治さん……失望しました」
「電芹、カムバックぅ〜っ……」



 おまけ2

「ほれ、『洗面所で思いきり鼻を噛む理奈先生』。極レアモンだろ?」
「うおお。売り手を選ぶっすねー」
「肩幅ちょい広めに開いた足の角度がポイントだな」

「二年の女子に狙い目の奴がいてな……。新ルートを開拓せにゃならんけど」
「へえ。営業熱心なのね」

 脱兎、閃光、打撲音、静寂。


「……だいたい、私がアフロ被って出て行っても誰も注意しないって、どういう
ことなの?」
「ああ……ほら、なあ?」
「うん……」
「はっきり言いなさい」

『だって、違和感なかったから』

 今日も同盟に紅い雨が降る。



 おまけ3  仲良し四人組の会話

由「ところでこのエコーズ支店、理奈ちゃんのためにって、どういうこと?」
彰「この話書いてた作者が、唐突にここをイメージしたから、急造したんだって
さ」
は「冬弥がいる場所、ここしかイメージできなかったんだよ」
冬「それを言うなぁっ!」

る「はーい、本番終了。これにて撤去します〜」
健「次のセットは……第一購買部だね」
冬「ああ〜……俺の居場所がぁ〜〜?」



────────────────────────────────────



 ……×年遅れのvsアフロですか?
 なんかまー、こんなのばっかし。
 えー、このお話は、今年初めにTaSさんらとLキャラに特殊能力or二つ名を付けて
遊んでた時に思いついたものです。紛糾したことへの報復も兼ねて。よって謝りま
せん(…いや、ご本人は喜ぶのか…?(笑))
 二日で9割方完成させてたりはしたのですが、前のLがさっぱり上がらず、投稿順
序の問題で眠っておりました。短期間でストック使いきるのも損かなー、とも思った
のですが、出せる時に出しとかないと次にスイッチできないもので……(笑)
 完成度8割のがあと一本あるので、次はそれをば。

 オチの通り、冬弥の『居場所』、まだ悩んでます(笑)


──────────────────────────────────────
                            030512 神海