テニス応援Lメモ「ていうかむしろ幕間群像Lメモ」(中編) 投稿者:神海

 12時を回ると、他のコートでも徐々に参加者達が引き上げていく。
 同じように練習を終えた梓は、倒れ伏すパートナーの顔を覗きこんだ。
「おーい、誠治ー、生きてるかーい?」
「放っておいてくれ……」
 さめざめと泣く頬には、めり込んだままのテニスボール。外ではTaSと電芹が
激しい鍔迫り合いを続けている。
「なんでことごとく直撃するかなあ」
「──不思議な事です」
 セリオが真顔で首を傾げていた。
「……ま、いいけど。お昼にしようか」


                 ◇


 出張カフェテリアが用意した茣蓙とシートは、すぐに過密状態になった。無料
サービスを受けられる参加者や練習相手と、それにくっついて食事をとる生徒や
見物人で既に40人以上。ざっと見るとやはり、格闘部や風紀委員、暗躍生徒会と
いった集団で輪を作っているところが多い。梓のところにも陸上部や料理研究会
から同輩達が遊びに来ていた。
 その合間を三人の男女が駆け回る。
「はい……スペシャルデラックスエビパお待ちどうさま……」
「神凪さん! 応対はもっと元気良くハキハキと!」
「人には向き不向きというものが……それにしても、ちょっと小腹が空きました
ね……」
「お握りありますよ。食べます?」
「うふふ、神海先輩、営業妨害ですかー?」
「師匠直伝の焼味噌お握りです」
「むむむ……」
 なぜかウェイター服で手伝っている神凪遼刃や神海と、お馴染みの川越たける
がそんなやり取りを広げている。その合間にも忙しく往来する人とメニュー。
「妙な組合せだねえ」
 茣蓙に座ってサンドイッチを頬張りながら、梓は感心した。それにしても。
「神凪君に蝶ネクタイは似合わないな……」
「そうだね……」
 誠治の意見に梓は深く頷いた。
「はい、スマイルは頬をくにくにと柔らかくして、全体で、優しく朗らかに」
「こうですか……?」

 ニィ。

「うわ、恐っ!?」
「神海さんは黙っててください……」
 とても不本意らしいのが一名。どんな経緯なのか、今はその三人で店を切り盛
りしている。
「よ、今日も仕事かい、たけるちゃん」
 新たな客が、今度は完璧な朗らかさで片手を挙げた。
 立ち働く一人が返事する。
「こんにちは。いい天気ですね、Dボックスさん」
「………」
 少し沈黙する一座。
「──コンニチワデス。コンニチワデス」
 客の男子生徒の足元で、空気を無視してかたことと車輪を鳴らしながら挨拶す
る箱──もとい来栖川警備保障社員・Dボックス。
「神海先輩っ☆」
 たけるがにっこり、人を殺せる微笑を叩きこんだ。
「接客のご・あ・い・さ・つ・は?」
「いらっしゃいませ! 図書館カフェテリア・テニスコート出張店にようこそ★」
「……いらねえよ、んなあからさまな男の営業スマイル」
 来客、霜月祐依が憮然とする。ジンがしみじみと頷いた。
「いい根性してるよな、おまえら」
「神海と一緒かよ!?」
「あ、さらっと酷いですね」
「うぉっほん」
 祐依はわざとらしく話を変えた。
「これでも休日出勤だよ。そこのテニスコートの被害調査にな」
 確かに、四面あるコートのうち一つに大きな穴が空いている。施設の破損は警
備保障の管轄だ。
「つーわけで、たけるちゃん、仕事の後のアイスコーヒーとスマイル一つ♪」
「はーい☆」
「よくやるねえ、ホントに。本命逃がすんじゃないよ」
 梓が冷やかすと、笑いが広がった。


                 ◇


「Wowッ! 盛り上がってマスネッ!」
「ただいまです、たけるさん」
「あ、お帰り、電芹! TaSさん!」
 休憩に訪れた電芹が、セリオタイプらしく静かな立ち振る舞いで電柱を突き立
てる。TaSは変わらず激しく腰を振り続けている。
「はい、電芹にはこれっ!」
 たけるがカウンターの奥から、スーツケースほどもある容器を持ち上げた。乳
白色の小洒落たバッテリーボックスがでんとまします。
「こ、これは……っ!」
 電芹の声が震えた。
「来栖川エレクトロニクス最新の携行型充電機『速やかすっきり君!』! 電極
から染み込むマイナスイオンと微妙な強弱の波があなたの疲れを癒します肩凝り
腰痛人工筋肉痛に商品名はエクスクラメーションマークまで入りますのでお忘れ
なく!」
 来栖川エレクトロニクスのマークがきらりと輝いていた。
「ほんとーか……?」
 ジンが胡散臭げに呟いたが、聞こえていない。
「三人まで同時にお昼ご飯できるんだよっ」
「たけるさん……私なんかのためにこんな高価なものを……」
 たけるはぶるぶると首を振った。
「なんかじゃないよ! 電芹のためだからだよ……」
「たけるさん……」
「電芹!」
 がっしりと両手を握り合う。BGMが流れてきそうな美しい友情だった。
「用意したのは僕なんだけど……」
 梓が無言で誠治の肩を二度叩く。裏側でLeaf学園工作部のマークが悲しく光っ
ていた。
「それではTaSさん、何を召し上がりますか☆」
 唐突にたけるは話と雰囲気を変えて尋ねた。にぱっとスマイル。
「ワタシは持参シテおりマスッ!」
 TaSはなぜか誇らしげに胸を張り、アフロの中に手を突っ込んでごそごそした。
取り出だしたるは──

 黒い飯盒だった。

「なんで!?」
「オウチッ!  アチアチデスッ!」
 しかも炊き立てだった。
「なぜに……」
 驚愕したり諦めたりしている霜月や誠治に、TaSはチッチと指を振る。
「あふろの保温断熱保水効果を甘く見てもらってハ困りマース」
 蓋を開けると、まごうことなき白米の香りが立ち込める。
「うわぁ、ほんとに美味しそう……」
 たけるが今にも涎をたらしそうだ。忙しいせいで、まだ昼食を取った様子はな
い。
「たけるサンも、ソロソロ休憩してはドーデスか?」
「えっ?」
 アフロに手を突っ込むと、現れる二つめの飯盒。
「炊き立てデスヨ?」
「えーと……」
 神凪と神海の様子を伺う。神海はひらひらと手を振って見せ、神凪は笑う代わ
りに肩を竦めた。客足もちょうどピークを過ぎたところだった。
「では、ご相伴に預かります☆」
 彼女は深々とお辞儀した。


                 ◇


 ……充電プラグを繋ぐと、自然に全身の各機能が低下して各部診断モードに入
る。チェック項目が液晶ディスプレイを流れていくのを横目に見ながら、電芹は
リラックスして電柱にもたれかった。
 電芹達にとって、今は記憶の整理をする時間でもある。頭の中で結ぶ像が曖昧
になり、夢とも現ともつかない光景が脈絡もなく浮かんでは消えていく。
 普段はすぐに休眠に入るのだが、今日はなぜとなく寝つけない。
 ぼんやりとした視界の向こうで、たける達が車座で食事をとっていた。
「ン〜。ぐれいつッ! ヤハリ和食は炊き立てゴハンに限りマス。コレをおかず
にゴハン三杯はイケますネッ!」
「気持ちはわからんでもないが……」
 ジンもなにやら言いながら、結局お裾分けされている。御飯を口に放り込むの
に忙しい。
「美味しいキャベツは塩無しでも食べられるのと一緒ですねー」
「ンわんだふるッ! コウミサンッ! それは至言でアリマスッ!」
「食べごろの甘味を短冊切りで豪快に堪能するも良し。
 若い辛味を千切にして舌先に乗せるも良し。
 キャベツこそ家計の救世主!」
「Oh! きゃべつコソ!」
「こら! それは別グループのネタだろ!」
 慌てた梓が制止した。
「うーふーふー。美味しいこうじ味噌を溶かしたお味噌湯がまったりと口の中で
蕩ける味わい……」
 触発されたのか、たけるが満悦の体でいる。
「味噌汁じゃないのか……」
「凄ぇ食生活してんだなぁ」
「ニッポン文化は一汁一菜ッ! まさにニッポンが生んダ──」
「おまえが日本とか言うと──」
「───」
 ……見知った人々が盛り上がる光景がなんだか遠くて、電芹は目を細めた。い
つもの世界から、自分だけ切り離されてしまったかのよう。それとも、これは夢
かもしれない。たけるが嬉しそうに笑っている。あの笑顔は彼女に内緒で初めて
一人で夕御飯を作ってあげたときのもので……。
 ふと気付くと、アフロの下の黒い部分が自分を見ていた。塗り込めた靴墨の奥
がへらりと笑った。
「電芹サンもお一ツドーデスカァ?」

 差し出されたのは、ほかほかの白御飯。

「また、TaS君……電芹が困るじゃないか」
 誰かがそう言ったような気がしたが、電芹はぼうっとその茶碗を見つめていた。
 いつのまにか、彼と自分以外の人々がいなくなっていた。なぜなら、ほら、こ
んなに静かだから。
 改めて御飯を見る。自分が食べ物を食べるのは有り得ないこと。自分の内にあ
る最も古い部分がそう告げた。
 しかしながら、自分達には口がある。発声する喉があり、歯も舌もある。さら
には味覚もある。料理の味見をするためだ。必要な場合には唾液も出る。
 で、あるならば、自分達が物を食べると、どうなるのだろうか?
 ……どうなるのだったっけ?
 ──思い出せない。
 なんとかなるような気もする。
 どちらにしても、試してみないことにはわからないではないか。挑戦あるのみ、
それが自分とたけるの信条だ。
「いや、それは──」
 そう考えると、なんて興味深い命題なのだろう。ほら、皆の注目も集まってい
る。
「……おーい」
 悲しげな声が遠くから聞こえたような気がしたが、電芹は茶碗を受け取った。
「……いただきます」
 割箸を取ると、ゆっくりと白い御飯を口に運び──
 ぱくり。
「あ」
 もぐもぐもぐもぐもぐ……ごっくん。
 呑みこんだ。おおお、と、篭ったような音が聞こえた。それは人のどよめきだ
と電芹のどこかが思った。
「で、電芹?」
 突然たけるの顔が目の前にあった。びっくりしたような、心配するような。彼
女の心臓がどきばくする音が聞こえる気がした。
「たけ……──ッ!?」
 胸に込み上げてきた感触に、電芹は跳び上がった。
「電芹っ!?」
 悲鳴のようなたけるの声と、足裏の芝生の感触に構わず駆ける。左手に抵抗が
あって、何かが外れた。そこで気付いた。充電用のプラグ。今は──
「ゲホッ、ゴホゴホゴホッ!!」
「電芹!」
 排水溝にほぼ原型のままの御飯を戻す。いつのまにか後ろに来てくれたたける
が、背中をさすってくれた。一気に頭が冴えてくる。急激な機体温度の上昇と少
々の水素燃料電池の消費に合わせた発汗。
「Oh……。モシかして、ちょっとシッパイしてしまいましタカ?」
「異物除去機能は正常みたいですねー」
 暢気なTaSと神海に、誠治とたけるの視線が突き刺さった。周囲もやや気まず
そうな面持ちで見ている。
「電芹、大丈夫?」
「精進が足りませんでした……」
 電芹は震える両の手に力をこめた。
 なんと、不甲斐ないことか。
「だからな、電芹、記憶の整理中に……」
 男の声を遮り、彼女は宣言した。
「もっともっと修行して、いつの日かきっと、たけるさんと一緒に食事が採れる
ようになってみせます!」
 背後で派手に何かがとっちらかる音がした。見ると、菅生誠治が昼食を転がし
て突っ伏している。
「誠治さん……」
 電芹は少し恨めしい気持ちで彼を見た。
「いらっしゃったなら、止めてくださればよかったのに……」
「………」
 誠治は返事をしなかった。
「ふっ」
 唐突な含み笑い。
「ふふっ、ふくく、くくくく……」
 その笑みのまま、ゆらり、と起きあがってくる。
「……誠治さん?」

「グレェエエエエエスッ!!」

「──ッ!?」
 咆哮と眼光に射竦められる。
「誠治さん! 電芹のことは──」
「たける君は黙っていてもらおう!」
 血相を変えたたけるも、その剣幕にびっくりして誠治を見つめてしまう。
「切れた」
「切れたな」
「切れましたねえ」
「後が恐いぞ……」
 ぼそりと呟いたのはジン。
「TaS君! 君がいかな彼女のパートナーであり彼女のそのなんだ心情的に認め
がたいことではあるがいわゆる一つの比喩的に言えば何かの間違いで師匠である
としてもだ! あまりに無神経な行為は慎んでもらおう!」
「Oh……ゴ立腹のヨーですネー」
「君も君だ。まったく君という奴は人の話を聞かず無茶な行動をしてばかり。さ
らにはオーナーでなくなったとはいえ仮にも専任の整備担当者の言を疎かにしす
ぎる!
 温厚な僕もいい加減堪忍袋の尾が切れた!」
「温厚だったっけ、誠治?」
「俺に聞くなよ」
 梓とジンの会話。食事続行中。
 誠治は少し口調を落ち着けて、
「しかしながら、権限に任せて彼女の身柄をどうこうするのも暴挙というもの。
 おりしも行われている校内テニス大会には君も僕も勝ち残っていることである
からして──。
 勝負だ!」
「勝負……?」
「その通り。テニス大会決勝、そこで決着をつけようじゃないか! 勝ちあがっ
てくるがいい!」
 野次馬ムードだった周囲の空気が変わった。他六チームの選手達が多くいる中
で、これはほぼ、優勝宣言であるのだから。
「もし僕らが勝ったら──!」
 緊迫した視線が集中する中、誠治は電芹に指を突きつけ、高らかに宣言した。

「たまには僕のこと思い出して欲しいなッ!」

「弱気だ」
「弱気だな」
「弱気ですねえ」
「オーナー権返せぐらい言えばいいのに」
 冷たく突っ込む梓。だが誠治の勢いは止まらない。
「梓君! さあ練習だ。一刻の猶予も無い!」
「ああ、でも──」
「行くぞ!」
 ラケットを掴んで駆け下りていく。
「そんな急に走ると」
「うっ」
 下まで降りたところで誠治は急に蹲った。
「ほーら、脇腹痛くなった。昼休み、昼休み」
 横腹を抑えながらそそくさと戻ってくる誠治だった。


                 ◇


「結局なんだったんだ……」
「──一次記憶の整理中の情報の出入力が原因の、記憶野の誤作動だと思われま
す」
 ぼやいた霜月に、左手に充電コードを接続したままのセリオが答えた。
「先刻の電芹さんは、食事とHMの内部構造についての記憶が混乱をきたした状
態だったと考えられます」
「あー……つまり、どういう意味?」
「──人間の方に照らして言うと、『寝ぼけていた』のです」
「……気付いてたんなら、止めてくれよ」
「──何事も経験ですから」
 セリオはしれっと答え、紙コップの中身を飲み下した。こく、こくと喉が動く。
「ちょっと待て! それはなんだそれは!?」
 コップを下ろして彼女は笑った。
「──秘密です」
 ニヤリ、と。


                 ◇


 腹がくちくなると昼休み。あちこちで雑談に花が咲く。
 たけるは全員に梅干番茶を振舞ってから溜まった後片付けをしている。交替で
神凪と神海は休憩だ。
 電芹は、誠治の宣言がショックだったようでしばらく黙っていたが、休息が十
分ではなかったのか、またうつらうつらとし始めている。
「よく出来ているものですね……」
「ソフト上のニューロンが受け取る重みが断続的にしきい値に達したり達しなか
ったり。作為的な『ポーズ』ではないそうですよ」
「ふむ……」
「ム?」
 たけるが振り返ってぎらりと睨んだ。神凪と神海は同時に下を向いてお茶を啜
る。聞こえないように話していたのだが。
 一方のセリオは充電しながらノートPCに視線を落としている。生真面目なこと
だった。
 神海は食事の傍ら、充電枠の三つめを占有したDボックスの傍で、霜月に代わ
ってPDAで記憶野の整理のチェックをしている。レディにはついて行かないらし
い。
「つーか、チェックするようなものがあるのか、あれに?」
 そう呆れた霜月は、手伝いに来ている女子テニス部員の輪へ歓談しに行った。
 篠塚──レディ・Yの方は、昼食は別で、いちいち着替えて職員室に戻ったら
しい。
 耕一が、雑談の中で指を一本立てて言った。
「午前中に本命と会話、午後の選択でフラグクリア用の会話」
「刺殺エンドルートだなあ」
「当人は満足なんじゃない?」
「どっちに刺されるのやら」
「──オハヨウゴザイマス。オハヨウゴザイマス」
 当の神海は、再起動したらしいDボックスのアームを手に取っている。
「次の機会にはきっと一緒に出場しましょう、Dボックスさん」
「──ペアデス。ペアデス」
 ころころ回るDボックス。
「……あー、まー、なんでもいいけどな……」
「幸せみたいだし」
 呆れた視線を送る男達だった。

 やがて選手たちは、それぞれ気だるげにそれぞれコートに戻っていった。