Lメモ私録 第八「第一購買部強化計画」 投稿者:神海

 どうして、こうなったのか。
 積み上げられた大量の食器を結構な手際で洗っていきながら、七瀬彰は、ふと
自分の境遇に思いを馳せた。

「はい、豚骨ラーメン特盛お待ち!」
 隣でT−star−reverseが、仕上げたラーメンをカウンターに上げている。

「んだとぉ!? ルミラ様が作った芋の煮っ転がしが食えねえってのかっ!?」
「……いや、料理じゃなくて、汁がこぼれて……」
「な・ん・だっ・てぇ〜〜……?」
「ひぃぃぃぃぃ?」
 エプロンドレス姿の銀髪の少年――もとい、少女、イビルが、お客に物騒な槍
を突きつけている。

「はいはい、ちゃんと並びなさいよー……だからそこ、並びなさいって。ほら、
並びなさ……並び……………………。
 だから、並べって言ってんでしょうが!!」
 割烹着姿に三角巾のルミラが、ぶちきれて売店に並ぶ列を吹き飛ばしている。

「……370円でございます。ありがとうございました。食後のお口直しにこのよ
うな髭セットを取り揃えておりますが。口髭、顎鬚、ちょび髭……消臭効果も……
むぅ、結構ですか。それは残念です……」
 高級(っぽい)ウェイター服を身に纏い、豊かな口髭を蓄えたひげ4が、爽や
かな態度で付け髭のテイクアウトを薦めている。

 ……彰は黙って、厨房の奥に目を向けた。
 彼の叔父、フランク長瀬の姿がある。
 目が合った。目で訴える。
「………」
 動じてくれない。
「……ふぅ」
 彰はAランチの空揚げをまとめて揚げた。



         Lメモ私録 第八「第一購買部強化計画」



 七瀬彰は本来、試立Leaf学園学生課に務める事務員だ、ということになってい
る。
 それが突然、第一購買部に出向という憂き目に遭ったのは、彼の直接の上司に
当たる牧村南の一言のためだった。
「よろしくお願いしますね」
 一言。
 にっこり微笑。
 ……その『お願い』を無碍にした者はもれなく書類不備で単位を落とすとか大
小幾多と発生する学内イベントでグループ編成でもあればことごとくヤバめなメ
ンバーと一緒になるとか噂が囁かれてちょっと学園伝説風味が漂っていたりする
のだがその件はさて置く。
 その第一購買部が、最近職員の退職や休職が重なってしまい、一時的ではある
が人手不足に陥っているということだった。
 学内の重要な食糧供給の場である食堂が機能しないのは学園側から見ても由々
しき事態であるため、当面の人材確保の指示が、大分上の方から割と色々な場所
を経由して学務課まで回ってきたということらしい。要するにたらい回しという
やつだ。
 とはいえ、これが彰に不適当な仕事というわけではない。第一購買部の部長は
フランク長瀬。彰は、この叔父に当たる人物の経営する本店とも言える喫茶店、
『エコーズ』でアルバイトをしていたこともある。
 三秒ほどの思案の末、彰はそれを承諾した。

 ……後悔とは後で悔いることである。


                 ◇


 第一購買部、その厨房を彰が訪れると、叔父はもそもそと髭を動かして彼を労
った。長い付き合いと言うやつで、彰はその言葉を聞き取ることができる、学園
の極少数派だった。
「ま、今更ってところだけどね、叔父さんの無理を聞くのは」
「……いや、そんな当たり前のことみたいに頷かれても困るんだけど……」
「おはようございまーす。チラシを見て参りましたー」
 通用口から女性の声がした。ほどよいお愛想を振りまきながら腰を折り、見苦
しくない程度の上目遣いで顔を上げている。明らかに日本人しかしないような挨
拶をしたのは、明らかにヨーロッパ人形質の女性だった。
 その後ろにもう一人、膝で切ったジーンズとベスト、手入れもせずに下ろした
ままの髪、というラフな姿をした、銀髪の細い身体の少女。なぜか不貞腐れてい
る。
「あら、その子も新人さんですか。マスター?」
「………」
 叔父は目配せするように彼女達を見ただけ。女性は慣れているのか、肩をすく
めるようにして歩いてくる。キャリアウーマンを思わせるまっすぐな、場違いに
も綺麗な姿勢だ。
「あら?」
 それは、彰の真正面で止まった。
「えーっと……」
「へぇ」
 彰に皆まで言わせず、女性は彰の肩に肘まで絡ませ、遠慮もなく顔を近づけた。
香水だろう、シャープな香りの中に、染み透ってくるような不思議な甘さに包ま
れる。口元を吊り上げるように笑う様に妙な色気があった。
「残念ね……?」
「……何がですか?」
「あと五年、早く会っていればねえ。絶対ほっとかなかったのに」
「はあ」
 フランクは知らない振りでグラスを磨いている。
「ああ、私はルミラ・ディ・デュラル。知ってるかもしれないけど、この学園の
用務員もやっているわ。こっちはイビル。これから同僚だから、よろしくお願い
するわね。ほら、イビル」
「……どーも」
 ルミラの半分しな垂れかかったままの紹介に、銀髪の少年は呆れたように首を
振っていた。
「よろしくお願いします」
「意外に冷静ね。つまんない。ま、たまには……」
 こほん、と咳払いがした。
「朝から教職員同士でくっつかないでください」
 生徒らしき少年がしかつめらしい顔で立っている。そこはかとなく、顔が赤か
った。
 彼は彰も知っていた。学園の『色々な場所で』顔を見掛ける生徒だ。
「ええと……T−star−reverse君、だったっけ?」
「はい。ティーで結構ですよ、七瀬さん。ところで――」
 ティーは女性の方へ、胡乱げな視線を向けた。
「なぜ、私が呼ばれているんでしょう、ルミラさん?」
「身体余ってるんでしょう? こっちに一つくらい寄越しなさいよ」
「……わかりました」
 ティーは反論しなかった。手近の消しゴムを手に取り、百円払ってから、手に
していた分厚い書物を開いて呪文を唱える。
 煙とともに、ティーをそっくりコピーしたような少年が現れる。彼の『傀儡』
だ。
「ありがと♪」
「……本体の方を掴まないでください」
「だって、あなたの傀儡じゃあ耐久力に難があるじゃない。本物の方はやたら頑
丈なのにね」
「……どういう、ことですか?」
「あら、知らないわけ?」
 ルミラは一枚のチラシをポケットから取り出した。

===                  ===

    急募 第一購買部アルバイター

 食堂の『昼休み戦争』を生き抜く猛者を求む!
 募集人数:数名
 職種:厨房、ウェイター、売店店員。

 ●実戦経験者優遇!●

===                  ===

「………。叔父さん?」
 振り向いた先で、叔父は、素知らぬ振りでグラスを磨いていた。


                 ◇


「なんて?」
 ルミラが尋ねる。叔父の言葉は彼女達には聞こえないので、通訳が必要になる。
「アルバイトの子が、一人残っているんだって。もうすぐ来るから、あとはその
子から聞けって」
「ああ……あの子ね」
 ルミラが頬を引き攣らせる。
「……誰でしたっけ?」
 ティーが首を傾げた。

 と。

「ただいまご紹介に預かりましてッ!」

 やたらと気合の入った声が背後から。
 それと同時に、妙な音が響いてくる。
 細いものが鋭く空気を切る音と、それがリズムよく床を叩く音と、同じく床の
上でテンポよく飛び跳ねる音と、の混合。
 ――それはまるで、縄跳びのような。 
 4人が振り返ると、そこには。

「ようこそ! 愛と平和とひげの集いへッ!
 このひげ4、ひげ荒縄・後ろあや二重跳びにて歓迎いたしますッ!!」

 ――自分の口から伸びるナマズ髭で狂おしく縄跳びする少年がいた。

「……………ルミラ様……帰っていいっすか?」
「……………駄目よ」
「……………諦めてください」
 三人の交わす言葉さえ、彰には遠い世界のもののように聞こえた。


「とまあそういうことで、店長に代わりお仕事の説明を始めます」
 ひげ4がおもむろにぺこりと一礼する。
「……いきなりペースを戻すわね」
 縄跳びさえやめれば、ごく普通の学生服で、容姿にも変わったところはない少
年だった。喋るのに合わせて震える豊かな口髭(なまず髭から交換した)を除け
ば、だが。
「今まで働いていた人達が全員辞めるか怪我で休職されてしまったので、とりあ
えず数日だけでも、と。せっかくなので、もうちょっとタフな人を雇おうってこ
とみたいです」
「……僕は?」
 ひげ4はにっかり笑ってグッと親指を立てた。
「ほら、この学園じゃ、名前を持ってる時点で既に死ににくいそーですし。ノー
プロブレムッ!」
「………」
 気休めにもならない。
「ま……なんでもいいけどね、私は。お給金は良いし」
 そう答えたルミラは、飾り気のない黒いトレーナーにジーンズという、ひどく
ラフな服装に着替えている。その上に割烹着を着て、はらりとこぼれる奇麗な紫
の髪をきちんと三角巾で包む。マニキュアと口紅も落として、完璧な厨房のおば
さんスタイルだ。イビルが世にも情けなさそうな顔をする。
「……あの高貴なルミラ様はどこへ……」
「……ふふっ……環境順応が人間だけの特権だって……あれ、嘘だったわね……。
って、あんたらの甲斐性無しのせいでしょうが!」
「はっはっ、どんな姿をしようとも、我らがひげさえあればコーディネイトは完
璧なのですよ。一品どうですか?」
「いいからあなたはさっきの続き」
「爪伸ばしてアイアンクローはやめてくださいごめんなさい」


                  ◇


「警備無用。第一購買部が?」
 その報告に、広瀬ゆかりは初めて書類の山の影から顔を上げた。報告者──木
製の大机の前に立つ貞元夏樹に視線を当てる。
「ええ、第一購買部が。今日から自前の警護を雇うので、私達の応援は要らない
と通知してきたわ」
「うちの面目丸潰れね……でも……」
 学園に生徒会長が不在の現在、風紀委員長の彼女には、学園の『警察部門』に
おいて事実上かなり強い独裁権限が与えられている。だが、様々な組織・団体の
分立状態に委員会そのものの弱体化が重なり、責任を一手に引き受けている分だ
け、その負担はかつてよりも大きくなっていた。
 もし、毎日の頭痛の種の一つである『食料争奪戦』において、第一購買部が独
力でその混乱を沈静化できるならば願ってもないことだ。ものによっては風紀委
との提携、より広い協力関係の構築も考えられる。疎略な対応はできない。
 俳優業のしわ寄せで溜まった書類の処理を夏樹にせっつかれて不平たらたらだ
った彼女が反応したのは、そんな事情があった。今は公式非公式を問わず団体間
の信頼関係や慣習によって地盤を固めていくしかないのが実情だった。
 扉がノックされた。
「失礼する」
「あら、お珍しい」
「招かれざる客でも、たまにはな」
 堅苦しい物言いで皮肉を返したのは、三年生のディルクセンだった。生え抜き
の風紀委員で、古参委員の代表格的な男子だ。その立場にも関わらず、陣頭指揮
を好み、実務も問題児を収容する地下反省房の管理室で取り仕切る。
 ゆかりが学園に不在がちであっても、委員会の実働部門がよどみなく動くのは
彼の力が大きいのだった。口に出して誉めた試しは一度もないが。
 ゆかりは心持ち姿勢を正した。
「第一購買部の件ですか?」
 ディルクセンは少々癖のある委員で、上級生ということもあり、委員長と言え
どもおざなりな対応はできない。彼は謹厳そうに首を頷かせ、
「そうだ。むろん、通常の配置につくように手配しておいた」
「……せーんーぱーいー?」
「どうした? 突然がっくりと突っ伏しおって。書類が散らばってるぞ」
 夏樹が慌てて拾い集めている。
「仮にも、私宛ての通達をですね、勝手に……」
「断言しておくが」
 ディルクセンはため息を吐くようなしぐさをして、足元に来た書類を拾う。
「あの狂騒は、にわか仕込みの販売員などが鎮圧できるものではない。妥当な予
防措置だ」
 ……ディルクセンが万事そんな調子であることと、ゆかりが休んだ翌日に処理
書類に含まれる始末書の割合が妙に大きくなることとの間には、相関関係なしと
は言えはないのだろう。
「それにしても、購買部との事前協議を設けて然るべきでしょう。彼らがもし二
班分の人的余裕を生み出すのなら──」
「迂遠なことを。昔のおまえならばそんな生ぬるい考えはしなかったはずだぞ。
掣肘する者のいない独裁が堕落を呼んだか。ああ、かつて輝いていた頃の広瀬ゆ
かりが懐かしい……」
「恥ずかしい物言いをしないでください!」
「ふっ」
 ゆかりの剣幕に、ディルクセンは大仰に肩をすくめた。冗談のつもりだったら
しい。
「う〜……」
 本格的に頭痛を感じてこめかみを揉み解す。
「……で、担当の班は誰の?」
 ディルクセンは手元のコピー紙を書類の山の頂上に積み上げた。ゆかりは顰め
面で手を伸ばす。
 その週間予定表の該当欄には、二人の名があった。
 宮内レミィと、真藤誠二。


                 ◇


「だからね、私だって、唯々として今の状況に甘んじてるわけじゃないの。うち
の子達にだってちゃんと手に職をつけるように言ってるし、ちょっとづつお金溜
めてるのよ。お屋敷買い戻せるようにね……ねえ、ちゃんと聞いてるのっ!?」
「トマトジュースで絡まないでください……」
「はは……」
 四時限目の時間中。彰を中心に念を入れて早めに進めた昼休みの準備だが、テ
ィーに加えてルミラも想像以上の手際だった。今は順調に進む作業の傍ら、ルミ
ラの愚痴の零す愚痴の聞き役になっていた。トマトで酔う体質なのかもしれない。
「でも」
 彰は彼女の手元に視線を下ろす。
「板についてますよね、たまねぎのみじん切り」
「……言わないで……」
 彼女の目尻が一瞬だけ光って見えた。
「ちわーっす」
 食堂側の戸口から声が聞こえたのは、4時限め終了10分前のことだった。
 現れたのは、風紀委員の腕章をした20人ほどの生徒達。全員がゴム弾銃やネッ
ト投射器を持っている。いつにもました重装備だ。
「応援は、もう結構だと言ったはずだけど?」
 本来フランク長瀬の役割のはずなのだが、こういう面倒ごとは自動的に彰の役
になってしまうらしい。
「マァマァ、七瀬センセイ。備えあれば憂いなし、ヨ」
 その場の班長の一人らしき二年生――宮内レミィは、緊張感もなくそう答える。
 もう一人の班長、真藤誠二は話をレミィに任せて、興味深げに辺りを見回して
いる。
 割烹着姿のルミラが奥から顔を出した。
「ま、いいじゃない。そちらにも都合があるでしょ。ご苦労様ね」
「Oh、ルミラ、話がわかるネ」
「でもお生憎。多分貴方達の出番はないわよ。今日は荒事に適任の奴がいるから
ね」
「テキニン……?」
 レミィが見た先では、『ウェイトレス姿の銀髪の少年』が、食堂の中央に佇ん
でいた。なんとも不機嫌も極まった表情で。
「くそっ、なんであたいがこんな格好……」
 誠二は、どことなく諦めたように息を吐いた。
「……最近流行ってるからなぁ、ああいうの」
 誤解していた。


 ……ともあれ、4時限め終了のチャイムが鳴る。

『本日より、乱闘禁止』

 T−star−reverse直筆の看板が、食堂入口に置かれた。


                 ◇


 ──彼は風になっていた。
 白い筋をさえ帯び、視界に映るもの達が背後へ流れていく。まばらな人影が慌
てて左右の壁に張り付いた。遮るものなど何もない。競り合うものさえもない。
ただ、耳の後ろには自分と同じ靴音の群れ。彼が従える颶風達。
 彼はその尖兵だった。
 滑り止めを蹴って飛ぶ。日差しが一瞬、視界を焼いた。すぐ横に校庭が広がる、
着地、コンクリートの強い感触。渡り廊下を貫いて速度を落とさず、目標、横開
きのドアへ狙いを定める。
 ──女性。
 割烹着の女性が立っていた。怒涛の前に立ちはだかる巌のように。
 だが、磨き上げた脚力への自信が、彼の速度を弛めるのを許さない。直前でサ
イドステップ、女性と立て看板との僅かな空間を直線的に貫き室内に跳びこむ、
そのイメージが瞬時に構築される。

 その時、彼は紫の双眼を見た。霧が頭蓋の中にまで浸透してくるように静かに。

 次の瞬間、彼は自分の脚力で断崖を蹴り、果てしのない奈落への自由落下へ旅
立っていた。


「はあ〜……。大したものだねえ」
 彰かお玉を持ったまま出ていくと、表には20人からの生徒(勇ましいことに女
子も3名ほどいた)がコンクリートの床にダイブしていた。ただの一瞥での無力
化だった。
「えげつない……」
 エプロンで手を拭きながらティーも出てくる。松原葵に関して我を忘れる以外
は、彼は基本的に平穏愛好者だった。
「魔眼。いわゆる魔族が使用すると言われるうちで、最も有名な能力の一つでし
ょうね」
「手軽だからね、これ。
 ──あら、神海君じゃない。芸風変えたの?」
 先陣を切って突っ込み、頭から鉄柱に激突した生徒の顔に、ルミラは意外そう
な顔をした。が、あっさりと放っておく。
「転がしておけば威圧になるわ。飛びこんで来る子も減るでしょう。ほら二人と
も、厨房厨房! こらそこ! 真正面に髭を平積みするんじゃないの!」
 緩んだ三角巾を直すミラがきびきびと戻っていく。彼女も重要な厨房要員だ。
今日は主に芋の煮っ転がし担当である。
「やっぱり板についてるし……」
 ぎろりと睨まれる。
「イビル、次のお客さんがお待ちよ」
「へーい……っとッ!」
 返事と同時、小柄な影が鋭く間を詰め、慎重にも様子を伺っていた第二陣の先
頭の男子の喉元に黒い槍を突きつける。
 紺と白のエプロンドレスを着た少年――に見える少女――の姿をした悪魔――
は、ざんばらの髪の下でニィッと笑った。
「慌てず走らず、二列になってお並びください、ってな。今日は機嫌ワリいんだ
よ、だから……。大人しく並べェ!」
 槍の石突で床を叩く。青黒い炎が立ち上がり、食堂内を蛇行する一本の道が生
まれる。
 やがて、それに沿って粛々と列が出来ていった。

「おお、やるなあ……ふぁ……」
「出番ないノ……?」
 販売所の脇に待機した真藤誠二が暇そうに生あくびし、レミィが不満そうにシ
ョットガンを玩んでいる。
「すぐにあるって。問題の奴らがまだだからな」
 列が整理されても、多忙を極めるのは変わらない。彰、ルミラ、ティーが厨房
の中で忙しそうに立ち働いている。一方、恐るべき手際で購買のカウンターをこ
なしているひげ4。
「ちゅるぺたぁああああ!!」
「槍よォオオオオオオオオオオオッ!!」
「ぶべらぶぅっ!?」
 時折現れる行列無視を逐次叩いていくウエイトレス・イビル。たった今顔面か
ら鮮血を撒き散らしつつ大音響と共に床に沈んだのは平坂蛮次である。
「ま、こんなもんだろ」
 状況を見渡して、イビルは満足げに息をついた。
「どうですか、ルミラさ──」
「イビル!」
 ルミラの声が飛んだ。イビルが顔色を変えて振り向くより早く──

「さて懐かしのッ!」

 声。

「ひなたんストライクゥッ!!」

 振り向いた瞬間、ライフルな高速スピンの掛かった黒い頭部が眼前に迫ってい
た。
「みきゃぁああっ!」
「ぶはぁあああッ!?」
 人体の直撃を受けて吹っ飛ぶイビル。諸共に購買の列に突っ込む。悲鳴と不運
な小銭が飛び交う。
 疾風のように長机と生徒達の上を跳び行くは小柄な影。手には代金。崩れた人
の壁(売店の前に並ぶ不幸な生徒達)を拡大し磐石のものとするために、風見ひ
なたは手に持つ大工道具一式セットを振りかぶり――
 刹那、紫銀の霧が目の前を吹きぬけた。
「──ッ!?」
 視界を塞がれて急停止する。霧の正体を探ろうと。が。
「あら……意外にすべすべ」
 耳元に吐息。
「不覚にもノーチェックだったわ。風見君、だっけ?」
 ……自分の頬を、冷たい掌が包んでいる――
「ッ!?」
 発作的に放った裏拳が風を切る。
 その手から飛んだノミが、壁際の女子生徒の眼前に突き刺さった。彼女が蒼褪
める。
 影、というよりも霧のような身軽さで、女性はテーブルの向こうに降り立つ。
野暮ったい割烹着の長身の女性。紫の虹彩が縦に長い。
 その爪が一本、長く伸びていた。
 彼女はぽつりと呟いた。
「イビル、後でお仕置き」
「ル、ルミラ様ぁ!?」
「恥かかせて! 油断してるからよ、馬鹿」
 ひなたは手元に残ったノミの柄を放り捨てた。交錯した一瞬の間に彼女の爪に
切断され、その先端が勢いのままに壁に突き刺さったのだ。
「僕の後ろを取るとはね……。ルミラ・ディ・デュラルさん」
「ちょっとした目くらまし……商売柄の、ね。大人しく列に並べばよし。さもな
くば……」
 言いかけて、あら、という風に微笑みを変えた。
「言うだけ無駄みたいね?」
 ひなたは構えを一段低くすることで答えた。
「怒らせちゃったか。でも、そんなものじゃ、私は傷つけられないわよ?」
 そんなことは分かっていた。彼女達の『レベル』が尋常なものではないことは。
イビルの気配だけでわかる。
 だからこそ、邪気を振りまき察知の可能性がある鬼畜ストライクではなく、た
だの美加香の投擲、その純物理的攻撃の奇襲だけで制圧を狙ったのだ。
「例えば──」
 艶然と笑む。
「その右手の力を使うとか」
「………」
 ひなたは右手の甲をなぞり、
「……これを使うまでもありませんよ……」
 ネクタイを弛め、ブレザーの上をルミラの方へ脱ぎ捨てる。その内から取り出
すは。
「久々ですね……」
 二機の大型チェーンソー。
「――小早川スペシャル、行きます」
 ガソリンエンジンが咆哮した。


「はい、掛け蕎麦いっちょ!」
 その隙を縫って、行列は着実に消化されてもいた。


 ガソリンの匂いが食堂に立ち込めていく中、生徒手帳の校則欄に糊付けされた
膨大な補足条項と格闘していた誠二はおもむろに立ち上がった。
「よし」
「What?」
「食堂等における食品衛生管理についての学則違反だ。風紀委員、出動するぞ!」
「Wait!」
 疑問を通り越して驚く。袖を掴んで立ち上がるのを阻んだのは、レミィその人
だった。
「……熱でもあるのか、レミィ?」
「Oh, no」
 レミィは本場仕込みの仕草で片目をつむってみせる。
「Hunterは獲物を確実に罠に追いこむまでじっと待つものネ♪」
「うっ……」
 そんなレミィの表情に弱いのが、真藤誠二だった。


 視線がさすがに縫い付けられる。購買に順番を待ちする生徒達、食堂で着席す
る生徒達、その間にガソリンエンジンの轟音が響き渡る。
 そして断続的に耳をつんざく高速の擦過音。
 ルミラは緩急をつけた歩調で前後左右、上下にさえ、揺らぐように重心を移動
し、連撃のことごとくを凌ぐ。
 ひなたが業を煮やしたように鋭くチェーンソーを突き込む。それを一本の爪が
受け止めた。激突。鉄の刃が火花を散らし、周囲の耳を塞がせる程の甲高い悲鳴
を上げる。
 弾いた。20キロを越える鉄塊が飛んだ。天井に突き刺さる。それより前に左の
チェーンがルミラの正中線を縦に薙ぐ。彼女は間合いを取って躱す。ひなたの右
手が翻り、ノミが二本追撃する。バランスを崩した。残ったチェーンソーの上段
斬り──。
 黒い爪がそれを受け止めた。
「チェック、と言っていいのかしら?」
「………」
 爪の二本め。ルミラの小指から伸びたそれが、ひなたの喉元に突き付けられて
いた。
「どうしたの、降参?」
「………」
 ひなた身体が傾いた。直立姿勢のまま後ろに倒れこむ。
「何を──」
「あれ?」
 疑問の返答は間の抜けた声。ルミラの背後から。振り向くルミラの視界で細い
光が宙に煌いた。鋼線。ひなたが倒れこむのに合わせて思いきり引っ張られ……。
「葱塩ラーメンニンニク大盛がぁっ!?」
 そんな解説台詞が示す「もの」が、振り向いたルミラの眼前に迫っていた。
「ッ──!!?」
 悲鳴を上げなかったのが最後のプライドかもしれない。濛と立ち上る湯気。堪
らず三角巾を脱ぎ捨てる。瞬間、床で反動をつけて跳ね起きるひなた。ルミラに
目もくれずまっしぐらに走る。
 目的のために。
「列の横入りは厳禁だ! 止まれ!」
「フン!」
 売店の後ろから飛び出す風紀委員の一隊。かなりの重武装だ。ひなたは走りな
がら自分の制服の上を拾い上げ、制服の中に仕込まれた最後の暗器を掴み──
 突然、銃口の列が乱れた。
「な、なんだぁーッ!」
「もさもさして気持ちワリィーっ!」
「むにょろんむにょろんっ!?」
(なんだ!?)
 足元から爆発的に伸びた黒いものが委員達に絡みついていた。ひなたは警戒を
最大限に速度は落とさず突っ込み、カウンターに小銭を叩きつける。

「コロッケパンとヤキソバパン、税込み199円!」
「イエッ・サー!!」
「ッ!?」

 返答は礫のように飛んで来た。反射的に両手で受け止める。柔らかい感触。
 拍子抜けするほど簡単に手中にしたのは、確かに二つの──

「……カツサンド?」

 言葉がそれを呼んだように感じた。青い影を。
「カツは──」
 脚、腰、背筋、肩、肘。
 全身のばねを最大に爆発させる──

「駄目ぇえええええっ!!!」
「ほんぎゃらばぁぁぁぁぁぁああああっ!?」

 爆圧に等しい衝撃を重心に受け、ひなたは見えないワイヤーに引っ張られたよ
うに窓をぶち抜いていった。

「うう……えぐっ、えっぐ……カツは駄目なんですぅ……」
 くず折れて泣き出す松原葵と髭に絡めとられた風紀委員達を前に、ひげ4が胸
を張る。
「髭の御力以外を頼るのは、甚だ遺憾でありました。。必殺・カツサンド・トラ
ップ。なにしろ木の葉を隠すには森の中と言いますしッ」
「意味がちょっと違うヨ、ヒゲfour。それと──」
 レミィがちょいちょいと肩を叩く。
「はい?」
「お客さんヨ?」

 そこには、にっこり笑った鬼もとい仙人がいた。

「彼女を、泣かせましたね?」
「………」
 八重歯さえ覗かせた満面の笑顔で、レミィは親指を立てた。
「ヒゲ4! Good luck!!」


                 ◇


 放課後。
 広瀬ゆかりは昼休みの顛末と第一購買部側との交渉結果の報告書を閉じた。机
の前に立つディルクセンと真藤誠二をじろりと見る。
「真藤君に余計なこと吹き込んだでしょう? ゴムスタン銃やネットランチャー
まで勝手に持ち出して」
 風紀委員の武装はそれなりの「戦闘」においても殆どの場合警棒一本であり、
飛び道具の類の使用は厳重に管理されている。
「なんのことやらわからんな」
 すっ呆けるディルクセンに、ゆかりはきっぱりと指摘した。
「状況が不自然過ぎます。あの膨大な学則の追加条項を携帯してる生徒なんて、
いつもならディルクセン先輩くらいです」
「それは風紀委員なら当然のことだろうがっ!」
 交渉結果を持ってきたとーるが二人のやり取りに苦笑している。特に役職は持
たないが、彼は管理部門の功労者として一目置かれていた。
 第一購買部は、本日の『昼休み戦争』を、風見ひなたの乱入以外に大きなトラ
ブルはなく、終了した。
 交渉の結果、風紀委の派遣は今後も続けられるが、規模は縮小方向に向かう。
事実、彼らの安定度は格段に上がったと見做して良いだろう。
「疑問は残るがな。今回はまだ幸運だった。厄介な面子が風見ひなただけだった
のだからな」
「またそれを……。結局、おおよそ彼らだけで警備をこなしたんですからいいじ
ゃないですか」
「食堂中をガソリンの匂いで満たし、職務を果たそうとした風紀委員を髭なんぞ
で拘束しておいて、か?」
「……なんか全身がもさもさする……」
 隣の誠二が先刻から身体中を掻いている。
「この報告に寄れば、むしろ真藤の正当な威力行使を、宮内が妨害したと解釈で
きる。君こそ宮内に何か吹き込んでいたのではないのか、広瀬委員長?」
「さて、なんのことやらわかりませんね」
 ゆかりは肩を竦めた。
 そのとき、扉が勢いよく開いた。
「Hi, Yukari! セイジの足止め、役に立ったわヨ。約束通り、射撃訓練の予算
組んでくれるわよネ?」
「………」
「………」
「………」
 突っ伏すゆかり、大量の書類が派手に舞い散った。それを睨むディルクセン。
視線を天井に上げる夏樹。首を振っているとーる。苦笑いしている誠二。
「……アラ?」
「……レーミーィー?」
「アハハ……オジャマさまでしタ」
「まったく……余計なことを」
 レミィが扉を閉めて退散しようとする。ディルクセンはそれを留めるように大
袈裟にため息をついてみせた。
「購買部側が苦戦する隙に警備を投入し、圧倒的な火力で形勢を逆転する。事成
れば容易に治安権限を奪回できたのだがな」
「どうしてあなたはそういう発想しかできないんですか……?」
「ふん」
 ディルクセンは鼻を鳴らす。夏樹に視線を向けると、彼女は苦笑いを返した。
言うだけ無駄よ、ということだろう。とーるとレミィは顔を見合わせて同時に肩
を竦めた。
「ま、ともあれ……」
 面々を見渡しながら肘掛付きの委員長席に体重を預け、広瀬ゆかりは楽しげに
呟いた。
「昼休み戦争。ちょっと面白いことになるかもしれないわね?」
「お」
 ディルクセンが感心した。
「それ、ちょっと昔の悪の女ボスの風情だったな」
「黙っててください!」


 それから。

「あなたはっ! なんであれが避けられないのよっ!?」
「世の中にはストーリー上の都合というものがありましてぇ〜……」
 ジャージに着替えたルミラに逆十字磔にされている神海の姿が、閑散とした食
堂に見られた。
「……なんでそんな服ばっかり……」
 イビルががっくりと肩を落としてもいた。


 さらに。

「ふふふふ……カツサンドは二つで税込み231円ですよ……」

 窓を突き破り校庭を10メートル転がって30分起き上がれなくとも、カツサンド
を放さなかったのは紛れもなく勝利への執念だった。


 ともあれ。

『本日より、乱闘禁止』
 その看板がティーの手により取り除かれると、フランク長瀬が面々の前に立っ
た。
「………」
 もそもそと髭が動いている。
 ……無言で彰に集中する視線。 
「えー……。皆さん、お疲れさま」
 拍手が起きて、それが第一購買部の一日を締めくくった。


 果たして、これで第一購買部の危機は去ったのか? 風紀委員会は用済みか?
 それは次に書く人にお任せだ!



                   「第一購買部強化計画」 おしまい

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 えー、無印私録です。
 でぃるくせん氏の強硬な原則論に敗北し、風紀委員会@共通時空(的)ver.で
お送りしました(笑)。
 要するに、生徒指導部がありません。風紀関連の解説が妙にくどいのは、私自
身がこの辺の認識を、改めて固める必要があったからです。なんか気に入ってし
まったので今後無印私録ではこの線で行きたいと思っとります。
 あ、風紀委員諸氏の性格、および人間関係についての抗議は受け付けない方向
で(いいのか)
 でも、このシチュエーションでkosekiさんを出せなかったのは……ごめんなさ
いよぅ。
 ……次の風紀物では主役いっとく?(笑)


 本題。
 とりあえず、七瀬彰とイビルを第一購買部アルバイターに推薦。
 どんなものでしょうか?>ひげ4さん

 ティーさんの手伝いについては、「兼部王」ですから違和感はないかなと想っ
ているのですが、とりあえず一発ネタであります(笑)


 と、いうわけで、以下、私が考えている七瀬彰の設定です。

 七瀬彰 20歳 男
・試立Leaf学園学務課勤務事務員。図書・教材・備品等担当。
・暗躍生徒会所属。顧問?(笑)
・第一購買部及び食堂店員(学務課からの出向扱い)

・Leafキャラとの主な交友
 澤倉美咲(高校の先輩、片想いの相手)
 藤井冬弥(古くからの親友)
 河島はるか(古くからの親友)
 森川由綺(高校の同窓生、友人)
 フランク長瀬(叔父。バイト先のオーナー、第一購買部の部長)
 長瀬源四郎(親戚のお爺さん。学園の雑用で関わりあり)
 長瀬祐介(親戚の子)
 牧村南(事務員の上司)
 ルミラ・ディ・デュラル(学園の雑用で関わりあり)

 というところを考えています。……祐介辺りと絡むネタはさっぱり思い付いて
なかったりしますが(笑うところ?)
 SS使いの皆さんとの交友は明言しませんが、暗躍生徒会、第一購買部、それ
から他のWAキャラ周りの方とはそこそこあるのではないかと……思ってもらえ
るようになりたいです(笑)

(補記。私の書くLメモ内では試立Leaf学園附属大学部二回生でもあります
が、大学部の存在は公式設定ではないので今回は描写しませんでした)

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                          030722 神海